『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

ユタは共感者

2009年06月30日 13時21分21秒 | 宮古島のシャーマン
6月28日の日曜日の夜、民放テレビで沖縄のユタ(沖縄全体でのシャーマンの呼称)をテーマとした番組をやっていました。たまたま観たのですが、なんと、宮古島の神カカリャ、Nさんが登場していました。1年前にお会いしたときより、少しお痩せになっていました。でも、お元気そうでなによりと思いました。

その番組は、まじめに沖縄のシャーマンについて取り上げていたので、安心して観ることができました。沖縄の精神科医にまでインタビューして、その医師が、「ユタというのは、相談者との感応が優れているのです。悩む者は、共感で癒されます。私たち精神科のカウンセリングと共通しています」と語っていました。的を射た発言でした。しかし医師としてのテレビ発言は、そのくらいが限界なのでしょう。科学者である医師が、神との交信うんぬんを語ることはできません。神とは科学的に何であるのか、証明しようがありませんから。番組で医師に登場してもらったのは、オカルト色を払拭するためのバランス調整ですね。

いずれにせよ、信じる信じないは個人の問題です。あの番組をご覧になった方は、どんな感想を持たれたでしょうか。目には見えないけど、そういう世界もあるのかな? と、少し心を開かれたでしょうか。しかし、体験こそが一番の学びですね。気になる方は、沖縄への旅もいいのでは? あちらでは全員とはいいませんが、ごく当たり前に、ユタの世界を信じている人がたくさんいますよ。


許すということ

2009年06月29日 11時39分08秒 | 航海日誌
先日、足利事件(幼女殺害事件)で、DNA鑑定をやり直したら、犯人ではないことが判明しました。罪を科せられ服役させられた菅家さんは、当初、検察、栃木県警を許せないと発言していました。しかし、謝ってもらえば許すと語り、県警トップが謝って、菅家さんは「許します」とハッキリ語りました。それを聞いて、ほんとうによかったと思いました。ただ、当時、直接捜査に関与した人は出てきませんでしたね。組織的擁護なのでしょうが、彼らが謝り、許すことが成就すれば、事件がもっとスッキリ浄化されるのにと思います。

遺恨の精神浄化は、片側だけでは成就しないのです。相手が謝罪しても憎み続ければ、遺恨。また、許そうとしても相手に謝罪の気持ちがなければ、これも遺恨。互いに悪かったと、許してほしいと心底から願って初めて精神浄化が起こり、遺恨が消えます。遺恨とは、イコン(象徴)であり、内在されるトラウマともいえます。

ところが、この解消が難しいのです。子どもの態度で、それがよく解ります。ケンカした二人を並べて、「お互いに謝って仲良くなさい」といっても、「ぼく、わるくないもん」と、悪いのは相手だと主張するものです。学校なら先生が「どちらにもケンカになった原因があるのだから、反省しなさい」といいます。でも、なかなか納得しませんね。消しゴムを投げたのは相手だとか、悪口を言ったからだとか、相手の問題ばかりを主張します。まあ、最後は根負けして、しぶしぶ謝る。

先日、ある老年の元小学校教師から、こんな話を聞きました。40年経ってもまだ同窓会をやっている仲良しクラスがあって、その席での話です。当時、優等生だった生徒が、「6年のとき、先生はぼくだけを職員室に呼んで怒ったけど、あれは本当はB君がやったことなんだ!だからぼくは悪くなかった」と、憤慨したように当時を語ったそうです。そのケンカの中身はさておき、人からは些細なことのようでも、当人は40年経っても、忘れないということです。

私にも、子ども時代の古い記憶が残っていますが、優等生ではなく、ほとんどが自分原因の反省ばかりでした。おれはもっとしっかりせんとなあと。で、すぐに自分を許すもんですから、忘れてしまって勉強もせず、遊びほうけていましたね。それで、また失敗する。その連続でした(笑)。ですから、幸いにも遺恨めいたものはありません。友だちとケンカしても、自分のぶんは自分が悪かったのです。相手のぶんは相手の問題なのです。自分のぶんまでを相手にかぶせるから、相手が悪いとなるのです。以前、『幼稚園の砂場ですべて学んだ』といったような題の本がありましたが、そのとおりだと思います。

始めの話に戻りますが、足利事件に関わった警察官も、本当は悪かったと思っていると思います。公式にではなくとも、謝ったほうがいいのです。謝らなければ、ずっと、逆遺恨がそのまま、その人の人生にまとわりついて、お酒を飲んでも楽しくないはずです。「負けて勝つ」という言葉があります。その意味は、素直に非を認めて自分に勝つということです。さらには、謝ることは勝ち負けではなく、最終的には自分を許すという浄化の行為なのです。


奥出雲紀行4

2009年06月28日 14時00分31秒 | 未知への扉
昨日までの話、スサノオとヤマタノオロチとの和合。神話へのアンチテーゼですが、それが事実だとかどうとかではなく、遺恨を浄化せねば、今の世界が開かないということです。世界中、この日本にも、無数の神話物語があるでしょう。善VS悪といった二元的な・・・また、二者対立のような、その代表は源平合戦ですね。近世でいえば、会津と長州の関係だとか、今でも許さん!といった恨みつらみ・・・こういった事々のご和算が浄化であり、現在がその時であると知って頂きたい。時到来!とは、まさしく今。陰でうごめいていた魑魅魍魎(ちみもうりょう)が、表に炙り出しになっていて、これからますます凄い世界が表出されることになります。しかと心して頂きたいものです。

荒唐無稽の話に聞こえるかも知れません。しかし、私にはどうしても、そう思えるのです。たとえ1000年前のことも、昨日のことも、人の心に残る思い(念)は同じだということを。私が、10年前に働いていた職場でも、こんなことがありました。職場内で互いに考え方、やり方の違う者同士が、仲違いしていました。仕舞いに二人は喧嘩して、決別しました。一人が「おれは絶対に許さない」と、捨てぜりふを残しました。間にいた私は、とても寂しくその言葉を聞きました。許さないという念の意味が彼にはわからない・・・その彼を責める気はありません。ただ、その大きな大きなマイナスを伝えることができないのが残念でなりません。残念というのも念ですね。

1000年前も、500年前も、10年前も、昨日も、同じように「許さない」と心を閉ざして、時が流れている。許さない世界がずっと続いているとすると、私たちは永遠に許されない世界に行き続けるのです。連綿と続く負の世界。誰が、そんな世界を創るのか。神でしょうか? 先祖でしょうか? ひょっとして、私たちは、そういう神話の中に生きているのではないのでしょうか? ささいな仲違いも、一万、百万、千万の念が集合すれば、どんなエネルギーになるか・・・

だから、自在に塗り替えられる歴史という化け物を呪縛と思うのです。言霊(ことだま)の世界は、そう語れば、そう成るのです。望まないことは、言挙げしないことです。つい、ポロリが恐ろしいのです。ポロリが出たら、謝って許してもらうことです。そのまま放っておくと、ずっとキープされたままになります。今後の世界展開に参加する者として、個々人でどんどん浄化させて、スッキリさせておきましょう。とても大事なことです。そうだよと、オロチさんもスサノオさんもおっしゃっていますよ(笑)

おしまい


奥出雲紀行3

2009年06月27日 14時05分39秒 | 未知への扉
スサノオとは一体何者なのか、お話したいと思います。それを語らなければ、なぜオロチ族と和合して出雲国を誕生させることができたのかがわからないからです。結論から先にいえば、スサノオ一族は、渡来系ということです。古代モンゴル民族という説があります。スサノオは、出雲国沼田(現平田市)で生まれたようです。その父親は、布都(フツ)という名で、スサノオは布都斯(フツシ)という元の名があります。平田市の宇美神社には、布都御魂という神名で祀られています。このフツ、フツシという名は古モンゴル名だと考えられています。

中央アジア高原のモンゴリアン民族の一部は、世代を継ぎながら移動して、南経由(後の日向族)と北経由(後の出雲族)とに別れて、新天地を求めて日本列島にたどり着いたようです。スサノオは、北経由で朝鮮半島から出雲へ渡って来た一族です。朝鮮半島にも、スサノオが行き来した曽尸茂梨(ソシモリ)という地があります。『日本書紀』では、天から追放されたスサノオは、新羅の曽尸茂梨に降り、この地欲さずとして子の五十猛尊(イソタケル)と共に土船で東に渡り、出雲国の鳥上の峰へ至った後、ヤマタノオロチを退治したとあります。そして、天から持ち帰った木々の種を、韓の地には植えず、大八洲(日本)に植えたので、大八州は青々とした地になったと物語られています。

渡来系スサノオ一族は、後に出雲族となり、今の島根地方を治めたようです。おそらく、先住の製鉄技術集団であるオロチ族も渡来系だったと思います。民族の移動というものは単一ではなく、部族ごとに世代を重ねながら行われたのです。古代日本は、緑の山河多き肥沃な土地であり、先住部族が小集団に別れて、海辺や山中に住んでいたわけです。そうした先住部族をまとめ上げ、国のかたちを造っていったのが、スサノオ一族でした。そして、それが後に大和国となる、原形となったと思います。実際、奈良・天理市の石上神社(日本最古の宮)に祀られる神名は、布都(フツ)御魂、布都斯(フツシ)御魂、布留(フル)御魂、宇摩志麻治(ウマシマチ)尊の四柱です。スサノオ一族の父子が祀られているのです。また、石上神社は布留の杜と呼ばれ、布留とは、大和の祖ニギハヤヒ(スサノオ第5子)の蒙古名のようです。

なぜ、オロチから譲り受けた宝剣「天叢雲剣」が、後に大和朝廷の三種神器「草薙の剣」となり、今も熱田神宮に祀られているのか。その宝剣をスサノオが、大和へ進出したニギハヤヒに与え、三輪の王となったニギハヤヒが、日向族の王子(後の神武)がニギハヤヒの末娘御歳(ミトシ)の元へ婿入りした際に、その証として与えたという流れがあります。これが、大和朝廷誕生の流れであると私は思っています。古事記・日本書紀では、全く違う物語とされていますが・・・国譲りの真相は、譲り渡したのではなく、受け継がせたのです。

つづく


奥出雲紀行2

2009年06月26日 09時28分04秒 | 未知への扉
日本神話でヤマタノオロチは、のたうつ大蛇として登場します。島根の神楽でも、赤い舌を出した大蛇のはりぼてに人が入って舞い、スサノオが刀で首を切り落として勝利します。そのお陰で、ヤマタノオロチはそのような怪物として扱われていますが、実際は今の奥出雲地域でたたら製鉄を営んでいた土着の一族だったと思われます。この郷には斐伊川(ひいかわ)という大きな川が流れていますが、古くは樋川(ひのかわ)と呼ばれ、「金流し」との関係が思われます。また、砂鉄流しから、水が火のように赤く染まって、そう呼ばれたとも想像され、たたらとの結びつきがあった川と考えてもおかしくありません。

そのたたらを生業とした一族(オロチ族)は、物語のような野蛮人だったのか。私にはそうは思えません。彼らは土着先住民であり、豊かで平和に暮らしていたと思います。製鉄技能集団ですから、多大な力をもっていたことは間違いなかろうといえます。その力を奪うべく、スサノオが攻め入ったと考えるのは早計で、鉄器を持つ者たちを攻め滅ぼすことは不可能といえます。出雲地方を広く治めるには、その強者オロチ族との和平・共存の必要があったと思います。

ここから先は、私のさらなる空想と思って頂いて結構です。ただし、私は後世に作られた虚像、スサノオのありきたりな武勇伝ならびにオロチ族の悪人説を払拭させたいと願っています。なぜなら、これが違えられたままだと、大和朝廷誕生の謎が隠されたままになるからです。

さて、オロチとの話し合いをつけに行ったスサノオは、度重なる交渉の末、ついに和合のときを迎え、宴会の席(神話では、オロチに酒を飲ませ油断させて討ったとなる)でオロチの娘を娶ることを誓いました。それが、稲田姫です。オロチ首長の末娘でした。おかめ顔で売れ残りでしたが、こころの綺麗な娘です。スサノオは彼女を快く迎え入れました。首長はたいそう喜んで、その契りの祝いに「天叢雲剣」を授けたのでした。後に大和朝廷の三種神器「草薙の剣」となる重要な宝剣です。当時、宝剣を譲るということは、相手に地位を譲る証となります。出雲海岸部の長だったスサノオが、奥出雲も統合したことになりました。これが出雲国の始まりとなったのです。それがたたらの里で私が感じた古代の風景でした。

つづく


奥出雲紀行1

2009年06月25日 12時45分11秒 | 未知への扉
出雲へ旅立った6月22日は、朝から天気が不安定でした。羽田空港のアナウンスでは、出雲空港へ着陸できない場合は、大阪伊丹空港へ降りる可能性もあるとのことでした。私はいつもの、成るようになると腹を決めていました。で、有り難く無事、出雲入り。レンタカーで奥出雲町へ向かいましたが、1時間半の道中どしゃ降りです。「鬼の舌震」という渓谷景勝地に寄ると、濁流が逆巻き、まるでオロチの流れのように感じました。

奥出雲町は、船通山(せんつうざん)を中心とした出雲神話の里です。大昔、その山にスサノオ尊が天降りて、ヤマタノオロチを退治したという場所です。里の娘をさらい、最後のひとり稲田姫がさらわれそうになっていたところを、スサノオ尊が助けて、夫婦になったと語り継がれています。オロチを退治したさいに、尾から宝剣の天叢雲剣が出て、それがのちに三種神器の一宝とされる、草薙剣です。船通山一帯は古くからの「たたら製鉄」の里で、今も、産出される砂鉄で古式にのっとった刀剣づくりが行われています。

船通山の麓に砂鉄採集された「金流し場」跡があり、砂金を取るのと同じようなやり方で土砂を流して採集していたのがわかります。その近くの山県集落には、国の重文指定を受けている「日刀保たたら」という工場がありました。そこで刀剣が打たれていますが、野中の黒壁の工場が、宮崎アニメの「もののけ姫」に描かれた「たたら場」のように見えて、古代の風景にいざないます。私は、その景色の中に佇み、さらに意識を古代の時間へと泳がせました。すると、日本神話で語られているような、おどろおどろしい様子とは違う、ヤマタのオロチ族たちの営みが見えてくるのでした。

つづく


奥出雲への旅

2009年06月21日 23時18分59秒 | 航海日誌
明日22日から3日間、島根県の奥出雲へ。取材テーマは、お蕎麦です。古くからの在来種を復活させ、横田こそばとして蕎麦通たちに知られています。また、当地は出雲神話の古里です。古来より、鑪(たたら)による製鉄がおこなわれました。映画「もののけ姫」に出てくる製鉄風景の地です。

ヤマタノオロチはご存じですよね。スサノオさんに退治される大蛇の神話。日本書紀では、スサノオが、オロチをやっつけて、その尾から草薙剣が出てきたと・・・ほんとうは、ヤマタのオロチ族という先住の豪族で、それを抑え統治したのがスサノオ出雲族だったようです。そのオロチ族の中心地が、明日から往く奥出雲です。

以前から気になっていた場所ですが、チャンスがなく行けていませんでした。その機会到来! 横田そばの味も楽しみです。そして、オロチさんの末裔さんたちにお会いすることも・・・帰りましたら、また、旅の報告をします。


神仏と宗教

2009年06月20日 14時42分02秒 | 航海日誌
神仏とは、一般に宗教というカテゴリーの中で考え、語られるものだ。日常生活の中で神仏を語れば、語る者はどこかの宗教団体に属する信者か、あるいは宗教マニアか、聞く側はそういう色眼鏡を掛けるのがふつうであろう。

「実家は、○○教の檀家ですが、まあ、わたしは無宗教ですね」といった方も多いだろう。その家でご不幸があったり、法事などでは檀家として参列し、よく解らないお経を一緒に唱和して、お坊さんの法話を聞き、足が痺れた~で帰ってくる。終われば、また、無宗教者である。または、元旦に近所の神社へ初詣して、新年の多幸を祈るが、無宗教者として、大抵はどんな神を祀っているのかもよくわからず、柏手を打って一礼している。それがごく普通の現代日本人の姿といっていいだろう。

いい悪いの話ではない。無宗教者とは、なにか。実は、かくいう私もそうである。そんなことはないでしょうと、思われるかも知れない。シャーマンを語ったり、ご先祖供養がどうこう言ったり、高野山へのぼって祈ったりしているのだから、あなたは宗教者じゃないのと。しかし、私は、そういうことを宗教と思っていないと言えば、どう理解されるだろうか。

宗教とはなにか。開祖がいて、その教理経典に基づき、ある宗派を信望して、その組織に帰属するおこないが宗教である。私はどこの宗派にも属さないから、無宗教者なのだ。ただし、実家が大昔から村内で所属してきた宗派があるから、当家を名乗る限り、その檀家ではある。仏事ではお世話になってもいる。あれは日本の社会生活に欠かせない機能である。別名、葬式宗教とも呼ばれるが。

宗教とは、組織なのだ。ある意味で会社カンパニーと同じである。その組織が存続し、社会に影響を与え、利益供与があり、他の組織と競合するといった活動である。だから、いい会社も悪い会社もあるように、推して知るべしだが、その判断は価値観の相違もあって容易ではない。

元来、フリーで渡り歩く性質の私は、どこかに所属することなく、そのときどきでご縁のあるところへ行き、ご縁のあるなりに活動させてもらっているということだ。その感覚を、分かり易くするために「ひとり宗教」と呼んで説明する場合もある。なんだ、それなら、やっぱり宗教者じゃないか。たしかに宗教という言葉を使っているのだから、そう判断されても無理はない。出口王仁三郎さんは、「世間では大本教といわれるが、教ではないので、大本と呼ぶ」とおっしゃっていたというが、それに倣うなら、「ひとり神仏」とでもしておこうか。仏をまとい、神やどすのが人間なのだから。


神は鏡

2009年06月19日 21時58分10秒 | 航海日誌
最近、東京のある神社で、結婚を願う女性たちが集って? 熱心にお参りをしているという話を聞きました。「よい縁がありますように」と。

毎日の生活のなかで、どんなご縁があるのか、みんなわかりません。いつ、なんどき、出会いがあるかわからない。その出会いで、よい出会いを望んでいるのはみな同じ。

そこで、神さまにお祈りする。ちゃり~んと、5円玉を投げて、「お願いします!よい出会いをさずけてください」。それで、ひょっとして、なんとかなるか、神だのみです。

神とは? 日本の神社は、神殿の奥、祭壇中央に「鏡」を設けています。それが神です。鏡です。そこに写るのは誰でしょう。自分です。つまり、自分を映して、祈っているのです。お願いしますと、自分に祈る。それが、神社のかたちです。

祈る相手は自分であって、自分が自分にお願いして、なんとかしてくれと頼んでいるのです。そして、自分の奥にいる、自分がほんとうに納得したら、よし、わかったなんとかしようとなって、気がつけば、自分がそのように動いて縁をキャッチして、うまくまとまるというとこです。

では、わたしたちが何気なく想っている、神とは? 想像を超えた天体宇宙を原動するエネルギーのようなもので、地球でいえば、毎日、きちんと回し続けているはたらきですね。日本では「天之御中主」と呼んでおりますが、ほんらい名前などないそうです。それでは、ほかの色々と名前のある神さまは? あれは、かつて人間であった、みんなのご先祖さんですよ。ですから、神社では、ご先祖さんにご挨拶して、自分が自分にお願いする、それが内在の神へ向き合うということです。あとは、自分次第ということです。


仕事とは・・・

2009年06月18日 23時02分11秒 | 航海日誌
最近になって、新たに始めた仕事が、ある婦人系の雑誌の広告コピー書き。1本は数百文字の短いものですが、これを1日に8~10本書きます。もう、3週間ほどやってますが、最初は頭がふらふら(笑)これも、修行! なんでも修行と思うのは私のまあ、クセか。人間やれば慣れてくるものですな。

このご時世に、仕事はどんどん回してもらえ、有り難いものです。数勝負ですから薄利多売。コピー書きトライアスロンを楽しんでおります。広告コピーですから、お客さんがいるわけで、私が書いたものをまあ喜んでくださっているとか。自分がした仕事が喜ばれる。喜ばれていることを知る。これが大事です。

ところが、やりっ放しの仕事というのもあって、やった先で一体どうなっているのか、反応が返ってこないものもあります。これはいわば流れ作業のようなもんでして、やるほうも、受け取るほうも、なんだかですね。どんな仕事でも、お互いにキャッチボールしたい。いい玉、悪い玉、どっちにしても。生きていることの実感が欲しいわけですからね。


疑惑の連鎖

2009年06月17日 09時55分50秒 | 航海日誌
これまで、世の大人は口をつぐんできました。組織・企業、個人の保身、不利益回避を優先して。しかし、超維新、前夜のいま、大変革が起こっています。自民党内でも若手議員らが、麻生総理に「大政奉還を!」と声を上げているようです。

今春のG20(ローマ)での中川財務担当大臣の失態 →民主党小沢代表辞任劇 →かんぽの宿売却問題から郵政社長退任問題 →それを受け、鳩山邦夫総務相退任 →実は麻生総理は4月に西川社長退任を認め、次期候補者4名を提示していた→イタリア・ミラノ国境で米国債約13兆円分を無許可で持ち出そうとした日本人2名拘束 →その先に、いったい誰がいて、どう展開するか?
(テレビでは報道されない情報を含む、通信社で配信されている報道より)

鳩山氏が「1年以内に歴史的に証明される」と明言したことの炙り出しで、この国のゆくえがハッキリする筈です。まさに【封印】が解かれる大きな流れだと感じます。


世が開く

2009年06月16日 10時56分53秒 | 航海日誌
どんどん世の中が変化していると思いませんか? ここのところ。アンタッチャブルだった暗部に光が差し込んで、炙り出しが始まっています。政治家もお役人も、政財界の方々も、おちおち眠ってられない人が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。これは日本のことだけを言っているのではなく、欧米列強(今に至るまで)からしてそうです。

封印が解かれる。まさしく、その感あり。世の隠し事があばかれて、これから大反省会が開かれます。「粛正」です。その間、しばらくは混乱するでしょうが、膿を出す期間として、好転の細胞交換をしましょう。その際の対処法は、良く笑い、良く食べ、良く寝て、より良い自分の仕事をすることでしょうか。とにかくも感謝の心を忘れずに。三千世界に梅の花が咲く。もう間もなくです。


昨日は楽しい酒宴

2009年06月15日 12時48分12秒 | 合氣道のすすめ
昨日は久しぶりに、合気道仲間と稽古のあと会食しました。ワインとビールと美味しいイタリアンで、楽しいひととき。それにも増して、二十代、三十代の若い人たちとの会話は、こちらも頭が柔らかくなって話が弾んで、それが大好きな合気道談義ですから、盛り上がり方もグングン。ビールもグングン。

「合気道というのは、試合を取り入れていないから、相手ばかりを見ないで、自分の内側のことも感じながら稽古をするんですね。だから、心身の鍛練になる。試合があると、どうしても勝った負けたが気になるし、目的になる。合気道は相手と自分との氣の交換。その相手の氣を受けて、自分がどう反応し、感じているのか。稽古が終わってからも、その感覚がじわ~と残っているでしょ」

といった当方の先輩談義に、みなさん耳を傾けてくれて、つい調子が上がってビールも飲み過ぎたか。ま、しかし、それも稽古。合気道は合気道をしていないときも稽古だと、どこまで行っても合気道バカなわけですな(笑)


貧女の一燈

2009年06月13日 09時36分32秒 | 航海日誌
高野山の弘法大師御廟(即身成仏・入定の場)の拝堂「燈籠堂」には、参拝者の献じる無数の蝋燭(ろうそく)の火が灯っています。その中に、およそ1000年、灯り続けている「貧女の一燈」があります。お照という名の女人が、献じた一燈です。その当時、蝋燭は大変に高価なものでした。お照は、早くに亡くした両親を弔いたい一心で自らの髪の毛を切って売り、その金で蝋燭を買ったのだといわれます。

この貧女の一燈に伝説が残っています。ある長者が万の数の蝋燭を献上することになり、時同じくお照さんも一燈献じたいと願った。さて、その万燈祭の日のことです。僧侶の配慮で万燈より一段高い所に、一燈灯る蝋燭がありました。それを見た長者が、なぜ万を献じたのに、その上に一燈があるのかと、不平を口にしました。すると、さーっと風が巻き起こり、万燈の火がすべて消え、お照さんの一燈だけが燃えていたという。長者は万燈を献じたが心を置き忘れた。お照さんは一心の一燈が叶った。その伝説が、燈籠信仰の中心となっているそうです。