『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

仕事を離れて

2010年04月30日 18時20分37秒 | 航海日誌
       海を眺めて、のーんびり

先週、取材していた「日本の農具」について、昨日から写真を整理して、ページ構成を考えて、ラフコンテを描いて、やっとこさ今日デザイン入れが終わりました。情報調べから始まり、取材に2日、まとめに2日で、ここまでに1週間ほど。原稿を書くのに、また2日くらいはかかります。編集を含めたライター仕事は、ワンテーマで1週間~10日くらいかかって数ページの記事を作っています。

昨今は、われわれの出版界も不況の影響が顕著です。大手出版社もリストラ状況ですし、下請けの制作会社もキツキツ。編集者も少数で仕事をいっぱい抱えてこなしきれない。そこでフリーランスに仕事がまわってくるわけで、ありがたや~なのですが、全体がきゅうきゅうですから、そのシワもかなりのもの。とにかく、助け合いの精神です。

どの業界も、推して知るべしのことと思います。皆さん大変なところで何とか踏ん張っているといった処と思います。1991年にバブルが弾けた時よりも、もっともっと経済状況が逼迫していますね。バブルは日本国内の話でしたが、今回は、世界同時金融危機ですから、中身と規模がまったく違うのです。

最近は、勝ち組・負け組という言葉も聞かれなくなりました。もう、そんな事を言っている余裕などないといったところでしょう。何に勝つのか、負けるのか。こういう世情のときには、こころを広くもって、淡々と自分の仕事をこなしつつ、笑って過ごすのがいちばん。精神をゆるめるのが健康には肝要です。ゴールデンウィーク中は家族で太平洋でも眺めに出かけようと思っています。釣り糸たれて、の~んびり。こころでは、「世のせんたくをいたしたく候」(大笑)


畑の和み

2010年04月27日 22時08分18秒 | 航海日誌

きのうは、農具の取材で東京の郊外町田市へ行きました。都心から30キロ圏内ですが、武蔵野の丘陵地、田園風景の中で気持ちがいい。その路辺で見つけたのが、レンゲでした。ほんとうに久しく見ていなかったな。子どもの頃、田舎での遊び場は田植え前の畑地で、あたり一面がレンゲ畑でした。その花を摘んで首飾りをつくり、遊びました。女の子主導でしたが、それでいいのでした。「花の首飾り」をあげることがうれしかった、楽しかった。レンゲの花を見て、忘れていたあの頃のことを思い出したという次第。

あの世の近況

2010年04月25日 14時49分08秒 | 未知への扉

父がこの世を去って、今月で丸3年が経った。桜満開の季節、終末医療の病院で最後の花見をして、あれよという間に逝ってしまった。その父が、亡くなって数ヶ月した頃、夢に現れた。姿はなく、声だけだった。電話を掛けてきたのだ。

「もしもし、そっちはどう?」と私。何か父が答える。よく聞き取れない。「何なんなの?」・・・すると、声がゆっくりになり、「ああー、つまらん」と、聞いたことがないほどの落胆した声だった。目が覚めてからも、この声がはっきり耳に残っていた。その「つまらん」という言葉にすべてが込められていた。

仏教で教えるところの、涅槃の手前に父はいるようだった。キリスト教では「煉獄」と呼ぶところか。そこは、人生回顧の部屋とでもしておこう。たった今まで生きていた前世を振り返り、自己審判をくだすのだという。

身体を持って生きていた時が、どんなに豊かな時間だったか。暑いも寒いも涼しいも、苦いも辛いも旨いも、感じることの出来る面白さ。身体を離れれば、純粋に思考のみとなり、感覚器官の醍醐味は消え去っている。私は何度か幽体離脱の経験があるから、それが理解できる。

生きているということは、まさしく身体の中に居て味わえる事々のすべてだ。魂は、この身体ごとの期間に成長が出来るといわれる。だから、人間として生まれてくるのだが、望んだとて簡単に生まれられるわけではない。あの世の諸々の約束事があって、それにパスして、やっとこさ人間になれるという。人間になりたい魂はごまんといるらしい。生まれて来られたことの貴重さ。有り難さ。その期間限定の人生を味わい尽くさなければ、勿体ない。生きていることが、あんなにも面白かったのか・・・

父のメッセージは、それを云っていた。


農具の知恵

2010年04月24日 10時48分35秒 | 航海日誌
             足踏み脱穀機

農大「食と農」の博物館に、足踏み脱穀機が展示してありました。私も子どもの頃に田舎で目にしたことがありましたが、使われるところは見たことがありませんでした。

秋に収穫されたお米を、稲穂から外す人力道具です。ミシンのように下の板を踏むと、ドラムが回転して歯に当たり、稲穂から籾が外れるという仕掛け。単純な道具ですが、労力削減のありがたい機械だったのです。

これが登場したのは大正時代。当時、自転車が普及し始め、たまたま通りかかった自転車の車輪が稲穂に当たって籾が飛ぶのを見た農民が、「これだ!」と思いついたそうです。必要は発明の母なり。やがて各地へ広まっていきました。

今も、古い農家の納屋にはあるのではないでしょうか。私の祖母もそうでしたが、農家は道具を大切に扱い、古くなっても捨てずに取って置いたものです。鍬一本にしても、歯が欠ければ打ち直して使われたので、古い物はいつの時代のものかわからないくらい。

村には鍛冶屋がありましたから、そこで直すのです。私の田舎にも、仕事はもうしていないのに、ずっと鍛冶屋と呼ばれる家がありました。子供心にふしぎな感じがしていましたが、今になってその意味がわかります。村人にとって、なくてはならないのが鍛冶屋さんだったのです。農具は、私たちが口にする食物を生むための大事な道具です。農家の納屋にはそんな道具がまだ残っているかもしれません。


古農具取材で知ったこと

2010年04月22日 22時29分05秒 | 航海日誌
             古農具収蔵庫の梅室先生

昨日は、農大の「食と農」の博物館へ。古農具収蔵約4000点は、日本全国(北海道~九州)の40地域から集められたものでした。それらは昭和40年代の10年間ほどで、一人の研究室助手が集めたものでした。

元農大教授の梅室先生(66)が、若い頃にトラックで走り回って集めたのだそうです。先生は千葉で600年続く農家の出で、農具に農民の心が宿っていると感じて、集められるだけ集めたそうです。時代は機械化が進み、それらの農具は納屋で眠り、やがて見捨てられる運命にありました。

その先生が今、大変心配していることがありました。農家の生活が成り立たない現状です。専業農家は全国で3000軒ほどしかないと聞き、ええ?万もないのかと驚きました。大型農業機械は借金で購入します。その借金が専業農家には億単位であるそうです。機械は、植え付け時期の1~2ヶ月しか使用せず、しかも10年と持たないそうです。中・小規模農家では買えるようなものではありません。しかも高齢化が進んでいるから、人力作業も大変で、機械に頼りたい。痛し返しです。

そこで先生が今立ち上げたのが、NPO「農活」。農業機械オペレーターを田植え時期に派遣して、機械もシェアするというものです。桜前線に合わせてオペレーターたちが北上していき、日本の田畑を耕す計画です。「これからです。機械メーカーとの軋轢もあるでしょうが、これを実現しないと農業が保たない」と先生は笑い、目は真剣です。この話を聞いて農業の現場は、とんでもない事になっているのだと感じました。しかし、やり方があると、先生は血気盛んでした。天候で今キャベツが倍になっていることなど、ニュースでもなんでもないと笑いました。NPO「農活」の立ち上げこそがニュースだと、私も思いました。


古農具

2010年04月21日 11時41分10秒 | 航海日誌


昨日、東京近郊で「農具」の博物館はないかと書きましたが、東京農大に、【「食と農」の博物館】というところが見つかりました。全国から集められた約3600点の農具が収蔵されているそうです。これから出かけて、その古農具を集め研究する先生にお会いして来ます。

日本は近代まで、手道具で農業をしてきた国。耕耘機などは昭和40年代になってから使われるようになりました。それ以前は、牛馬が使役され、全国の農家で約600万頭が飼われていたとか。つい先頃まで、この日本は機械に頼らない農業だったのですね。さてさて、古農具について、どんなお話が聞けるか、楽しみです。


農への第一歩か

2010年04月19日 22時18分02秒 | 航海日誌
これからの日本には農業(というより、農を基本とした生活)が大事だと、時々に当ブログでも書いていますが、レギュラーでやっている雑誌で、「農業」をテーマに特集を組むというものですから、やった、やるやると申しておりましたら・・・当方にまわってきたページは、土と作物のページではなく、「農具の歴史と今」というハードもんでした。

それはそれで農に関わるテーマなのでいいのですが、東京近郊で農具の販売店の良さそうな処がなかなか見つからない。ハンズのようなアドバイザーがいる、農機具のいいお店を、ご存じありませんか。東京のお百姓さんの知り合いもいないし、こりゃ困った。それから、農具を本格的に展示している博物館も探しております。よろしくです!


だれのオーダー?

2010年04月18日 18時29分24秒 | 2012年説
ニューワールドオーダー(新世界秩序)という言葉が、欧米のニュースやペーパーで流れ始めている。知ってますか? 以前は、この言葉は「陰謀論」の代表的なキーワードでした。表立って、マスコミで使われることはなかった。地球温暖化が国際問題として取りだたされて久しいが、先日のCOP15が開催されるに及んで、はっきりしてきたようである。

ニューワールドオーダーとは、つまり、国際銀行家らが創る超国家である。各国の自治権を超える秩序の采配である。そのシナリオは、世界経済の崩壊と共に、ニューワールドオーダー誕生ということらしい。ハリウッドでは、国際犯罪に関する様々な映画が作られているが、唯一、作られていないものがある。国際銀行家が黒幕のニューワールドオーダー物である。そんな映画があるなら、教えて欲しい。

結局、2012年クライシスは、かれらが描くシナリオのようである。ニューワールドオーダーの前に、旧世界が終わる必要があるからだ。そのクライシスは、自然災害などではなく、世界経済崩壊である。今回の100年に一度といわれる世界金融危機は、意図的に創り出されたようだ。ゴールドマン・サックスもいよいよ解体され始めている。

ニューワールドオーダーは、われわれのオーダーではない。究極の社会主義的な、0.000000046%の人間に支配された、まったく不平等な小さく四角いネズミ小屋生活など誰も望むわけがない。陰謀論などといったちゃっちい段階はとっくに過ぎている。われわれのオーダーではないと、ハッキリいわなければ、あれよあれよという間に、世界が変えられてしまうだろう。

さて、私はここで、この話を現実のものだと云っているのではない。こんな事が実現する筈などないと思っている。だから、これは私の小説「世界は不条理を笑う」のあらすじだとお考え頂きたい。無いものを書くのが小説(妄想)家の真骨頂というものです。


2012年の手前

2010年04月17日 13時49分43秒 | 2012年説
       太陽光こそが神々の降臨

最近、2012年に宇宙的大変化が起こって、地球はどうなるのかといった不安を抱く人が増えているようだ。映画「2012年」の影響だろう。ノストラダムスのお次ということだが、さて。

結論からいえば、心配することはない、である。フォトンという光子帯に地球が突入するというのは、どうもSF話で、NASAも天文学者も認めていない。また、マヤの万年暦が2012年12月23日で終わっているという話も、フォトンうんぬんとは無関係に思える。

ただし、こうした一連の話を結びつけて、地球規模のカタルシスが起こる事を煽りたがる連中がいるようだ。そこには明らかに意図(シナリオ)が見え隠れする。キリスト教世界の「神の再臨」を真剣に待ち望んでいる信者が世界に何千万人いるだろうか。その人たちにとって、2012年は待ちに待った日だ。私は、ある欧米人ジャーナリストから、西洋人の思惑を、日本人には理解できないだろうとあからさまにいわれたことがあるが、この島国に居て知り得ない宗教感情や理念があるのだ。

だから、2012年には、何かが起こされる可能性を否定できない。中東域でのイスラエルとイランとの戦争かもしれない。日本ではニュースにされないので、その辺の緊張感というのもが伝わってこない。成層圏で核を炸裂させて地球を光り輝かせ、降臨をイメージングさせるのではと語るネット人もいる。地球規模のマインドコントロールだという。映画「天使と悪魔」のラストシーンだ。なにが起こるにせよ、人間が創作するものに違いない。みな平等に今生の一回こっきりの大事な人生だ。そんな詰まらないことを画策して、アホかいな、である。笑って2012年を迎えればいい。


三斗小屋温泉

2010年04月16日 16時51分54秒 | 温泉へ行こう!
       大きな露天風呂が名物

那須・三斗小屋温泉(栃木県)

また、途端に寒くなりました。こんな日には、温泉に浸かりたくなりますね。目だけでも入ってください。ということで、那須の山中にある秘湯「三斗小屋温泉」を紹介します。那須岳の麓には、名湯が数ありますが、ロープウェイで山頂まであがり、そこから2時間ほど歩いて辿り着く温泉です。

昔は、福島からの脇街道沿いとして栄え、10軒あまりの宿があったそうですが、今は山中に道も隠れ、徒歩で行く好事家か登山者のみの秘湯として知られています。宿は、「煙草屋旅館」と「大黒屋旅館」の2軒だけ。私はパイプを吸うので、煙草屋旅館に泊まりました。大黒屋もタバコは吸えますけど。

煙草屋旅館の風呂(写真)は、最高です。ほんとうに自然風景しか見えません。自分がニホンザルになった気分。天気が良ければ燧ヶ岳や会津駒ヶ岳が遠望できます。昭和30年代までは、湯治客が長期滞在して身体を治したそうで、温泉名の由来は、米を三斗食べないうちに治るといった評判から付いたとか。皮膚、神経、胃腸病などに効能あり。文庫本と酒を担いで1週間は滞在したい温泉です。

【データ】
栃木県黒磯市三斗小屋温泉「煙草屋旅館」 ☎0287-69-0882   冬期休業(12月~4月、ただし年末年始4日間は営業) 料金/1泊2食8000円 交通/東北新幹線那須塩原駅から那須ロープウェイ行きバスで1時間15分、那須ロープウェイ下車、那須ロープウェイ山頂駅から徒歩2時間、鉱山事務所跡から登るルートもあり徒歩1時間40分


ブラウンガス紹介のTV

2010年04月13日 10時50分06秒 | 核の無い世界へ
以前からお伝えしていた、水が燃える(ブラウンガス・エネルギー)の事実が、公になったようです! 地上波のテレビ番組で放映されました。私がブラウンガスの存在を知ってからでも3年たっていますが、やっと認知されたようで、ヤッターの感です。番組内容は大田区の「日本テクノ」という会社の取材模様で、国立海洋大学の教授も登場して研究を紹介しています。映像で、水素&酸素混合ガスでエンジンを回していますよ! 

これまで何度も書いているように、これはホントに世界人類のエネルギー大革命なので、興味のない人も是非、ご覧下さい。そして、これが事実なら世界は大丈夫(私だって、まだ疑っている)。世に出れば生活がガラリと変わります。オイル→ウォーターで、トヨタのプリウス問題など、爆笑問題(笑)
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下記のアドレスをコピペして検索。
または、「ブラウンガス」で探しても色々出てきます。

YouTubeの動画(水酸素ガス)
http://www.youtube.com/watch?v=GE9cUgPdA_s


よいもの

2010年04月12日 12時01分50秒 | 航海日誌

先週は毎日、音のいい喫茶&バーを巡って取材していました。JBLや手作りスピーカーから流れる素晴らしいジャズやクラシックに酔いしれ、いい音も人生を豊かにしてくれると感嘆。オーディオの趣味は人それぞれ。どれがいちばんいい音かは感覚の相違です。自分で気持ちいい音探しが、この趣味の醍醐味というものでしょう。

ところで、お店巡りで出会ったものがありました。それが写真の電球です。あれ、これ真空管に似ていると思い、マスターに尋ねると、「それ、エジソン電球ですよ」。明治12年にエジソンが最初に作った電球の復刻だといいます。その電球が発展して真空管が誕生したとも。さすが凝った電球を使っているもんだとまた感心。さぞや高い品物なのだろうと思うと、1個980円。

東急ハンズで買えると聞き、何十万円もするアンプは買えないがこれならと、渋谷で帰りがけに購入して、我が部屋の球を取り替えました。3年経っても切れないそうで、昔の電球は切れないように丈夫に作ってあったと。ガラス球の中で太く赤々と燃えるように輝くエジソン電球。パソコン画面から目をそらし、球を眺めてリッチな気分に浸れて、よいものと遊んでおります。


出雲見聞録9

2010年04月11日 16時17分21秒 | 歴史の断層
       平成25年に大遷宮が行われるまでの御仮殿
       その後ろが屋根を葺き替え中の御本殿

【仮遷座祭】
出雲大社の御本殿を修復する際、いったん拝殿に「御神体」を仮遍座します。その神事に参加された方のお話です。

「御本殿から今の拝殿に御神体を仮遷座する神事に私も参列させて頂きました。本殿の外で我々はゴザを敷いて正座しています。夕方から始まり、4時間くらいかかりました。遠くから笛と太鼓の音が聞こえて、しずしずと行かれるんです。前には綱が張ってあって、雲と書いた紙が下がっています。その綱の中は雲の世界であるということですね。そこを白装束の神職さんたちが通って行かれる。で、畏れ多くて頭が上げられない。通り過ぎられて、ほっとして頭を上げたらちょうと東の空から満月が煌々と上っていまして、二度と体験できないなと思いました」

このような神事には、神主、神職、地域の氏子が一体となり、一同の氣を合わせて事に当たります。凛とした空気の中で、しずしずと執り行われる。そのときに重要なのは、一同の氣です。誰かが乱れていると、神事の障りになるのです。よく、「バチが当たる」という表現をしますが、本来の意味は、神事に奉納される太鼓のバチが飛ぶという事なのだそうです。氣もそぞろキョロキョロと、とんちんかんな者には、バチが飛んで来るといった喩えです。神さまが罰(バチ)を当てるわけではありません。祟りとか、罰とかといったものは、誤解されているようです。人が当てるか、当人の自業自得の所業であることが多いのです。ただ、稀に超自然的な現象があることも確かですが、その原因は本人が起こしていることと気づけば、納得がいくことです。

かしこみ、かしこみの鎮まった氣で神前に居ることと、日常の隔たりをちぢめていけば、幸多からん。両親から頂いた肉体も、内在神の鎮まる宮であります。


出雲見聞録8

2010年04月10日 18時45分36秒 | 歴史の断層
       須佐神社ご本殿とご神木

先月末の3日間の出雲旅で最後に向かったのは、奥出雲の山里にある須佐神社でした。前々から気になっていた神社でしたが、今回、やっと御縁で参ることが叶いました。この神社は、須佐之男命(スサノオ=素戔鳴尊)を主祭神に祀っています。よって地名も須佐です。名字に須佐さんという方がありますが、ご先祖がここの出に繋がるようです。

神社縁起によると、出雲各地を開発した須佐之男命が最後にこの地に来て、「小さな国なれど、よき土地である」と語り、終生まで暮らしたそうで、その御魂を神社に祀ったとあります。『出雲風土記』に記された話であり、須佐之男命について語られるのは須佐神社にまつわる章だけだそうです。

古事記に、姉アマテラスと弟スサノオの神話が出てきますが、あれは中央で創作されたのではないかという説が研究者の間でも論じられています。風土記というのは、奈良の朝廷の命で地方に提出させた「記録書」のようなもので、記紀とはずいぶん内容が異なるのです。どちらが真実に近いものか、約1300年前の話ですから何ともいえませんが、地方が自分たちの先祖の話をするのに、遠慮しつつも、本当に近い「口伝されている事」を記したと思えます。

とにかく、出雲では須佐之男命は実在の人物であり、後に神格化されて祀られたようです。須佐の地に住み、終の棲家としたと。それはまるで子に家督を譲り、山へ隠居した姿のようにも思えます。その御魂が鎮まるのが須佐神社ということです。今回、取材で出雲大社や日御碕神社、宍道湖などを巡り、最後にここへ辿り着きましたが、取材スタッフ一同が、「ここは雰囲気がいますね。何か強いものを感じる」と口を揃えました。

私が感応したのは、凛とした気でした。社務所の方がおっしゃるには、「全国からいろんな方が来ますよ。ご本殿の横で泣き崩れた人もいました。ふしぎなものを観る人もいるようです」といわれました。私は、いつものように「生かして頂いて、ありがとう御座います」と祈り、この須佐神社を後にしたのでした。御縁があって参れたのであり、また、無事に帰して頂けることの感謝のみでした。
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雑誌記事は、4月27日発売の「男の隠れ家」に掲載されますので、そちらもご覧いただければ幸いです。