『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

1年の感慨

2009年12月31日 17時33分13秒 | 航海日誌
       白山ひめ神社

1年の感慨・・・今日、一日で年をまたぐ。365日、4380時間、262800分、15768000秒。時が過ぎゆき、年号が変わる。この1年は、政権交代が行われ、まさに激動の年だった。世界経済の悪化から、工業国ニッポンも貿易損益に苦しみ、国内経済もしぼんでいった。円高となり、デフレの嵐が吹きまくった。サラリーマンの給料も下がり、ボーナスカットの企業も珍しくはない。どうなる、ニッポン。世界のゆくえは!?

2009年を、最悪の年と考えるか・・・それとも、大転換への大掃除とみるか。疾病に関する用語で、「好転反応」という言葉がある。病気がピークに達し、そこで傷みを伴い、そこから回復していく状態を指す。今はその傷みの時だろう。身体が必死で蘇生に向かうために戦うことの傷み。社会全体が、その好転反応と思いたい。その期間がどれくらいかは、まだわからない。

最低でも3年はかかるという経済評論家もいる。来年には、明るい兆しが見えるだろうという評論家もいる。とんでもない、10年はかかるし、世界経済の枠組みが再編成されるのだという評論家もいる。みな、予言者のごとくだ。当たるか当たらないか、どこにも保障はない。

しかし、われわれは経済で生きているのではないし、経済のために生きているのでもない。あと5年で日本人の年収は半分になるという人もいるが、それならそうで、そういう生活に切り替えればいい。タイやインドネシアをご覧なさい、みんな日本の10分の1の収入で、笑いながら生きている。日本だって、40年前の初任給は、3万円くらいだった。でも、クルマは70万円くらいしていた。それでも長期の月賦で買って、家族ドライブを楽しんでいた。

お金の単位で幸せは計れない。デフレもインフレも、好転反応の現象に過ぎないと思えば、恐れるにあらずだ。大事なのは、変化でへこまず、時代に合わせて臨機応変に生きていくことだ。人はパンのみに生きるにあらずだが、食べ物さえあれば生きていける。これからは食べ物のありがたみを知る時代となるだろう。自然の恵みの有り難さに感謝することを、改めて知るだろう。そう思う。そういう時代が悪いとはちっとも思わない。人間は案外、強い生きものだから、また、そういう時代を謳歌するにちがいない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
当ブログを1年間、お読み頂き、ありがとうございました!
来年は、どんな記事を書くか。いつもの雑誌などとは違うテイストで、
まあ、感じるままに、好きに書かせてもらおうと思います。
なにか感じることがあったら、コメントもらえるとうれしいです。
ぼくのブログは絡みにくいと、友人にいわれたり・・・
でも、絡んでください(笑)

ではまた、2010年に。
良いお年を!


2012年説・余話2

2009年12月30日 09時41分58秒 | 2012年説
「二重の意識」

人間の意識は、少なくとも二重になっていると考えられる。表層意識と深層意識といった心理学上の分類ではなく、表層意識にある二重構造についてだ。それは、一連で書いている2012年説にも関わる問題である。

・・・たとえば、あなたの中に、非常に曖昧な気分というものがあり、欲求がある。それは、口にすると恥ずかしいので、心中にとどめているような内容だ。そこにはエロスに関わるような内容も含まれるだろうが、とても大人が考えるような、少なくとも高校まではふつうに卒業できたような頭がまともに考えるような内容ではないといった領域の話である。

たとえば、宇宙人はいると思う・・・幽霊は存在する・・・天使と悪魔はいる・・・まじめな顔をして断定的に話す大人がいるとすれば、頭を疑われるに違いない。神は存在するといえば、宗教家である。これは例外的に扱われるが。もちろん、ひょっとして、と前フリを付けて、冗談めいて話せば、笑い話となるだろう。あるいは酒に酔っぱらっていれば、無礼講だろう。

しかし、それは他者とのコミュニケーション上においての話であって、実は心中では否定できない感情があるだろう。自分は見たこともないが、これだけ世界中に話題が転がっているのだから、ひょっとしてと、思っていることだ。

2012年説も、それと同じなのである。誰も、まだ2012年にいないのだから、地球が次元上昇しながら世界が激変して、やがて人類が意識進化するといった話を、否定も肯定もできないのだ。だがしかし・・・世間には、囁かれる話であり、ひょっとしたらと。だが、大方の人々はそうだとは口にしない。馬鹿だと思われたくないし、そんな非科学的な話にまともに付き合う時間などないといった態度が標準的な大人だとしている。

ここに、二重の意識構造があるのだ。人の精神は、その間で揺れている。世界は不確実なのだ。いつ、なにが起こるか知れたものではない。不安の源泉が、その二重の意識の幅の中にある。ひょっとして。馬鹿なと、そんなくだらないことはと、忘れる。目の前の仕事あるいは娯楽に専念する。こうして人生の時間が過ぎていく。

だが、しかし・・・そのときは必ず訪れる。あなたにも必ずアセンションは訪れる。物理時間は有限なのだ。「死」である。それが個人個人のアセンションにほかならない。肉体を離れ、意識体がどこか違う次元へ飛翔する。とはいえ、まだ呼吸している現在、それは未知の話である。私は死んだらどこへ往くのだろうといった話をまじめな顔で語り合う大人というものは、それほど多くないのである。

だから、「死」を忘れて生きている。忘れている片方の意識は追いやられ、まともと思える意識を拠り所として、残りの時間を生きている。仮に、2012年に地球ごとアセンションしようが、個人の寿命が来てアセンションしようが、同じことといえる。心配する必要など、どこにもない。そんなことよりも、今の感覚の中を、自分を尽くして思い切り生きていけばいい。その状態を「必死」という。


2012年説・余話1

2009年12月29日 12時26分15秒 | 2012年説
「天使と悪魔」

天使も神の顕現であるように
悪魔も神の顕現であるということだ。
天使と悪魔。
プラスとマイナス。
このふたつのエネルギーの振り幅があって、
世界は動いている。

天使プラスだけでは動かない。
悪魔マイナスだけでは動かない。

天使をプラス、悪魔をマイナスと決めたのは、ほかでもない、自分自身であって、プラスが善でマイナスが悪というのも、感覚感情の産物である。宇宙(神)には、善も悪もない、といわれるのは、そういうことであろう。善い悪いは、運動エネルギーなのだ。プラスとマイナスの物理現象に対して、善い悪いといった感情エネルギーを増幅することで、振り幅を生み出し、その間で運動しているということである。このことはこれ以上の説明のしようがないほど、世界中の現象すべてに当てはまる純粋に自明の理である。
 
といった、今朝がたの夢のメッセージだった。

この意味は、ゼロポイントが、和合するという感覚がどういうことなのかを、意識化するための言葉化である。気づきのヒントである。アセンション(次元上昇)することとは、この視座に立つことから始まる運動である。愛の園へ入る地点と換言することもできる。

裸になって抱き合って愛していると言葉を発するのは、その予行演習だ。そしていつしかエクスタシーに達する。エクスタシーこそ、ゼロポイント。エクスタシーは、「恍惚」あるいは「忘我」と訳されるが、語源のギリシャ語の意味は、「離れて立つ」である。自我感覚が消え、すべてが解け合い、混ざり合い、やがて超然とした意識に到達し、光瞬き、エクスタシーとなる(のだろう)。

未だ、エクスタシーを経験していない。好き嫌いの感情にはまったまま有酸素運動の最中。たとえ100万回セックス運動を続けても、善かった悪かったで終始するのは、振り幅でのエネルギーに天使と悪魔を求めているカラダ。そういった興奮に明け暮れて、数え切れない神話(愛の物語)を生み続け、何千年もエクスタシーに憧れているのである。

悪を撲滅せよという感情エネルギーおおいに謳歌せよ
善をおとしめよという感情エネルギーおおいに謳歌せよ
 
そういう世界中の大騒動が続いて、やがて互いのすべてが抱き合う地点で、世界は一瞬、息を止め、色即是空空即是色ゼロとなる。

地球まるごとのエクスタシーこそ 

歓喜!


2012年その9

2009年12月28日 13時58分20秒 | 2012年説
フリーメイソンの思想は「自由・平等・博愛」である。まさにルソー的な精神のように思える。中世の絶対君主制ならびに教会権力に対し、共和制の機運が勃興しつつあった。舞台は18世紀末期のフランスである。財政難を抱えながら優雅に暮らすフランス国王の態度に、周囲の貴族たち(政治家)も業を煮やしていた。フランスのフリーメイソンたちの動きが水面下で活発になり、影でイルミナティが動いていた。

金融コントロールは、白系アシュケナージュ・ユダヤのロスチャイルド財閥の力が発揮された。ちなみに、彼らは本来のユダヤ民族ではない。系統的には、ハザール国をルーツとする民族だといわれる。古代ユダヤの仮面を被った偽物である。ユダヤ金融資本家と呼ばれるため、正統ユダヤ人と混同され、問題を複雑にしている。そのロスチャイルド財閥が、フランス国内の資金を海外へ流出させ、フランス国内は、破産寸前に追い込まれた。巷に失業者があふれ、今日明日の生活の先行きも見えなくなっていた。ついに民衆感情の爆発! それがフランス革命の裏舞台だ。

そして・・・ナポレオンが立ち、世界革命の戦が火蓋を切った。世界戦争の始まりである。ロシアもロマノフ王朝が瓦解して、やがてソビエト・ユニオンが誕生した。まるで、アメリカの双子のように。それ以降、世界は戦争を繰り返している。戦争こそが、世界を救済する原動力であるといわんがように。アヘン戦争、アメリカ独立戦争、フランス革命、明治維新、日露戦争、第一次・第二次世界大戦、スペイン内戦、中国内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、アフリカ内乱・・・未だ、世界は戦争を続けているのだ。

つくづく戦争好きの連中によって、舞台が用意され、世界は混乱し続けている。誰が好きこのんで戦争をしているのか。よほど興奮好きの連中である。それが、天使と悪魔の本性だろう? キリスト教と科学の戦いなど、でっち上げであり、宗教と科学は同根である。共に巨額の資金が活動エネルギーである。無明の人間性にこそ、天使と悪魔の両方が備わっているのではないか。ゆえに、われわれが目指すものは何か。人間性の回復というよりも、世界を動かす、その本性を見抜くことにあるのではないか。

西洋には、天使から悪魔のような人間まで住んでいる・・・イギリスを知る或る日本人が語った言葉の意味が、そこに集約されている気がして仕方がない。「悪を抱きかかえ、改心させよ」。それが出来るのは、大和に住むわれわれ日本人なのだ。これから、2012年までの3年間で、その真性が発露する。

(了)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

年末に至って、ここまで書いてきたが、これらは、既に出版されている書籍から、ほんの一部分を抜き出した話であった。所々に、私論を差し挟んだが、大筋は既存のものからの引用に過ぎない。そのほとんどの本が、いわゆる陰謀論である。

その範疇を出ることがないのは、筆者が、直接の当事者ではないからである。もし仮に私がどこかの機関のエージェントであれば、暴露として何らかの情報を元に論じているのであるが、そうではない。もろもろの書籍の類推でしかない。私が読んできた関係書の数十冊の本と、ネットに流されている種種のネタとによって、どうも、そうなのだろうといった感触から書いているに過ぎないのである。

だが、私がどうしても言いたいことは、この世界に、フィクションとノンフィクションの境目は、無いのではないかということだ。実体験と想像の境目が、どこにあるのか。哲学の命題は常にそこだろう? ご理解いただけるだろうか。知識と、経験と、今まさに体感することの、狭間の、どこに境目があるのか。生きているという実感を、どこに置けばいいのか。

ゆえに、人生は小説なのである。読み手は、貴方自身である。


2012年その8

2009年12月27日 13時46分53秒 | 2012年説
       USA1$紙幣のシンボル

昨夜は家人に連れられ、丸の内のビル街の年末イベント、街路イルミネーションを見物に行ったのだが、街路樹に煌めく光のイリュージョンを眺め、溜息をついた。夜空に光り輝くイルミネーションに、うっとりする人々の顔は幸せそのもの・・・さて。

「イルミナティ(illuminati=illumination)」。輝ける者、或いは、悟り得た者という意味を持つ名称だ。その結成は、18世紀の欧州の科学者たちによるものだといわれている。なぜ、科学者たちが? 発端は、1616年の異端審問にあるといわれる。キリスト教会が提唱する天動説に対して、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイはカトリック教会の弾圧を受け、終身刑となった。中世ヨーロッパ・キリスト教圏において、教会は社会システムの基盤そのものであった。その教会の教理に反する科学論は、異端である。ローマ法王によりガリレオの地動説が公式に認められたのは、驚いたことに2008年のことである。また、ダーウィンの進化論も未だに物議をかもしているといったように、キリスト教世界では、科学と宗教は依然、反目しあう関係にあるのだ。

このガリレオ異端審問対する科学者の遺恨が、後にイルミナティ結成の原動力となったという。ガリレオから160年後の1776年、バイエルン王国(ドイツ・バイエル地方)のアダム・ヴァイスハウプトというインゴルシュタット大学法学部長がイルミナティ設立を果たした。彼は、イエスズ会の影響下にある大学の旧態依然とした態勢に反目していた。新しい学問には、新たな思想が必要だとしていた。ルソーの、自由と平等といった啓蒙思想の影響を受けていたヴァイスハウプトの活動に対し、当時、金融業で財を成していたマイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(同一族の祖)がスポンサーとなったといわれる。ヴァイスハウプトは、古代エジプト研究に没頭し、ピタゴラス学派ユダヤ教エネッセ派に行き着き、目指す結論に至った。それが「世界統一政府」樹立だとされる。そして、ロスチャイルドの行動計画をもとにまとめられたのが、「シオン議定書」といわれている。その要諦は、「国家の廃絶と世界統一、私有財産の撤廃、愛国心と民族性の根絶、家族制度と結婚制度の撤廃と子ども教育のコミューン化、全宗教の撤廃」とされる。

1776年は、アメリカ独立宣言の年だ。1$紙幣に、刻印されている有名な「ピラミッドの目」は、フリーメイソン系イルミナティのシンボルである。ヴァイスハウプトが古代エジプト研究から導き出したものだろう。1$紙幣のピラミッドの下にはラテン語で「NOVUS ORDO SECLORUM」と記される。英語でニューワールド・オーダー(新世界秩序)。その意味は、最終目的とされる「世界統一政府」樹立にあるのだと指摘する研究者もいる。その先駆けとなったのが、アメリカ合衆国だというのである。独立宣言に署名した60名の内41名がフリーメイソンで、ジョージ・ワシントンを始め歴代大統領の60%がフリーメイソンだというが、オブラートだろう。その中に包まれた者たちの一部は、イルミナティの思想活動へ傾倒していった。そして、そのオーダーは、今も連綿と続けられていると・・・


2012年その7

2009年12月26日 13時01分12秒 | 2012年説
イシヤ(石屋)=フリーメイソンそのものは、世界の裏側で暗躍しているわけではない。それが筆者の見解である。ここで指しているフリーメイソンとは、会員制〈友愛〉団体である、その組織全体をいっているのだ。世界全体に会員数がどれほどいるのか知れないが、仮に数万人として、その人々が一致団結のもとで悪意を持って活動しているとは思えない。むしろ、陰謀論的な秘密結社として語られることを心外に思っているのではないだろうか。

全体としてのフリーメイソンは、そういうものだろうと思う。だが、内部はどうなのだろう。組織内組織は? 組織のあり方を、一般の企業で考えてみよう。社員数が1万人の優良企業として、その企業は各部署に別れ、それぞれが機能的に動いている。働いている人々は、平社員から管理者、役員、トップまでピラミッド状に組織されている。その会社の名は世の中に知れ渡っており、社会貢献度も高い企業として認知されている。その会社に勤めている全員も、自社をそういったイメージで捉えているだろう。

しかし、それは全体像であり、本当にそれがその組織の真の姿かといえば、そうとは言い切れない。違った曲面があるはずだ。表には出せない「社外秘」があり、また、一般の社員には知りようのない「社内秘」も存在するのだ。それが人間の組織というものである。どんな組織であろうと、例外はないであろう。例えば、自分が知っていて、部下は知らない秘密というものも在るだろう? それを社外に出せば、社会批判と浴びてしまうといったような、組織全体に関わるような秘密の場合もある。それが、フリーメイソンという強大なネットワーク結社ともなれば、構造は複雑怪奇化して、会員といえども、知りようのない「活動」が在るだろう。むしろ、フリーメイソンは表側の顔で、内部組織や関係組織などがあり、枝葉に広がっているものと思える。

その気になれば、このフリーメイソンに関する情報は、簡単に手に取ることができる。関連書籍が、陰謀論(?)コーナーに数十冊も並んでいる昨今である。特に、この10年、911テロ事件以後、扱う一般書店が増えた。そういう時代に突入したとの感がある。売れるから出版され、書店に並ぶわけだが、そういう単純な話ではない。戦後、日本はGHQにより情報封鎖が徹底された。アメリカ批判に通じる内容は一切認められず、「発禁本」となった。ましてや、フリーメイソンに触れるなど、タブー中のタブーだったはずだ。マッカーサー自身、フリーメイソンだったといわれている。

つまり、戦後60年が過ぎ、「解禁」されたのだ。だから、出版が許され、稀にTVでもこのようなテーマの番組が放映されている。許されたというのは、逐一、アメリカ機関の指導通達が入るといったGHQ時代の様相ではなく、自主規制のたがが緩んだことのほうが大きいだろう。時代ごとの温度差(いわゆる空気)に敏感なのがマスコミというものである。では、なぜ、解禁されたのか。表の世界へ、存在を示す時が訪れたからか・・・

2012年説の話題から随分、テーマが逸れたと思われる読者も多いだろう。だが、少しも逸れてはいない。どころか、いよいよ核心に踏み込んでいるのだ。2012年説と、フリーメイソンは連結していると思える。正確にいえば、フリーメイソンの組織内組織のメンバーの活動と、2012年説の宣伝活動は、リンクしているのではないか。彼らは、キリスト教世界の住人でありながら、反キリスト教者という二つの顔を持つ者たちなのである。そして、映画「天使と悪魔」で、その存在が、たとえフィクションであろうとも、明かされた。その名を、「イルミナティ(illuminati=illumination)」。輝ける者、或いは、悟り得た者と呼ぶ。


2012年その6

2009年12月25日 13時54分56秒 | 2012年説
       ダ・ビンチの「最後の晩餐」の謎

左隣の聖ヨハネは、どう見ても女性である。実はマリアではないかといった説もあるが、12使徒の中に母性を置き、その子孫にキリストの血を繋いだのだと・・・

さて、トム・ハンクス主演の映画「天使と悪魔」は、「ダ・ビンチ・コード」の第二弾だ。第一弾のストーリーは、天才科学者ダビンチが、「最後の晩餐」の絵の中に隠した世紀の秘密・・・キリストの血を受け継ぐ者の存在・・・そして、「天使と悪魔」へと謎は続く。この映画で、イルミナティという言葉を知った人も多いだろう。イルミナティとは、科学者が集まって創った秘密結社だと明かされる。ついに、出たか!という感じだった。

一般の映画で、タブー中のタブーである、イルミナティというキーワードが出たのは、正直、驚きだった・・・そのイルミナティとは、フリーメイソンの中で分派して、さらに結社化された存在のようなのだが、ここでは、まだ、イルミナティの謎は、残したままにしておく。もう少し、フリーメイソンについて語ることがある。

レオナルド・ダ・ビンチも、フリーメイソンだったようだが、中世の社会で、それなりのポジションにいるということは、ロータリークラブやライオンズクラブ会員であるのと同じように、フリーメイソン会員だったということだろう。フリーメイソンでありながら、王室科学会員だったり、教会員だったり、肩書きは一つではないということだ。一つの肩書きだけで、その人物を語ることはできないのである。

ということは、欧米社会でトップクラスに属する者は、表向きは別にして、フリーメイソン会員でなければ二流以下の扱いということだろう。また、フリーメイソン組織の中では、上位会員と下位とに別けられ、階層が何段階もあるようだ。会員同士は、持てる力を注いで助け合う。しかし、自分がフリーメイソンであることを一般人に向けて明かすことはないといわれる。とはいえ、近年は研究者の本が出回り、系図や、日本人も含めた人物名が明かされている(陰謀論説の範疇だが)。

趣味の倶楽部ではないのである。仲良しごっこをしているはずもなく、最大限に利用活用し合いながら、各地にあるロッジ組織に連動しつつ、それぞれの目的を果たそうと、それぞれの顔(肩書き)を表社会に見せながら働いているのだ。それが世界にネットワークされ、何千年の時を重ねて来た。複雑怪奇なのは、当たり前の話である。われわれ一般民は、そうした世界規模の会員組織に馴染みというものがないから、一体、何をしているところなのかを全く理解出来ないし、多くは存在すら知らない。それが、「イシヤ」である。

その、イシヤの仕業とは、何か。


2012年その5

2009年12月24日 11時03分42秒 | 2012年説
イシヤの仕業で、欧米から日本は攻められる・・・という神示の言葉にある、イシヤとは何だろう。イシヤ=石屋であり、中世の欧州地域にあった石工組合のことのようだ。その組合の名を、「フリーメイソン」という。ご存じのように、ヨーロッパは石造文化圏であり、城も住宅も、町づくりの建設に石工の技術が欠かせない。石を加工し、組む技術がなければ、西洋文明は成り立っていない。中世の都市国家どころか、古代ギリシアやローマ、さらにメソポタミアやエジプト、インダス、黄河文明など、世界文明の基礎は、石工が造ったと言ってもおかしくはないだろう。

フリーメイソンという石工組合の歴史は4000年ともいわれる。つまり、世界が石で築かれる中で、石造技術(巨大利権)が伝播しながら、ネットワークされたのだろう。それがフリーメイソンというものらしい。彼らの存在意義の大きさは想像を絶する。そこらのゼネコンを100社集めても、太刀打ちなどできないだろう。歴史的には、石工組合だが、中世で性質が変化していったようだ。石工はシンボルであり、その技能と知識、結束力とネットワーク力は、宗教的なパワーをもった。秘密結社めくのは、そうした背景から来ている。

フリーメイソンと聞けば、即、陰謀説的な印象で語られ、日本では、その存在され信憑性を疑われるが、現在もれっきとした組織である。世界各地に組織の集会所があり、それはロッジと呼ばれる。東京には、渋谷にある。どのような活動が行われているか、具体的には公表されないから、中身はわからない。日本人の会員もいて、政治や実業界のトップ連の一握りだ。もちろん一般人が会員になることは不可能だ。また、厳しい会則があり、入会の秘儀があり、秘密厳守が鉄則とされる。ただし、表面上は、例えばロータリークラブなどと変わらないようだ。取り立てて「秘密行動」をしているふうでもない。

忘れてはならないのは、その歴史背景と、世界ネットワーク力だろう。そして、組織内組織構造があるということだ。その組織内組織がどのように分派しながら、複雑に絡んでいるのか。イルミナティは、その組織内に誕生した、結社中の結社だと指摘する研究者もいる。つまり、フリーメイソンすら、謎の存在めいた存在でありながら、さらに入れ子式に、組織が形成されているということのようだ。そして、それは恐らく、金融ファミリーとのネットワーク、「同族の血と誓い」で強固盤石のものとなっていると想像できる。


2012年その4

2009年12月23日 11時36分51秒 | 2012年説
そもそも、2012年説は、まったく違った内容の話だった。私が知っている話では、1980年代後半にアメリカで出版された一連の書物で、人類のあけぼのとして語られていた。プレアデス系チャネリング・メッセージで、「人類のアセンション」について言及された内容が、2012年説に通じるものだった。2000年代に入っていくに従い、大銀河の光の帯(光子/フォトン)へ地球が入っていき、人間は意識進化の段階へ進んでいくと。それは26000年周期の銀河系の祭典であり、地球の夜明けだと。

90年代になった当時、私はそれらの本をSFファンタジーとして読みながらも、どこか現実のものとして魅了されていた。「そうだ、もうそろそろ人類は意識進化してもいい」と。世の中は、バブル経済で有頂天に達し、一気に崩壊して社会不安が渦巻き始めていた。しがないライター稼業の私は蚊帳の外にいながら、一喜一憂する世の中を見つめて、人間の精神の向かう先を想っていた。このまま進めば、人類は自己崩壊してしまうのではないか・・・

その後、大本教の出口王仁三郎の「大本神論」、岡本天明の「日月神示」といった神道系の本を読むようになった。そこには、これからの人類が語られていた。私流の要約だが、「イシヤの仕業で、欧米から日本は攻められる。いちど世界はグレンとひっくり返り、天地が逆さまになって、人はみなおおあわて。悪を抱きかかえ、改心させよ。神一厘の仕組みがあり、最後は復活して、三千世界に梅の花が咲く」といった内容だった。私は、これが「人類のアセンション」に通じるものなのではないかと想った。日本神道も、人類の進化を伝えているのではないかと。1997年、宮古島でシャーマンと出会ったのもその頃で、精神世界を実体験していた。シャーマンも、これから人類は大変な経験をすることになると語っていた。

そこに、マヤ暦の2012年12月22日で万年カレンダーが終わりとなっている話を知って、タイミング的には、そこらかなと想うようになった。2003年頃、「フォトンベルト」という話を聞くようになり、関連の本が出版され始めた。地球を含む小銀河は、大銀河を26000年周期で周回しており、半分の13000年の宇宙地帯に、フォトンと呼ぶ光子帯があり、そこに突入しつつあるのだとする。この光子で生物は何らかの影響を受けると。この説は一部の科学者も参入して展開している話だが、NASAや科学学会は否定している。NASAが公式見解を述べるほど、「フォトンベルト説」は、欧米世界では、一部にせよ話題に登っていた。

これが、私がこの10数年来観てきた、2012年説の一連の流れである。整理すると、まず80年代にプレアデス系メッセージ「人類のアセンション」があり、出口王仁三郎の「大本神論」、岡本天明の「日月神示」、マヤ暦の2012年12月22日、「フォトンベルト説」が登場している。だが、多くの人々には、2012年説など、意識にもなかっただろう。

そして、現在、「2012年」という映画が封切りされた・・・そこで、一気にメジャーになった。世界大恐慌とタイミングを同じくして。それが何を意味するのか。そもそも、アセンションとは人類の意識進化のこととされ、大銀河のフォトンベルトに地球が入っていくことで、その変容が起こるという話だった。どこにも、天変地異で地球が終わるなどと語られていないのだ。

マヤ暦にしても、西暦変換の計算が違うという話もある。アルマゲドン的な恐怖の風を吹きおこして、それが2012年12月22日だとマヤ暦に当てはめて、精神コントロールとしようとする商業的な意図がみえる。その商業的意図とは、経済活動であり、その経済活動の行き着く先に何があるのか。実は、世界経済の崩壊ではないのか。世界金融機構の大再編成がこれから興ると、私は何度も聞いている。オイルは終わり、金本位制または、レアメタルや穀物などをまとめた有価物バケット制へ変えるとも。今、一番カタルシスを感じているのは、金融ファミリーではないのか。

「イシヤの仕業で、欧米から日本は攻められる。いちど世界はグレンとひっくり返り、天地が逆さまになって、人はみなおおあわて。悪を抱きかかえ、改心させよ。神一厘の仕組みがあり、最後は復活して、三千世界に梅の花が咲く」


2012年その3

2009年12月22日 12時07分51秒 | 2012年説
アメリカはもう終わりだと、書いたが、私はアメリカという国に住む人々を嫌っているのでも、憎んでいるのでもない。彼らも同じ愛すべき人間だ。友愛という言葉に国境はない。では、ここで書いているアメリカとは何を示しているのか。姿なき国家とでも言えばよいのか、軍産複合企業、次いで穀物企業に絡む政治、それを操る金融資本家らのどん欲な精神の象徴が、20世紀のアメリカだった。そして、そのアメリカはアメリカ人が創ったのではない。欧州金融界が創り、そこへ何も知らない人々が移り住んだのである。金融世界から観れば、20世紀のマネー実験場、あるいは金の生る木がアメリカという名のエリアだった。

そのアメリカが終わるといっているのである。実験的マネーゲームが終了し、ディーラーたちは早々に引き上げ、後は傍観しているというのが今の姿ではないだろうか。ノンフィクション作家、広瀬隆が90年代初頭に書いた『赤い楯』『地球のゆくえ』を今、読んでみると、その先見に改めて感服するばかりか、驚かされる。日本のバブル経済崩壊がシナリオ通りであり、今の世界経済崩壊へと完璧に繋がっていることを認識させられるのだ。まるで、金という穀物を収穫する焼畑のごとき手腕だ。収穫したら、焼き払い、次の土地へ行くとでもいうように。しかし、今回は、いささか焼き払い過ぎたようだ。彼らもそう思っているに違いない。

広瀬氏は、欧米金融ファミリーの血族系図を作成して、その構造を解明しているが、その系図の1本の線を引くのに何冊もの歴史資料に当たったという。それでなければ描くことなどできないだろう。最近、ベストセラーになった安部芳裕の『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』などは、その系図がもとになっていると思える。それ以前、恐らくはこの日本で誰も、そんなものを作った研究者はいないだろう。

広瀬氏は、それらの本で、当時すでに金融ファミリーが、アメリカから中国・ロシアへゲームの矛先をチェンジしつつあることを指摘していた。凄いものである。が、感心しているような話ではない。それが今、現実のものとなったということだ。まったく、世界は「茶番で、ペテンな」劇場だとしか思えない。そのシナリオも、ここにきてシナリオ通りにならなくなってきて、そこで地球舞台の上に「2012年」が登場しているのだ。今日が、その2012年12月22日のちょうど3年手前だ。この新たなシナリオを利用したいのは連中もやまやまなのだ。どう利用するというのか。ひと言でいえば、万民を諦めの境地へ導き、精神の無力化を図るといえようか。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』に、そのエッセンスが満ちあふれている。「事実は小説より奇なり」という格言を、陳腐と思うなかれ。


2012年その2

2009年12月21日 13時32分50秒 | 2012年説
映画「2012年」で、思い出す映画ある。ブッシュ政権の時代に作られた「インデペンデンス・デイ」だ。地球侵略を狙う宇宙人に対して、アメリカ空軍が中心となって地球防衛軍を結成し、地球を守るといった内容だった。米大統領自らが戦闘機に乗り、勇猛果敢にUFOと戦う。アメリカがなければ、世界は救えないといったプロパガンダ映画だ。

強くそう感じたのは、当時ロスへ出張した折、町中のスーパーマーケットで山積みで売られているのを見たからだ。まだ、日本では封切り前で、SF映画が好きな私は、すぐさま買ったのだが、6ドル95セントという値段に驚いた。古いディズニー映画が12ドル以上していたから、新作なのに半値である。帰国してその映画の内容を知って、安い理由を納得した。宇宙人などどうでもいい話で、結局は強いアメリカをアピールしているだけの、中身のない映画だった。プロパガンダ映画の典型だと思った。

このたびの映画「2012年」は、まだ観ていないが、宣伝映像を観る限り、同様のものだろう。危機感を煽り、アメリカがなければ世界は救えない的な。しかし、「デイ・アフター・トゥモロー」のように、地球規模のカタルシスを煽っているだけかもしれない。もう、人類に残された時間はないと。なぜ、そんな映画を作る必要があるのか。今、アメリカの時代が終焉を迎えているからだろう。もう、アメリカはアメリカを救えないのだ。そう、国民に訴えかけ、諦めてくれと言いたいのかもしれない。

(つづく)


2012年その1

2009年12月20日 08時40分24秒 | 2012年説
最近、アセンションという言葉が、この日本でも聞かれるようになった。宗教的な意味合いでの英語のアセンションとは、次元上昇といった意味だ。いま我々は3次元の住人だが、次元が変化して、4次元を超え、5次元に上昇するという話である。1980年代から、アメリカの異星間チャネラーたちが伝えていた。異星というのは、プレアデス星団で、その星の意識体からの情報らしい。「地球人は間もなく意識進化します」と。

異星人情報と聞いても、「?」だろう。なんのこっちゃ。しかし、その手の話に興味津々の人々にとって、アセンションは大いに期待したい話題だった。ところが、ところが、近年になって、アセンションの意味合いが変化してきた。マヤの暦が2012年12月22日(2011年説もある)で終わっていることと、世界気候変動が結びつけられて、天変地異説に変わっている。もう、地球はお終いなのではないかといった、ノストラダムスの恐怖の大王的な話に変化したのだ。

そこへ来て、「2012年」という映画が公開され、相変わらずの、天変地異で恐怖を煽っている。1999年の再来、パート2といった観じだ。テレビもそれに連動して、「我々に残された時間は後2年。人類はどうなるのか!」といった特集を組んだりする。いいかげんにしてほしい。

「恐怖」は、金になる。人を陽動、先導する餌といえばいいか。危ないですよ、と危険を煽れば人は言うことを聞くといったところか。「でも、これを買っておけば安心ですよ!」。セールストークの常套句である。その「でも」の先に何があるのか・・・

(つづく)


時代の終焉

2009年12月19日 11時12分50秒 | 歴史の断層
ここ数日、始皇帝、徐福伝説の推論を絡めながら日本人とは何かについて書いてきました。今、大不況の大嵐の最中に、なぜ2000年も大昔のはなしを、悠長に書いているのか。それには訳があります。年を越し2010年から、もっとハッキリみえる恐慌が訪れるでしょう。文明の大転換期に起こるストレスなのですが、もっと大きく観て、2000年前の歴史と同様の社会変革が起こるにではないかと思います。

縄文と弥生の転換は、この国のかたちを大きく変えました。そういうことがこれから起(興)こるのだろうと思います。今、巷で話題になっているアセンションの信望者からすれば、そんなちっぽけな話かよ、でしょうか(笑)。ちなみにアセンションとは、2012年に起こるとされる宇宙的な周期によって大変化する地球の次元上昇論ですね。ついに映画にもなって大騒ぎか。映画(プロパガンダ)になるあたりが意図的で怪しいですが。アセンションとは何かについては、また改めて書きます。

兎に角、縄文と弥生の転換的な変化が、この国に起こる(自然現象ではないので、興るですが)と思います。この国に起こるということは、世界もそれぞれに応じて大変化が起こるということです。まあ、覚悟せよという話ではなく、われわれはその中で生きていくということです。そして、新たな国のあけぼのを迎えると。縄文人が受け入れたように。文明の転換期が、自分たちの時代には起こらないと思いますか? 「まさか」と思いたいのは人情ですね。しかし、いよいよそういう時代を迎えたのだと私は感じています。

このアジア地域では、今、政治的に提唱されている「東アジア共同体」といった構想がありますね。この半世紀、日本はアメリカべったりの態勢できましたが、大きくシフトされて、今後は中国や東南アジア諸国との連携のもとに国を立て直そうということです。戦前の「大東亜共栄圏」という構想も、理想と現実が乖離して、戦争に持ち込まれました。これなどは、欧米の罠にまんまと嵌められたと思います。今回は、どうでしょうか。先日、オバマ大統領が中国訪問したように、中国がアメリカにとっても要となっているのです。中国にそっぽを向かれたら、アメリカはもう持たない。また、つい先日来日した習副首席の天皇会見問題も、表面上の事ばかりが取りざたされていますが、水面下では高度な政治目的があったはずです。相変わらず、そうした真意は伝えられないので、憶測ばかりが飛び交っています。いつの世も水面下の真意が語られることはありません。

ロスチャイルド(世界最大の金融ファミリー)は、もう何年も前にアメリカ経営から中国へシフトした(副島隆彦説)といわれます。国際金融界から観ればそうなのかもしれません。世界の国家間では、経済と政治に関する情報工作などが交雑しつつ、戦略の渦が巻き起こり、それらが強固な意図のもとに動いていると思います。しかし、経済アナリストの藤原直哉氏は常々、「神のシナリオとでもいうような、目には見えない働きがあり、人間の勝手なようにはならない」と語っていますが、同感です。それが自然の摂理というものでしょう。人間もこの地球の自然の一部なのですから、地球を動かしている根本には逆らえないと。

兎に角、今後、世界が大きく動くことは間違いない。来年は、それがもっとハッキリとすると思います。「毎年、変わるといってるけど?」とは、家人の言葉ですが(笑)。じょじょにだんだん、サイクルの輪が大きくなって、ハッキリするのだと説明しています。すべての人が自覚、認識する時点は、終局ということです。敏感な人は、もう何年も前から解っているということです。これまでの時代は終焉します。パタンと、扉を閉じ、次の扉が開きます。

現象としてどうなるのか、それはわかりません。ひょっとしたら、人類進化に関わるようなシフトが本当に起こるのかもしれません。巷には様々な論が飛び交って、ネットの中も騒がしくなっています。けれども、本当にどうなるのかは誰にもわからないのです。生き死にを恐れる事はありません。輪廻観を失った現代人は、余りにも死を否定的に考えます。ゆえに、生も否定的になりがちです。地球規模の大変化と聞くと、カタストロフィ的に、人類滅亡などと思ってしまいます。ノストラダムスの予言がいい例でした。短絡的に天変地異を思いがちです。そんなことではなく、時代が反転して、弥生人から、また縄文人へ帰るのかもしれません。モノに惑わされずに暢気に暮らすいい時代かもしれません。兎に角、今までの時代が終わり、新たな時代が来るということです。慌てふためかないよう、今日、いまの歩みを着々と進めていきたいものです。今年が終わり、新年を迎えようとしている今、終わりは始まりの初めです。佳きことなりです。


日本人とは何か5

2009年12月18日 11時13分13秒 | 歴史の断層
       神武天皇を祀る橿原神宮

【弥生人】

日本人とは何かとして、5回にわたって書いてきた。大和成立の前夜までの話である。西暦200年代であり、約1800年前の歴史だ。世の中は大不況の最中にあって、そんな大昔の話など関係ないと思われるかもしれない。だが、あえて今、書いているのは、中国が今後、最も重要な相手国になると思われ、その中国との歴史上の関係を、再認識するために書いた。隣国の大国でありながら、この半世紀、戦争もし、最も遠い国だった。

日本は、古代中国のエッセンスを吸収しながら文明化していった。それは間違いないだろう。日本という国は、一般にわれわれが思い込んでいる時代背景と異なり、もっと早くから文明化しており、いわば、それは中国大陸の落とし子であったということだ。その萌芽を、徐福の時代に観ることができるのである。

では何故、始皇帝や、その後の皇帝たちは日本を侵略・植民地化しなかったのか。大軍を率いて、総攻撃をかけ、侵略する必要がなかったからだと思う。縄文晩期の日本は、小さな豪族集団(クニ)に別れ、総人口は8万人程度だったので、敵対するほどの勢力はなかった。だから、侵略という観念はなく、進出して開発するという感覚だったのだろう。数百年間で、いったいどれくらいの大陸人が移入したのか。おそらく数万人の単位はあるだろう。以降、人口は一気に増え約60万人となっている。それが弥生人であり、縄文系先住民と混血しながら現在の日本人の祖となったのである。

地図を逆さまにして、日本海を東海とみる視点転換。大陸からみれば、日本列島は内海の先に延びる半島のような土地である。大陸からすれば、自分たちの領土の先にあるエリアであり、そこをうまく開発して経営しようと考えるのは自然な発想である。そういう地勢からも、いま改めて日本を眺め直すことが必要だと思う。

現在、中国移民を積極的に受け入れるという話がある。年間に数万人というが、その流れが定着すれば、数百万人の中国系移民が日本で膨れ上がるのに時間がかからないだろう。居酒屋やコンビニへ行くと、最近では中国から出稼ぎに来た女の子が働くのが普通になった。また、地方の嫁問題から、中国人妻をもらうといった話も珍しくなくなっている。

ひょっとして、大陸系の血がどっと混ざり、新たな日本が誕生するのかもしれない。古代~奈良~平安あたりの時代のように、大陸半島系の人種が増え、縄文系の古代日本人の血と混ざり合ったようにである。しかも、その人口は比べものにならないほどだ。今後の日本は、そういうことかもしれない。混血が悪いどころか、優性遺伝を考えれば、新たな日本人誕生と思えばいい。単一民族とか、愛国主義だとか、ナショナリストなどという言葉など、所詮、短絡的な感情論に過ぎない。少子化問題もなんのその。秦(しぇん)は、秦(はた)さんや畑さんとなり、あるいは羽田さんになって、立派なにっぽん人だ。縄文的和平で、仲良くやったほうがいい。また2000年後、この時代はどのように表記されるかわからないが、新たな文明が起こったとされることだろう。


日本人とは何か4

2009年12月17日 13時59分20秒 | 歴史の断層
【倭の王】

始皇帝が認めた「倭の王」が、徐福だったという説がある。始皇帝は徐福に東海の島国を統治開発せよと命じたというのだ。さらに飛躍して、徐福が神武天皇だったという説まである。確かに、神武(イワレヒコノミコト)は、九州の日向王子として熊野を経由して大和入りし、奈良大和王朝の初代天皇となっている。しかし、徐福の時代は紀元前200年代であり、神武が大和入りを果たしたのは紀元後200年代(一説)と、およそ400年の時間のズレがある。徐福が神武という説は、その時差を無視して、いっしょくたに考えてしまっているのだろう。そうではなく、第一回徐福移民団から時代を経て九州地方に勢力を固め、400年後の西暦200年代に大和進出を果たし、「大和朝廷」を立ち上げたというのが私の推論である。それが神武東征の真実ではないかと考えている。

神武東征の時代には、出雲族の存在があった。出雲族長はスサノオだ。その第五子ニギハヤヒがすでに大和へ進出しており、三輪王朝を築いていた。これは『消された覇王』(小倉一葉著)などの説である。その大和へ日向(ひむか)の王子イワレヒコノミコトが進入し、豪族ナガスネヒコとの小さな戦いはあったものの、和議和合して「国譲り」がおこなわれた。三輪の王ニギハヤヒは、当時の慣例である末子相続に従い、末娘のミトシとイワレヒコを結婚させて、三輪王朝を継がせた。この時点でイワレヒコは神武となり、これが大和朝廷のあけぼのであるとする。

小倉氏は、イワレヒコと徐福系秦氏を結びつけていない。日向系は大陸系移民だったろうと大きく括っている。また、出雲系も同じく大陸系移民だとする。日向系は大陸~台湾~琉球~九州が移入ルートで、出雲系は朝鮮半島ルートに分かれての移入だと推測している。

大和へ進出していた出雲系スサノオ一族も移入民だった。そして、彼らもまた、元は秦氏の流れではなかったのかというのが私の推論だ。つまり、九州側へ移入した秦系一族と、出雲側へ移入した秦系一族があり、時代のズレがありながら大和へ進入した先進集団だったということだ。先祖は同じということで、ニギハヤヒはイワレヒコを向かい入れ、共に大和を築いていったという推論である。

これに関して古事記・日本書紀には、どこにもこのような話は出てはこない。とくに日本書紀は、藤原氏による歴史改ざんの書だったと私は思っている。では、なぜ改ざんの必要があったのか。天皇家のルーツは、秦氏だということを伏せるためか。あるいは、日向系を主流として出雲系を抹消するためか。藤原氏も渡来系といわれるが、第三の勢力として台頭するためには、過去の歴史を消す必要があったのは間違いないだろう。

そもそも、秦氏とは何か。つまり大陸においての秦の民とは、どんな民族だったのか。これについては、別の記事として改めて踏み込んでみたいと思う。