ドリーマー20XX年は、物語がどうこうではなく、何か、国家的な危機が起こった場合、民衆はどう立ち上がることができるのかを、ひとつのテーマとしました。
それが、どう伝わるか、皆さんがどう考えるか、それが知りたいのでした。
私のちっぽけな頭で必死で考えて、やはり自分の思い、考えを「声」にしなければ、なるがままに、されるがままになるということでした。
それが今、現実に起こっているのです。福島第一原発は、事態を終息させておらず、政府の甘い発表と、実際は違うようです。すでにチェルノブイリ汚染の3分1もの放射性物質が自然界へと放出され、福島だけでなく、東北・東関東周辺に撒き散らされている。西日本への到達している。他人事ではないのです。
東京にいる私もすでに内部被爆しているはずです。検査機関で尿を計れば、川口市の10歳の女の子と同じく、セシウムが出るでしょう。内部被爆は、外部被爆の600倍の放射能の影響を受けるというデータもあります。私は、これを仕方ないとは思いません。政府や電力会社の犯罪的な行為がそうさせたのですから、仕方ないことではなく、どう、落とし前をつけるのか、今後をどうするのか、子ども達にどう責任を取ることができるのか。それしかない。
これから二次的な被害が広範囲に広がります。秋になればコメの収穫期ですが、コメ騒動が起こる可能性もありますし、牛肉に限らずそのほかの食品汚染問題から、食糧難が起こる可能性も高い。今すぐではないが、ほんの数ヶ月後にそうなった場合、何も対処していないと、パニックです。70年代のトイレットペーパー騒動どころの話ではありません。まともに食べるものがなくなったら、どうしますか。いや、ちょととくらいなら。そう、今もそうして微量でも放射能が付着した野菜などを食べているのです。自分はいいが、子どもにそれを食べさせることの苦しさを感じないはずはない。
昨夜は、正直、頭に来たので、もう、こんなもの書くもんか!となりましたが、一夜明け、また書こう、誰が読んでるか、どう思うか知らないが、伝えなければいけないことを書こう。それほど私も精神的に混乱しているのです。
人は、人に理解され、互いに助け合えることで、生き活かされていると実感できます。
私のこのブログにではなくても、もし、何か思うのなら、周辺の人と話し合ってみてほしい。何か方法はあるのか、やれることはなにか。そうは思わないのなら、もう、あたなは仕方がないと諦めているのでしょう。どう生きるかは、その人のもの。そういう選択もあるでしょうが、私は生きている限り、声を出し続けたいと考えます。
渦中にいることを誰も避けられないのです。