茜色に染まる姉川
滋賀県長浜の歴史旅から帰りました。遡ること今から400年余り前、近江国姉川で合戦がありました。織田信長の妹、お市と政略結婚した浅井長政が、反旗をひるがえした戦いです。長政は信長から朝倉氏を打てと命じられます。しかし朝倉氏と同盟関係にあった長政は命に従わず、信長・家康連合軍と戦いました。これが4年にも及んだ姉川合戦です。この歴史について詳しくは月刊誌「男の隠れ家」に書きますが、姉川の合戦でもし浅井・朝倉軍が勝っていたら、のちの日本史は大きく変わっていただろうと言われています。「たら・れば」がないのが歴史ですが。
さて、この姉川を歩いてみました。伊吹山山麓から流れ出る河川です。夕刻、茜色に染まる姉川は、まさしくつわものどもの夢の跡。血原・千人斬りの丘といった場所に立ち、累々と折り重なる屍が目に浮かぶようでした。供養塚がありますので、お線香を手向けて祈りました。その祈りはいつものように、歴史に眠る多くの方々のお陰でわれわれがここに生かされているということに感謝を捧げることです。そう言ってもなかなか意味が解らないと思います。これは理屈で解ることとはかなり違った思念です。いえ、本来は誰しもが漠然とわかっていることなのですが。
とにかく私はこの姉川に縁があって来させてもらったのだから、祈りました。祈りが終わり、川辺で休んでいると気が抜けたような感覚になり、昼間の猛暑のせいかとも思いましたが、なにかが身体から抜けていったことを感じました。この感覚を一語で云えば「浄化」です。しばらくするとスッキリしてその夜は美味しい地酒「七本鎗」をいただきました。こういうのを精進落としというのでしょう。まずは、この姉川で「感謝想起の供養」をし、翌日は北へ数キロの浅井の山城「小谷城」へ上ったのでした。その話はまた書きます。
滋賀県長浜の歴史旅から帰りました。遡ること今から400年余り前、近江国姉川で合戦がありました。織田信長の妹、お市と政略結婚した浅井長政が、反旗をひるがえした戦いです。長政は信長から朝倉氏を打てと命じられます。しかし朝倉氏と同盟関係にあった長政は命に従わず、信長・家康連合軍と戦いました。これが4年にも及んだ姉川合戦です。この歴史について詳しくは月刊誌「男の隠れ家」に書きますが、姉川の合戦でもし浅井・朝倉軍が勝っていたら、のちの日本史は大きく変わっていただろうと言われています。「たら・れば」がないのが歴史ですが。
さて、この姉川を歩いてみました。伊吹山山麓から流れ出る河川です。夕刻、茜色に染まる姉川は、まさしくつわものどもの夢の跡。血原・千人斬りの丘といった場所に立ち、累々と折り重なる屍が目に浮かぶようでした。供養塚がありますので、お線香を手向けて祈りました。その祈りはいつものように、歴史に眠る多くの方々のお陰でわれわれがここに生かされているということに感謝を捧げることです。そう言ってもなかなか意味が解らないと思います。これは理屈で解ることとはかなり違った思念です。いえ、本来は誰しもが漠然とわかっていることなのですが。
とにかく私はこの姉川に縁があって来させてもらったのだから、祈りました。祈りが終わり、川辺で休んでいると気が抜けたような感覚になり、昼間の猛暑のせいかとも思いましたが、なにかが身体から抜けていったことを感じました。この感覚を一語で云えば「浄化」です。しばらくするとスッキリしてその夜は美味しい地酒「七本鎗」をいただきました。こういうのを精進落としというのでしょう。まずは、この姉川で「感謝想起の供養」をし、翌日は北へ数キロの浅井の山城「小谷城」へ上ったのでした。その話はまた書きます。