『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

大器は晩成せず

2012年11月23日 15時36分23秒 | 航海日誌
時々に読んでいる伊勢白山道さんのブログで、大変に興味深い記事が目に留まりました。大器晩成の解釈についてです。

老子の云ったとされる「大器晩成」は、実は、「大器免成」の誤りであったというものです。中国湖南省で発掘された老子の古い写本に、そうあり、免の一字の意味で、大器は成らないとなると。

写本は、また写本されて時代を経るのですが、どこかの時点で、免を晩と、書き間違えをしたのではないかと。

私たちが学校などで習ってきた、大器晩成は、人間は努力していつかは成功を成し遂げることを本位とするべきだというものでした。「きみも頑張って大物になりなさい」とか、「あなたは大器晩成タイプだ」とか。

だから、誰しもいつかは成功する道を夢見て、それぞれに頑張っている。ひょっとして自分は大器晩成するのではないかと思う心情がどこかある。

大物(大器)こそ、すぐには形にならないという解釈は、魅力的ですが、どこか「あすなろ物語」のようであり、やれやれと自分をなぐさめる。

では、老子は何を云っているのか。

大器こそ、成功しないと云っているのですね。

この世の成功とは、どういうものかを考えてみれば、大会社の社長になる、学者になる、政治家になる、なにかのチャンピオンになる、有名人になる・・・

しかし、老子はそれを大器とは呼ばず、大器とは、もっとちがうところにあるというのですが、さて。

とまれ、この世に生を受けたわれわれは、そのままで大器なのではないだろうかというのが、思い至ったところです。人間の見た目の大きさに大きいも小さいもない。その器こそが大事なのだと。

それを感じたのは3日前のことですが、すーっと身持ちが軽くなり、明るい気分になりました。自分という貴重な器を磨いて、良心に従って思うままの生を謳歌すればよい。何かに成るのではなく、何かになっている自分を慈しむことが、すべてへ感謝する始まりなのだと、さとりました。

都会の自然

2012年11月13日 07時40分49秒 | 航海日誌

東京・銀座のど真ん中のビル屋上で、ミツバチが飼われています。そのミツバチの蜜は、年間で100kgも獲れるそうです。蜂たちは、皇居へ飛んでいって花の蜜を吸うそうです。すでにご存じの方もあると思いますが、ぼくは知りませんでした。

銀座ミツバチ。いまの時代に象徴的な意味あいを感じます。ミツバチがいなくなれば、それは自然バランスの変化の知らせ・・・、わたしたち人間も暮らせなくなっていくと。

写真は、そのビルの緑地です。屋上に緑地を増やせば、都会の中にも生きものが暮らせる場所がうまれる例です。やれることは、まだまだある。いい方向へ一歩一歩向かいましょうね。

対話の先へ

2012年11月11日 19時01分13秒 | 核の無い世界へ


数日前の記事「対話を求める」に、ご返事を頂きました。掲載してもよいかお聞きしたところ、ご承諾くださいましたので、紹介します。
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ゆうでんさん、ご無沙汰していてすみません。お元気でいらっしゃいますか?
tebukuroです。

眠れなくなって、ゆうでんさんのブログにおじゃましていました。すみません、ゆうでんさんのブログを全部を読み切れているわけではないのですが、でも、ゆうでんさんのブログを読む時、今の世の中への危機感と、自然や目には見えない世界への畏敬の念、そして本当の意味で生きることへの励ましを感じています。

私は、3.11後、自分が今生きている、生かされている意味を真剣に考えるようになりました。そして、自分の心の声…魂の声に耳を澄ませながら生きようとするようになりました。

ゆっくりゆっくりですが、あれから自分が変化していくのを感じています。
少しずつ、周りと繋がっていこうとしている自分を感じます。
そして何かに導かれるように、自分が試される場面であったり、あるいは自分がワクワクを感じることへとより繋がりつつあるような気がしています。

私の場合は、以前自信を失っていた子ども達との関わりをもう一度再開することから始まりました。放射能の影響から子ども達を守っていくにはどうしたらよいのか、(具体的に今目の前にある問題としては、派遣で働き始めた保育園の給食の問題があります)考えていかざるを得ない状況が今あります。あまり関心がなさそうな人と話をしていくことはとても勇気がいることですが、やっとやっと少しずつ始めたところです。

関心がない方というのは、やはり情報にアクセスできていなかったり、または日々のことでいっぱいいっぱいであったりする方もいるのだなと感じています。

子ども達のことを周りの大人たちと考えていくこと(子ども達の健やかな成長を願わない人は一人もいないと思うのです)私はその観点から、この世界について、一緒に見直していけたらいいなと思うようになりました。子ども達にとってどういう生活がより良いものとなるのか、子ども達にどんな未来を残していきたいのか、そういう話ができる人を諦めずに少しずつでも増やしていきたいと今思っているところです。

そして実際に、保育者や、親御さん方がじわじわとネットワークを広げていることも実感するようになりました。正直、しんどいなと思うこともありながらも、こうした繋がり合う人たちのパワーを感じる時、私は今この世界の変革への希望を感じています。

長々とすみません。またブログにお邪魔しに行きますね。
ゆうでんさん、気温もだいぶ下がってきましたが、お身体をくれぐれもご自愛ください。

tebukuro

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tebukuroさん
お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
(ぼくは長い文が好きです)

眠れなくなって、ブログにお越しいただき、光栄です!
癒し効果があればいいと思ってますが(笑)
ムーミンパパが海へゆく、ような、もうがまんできんといったブログでもあるので、うう~んとなる文も多いと思います。でも、それが結果、自分への問い掛けになれば最高です。

あなたが、そうなってくれて、ぼくはほんとうにうれしい。こんな、うれしいことは滅多にない。それくらいうれしいです。

子ども達のこと、それは自分の事となんら変わりがありません。ぼくたちが子どもだったころから、今がずっと繋がっているのですから。子ども達のことを考え、できることから始めるのは、まさしく魂の交歓です。言葉表現で魂はひとつに繋がっていると言いますが、ぼくは、ほんとうにそうなのだと感じています。

去年の4月に、福島へゆき、子ども達に本を届け、あのとき、1冊の本がそのことを明かしてくれたのです。

「てぶくろ」というロシア民話。浪江町から来ていたひとりの少女に、10箱もある段ボール箱に詰まった沢山の本から、好きな本を探してごらんというと、いろんな本をじっと見ながら、やがて無言で手に取ったのが、「てぶくろ」でした。そして、無言だった少女が、て・ぶ・く・ろ と声にしてにっこり笑ったのです。

その本が、森の生きものたちがひとつの手袋に入ると幸せになるという物語だということは、そのときは知りませんでした 。そして、tebukuroさんが贈った本だったということも、あとで知って、そうだったのか!と思ったのでした。そこに縁というふしぎな繋がりを感じずにはおれませんでした。

あなたの気持ちも、あのとき浪江の少女に伝わったのだと感じています。ぼくたちはそういう時間の世界に生きています。すぐに返事はないかもしれないし、返事があっても届いていないこともありながら、どうしているだろうかと気持ちを傾けているのだろう。

そう、あの3歳くらいの少女は、いまごろどうしているだろう。ぼくには、あなたと少女が二重にみえているのです。

それを伝え教えてくれて、ほんとうに、ありがとう。
また、お便りください。お待ちしております。
ゆうでん拝
(この対話を、もしよかったらブログで紹介させてください。ためらいがあれば、やめときますので)
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この世界は、すべて対話から始まります。そして、行動が生まれます。何も語らず、話さず、そのままでいれば、そのままの世界が進んでいきます。国会議員や有識者と呼ばれる人々が、国政に関わるすべての人々が、そして、経済を動かしている多くの企業人が、このまま、本当に大事な対話を始めず、なにも行動を起こさずにいれば、この国はいったん終わってしまうかもしれません。

私たちが、無力でなにも出来ないと思い込んでいる限り、なにも変わらないのです。

私が、身近な人たちとの対話を求めるのは、一人ひとりが一歩を踏み出すことを願うからです。選挙が近づいています。この人物だったら託せると思う人間を選びましょう。それも、あなたに出来る大きな行動なのです。

個人的でも、対話を求む

2012年11月09日 22時52分30秒 | 航海日誌
もう、4年ほど、ここで書いてきました。
最近は、ほとんどコメントが無くなりましたが、
それでも、多いときで100人/1日の方々が読んでくださっています。

私は、対話を求めています。何か感じ、思うことがあったら、
どうぞ、遠慮なく、直メールで語りかけてください。

toimisto@cyber.ocn.ne.jp

まで、よろしくどうぞ。

なにが大事か

2012年11月08日 00時00分34秒 | 核の無い世界へ
原発問題を考えると、しかも、とてもシンプルに。
福島で事故が起こって(人災ならば起こして)、いま、それがこの日本にどんな禍害をうんでいるかということを考えると、とても、他人事ではないはずです。

どう、収束をつけるのか、つけられるのかが、最大の問題だと、国民のだれもが思っているはずなのに、国は、どう対応しているのか。

大飯原発の活断層問題は、まだ結論がでないとかなんとか。

活断層かそうでないかなど、議論している場合かと。

危機回避は、たとえ1パーセントでも、その可能性があるのなら、対応策を実行せねばならない。すぐに原発を停止して、補強工事をしなければならない。(私はもう動かすべきではないと思っているが)

こと、原発というものは、想定外でしたと、問題をかたづけられるしろものではない。

それは、福島第一原発が、はっきり証明したはずです。だのに、なにを議論しているのか。どう考えてもおかしいでしょう。

即刻、止めなければならないのです。

電気不足だかと、経済が麻痺するとか、なにを言っているのか。広範囲で環境が汚染されれば、なにも成り立たなくなってしまうのだから、マスコミが喧伝していることなど、パラノイア発言でしかない。

みなさん、ほんとうに、どう、思うのですか?

思っていることを、まず、身近な人たちと話しませんか。

黙っていると、ほんとうに、おかしくなります。

勇気というより、自分への良心です。

だから

2012年11月07日 00時08分35秒 | 航海日誌
人は人として、生き生き生きる。
花は花として、生き生き生きる。

という歌があるけど、そうだよなって、
今夜も思う。

生きているんだもん。
生きているうちが花ってさ。

どんだけ、生きたか!
どんだけ、楽しんだか!

地球旅行に来たんだ。

チケットはもう返せない。

楽しもう!

放射性物質のリアル

2012年11月04日 19時58分11秒 | 核の無い世界へ
放射性物質のリアル

3日前、我が家に来客あり、その人は、福島の二本松といわき市を訪ね、現地の様子を視察してきた。線量計(ガイガーカウンター)を持って、あちこち計ってみると、0.5マイクロシーベルトある場所が珍しくなかったそうだ。日本の自然線量は0.05~0.08マイクロシーベルトだから、6~10倍の線量だ。

さて、そういった話を聞きながら、そのときに使った線量計をバッグから出し、私の線量計で測ってみてと言った。床に置き、なにげに計ると、0.2マイクロシーベルト・・・ビニール袋に放射性物質が付着しているのだ。

ビニール袋に包んで計るのは、線量計に放射性物質を付けないためで、現地でその袋は破棄するものなのだ。私も福島で線量の高いエリアに行ったときは、着ていたものを破棄して帰った。

うかつにも、自宅で暢気にそんなものを計ってしまったが、すぐにそのビニールは破棄してもらい、手を水で洗いながしてもらった。

それから3日後の今日、ふと気になって、そのビニール袋を置いた床を計測してみた。すると、0.2マイクロシーベルトを計測した。やはり、床にも放射性物質が付着していたのだ。50センチ離れた床は、0.05マイクロシーベルトしかなかった。5回計測したが、確かに線量に差があった。

濡れタオルで強く拭き、テッシュで拭き取って、再度計ると、0.08マイクロシーベルトに変わった。つまり、微粒子が付着していれば、たったそれだけでも線量が変わるということだ。初めての体験で、私は放射能にリアルを感じた。

たったそれだけで・・・汚染物質を各地に運んで焼却するといったことが、どれほど愚行か、それを知った気がする。放射性物質は、ミクロ粒子の単位で放射能を出し続け、仮にそれが体内に入れば、健康被害を引き起こすのだ。

そんなものを拡散させてどうなるのか! その意味が理解できていない行政者が多いのではないか。放射性物質にリアルを感じれば、解ることだが、未だペーパー感覚で、書類にハンコを押しているだけなのではないのか?

行政に、この放射性物質の感覚を知らせる必要がある。その為には、私と同じ体験をさせればいいのだ。やる気になれば、簡単な実験である。

ノンタイトル

2012年11月04日 16時49分05秒 | 航海日誌
昨年、311震災、原発崩壊事故、収束が未だに不明のまま。今年、いきなり、尖閣・竹島問題を世間に伝播し、オスプレイ配備、沖縄で米軍兵士事件起こし、巷で猟奇殺人が起こり、しかし、どれも、冷静に観察していると、マスコミ報道が色をつけて世間に喧伝している模様がみて取れる。タイミングよく、並べて、戦争が起こってももう仕方ないかといった雰囲気(これこそが風評被害だ)を作っていることに国民はまったく気がつかないでいる。

そも、世間は広く、また世界は広いが、たとえば米国で数々起こった猟奇事件がいちいち克明に報道されることなどなく、いわんや、WHO(世界保健機構)で、実は健全な医師たちが、こと、放射能禍害の問題を追及しているにも関わらず、力を持つ御用医師たちの反対を受け、放射能は問題ないといったコンセンサスにむりくり押し込められようとする中、脱WHO派がもうひとつの世界WHOを作る運動をしていることなど、微塵も報道されない。例えば、一部の良識ある代議士が放射能禍害を問題にして活動していても、一切報道されない。人権擁護委員会を成立させる法案が9月にむりくり可決されたことも国民が理解できるように報道されていない。

そういうことの、報道操作が理解できない国民が多く、ネットで何時間も調べるような奇特な国民も少数で、事態が共有できないのが、明日の社会的雰囲気だ。これも日本病の一種だろう。

ということで、明日には起こらないが、来月には起こるかもしれないのが、東アジアでの軍事衝突だ。表向きと裏側の戦争国は違う。単純に日中戦争ではないということ。欧州対中国アジア巻き込み戦争は、第二次世界大戦のパターンと同じだが、中身の状況が違う。これは想像での話ではない。なぜ、戦後からある領土問題の尖閣がいきなり今、表沙汰にされ、中国各地で打ち壊しデモが起こっているのか? 歴史時間の流れを観ていれば、いきなりの話だ。いきなり起こるということは、いきなり次が起こると覚悟していたほうがよい。

今日は私としても珍しく強い論調で書いているが、時間が差し迫っているので、仕方がない。堪忍袋の緒はとっくに切れている。頭がいいと思っている人たちよ。自分の頭で考えたら、解るはずだ。解らなければ実は頭が悪いのだ。

原発事故のように、いきなり次の事態が来ます。その事態の大きさによって、右往左往することになるのは自明だ。「備えよ常に」は軍隊用語だから、一般民に言っても、それは極めて難しい。そういう教育も訓練も受けたことがないから、出来ないのだ。山岳登山や外洋ヨットや、武道など命の危険が伴う趣味の経験者には解るだろう。事が起こってから、訓練が始まるので、体力は付けて置いたほうがいい。

ここで書いた事はメッセージとして、まだほとんど役に立たないだろう。しかし、言わざるを得ないから書いたのだ。誰が戦争なぞ、望むか!

ホピの道

2012年11月01日 15時46分41秒 | 核の無い世界へ
ホピの人たちの「とにかく時間がない!」という言葉が何を意味するのか、
みなさんで考えていただけたら幸いです。

永峰秀司氏「ホピの道」より転載(抜粋)


FUTURE PROPHECIES_これから起きる予言

 いつの日か、大地から不思議な霧が立ちのぼり、全ての人々の思考力と心を弱めてしまうという。_ 彼らの智恵と知識は方向を失い、創造主の偉大なる掟は人々の頭から消え去ってしまう。_ 子供たちは手に負えなくなり、人の言うことを聞かなくなって、道義のない、貪欲な戦いが繰り広げられるのだ。

 世の終焉が迫ると、太陽の周りに「もや」がかかるという。_ その「もや」は4回現れ、我々に自分自身を改めるよう警告する。_ すべての人種がひとつとなって、生き残るために立ち上がり、それを妨げる原因を明らかにしなければならないのだ。_ もし人が、自らが作った武器で戦いを始めなければ、平和はやってくるだろう。

 春が遅くなり、霜が早く降りる時がくるだろう。氷河時代の再来だ。
 もういちど言うが、今日、世界は新たな危機に直面している。
 これはテロリズムへの報復の戦いなのだ。
 罪のない者を救い、罪のある者を裁く戦いなのだ。
 しかし一体誰が罪人で、誰が潔白なのか?

 さあ、これはどう見るかによるだろう。_ 全ての人が善き人ならば、生きることも善いことになる。
 ここで少数民族に注目し、誰が罪人なのか考えてみよう。
 北米、南米、その他の地域の先住民たちを見てみよう。_ 我々は「軍国主義」というものが、少数民族の悲痛の叫びを聞き入れず、問題を解決しようとしない絶対政府のもとで、不法と貧困と無知から生まれたものだと考えている。_ だから人々は声が聞き入れられないと見るや、すぐに暴力やデモ紛争、さらにはテロリズムにまで走ってしまうのだ。_ 世界の指導者たちと人々が、直面している危機を解決するためと称して、馬鹿げたことをしだしたらどうなるのか。

 いまいちど古老たちの予言に耳を傾けよう。
 それがあなたの興味を惹きつけ、あなたが心に留めることを願う。
 いつか起きることなのだから。

 予言によれば、高い地位にいる人たちが倒され、倒した側の低い地位の者たちも同じように倒される時が来る。

 その動きは強くなり、拡がり、やがて収集がつかなくなる。
 こうした動きは我々の国でも起きる。
 最後には、これが聖書版アルマゲドンのひきがねとなる。(ホピ版のそれにも関係する)
 善と悪の決着をつける最後の戦いとなるのだ。
 戦いは、ひとりの神か首長が始める。
 予言者たちは「ひとつの言葉を使う」ホピの国、このオライビ村からその戦いが始まるのではないかと言う。
 ここは宗教儀式や秩序のある新しい世界が始まる場所となり、また汚れた者への最後の審判が下る場所なのだ。

 彼らは打ち首にされ、喋ることもなくなる。
 もしこれが実現しなければ、人類、あるいは大自然によって壊滅的な災害が引き起こされることになる。
 そして、新たな生命はひとりの女の子とひとりの男の子から始まる。
 この予言はあまりに恐ろしいので、多くの者が聞こうとしないだろう。
 ホピの予言には、このような状況になった時は、ナバホ(アメリカインディアンの一族)が我々を助けてくれることになっている。白人やパイユーテ族もだ。

 合衆国政府が我々の尊厳を簡単に認めてくれるとは思えないが、もしホピ、ナバホの伝統派を他の者たちと分離してくれるならば、両部族は自らのアイデンティティーを保ち、自分たちの国を造り上げるだろう。
 地球の両極に、それぞれの頭と尾に戦士を載せた2匹の水ヘビがいるという。_ 彼らは、我々に時間が迫っていることと、自身を改めるよう警告している。_ この警告を聞き入れなかったら、戦士たちは立ち上がり、ヘビを解き放ち、全人類が罰を受ける。

 我々は気候と深く関わっている。
 誰にも日々の天気を正確に予報することはできない。_ 我々にはいつどの種を蒔くかが分かっているが、この春は遅くまで雪があり、寒かったので、いつも通りにはできなかった。_ もし我々のいにしえ人の予言が正しければ、いつか我々は手袋をはめ、足で雪をどかしながら種蒔きをする日がやってくる。_ 夏はどんどん短くなり、トウモロコシが実るひまもなくなってしまうだろう。

 その時がきたら、我々はどうなってしまうのか、言うまでもない。
 問題は、これで世界が終わりになるのか、ということだが、それは地理的な場所によって変わってくる。
 気候が違えば、変化も違ってくる。_ 例えば、熱帯が氷で覆われ、北極が熱帯になることもありうるのだ。_ 白人の説では、これがポールシフト(地軸逆転・地軸変動)によって起きるとされているが、もし人類が環境を破壊するならば、それを待たずして気候変化はやってくるだろう。

 未来の世代の者たちが、我々が何も良いことをしなかったと知ったら、我々を打ちのめし、家から追い出すかも知れない。_ これは自業自得というものだ。 _ 我々自身の魂から平和がなくなることが、革命の引きがねとなるのだ。

 白い兄弟がやってきて、我々が神聖な掟と教えを捨ててしまったのを知ったら、彼は我々を慈悲を持ってむち打つだろう。_ もし彼が来なければ、大自然がその役目を負うことになる。

 ここで予言者の目で未来を眺めることにしよう。
 彼らによれば、このままゆくと、工業化した世界は重大な危機を迎えるという。
 変化の時代が来て、世界中の人々がそれについて行けなくなり、大きな苦しみを経験することになろう。_ 新しい生活スタイルと、新しい環境に合わせなければならなくなるからだ。

 工業化が進んだ国では、地球から掘り出している資源、原油や石炭などが、いつまでもあるものと思っているが、資源はすぐになくなってしまうものだ。_ 燃料不足が起き、機械は止まってしまうだろう。_ 農業機械や、輸送機関もストップし、スーパーの棚から農産物が消えてしまう。_ 農家や自家菜園を持つ者は、収穫したものを人には売らないだろう。_ そうすればお金はクズとなってしまう。_ 白人(バハナ)の全能力と全技術を使っても、それはどうしようもないのだ。

 歴史に少し目を向けてみよう。
 何世紀にも渡り、我々の行動が善悪の境を失うたびに、いくつもの古い予言が我々を警告してきた。
 我々は地球や大自然、もちろん人類もが、とてつもない異常な事態になるのを見るだろう。
 現代人がいにしえの智恵や知識を、「もう終わったもの」として葬り去ってしまったからだ。
 現代人は母なる大地から食べ物を授かることを忘れ、お金こそ全てと思っている。
 予言によれば、このような時代が来たら、母なる大地は養分を隠してしまうというのだ。

 いにしえから伝わる食物は、貧しい者たちのためのものだからだ。_ そうして、全ての食物がなくなって、初めて現代人は間違いを正そうとする。_ 発明の名の下に地球に与えてきたキズを、なんとかして直そうとするが、ある一線を越えてしまってからではもう遅いのだ。

 我々人類と地球が生き延びる術は、平和をもってしかない。_ 人類は自ら進んで変わろうとするしかないのだ。

 ホピは、自然のバランスを保つ見えない力と、人類の生命をつなぐ重要なカギを握っている。_ 自殺行為ともいえる人工のシステムの代わりとなる具体的な方法を実践するモデルとなっているし、世界の出来事の中心となっているのだ。

『全世界は震え、赤くなり、ホピの妨害をする者に立ちはだかるのだ。』

 この予言は、人々がこの世界で生きてゆくことができなくなって、初めて気付いてもだえ苦しむことになると言う。

 人々は流血を好む政治と人を欺く指導者たちに対しては特に強く反発する。
 平和に暮らす望みがなくなった時、世界中が騒然となるだろう。
 「ごく普通の人たち」が国を越えて、世界平和のために立ち上がるだろう。
 指導者たちが失敗したことが明らかになるからだ。
 高い地位につくものは、おそらくテロリズムによって動物のように殺戮されるだろう。
 そうすると指導者たちもじっとしておれず、お互い同士で殺し合いを始める。
 そうしてこの動きが飛び火して世界中を覆い尽くしてしまうのだ。
 革命はどこで起きてもおかしくないのだ。

 解放者は巨大な勢力を持って、西からやってくる。_ 彼らは空から雨のように降ってくるのだ。_ 彼らには慈悲というものがない。

 屋上でそれを眺めている場合ではない。_ 彼らは我々の耳をつかんで振り回すだろう。_ いたずらをした子供がされるように。

 これは善悪の決着をつける最後の戦いとなるのだ。
 この戦いで人の心は洗われ、母なる大地は癒され、悪人どもは片づけられるのだ。
 予言者たちは、新しい平和な世の中はホピの地から始まると言う。_ そこは人がひとりの神、ひとりの指導者に従い、ひとつの言葉、ホピ語を話すからだ。_ 地球が栄える時がまたやってくる。
 この予言が実現しなかった時、大霊は大自然の脅威をもって、この清めを行う。
 それは全ての災害という災害が起きる、大災害となるだろう。
 たったひとりの男の子と女の子だけが、新しい生活を始めるために生き残るというのだ。
 この予言はあまりにも恐ろしく、多くの人には聞いても価値のないものかも知れない。

 いつか灰がいっぱい詰まった「ひょうたん」が発明される。
 それがもし空から落とされたら海は煮えたぎり、大地は焼けこげて何年も死の大地となるものだ。

 この時こそが、ホピが世界に向けて「3回目にして、最後の出来事」が間もなく起きるであろうこと、また人々がすぐに自分自身を改め、指導者たちを改めないと、全ての生命が滅んでしまうことを警告する時なのだ。
 最後の時、それは『偉大なる清めの日』(大浄化の日)と呼ばれる。

 これは「かぎ十字」と「太陽」、そして「赤」で象徴される3番目の力、それら3つの力を封じた『不思議な卵』で表現されている。_ これが全ての再生を意味するのか、全ての破滅を意味するのか分からないが、それを選ぶのはあなた自身だ。_ 戦争や大自然の脅威は避けられないかも知れない。_ すさまじさの程度は、人の不公正さの度合いや自然のバランスの崩れ具合によって変わってくるだろう。_ この大災害の中で生き残るためには、金持ちや貧乏人も分け隔てなく戦わねばならないだろう。

 伝統派ホピの間では、それは相当なすさまじさになるだろうと確信されているが、人々が今からでも姿勢を正せば、すこしはましになるだろう。_ いにしえの精神世界につながる場所、例えばホピの地などは特に守られるべきで、その賢い生活と守ると誓った資源を力ずくで奪ってはならない。
 ホピの生活を破壊している、人工のシステムは全世界で似たような事態を巻き起こしている。

 予言された破滅による時代の逆戻りは、自然のなりゆきの一部だ。_ 人工のシステムとお金と法律に従う者たちが、ホピへの妨害を止めるならば、多くの人が『清めの日』を生き延び、「新しい時代の平和」の扉を開くことができるのだ。_ しかしもしもホピの生き方に従う者がひとりもいなくなれば、そのような時代の夢は露と消える。

 どこに平和があるのだろう。
 どこにも平和はない。
 ホピの社会にさえない。

 白人社会ではどこの国民も、高い地位のものから最下位のカーストの者までも、平和に浸る者はいない。
 殺人のための兵器が開発される時代に、どうして平和が訪れようか。
 人がいがみ合い、愛を忘れて、どうして平和が訪れようか。
 もう『清め』に身をゆだねるしか方法はないのかも知れない。

 人類はこれまでにも、新しいやり方が現れるたびに起きる衝突で、平和を失ってきたが、大霊、創造主も様々な方法で人類を罰してきたのだ。_ これらを乗り越えて自分たちの暮らしを守り続けたのは、いつもほんの少数の人たちなのだ。_ この少数の人たちこそ、創造主の掟を守り、魂の声に耳を傾け、諸悪を避けてきた者たちなのだ。_ 知りうる限りでは、我々は諸悪を避けてきたとは思えない。

 良い心を持ち、大地と調和して生きる者たちが増え、地上から悪がなくなると、邪心を持つ者は減るだろう。_ ホピが正しければ、地上はまた繁栄するだろう。_ 魂の扉は開いている。_ なぜ心正しい人々と共に生きようとしないのか。

 ツノトカゲ女はマサウウにいつか助けが必要になった時、彼を助けると約束した。_ そして、鉄のヘルメットを持っているとも言った。_ ホピが自分たちの生き方を全うした時、マサウウが指導者となる。_ しかしそのマサウウが前の彼とは違う。_ なぜならば、彼は最初にして、最後の者だからだ。

 ひとつの時が終わる時、また新しい時が始まる。
 平和に満ちた世界が開ける時、新しい時の夜明けが来るのだ。

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The Ark's Warnings _いにしえよりの警告

 マサウウは、注意と監視を怠らないようホピに言った。_ そして、彼ら自身を守るために、特に注意した事柄がある。_ それらの思慮ある注意を見ると、我々も実行すべきものであることが分かる。

 以下にあげたのは、古老たちが頭を剃ったホピ(_古き伝統を守るホピの一派)に、特別に与えた警告だ。

 これらの警告は『テックア・イカチ』という会報から抜き出したもので、有名な「聖なる石版の指針」としてホピに伝えられたものだ。_ この石版に書かれた事柄が現実に起き、それがホピに伝えられたのが何と一千年も前であることは、まさに驚くべきことだ。

「選択は慎重に」
 目新しいもの、便利なものがやってきた時は、注意して選択し、有害なものを最小限に止めなければならない。_ どちらの道を選ぶのか - 物質文明か、創造主の道か。_ 時が過ぎるとともに、創造主とその魂の教えへの誓いを忘れることがないように注意せよ。_ もし忘れたなら、それは偉大なる創造主を見捨てた印となる。

「誘惑を避けよ」
 誘惑が来た時の状態と、それによってどうなるかをよく考えよ。_ マサウウが2人居たことを思い出し、それぞれがどんな性質を持っていたかを思い出せ。_ 誘惑は常に人を欺くための皮をかぶっている。_ 正体を隠すために。_ しかしこれは誘惑の一面でしかない。_ 生活を壊すもの、災難に巻き込むもの、問題を起こすものに誘惑されてはならない。

 たとえ誘惑が悪いものと分かっていても、人間の欲は深く、制御するのはむずかしい。_ 価値観の違う世界に踏み込めば、誘惑は我々を弱める。

 誘惑を避けることは、生き残るためのカギとなる。_ もしお前が新しい変化から逃れられなかったら、変化を賢く利用せよ。_ 変化によって価値ある生活を壊されないように。

 誘惑は危険だ。_ それは破壊を意味する。_ 前の世界は全て誘惑によって破壊された。_ 現在の世界に災難をもたらし、息つくひまもないようにしたのは、このせいだ。_ 魅力に輝き、富を約束すると誘いかけるものは、全て誘惑だ。

 誘惑に乗ったからといって、今すぐには悪くならないかもしれない。_ しかし、着実に下降線となり、ひいては死をもたらすのだ。

 ホピの智恵は、我々は「ビーズの糸のように」つながっていると言う。_ 時と共に、人々は自ら糸を切って、真の命の絆を断ち始めるのだ。_ 歓びと富の誘惑のたびに、糸についたビーズの数が減ってくるのだ。_ 命の絆にしがみつき、マサウウと大霊の定めた運命に従う、強い心を持った者たちがほんの一握りになってしまうまで、糸はどんどん短くなってゆくのだ。_ これらの者たちが、最後まで糸にしがみついていることができたら、大きな歓びがもたらされるだろう。_ それは、生命の平和のために大地を清めることになるのだ。

 しかし、もしそれができなかったら、偉大なる創造主が自然の脅威をもって我々に報いることになるのだ。
「落とし穴を避けよ」
 我々は、生活が楽になると考えて、落とし穴にはまることがよくある。_ それは我々の心と強さを流し去ってしまう穴とも言える。_ 世界の指導者たちは、人をだますことを当たり前としている。_ 便利な生活スタイルは、しばしば誤った道を招く。_ 現代文明は地球と宇宙の自然の秩序、バランスを保つものではない。
 落とし穴は生きることの真実を教えてくれる。_ 例えば、人生はいつもバラ色ではないということを。

「年寄りの話を聞け」
 古老たちの話を聞けば、聖なる規律と信仰が大切なことが分かる。_ かつてホピは賢く生きるために、古老たちから智恵と知識と予言を学んだ。_ 世の中の急激な変化で、それらをもう誰も聞かず、見ず、分かろうとしないことは残念なことだ。_ しかし今でもそれらの智恵は幸福と健康のカギであることに変わりない。

 進歩派、伝統派、いずれのホピ族も、この大地での長い歴史の中で、今最大の危機を迎えている。_ 今こそ全ての村のホピが、古老たちから授かった「予言を思い出し、予言に従うべき」時なのだ。

 それこそがこの世界で生きるための教訓であり、指針であり、歴史の資産なのだ。

「自給自足せよ」
 自給自足することによって、他人に頼らずに生き残ることができる。_ 食料をスーパーマーケットに頼らず、会社の給料に全面的には頼らないことだ。
 いつか白人の文明が崩壊してしまったら、どうするのだ。

「常に先を見よ」
 今まで自分の身に起こったことをじっくり思いだし、これから何が起きるか予測せよ。_ 予測できたら、次はそれにどう対処するかを考える。_ いにしえのアメリカ先住民たちは、季節ごとの儀式を行うことによって、自ずと先のことを考えるようになっていたので、いつも準備ができていたのだ。_ もしあなたがホピの儀式を順を追って行ったなら、それが将来への準備であることが判るだろう。

 ホピはそれらの儀式を行う時、創造主、マサウウ、母なる大地その他の神々に祈りをささげ、導いてもらったのだ。

「いにしえの教えを行動規範とせよ」

 我々はいにしえの教えを、失敗を避けるための行動規範とすることができる。_ 我々は自らの行いによって、結果が善きにも悪しきにもなりうることを学んだ。

 いにしえ人たちは、これまでに人類は少なくとも3回の破局を迎えたが、それらは全て人類が犯した同じ過ちによって引き起こされたのだと言う。

「大自然と魂の法を守れ。生けるもの全てを尊重せよ」

 我々は大自然と魂の法を守ることを最優先しなければならない。_ 人は自分たちは何も悪いことはしていないと言うが、彼らは自然と人とのつながりを破壊しつつある。_ 世界各地で起こっている災害がその証拠だ。
 我々は心ない行為や、自分さえ良ければいいという勝手な考えで、母なる大地を痛め続けてきた。_ いにしえの父たちの警告を聞かず、自らを破滅に導きつつあるのだ。_ 我々はそれを深く恥ずべきなのだ。

 これを聞いたほとんどの人たちが心を痛めるだろう。_ しかし彼らが自分たちを見つめ直し、一握りの善き人々の生き方に立ち戻り、来るべき世代のためにこの世界を残すことを望む。_ 人は、未来につなぐ心を持った大霊との調和なくして、自然とのつながりを保つことはできない。

 白人たちはエコロジーという言葉が全てを解決し、地球や全ての物が永遠に存在すると思っているが、太陽はひとつしかないのだ。_ 月も地球も同じだ。_ もしそのうちどれかひとつでも破壊されたら、自然のバランスを元にもどすことは不可能となる。

 我々の先祖は生き残る智恵を口から口へと伝え、生きるもの全てを尊重せよと言ってきた。_ なぜなら我々全ての生き物はひとつであり、ひとつのものから造り出されたからだ。_ 我々は生き残るための正しい方法を忘れたように見える。_ 生き残る代わりに、守りの姿勢になっている。_ 我々は荒廃に向けて着実に坂道を転がり落ちている。

 いま一度、立ち止まって周囲を見渡せ。_ もしそこに古くて乾いてしまった根っこが見つかったら、つかまって支えにするのだ。_ 光明が見えるまで。

「他人を支配しようとするな」

 他人に責任を押しつける行為は、この惑星から魂のエネルギーを流し去ってしまい、全ての地と生命に大きな厄災をもたらす。

 他人を支配しようとするな。魂は全ての者に宿っているのだ。

「偉大なる創造主に与えられた生き方に満足せよ」

 偉大なる創造主の命に従うことを善しとせよ。_ その光は我々の眼をくらますことなく、混乱に陥れることもない。_ その光は道を明るく照らし、偉大なる智恵を手に入れ、人間らしい生き方ができるように導いてくれるのだ。

 この大地で偉大なる創造主と大霊の掟に従って生きる時間は、まだ残されているはずだ・・・おそらく。

 これが我々が求めるものだ。我々の生活が、現代人が造った方向に向かいつつあることを大変残念に思う。_ 潮が高まってきている。その潮が高潮となって我々を流し去ってしまうのは、そんなに遠い先のことではないだろう。

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Hopi Survival Guide_
ホピの生き残るための智恵_-大地との調和と生命への祝福-

 長老たちが私たちを特別に思ってくれたことに歓びを感じる。_ これまで門外不出だったことを語ってくれたからだ。_ それを受け取るか、価値あるものと見なすか、生活に役立てるか、それは読者にお任せする。

 マサウウは、何と900年も前に、人々に生活上の細かな「しきたり」を示した。_ それは毎年繰り返されるべき、一連の活動と思考の環となっている。_ 伝統派のホピは、そのしきたりを守りながら生きるのだ。昔も今も未来も変わらない。

 長老たちや伝統派の人たちと共に、この素晴らしい冒険に加わるには、彼らが乗っている

「ホピの魂の箱船(Spiritual Ark)」
に乗らなくてはならない。_ そして彼らと同じ素晴らしい考え方、感覚を身につけるのだ。_ 平和の民であり続ける彼らと同調することで、我々の生活にも平和と美しさがもたらされる。

 「ホピの魂の箱船」とは、心の花園であると同時に砦でもある。_ 掟に従っている限り、そこに入ることが許され、守ってくれるからだ。

 以下に、現代の厳しい時勢を生き残るために役立つ事柄をあげる。_ これらを実行すれば、ホピと同じように、現在のあなたに役立ち、また来るべき未来の変化に対応することができるのだ。

 大地との調和と生命への祝福

1.箱船に乗ったら、創造主とマサウウに、あなた自身の誓約を立てなさい。
 それはあなたの宗教を変えることではない。_ 箱船が創造主とのつながりを持つための働きをするからといって、特定の宗教の場ではないし、また他の宗教に優る宗教だと見なされることもない。_ あなたは特定の宗教に加わる必要さえない。_ 神聖なる創造主を信じるだけで充分。

 このメッセージは、永遠がどうこうとか、来世はどうとかいう類のものではない。_ ただひとつ「生き残り」のためのものなのだ。

2.質素に生きよ。マサウウがそうするように。物質文明に溺れてしまってはならない。
3.自制しなさい。
4.自給自足しなさい。

 ひとりひとりが、来るべき山を越えるための準備をせよ。_ 準備してしすぎることはない。_ それが長きにわたるかも知れないからだ。_ 都会に住んでいる者は、もし明日、全ての食料供給が絶たれたらどうするのか、考えておかねばならない。

 これはホピが生活の中で自然に考えてきたことで、数千年にもわたって生き延びることを可能にした戦術のひとつでもあるのだ。_ ホピは長い経験から、環境というものは1年1年大きく変わりうることを知っており、毎年秋には翌年1年間充分に食べてゆけるだけの食料を備蓄する。_ だからもし何か悪いことが起きても、大丈夫なのだ。

 我々も予言にあるような災害に襲われた時に備え、家族が生き延るために充分の腐らない食物を備蓄しておかねばならない。

5.優先すべきものを、見直せ。注意深く選ぶのだ。

6.創造主の願いは、我々を救うことにある。ホピと共に世界を救おう。

7.心で思うことは、それを実行することと同じだと思え。

 何かすることを頭に思い浮かべるのは、それを実際に行動におこすより重要な意味を持つこともあるのだ。

8.命を尊重し、環境を神聖なものと考えよ。

9.一連の儀式を通じて、箱船でダンスをすることがある。

 我々がしようとしていることは真剣そのものだが、うまくいくはずだ。_ それを知っていれば、我々は歓びと充実感に浸ることができる。

 だから、ソヤル(翌年の準備をするための儀式)を行っている16日間以外は、いつでも好きな時に音楽を聴き、また踊ればいいのだ。_ カチナ(霊人の踊り)や仮面なしの踊りも、元は創造主が造ったものだから。_ ホピはほとんど一年中社交のためのダンスを行っている。

 創造主は、セックスを楽しむことも許している。_ それが健康的で、責任感のあるものならば。

10.12月の初めには、全世界のために祈りをささげよ。

 この季節に行われるのは、翌年を迎えるために、気持ち、心の準備をすることなのだ。_ この期間、あなたは世界と調和することになり、この時の意識があなたを包み込み、翌年のあなたの行動に影響を与えるのだ。
 もし世界中の人々がこれを行えば、どれほど素晴らしいことになるか。

11.12月21日、他の人たちを「ホピの魂の箱船」に案内しなさい。