『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

方法はあるのか

2011年07月31日 20時04分08秒 | 核の無い世界へ

ドリーマー20XX年は、物語がどうこうではなく、何か、国家的な危機が起こった場合、民衆はどう立ち上がることができるのかを、ひとつのテーマとしました。

それが、どう伝わるか、皆さんがどう考えるか、それが知りたいのでした。

私のちっぽけな頭で必死で考えて、やはり自分の思い、考えを「声」にしなければ、なるがままに、されるがままになるということでした。

それが今、現実に起こっているのです。福島第一原発は、事態を終息させておらず、政府の甘い発表と、実際は違うようです。すでにチェルノブイリ汚染の3分1もの放射性物質が自然界へと放出され、福島だけでなく、東北・東関東周辺に撒き散らされている。西日本への到達している。他人事ではないのです。

東京にいる私もすでに内部被爆しているはずです。検査機関で尿を計れば、川口市の10歳の女の子と同じく、セシウムが出るでしょう。内部被爆は、外部被爆の600倍の放射能の影響を受けるというデータもあります。私は、これを仕方ないとは思いません。政府や電力会社の犯罪的な行為がそうさせたのですから、仕方ないことではなく、どう、落とし前をつけるのか、今後をどうするのか、子ども達にどう責任を取ることができるのか。それしかない。

これから二次的な被害が広範囲に広がります。秋になればコメの収穫期ですが、コメ騒動が起こる可能性もありますし、牛肉に限らずそのほかの食品汚染問題から、食糧難が起こる可能性も高い。今すぐではないが、ほんの数ヶ月後にそうなった場合、何も対処していないと、パニックです。70年代のトイレットペーパー騒動どころの話ではありません。まともに食べるものがなくなったら、どうしますか。いや、ちょととくらいなら。そう、今もそうして微量でも放射能が付着した野菜などを食べているのです。自分はいいが、子どもにそれを食べさせることの苦しさを感じないはずはない。

昨夜は、正直、頭に来たので、もう、こんなもの書くもんか!となりましたが、一夜明け、また書こう、誰が読んでるか、どう思うか知らないが、伝えなければいけないことを書こう。それほど私も精神的に混乱しているのです。

人は、人に理解され、互いに助け合えることで、生き活かされていると実感できます。

私のこのブログにではなくても、もし、何か思うのなら、周辺の人と話し合ってみてほしい。何か方法はあるのか、やれることはなにか。そうは思わないのなら、もう、あたなは仕方がないと諦めているのでしょう。どう生きるかは、その人のもの。そういう選択もあるでしょうが、私は生きている限り、声を出し続けたいと考えます。

渦中にいることを誰も避けられないのです。


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2011年07月31日 00時01分59秒 | 航海日誌
最後の文言

私がこのブログで、核(原発)について書くのは、最後か。

なぜだ。

言葉の無力を想うからか。

魂に伝える文言が無いからか。

人間というものには、意識に何らかのスイッチがあって、そこに微弱電流が流れないと、次の意識へパス出来ないのだろう。

そのことは私自身を観察していればわかること。昼間は、いつもの仕事をしていて、そのときは仕事の事で頭がいっぱいで。隙間で、そうだった、子ども達をと想うのですが、また、忘れ、の、繰り返し。意識の明滅。

評論をしている間は無い。
善い悪いなど言っている場合ではない。
どうするかだけだ。

世界は変わろうとしている。

どう変わるのか。

いまにわかる。

そのとき私は無い。

でも、生きている一時、約束を果たす。


ドリーマー20XX年 18章(終章)

2011年07月30日 15時24分10秒 | 近未来長編小説『ドリーマー20XX年』
『ドリーマー20XX年』新宿編・終章

ここまでお読みになってくれた読者の方々、ありがとう。
新宿編は、これで、おしまい、です。
とくと味わって読んでください。
(おもしろかった、つまんない、なんでもいいのでご感想を!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
~~18~~


 ちゃんねるCO2による「皇居前決起集会」の呼びかけに、ネット会員ばかりか一般の読者も熱を帯びていた。連日のアクセスは数万を重ねて増加し、コメントはとても全部を読み切れる数ではなかった。

――這ってでも集会に参加します! ゆーた
 というものが半数あり、
――地元でも決起集会を開くので連携しましょう! 関西ホームレス会
――わたし1人でも、なにかできることをと思います。子どもを守りたい 一般主婦
 といった声援もある。
――政府の暴挙を許せない! 武器を持って戦おう! 爆弾なら作れるぞ! 怪人一面相
 といった過激なコメントもある。 
 また、
――ばっかじゃねえの、知能うたがうよ。死んじまえ、ゴミ!!! 名無しのごんべい
――おまえらは国賊だ! 天罰がくだるぞ。覚悟しておけ。リーダーの吉川はアジトに女を囲って食い物にしているハーレム男だ。騙されてはならない Gより
――情報拡散を訴える者こそ、一番怪しいぞ! 匿名
 誹謗中傷、脅し、撹乱などもあまたあった。

 ネット文面は、まじめなものから明らかなネット攻撃やおかしなものまでが混在しているが、そのアクセス数から察せられるのは、八月一日に集まる人員は半分に見積もっても三〇~五〇万人が見込めるだろうということだ。目標の一〇〇万人も可能性がないわけではない。

 高野隆が次々に寄せられるコメントを拾い読みしながら、吉川に話している。
「もし一〇〇万人になれば皇居周囲を囲むことができますよ。そこで一斉に大声を出せば天皇にだって聞こえるでしょう。われわれを見殺しにするのか。それでも日本の天皇か!って」
「今までのデモ集会とはわけが違うことになるな」
「これが民衆の結集力だって見せつけて今後は好き勝手にさせないぞと」
「だがな.、興奮状態で集まってくれば破防法で片っ端から検挙されるだろう。皇居にまで来られなければ意味がない。そこがこの集会の要だ。とにかく温和しく集まることだ。それをネットで徹底して伝えておいてくれ。爆弾なんか持って来られたらそれこそテロそのものになってしまうからな」
「そこですね。戸山公園村のテロ攻撃がこちらに濡れ衣をかけられたし。今回は恐らく治安部隊も全部隊が結集するだろうと思います。放水、催涙弾、装甲車の壁、最後は発砲攻撃もあるかも知れません。武力で戦ったら負けですね」
「だからガンジーなんだよ。無抵抗で、存在だけで闘うんだ」
「ボス、それからコメントの中で気になるメッセージがあったんですが」
 そう言って高野がコピペした画面を吉川に見せた。

――我々は全世界にネットワークを持つグループだ。我々に対抗できる者はこの地球上のどこにもいないと言っておこう。だが、君たちの行動は今後の我々の活動に多少なりとも抵触する。そこで提案がある。行動を起こさなければ、君たちのグループの将来を保障しよう。我々の仲間になるなら、一般民として最高のポジションに置いてもかまわないと考えている。我々の紳士的な提案を受け入れることを心から願っている。 仮の名で、世界友愛協会とでもしておこう

「なるほど。これは国際秘密結社のメッセージかもな」と吉川が笑いながら言った。「しかしその確証はどこにもないが」
「稚拙な文面でかえって信憑性があったりしますね」と高野も笑った。
「世界は陰謀で充ち満ちているというのが陰謀論の根っ子だが、陰謀論そのものがまた目くらましだな。陰謀論者のほとんどは真実を理解していない。陰謀は明らかに存在するが人間の本性の中に巣くっていることに気がついていない。まったく気がつかないで自身が陰謀の片棒をかついていることにだ。コマーシャルを見てその品物を買えば陰謀の片棒をかつぐことになる場合もある。陰謀というものは意図を持った戦略計画だが、そんなものは無数にあるんだ。それを経済活動と呼んでいるだけだ。オーダーは世界を飛び交い、その一つひとつが世界を一人歩きしはじめれば発注者が不明の活動になっていくんだよ。これ、なんだか面白そうとか、いんじゃないとかといった曖昧な稚拙なものの中に潜んでいる正体を人々が知ることはないんだ。知るよしもないんだよ。まただから、そういった民衆を利用する連中がいるのも確かなんだよ。奴らにはな、顔というものが無い」
「まったくそうですね」と高野が相づちを打った。

 夢から夢を渡ってきたドリーマーとして古株のふたりは、一般人が見聞きすることのない世界を垣間見て、その正体を知っているのだ。今、休息室で休んでいる石井洋介もそうした不可思議な世界の一部を見聞しているが、彼らほどはわかっていない。だから心が揺らぎ悩んでいる。

「天使と悪魔さ」と吉川が吐き捨てるように言った。「人間界を二分して大騒ぎの世界を創っている者たちの正体さ。シェークスピアが言った、天と地の間には人間に計り知れないことがあるってな。人間の世界こそが舞台だとな。あれはまったく比喩じゃないが、ほとんどの人間にとっては作家のごたくにしか聞こえないだろうな」
「聞こえないでしょうね。意味がわからないものは耳に入らないっていう生理機能が働くんですよ。馬の耳に念仏っていう、そもそもがマインドの問題ですから」
 高野がパソコン画面を見つめたままでしゃべっている。

「なあ高野。一般人が天使と悪魔が同じものからもたらされていると知ったら驚くだろうな。この世界演劇の二大要素としてオーダーされていると知ったら」
「そんなの肉体を離れたら即刻わかることなんですがね。現実と思っているものはすべてわれわれ自身が生み出しているってことをね。悪魔側と天使側に分裂して、その間の幾多の人間どうしで複雑に利害関係が絡まっていてワケがわからなくなっているって。創造と破壊。集合と分裂。プラスとマイナス。白と黒。ほんとうはシンプルな話なんだけど。まあしかしわれわれは今、人間として生まれて人間として生きている存在ですから、二元性から離れることができないんですよ。この私だって自我はマジ必死ですから」
「そう必死だ。生きているから必死になれる」
「だったら肉体を離れたあっちでは必生ってね」
「はっはっは、うまいこと言うじゃないか。生と死が反転すればそういうことだ」
 吉川と高野はふたりで話しているときは、笑いながら超越したこんな話ができるのだ。山田一雄ゼロゼロKYにとってのM師の思考領域にいると言っていいだろう。

 吉川の携帯モバイルに連絡が入った。佐藤ゆりからだ。
「もしもしボスですか。例の計画ですが今日の六時に花園神社前でお願いします。杉山はクルマで付近に潜伏します。私とボスが接触すると尾行する予定ですがどうします?」
「では一芝居打つか。予定通り俺が君を闇酒場に誘うから付いて来てくれ」
「計画通りですね」
「そうだ。変更はない」
「わかりました」

              ○○○

 二時間後、吉川がいつものホームレスの作業着に着替え、地下トンネルから波多野ビルに出て、歌舞伎町へ歩いていった。ただ、すでに吉川は指名手配中であり、顔はまったく変えていた。
 大通りに面した花園神社に近づくと、鳥居前に歩道脇に立っている佐藤ゆりの姿が見えた。手には茶封筒を抱えている。約束の物は持って来ているという証だった。
 吉川が闇市の人混みに紛れて鳥居前にひょいっと顔を出すと、佐藤ゆりが身を引き、少しばかり驚いた表情を見せた。大通りの反対側、貨物トラックの横に黒塗りのクルマの一部が見えた。そこに杉山がいるのか。それともどこかに潜んでいるのかはわからない。ふたりの会話は盗聴しているはずだ。

「例の物は?」
「これです」佐藤ゆりが脇に茶封筒を抱えたまま言った。
「詳しく話を聞きたい。近くの店に付き合ってくれ」
 佐藤ゆりが迷う素振りを見せつつ言った。
「身の安全の保障はありますか?」
「物さえもらえればあんたに危害は加えないよ」
「こちらも安全策が打ってあります。八時までに新聞社に連絡がなければ通報することになっているのでヘタなことはしないように」
「心配ない」

 ふたりがそのまま鳥居をくぐり、神社の奥に進んだ。境内の裏手に出て古いビルの路地を入り、奥まった建物の木の扉を吉川がノックした。中年の女が小窓からのぞき見て扉を開きふたりが中に入った。以前、洋介と真理恵が入った闇酒場だ。

 すぐに二階の小部屋に上がり、ふたりは声をひそめて話し続けた。
「なぜこれを俺に?」
「真実を知りたいから。政府の強攻策は確かに行き過ぎています。記事にする必要があります」
「で、どこでこれを手に入れたんだ?」
「国家安全保障局のある人物からです。我々にとって内部資料の入手は珍しいことじゃありませんから」
「そうか。あんた国家安全保障局に詳しいのか。この資料以外のことで何か知っていたら教えてほしいんだが」
「そちらがご存じ以上のことは知らないと思いますけど。むしろ」
「むしろ何だ?」
「政府に反抗するあなた達の目的は何なのですか。公園村移転は住民にとって望まれることでしょう?」
「それはあんたが知らないから言えることだな」
「じゃあ、教えてください」
「前に闇市で話したのを覚えているか。国際秘密結社のことだ。ネットでも少し情報を流したが移転計画はその連中の意向に基づいておこなわれている。自分たちの都合で村民を選別するために」
「何の根拠があってそんな話を?」
「まあいいから君も酒をちょっとは付き合えよ。俺も久しぶりにちっとは飲みたいしな。君のような可愛い子となら最高な気分だよ」そう言って吉川が笑った。

 杉山はここにはすぐに踏み込んで来ないだろう。杉山からすれば佐藤ゆりがハニートラップ。つまり甘い蜜の罠だ。ここでの会話を付近に潜んで盗聴しているに違いない。
 密造酒をグッとあおり、吉川が話し続けた。
「俺たちは何もテロ活動家じゃないんだ。ただのホームレス集団さ。ただちょいと遊んでるだけさ。あのさ、知ってるか。杉山泰子って情報部の女がいるだろう。あの腰のくびれてスレンダーな、それでいて形のいい胸をした。あの切れ長の黒い瞳で見つめられたらもうダメだ。本当は仲良くしたいんだがないかんせん気丈な女だからな。俺はねんごろになってみたいと思ってるんだが。おっと、こんな話をレディにするなんて俺は酔ったか、ハッハッハッ」

 佐藤ゆりが笑いを堪えて聞いている。杉山はこれを聞いて何と思っているかと考えると可笑しくて仕方がないが、黙って聞いているしかなかった。
「俺、山形からこの街に来てさ、ずっと歌舞伎町で生きてきたろ。色っぽい姉ちゃんいっぱい見てきてさ。そんなのよりあの知的な美人がいいな。こんな闘いなんか止めてさ。あれ、また泰子ちゃんのこと話してるな、ハッハッハッ」
「そんな話はもういいでしょ。それより皇居前の決起集会は本当にやるんですか?」
「ああやるよ。でもあの杉山泰子と取り引きできれば止めてもいい」
「本気でそんなこと言ってるんですか?」
「冗談じゃ言えないな」

 そう言い放った吉川の顔が、佐藤ゆりにはどこか高倉健ばりの二枚目俳優に見えた。吉川が本気で話しているのかと錯覚するほどの名演技だった。
「ちょっと失礼するよ」
 吉川がトイレに立ったすきに、佐藤ゆりがグラスに白い粉を入れた。
「今、酒に薬を入れました。五分程度で効くはずです。外に連れ出しますからそこで捕まえてください」独り言のようにしゃべった。
 それから形なりに香水瓶の液を首筋に塗って、吉川を待った。

「何だかいい香りがするなあ。君の香水か」
「それを一杯飲んだら表に出ません?」
「話はもういいってか。どこ行く?」
「私でよければいいところへ」
「いいねえ」
 グラスをグイッとあおり、店を出てまた神社境内に戻った。そこでとたんに吉川の足がもつれ、土の上にズサッとひざまづいた。
「どうしたんですか!」
「ああ、どうしたんだか手足がいうことを聞かん」
「動けますか?」
「歩けねえ」

 陰に潜んでいた杉山泰子がサッと出て、ひざまづいた吉川の首もとを交差に締め上げた。吉川が肩を落として倒れ込み動かなくなった。後ろ手に手錠をかけ、佐藤ゆりとふたりで吉川の両脇を抱え、境内裏に停めてあったハイブリッドカーの後部座席に押し込んだ。
 助手席に乗り込んだ佐藤に杉山が言った。
「これであなたも私の仲間よ」キーを回し、アクセルを踏み込んだ。「これから本部へ向かうわ」
 クルマは都庁とは逆に向かっている。吉川も佐藤も杉山が臨海公園村の管理ビルへ行くと読んでいた。
「本部って国家安全保障局では?」
「佐藤さん、これであなたの将来も決まったわ。本当の本部へ行くのよ。これは私とあなたの手柄ね」
「吉川をどうするんです?」
「これでこの男も終わり」
「殺すの?」
「すぐには始末しない。その前にやることがあるわ」
「杉山さん、あなたもしかして秘密結社の」
「あら、とっくに気づいていたと思ったけど。あなたも加担したんだから仲間よ。その覚悟あるでしょ」
「ええ、もちろん」佐藤ゆりが落ち着き払って言った。
「それを聞いて安心したわ」

 杉山泰子は吉川重則を捕らえた今、ある種の恍惚感に浸っている。長年、この男を追って来たのだ。後部座席で眠る吉川をあとはどう料理するかだけだと思うと胸の内の神経がビリビリと音を立てて震えるかのような感触がある。クルマのアクセルもほどほどに踏み、まるで軍隊が凱旋するかのようにゆったりと走行していた。

               ○○○

 吉川重則は拘束室の台のうえに乗せられ、腕に手錠を架せられていた。すでに意識は回復している。酒に入れられた神経麻痺剤は飲んだフリをしていた。自ら望んで敵地に乗り込んだのだ。これから杉山は自分をどう責めるだろうかと考えている。

 ほどなく杉山泰子が佐藤ゆりを連れて拘束室に入ってきた。吉川は目を閉じて動かずにいた。
「まだ薬が効いているようね」杉山はまるで患者の様子を看る女医のような口ぶりだ。「簡単には口を割らないだろうからゆっくり段階を追って作業に当たりましょうね」
「どうするんですか?」
「まずは尋問から。それから取り引き。だめなら肉体的苦痛を与えて、それでもだめなら自白剤を投与して最後は脳神経への刺激。それが段階よ」
「私は見ていればいいんですか」
「そうね。でも途中から見るに耐えられなくなるはず。どこまで我慢できるかな」

 佐藤ゆりの心中は穏やかではない。たった今から行われようとしていることが、まるで自分に降りかかってくる禍害のように感じられた。
「人権擁護の法律では拷問は禁じられているはずですけど」
「もちろんそうよ。警察も軍隊でも禁止されているわ」
「でも今、肉体的苦痛をって」
「法律は表向きの話。そのくらいあなただって知っているでしょ」
「イラクやアフガンでの実際は酷いものだったとは聞いていますが確かにそれが報道されることはありませんね」
「戦争ってそういうものよ。現場にいる者にしかわからない。だから今、その現場にいるあなたも経験することになるわ」

 杉山がそう話ながら吉川の頬を平手打ちし、「起きなさい!」と怒鳴った。
「起きているぜ」と吉川が言った。
「そこに寝たままでは話も弾まないだろうからこっちの机に座って」杉山が吉川をベッドから起きさせ、椅子に座るように命じた。
「水を一杯飲ませてくれ」
「いいわ。喉が渇いていたら口も回らないわね」
「ああ、あんたと話すのを楽しみにしてた」
「そう。私もよ。長年追いかけた男だもの」
 杉山が差し出したコップの水をゴクゴクと喉を鳴らせて吉川が飲み干し、もう一杯くれと言った。
 杉山が表情も変えず、
「ここはリゾートホテルじゃないわ」と言った。
「手厳しいな。ならさっさと始めてくれ」

 机を挟んで杉山も椅子に座り、ふたりが対峙した。佐藤ゆりはドア横の椅子に座り、息を飲んで見守っている。
「わかっていると思うけどここには法律はないわ。事情聴取も必要なし。尋問は至ってシンプルよ。私が聞きたいのはあなたの組織メンバーと隠れ家の場所、行動計画それだけをしゃべればいい。どう簡単でしょ?」
「そうだな。しゃべればあとは始末するか」
「成り行き次第ね」
「だがな、ネットで知っているはずのように俺に何かあったらそちらの組織に関する情報を公開する手筈なんだがそれはどうするつもりだ」
「その情報に裏付けがあるのかしら。ただのデマにしかならないんじゃないの?」
「そう思うならいいさ。われわれはかなりの内部情報を掴んでいる。とくに君に関する個人情報を。それを公開されれば困るのは杉山泰子さん、君だろう」
「私の何を知っているというの?」
「ハーバード大学医学部卒の秀才で脳機能の研究からマインドコントロール技術へ至ったこと。工作員ロバート・スズキとの関係だとかもっとプライベートな情報も知っているんだぜ」

 吉川の思わせ振りな言い方に、杉山泰子の表情が変化していた。
「その程度のこと?」そう言ってサッと席を立った。「話の続きは待ってなさい。佐藤さんも一緒に来て」
 部屋を出て、斜め向かいのドアを指さして言った。
「あなたはその部屋で待機していて」
「ええ。込み入った話になったようですね」
「思ったよりも早く脳機能への介入が必要かも」

 佐藤ゆりを部屋に入れ、杉山はいったん司令部へ足を急がせた。司令室では情報管理の技術スタッフらが立ち動いている。工作員らの顔ぶれもあり、ロバート・スズキは尋問の様子をモニターで監視していた。
「泰子、奴らは君の個人情報を調べ上げているのか」ロバート・スズキが眉間に皺を寄せていた。
 杉山がロバート・スズキを目配せして柱の陰に呼び寄せた。
「もし私の個人情報をもっと知っているとしたら、モニタリングされた画像を上層部が見たら立場が拙くなるわ。ねえ、何とかして」
 杉山の口調が、いつもの事務的なものから私的なものに変わっていた。
「工作員の素性がバレたら免職だ。君を助けよう」
「どうやって?」
「今のモニターは後処理で片づけるがここからは俺が加わろう」
「でも、どこまで知っているのかを知る必要があるわ。それをネット公開などされたら私は終わりよ」
「大丈夫だ。俺が護ってやる」

 ロバート・スズキを伴って杉山泰子が拘束室に戻ると、大柄な男を見て吉川がニヤリと笑った。
「ほう、恋人のご登場か」
「係官のスズキだ。ここからは私が尋問する」
「ほら困ったんだな」
「無駄口を叩くな!」
 男が吉川の胸元を掴んで押し離した。
「いきなり暴力か」
「いいか、おまえの組織メンバーとアジトを教えろ。それをしゃべらないと辛いことになる」
 そう言ったと同時に拳が吉川の顔面に飛んだ。
「痛てえなあ」吉川が顔をゆがめ、切れた上唇を舌で舐めた。
「もっと痛いぞ」男が吉川の頭髪を掴み、机に叩きつけると鼻から血が噴き出した。「おまえたちの本拠地はどこだ!」
「おまえこそテロリストだろう。公園村に爆弾を仕掛けて谷田部を撃ち殺しただろう。その証拠もあるぞ」

 大柄な男がすくっと立ち上がり、吉川の胸ぐらを両手で掴んで壁に押しつけ、顔や腹を乱打した。殴られ放しでさすがの吉川も突っ伏して倒れた。気が遠くなりながら、昔通った代々木のボクシングジムの記憶が蘇った。入門仕立ての頃は先輩ボクサーに滅茶苦茶に殴られたものだ。それが悔しくてジムに通い詰め、半年で相手のグローブが当たらなくなった。ダッキングで頭をぶつけてくる相手に右ストレートが入り、初めてノックアウトした瞬間をハッキリ覚えている。

吉川は顔じゅうに血の匂いがして腫れ上がっていくのを感じながら、遠い記憶を懐かしんでいた。

               ○○○

 計画通り、ドリーマーたちはゴムボートで夜の闇にまみれて湾岸から臨海公園村に侵入し、公園村管理ビルの裏手に潜んでいた。石井洋介、野川典子、芦沢武彦、河口真理恵、そして食料配給班の深田勝の顔もあった。深田はドリーマーではないが洋介から全容を聞かされ、メンバーに加わっていた。ラグビー選手だった彼は一八〇センチを超える体躯で一〇〇メートルを一二秒台で走る。以前、洋介と公園村で「武将として戦いたい」と話したことが現実となったのだ。

 その深田勝がブラウンガス・バーナーなどの器具が入った重いザックを担ぎ、洋介のすぐ後に付いている。
「いいか、ボスを救出したら頼んだぞ」洋介が深田の顔を見て言った。
「任せてよ。一気に駆け抜けてみせる」深田がガッツポーズで応えた。
「じゃあ真理恵さん、葉子、中に侵入して偵察を頼む。ボスの位置と侵入可能な排気口、非常階段などを教えて」
「了解」真理恵が目を閉じ、姿なき葉子が身体から抜けて管理ビルへ侵入した。

 数分後、洋介の思念に声が伝わってきた。
――ボスは地下三階の拘束室Cにいて倒れているわ。生きているから安心して。侵入路は倉庫から見て右手のDエリア東側通用口の横が機械室よ。そこの壁を破って入って。排気口があるからそこからいったんエレベーターホールの真下へ出て地下まで降下。そこの排気口から南へ二五メートル進んで左の排気口に入った一五メートル地点がボスのいる部屋よ」

 洋介と深田が前回、ドリーマーが侵入したときに作成したビルの内部図で位置をチェックして行動開始した。機械室の鉄扉の蝶番をブラウンガス・バーナーで焼き切り、扉ごと外して中に侵入し、扉をもとに戻して確認した通りのコースを辿った。管理ビルのセキュリティは一般のものと変わらず、侵入が発覚することはなかったが、工作員らがいる地下三階に限っては別だった。

「おい、排気口に鉄格子があるぞ。警報センサーも仕掛けられているかも知れない。前回の侵入で護りが固くなったんだ」
「チーフ、どうする」
「葉子、別の侵入口はないか?」洋介が思念を送った。

――エレベーターホールからそのまま通路に出て。左右の壁の上に監視カメラが二台あるから気をつけて。私が合図したらすぐに脇の通路に入って。タイミング五秒ほどよ。いい、合図したらホールに出るのよ。
「通路を行くしかないか。わかった。頼む」
――ホールから通路を真っ直ぐ南へ進んで、右手の脇通路に入ったら奥の三番目がボスのいる部屋。その奥隣の拘束室Dに入って。鍵は開いてるから。
「ホールに出る用意ができたぞ」
――待って、まだよ。
 葉子は監視室のモニターを見ている男の横にいた。男が十数台並んだモニター画面の端に目を向けた。
――今よ、ダッシュ!
 その声に合わせてホールを駆け抜け、次の通路の曲がり角まで来ると、また指示を待った。
――そのまま行って!
脇通路を一五メートル進み、拘束室Dに入った。ふたりの心臓が激しく波打っている。姿なき葉子も動悸が高まったような感覚に襲われていた。
――よかった、気がつかれていないわ。
「助かった。ありがとう」
 拘束室の排気口には鉄格子はなかった。塞がれているのは外部からの侵入に対してだけだった。ふたりは排気口から天井裏へ上がり、待ち伏せていた。一〇分ほど経ち、下の部屋で気配がした。

 杉山泰子が入ってきて、倒れたままの吉川に話しかけている。
「余計な話をするからよ。いい、もう抵抗しても無理だから」
 杉山が手に注射器を持っていた。通常ならば薬物を扱うのは別の専門官だが、杉山自身で扱うには理由がある。自分の個人情報をしゃべられるのをほかの部員に聞かれたくなかったからだ。ロバート・スズキは先ほどの映像を消去する作業にかかっていた。杉山ひとりでこの場を処理しようとしていた。監視モニターも切られている。

「ああ、わかっている。自白剤か何か打つんだろう」
「今の痛みも消えて楽になるわよ」
「なあ、頼みがある。それを打つ前に素のままで少し話したい」
「今更何を話すことがあるの?」
 杉山が笑って注射器を机に置いた。
「俺の君への恋愛感情について」
「えっ、何を言ってるの?」
「人の想いというのはふしぎなものなんだよ」
「意味がわからない」訝しげな表情の杉山が、「ああ、あれね」と思い出したように言った。闇酒場で盗聴していた話だ。

「俺は気丈な女が好きなたちでね。公園村であんたのことを見て以来、惚れちまった」
「あら、あなたは佐藤ゆりが好みなんじゃない?」
「おネンネには興味はないさ。俺はあんたのような大人の女が好きだ。俺がずっと独身を通して来たのも理想の女に出会うためだった。それが杉山泰子という女性だったということになるな」
「よくもまあそんなセリフが言えるわね」

 女というものは男に褒めちぎられて嫌な気持ちにはならない。ただ、余りにも唐突すぎ、吉川の言葉に対応できないでいる。血なぶられた吉川の身体から男の体臭とズボンのポケットの中で佐藤ゆりから受け取っておいた香水瓶のフタが開き、得も言われぬ香りが漂い始めていた。杉山の脳内にホルモン物質が分泌され、すでに興奮状態に陥っている。

「なあ、取り引きしないか。俺を逃がしてくれたら組織のことを全部、話すよ。それから皇居前の決起集会も中止するし、あんたの組織に協力してもいい」
 床に横たわり、腫れ上がった顔で懇願するように吉川が言うのを、何でこの男はそんな話をするのだろうかと杉山はふしぎそうな目で眺めていた。

「あなたの目論見は読めないわね。でも仮に本当に話すなら聞きましょうか。あとから自白剤で確認すればいいから」倒れた吉川を抱き起こして床に座らせた。「このほうがしゃべりやすいでしょ。さあ話して」
「ああ。極秘指令コード1414発令」
 杉山がキョトンとした顔をしている。
 吉川が繰り返した。
「極秘指令コード1414発令 杉山泰子さん、僕と結婚してくれ。僕は泰子を一生大切にすると誓う。だから結婚してほしい」
「はあ? 何を言っているのか私にはよく理解できないんだけど何だか変な気分になっちゃうじゃないの。ねえ、どうしたらいいのよ」杉山の口調が変化していき、モジモジし始めていた。

「結婚してほしい」もう一度、吉川が真剣な声で言った。
「結婚って私にはもう結婚なんてないの」結婚という言葉は、ロバート・スズキと同棲した短い時期に胸に描いたキーワードだった。その相手の男が工作員と知り、幸せな結婚生活などというロマンスは微塵も残らず消え去っていた。

「おまえのためなら死んでもいい」
「ほうとうに死ねる?」
 杉山がバックからピストルを出して吉川に向けた。とたんに杉山の脳内ホルモン物質がドッと溢れ出た。引き金に当てた指先がビリビリ震え、腕を伝って胸奥に達し、電流のような震えが背骨から下半身まで震わせている。ヨガでいうクンダリーニの部分、骨盤の奥の一点だ。耐え難い興奮が、全身を貫き、脳内に溢れ出していた。

「極秘指令コード1818発令。脳内ドーパミン分泌遮断。代わって快楽ホルモン分泌せよ」
 操り人形の糸が切れたように杉山泰子の身体から力が抜け、その場にへたり込んだ。
「なに、なに、なによコレ。あーん、気持ちいいわ。ねえ、ねえったら」
「泰子ありがとう」吉川が微笑んで手錠された両腕を突き出した。それを杉山が緩慢な動作で解いてやった。
 吉川がポケットの香水瓶から手のひらに液体をこぼし、首筋にたっぷり塗った。
「私を好きにして」杉山がとろんとした目で吉川を見つめている。
「静かにこの部屋で俺を待っててくれ」

 杉山泰子は夢遊病者のように突っ立っている。吉川が手のひらを首にまわし、そっと口づけをした。たったそれだけで杉山は全身をプルプル震わせ異常な快感を覚えている。
「あなたがほしい」
「きっと迎えにくるからな」

 石井洋介と深田勝の手筈で排気口から無事に脱出した吉川重則と佐藤ゆりは、岸壁に待機していたゴムボートに乗り込んで東京湾を突き進んでいた。闇の中、潮風を受けながら吉川が誰に向けるでもなく言った。
「何だか結婚詐欺したみたいな罪な気分だな」
「天井裏で聞いてたけど真に迫った演技でしたね」洋介は張りのある声だ。「騙し騙されの世界で生きている工作員も、ドリーマーには勝てないってことですよ」
「でもな、本気で演技していたらどこかで本当にそうかとも思えてきたな。やはり人間の感情というものはふしぎなもんだ。本当はこんなつまらない争いなど止めて愛し合えればいいのにな。あの女もマインドコントロールなどに足を突っ込まないで真っ当な研究だけしていれば、今ごろはアメリカででも平和な家庭を築いていたかもな」

 肩の力が抜けた吉川の声が、ドリーマーたちにはいっそう寂しいものに聞こえた。
「ボス、あと三日ですよ。皇居前で一〇〇万人が大声を上げるまで」腹からの声で洋介が言った。
「できるならあの女も救ってやれればな」吉川が大きく溜息をついた。
 洋介の横に座っていた真理恵が「夢を支えるのは愛の力しかないのね」とぽつりと言って、その声が東京湾の闇に溶けていった。後には臨海公園村の建設予定地が黒い影を落としている。

 今ごろ杉山泰子は虚ろな目でひとり部屋に突っ立ち、それを発見した工作員らが大騒ぎしていることだろう。マインドコントロールのエキスパートがマインドコントロールに掛けられているのだ。これほど皮肉なことはない。あの大柄なロバート・スズキという男も臍を噛んでいるに違いないが、簡単には手出しができないということも知ったはずだ。暗殺行為に走れば自分たちの個人情報が公開され、そのことが組織上層部に発覚すれば自分たちの保身すら護れなくなる。この作戦は高野隆が立てたものだが、予想以上に効力があるものだった。それは他者の精神に侵入できるドリーマーだからこそ可能な方法である。武力で戦わない者は、情報戦こそが強力な武器となるのだ。

                  ○○○

 八月一日、早朝五時――
 皇居のある中央区へと、新宿区、文京区、台東区、中央区、港区の四方から無数の人間たちが人垣となり、ゆっくりと歩みを進めていた。ホームレスの男女、労働組合団体、さまざまなNPO団体、一般市民、子どもの手を引く母親の姿もある。多くの学生たちも見受けられる。

 誰もみな無言である。アスファルトを擦る足音だけがビル街に響き渡り、あたりを異様な空気が支配している。吉川たちドリーマーは靖国神社を越え、やがて九段下の内堀に沿って歩いている。
 その集団が竹橋に至り、国立近代美術館前で大勢の人々と横一列に並んだ。皇居側にはおびただしい数の治安部隊員が並び、こちらを睨んでいる。それ以上は近づけないといった距離にまで迫り、デモ隊は一斉に隣同士で手をつなぎ始めた。皇居は完全に人の輪で囲まれた形になった。
 人の数は定かではない。三〇万人なのか五〇万人なのか、一〇〇万人に達しているのか、その数は問題ではない。ここに集まり、皇居を囲んだことに意味がある。無言でいることの威圧は想像を遙かに絶している。

 治安部隊の各ブロックからデモ隊への要請が拡声器で流れ始めた。
――デモの参加者に告ぐ。不当行為、破壊行為に出る者はただちに検挙する。皇居側に進んだ場合も同様である。それ以上、近づいてはならない。

 拡声器の声が止むと、また沈黙が辺りを支配した。
 吉川重則が右隣の河口真理江の手と左隣の石井洋介の手を振り上げた。それに合わせて工藤香織、高野隆、野川典子、深田勝、芦沢忠彦、佐藤ゆりらドリーマーたちの両腕が手をつないだまま振り上げられ、横につながった人々に連動して波のようなうねりとなって皇居の周りでひとつの生き物のように動き続けている。
 ただ、それだけだ。だが、それだけのことが饒舌なのだ。

 対峙する治安部隊員も、彼らが何を訴えているのかがよくわかっている。また、皇居の中にいる天皇もわかっている。国会にいる政治家も官僚もわかっている。国家安全保障局の情報部員らの中に杉山泰子の顔もあり、その杉山もわかっているのだ。
 決起集会の主旨として、ネット上で宣言した文章を読んでいるからだ。

――われわれは人として生まれ、人として日本で生きてきて、人としてまっとうに扱われる人生を望んでいる。世界経済が崩壊したからといって国家が解体され、世界統一政府により人民が選別されて奴隷のように扱われることを認めるわけにはいかない。法律は人間が作り、人間を管理するものとして働くが、その社会法規の前に自然法というものが存在しているのだ。命が命を生み育て、それが連綿とつながって豊かな世界を創っている。その事実からもたらされるのが自然法である。人類はみな兄弟というが、兄弟を騙し、隷属させ、命を奪うことは自然法を無視する行為にほかならない。なぜなら自然とは命そのもののことを示すからである。その自然法とは命を守り育むために存在するからである。地位、権力に関わらずなんびとも自然の外に出ることは出来ず、ゆえに自然を犯す行為は破滅への道なのだ。自然の摂理に逆らう者はやがては自己破壊を起こす運命にあることを忘れてはならない。
 われわれは今日、皇居前において、この自然法に基づき、日本国政府に対して人民選別政策を撤回することを要求する――

 これがネット上で宣言した文章だった。政府関係者であれば全員が読んでいるはずだ。皇居前でがなり立てる必要もない。また、大声を上げたところで、その声が耳に届くこともない。騒ぎ立てるのは烏合の衆のすることだ。敵対対立するデモなど愚の骨頂。それが「ネット人垣作戦」の最も要となる約束だった。

 また、大阪でも大阪城を囲んで同様の決起集会が開かれていたし、広島、長崎では原爆記念公園で、沖縄では首里城で、あとの地方は小規模であっても同様の決起集会がおこなわれていた。つまり日本全土で、自然法に基づき生きる権利を主張する人々が集まり、日本国政府に宣言したのである。

 この日の様子はテレビ新聞各社が報道し、世界へ配信された。だが、宣言文の全文を掲載したり、読み上げるマスコミは皆無だった。掲載されたのは「ホームレスの生きる権利を守り、対応を日本国政府へ要求」といった要約のみだ。公にされていない人民選別政策などとは何処にも記されていなかった。その代わり、ネット世界では全文が貼り付けられてさまざまなページで紹介されていたし、英文翻訳にして海外へアピールするホームページやブログの管理人もいた。

 今や、ネット世界を知らない者たちとの情報の温度差は歴然としているのだ。そして情報を管理することが最大の課題となっている権力機構、組織にとって、これほどやっかいなツールはないのである。このインターネット世界を管理するなら、すべてのプロバイダーを国営組織化するしか手がないだろう。すでにそれに向けての法整備は着々と進められている。と同時に、ネットは監視され、一部は操作されていた。一般民が情報を遮断されれば、二〇XX年には完全に情報が管理された世界が誕生することになる。

 それを阻止するべく彼らドリーマーの闘いは始まったばかりだ。世界統一政府の野望があるかぎり、脳内から情報を収集するドリーマーの活動が終わることはない。

                 ○○○
                                 
 ゼロの間に、ゼロゼロKYこと山田一雄は、久しぶりに戻っている。
 M師を前に、堰を切ったようにしゃべった。
「いやーまいった、もうダメだと何度思ったことか! まさかドリーマーなんてもんが自分だけじゃなくてあんなにいるとはねえ。でもみんな俺なんかより堂々としてカッコ良かったな。でも、この先どうなっちゃうんだろうか。俺まだ何もやれてないしな」

 ゼイゼイいいながらしゃべっていると、M師が言った。
「未来はまだ何も決定されていないぞ。さまざまないろんな未来が訪れる可能性だけがある。おまえさんが何を想い、志向して試行するかによって未来が今となり過去となるんじゃ」
「ああ、そうね」
「終われば、始まる。生命のスパイラル、らせん階段じゃ」
「その階段を登ったらどこへ行くんだろう」
「どこへ行くかはおまえさん次第」
「次第ってもな、わかんねえなあ。どうなるの?」
「おまえがわからんもん、わしもわからん」
「そう? あんた神さまエージェントじゃないの」
「そうでもあり、そうでもない。おまえもそうじゃ」
「また、なぞなぞか。まあ、いいさ、なるようになってなるようにするさ」
「始まったばかりじゃ。常に始まりじゃ」
 M師が大きく欠伸をしたので、俺も眠くなってきた。終われば始まるのだ。その前に少し眠っておくことにしよう。ということは、二〇一一年の今、起きるということになるのだが。
「なら、寝る前に今回のドリーミングのちょい先まで話して物語をいったん締め括っておくか」
「そうしときなさい、ほっほっほおー」

 さて、あれからちょっと先でどうなったか、簡単に報告しておこう。
 皇居を取り囲んだドリーマーの「ネット人垣作戦」は、情報拡散手段として想像を超えた効果を発揮した。インターネットに縁遠い一般大衆も、これほどの規模で公にアピールされればさすがに国家体制の異常事態に気がついた。公園村移転計画は、直後の臨時国会で大問題となり、計画の見直しがなされた。政権与党に限らず野党ともに議員の中には国際秘密結社に通じているものも少なからずいたが、国会審議を無視して法案を通過させる暴挙に出るには無理があった。ネット情報のうわさとはいえ、住民を選別した階級制度のもとで強制収容するといった前世紀的な施策は倫理以前の問題であり、いわば二〇〇〇余年の歴史を持つ日本国民を抹殺する行為だとして糾弾されて当然であった。

「首相、これはどういうことなんでしょうか? これは前代未聞の、お答えいただけますか」
――民主自由党総理、大国忠君
「今、議員がおっしゃったとおり、我が国始まって以来の、事態でありまして、事の終息を現在、全与党で調整しておるわけでして。また、発端になったこのネット社会というものが今後、どのような禍害を生み出すかが議題の焦点ですが、コンピューター社会が抱えた問題を、どう我々が処理するかに、全てかかっていると思います。今後、どう処理するか検討段階に入っておるところです」

「本当ですか? こんな事態が起こるとは、国の崩壊であります! それを総理はお分かりなんでしょうか。わが党としてはもはや任せておくことは出来ない。解散総選挙しか有り得ない。どうお考えですか?」

――民主自由党総理、大国忠君、お答え下さい。
「私は一国の代表者として出来うる限りの事はして参りましたが、みなさんも官僚の方々もそれはご理解頂けているはずです。しかし、ここまでになるとは想定外の事態と申しますか、全く予測不能でありまして、国民ももっと温和しく指示に従うと思っておった次第でして」

「あなたのその無責任な態度が、指導力を欠いているとは思わないんですか! 最初の戸山公園村でテロ爆発が起こったとき、あなたはどこにいましたか。銀座の高級料理店で女性と酒を飲んでいたのではないですか」

――民主自由党総理、大国忠君。
「あれは、その、部局の職員ですよ」
「それはどこの部局ですか?」
「国家機密に関することですからお答えできません」
「誰でもいいですが、どんな事情にせよ、緊急事態において官邸に戻らず、何時間も女性と酒宴を続けるとはどう説明がつくのですか?」

――民主自由党総理、大国忠君。
「何時間ではありません。連絡が入ってから一時間ほどですよ。当初、誤報かとも、それに酒が少々、回っていてどうしたことか体調不良でした。しかし、いえ、それは言い訳にしかならないでしょうが・・・」
 議事堂内でヤジの荒しが飛びまくり、首相の声がかき消された。議長が、「ご静粛に!」と叫ぶが、ヤジは収まらない。
 大国総理が机を叩き、大声を上げた。
「だったら、誰がどうできるのですか! そもそも自由党もどっとそうだたでしょうが。そう、田吉内閣じゃないが、もう、馬鹿野郎解散だあ! 米国にやられ放題でこの60年もやって来て、誰がどうできたんですか。アメリカの属国で密約だらけじゃないか。体のいい奴隷国家だ。中田首相があれだけ頑張って、あれだけのことだったでしょうが! 逆らえば、みんな潰されるだけだ。ここで、そのことを言っちゃあいけないってルールでしたが、私はもうどうなってもいいんだ!」

――大国忠君、静粛に!
 国会議事堂が静まりかえった。
 誰かが議事堂の机で、「それを言っちゃあ、おまえ終いだよ」とぼやいた。

 大混乱の国会となり、「公園村移転計画」は凍結し、白紙に戻された。が、それでも議会中に「世界統一政府」の語が発言されることは皆無だった。表面上は、「そんなことなど有り得ない」とした世間的常識が覆っている。世界統一政府などと発言すれば一笑に伏され、ほとんどの議員は横を向いてしまう。国会に限ったことではない。地方自治の首長たちの議会でも、同様である。
 実を言えば、野党議員の中で只ひとり、「国際組織が関与しているのではないか」といった質問を首相に投げ掛けたが、代わりに外務大臣が説明し、あらゆる調査機関からそのような報告は一切無いと一蹴した。さらに質問を受けた首相は、自分の命だけは護りたいと思い、そこまでを暴露する気はなく、外務大臣が答弁したとおりだと述べるに終わった。
 かように国会というものは、踊る、どころか空回りの虚実で成り立つ茶番劇の代表舞台である。IQが八〇もあれば、そんなことはすぐにわかる程度のものである。だから、目くらましが必要となり、一般大衆に理解しにくい用語を羅列して、ああでもないこうでもないと語るのが仕事となっているのは、役人からして皆そうなのだから致し方ないと、山田一雄「ゼロゼロKY」として述べておこう。

 さて、国家安全保障局のあの杉山泰子は海外情報部へ移籍し、実質的に東南アジアへ飛ばされて今はマレーシアのクアラルンプールにいる。表面上はアジア圏の情報収集だが、国際秘密結社の任はアジア・イスラム教徒をマインドコントロールして、イスラム系工作員を養成することが主な仕事となっている。プール付きの高級マンションに住んではいるが、北海道生まれの彼女にとって連日、気温三〇度を超える生活はまったく望むべくもないものだ。しかし新宿区にいて敗北の屈辱を舐め続けるよりはマシだと思っているに違いない。なにより、組織から抹殺されなかったのが幸いというものだ。時折ふと吉川重則の残り香を感じるのはマインドコントロールが完全には解けていないからで、現地の若い男をもてあそぶ最中もあの匂いの記憶が蘇ると、殺したい衝動にかられながら吉川に恋い焦がれている。

 国際秘密結社の計画は頓挫し、国際金融が破綻していく状況下で組織的活動は鈍ってはいるものの計画が凍結されることはないだろう。ただ、その時期が数年先延ばしになっただけである。彼らは自分たちの計画全体を一〇〇年単位で考える人種なのである。そういう意味では血の民であり、次の世代が自分たちの計画を履行すると信じている。それを「砂漠の呪い」と呼ぶ人間もいる。古代、自分たちの先祖、イスラエルの民が砂漠へ追いやられた恨みは消えないという。
 そのいかにもといった民族譚もカモフラージュである。白人系ユダヤ人は、そもそも古代イスラエルの民ではない。中央アジアのハザール国、今のコーカサス地方が出自の白人系民族であり、六〇〇年ほど前に国策によりユダヤ教に改宗した者たちなのだ。だから、彼らが帰る地は、イスラエルではなく、コーカサス山脈の谷間である。ふるさとを履き違えたおかしな話であるが、これも気の遠くなるような時間をかけた組織戦略というものである。
 もちろん、そんなことは一般のユダヤ系住民には関係のないことである。民族問題そのものがカモフラージュなのだ。首謀者は誰か。早い話が、金の亡者のネットワークによる世界戦略というほうがわかりいいだろう。崇高な理念も哲学もない。地球のお山の大将になりたいだけの人間たちだ。

 で、さてさて・・・
 気になるドリーマーたちはどうなったか。ホームレスたちは元の公園村に住み続け、半分の土地は農地として耕して野菜類は確保できるようになった。生きるための農業がまさしく村民の生命線なのだ。各地のホームレス村も同様で、今や日本国民の大半が土に生きている。一方、地下基地では吉川重則以下、一三名のドリーマーたちが陰の支援で動いている。政府や裏組織の秘密裏の行動計画をサーチするのが彼らの仕事だ。情報こそがこれもまた生命線なのである。地上での石井洋介は相変わらず食料配給班で深田勝と働いている。工藤香織は出産を理由に国家安全保障局の職を辞退して新宿区役所に戻り、区民支援対策本部の係長となった。洋介と一緒に暮らしながら半年後の出産を控えている。

            ○○○

 十一月初旬の日曜日の朝。ベッドから先に起き上がった洋介が目を醒ました香織に声をかけた。
「お早う香織。お腹の子はどう?」
「調子いいみたい。私も気分いいわ」
「なら散歩しない?」
「そうね。先生が軽い運動はいいって」
「じゃあ、軽く汗流すか」

 香織のお腹は見た目にはさほどの変わりはない。マタニティドレスの時期はまだ先だ。香織もランニングウエアに着替え、マンションを出て早稲田通りから神楽坂へ向かって歩いている。あの夏のうだるような暑さが幻だったように空気が青く透きとおっている。時折、洋介がダッシュをかけて坂道を駆け上がり、ゆっくり歩いてくる香織を待つ。走れば心臓の鼓動がトクトクトクと波打つ。それと同時に吐く息吸う息のリズムが生命の躍動そのものだ。洋介の中で温和しくしているわたしにも、うっすら額に汗をかくのが心地よく感じられる。山田一雄であるわたしとしても肉体を持って生きていることの素晴らしさを今の時代ほど感じたことはない。

 洋介が香織をいたわるようにして歩調を合わせている。
「苦しくない?」
「いえ、とても気持ちいいわ」
「じゃあ、もう少し進もう」
 神楽坂下から九段を抜ければ日本武道館のある北の丸公園だ。木陰のベンチで水分補給をしながらしばらく休んだ。
「どう大丈夫?」
「なんかお腹で動いた気がしたけど。この子もあなたと一緒で走るの好きみたいよ」
「そうかあ。よし、じゃあここがスタート地点にしよう。大会は来年の夏だな」
「ええ、皇居一周マラソンね」
 晩秋の風が吹き、公園の木々をザーッと撫でていた。その風に押されるように洋介がベンチを立ち、香織の手を取って言った。
「そう。これが勝ち負けのない僕たちの東京マラソンさ」
「ゴールは、私たちの中にあるの。未来のゴールはこの子の中にあるわ」
 香織がそっと自分のお腹を撫で、大きく息を吸って大空に向け、ゆっくりと吐いた。

(新宿編 おわり)


そろそろ終章

2011年07月26日 22時57分25秒 | 航海日誌
『ドリーマー20XX年』新宿編は、あと1回で終章となります。タイミングを見計らったわけではなかったのですが、物語のラストは8月1日なので、その直前の7月30日(土)に掲載しようと思います。

この終章は、2010年の春に書き上げました。当時、この日本がどうなるのだろうかと思いつつ。きっと食糧問題が起こって、これまでの贅沢な暮らしは出来なくなるんじゃないか。お米不足が深刻になると直感していました。何かに突き動かされるように書いていたのを思い出します。

もう数年でアメリカは1ドルが70円になって、デフォルト(国家破綻)し、その煽りで日本も大変な事態を迎えると、このブログで書いています。そんな頃に書いた物語でした。近未来ですから、2010年プラス○年で、「20XX年」です。私の頭には○年がありますが、予言ではないので、XX年としました。

世の中がどうなるのか・・・それもテーマですが、なにより一人ひとりの人間のこころの中の広大な夢世界がテーマです。下世話で猥雑なゼロゼロKYの、ひとしずくの純粋さ。それを感じてもらえたら本望です。


生きる

2011年07月25日 22時55分53秒 | 航海日誌
科学的思考、哲学、心理学、倫理学、宗教学、どんな学問も効きません。思考を巡らせても、知を振り絞っても、どうどう巡りです。なんだか偉そうな気分になるだけです。

そんなものより、ごくごくふつうの感覚、感情、良心で、今の世を眺め、自分のこころに照らせばいい。

いのちは有り難い。皆のいのちは尊い。親から生まれ、生かしてもらって、また子らのいのちを育み、一生懸命、生きていることの素晴らしさ。この地球でそうして生きていることの喜び。些細で粗末なあれやこれやがたっぷりの毎日であっても、掛け替えのない時々を刻んで、生きている。

それだけなのだろう。生きている今を有り難く感じるか、どうか。ただ、それだけなのだろう。原発の禍害も、ひとつの経験でしかない。生きていることのたった今を覆されるものではない。


ドリーマー20XX年 17章

2011年07月24日 21時14分35秒 | 近未来長編小説『ドリーマー20XX年』
【あらすじ】
新宿で働く安サラリーマン、山田一雄45歳。将来の希望などさしたるものもない独身暮らし。楽しみといえば給料日に歌舞伎町のキャパクラへ行くことぐらいだった。この男がある日、奇妙な夢を見始める。白髭の老人との対話の末に、夢旅行へ誘われ、時空を超えた旅が始まる。やがて辿り着いた世界は、20XX年の新宿だった。

(右下の欄のカテゴリーで、1章から順にお読みください)

今夜は、私の特別な感情で、この章も掲載します。

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~~17章~~


 真理恵を介して葉子が語った杉山泰子の話は、ドリーマーたちのさまざまな疑問を晴らす内容だった。先日、吉川が侵入した臨海公園村管理ビルで秘密会議が開かれたが、そこに出席していた連中は表には顔を出さない裏社会の人間で、中央で話していた男の名は杉山泰子にもわからないようだった。ただ、公方様という仮の呼び名があるだけである。白髪の老人は西の総代様と呼ばれていた。ほかの日本人たちも同様で杉山は名前を知らなかった。また、列席していた三名の外国人は国際秘密結社の工作員だ。彼らは日本を担当しており、日本人幹部への結社中枢からの指令や、計画進展の確認をおこなっていた。

 工作員の一人に過ぎない杉山自身は戸山公園村攻撃計画の報告をしたのみで、本会議には出席していなかった。ゆえに、彼らが日本全土をどのように改造しようと考えているのか、計画の深部までは不明だ。杉山が把握しているのは、東京都の公園村住民を選別し、ウイルス感染させて3分の2を処分するということだ。これに端を発して、ウイルス感染が拡大してパンデミックと呼ばれる感染爆発を日本全土に起こそうとしていた。この計画で人口統制をおこなうのである。その予定は臨海公園村移転が終わった晩秋ごろとし、期日は決定されてはいない。

 それから戸山公園村を攻撃した目的は、村民選別を早めるのは二の次で、狙いはドリーマーを一掃するためだったとわかった。国際秘密結社の日本支部の連中は、杉山ら工作員に抵抗勢力の排除を命じていた。ただし、ドリーマーという特殊能力を持った集団だとまでは把握していない。だが、ふつうの人間たちではないとは考えており、訓練を受けた特別な集団と捉えている。よって工作活動は綿密に計画され、グランドクロスなどの外部集団を使い、何重にも攻撃を仕掛けている。

 杉山泰子は国家安全保障局の情報部員である。この組織は、国会決議で誕生している正式な国家機関だ。では、なぜ杉山が国際秘密結社の工作員でもあるのか。この疑問も解かれた。国家安全保障局の内部に、組織内組織が作られているのだ。もともと国家安全保障局の前身は警視庁公安部であり、すでに公安組織時代にその萌芽があった。国際秘密結社の工作員として公安警察官に潜入し、課長職にまで登り詰めた杉山は、部下をマインドコントロールしながら組織内組織を作り上げたのだ。その後、ドリーマー捜査が目的で新宿区役所に席を置き、戸山公園村を調べていた。吉川重則をマークしており、工藤香織を配下に置いた。それから都庁舎に置かれた国家安全保障局の準備室へ移転し、山本邦彦本部長の直属となった。だが、組織内組織の工作員間においては課長職の杉山泰子がトップである。もちろん本部長はそのことを知らない。

 その後の計画では国家安全保障局が都庁隣に建設され、杉山が情報部の部長職に就任する予定となっている。もちろん、任務を遂行できなければ杉山の昇進は保障の限りではない。臨海公園村管理ビルでの秘密会議の折、公方様と呼ばれる男から、もう次はないと思えと言われたのはそのことだ。次とは、役職を降格されるばかりか、将来の身分保障についても含まれている。世界統一政府が成立したあかつきに、上級民Aとなることが最大の望みなのである。上級民Aであれば個人生活を享受でき、望むエリアへの移住も可能だ。中級民B以下となれば、決められたエリアから出ることができない。住居も決められ、結婚もできないばかりか優性遺伝子が選別されるため女性は自由に子どもを産むこともならない。そういった事々が計画の中に細かく盛り込まれているようだが、杉山の脳内データから拾い上げた主だった内容は、それだけでも充分にドリーマーたちを驚愕させるものと言える。

 では、なぜ杉山泰子という人間がここまでの働きをするのかといった疑問もあった。
 それは、彼女の留学時代に形成された知識と経験に基づいたものである。国費でハーバード大学医学部へ留学し、大脳生理学の博士課程へ進み、やがて脳機能の研究に進んだ。IQ140を超え、その類い希な才能が国際秘密結社のひとりの目に留まり、組織から研究費を供与され、マインドコントロール技術開発に携わるようになった。当時、マンハッタンに暮らしていた杉山は工作員の男と恋仲となり、肉体関係を持った。一度の懐妊があり、組織により堕胎を命じられた。そして、彼女自身が組織のマインドコントロール下に置かれたのである。相手の工作員は日系人のロバート・スズキといい、戸山公園村で谷田部を狙撃したあの大柄な男だ。杉山が工作員としての格闘技習得もこの時代のものだった。アメリカ本土での諜報活動を経験した後、ロバート・スズキと共に日本での工作活動に就き、杉山はCIAお墨付きのマインドコントロールのエキスパートとして警視庁公安部へ入所したのである。

 以上が、杉山泰子の脳内のワードを繋ぎ合わせ、真理恵が語った情報だ。ただ、真理恵は杉山の洋介への偏愛については伏せていた。ここに洋介は同席しておらず、読み取った情報としてそのことも伝えるべきだったが、葉子の感情がそうさせたのだ。

 この話を聞き取って吉川らが理解したのは、国際秘密結社の指示で杉山ら工作員が動いている事実と、さらにほかにも工作員メンバーが各省庁に潜入して組織内組織を作っているという可能性だ。そうした官僚機構だけでなく、政党内にも杉山同様の工作員が入党しているかも知れないし、工作員という形ではなく、収賄や脅しによるコントロールを受けているとも考えられた。杉山泰子のマインドを改造し、日本へ送り込んだのは一〇年前となる。杉山も氷山の一角だろう。国際秘密結社は何年もの時間をかけて計画を遂行しているのだ。

            ○○○

 杉山は鎮静剤を打たれ、診療ベッドで眠っていた。高野がマインドコントロール・システムの準備ができたと伝えると、吉川がベッドを押して隣の部屋へ運び入れた。
「どこまで有効かわかりませんがやるだけやってみます」と高野が言いながら、杉山の胸を開くと細身のわりに張りのある乳房がこぼれ出た。高野が慣れた手つきで乳房のまわりにモニターセンサーを貼り付け、頭部を装置で覆ってスイッチを入れた。ブーンという鈍い音が響き、杉山の目にシグナルが点滅した。

「この女がドリーマーならな」と吉川が言って溜息をついた。「奴らのマインドコントロールに上書きしてもどうなるかわからん。高野が言うように保険だな」
「これは脳内の情報処理ミスを起こさせるバイオフィードバック・システムで奴らの強烈なのとは違いますからね。ただ、脳内ホルモンが異常分泌されて興奮状態になったときに逆にドーパミンが減少するように設定していますから、たとえば戦闘などの危険行為になると気持ちが萎えちゃうはずです。また、別の指令コードを伝えれば一気に快楽ホルモンが分泌されますから、今度は戦う相手に強烈な好意を抱くとか、まあどうなるかわかりませんがストップ機構にさえなればいいんですから」

 システム装置で顔を覆われた杉山がベッドの上で身体をもぞもぞと動かしながら何かに抵抗し、呻き声を出した。
「ううっうーん、嫌よ、ねえもう嫌」
 その艶めかしい声を出すさまを見て、吉川がどんな圧縮映像を脳内に注入しているのかと高野に問うた。
「ま、性欲に関するものですよ。国際秘密結社の恐怖でマインドコントロールされているものにどのくらい効くかわかりませんけどね。あと、匂いの記憶も注入しておきましたから。一応ね、男の匂いですけど洋介のシャツの汗から抽出したやつ。おれのでもよかったんですけど惚れられてもね」
「洋介に惚れるのか?」
「いえ、そのときそこにいる男なら誰でも」
「そんなので効果があるのか? 冗談ではないんだぞ」
「コレ真面目にですよ。感情を左右するには効果あるはずです。たとえば惚れた男に頼まれたら断れない女だっているじゃないですか。任務に逆らってでも助けようとするはずですよ」

 高野の説明に、吉川も納得した顔になった。かつてキャパクラを経営した時代に、そのことは嫌というほど実感していた。毎晩のように高額な代金を支払い遊びに通う男たちと、それを手玉に取って稼ぐ女たちの姿。だが、ときにその高邁な女も男に惚れるとあっさり騙され、貯め込んだ金を男に貢いだりもした。そのことをふと思い出し、吉川は遠い記憶を懐かしく感じた。今思えば、あれはあれで、たわいのない平和な時代だったと吉川は想った。

 マインドコントロールというものは、人間の不安定な精神に効くのだ。どんなに頑強な精神であっても、必ず個人的な感情の弱みがあり、その隙間に注入する蜜のようなものと言えばいいだろうか。その蜜がどうしても吸いたくなって、その先にあるものがたとえ嘘とわかっていても吸わずにはおれなくなる。むしろ、虚構とわかっているからこそ、その手前にあるものを吸うのだ。もしかすれば、自分だけは甘い蜜が吸えると過信して。そして、そうはならないと何度も何度も思い知ることになるとわかっていても。だから、マインドコントロールは自らがそうなるようにコントロールしている精神の牢獄なのである。

 一般人は、そのようなぎりぎりの状況下に身を置くような経験がないから、それほどの強烈な蜜の味があることを知らない。いや、知らないということさえ知らない。ゆえに想像もできない。そこには、表と裏の境目となる大きな壁が隔たっている。世間で超エリートと呼ばれる人間たち、さらに裏側で動く杉山のような人間は、これまでにも何度もその蜜の味を舐めているのだ。彼らのように後戻りの叶わない道を歩く者たちこそ、最もマインドコントロールに掛かりやすい人種といえた。掛からずにはおれないのだ。

              ○○○

 日が傾きかけた夕刻には、戸山公園村に潜伏したグランドクロスの信者たちは治安部隊によりほとんどが逮捕されていた。その後の杉山からの指令がなく、会長の黒崎はただ信者たちに攻撃を命じたままでいた。本来であれば残りの信者を使って、毒ガス攻撃を仕掛ける計画もあった。戸山公園村を壊滅させてその恐怖を各公園村へ伝播させ、その後の計画を円滑に進める手筈だった。臨海公園村へ移され、選別後に残った者が下級民Cに認定され、肉体的労働者階級になる。つまり奴隷階級と同じである。

 だが、司令塔の杉山泰子が姿を消し、指揮のないままグランドクロスは一斉検挙され、黒崎も信者と共に拘置所へ移送されていた。村民と信者双方に死者が数人と怪我人が数十名出た。ケガの軽い者は救急班により治療を受け、大型仮設テントに収容されていた。

 まだ騒然とした空気が辺りに漂うなか、対策本部テントに突然、杉山泰子が姿を現した。
 山本本部長が声を上げた。
「おい、こんなときにどこへ行っていたんだ!」
「申し訳ありません。具合が悪くなってクルマの中でした」
 杉山には自分の記憶が何も残っていなかった。ただ、腕に注射痕があることから睡眠剤を投与されたのだと判断していたが、その事実は山本に伏せていた。
「大丈夫なのか?」
「はい。少し頭が重い程度です」
「医療班に診てもらったほうがいい」
「いえもう平気です。で、現場はどうなりました?」
「やっと白装束の連中を捕まえて事態を収拾させたところだ。しかしあんな連中が現れることを君は何も掴んでいなかったのか?」
「すみません。情報収集担当の私の責任です」
「で、一緒だった工藤君はどこだ?」
「私と一緒に?」
「彼女も戻ってない。連絡も取れんしどうなっているんだ?」
「そうですか」杉山にも状況が掴めず、狐につままれたような気分だった。「では探してみます。もしかして乱闘に巻き込まれたのかも知れません」

 テントを出ようとする杉山を山本本部長が制した。
「君は本庁に戻って待機してなさい」
「私は大丈夫です。グランドクロスの信者と黒崎という会長も移送中ですか?」
「そうだ全員を検挙した」
「それは良かった」と杉山が心中とは逆に胸を撫で下ろす仕草をした。「カルトというものは何をしでかすかわかりません。もう、潜伏している者はいないのですか」
「治安部隊と当局部員が徹底捜査しているから心配はいらん」
「わかりました。では本庁へ戻っています」
 そう言って杉山が自分のクルマへ足を向けると、山本本部長がもう一度、声をかけた。
「君は無理をし過ぎだ。医療室へ行くんだぞ」
「ありがとうございます。本部長もお気を付けて」
「ああ、ここが片づいたら戻るよ」
「お待ちしています」
 
 杉山泰子がハイブリッドカーのキーを回すとカーステレオからジャズが流れ始めた。タバコに火を点け、吹かした。頭がクラッとした。もう、何時間もタバコを吸っていなかった。
――自分はどうなっていたのだろう?
 記憶をまさぐるが何もなかった。記憶消去・・・もしや、マインドコントロールかとも思った。自分の専門なのだ。であれば、秘密組織の連中にやられたことになる。工藤香織も姿を消している。石井が奪回したのか。杉山の頭の中で思惑が巡るがポッカリとした空白だけがある。

 夕闇に包まれた大久保通りへクルマを滑り出させ、アクセルを踏んだ。いったん道の中央を飛ばし始めた杉山が急にハンドルを切り回し、タイヤが悲鳴を上げた。反対車線に出てすぐに首都高へ乗り入れた。アクセルをいっぱいに踏み込み、湾岸道路へ向かった。ハイブリッドカーのエンジンがシューンと静かな回転音をさせ、一気に加速してメーターの針が時速150キロを示した。右手の防音壁が後ろへ飛ぶように流れていく。前を走るクルマに突進し、前方のクルマが左へハンドルを切った。マイルス・デビスのトランペットが大音量で流れている。自分の苛立ちを消し去ろうとしていた。

 石井洋介に負けたと思った。いや、香織に負けたのだと思った。今の自分が臨海公園村管理ビルへ行って工作員に会い何を報告するというのか。「後はないと思いなさい」と言われた幹部の声が耳に残っている。どこへ行くあてもなかった。広い湾岸道路をただ走り続けていた。脳内ホルモンが溢れ出ていた。ふと、ロバート・スズキの顔が浮かんだ。わずかに残っていたアクセルの遊びを踏み切った。メーターが一九〇キロに達し、二〇〇キロを超えた。前を走る大型貨物トラックの赤いテールランプが目に入った。瞼の中でロバートが薄笑いしている。負けたくない。誰にも負けたくないと思った。眼の前にトラックの後部バンパーが直前に迫った。寸ででブレーキを踏んだ。アンチロックシステムが作動し、クルマが左右に蛇行しながら突き進み、三〇〇m先の路肩に止まった。

 固くハンドルを握った杉山の目から涙が溢れている。トラックが敵だった。ぶっちぎるはずだった。恐くはなかった。突然、感情が萎えたのだ。
「ワーッ、ワーッ」と声を張り上げ頭を掻きむしった。叫ぶたびにマイルスのトランペットが呼応するかのように鳴り響いた。

 杉山泰子は感情のやり場がなかった。敗北という言葉すらなかった。未来もなかった。今、このクルマの中で嗚咽している自分がいるだけだ。もう時間はない。戦いに勝つ。それだけが向かう場所だった。

               ○○○

 地上では村民が恐怖にかられ、すでに公園村を逃げ出した者もいる。どこへも行けず、戸山公園村に残った住民はわずか一〇〇〇人ほどになっていた。逃げた彼らは近くの新宿御苑村へ入ろうとしたが門前で警備兵に阻止され、路頭をさまよっていた。だが、路上でのホームレスは禁止され、ビルの脇で寝ていると捉えられ、臨海公園村に居住エリアとは別に建設されている収容施設に移送される。まるで放置自転車の扱いのごとくだ。

 ホームレスの中には、すでに都内から脱出して千葉や埼玉、神奈川の山中へ逃げた者もいた。まだ数は少ないが彼らは森の中で暮らし、野山で採った野草や獣の肉で命を繋ぐ原始人さながらの生活をしていた。これが後に番外民Zと呼ばれる民である。20XX年の時点では住民として認められていない人間たちで、一切の権利を剥奪されている代わりに野山で自由に暮らしているが、都市部との接触があれば排除、つまり抹殺される運命にある。

 グランドクロスの襲撃から一夜明けたが、戸山公園村の地下基地は警戒レベル3のままである。司令室前の会議コーナーにドリーマー全員が集まり、これからの行動計画を検討していた。
「ついに局面を迎えたな」吉川が重い声で言った。
「予測できない展開ですよ」高野の声が弱い。「まさか公園村に人海戦術の攻撃を仕掛けるとは・・・」
「いまさらですが」と野川典子が口を挟んだ。「杉山を拉致したままのほうがよかったのではないですか? また何を仕掛けてくるか」
「いや、杉山は工作員の一人に過ぎない」と吉川が言った。「いなくなればほかの者が代わりをするだけだ。それより泳がしておけばあの女のほうが手の内が読みやすい。それに一応はこちらの仕掛けも施したしな」

 洋介は真理恵と香織に挟まれて会議椅子に座わり、黙って話を聞いている。この先、この自分に何ができるのかわからないでいた。吉川がその洋介をチラリと見て言った。
「工藤さんに頼みたいことがある」重い口を開いたふうだった。「もう一度、国家安全保障局へ戻ってもらえないだろうか」
「どうしてですか」と洋介が声にした。やっと身柄を確保できたと胸を撫で下ろしている彼にすれば寝耳に水の話だった。
「杉山のここでの記憶は消してある。だから工藤君がこちら側だとは知らない。潜入可能な要員は香織さんだけだ。今後の情報を得るにはそれしかない」吉川は感情を殺して事務的にそう言った。

 洋介にも理屈では理解できるが、感情が許さなかった。もうこれ以上、香織と腹の子どもを危険な目に遭わせたくなかった。父親なら当然の気持ちである。
「僕は反対します。何かあって誰が責任を取るんですか」
「それは充分に理解しているつもりだ。だがな、われわれの使命を果たすには危険は避けて通れない。もし真理恵がその任を果たせるなら彼女を行かせるよ。いや、この私が行けるのなら最善だろう」
「なら、僕が行きます。何でもやらせてください!」
「現状では面子が割れているわれわれの中でも石井君が最も不適任だろう?」

 後の椅子で聞いていたメンバーの佐藤ゆりが口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。私ではどうでしょうか」小柄で色白の佐藤が鼻に抜ける声で言った。「以前、取材で杉山泰子に接触したことがあって、顔見知りではあるので近づきやすいと思います」

 佐藤ゆりは一見まだ女子大生に見えなくもないが、年齢は三〇を過ぎている。元M新聞社の記者で、持ち前の粘り腰で取材を重ね、何度かスクープ経験もあった。今は新聞社を辞めてフリージャーナリストの肩書きだ。その佐藤は以前、取材で数回、新宿区役所を訪ね、統括係長だった杉山に「公園村の食料事情」というテーマでインタビューをした経験があった。M新聞社時代のコネを使って取材を申し込み、接触すると提案した。
 それを聞き、吉川が思案顔になった。
「佐藤君ひとりじゃなく芦沢とのコンビでなら許可しよう。まずは君らに動いてもらうか」

 芦沢武彦はカメラマンだ。ふたりならマスコミの仕事をカモフラージュにしても不自然ではない。工藤香織が国家安全保障局に復帰する案はいったん保留になった。だが、それも数日程度のことだ。日を置けば行方不明の原因を疑われ、復帰は不可能となる。香織は自宅へ帰り、本局へ連絡を入れ、妊娠による中毒症を起こしたという理由で待機していたことにすると決められた。その診断書はドリーマーのひとりで医師の小林弘明が書くのである。

 この吉川の提案に反対する者はいなかった。ただ、洋介が納得できないでいたのは無理もないだろう。やはり、20XX年でゼロゼロKYが見た未来の国家安全保障局での上級民Aの杉山泰子と中級民Bである工藤香織の姿は、現実のものとなってしまうのか。その未来を変えるのがドリーマーの使命のはずだ。

 次いで「人垣ネット作戦」に議題が移った。各公園村の解体が進んでいる現状で、それを押しとどめる残された方法は一つしかなかった。これまで「ちゃんねるCO2」を通じてさまざまな裏情報を流し、日本全国のネット読者にアピールしてきたことの総決算である。先日ネット配信した「明日は我が身だ作戦」は継続されており、昨日起こったグランドクロス襲撃事件の映像動画も包み隠さずアップしていた。鮮血が飛び散る場面も含まれ、ネット読者らも仰天し、一晩ほどで数十万回のアクセスがあった。コメントも数千を数えた。ネット世界では完全に精神的な臨戦態勢に入っている。

 この動画もすぐに配信が停止されたが、政府筋にも「ちゃんねるCO2」そのものの文面までは消すことはできない。動画ほどのリアリティはないものの何枚も貼り付けられた写真が現場の惨状を物語っている。また、動画もすぐに転載され、さまざまなホームページやブログに貼り付けられて瞬く間に情報が拡散されていた。

「人垣ネット作戦」については高野隆が中心になって話した。
「反対集会などといった生やさしいものではなく決起集会として各公園村の村民とネット住民が結集するよう呼びかけます。動画を観て怖がる者も多いでしょうけど無抵抗でいると同じ目に遭うと訴えています。日本各地で決起集会が開かれれば政府も無視はできないでしょう。もっともその政府もかなり変質してしまっているので民主主義がどこまで保持されるかわかりません。今、向かっているのは明らかに管理社会主義の国家ですから。やはり最後の最後は戦うしかないでしょう。もう、その次元まで来ていると思います」
 そう話した高野の顔が真っ赤になって興奮が隠せずにいる。

 次いで、吉川が話した。
「その認識は間違っていない。国家安全保障局もすでに内部は国際秘密結社の組織だと考えて妥当だろう。間もなく臨海公園村に村民が集められ人民の選別が始まる。一か所に収容されたらそこでお終いだ。逃げ出すこともできないだろう。そうなる前にすべての人間が結集して戦うんだ。公園村の住人が集まって一〇〇万人が束になれば、重火器でも使わない限り一掃は不可能だろう。どうせ収容所に入れられてウイルスで殺されるなら立ち向かおうじゃないか。それとも奴らに従って奴隷になるかだ。選択の道はその二つしかない」
 話し終えた吉川の顔は青かった。高野の興奮とは明らかに違っていた。吉川は腹の底から怒り、身を挺しても戦う覚悟ができていた。

 高野が話を次いだ。
「新宿御苑村や上野公園村のリーダーたちともコンセンサスは取れています。もう、それぞれの村で反対集会を開いても意味はないと思っていますから全村が結集して治安部隊と対峙する覚悟でいます」
「どこで結集するつもりだ?」と吉川が言った。
「私の意見ですが皇居周辺か江戸城北の丸公園、あそこは聖域として一切、ホームレスを入れませんでしたから決起の意味で都内の数十万人のホームレスが集まればいい。できれば他県のホームレスにも呼びかけて一〇〇万人規模を達成したいと思います」
「皇居か。それは象徴的な決起集会になるな」
「戦後の食糧難のとき皇居に民衆が押しかけて食べ物を要求した騒動があったんです。宮内庁でも皇居内で畑を作って食糧難に耐えていたという話が美談として残っています。でも、食料は潤沢にあったというのが事実でしょうね。飢えるのはいつも人民だけです」
「よし。みんなこの案はどうだ?」と吉川が大声で言った。「異存なければ大決起集会として皇居でやろう。もう猶予はない。開会は一週間後八月一日でどうだ」
「やるしかないでしょう!」と高野が言って拍手した。
 すぐにドリーマーのメンバー全員が拍手した。

「それからもうひとつ重要な提案があります」と高野が続けた。ちゃんねるCO2で、ボスが顔を出して決起表明をしていただきたいんです。これまでわれわれは顔を隠して活動していましたが、もう表舞台に立つ時期に来たと思います。すでに杉山ら情報部員に顔が割れているので地上で動けば即時、抹殺されるでしょう。殺されない唯一の方法は、世間に顔をさらすことです。ネット住民に顔を知ってもらい、何かあったらネットで騒ぐと脅しをかけるんです。それから秘密結社の内部情報を公開する準備をしておき、もし手出しするならネットでばらまくと予告します。これがわれわれの身を守る抑止力になるはずです。このやり方はかつてネットジャーナリストとして闇の勢力と闘った人物の方法論から学んだものですが、実際にかなりの効力が発揮されました。ぜひ、この手を使いましょう」
「よくわかった」と吉川が首を縦に振った。「ではその準備に取りかかろう」

 それから数時間して、「ちゃんねるCO2」に会議で決めた内容が盛り込まれ、配信前にメンバーが確認してから「今日は我が身だ!決起集会」流された。
 トップに吉川が語る動画が付けられている。

「今晩は。私はちゃんねるCO2の管理人、吉川重則です。今日初めてみなさんに顔を明かします。これからは堂々と表に立って闘います。もう少しも猶予はありません。みなさんが思っているよりも事態は深刻だと申しておきます。あなたは奴隷になりますか? 政府はアメリカを中心としたある勢力により国家解体後、国民を統制管理しようとしています。その動きはホームレス戸山公園村での一連の事件でハッキリしました。先日までの動画をご覧になった方々ならばご理解いただけると思います。明日ではなく、今日にもあなたの身に降りかかる禍害です。まだホームレスになっていない方々も、いつどうなるかわかりません。今はまだ詳しい話はできない事情がありますが、第二次世界大戦の時代に起こった悲劇、それは民衆に降りかかった悪ですが、それ以上の事態になりつつあるとだけ言っておきたいと思います。歴史は繰り返されると申しますが、さらに最悪ということもあるのです。それを何としてでも阻止できるのはわれわれ民衆の結束しかありません。黙って従えばその通りになるだけです。沈黙はイエス。同意と見なされるのです。そこで来る八月一日、皇居前にて決起集会を開催します。都内また近県のホームレス並びに一般市民のみなさまも集まっていただき、一人ひとりの人権、生命の保障を勝ち取る表明をしましょう!
 それからこの動画をご覧いただいている中には政府関係者ならびに情報部局員の方々もいるはずですが、私たちがこれまでに収集した数々の内部機密事項に関する表に出たらまずいとお考えの資料をまとめてあり、仮にわれわれに危害が加えられた場合はネット上で公表する準備があります。また、ネットだけでなくDVDにも保存し、保守派の愛国議員や心あるジャーナリストへ送付する手筈も整えてありますので今後のご活動には呉々もご注意いただきたいと思います。
 われわれはインドのガンジー首相を見習い、武器なき戦いをおこなうべく人垣ネット作戦をここに宣言します」

 吉川重則が右手を上げて宣誓したのはアメリカ大統領のパロディだった。その後、両手を揃えて合掌したのは仏教徒としてのまじめな態度であり、最後に深々と頭をさげた。

              ○○○

 翌日になり、メンバーの佐藤ゆりが杉山泰子に電話連絡を取った。M新聞のコラム記事を書くので取材を申し込みたいとの主旨だった。テーマは公園村の食料事情についてである。そのテーマであれば、都庁の公園村管理課か区役所の食料配給課に問い合わせればいいのではと返されたが、佐藤は食い下がった。

「もしもし。それが食料配給の中身がどうこうではなくてですね、実は闇米についてもお話をお聞きしたいんです。確か杉山さんのご担当は闇米ルートの捜査でしたよね」
「あら、そんな話しました?」
「ええ、前に取材のときオフレコで」
「そう。それを聞いて何を書くつもり?」
「じつはその闇米組織の情報を得まして。こちらからもお話したほうがいいかと。杉山さんには以前からご協力いただいてきたし」
「わかったわ。あまり時間は取れないけど午後なら庁舎のラウンジで合いましょうか」
「はい。では午後二時に伺います。それからカメラマンも一緒ですが構いませんか?」
「顔写真もいるの?」
「できれば」
「それは勘弁してもらえるかな」
「ダメですか」
「私たちの職務は顔を出さないので」
「わかりました。では写真なしでお話だけでも」
「そうしてちょうだい。テープ録音もなしよ」
 
 紺色の地味なパンツスーツ姿の佐藤ゆりが庁舎のロビーに現れたのは約束の時間より三〇分早い午後一時半だった。カメラマンの芦沢武彦も一緒だ。顔写真は断られたが、庁舎の配給食料の展示品などを撮りたいので同席させてほしいと頼んであった。
 一分前になり、黒いパンツスーツ姿の杉山泰子がエレベーターからロビーに降りてきた。佐藤が前に取材で合ったときよりも顔つきが厳しいものに変わっていた。とはいえ、たった二日前、地下基地でその顔を見ていたから、その時点からはほとんど変わっていなかった。

「お久しぶりです」佐藤がソファーから立ち上がり挨拶した。
「あら、前よりもやつれたんじゃない」と杉山が言って軽く笑った。
「最近の食事情はダイエットしないでも」と佐藤も笑いながら返した。
 カメラマンの芦沢武彦が名刺を出して挨拶すると、杉山がロビーのラウンジでは話づらいからと言って最上階のティーラウンジに誘った。高速エレベーターが四〇階で止まって三人が降り、白い丸テーブルに座った。

「顔写真はなしで」と杉山が再度、念押しした。「それで今日、聞きたい話というのは?」
「闇米ルートに関わる組織が歌舞伎町に拠点を置くW会だというのは新聞報道でも明らかにされましたが、実は新宿区役所の職員が関与しているという話を入手したんです。ここのところ数トン単位で流れていると」
 佐藤が声を落としならも口早に話した。
「それ、どこで聞いた話なの?」杉山が芦沢の顔をちらりと見て佐藤に向き直った。
「情報ソースは明かせませんけど闇市の連中です」
「こちらでも捜査中よ。あの区役所には食料配給班に怪しい職員がいて」
「その男何をしたんですか?」
「職員とは言ったけど男って言ってないけど?」

 杉山の疑り深さは堂に入っていた。いつどんなときでも相手の言葉を逃さない周到さが備わっている。
「ええ、石井洋介という職員ですよね。区役所でも取材しましたから。石井は配給班チーフだったけれど今は深田勝がチーフに代わっていますね」ジャーナリストの佐藤ゆりも動じない。
「それでその職員はどうなったんです?」
「この数日前から行方不明。恐らく組織に消された可能性があるわ」
「組織ってW会ですか?」
「いえ、別の組織があるの。でも極秘捜査中だからそれ以上のことは話せないわ」

 もちろん、佐藤も芦沢にも杉山が虚実を語っていることはわかっている。それを承知で聞いていた。杉山が今後、何を計画し、どう動くかの手がかりを掴もうと思っている。そのためにのリーク情報を用意していた。
「実は闇市の男からこんな話も聞いたんです。ホームレスを束ねて活動している怪しいグループがいるって。組織ってその連中のことではないんですか。そのアジトは戸山公園村だって噂も聞きましたけど」
「闇市の男ってどんな奴? 顔は浅黒く無精髭を生やしていて身長が一七五センチくらいの筋肉質で年齢は五〇代じゃない?」杉山は吉川のことを想定して話していた。「もし、そうならその男を追ってるんだけど」
「そうですね、大体そんな感じでしょうか」
「その男とどこで会ったの?」 
「花園神社の闇市です。闇って言ってもあそこ毎晩、公然と開かれてますけど」
「男とほかにどんな話を?」
 佐藤ゆりがその質問に対して、決定打を放った。
「国際秘密結社が暗躍しているのだと言っていました」
 杉山が一瞬黙り、また芦沢の顔を見た。
「ちょっとあなた悪いけど席を外してもらえる」
「ああ、ぼくですか。別に構いませんけど」芦沢がそう答えて席を立った。「じゃあ、配給食料のサンプル展示品の撮影をしていますからごゆっくりどうぞ」
 そう言ってティーラウンジを出て行った。
 だが、出口の脇にいったん身を隠し、素早く杉山が佐藤と話している場面を望遠レンズで盗み撮りすることを忘れなかった。

「あのカメラマンは信用できるの?」
「ええ、長年一緒に仕事をしていますから。さっきの話も他言しませんよ。われわれはそれで食べている人間ですから」
「確かに国際秘密結社だと言ったのね」杉山が獲物を追う豹のような目になった。「佐藤さん、その話は記事に書いたりしていないでしょうね。これはわれわれが追っている極秘事項に関することよ。いい、絶対に他言しないこと。もしそうしなければあなたを拘束するわよ」
「拘束って私をですか? 穏やかな話じゃないですね」
「その男がその国際秘密結社に関係している可能性があるの。ほかにはどんな話をしていた?」
「闇市での立ち話ですからそれ以上は何も。闇酒場に誘われましたが身の危険を感じたのでその場を立ち去りました」
「賢明ね。そんなところに行ってたらあなたも危なかったわよ」
「そうかもしれないわ。目付きの悪い男でしたから」
「連中はあなた達のようなジャーナリストを何人も殺害しているの。ある程度情報を流しておいて信用させ、ニセ情報を混ぜるのが手口よ。それでも追求していると消す。核心部を隠すためにね」
「ええ、私の知り合いにも消息を絶った人間がいますから」

 姿を消したジャーナリストの実態は、杉山ら工作員の指示で動く闇組織による犯行だ。もちろん佐藤ゆりはそのことを承知している。ここでの駆け引きに失敗すれば、自分も同じ運命を辿ることになることもだ。
「ねえ、私に協力しない?」杉山の声が猫なで声に変わった。「記事のネタはあげるからジャーナリストの立場で情報を探ってほしいの。そのお礼に欲しい物何でもあげるからどうかしら。もちろん謝礼も」
「ほんとですか。でも困ったなそういうの」佐藤が露わに迷う表情をした。「で、どんな情報を探ればいいんです?」
「あなたが話した男の行方に関すること」
「わかりました調べてみます」
「何かわかったら直接、携帯に連絡ちょうだい。メールでもいいわ」

 佐藤ゆりが腕時計の針を見ると話し始めて四五分が経過していた。三〇分の約束だったが、思った以上に杉山は佐藤を信用したということだろう。核心的な情報は引き出せなかったが、今後の関係を作ることには成功していた。そろそろと言って席を立とうとした佐藤に、杉山が言った。
「あなた、今夜は時間ある?」
「えっ、今日はもう取材はありませんけど」
「なら、ちょっと付き合わない」
「どこにです?」
「ここからはプライベートな話ね。仕事でもうクタクタなの。だから職場の人間以外の人と話したいの。付き合ってくれるわね」
 杉山の思惑は察せられなかったが、佐藤はどんな情報でも得たいと思い、誘いに応じることにした。七時に新宿駅地下西口交番前で待ち合わせする約束をして、その場で別れた。

 新宿西口地下交番は駅の地下通路にあり、以前はJRから私鉄への乗り換えや都庁方面へ行く人々のスクランブル交差点で、人々が待ち合わせ場所としても利用することで知られていた。だが、今はそれも様変わりし、地下交番に警察官が数名、常駐していても道を尋ねる者の姿はない。治安維持のため防弾ガラスに金網が張られ、その前に立った警察官はヘルメットを被った治安部隊のそれと変わりなかった。常に警戒態勢下にある物々しい警察官を前にして人を待つ人間などいない。今では、交番の裏側が待ち合わせ場所となっている。

 七時五分前に佐藤ゆりがひとりで交番裏に立つと、バックの中で携帯電話の着信音が鳴った。電話の声は杉山泰子である。交番前の地下ロータリーの左奥に黒のハイブリッドカーが停まっているからそこに来いという指示だった。クルマを見つけ、近づくと助手席側のスモークウインドウが下がり、杉山が顔を見せた。佐藤が乗り込むとクルマがすぐに発進した。
「佐藤さんはお肉好き? それともお魚がいいかしら」
「どちらかと言えば魚ですけど、もう何年もまともなの食べてませんね」
「そう、なら美味しいのをご馳走するわ。会合で使う店が銀座にあるから行きましょ」
「いいでんすかそんな」
「構わないわよ」杉山の声が少し弾んでいる。「私だってそのくらい許される仕事しているから」

 首都高には乗らず、地上を走っていた。車両数も極端に減っている現在、新宿から銀座まで一般道でも二〇分もあれば到着する。
 小雨がフロントグラスを濡らし始めた。やがてゲリラ豪雨に変わるだろう。近年の天候はそれがふつうのこととなっていた。バタバタと大粒の雨がフロントグラスを打ち始めた。

 杉山がワイパーを早回しさせてエアコンを調整し、カーステレオのスイッチを入れた。いつものマイルスのトランペットではなく、ヘレン・メリルのボーカル曲「サマータイム」だった。
「お店に行く前にちょっと皇居を一周しましょうか」杉山が軽い声で言った。「今度、八月一日にここでホームレスが決起集会を開くって話あなたも知ってるでしょ?」
「ええ。ネットで見ましたけど」
「どう思う?」
「彼らの公園村移転の反対表明かなり本気でしょうね。暴動が起これば破防法も適応されるんでしょ?」
「場合によっては」
「ということはデモ隊を一斉検挙して収容所へ?」
「場合によって」
「どうなるかわからないということ?」
「違うわね。戦いになるかも」
「まさか銃撃戦に?」
「秘密組織の連中がどんな行動に出るか次第ね。戸山公園村での爆破テロと銃撃戦で負傷者が出てるわ。治安部隊も殺気だっているかもよ」
 佐藤には、その杉山の話し方がどこか他人事のように聞こえていた。

 北の丸公園を過ぎ、通り沿いを走るクルマのフロントグラスの先に皇居の石垣がせり上がり、堀の水が黒々と見えた。雨粒が水面を打ち、無数の波紋が立っている。皇居正面を過ぎると、門前広場には治安部隊の姿があった。
「杉山さん、私思うんですけどホームレスたちは天皇陛下に直訴したいってことなんじゃないかと。戦うっていっても大した武器などないでしょう」
「確かにそういう見方もあるわね。最後の頼みの綱かも」
「何とかうまく治まらないのかしら」
「それが国家安全保障局の仕事よ」
「でも、どうして私に皇居を見せたんですか?」
「あなたが必要だから」ハンドルを握る杉山が助手席の佐藤ゆりを見て、正面に向き直り話した。「私たちは孤独な仕事なの。機密保持。ときに単独で動く。徹底究明。死の覚悟も。地位も名誉もないの。それでも人間よ。前に何度かあなたの取材を受けたときの印象がとても良かったわ。ジャーナリストってことだけでなくどこか同類の人間に思えた。久しぶりに会えてそれを思い出したの。今夜は話を聞いてちょうだいね」
 杉山の声がプライベートなトーンに変わっていた。

 やがて、ふたりが乗ったクルマが銀座の裏通り、黒い大理石板で化粧された瀟洒なビルの前で停まった。傘を差した黒服の案内係がドアを開け、杉山の顔を認めるとキーを受け取り駐車場へクルマを回した。雨は少し小降りになり、辺りに湿っぽい空気を漂わせていた。ふたりは入り口の案内人に通され、奥の個室へ上がった。

 雪見障子の外の坪庭で、鹿威しが竹の菅を落として乾いた音を鳴らせている。佐藤ゆりはもう何年もこのような和空間に足を踏み入れたことがなく、M新聞社に在籍した時代に編集局長やデスクのお伴で末席に座ったことを思い出していた。
 仲居がおしぼりを持って来たのと入れ替わり、女将が挨拶に顔を出した。
「杉山さま、お元気でいらっしゃいました? 先週は大変なことでございましたでしょう。ニュースを観て案じておりましたわ」
「まだ生きてるわよ。ねえ、今日は魚介類で任せるから美味しいもの出して。それから別にレアでいつものも」

 まずは乾杯となり、よく冷えたビールを喉に流し込んだのは佐藤ゆりにとって数年ぶりのことだ。一般市民には手の出ない贅沢な飲み物だった。
「夏のビールってこんなにおいしかったかしら」正直な感想をそのまま口にした。
「ビールがおいしいのは最初の一杯だけ。白ワインに変えましょ」
 鯛と中トロの造りに箸を伸ばしながら、杉山がビールなど何でもないかのように口にした。
 佐藤ゆりはそんな杉山を疎ましく思うが表情には出さない。逆に羨ましいといった目で見つめている。
「情報部の方々は国の重要な任務に就いていらっしゃるから、この程度の宴席はあって当然ですね」歯の浮くような言葉を出し、あまり芝居じみてもと思い口を閉じた。

 だが、杉山は当然だといった表情のまま、これから話すことは完全に秘匿だと念押しして、佐藤ゆりが首を縦に振ったのを認めて話し始めた。
「佐藤さんが会った男、吉川重則といって秘密組織の中心人物なの。この吉川を逮捕したいのだけどなかなか尻尾を出さないのよ。一度は追いつめたんだけど逃げられてね。今は地下に潜って姿を消しているけどどこに隠れているのか。アジトはW会系統なのかほかの組織なのかいずれにしても歌舞伎町の裏社会にもぐり込んでいるに違いないわ。どう、何か知ってることはない。噂でも何でもいいから」

 そこまでしゃべった杉山がシャコの和え物を一撮みして、残りのビールを飲んだ。
「闇市の連中は口が堅いですから。でも花園神社の裏の闇酒場が集会場所になっているって聞いたことがあります。私も何度か取材しようと探ったんですが、まったく寄せ付けてくれませんでしたから」
「あなたなら怪しまれないから潜入して調べてほしいの。その見返りは保障するわ。ねえ、どう?」
「その吉川という男の居所を?」
「そう。そこで仕掛けてほしいことがあるんだけど」
「どんなことを?」
「これは国家の安全に関わる問題として聞いてほしいんだけど吉川を逮捕して組織の全容を解明して解体することが急務なの。そこであなたに誘き出す役買って出てもらいたいの。闇市で組織のアジトを知っているとニセ情報を流せばメンバーが接近してくるはず。そこで吉川に接触するための条件を出す。国家安全保障局の臨海公園村計画書を入手していると伝えるのよ」
「でも何で私がそんな機密書類を持っているのかをどう説明すればいいんですか。それに何も手にしていないのにそんな芝居打てませんよ」
「ここにあるわ。はい、それが臨海公園村計画書よ」

 杉山に手渡された文書は八〇ページに及ぶもので、移転計画開始後、どのような段階を経て臨海公園村が運営されていくかの細かな指示書となっていた。ただし、省庁内での機密扱いといったレベルの文書である。それでも部外者からすれば立派な機密文書には違いない。
「こんな重要な文書を出していいんですか?」
「それは青写真のようなものだから計画は随時変更されるし問題ないわ」杉山がビールグラスを置いて佐藤ゆりの手に触れた。「いい、あなたも私の仲間よ。それを渡したのはそういう意味。わかるでしょ」

 失礼しますと襖の外から声がして、仲居が白ワインのボトルと皿にのった料理を運んできた。杉山が白ワインの香りを嗅ぎ、口に含んで「いいわ」と言った。佐藤ゆりもワイングラスを口にした。キリッと締まった辛口の上物だった。皿の料理は杉山がこの店で必ず注文する米沢牛のカットステーキだ。肉汁が和風ソースと絡み、胃を刺激する香りが室内に漂った。その肉を佐藤の小皿にも取り分けてやり、杉山は満足そうな笑みを浮かべて一切れを頬張った。

 今夜のこの宴席の支払はいったい幾らになるのか。恐らく五〇万の上をいくに違いない。そんなことを思いながら、佐藤ゆりができるだけのことはやってみると返事して、自分もその肉を口に運んだ。肉汁が口内にじわりと広がり、獣独特の匂いが鼻孔に抜けた。また一口ワインを飲み、辛口の液体が喉に降りていった。佐藤ゆりは高度な騙しの演技を強いられる二重スパイとしてもう後戻りができない複雑な気分になっていた。

「さあ、お仕事の話はこれくらいにしましょ」と言って杉山が肩を落とした。「あなたにプレゼントがあるの」
 そう言ってバックから小さな包みを出し、佐藤ゆりの前にそっと置いた。包装を開けるように言われ、小箱の中から出たのは携帯用の小洒落た香水瓶だった。
「これを私に?」
「そう。いい香りよ。好きな男はいる?」
「そうですね、いないこともないかな」
「いるならその男と会うときにつけて行きなさい。その香水は私がブレンドしたの。だから強烈に効くわ。そう吉川に会うときは必ずつけるのを忘れないで。男心を誘惑するのが女スパイの能力の見せ所でしょ。そのあとで私が捕まえちゃうから」杉山が薄く笑い、それからタバコに火を点けた。

 佐藤ゆりが香水瓶の蓋を開けて香りを嗅ごうとした。
「今、開けちゃだめ。私があなたを抱きたくなっちゃうでしょ」
「そんなに効くんですか」
「ねえ、あなたマインドコントロールって知ってる?」
「ええ、一応、本で読んでいる程度ですけど」
「私はその手の研究が専門なの。人間って弱いものよ。ホルモン物質の奴隷ね。脳内の欲求に逆らえないわ。抵抗すればするほど心がバラバラになって最後は欲求に従うことになるから。私はその辛さを知っているけどあなた知らないでしょ?」
「そんなに辛いんですか」
「私ね、ひとりの男だけを愛せないの。独占されるのも御免だし。あなたはいるの?」
「私ですか。まあいるといえばいるけど」
「心って曖昧なものよ。好きって感情も憎いって感情もどっちもどっち」
「そうかもしれませんね」

 佐藤ゆりは杉山のペースに会わせて話しているが、心の防備を解いているわけではなかった。一方、杉山泰子はワインにほろ酔い、久しぶりに気分を解放している。それは自分が所属する組織に関係を持たない人間との交流から得たほんの遊び気分と言えた。
 だが、一時の猶予もないのが現実なのだ。あと一週間後、皇居前で開かれるホームレス決起集会まで何としてでも吉川重則の身柄を拘束して、秘密組織を壊滅させなければ自分の保身すら危ういのだ。

「もし、吉川逮捕でうまく手柄を立ててくれたら、私があなたの将来を約束してあげる。好きな男とも一緒にさせてあげるわ。どう、この話信じる?」
「将来って?」
「あなた幾つ」
「三十三ですけど」
「じゃあ四十歳ころになるわね。それが将来のこと」
「その将来がどうなるんですか?」
「あなたが自由に暮らせる保障をしてあげるってことよ。今ここで食べているようなものもね、これから先も好きに食べられる生活。結婚もして子どもも産める生活。旅行もできるし、住みたいところに住めるって素敵でしょ。その将来を約束してあげるわ。ただし私に付いてくればの話だけど」

 そう語る杉山の声に張りはなく、どこか不毛の地を歩きながらあてもなく話しているかのようだった。佐藤ゆりは、黙っていた。心中では同情心すら芽生えていた。今夜の宴席は十年前に遡った時代にいるような気がした。ひと昔前なら、金さえ払えばこのような飲酒は誰にでも叶った。そして、いま杉山泰子が語った将来など、誰にとっても約束された未来だったのだ。

(18章へ つづく)

※ここまでは、2009年にまでに記した物語であることをお断りしておく。


ドリーマー20XX年 16章

2011年07月23日 11時59分30秒 | 近未来長編小説『ドリーマー20XX年』
【あらすじ】
新宿で働く安サラリーマン、山田一雄45歳。将来の希望などさしたるものもない独身暮らし。楽しみといえば給料日に歌舞伎町のキャパクラへ行くことぐらいだった。この男がある日、奇妙な夢を見始める。白髭の老人との対話の末に、夢旅行へ誘われ、時空を超えた旅が始まる。やがて辿り着いた世界は、20XX年の新宿だった。

(右下の欄のカテゴリーで、1章から順にお読みください)
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~~16~~


――戸山公園村・緊急集会 七月二四日土曜日 AM八時三〇分集合

 告知を「ネットちゃんねるCO2」で流し、二日後に当日を迎えた。会場は運動広場である。ドリーマーの吉川重則、石井洋介、河口真理恵を除くメンバーと、公園村の住民が早朝から会場に集まっていた。ドリーマーたちは、関東ホームレス支援会という団体名を名乗って活動していた。集会とはいっても旗や看板を用意するわけでもなく、手ぶらで辺りの様子をうかがっているだけである。戸山公園村は依然、監視下に置かれていた。七時の時点で運動広場周辺に治安部隊が動員され、ジュラルミン製の楯を手に隊列を組んでいる。

 南ゲート脇の対策本部テントには警察や情報部の山本邦彦本部長、杉山泰子らの顔もあった。
「杉山君、吉川らの動きは掴めているか」
「潜伏したまま姿を隠しています。集会を仕切るのは関東ホームレス支援会というメンバーです。ここには現れないでしょう」
「そうか。何事も起こらなければいいが吉川らがまた何を仕掛けてくるかわからん。あの爆弾テロ犯の石井が要注意人物だ」
「石井はもう生きていないと思われます」
「とにかく厳重に見張れ」
「了解しました」

 杉山が対策本部テントを出て黒塗りのハイブリッドカーに乗り、北ゲートへ向かった。
 八時を過ぎ、公園村の住人たちがぽつぽつ集まりだし、広場に五〇〇名余りの人だかりができていた。村民のおよそ五分の一の数である。前日までは多くの住人が参加すると首をタテに振ったが、一晩経って腰が重くなったのも無理はなかった。爆破事件が起こって三日しか経っておらず、その恐怖がまだ鮮明なのだ。また何か起これば命の危険に晒されると誰もが思っていた。だが、集まった者たちは勇気ある者たちかと言えば、そうとも言い難い。集会に出るかどうかギリギリまで迷い、テントに隠れていてもまたどこで何が起こるか知れたものでもなく、何か起これば惨事から免れないと半ば諦めの気持ちから足を向けたというのが実情だった。

 ちゃんねるCO2のネット会員も三〇数名が集まっていた。もっと多くが集まるかと期待されたが、ネット世界から現実世界への導引は理想のようにはいかなかった。群馬や静岡、山梨から駆けつけたという会員もいたが、ほとんどは都内近郊からの勇気ある参加者だ。

 ネットで知って、いてもたってもいられなくなって大阪から夜行バスで来たという四〇代の古い会員もいた。
「わざわざ遠くからありがとうございます」と高野隆が手を握った。「あなたはよくコメントくれる会員さんですよね」
「いつも読まさせてもらってますわ。そやかてまあ大変な事になりましたな。ぎょうさん死なはったんやて?」
「いえ、けが人はありましたが幸い死亡者は出ませんでした。で、関西のほうはどうですか」
「どこも尼ヶ崎みたいになってもうてヒドイもんですわ。おれはまだ何とか飯食べられてますがいつ公園村のお世話になるか」

 挨拶程度の立ち話を交わしていると、やはりネットで知ったと言う男たちが数名現れた。野川典子が対応していたが、責任者と話したいというので高野隆を呼びに来た。

「どんなご用件でしょう?」
 高野がそう言って顔を出すと、背の低い五〇絡みの背広姿の男が言った。
「あんたが責任者か。お宅のネット観て来たんだがクレームがあってな」
「何か問題でもありましたか?」
「問題ありだ。何でうちの会を誹謗するような記事を載せるんだ」
「どちらの方ですか?」
「宗教法人グランドクロスの会長、黒崎という者だ」

 威厳めいた口ぶりで男が名乗ったが、ちゃんねるCO2でグランドクロスという宗教団体を取り上げた記憶が高野にはなかった。
「うちのホームページですか?」
「そうだ。政治資金やヤミ金を宗教団体がマネーロンダリングしているという記事を書いただろう。当会を名指ししてどこにそんな証拠がある」
「ヤミ金、ヤミ米について記事にしたことはありますが、そちらの名で書いたことはありませんが。なにか勘違いされてませんか」
「Gと伏せ字で書いただろうが。わかる者にはわかるんだよ」
「それは言い掛かりでしょう。今日は大事な集会なんでこの件は後日にしていただけませんか」
「こっちには今、解決しときたい大事なことなんだよ。なあ、そっちのほうこそホームレスを集めて政治活動してお上に楯突こうって非国民だろう。なあ、非国民だよな」

 周りを取り囲んでいた男たちが、声を揃えて非国民だと罵声を浴びせた。八時三〇分になっていたが、突然、現れた宗教団体が高野と野川を取り囲んで問答を止めなかった。いつの間にかその人数が増え、二〇数名余りの男たちが取り囲んでいた。そこにネット会員が割って入り、双方が睨み合うかたちになった。

「もし、ちゃんねるCO2がそういった記事を書いたという証拠があるなら出してください。法廷で闘いましょう」
「証拠なら腐るほどあるぞ。こいつらは非国民だ!」
 それに合わせて男たちが「非国民」と声を上げた。

 公安警察と治安部隊が周囲で傍観するが、怒鳴り散らす男たちを止める気配もない。九時を回ってもグランドクロスは引き上げなかった。たまりかねた高野と野川が集会の輪の先頭に立とうとするのを、グランドクロス会長と名乗った黒崎という男が制した。
「まだ話は終わってないぞ!」
「ですから、ここではなく裁判所で会いましょう」
「そんな時間はない。おまえらの秘密基地のことをバラしてやってもいいんだぞ!」
 高野の顔に緊張が走った。
「何のことでしょうか?」
「いいんだなバラしても」

 黒崎がどこまで知っているというのか不明だが、その言い回しから何かを掴んでいるのは否めなかった。
 そのとき、野川典子がキャーと叫び、向き合っていた男を指さして言った。
「この人、私のこと突き飛ばしたわ!」
「なに! おまえが俺の足、踏んだだろうが」

 ちょっとした小競り合いになり、野川が「そこの公安の人、この人暴力を振るったわ。検挙してください!」と大声をあげた。
 会長の黒崎が笑って言った。
「お互い手を出しちゃいかんね。真摯に話し合わなくてはな。さっきの話に戻ろう」
「われわれホームレス仲間の基地の話ですね。それ箱根山の地下のことですか」
 黒崎がやはりといった顔つきになり、「おまえたち秘密組織だな」と言った。
「ハハハッ、闇米密造酒の組織だってんですか。おれたちはホームレス支援団体ですよ。確かに箱根山の旧陸軍の穴蔵を集会に使っていたけど一昨日の謎の爆破でもう粉々になっちゃったな。情報部さんが調べずみだけどね」

 黒崎会長が、また「非国民!」と連呼すると、男たちが大声を張り上げ、高野と野川やネット会員たちにジリジリとにじり寄ってきた。野川が公安警察の中の年配者に歩み寄り、集会を妨害するこの集団を排除してくれと申し出たが、今のところ暴力沙汰になっていないと断られた。逆に、この状態を続けると危険だからと集会を中止するように言い渡された。高野ら支援メンバー、ネット会員らと、グランドクロスの男たちが睨み合い、村民五〇〇名余りが遠巻きに眺めるかっこうになっていた。

 一方、地下基地では吉川以下、洋介、真理恵らが地上を監視し、即時の対応を練っていた。監視モニターに納められた映像は素早く編集され、ネット配信の準備がなされている。
 指令デスクに付く吉川に、洋介が言った。
「グランドクロスの連中なかなか引き下がりませんね」
「ああ、集会への嫌がらせくらいでは治まらんだろう。奴ら何か仕掛けてくるはずだ」
 監視モニターに目を光らせていた洋介が叫んだ。
「ボス、北ゲートに大勢、変な連中が現れました!」
「なに!」

 運動広場の北側ゲートから、一団がぞろぞろ歩いて来るのがモニター画面に映っていた。その数はざっと八〇〇名ほどであろうか、どれもが揃いの白装束姿で背中に一列に並ぶ銀色の九つの星を付けている。
「増員か」と吐き捨てるように吉川が言った。「これで集会を取り巻こうってわけだな」
「騒ぎが大きくなればマスコミ報道もされるでしょう」
「どうだかわからん。先日の爆破事件も実際の半分も報道されていないからな」

 テレビもほとんど映像が流れず、新聞も公園村で火災騒ぎがあった程度の記事だった。報道規制は戦時中並と言って差し支えない。ネットを観ない世間一般の人々が真実を知ることはない。また、ネットといえども種種雑多であり、自分で何が真実かを見極められる能力がなければ、流言、デマゴーグに翻弄されるだけである。

 白装束の八〇〇名が広場北側に隊列を組むように並んだ。会長の黒崎がニヤリと笑った。
「うちの会員も集まってくれたな。そっちは集まったのはそれだけか。何がネット会員だ。さあ、集会でも何でもやってくれ」

 高野が野川を促し、ふたりで村民五〇〇名の前に立った。
「皆さん大変お待たせしました。すでにご理解いただいているようにこの公園村は閉鎖されます。一昨日の爆破事件はそれに関連して何者かの手によって起こされたものと判断しています。無理に反抗すれば何が起こるかわからないといった警告と取っていいと思います」
 そこまで大声で話した高野がペットボトルの水を一口飲み、話を続けた。
「この事態は村民の正真正銘の死活問題です!」

 そのとき、北側から大波のような歌声が湧き起こり、高野の声がかき消された。

――天空に星いならび 人のこころに光さす 神降臨のあかしなり われらとともに歩む者 神の祝福とわなれば おーおーグランドクロス

 野川典子が集団を睨み、「あんなの何が神よ」と言った。
「カルトパワーだな」高野があきれ顔で言った。「皆さん、連中の歌がうるさいのでもっと近寄って!」

 村民の輪が割れて、数人がカルト集団へ駆け寄った。
「おまえら! 邪魔すんな! 帰れ!」
 無視して信者たちが歌い続けている。

 村民のひとりが足下の小石を拾い、投げつけた。前列にいた男の額に当たったが何事もなかったかのように歌い続けた。また、こんちくしょうとばかり石を投げたが同じことだった。興奮した村民ら数名が小石を投げつると、信者の隊列がザザザザッと大波のように村民たちに迫り、その威圧に負けて逃げ帰ってきた。

「奴ら痛いってこと知らないぜ」最初に石を投げた男が言った。
「ゾンビじゃねえの」一緒になって石を投げた男も気味悪そうにして言った。
「こうなったら力ずくでやっちまうか」と気の立った男らが口々に言い、集会の輪がざわめいた。

 高野が事態を察し、声を上げた。
「ダメだ! ここで騒ぎを出しちゃ!」
 だが、興奮した村民に声は届かなかった。
「マズイ!」乱闘を止めなければと高野は焦った。「暴動になる前に集会を中止するしかない。用意した物を急いで配れ、それで中止だ!」

 ドリーマーのメンバーが大型ザックから小分けにしたビニール袋を出して村民たちに向かって四方八方にバラ撒いた。袋にはマジックの太文字で「集会テントで配給あり!」と書かれていた。興奮していた連中も物欲しさから温和しくなった。そこで間髪入れず高野が「集会は中止! 集会テントに移動!」と叫んだ。

 袋の中身は金平糖の粒だった。誰もが甘い物に飢えており目が奪われたのである。皆がビニール袋をやぶって金平糖を口に含み、相好を崩した。
「皆さん! 関東ホームレス支援会より集会テントで非常食を配給します。今日の集会のプレゼントです」
 高野と野川が口々に説明した。

 村民の輪が静かになり、集会所のある南側へぞろぞろと歩き出した。モニターで見ていた吉川らは地下でホッと胸を撫で下ろした。洋介の作戦が見事に成功したのだ。
 もし、集会で騒ぎが起こったらどう治めるか。その方法は恐怖か、生理的欲求へしか抑制力は効かない。人間は性と食と睡眠の三つが基本欲だ。ならばこの場合は、食欲へ訴えるしかない。いつも従順に並ぶ村民たちの姿を見てきた食料配給班長の経験から思いついた方法だった。

 まるで小屋へ帰る羊の群れのようだった。いったんザワついた村民が温和しく南側へ歩き出したのを見て、意表を突かれた顔をしたのはグランドクロスの黒崎だった。公安警察と並んで見ていた杉山泰子も微かな舌打ちを鳴らし、黒崎のほうをチラリと見た。
 黒崎が何かごもごもとつぶやき、信者たちのほうへ歩いた。弟子らが後ろにつき、鞄から白装束を出して羽織らせた。信者らの前に立った黒崎が口を開いた。

「おまえたち、よく聞きなさい。至難に耐えたる者だけが天の門をくぐれるのだ。今日という日は特別な日である。これは啓示である。よく聞きなさい。今日、待ち望んだグランドクロスがついに天に現れるのだ。それが天への架け橋である。もう間もなくだ。こころして待ちなさい。そしてグランドクロスを観た者は先ほど小石を投げた哀れな民らに神の罰を与えなさい。その罰を受け改心した者たちもまた天へ昇ることができるのです。さあ、歌いなさい」

 信者たちがまた一斉に抑揚のない声でグランドクロス讃歌を詠い始めた。その歌を十三回、繰り返したときだった。
 運動広場の上空で閃光が瞬き、雲ひとつない夏の青い空に、星型の光が横一列に並んだのである。星の煌めきが数分間続き、やがて消えてなくなった。それは高高度で横一直線に打ち込まれた銀色の花火のようなものだったが、天空の光を観た信者の間でどよめきが起こり、打ち震え、ひれ伏す者もいた。また泣く者もいた。彼らにとって長い間待ち望んだグランドクロスの日なのだ。

「さあ、立ち上がりなさい。そして自らの務めを果たすのです。この村の民に神の罰を与えなさい」
 八〇〇名の一団が居並び、南へ向かって、ザザザザッと進み始めた。手にはこん棒を持っている。そのさまがどこか古代ローマの軍勢に見えもする。

 監視していた治安部隊が殺気だった。しかし、自分たちに向かってくるわけではない。隊長の指令を待つのみである。
「全部隊、南ゲートへ結集せよ!」
 隊長の号令に合わせ、治安部隊も駆け足で南へ向かった。

 杉山もハイブリッドカーに乗り込み、対策本部テントへ向かった。すぐに携帯電話で連絡を入れた。
「本部長、非常事態です。グランドクロスの信者が村民に向かって攻撃を仕掛けようとしています」
 まったくの芝居である。杉山が仕組んだことなのだ。
「なに! どういうことだ」
「事情は掌握できませんが暴動が起こりそうです」

 南ゲート近くの集会所ではすでにあらかたの村民が集まり、非常食の乾パンを受け取っていた。関東ホームレス支援会の配給品という名目だが、ドリーマーの備蓄食糧を放出したものである。
 白装束の一団は、それが宗教儀式だとでもいうように厳かにゆっくりとした足取りで向かっている。一方、治安部隊のそれは迅速であり、先回りをして集会所の前方に隊列を組んでいた。相手は手にこん棒を持つだけの武装集団である。隊員らにさほどの緊張感はない。突入してくれば押さえ込むだけの話だ。

 その白装束の一団が目前に迫ってきた。
「武器を捨てて解散しなさい。命令を聞かなければ検挙する」隊長が形式どおりの通達をして、腕を組んだ。しかし、白装束の一団はいっこうに足を止める気配がなかった。手前二〇メートルまで迫ってきたところで、隊長が指示を出した。
「楯で押さえ込め! 抵抗する者は捕縛せよ」

 隊員がジュラルミンの楯で進んでくる白装束を押さえ込みにかかった。しかし、前列にいた隊員が後から後から押し寄せる人の圧力に押され、崩れかかった。八〇〇余名の信者の塊はまるでひとつの生き物のように押し続け、それを止めようとする隊員たちは押し返されるばかりだ。前面にいた者たちが押し合い、入り乱れ、揉みクチャにされ卒倒する者もいた。警棒で打ち据える隊員もいたが、白装束は腕や肩を砕かれても後に引きことがなかった。このままでは隊員に危険が迫り、隊長が一時退却を命じた。

 治安部隊が後方へ退却すると、十数名の人間が折り重なって倒れていた。その倒れた人間の上をアリのように這い抜けて白装束が進んできた。
 装甲車から一斉に放水が浴びせられた。水圧で前列が崩れたがどんどん後ろから迫ってきて、放水をすり抜けた者らが前に出る。前列が楯になりながら進んでくる。
「隊長、こいつらまるでゾンビですよ」
「催涙弾を打ち込め」

 催涙弾が炸裂して辺りが白い煙に巻かれると、やはり人間に変わりなく、そこら中で咽せ、涙を流しながら、だがそれでも足は止まらない。
 彼らは天の門を目指していた。死を恐れていない。放水も催涙弾もその苦しみが天へ通じる一筋の道だった。生理学的には脳内麻薬とも呼ばれる快楽ホルモンが溢れているのである。痛みが快感となって白装束を動かしていた。信じがたいことだが、戦時下では腕が吹き飛んでも笑って死んでいく者もいるのである。ここでの状況もそれと同じだった。

 突破した何人かの白装束が村民に襲いかかっていた。こん棒を振りかざし、逃げ遅れた者を打ち据えた。それを護ろうとして村民が飛びかかり、手にした石で殴る。隊員が乱闘する双方を楯で押さえ込むが、次々に白装束が現れ、事態が収まることがない。すでに何人もの村民が致命傷を負っていた。白装束も頭を割られ血に染まって倒れていた。

 公園村の林の中が修羅場と化していた。治安部隊もこのような事態に陥るとは想像もしておらず、終息させる手筈がつかないでいた。白装束の一団を囲い込むにも、ちりぢりで動き回る相手に手こずっていた。仮に白装束の集団に発砲しても死ぬだけに思えた。強力なマインドコントロール下にある彼らは集団で自殺行動を取っていることと変わらなかった。

 監視モニターで観ている吉川が苦虫を噛んだような顔で言った。
「なんてことだ。ここまでやるか!」
 真理恵が悲痛な表情で「何とかできませんか」と言った。
「方法はある」吉川がそう言い、迷いが顔に出ていた。
「どんな方法ですか」洋介が不安そうに問うた。
「この基地を放棄することになる」そこまで言い吉川が黙った。「だが、仲間を見殺しにはもうできん」

 決心した吉川が司令部デスクのパソコンキーを打ち、画面を呼び出した。
――極秘ファイル、認証コード入力
 と出て、次の画面に進むと、システム作動の入力表示となった。
「最終手段のものだ。これを使う日が来るとはな」
 そこには欧文が表示され、アースクウェイクと読めた。
「地震ですか?」
「ああ、地下で水蒸気爆発を起こす地震発生装置だ」
「どうなるんですか」
「公園村の直下でマグニチュード8クラスの地震が起こる。しかし範囲は小規模で半径五〇〇メートルが揺れるだけだ。ここを処分する事態が起こったときのためのシステムだった」
「じゃあ、地下基地は壊滅」
「陥没して一五メートル下で埋まってしまうだろう」
「地上はどうなるんですか?」
「多少、陥没して地割れもあるだろう。事態を収拾できるはずだ」
「ダメです! グランドクロスは人間兵器ですよ。何があっても絶対に止めませんよ」 
「なら、どうするんだ!」吉川が怒鳴った。
「僕にやらせてください。真理恵さんも力を貸して」
「何をするんだ!」
「杉山と対決するんです。あの女がマインドコントロールの大元なんだ!」

             ○○○

 旧陸軍が造った地下トンネルは箱根山爆破テロで直下はほとんどが崩れていたが、一部は人が通り抜ける程度に残っていた。地下基地司令部は箱根山の地下一五メートルにあり、そこから南ゲートの先にある波多野ビルへと繋がった地下トンネルの長さは約九〇〇メートルあった。洋介の身体はまだ回復しておらず、手足の痛みに耐えながら走った。

 治安部隊の制服姿で軍用ザックを担いだ洋介の後ろに、河口真理恵がついている。
「大丈夫なの?」トンネルに真理恵の声が響く。
「急がないと!」
「作戦は?」
「ない。杉山を倒すだけだ」
「私はどうすれば?」
「葉子の助けが借りたい」
「どういう?」
「奴の中に入ってくれ」
「あの、都庁特別室の手で?」
「いや、もう戦わないでいい。そんなことをしたらもう君は」走りながら話すので、洋介の息が荒くなっている。
「じゃ、どうすれば?」
「南ゲートの対策本部テントにいるだろうから誘き出してほしい。できるか?」
「ええ、でもどこへ?」
「テントの東五〇メートル先に閉鎖された戸山図書館がある。そのロビーの中だ」
「そこに入ればいいのね。わかったわ」

 地下トンネルが通じた波多野ビルから地上に出たふたりが、大久保通りを渡り、南ゲートへ向かった。戸山公園村の周囲は都営団地が建ち並ぶが、爆弾テロ事件ですべてが閉鎖されていた。戸山図書館はその団地の一角にある。たった今起こった襲撃騒動で周辺の警備は手薄になっていた。
 ふたりはその戸山図書館前で建物の陰に潜み、洋介が施錠用のクサリをブラウンガスの特殊バーナーで瞬時に焼き切って扉の中に入り、真理恵が続いた。洋介は時々、この図書館を利用していたから内部を把握していた。左手奥の小部屋へ真理恵を招き、ソファに座らせた。

「さあ真理恵、葉子に頼む。杉山をここまで誘き出してくれ」
 洋介が言う間もなく真理恵が目を閉じ、呼吸を整えた。肩の力が抜け、真理恵がうなだれた。姿の見えない葉子が思念で洋介に語りかけた。
――洋介、任せて
「戦うような真似はするな。図書室に連れてくるだけでいいんだぞ」
 念を押すように洋介が言った。
――わかってる
 気配が消え、洋介が辺りを見渡し、図書室へ入った。スチールの書棚が並び、外部から遮断された空間だ。

 それからしばらくして、図書館のロビーで人の気配を感じた。
「来たぞ」洋介がつぶやいた。心臓が波打っていた。ここからはもう一歩も出さないで決着を付けるのだ。
 ガラス窓の付いたスチール製の扉が開くと杉山の顔が斜めに見えた。洋介は扉脇の棚の陰に潜んでいた。杉山の顔に続き、もうひとり女の顔が見え、洋介の身体が一瞬にして固まった。香織だった。

「誰もいないみたいね」杉山が言い香織を見た。「ここに犯人が潜んでいる気がしただけだから。扉も開いていたし一応調べるわ」
「でも不思議ですね。声が聞こえるなんて」
「気になるの、勘とも違うけど」
「念には念をですね」
「もういいからあなたは対策本部のテントで待機してなさい」

 香織が扉の外に消え、杉山が残って周囲を見渡している。手には銃を握っていた。前方に構え直し、右の棚奥へ進んだ。
「香織も公園村に来ていたのか・・・」
 一瞬、香織を確保することを思ったが、今はそんな余裕はない。入り口で焼き切ったクサリを手に棚の裏から杉山に忍び寄った。

 棚の端で一冊本を抜き、女の足下に投げた。バサッと音のしたほうに杉山が気を取られた瞬間、クサリを振って銃に叩き当てた。銃が跳ね飛び床を滑った。とっさに後ろから羽交い締めにした。杉山がヒールで洋介の足の甲を踏み、激痛で腕の力が緩んだとたん、みぞおちに肘鉄を喰らい、振り向きざまに股間を蹴り上げられた。最後の蹴りは防御し、直撃を免れていた。

「あら、少しはできるようね」
「不意を喰らったな」
「大事なところ壊れなかった?」
「今度は一撃で仕留めてやる!」
「生意気ね」
 両者が間合いを取っている。洋介は空手の中段の構えだが、杉山は両手をふわりと上げていた。洋介が左拳でカウンター入れ、右足でローキックを放ったがギリギリでかわされたと思いきや、逆に杉山の手の甲で両目を鞭のように打たれ、脛をヒールの先で蹴られて洋介が激痛に顔を歪めた。

「もう、あんたの蹴りでストッキングが伝染したじゃない」明らかに杉山は格闘を楽しんでいる。「プロの技って違うのよ。一番痛いところを責めるの。次のはもっと痛いわよ」
 言うが間もなくスッと間合いが詰められた。洋介が突き出した拳がするりとかわされ、がら空きになった胸の中央を拳先でストンと突かれた。電流が一か所に集中放電されたかのような衝撃。真後ろにひっくり返ってもんどり打った。
「アガッ、アガッガガガー」
「ほうら痛いでしょう」女豹が草食動物でもなぶるような目付きだ。
「アガッ、アガッ」
「この技、痛いのよね」

 その場に踞った洋介は声も出なかった。胸に衝撃が突き抜け、穴が空いたようだった。空手技に同じものがあるが試合で使う者などいない。死に直結した危険な技であり、禁じ手とされている。だが、杉山は急所しか攻撃しない。ヘタに顔面など打っても効くまでに時間がかかるのだ。まともに戦って洋介に勝ち目はなさそうだった。
 その途端、杉山の膝が顎を突き上げ、洋介が真後ろへひっくり返った。
「これも痛いかな」
 転がった洋介の横腹をヒールの先がえぐるように蹴り上げられた。
「グエッ」
 ヒールの先が臓器を突き、激痛で息が止まった。
「どう内臓に効くでしょ」

 禁じ手なしの実戦だ。これが試合であればKOされた洋介の完敗で終わっている。だが、ここでの終わりは死だった。洋介の気が遠のくのを、ゼロゼロKYが喝を入れた。昔の武将が身に付けていた技だ。戦場で気を失えば即刻、死に至る。ゆえに喝入れは死人を蘇生させる法とも呼ばれる。

 洋介が目を見開き、両腕を付いて跪いた。肩で荒い息をしている。
「つまんないわねもう終わり? じゃあそろそろ絞めてあげようかな」
 よろよろと立ち上がった洋介がクサリを手に間合いを詰めた。武術の手練れといえども、相手が武器を取れば素手では避けきれるものではない。杉山が床の拳銃の位置を目で探っていた。クサリを一振りするごとに間合いが詰まった。拳銃は本棚の列の奥に転がっていた。
「それで打ったら肉が裂けて骨が飛び出すわね」杉山がそう言いながらジリジリと後ずさり、本棚に近寄っていた。「仕返ししたいんでしょ。打つなら思い切り打ちなさいよ。でも止めてってお願いしたら許してくれる?」

 喋りながら杉山が一歩さがり、弾みをつけて本棚の奥へ飛び込んだ。
 間髪入れずクサリの先が脹ら脛に飛び、肉を裂いた。杉山が思わずギャーと声を上げた次の瞬間、仕掛けたロープを一気に引くとスチール棚が倒れ、杉山の身体の上に本が、ドドドッと音を立てて崩れ、折り重なった。

 数百冊の下敷きになり、本に埋もれた杉山が唸っている。
 崩れた棚の本は、洋介がよく借りていた国際問題や金融ジャンル物だった。折り重なった本の山の中に『世界経済の崩壊』というタイトルが目に付き、洋介は自業自得だとつぶやき、それらの本の下で唸っている杉山が哀れなものに思えた。人間の所業が、現実の禍害を生み出し、おのれの行為の落とし前が降りかかる。どれがどんな形で起こるのか、そのときになるまでわからないのだ。まさか、本に押し潰されるとは、この女に想像がついただろうか。しかも、世界崩壊がテーマの本にだ。
 偶然ではない・・・洋介はそう想った。

「オイ、生きてるか?」
「ううううっ、痛い。早くどけて」
「今、出してやるから温和しくしてろ。それからグランドクロスのマインドコントロールを解け、いいな!」
 そう言いながら洋介が本の山を払い、杉山の顔から本をどけた。凄い形相で睨んでいる。プライドを踏みにじられたことへの復讐の目だが、本の重みで自由が奪われ、為す術がないことの怒りでもある。

「おまえのせいで何人もの村民がやられて。今すぐ止めさせないと許さないぞ」洋介がそう言いながら杉山を起こし、抵抗しないように手首を捻り上げて後ろ手に縛った。「どうやったら連中のマインドコントロールが解けるんだ」
「ううっ、私が解くと思うの」
「そうか。なら傷めるしかないか」洋介が杉山の赤くミミズ腫れになった脹ら脛を軽く蹴った。
「痛ったい!」
「もっと強く蹴ろうか?」
「やめて」
「なんだ意外と痛みに弱いのか。あんなに人のことを傷めつけるくせに」
「ならもっと蹴りなさいよ」
「いや、そういう趣味はないんでね」どうすればこの女に言うことを聞かせることができるのか、洋介は考えあぐねていた。
「極秘コード発令、42ポイント195・・・もう効かないわね」
「おまえのロボットじゃないぞ」
「取り引きしない? 解放してくれたら工藤さんを返してあげるわ」
「信用すると思うか? あんたの技、まだ痛いぜ」洋介が脇腹を押さえて顔を歪めた。「おまえの痛いところはどこだ?」
「フン、好きにすれば!」
「ああ、そうするよ」

 杉山泰子に猿ぐつわをかませ、洋介が図書室を出て隣の部屋に入った。真理恵がすでに目を覚ませ、地下基地に連絡を取っていた。
「ボスに状況を伝えたわ。公園村は今いったん騒ぎが治まっているって」
「そうか。ここから杉山を連れて脱出するぞ」
「どこへ?」
「地下基地だ」
 洋介が図書室へ戻り、縛り上げておいた杉山を肩に抱えて部屋に入ってきた。真理恵に、自分の服と杉山の服を交換して着替えるよう指示し、洋介は軍用ザックから出したホームレスの服に着替えた。
「君は南ゲート駐車場の杉山のクルマを図書館の裏側に回してくれ」
「わかったわ。出て五分して戻らなかったら洋介だけで動いて」
「了解。気をつけろよ」
「ええ」

 杉山に成りすました真理恵が図書館の外へ出て三分後、柔道技で首を絞め落とし気絶させた杉山を背負って建物の裏側へ出た。植え込みに身を潜め、辺りの様子を伺ったが警備兵の姿はなかった。腕時計の秒針を目で追った。四分を回っていた。真理恵は捕まったのか。五分が過ぎた。このまま植え込みを伝って大久保通りまでは抜けられるだろう。その先は市中警護のパトロール警官がいるに違いない。杉山を担いで路上に出るわけにはいかなかった。

「真理恵どうした!」心中で叫んだときだった。黒塗りのハイブリッドカーが植え込みの前に止まった。繁み側のドアが開き、後部座席から白い手が伸びた。その手に誘われるようにして洋介が手を伸ばし、身体を確保して杉山を引きずり上げて中に押し入れ、そのまま自分も後部座席にもぐり込みドアを閉めた。ハイブリッドカーがスーッと発進した。

「捕まったのかと思った」
「ええ捕まったわ」
 声が真理恵ではなかった。
 大久保通りに滑り出た車内の空気が一瞬にして変わっていた。その声の主は香織だった。

「洋介さん、さあアジトへ案内してちょうだい」
「どういうことだ」
「驚くのも無理ないわね」
「真理恵はどこだ」
「だから捕まったって言ったでしょ」
「クソッ」
「そんな汚い言い方しちゃダメよ」
「君はわかってないんだ。組織の本当の正体を」
「どこの組織のこと?」
「国家安全保障局を裏側から動かしている連中だ」
「もちろん知っているわ」
「なら君も仲間ということか」
「そうね洋介さん。私も仲間かな」

 香織が、その声に何とも哀愁を帯びた響きをさせてので、洋介には意外に感じられた。それはどこか洋介を労るような声にも思えた。
「君、葉子か。そうだろう」
「半分、当たってるけど半分は違うわ」
「じゃ、香織の意識もあって話してるのか」
「そうよ。ドリーマーでしょ」
「なら真理恵はどうなったんだ?」
「ちゃんと生きてるわよ。トランクの中にいるわ」

 洋介には何がなんだかわけがわからなくなっていた。香織は今、われわれの仲間でいるのか?これまでの苦渋の塊が一気に溶解していくようだった。だが、それでも精神はもう単純に従わなかった。何が真実で何が嘘なのかを判別する精神の支柱が揺らいだ。
「何を信じればいいんだ」
「洋介さん、いよいよ本番の火蓋が切って落とされたのよ」
「香織、君は何者なんだ」
「あなたはドリーマーでしょ。心を静めて。ずっと長い旅をしていることを忘れないでね。今起こっていることについては地下基地本部に戻って話しましょ。さあ、波多野ビルに着くわよ」

            ○○○

 波多野ビルの駐車場にハイブリッドカーを滑り込ませると、奥のボイラー機械室から吉川が姿を見せ、洋介を手伝って杉山をクルマから引きずり出した。香織がトランクを開けると真理恵が眩しそうに目を瞬かせた。その顔を見て洋介は安心したが、まだ、今しがたの香織の話が信じられないでいた。
 だが確かに、ここに香織と真理恵、杉山泰子が揃っているのだ。
 洋介の疑いの眼差しに気づいた吉川が口早に言った。
「すべて計画どおりだからもう心配はいらんぞ」
「ええ」洋介の声はくぐもったままだ。

 香織が一緒にいて安堵したものの洋介は複雑な心境だった。計画されたことなら、今の今まで自分は騙されていたことになる。なぜ、その必要があるのか。ここまで戦ってきた自分は信用されていないのか。臨戦態勢で張り詰め放しだった精神がガラガラと音を立てて崩れるのを、ゼロゼロKYが必死で支えている。崩れたら、あのコンビニ時代の洋介の、ゼロ地点に戻ってしまう。

 杉山は吉川が背負っていた。その後ろを歩いていた。すでに縄は解かれ、吉川の肩で温和しくしている。つい先ほど死闘した相手が哀れなものに見える。この女も自分と同じに思えた。自分たちは得体の知れない目的や計画に動かされている操り人形なのだ。ひょっとして実はこの自分も地下の牢獄へ連行されているのではないか。地下道の暗いトンネルが終わりのないものに思えた。洋介にとって、もう引き返す地上はなかった。

 やがて、地下基地本部に辿り着いた。
 高野隆も野川典子も帰還していなかった。さすがの白装束軍団も疲れ果て、大半が逮捕されていた。だが、まだ潜伏している連中がおり、厳戒態勢は解かれていない。いつまた修羅場が出現するかわからなかった。

「私にはふたつの選択しかなかった」と吉川が洋介の目を見て言った。「石井君を行かせればこうなることも予測していた。でなければ地震を発生させて収拾するかだった」
 吉川は、いつになく釈明を帯びた口ぶりだった。
 ギリギリの選択。それはこれまでにも何度もあった。だが、今回は大勢の命が関わっていた。洋介が杉山を誘き出したことで、グランドクロスへの二次指令が途絶え、暴動の動きが鈍ったのだ。会長の指示がなければ白装束は烏合の衆に過ぎない。その会長である黒崎は杉山の命令で動いていた。

「今、杉山の口を割る準備中だが次の攻撃は公園村を壊滅させるテロ攻撃だったはずだ」と吉川が言った。
「さらに何かが仕掛けられていたと?」
「そうだ。だから石井君の作戦が功を奏したんだよ。ただし、君に隠してあったことだが」吉川が溜息をついて太い腕を組み直した。「君に早くに知らせれば工藤君を案じて作戦に支障が出ると判断したんだ」
「どんな作戦ですか!」
「工藤君は二重スパイだ」
「うそでしょ。いつから?」
「臨海公園村管理ビルでの君の救出作戦のときからだ」
「どういうことですか、わかるよう説明してください」

 簡単には納得させらないかも知れないがと吉川が断り、手短に説明した。
「管理ビルで君が尋問に遭っている最中、香織さんはその手段の一つとして堕胎させられる手筈だった。香織さんが部室に監禁され意識を失っているところへ真理恵、つまり葉子が侵入し、彼女の中に入って語り続けた。時間にして三分ほどだが香織さんしか知らない情報を聞かせて信用させる努力をし、今起こっていることを伝えた。香織さんにとっては夢の中だが記憶は鮮明に残っている。目覚めた後も物語のように思い返せるほどに。そのリアルな夢を信じなければ彼女には何の効果もなかった。だが効いたんだよ。あれだ、おサルのジョージ、サルのぬいぐるみの話だ」
 それを聞き、洋介がまさかという顔をした。
「おサルのって香織と出会った頃に僕がした話を? でも何で知ってたんですか」
「私は知らない。葉子が知ってたんだよ」
「葉子が」
「そう、君を助けたいってずっと言っていた」
 洋介は無言になった。

 杉山の尋問の用意ができたと連絡が入った。高野隆も野川典子も基地に戻っていた。洋介が吉川と部屋に入ると、診察ベッドに横たわった杉山泰子が手当を受けて眠っていた。これまでに何度も戦ってきた相手だが、憎いという感情は消え去り、今では顔見知りのひとりの女に思えた。
 ふと、数年後の都庁ビルでの杉山の顔が浮かんだ。ゼロゼロKYの記憶だ。今、この地下基地で眠っている女が、この先、世界が変わって世界統一政府の手下になっているというのか。ということは、ここで尋問しても展開は何も変わらないと? だったら自分たちが命を賭けて戦っていることの意味がどこにあるというのか。

 高野と真理恵が部屋に入ってきて尋問を始める用意が調ったと告げた。真理恵が杉山を揺り起こすと、間を置いて目を覚ませた。
「気分はどうですか?」
「ここはどこ?」
「どこでもありません」
「私をどうするの」
「これから質問に答えてもらいます」
 ふたりの横で高野がモニター器具のセンサーを真理恵に手渡し、それを杉山の胸に当てようとすると、その手先を振り払った。
「抵抗してもダメ」
「だったら好きにすればいいわ」
「ボスどうします?」
 真理恵が振り返って吉川の指示をあおいだ。吉川が淡々とした口調で言った。
「われわれは拷問などしない。あんたの精神にアクセスするだけだ。それで大方はわかる。そのモニターは心臓への負担を診るためだから心配しなくていい」
 杉山の情報部員としてのマインドコントロール意識はレベル2程度のものだ。組織への忠誠心はあってもロボットではない。諦めたのか、温和しくモニターセンサーを胸に当てさせた。

 高野がスキャナーを杉山の頭に被せ、スイッチを入れた。ブーンと低い音が頭部で響いている。眼球の上で電気信号が点滅した。洋介のマインドコントロールにも使用された装置だが、今は杉山を入眠させ、精神の安定を図るために使われていた。
 脳内の情報をアウトプットする機械は存在しない。人の心が読めるのは人の心だけだ。杉山が横になっているベッドの横でリクライニングチェアに座った真理恵が神経を集中させ、ガクンと肩を落とした。真理恵から抜け出た葉子が、杉山の脳内で読み取り作業に当たっていた。前回、臨海公園村の管理ビルで脳内侵入を図ったときよりも入念に調べていた。

 四十分ほど経って、真理恵が大きく息を吸い、吐いた。何度も大きな欠伸をしたかと思うと、とたんに嗚咽を繰り返し、頭を激しく振り、呼吸が小刻みになっていた。他者の脳に侵入し、情報を読み取ることの神経疲労は想像を絶するだろう。喩えば、国会図書館に収蔵される全ての本の文字を一辺に読むようなものと言えるかも知れない。その中から必要と感じるワードを拾い、後で修復して意味を解読する。人口知能には不可能な作業だが、仮に機械が解析できるとしてもスーパーコンピュータで何年かかるか。いや、人の心がなければ、人の思いが繋げたワードの読み取りは不可能だ。しかもドリーマーの中でも、真理恵と葉子の共同作業ででしかおこなえないものなのだ。それも葉子が洋介を助けたいがために決死の覚悟で試し、可能になった方法だった。

 杉山の脳内から抜け出た葉子が、真理恵の中で同調するのにさらに時間がかかった。話すのに、まだ呼吸が荒い。
「大体、わかりました」
「大丈夫か?」
「はい。ボスが言った、とおりでした」
「無理はするな。落ち着いたら話を聞こう」

 リクライニングチェアに身体を預けた真理恵は頭を重そうにしていた。なかば放心した目で眠っている杉山泰子の横顔を眺めている。そして、真理恵はまだ薄ぼんやりとした意識の狭間で人間はおもしろいものだと思った。
 杉山が洋介を殺そうと思えばそのチャンスはあった。それをしなかったのは洋介をこの世に留めておきたかったからだ。マインドコントロールでロボットにしたのも、職務からというより、自分のものにしたかったからだ。杉山泰子は洋介に好意以上のものを抱いている。それを愛と呼べるのかどうか、真理恵にはわからなかった。葉子が差しのべる洋介への想いに比べると、醜く歪んだ欲求に感じる。だが、人を求めている心は同じなのかも知れない。
――かたちのない愛という想いは、どこかにとどまることなく、ゆらぎ続けるのかも知れない。
 葉子の意識と同調しながら真理恵はそう想った。洋介はその姿を心配そうにして眺めている。

 吉川重則は高野隆と別室で杉山泰子のマインドコントロールについて相談していた。
「なあ高野。杉山をマインドコントロール下においてその実行度はどのくらいだと考える?」
「せいぜい四〇パーセントといったところでしょうか」
「半分以下か」
「われわれのようなドリーマーのサポートがある場合と違いますからね。杉山が洋介にかけた種類のマインドコントロールは戦闘タイプですが、こちらが掛けるのはドリーマー用なのでうまく働くかどうかデータなしですよ」
「しかし彼女は一番、奴らに近いところにいる人間だ。今後の作戦展開で何とか利用したいものだが」
「掛けておいて信用度を半々と考えればいいでしょう。どっちに転ぶかわからないですけど」
「損はないってことか」
「危険回避の保険ですね」
「試してみるか」
「任せてください」
「ところで洋介は大丈夫だろうか」吉川が心配げな顔を露わにして言った。「香織さんのことでかなり動揺しただろうから精神的に限界にきているんじゃないか」
「私もそう思いますね。今、彼が直面しているのはドリーマーが経験することの関門ですから」

 高野が関門と言ったのは、人間の精神構造の複雑さを理解するために通り抜けなければならない、精神強化の通過儀礼のことだ。つまり、人間どうし騙し騙され、嘘の中に隠された真実を発見していく力を得るためには、その嘘の中に入って行く勇気と忍耐力、真実を見抜く知力が必要となるのだ。洋介が直面したのは、その壁を突破する精神力の養成だった。

 高野がマインドコントロールシステムの調整に入り、吉川が診療室に戻ってきた。洋介に少し休むように言い渡し、真理恵に杉山から読み取った情報を伝えるように要請した。地上では未だ、グランドクロスの信者らが潜伏しており、いつどんな行動に出るのかわからないでいた。
 洋介が自分も立ち会っていたいと言ったが、吉川がそれを許さなかった。
「どうしてですか」
「いいから休んでおけ。まだ頭が混乱しているだろう」
「いえもう平気ですから」
「前にも言ったのを覚えているか。一度に多くのことを知るとそれが邪魔になることがあるという話だ。まして今の状況下では混乱が命取りに成りかねない。言っている意味がわかるか?」
「ええ。ただ僕は」
「いいか、強い精神だ。今はそれだけを言っておく。時間がない。早く部屋を出て休んでろ!」

 洋介が部屋を出ると、代わりに高野と野川が揃って部屋に入り、デジタル録音での記録取りの用意をした。吉川が真理恵のリクライニングチェアの横に座った。
「さあ真理恵、葉子から伝わる話をしてくれ」
 真理恵がゆっくり目を閉じ、杉山泰子の中で観たワードの羅列を順番に語り始めた。

(17章へ つづく)


架け橋

2011年07月21日 00時16分20秒 | 航海日誌
ぼくは僭越ながらも、思うことは、なんとか架け橋になることを願っている。独自の論を吐くが、それが精一杯で、試行錯誤ももちろんで、みなさんにどう感じてもらえるかは計りようがないが、なんとかかんとかの思いだけです。だから、また書きます。誤解を恐れず。生かして頂いて、ありがとう御座います。

今起こっていること

2011年07月17日 23時01分23秒 | 核の無い世界へ
生きている限り、諦めないので、また書きます。

私は、現下の放射能禍害について、京大原子炉実験所の小出準教の見解を聞き続けています。作家の広瀬隆さんや、真剣に取り組んでいるフリージャーナリストの記事も読みます。しかし、そのほかのニュースソースは殆ど参考にしなくなりました。何か他の意図を感じるものがあるからです。不純物が混入している意見を聞いている間はありません。

小出先生に、東京都が今、抱えている「下水汚泥汚染問題」について、意見を求めた柳ヶ瀬民主党都議会議員の画像を見て、また、都議会で同議員が質疑する内容を動画で観て、今更ながら、そのヤジを飛ばす他議員の声を聞き、思い知ります。

柳ヶ瀬議員は、都民の安全が護られない、下水処理の放射能問題を問い掛けるのですが、それに対して「不安をあおるな!」のヤジです。福島から飛散した放射能核種が、雨に流されて下水に入り、都の下水処理場へ流れ込み、汚泥となったものを焼却処理し、それを流し、大気中に放出しているのです。柳ヶ瀬議員が専門家に依頼して独自に調べた数値は50億ベクレルという高濃度の放射能といいます。下水処理場は、何の放射能対応もない施設で、3.11以降も以前のままで稼働させています。徹底した調査も行われず、対応策も採られず、そのままです。それでも議会はヤジです! 

実態が解りますか。国も、各行政も、まともに機能していないことを。私たちは皆、今日の賃金の為に働き、今日のごはんを買って生きていますが、明日のことを本当に考えているのか!? 子どものことを考えているのか? 数年後、健康被害が確実に起こり始めますが、そのときはそのときと思っていませんか。私は、そう思っています。小出先生も、「私もどうしていいのかわからないのです」と言う。どうしても、人間の思考の限界をまざまざと見せつけられます。

ですから、ある意味で、もう諦めました。言っても駄目だ。だったら、聞く耳を持つ仲間と何とかしようと思う。聞かない者は誰であろうが相手にしません。また、自らの意見を述べない者も相手にしません。勝手にしてください。そう思います。


ドリーマー20XX年 15章

2011年07月17日 17時03分17秒 | 近未来長編小説『ドリーマー20XX年』
【あらすじ】
新宿で働く安サラリーマン、山田一雄45歳。将来の希望などさしたるものもない独身暮らし。楽しみといえば給料日に歌舞伎町のキャパクラへ行くことぐらいだった。この男がある日、奇妙な夢を見始める。白髭の老人との対話の末に、夢旅行へ誘われ、時空を超えた旅が始まる。やがて辿り着いた世界は、20XX年の新宿だった。

(右下の欄のカテゴリーで、1章から順にお読みください)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~15~~


 洋介は地下基地の診療ルームのベッドの中で微動だもせず眠っていた。額や肩、腕に包帯が巻かれ、手首に点滴の管が通されている。真理恵が付き添い、その顔を眺めている。もう陽が上がり始めた時分だ。

――生きててくれて良かった・・・
 葉子の心がつぶやいている。
 真理恵もそう思い、葉子の気持ちが痛いほどわかった。洋介はかつての恋人だった。その葉子の肉体はもうこの世にはなく、霊として真理恵の中にいる。

 ドリーマーとはなんと奇妙な存在なのかと葉子が思うと、真理恵の目に涙がこぼれた。死んでいるのに死んでいないことが喜ばしいのか、哀しいことなのか。

「身体は魂の乗り舟」ということにほかならない。昨日、起こった事件から今という隙間のような時間への流れの中で、さらにそう思う。乗り移っている葉子からすれば真理恵はこの世に生きている。生きていることがどんなに愛おしいことかと誰よりもわかるのだ。立花葉子が涙を流すのはドリーマーならばこその感情だった。その愛おしさから、ときおり夜の公園内を幽体になって彷徨っていた。以前、モニターに映された女の姿は葉子だった。

 眠っている洋介の思念に葉子がフォーカスすると、今見ている夢が目に映った。洋介が必死の形相で工藤香織を助け出そうとしている。彼の意識はまだ、あの臨海埋め立て地のブロックCにいるのだ。あそこから救出するのは洋介で手一杯だった。とても香織まで救い出すことはできなかった。

 真理恵は診療ルームの長椅子で一時間ほど仮眠し、目を開けた。まだ洋介は死んだように眠っていた。時計を見ると六時になろうとしていた。真理恵が起き上がり、部屋を出て指令室へ向かった。ドアを開けると吉川以下、全員が席に着いていた。

「どうだ少しは休めたか」そう言って吉川が席を立った。「では真理恵、ドリーマー立花葉子の報告を聞かせてもらおう。それが今日からの作戦行動の大事な要となる」
「はい。杉山の言語脳の中の最新ワードをインプットした情報ですが、どこまで正確にアウトプットできるか」
「そうだな。初めての試みだったが」と吉川が言って黙った。ほかのドリーマーたちも固唾を呑んで耳をそばだてていた。

 真理恵が目を閉じて、眉間に皺を寄せ神経を集中させている。
 やがて身体を揺らし始め、沈黙の数分後、もごもごとつぶやき出した。
――輸入停止。非常事態宣言。飢餓。疫病。首都征服。都市解体。国家解体。トキオ区人民管理局。上級民A中級民B下級民C番外民Z

 それらがカテゴリ・キーワードのようだということはわかったが、それを聞くだけでは、それぞれの内容が理解不能だった。

 さらに真理恵がもごもごと言い続けた。
――地球ブロックエリア。人口統制。日本四〇〇〇万人。世界統一政府。

 黙って聞いていた吉川が口を開いた。
「なるほど今後のシナリオのようだな。やはりそういうことらしいぞ」ますます眉間に皺が寄っていた。「杉山は、そのエージェントということだ」

 真理恵がキーワードを単調に羅列し続けた。
――公園村閉鎖。臨海公園村。人民選別。洗脳プログラム。
「現在に近づいたな」吉川の顔に緊張が走った。「おい、その計画は何月何日だ?」
 真理恵の眼球が瞼の中でくるくる泳いでいる。脳内に無数と言っていいほどの言語ワードが飛び交っているのだ。

 その両こぶしを固く握り、激しく髪を振り乱した。
「ダメーッ!」大声で叫んだ。
「オイ、どうした!」吉川も叫んだ。
 とたんに真理恵がわーっ泣き出し、ひくひくと肩を痙攣させると一言を発した。
「ウイルス計画」
 椅子にもたれ掛かったきり動かなかった。

 精神安定剤を投与された真理恵がしばらくして目を覚ませた。
「どうだ?」吉川の心配げな声だ。「まだ苦しかったらしゃべらないでいいよ」
「いえ。できるだけワードを見てて」小刻みに呼吸しながら言い、「とんでもないことを・・・」
「ウイルス計画というと?」
「臨海公園村へ移されたら、そこで選民されて大半の人が」真理恵の声がくぐもった。
「それがウイルス計画か。やつらこそテロリストだな」

 短い会話で吉川はおおよその見当をつけていた。
 臨海公園村へ強制移住させておき、奴隷化に従う人民だけを残そうというのだろう。そうでない者たちは隔離され、ウイルス感染させて殺す計画か。合法的なやり方はいくらでもある。選別した人間にワクチン接種をおこなっておけば、不要な者だけが感染して勝手に死んでくれる。または全員に接種させてもよく、そのワクチンを効くものとニセの二種類用意すればいいだけのことだ。

 しかし、その手間を省くには、今の公園村で大半を反逆者として検挙しておき、臨海公園村建設で強制労働させた後、ワクチンに見せかけたウイルスを投与して感染させれば選別する必要もなくなる。杉山は一斉検挙という手段に出るために、あんな工作を仕掛けたのだ。であれば、あの女に任命された期間が思ったよりも短縮されたと考えられる。世界統一政府の下部組織のエージェントとは、一体どの機関なのか。そこまではまだわからない。

「いずれにせよ真理恵、絶対にそんなことは実行させない。われわれドリーマーが結束して阻止する。作戦計画を立てて行動に移るぞ」
 吉川の腹からしぼり出された声が、部屋中に重く漂っていた。

            ○○○

 地上の公園広場では治安部隊が村民を取り囲み、山本本部長ら情報部員と公安警察が合同で本格的な取り調べの準備に当たっていた。グッタリ疲れ切った住民たちを並ばせ、仮設テントの中でひとりずつ尋問した。発砲した五名の男のほかにも共謀者がいないかが取り調べの目的で、不審者は本部へ連行するのである。

 そこに杉山泰子の顔もあった。彼女が平然とそこにいられるのは、石井洋介が真犯人であるとの証拠を持って帰還したからである。
 その証拠というのはいくつかのビデオ映像で、決定的なのは谷田部の指示で洋介が行動しており、グランドの爆破準備と発砲場面が動かぬ証拠となった。そこは抜かりのない杉山である。マインドコントロール下にある洋介のシーンを記録映像に残していた。

「予想外だったな」と山本が苦虫を噛むような表情だ。「しかし秘密組織から逆にマインドコントロールを掛けられていたとはな」
「現在、捜査員が石井を追っています。検挙は時間の問題でしょう」平然とした顔で杉山が答えた。どこに潜んだのかわからなかったがエージェントのひとり、あの大柄な男を差し向け、公園村近辺を捜索中だった。
「二重スパイか。手厳しい尋問もやむをえん」
「私にお任せください」杉山は腹の中では「今度はもう生かしてはおけない」と思った。杉山のS的感覚がピークに登り詰めていた。

 地下基地では、ドリーマーたちの作戦会議が始まっていた。真理恵も出席しているが、洋介の姿はない。まだ起きて話せる状態までに回復してはいなかった。
 吉川がホワイトボードに、臨海公園村と管理ビルの図を描き、昨夜からの行動模様を説明し終わっている。

「ここは管理ビルだが中身は杉山ら工作員の基地だ。われわれのターゲットはこことなる。まだ期日はわからんが村民が移されたらいつウイルス感染させられるかわからん。だが仮にこの施設を爆破したとしても一時的に回避させられるだけの話で終わってしまう。やはり以前からの計画、ネット人垣作戦しかないな。ネットで結集を呼びかけて各地方でデモ活動を展開しつつ、この東京でも一〇万、いや一〇〇万人のデモ集会を決行する」

 全員が黙って吉川の話を聞いていたが、高野隆が手を上げた。
「最近はちゃんねるCO2へのネット妨害も多くて。情報部の検疫もですけどわけのわからない連中のサイバー攻撃も激化してます。おそらくネット世界でも総攻撃に出るでしょうね。今、ちゃんねるCO2のネット会員は六〇〇名ほどですが、この人たちはすぐに動いてくれるでしょうけど問題は毎日見てるアクセス三万人への説得力ですね」

「なにかいいアイデアはあるか」と、吉川が問うた。
 間を置いて高野が答えた。
「リアル映像しかないかと」
「たとえば?」
「絶対マスコミ報道されない映像。昨夜の爆破シーンの一部はモニター撮影があります。南ゲートにいる情報部員らが映ったものとか広場で村民が逃げ惑うものなどを映像編集すれば治安部隊が村民を威嚇している場面をアピールできるし、戦場場面そのものですからテロップ解説に説得力が出ますよ。政府は村民検挙を実施し、その裏で秘密部隊が動いているといった。で、間もなく全国規模で強制収容が敢行されるぞ、みんな明日は我が身だ。大至急、情報拡散をと呼びかけるわけです」

 聞いていた全員が、それしかないといった表情を見せ、真理恵が拍手したのをきっかけに皆が手を叩いた。
「公表する段階に入ったな。よし。その作戦でいこう。すぐに編集に取りかかってくれ。作戦名を“明日は我が身だ”としよう」

 この日の昼までに、ちゃんねるCO2に「明日は我が身だ」がアップされた。ネット原稿は野川典子が担当で、映像デザイン編集は高野隆だ。
 まず、サイトを立ち上げるといつもどおり「ちゃんねるCO2・自分の脳に新鮮酸素!」といったタイトルが出て、赤い大文字で「緊急報告! 秘密部隊の影」と続く。それから記事となる。

――昨夜未明、戸山公園村箱根山がテロ爆破攻撃に遭いました。治安部隊が突入。死傷者が数名出た模様。そこまでは一般ニュースですけども・・・テレビ新聞では絶対に報道されない信じられない事件です。添付の動画を、ぜひご覧いただき、ご自身の目で確かめてください。

 この動画は投稿者によりYou-tubeにアップされたものを資料映像として貼り付けてある。再生時間は9分ほど。

 爆発時の閃光が暗い広場を一瞬、明るく照らし、人々の姿を浮かび上がらせている。二回目の爆発模様だ。その後、連続して銃声が響き渡り、喚き泣き叫ぶ声と、人々が広場を逃げ惑うシーン。人が血を流して倒れているアップは監視モニター画像ではなく、野川典子が携帯モバイルで撮ったものだ。映像が切り替わり、治安部隊の装甲車が接近、拡声器で「本部隊は攻撃を開始する!」と隊長の声が広場に響き渡っている。南ゲート前の対策本部が映り、物々しい隊員らの集団と情報部員らが動き回る場面で映像が終わる。

「明日は我が身だ」と題して添付した動画の再生▲マークをクリックし、映像を見返した高野隆が「ド迫力だな」と言った。
「テレビニュースで流れたのとはわけが違うわ」
「報道規制されたからな」
「治安部隊が市民に向けて攻撃するなんて昔の天安門かタイの暴動ものよ。でも、この動画すぐに情報部の圧力で消去されるわね」
「ああ、時間の問題だろうな」

 この動画がアップされて一時間が過ぎていたが今のところは流されていた。アクセス数は八〇〇を超えている。大方がネット会員だろう。その中にはすでに動画を自分のブログに貼り付けたとカキコミしている読者も何人かいた。事情を察した多くのブロガーたちが情報拡散を図っているに違いない。夕方までには全国でこの事実を映像で知る読者が数万に達するはずだ。ネット世界はまさしく時間との勝負だった。

 高野と野川は、急ぎ次のネット記事作成に取りかかっている。続報として午後一時にアップする予定だ。
「緊急集会! 開催決行」として、三日後の土曜日に戸山公園村北ゲート前に集まり、抗議大会を開催するといった内容だ。この呼びかけでどれほどの人数が集まるかは不明だが、会員の内で一〇〇人でも駆けつけてくれれば、村民の仲間と合わせてある程度の規模で反対表明ができる。その様子を録画してすぐにネット配信し、「明日は我が身だ!」と各地の公園村の人々に訴えかけるのだ。

 ただ、デモ活動は以前のように簡単ではなかった。幟やビラ配りは規制され、拡声器の使用も禁じられていた。集まってできるのは、無言の表明である。真実の声を広く伝えられるのはネット世界のみだ。しかし、それもネット規制強化法案が国会で可決されれば、来月からでも「自由発言」ができなくなる。ネット世界が時間の問題というのは、そのことでもあった。

 高野と野川が思ったとおり、二時間後に「明日は我が身だ」動画は、プロバイダーの自主規制という名目で配信が停止された。You-tubeにアップされた動画が消された時間としては異例の早さだった。一度、配信を停止されてしまえば、同様の動画はすべて消されてしまう。対応策はあった。DVDに動画を落として、各会員へ宅配すればいいのだが、しかしすでにそんな時間は残されていなかった。明日にでもエージェント杉山泰子らは行動を開始するかもしれないのだ。

               ○○○

 診療ルームでまだ目を閉じたままの洋介は夢の中にいて、うわごとを口走っていた。

「香織、香織、行っちゃダメだ・・・」

――広い緑の丘にいて、その先に香織が立っている。それを追いかけるが、いつまで経っても追いつくことができない。香織の手の先には小さな女の子がいて、手をしっかり握っている。やがて香織と女の子が丘の上に登って、その彼方を眺めている。また追いかけるが空転するばかりで足の感覚がなかった。オーイと叫ぶが声も届かなかった。

 場面が変わり、自分がピストルで人を撃っている。男たちが、どさり、どさりと倒れていくのを無表情で眺めている。いくらでも弾が撃て、そのたびに人が黒い血を流し、倒れていく。もう、戦争なんだ。だからいいんだ。そう、しゃべっている。

 また、場面が変わり、丘の向こうが見えている。その先は累々と折り重なる人間の黒い塊。そこへ香織と女の子が下りて行くのが見える。自分の足が空転している。どこまでも追いつけない。大地を覆う黒い塊が彼方まで続き、大海原のようにうねっている。一個一個が生きているのか死んでいるのかわからないが、黒い塊全体が遙か遠くへとうねっていき、その果てが見えない。香織と女の子の姿ももう見えない。

 洋介は全身にびっしょり汗をかいていた。わたしである山田一雄は今、洋介の身体を離れ、天井付近から今しがたの洋介の夢を傍観していた。宿主の夢に入ってしまえば二重の夢の世界から戻ることができなくなるからだ。洋介の意識が戻ったところでまた、すーっと身体に入った。とたんに虚脱感に襲われ、なにかがすっかり自分の中から抜け出た感覚だけがあった。同調しているのが辛い。耐えながら、洋介を支えた。

 真理恵が部屋に入り、「大丈夫?」と声をかけた。無言の洋介を見て「まだ休んでいたほうがいい」とひとりごちた。
「もう始まった」と洋介が口を開いた。
「ええ、作戦を展開中よ」
「戦っても無駄だ」
「諦めるの?」
 また洋介が黙って目を閉じ静かになった。
 真理恵が母親のような素振りで薄掛けを直してやり、部屋から出た。
 それに合わせるようにし、わたしも洋介の身体を離れ、天井を抜けて地上の世界へ出た。

 葉子と違い、わたしは幽体ではあるがまだ同次元に山田一雄の肉体を持っている。その肉体とは銀色の糸のようなもので繋がっている。だから葉子のように蝶のごとく自由に舞い、空間移動するのは楽なことではない。銀の糸は重く、身体を引きずるように路上を漂い、南ゲートまで進むのに三〇分もの時間を要した。それに洋介の中に入った初期の頃と違い、ほぼ同調している今はそう長く洋介から離れていることができない。長時間、分離しているとわたしの意識がこの次元から薄れ、異次元の迷い子になるかもしれない。

 仮設テントの対策本部を覗くと、山本本部長の姿はなかった。杉山泰子はいた。ほかの情報部員となにかやりとりをしている。近くまで寄って耳をそばだてた。
「もう時間がないわ」
「そうですね。で、その指令はいつ?」
「これからよ。行動開始は土曜の集会直前」
「直接ですね」
「彼らを動かして実行させるの」
「了解」

 この男も杉山のマインドコントロール下か。一体この女は何人の男にマインドコントロールを掛けているのか。男たちははべらせる場面を想像したわたしは、杉山の顔に唾を吐いた。

「いい、私はこれから臨海へ行くから山本本部長が帰って来たら吉川捜索中と伝えるように」
「了解です」
 杉山の後ろに着いて南ゲート外のハイブリッドカーへ行き、助手席に座った。ダッシュボードのフタ半分が溶け、間に合わせにガムテープで補修されていた。洋介の携帯モバイルが発火したせいだ。

 キーを回し滑るようにハイブリッドカーが動き出した。首都高にクルマを乗り入れると、カーステレオのスイッチを入れた。ハードロックがガンガン鳴り響く。それに合わせてアクセルペダルを踏み込むとキューンと響くエンジン音と共に車体が加速し、杉山は束の間のハイウェイドライブを楽しんでいる。フロントグラスに向けられた目が据わっている。前を走る貨物トラックがのろく感じられた。脇に退けとばかりにハイビームを浴びせかけた。赤い唇を舌で舐め、さらにアクセルを踏み込む。メーターが一八〇キロを超えていた。

 一瞬、洋介の思念が浮かんだ。
――ハンドルを握る女の腕を掴め!

 だが、それは叶わない。わたしが掴んでもすり抜けるだけだ。葉子のように憑依することもできない。わたしが可能なのは洋介への介入だけだった。もし、洋介が今ここに乗っていれば躊躇わずそうしていただろう。ハンドルを取られてコーナーに激突し、クルマごと粉々だ。

 あっという間に湾岸線に至り、臨海公園村建設地まで到達していた。ゲートをくぐり、管理ビルの前にクルマを滑り込ませ、エンジンを切った。その窓のない管理ビルの中に入ると、大柄な男が出迎えた。

「皆さんお待ちかねだ」
「ここまで二五分を切ったわ。新記録よ」と言って杉山が瞳を光らせた。
「自分なら二〇分を切る」と大柄な男が無表情に言った。

 ふたりは無言で長い廊下を歩き、会議室に杉山がひとりで入り、大柄な男は扉の両脇に立つ二名の警備要員と共に外に残った。
 そこは円卓会議テーブルで、ざっと三〇名ばかりの人間が座っていた。年齢層は四〇代から七〇代で、穏和そうな風貌でも眼光が鋭かった。そのどれもが要職に就いていると感じた。ほとんどが日本人のようだが、三名の白人も混ざっていた。

 会議室にいる中で最も若いと思える色白の男が「では、本会議の前に少しお時間をいただいて情報部の杉山から公園村移転の進捗状況をご説明させていただきます」と言った。

「皆さま、お待たせいたしました」椅子から立ち上がり、杉山が頭を下げた。「では、手短に直下の計画をお伝えさせていただきます」
 その丁寧な言葉使いから察するとおり、そこに並ぶ人間たちは杉山が所属する組織の幹部に違いなかった。

 杉山から見て中央に座っている六〇代後半と思える男が口を開いた。
「杉山君、B計画を成功させることが出来なかったではないか。どう収集をつけるのだね」と、くどい言い方をした。どこか政治家のような独特の言い回しに感じられた。或いは大企業の会長のような口調とでもいうのか。
「申し訳ございません。ただ、例のグループにダメージを与えることができました」
「ダメージかね」
「はい。リーダー格は始末できませんでしたが、その仲間の男は再起不能かと」
「その程度か」と男が不満そうな顔をした。「昨夜の計画で敵対する者は一掃するはずだっただろう。今度は決定打を与える計画だろうね」
「もちろんです。皆さまにお集まりいただいて」
「後はないと思いなさい」
「はい。承知しております」杉山が首根っ子をつままれた仔猫のように背を丸め、かしこまった。
「計画を聞こうか」
「次の土曜日にC計画を実行します。そのためにグランドクロスのメンバーを動かし、戸山公園村での抗議集会を潰します。その際、秘密組織を壊滅させる次の手段も準備しております」

 右隣に座る白髪の男が言った。
「どんな手を使うのか知らんが後で国家安全保障局の堅物どもを丸め込めるのかね」
「あの連中なら問題ないでしょう。所詮は公務員ですから」始めに口を開いた中央の男が受け流した。
 それに呼応するように杉山が言った。
「教祖はマインドコントロールで完璧に操れます。グランドクロスは世間からすれば怪しいカルト集団ですから解体して消し去ります。それでなんの問題も残りません」

 また、白髪の男が言った。
「まあどんな方法でも構わんが成果はあげてもらわねばならん」
「必ず一掃するとお約束します」

 グランドクロスとは、約束の日に惑星が一列に並ぶとき選ばれし民が神になるといった信仰で集まるカルトだ。神になる日を待ち望みどんな辛い修行にも耐えると山に籠もっている連中だが、そのカルトをどう使うというのか。

 会議室の天井付近に浮かんで考えていると、意識が少しずつ希薄になりだした。洋介から離れて一時間が過ぎていた。もっとさらに詳しい話を聞かなければ・・・奴らはなにを仕掛けるというのか・・・ここに集まった連中は何者なのか・・・

 管理ビルを出て、ゲート外にいた資材トラックに乗り込み、湾岸道路を走る荷台の上でどんどん意識が薄くなっていた。トラックは千葉方面へ向かっているようだった。反対方向へ走るクルマに乗り移り、何度かそのように繰り返して新宿まで辿り着いたときにはもうほとんど意識が消えかかっていた。戸山公園村の地下基地へ消え入るように沈んで行き、ベッドで眠っている洋介に重なったときにはわたしはもう幽霊そのものだった。

              ○○○

「それが杉山泰子の正体だろう」吉川がそう言ってベッドで話す洋介の顔を見た。「臨海公園村に集まっていたのが国際秘密結社の日本支部の連中だ」
「どんな組織なんですか?」
「その説明は簡単じゃない。本拠地がないグローバルにネットワークされた組織とでも言えばいいだろうか」
「では、いわゆるフリーメーソンだと?」
「フリーメーソンか。石井君もそう思うか」そう言って吉川が溜息をついた。そしてフリーメーソンについて語った。

 そもそもフリーメーソンとはなにか。中世ヨーロッパで誕生したとされる秘密結社には違いないが、その興りは石工の組合である。城郭都市建設に石工技術は不可欠であり、その組合組織は利権を握っている。ヨーロッパ各地でネットワークし、各地にロッジと呼ばれる支部も誕生していった。当初は石工組合だったフリーメーソンも、時代を経ると共に性質を変えていき、貴族や富裕層、インテリ階級の思想政治結社の色を帯びていった。また、それぞれの国ごとにフリーメーソンの特色も出て、政治や経済に絡んだ活動も複雑化する。だからフリーメーソンを一枚岩のように考えても、氷山の頭を眺めているに過ぎない。この日本でも幕末、薩長の間を走り回った坂本龍馬も長崎のグラバー商会の力を借りて軍艦や武器を調達したが、そのトマス・グラバーもフリーメーソンだったという話は有名だ。現在もフリーメーソンのロッジ支部は全世界の主だった都市にあり、堂々と看板を掲げている。ではなぜ秘密結社と呼ばれるのか。それは会員制とはいえ選ばれた者しかなれないし、会員になる際、秘儀があり、極めて厳しい秘密厳守があり、会員間の相互扶助は家族や国家を超えるといった結束の固さなど、外部を受け付けないフリーメーソンの秘密主義がオカルティックな印象を与えている。

「フリーメーソンと言っても実態を把握する者は部外者には皆無だし、その組織内にまた違う性格を持つ組織もある。フリーメーソンのネットワークを利用する組織内組織だ。世の陰謀論者はなんでもかんでも代名詞のようにフリーメーソンだと言って、それで事が片づくと思っているがそんな単純なものではないのだよ。また、ユダヤの陰謀だとも言われてフリーメーソンと同根にして語られるがね。関係性がないわけではないが正解とは言えない。ユダヤ陰謀説も一種のカモフラージュかもしれん。では答えはなにかだが、答えられないというのが答えだ」
「だから国際秘密結社だと?」
「まあ、そういうことだ。アメリカのCIA、ロシアのKGB、イギリスのMI6、イスラエルのモサドなどといった諜報機関には名称があるが、この国際秘密結社には公表される組織名など無いんだよ。もちろん下部のエージェント組織にも固定された名称はない。必要に応じて名称など変えるからだ。各国の諜報機関は各国家に所属しているが国際秘密結社には国家がないからすべての諜報機関に絡んでいるかもしれん」
「すべての諜報機関にエージェントが潜り込んでいると?」
「その可能性は大いにある。もっともそれぞれの内部での動きなど捉えようがないからあくまでも推測に過ぎんがね」
「でも国際秘密結社の大本はアメリカにあるんじゃないんですか?」
「2000年代に入ってから、やたらとグローバルが標語のようになっただろう。やれ経済のグローバル化がどうだとか。アメリカから発信されたキーワードには違いないが、グローバルネットワークが帰属する国などないよ」
「なら、なにが彼らを結んでいるんですか?」
「血と金、つまり血族と金融ということだ」
「ロイヤルファミリーですか?」
「もっと根は深い」
「その根がこの日本にも張っていると?」
「この国がジパングと呼ばれた頃から。宣教師は調査員として送り込まれたエージェントだ。一六世紀に大洋を渡って東アジアに来るのにどれほどの金が必要だったと思う。現代なら月へ行けるぞ。そんな歴史の話をしていたら切りがない。もっと根っ子を探ると紀元前の世界へ行ってしまうことになる」
「いや、また頭が痛くなってきましたよ」
「まだ休んでいたほうがいい。今回、君は相当痛めつけられたからな」
「真理恵さんは大丈夫なんですか?」
「彼女はぎりぎりだった」吉川は立花葉子の名を出さずに言った。「明後日、土曜日が大きな転換の日になる。奴らも全力で仕掛けてくるだろう。こちらも万全で挑まねばならん」
 そこまで話すと吉川が丸椅子から腰をあげ、「ゆっくり休んでなさい」と言って病室を出て行った。

 ベッドに横たわったまま洋介の考えが止まることはなかった。白い天井壁を眺めながら思った。その思念はゼロゼロKY山田一雄が中心だ。
 以前、まだ洋介との間を行き来している頃、M師が教えてくれた世界変動の話が、今いよいよ具体化しているのだ。それを阻止するのがドリーマーの使命だと。そう、M師がいつになく真顔で言ったことを思い出す。

「これからは世界中のドリーマーが手を取り合って立ち上がる時が来るんじゃ。わしの上の者がそう言っておってな、わしゃそれ聞いてこりゃ大忙しじゃと思ってのう」
 また、M師はこうも言った。
「人間界はドラマの舞台じゃ。思いつく限りのことが演じられる。そこで人は人と闘い、また助け合う。人間の世界の事は人間でやれねばならんのが約束じゃ」

 あれからもう、どれくらいの時が経ったのだろう。初めて二〇XX年の新宿の地を踏んで、その時代からここに戻って、自分のいる時代はすでに過去で・・・時間なんてあって無いような気がした。今度は本番、長い旅だと言われて、もう、しばらくM師の顔を見ていない。洋介には申し訳ないとこをしたと思う。自分が工藤香織に接近したいがために、彼を巻き込んでしまった。今、洋介は香織と子どもを失いそうになり、戸山公園村の仲間と戦うことに自分の全人生を賭けている。

 あの、コンビニでアルバイトしていたどこにでもいそうな青年・・・
「すまん! 許してくれ!」山田一雄が心の内で大声で叫んだ。
 洋介が声にして返した。
「違うよ。これが僕の現実さ。むしろありがとう」
「洋介、俺を使ってくれ。明後日の戦いで俺はもうどうなってもいいから頼む」
「山田さん忘れてるぜ。約束したじゃないか思えば赴くってさ。それを思うのは誰だい。僕も同じようにそう思うからこうなってる。そのことになんの後悔もないよ。この苦しみだって香織を愛してるから、これから生まれて来る子どもが愛おしいから、そう感じることができて幸せだと思うよ」
 洋介がベッドの中でひとり、涙を流しながらつぶやいていた。

 地下深く窓のない病室のテーブルに白い百合の花が飾ってある。甘い香りが部屋に満ちているのに、ふと洋介が気づいた。花の匂いに目を向けると、風もない部屋で白いその大きな花弁が頷くように、ふわり揺れた。真理恵の手で葉子がそっと活けたユリの花だった。

(16章へ つづく)


西で感じたこと

2011年07月16日 12時10分57秒 | 航海日誌
昨日まで取材で関西をまわり、そこで感じたことを書きます。まず、大阪府和泉市へ向かい、和泉の駅でタクシーに乗ってドライバーさんに、原発をどう思うか聞いてみました。「出稼ぎで大阪からも労働者が行ってますよ。時給はそんな変わらんでも、三食付きでええらしいから」

さて、取材で訪ねた相手は、食品関係の方々なので反応は違いました。「安心・安全でおいしいもの」を提供するのが食品に対する共通認識です。放射能の脅威は深刻な問題と、皆さんおっしゃいました。しかし、現状でどうすればいいのか、ゆくえを見守っているといった感じです。ある方は「日本人は温和しいから黙っているけど、外国だったら大騒ぎでしょ」と言いました。原発問題はまだ一部の人々が声を上げているだけで、あとは静観している今も、やがて状況が変わっていくのではないか。日本全体の大問題は、これからだと感じました。食品問題として、「放射能トレサ」という言葉が、聞かれるようになるはずです。そうなれば人ごとではなくなります。

奈良では、移動の合間で時間が出来たので、以前からお参りしたいと思っていた天理市にある「石上(いそのかみ)神宮」を訪ねました。ご存じ天理市は天理教の宗教都市です。初めて訪ねて町を歩くと、教会の大きさに驚きました。駅から真っ直ぐ天理教の敷地を通って、その先の山手に石上神宮が鎮座されていて、辿り着くまでに2キロも敷地の中を歩きました。ちなみに石上神宮は天理教の神社ではありません。

石上神宮は、日本最古の神社として知られ、三輪の大三輪神社と系列を同じとしております。当地は布留の里と呼ばれ、山辺の道にあります。駅から4キロほど歩いて辿り着き、お社の森の木陰に癒されて、ふと、懐かしさのようなものを感じつつ、やっと来させてもらえたとある感慨が湧き起こりました。数年来の願いでありました。

正式参拝で「東日本大震災の鎮魂と福島原発の禍害平定祈願」をお願いしました。石上神宮は、命の源を司る神さまとしてお祀りされております。十種神宝(とくさのかんだから)は、死者を蘇らせる神法として当社にお祀りされております。蘇りといっても、ゾンビではありませんよ(笑)。御魂鎮めであり、隠世での蘇りであります。社務所の若い禰宜さんとしばらく立ち話をしていると、「帰幽」とおっしゃいました。魂がすこやかに帰ること。これがとおといことなのだと教えてくださいました。

今、この世に生きている者は、生かして頂いて有り難いと感じ、隠世へゆくものを鎮魂し、また、生まれてくるものをお迎えするのを勤めとするのですね。だれも、さまざまな思いがあり、それぞれの縁でそれをする。「もの」とは者であり物であり、見え隠れするモノ。私たちがよく「そういうもの」というときの「もの」ですね。形があるでなし、ないでなし。われわれに宿っているものがものです。ややこしい話ですが、これは本来、言葉を超えた話なので、理屈でなく、感じるままに想って頂ければと思います。

私なりの鎮魂の旅の話でございました。


ちょっと出かけます

2011年07月12日 22時14分11秒 | 核の無い世界へ
明日から、出張取材で関西方面へ出かけます。週末まで記事が書けませんので、過去記事をお読み頂ければ幸いです。

ところで、当ブログの読者で、それぞれの方法で励ましのお言葉をくださる方がいらしゃって、それがとても励まされます。書き手にとって、何らかの意見なり、感想なりが刺激になります。ことにこの4ヶ月はほとんど原発問題について書いてきました。私が書く情報がすべて正しいとは思いませんが、少なくとも、今の世の中の現況をどう観るかについて、真剣に書いています。

外で書く、つまりギャランティがついている記事の場合は、踏み込んではいけない暗黙の了解があり、思うようには書けない事がほとんどです。商業誌とは、スポンサーと繋がっており、その関係バランスで成立しています。東電とマスコミの関係はそれが顕著だということです。

私は数年前に、始めてオーダーがあった電力関連の記事を書くことを断ったことがあります。その理由は、「原発」を容認することになる、というものでした。「私は被爆二世です。電気がクリーン・エネルギーだと書けば、私は嘘をつくことになります。いくら売文業でも、それだけは書くことができません」。断るのは、フリーランスの身でけっこう勇気がいることでした。断るのに一晩かかりましたから。

ギャラのいい、おいしい仕事でも、それを食べれば毒リンゴです。奇麗事でないのが仕事ですが、決して踏み込んではならない領域があります。仕事だから仕方ないは言い訳にしかなりません。自分に嘘をつけば、もっとも過酷な試煉が待っています。今、原発が、すべてを代表して、そのことを現しています。


7.11

2011年07月11日 08時18分24秒 | 核の無い世界へ
3.11から4ヶ月が経ちました。長いような短いような、休まる日のない濃密な日々でした。針が刻む物理時間と葛藤渦巻く心理時間が入り混ざっているからです。「天災は忘れた頃にやって来る」といったのは、寺田寅彦博士だそうです。今回はまだまだ忘れるどころか進行中です。

いつまた地震が起こるか・・・原発が事故を起こすのでは・・・と心配していても始まりません。心配は「心を配る」という意味であるように、では、どうすればいいかと考えることです。不安を増長させる心配はいりません。寺田博士はそう云っていると思います。

このブログで何度も放射能の禍害について書いていますが、それは事実を注視してほしいからです。決して不安をあおるのが目的ではありません。無用の原発は、ドイツでは「全廃」すると先週8日、国会で可決されたように、先では日本も「全廃」となるでしょう。健康被害が出て、国民の声が高まって、必ずそうなると宣言しておきます。しかしまだ、「将来の不安より、今日のご飯」と、各地の原発の町ではそういう言葉が発せられているとか。直接の被害が起これば、そんなセリフも消えるでしょう。ご飯を食べる前に死が迫ります。

この先を中長期で考えれば、この関東以北に住む人々は、ますます健康維持、増進に努めることになります。新陳代謝を増進させ、体内から放射線物質を排出する。そのためには運動が必要です。私は合気道をおすすめします。試合せず勝った負けたのストレスがなく、武道の合理で身体を動かし、心身錬磨に励みます。夏場などは、1時間の稽古で1リットルの汗が出ます。稽古が終わると心身ともにリフレッシュします。

これからは、食生活や運動など健康維持の方法をよく知り、実行する生き方で、寿命に大きく差が出る時代になりました。しかし、長い短いではない。より良く生き、生きていて良かったと思える人生が最高です。ご自分の身体を心配し、家族や仲間へ心配りをして、せっかくの人生を謳歌していただきたい。その、人生に感謝が出来る生き方。私が言いたいのはそれだけです。