『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

百歳万歳

2012年05月30日 21時22分29秒 | 航海日誌
映画監督の新藤兼人さんが、昨日5月29日に百歳でお亡くなりになった。代表作「裸の島」、「原爆の子」「第五福竜丸」など、社会派映画の監督として知られ、98歳の時の「一枚のハガキ」が遺作となった。

新藤さんとは広島の石内村の同郷で、10数年前に一度、お会いしたことがある。私が当時、編集していたラパンという雑誌のインタビューで山城特集を組み、広島の山城の思い出話を聞かせてもらった。

「子どもの遊びといえば野山へ入って転げまわっていた、水晶ヶ城という山城で水晶が取れるんです。それが宝物でね」という話を聞き書きした。映画に関しては、当時は「活動」(無声映画)をやっていて、しかし、子どもに金などないから、山で薪(たきぎ)を拾って、それを町で売って観に行ったということもお聞きした。大正時代、新藤さんが尋常小学校の頃の話である。

その頃から映画好きだったのだと知って、それが生涯、現役映画監督としての人生をまっとうされたのだと思うと、何かをやり通し生きる力の素晴らしさを想う。

百歳万歳! 新藤さんの後に続く者として、哀悼の意を表します。

生かして頂いて 有り難う御座います

ローリング ザ ボール 522

2012年05月22日 22時44分07秒 | ソウルボート著者紹介
エブリシングス オーケー

ずっと忘れていたサウンドを聴いて、そうだ、音だ。
音が、耳から入って来て、わたしを、誘う。
ずっと忘れていた音が、雨音のように、染み入って、
涙になって、こころのまわりに流れ込む。

おぼれればいい

大粒の水滴の洪水だ。

サウンドが水だ。

流れればいい

ちくちく刺す

ひらひら踊る

とん、と押す

なめらかに舐める

ローリング ザ ボール

わたしがボールだ。

ころんころん

ボールだ。

フクシマへ2

2012年05月20日 21時43分54秒 | 核の無い世界へ
早朝にバスで東京を出て、福島県二本松近郊の農地へ田植えツアーに向かいました。ここは福島第一原発から直線で約60キロ離れた山間地です。村の公共施設前に集合して、さあ、これから田植え体験の始まり。すると、建物のすぐ横に、線量計が設置してありました。モニタリングしてデータを取っているようです。

その数値は、0.488μシーベルト/h 10分後には0.511に変化。都内(豊島区)で、0.08~0.1くらいだから、5倍以上の放射線量です。次に、安達太良山の中腹へ行きまして、そこで持参した簡易線量計で測ってみると、0.3でした。また、平野部へ戻って、計ると0.4。高速道路の安達太良サービスエリアのベンチで計った時が一番高く、0.8ありました。帰路、栃木のサービスエリアでは0.3に下がっていました。

さて、0.4~0.8μシーベルト/hという単位はどうなのか。年間換算すると、5ミリシーベルト以上になります。国際基準の安全範囲が年間1ミリシーベルトですから、その5倍以上の値になります。

数字を羅列しても、ほとんどリアリティがないかもしれませんが、現地にいて、それを自分で計ってみると、得も言われぬ気持ちになりました。ここに多くの人々がふつうに暮らしていることの、酷さ。現地の人に、どう思うのかと尋ねることもはばかれる。

こちらの気持ちを察した人が、こんな話をしてくれました。「もちろん、みんな放射能のことを気にしていて、野菜にしても、徹底的に計って食べているんですよ。安全なものしか出荷しない。でも、福島の風評は消えません」

事実、放射能は消えていないのだから、風評が消えることはないでしょう。「がんばれ!福島」と叫んでも、どうにもなっていない。出来るのは、徹底した検査体制での出荷しかない。それでも福島産は避けられる。どうしようもない現実です。

現地の人たちは、先祖代々の土地、田畑があってずっとそこで生きてきた。どこかへ移るといって、どこへ行けばいいのかという人が殆どでしょう。だから、一生懸命に放射能と戦って、生きている。

福島のいわき市から来ていた人が最後にいいました。「私たちを福島を助けてください」。田植えツアーも応援の企画でしたが、それ1回でなんとかなるものではありません。どう、助けられるというのか。

暗たんたる気持ちにさいなまれ、言葉が出ません。考えられるのは、政府、行政の介入しかないのではないか。まずは、原発の収束が先決で、と同時に住民の安全を護る本当の施策しかない。そのことを私たちは訴え続けるしかないが、依然、善策がなされないまま、もう、1年以上も放置されているとしか感じられません。

この国の住民のひとりとして、申し訳ないとしか言いようがない。年間5ミリシーベルト以上にもなる福島に住む気にはなれない。けれど、同じ日本人たちが住んでいる。外からは何とでもいえるけど・・・申し訳がない。福島へ行ってみて、実感したことです。

フクシマへ

2012年05月18日 21時46分23秒 | 核の無い世界へ
明日、福島の二本松近くの村へ田植えツアーに参加して行って参ります。福島の田んぼで苗を植えて、米づくりの体験をする、というのが今、どんな意味を持つのか。

福島第一原発、未だ収束せず。福島どころか、この日本や北半球がどうなるのかとった世紀末的カタルシスを迎えている。ほんとうにどうなのか、どうなるのか、どこにも提示されていません。どんなにネットで調べても、わからない。政府発表は不明の一語。

そんな中で、自分で確かめるために、行ってみます。目的はそれだけです。誰でも買える安い簡易線量計ひとつで、計ってみます。その数値がどうこうではない。0.3マイクロシーベルト・パーアワーという単位と共に、そこに自分が居て、どう感じるか。それだけです。そこには、多くの人たちが暮らしている。たった1日の行動でなにかどうなのか。申し訳ないけれど、行って、感じてみるしかありません。たったの、一歩です。

社会貢献の大風呂敷4

2012年05月16日 00時23分10秒 | 航海日誌
いいものが普及するには時間がかかる法則があるようです。ガイナがどうかは今のところ解りません。でも、ほんとうに良いものは、出ては困るという実業界の壁があるのも事実です。競争社会とはそういうこと。自然エネルギー利用はもう30年前から云われていますが、いつかいつかと思っていましたが、とどのつまりは原発事故の今です。それをつくづく想います。この日本でも、ソーラーハウスは70年代から導入できないかと研究している人たちがいたし、その話を取材して、早くそうしたいと思っていました。ぜんぜん、そちらへ社会が合意しなかった。コストがかかるという理由で。今もそうです。原発事故後も、コストがといっているんです。違うでしょ、それ。シフトすれがコストバランスが変わるんですよ。そちらへ方向転換すれば、コストが変わる。まだ、解っていませんね。コスト呪縛が。変えれば、変わるんです。可能なように。自分で真剣によく考えてみてください。コストって何なのかを。

ということをフェイスブックで書いたけど、一度真剣にコストということを考えてみてはどうでしょうか。生活のコスト、仕事のコスト、そして人生のコストを。ぜんぶヒエラルキーがちがうんです。いっしょくたに思うから、卑近のコストばかりに囚われるんです。人生をぜんぶかけたコストを問題にしてはどうか? どうなりますか?

生まれてきた、一度に一生のコストとは?

サラリーマン3億円で終わりですか。


社会貢献の大風呂敷3

2012年05月14日 22時31分42秒 | 航海日誌

ガイナ実験の写真です。右がガイナを塗った鉄板。左は一般の断熱塗料です。下から200度になる白熱球を当てて、3分くらい経ったところ。上の氷の溶け具合が歴然。ガイナは殆ど溶けていません。1.5ミリ程度の塗り厚で、どうしてここまで差があるのか? セラミックの超微粒子の効果はすごいとしか・・・論より証拠。

社会貢献の大風呂敷2

2012年05月13日 00時07分06秒 | 航海日誌
ガイナという塗料は、セラミックにアクリルを混ぜたものです。40ミクロンという細かな粒子にしたセラミックは、熱を遮蔽します。この性質がおもしろいのは、断熱するのではなく、熱と同調する点です。説明を聞いただけでは、どうもピンと来なかったのですが、実験機を見てへー!となりました。

10センチ角の鉄板2枚に、片方はガイナが塗ってあります。もう1枚は既存の断熱塗料です。この2枚に氷を載せ、下から200度の熱を与えると、一つはすぐに溶け始めましたが、ガイナのほうは氷が溶けません。数分経っても、殆ど溶けずにいます。

ガイナ板は熱伝導しないということかと思いましたら、そうではなく、氷と接している面が氷の温度に同調しているのです。それで氷が溶けない。これは実に不思議でした。ということは、表面が100度になっていても、触っても熱くないのです。指先の温度に同調して熱く感じない。実際にそうでしたから、論より証拠。

この性質を利用すれば、熱をコントロール出来ることになります。例えば、室内の壁にガイナを塗ってあれば、エアコンの温度に同調するので、部屋がすぐに涼しくなります。とても省エネ効果の高い塗料で、有害物質も一切使用していないため、快適な住空間が生まれます。湿気や匂いも吸着し、防音効果もありと、いいことずくめの新塗料のようです。

こんなすごいものが出来ていたのか! でも、あまり普及が進んでいない? はは~ん 既得権が絡んでいるんだなと思いました。大手ペイント会社からすれば脅威の塗料だと。まあ、その話は横に置いておいて。

これから私はこのガイナ研究に入ります。え、この間は、EM(有用菌類)に首を突っ込んだんじゃないの? ええ、そうです。で、複合的に取り組もうと思っておりまして。この二つには大きな共通点があるからです。それが社会貢献の大風呂敷の話です。

そのお話はまた・・・

社会貢献の大風呂敷1

2012年05月12日 00時32分41秒 | 航海日誌
今日は、ガイナという新建築素材の話を聞きに行きました。開発後、すでに10年経っていますが、世間ではほとんど知られていない、断熱塗料です。JAXA(日本宇宙開発機構)がロケットの外壁に塗る塗料として研究し、民間企業におろした製品です。その企業も、開発研究をしていて、両者の技術が一致して生まれたのが、ガイナです。

さて、皆さん、そのガイナって、聞いたことありますか?

ひとのいしき

2012年05月10日 23時42分22秒 | 航海日誌
人間というものは、骨肉をまとって人と呼ばれているが、そのなかになる精神が、人の実存です。意識精神がなければ、人は、ただの肉袋なのですから。

ところが、人は人を肉袋としてみて、なかなか精神をかえりみないもののようです。実存というものが、なにか物質の、固いなにか、で、もっといえば値うちのあるような、金ぴかの実存におもえてしかたないようです。

外見ゆうせん、中身はみえません。

そんな話はよくわからない・・・

われわれはわかったような、でも、ほんとうはわからないことだらけで生きています。そんなことはふだん考えもしないから、わからなくても困らないだけです。

ずっとそうですが、去年から、実存を考えなければならない事態となっています。

その問いは、「原発は人類に必要か必要でないか」と。

電力不足:放射能汚染

どちらがどうですか。カテゴリミスという言葉を学生の頃、教えてくれた友人O君がいまして、これはカテゴリミスですね。

カテゴリが違う。電力不足は経済・生活の話。放射能汚染は生命の危機。カテゴリが違う。それを比べてどうだこうだと言っている。

これほどのカテゴリミスは聞いたことがありません。なのに、こんな一大事のことに、ポカンとしている。もう、おかしいをとおりこして、へそでお茶も湧かない。

ここまでくると、キチガイも通り越して、最後は、自分の魂に恥をかく。

国なく

2012年05月09日 22時39分59秒 | 航海日誌
国とは何か。私たちは国に生きていると想っているが、国とは、ある幻想であり、先に亡くなった吉本氏の論を借りるまでもないだろう。

国が、どうしてくれるのか、と、多くの人はいうが、国は幻想であるから、どうすることもない。するのは、国ではなく、国の屋台を借りた、一握りの連中の魂胆と、義兄心と、そうした狭間の心理行動によってあっちへこっちへ揺れ動く政情であろう。

しかし、あっちへこっちへ動こうと、圧倒的な力というものがあり、それが誘導していることは否めない。多少の経営を心得る者なら周知の事である。力は、一枚ではなく、多重にあって、それがよく見えないだけである。見えないから、陰謀論などという漫画のような話に翻弄されているだけだ。

ひとつの陰謀などない。多重にあり、それが複雑化して、ワケが解らないだけだ。力の強弱で、日々の勝った負けたを繰り返しながら、われわれは生活と共にどこかへ向かおうとしている。

しかし、言いたいことがある。世界で一番、金を動かす者らに。もう、その金も底をつき、そなたらが阿鼻叫喚の時を迎えているということを。その金というものが幻想の始まりということを知るときである。後の祭りが今であるということを。そして、ワンワールドが幻想ということを。

線量計の意味

2012年05月08日 22時41分53秒 | 核の無い世界へ
いつ買うか手に入れるかと思い続けていた簡易線量計「エアカウンターS」を買った意味は、ネットで日々伝えられる福島や都内の放射線量データを観ていても、単なる数値にしか見えず、また、その数値の度合いがどうもピンと来ない。どこかリアリティがないのです。

ところが、自分で計ってみると、今ここが、の感覚になりました。0.08マイクロシーベルトという数値とともにいる。では、そっちはと計る。0.1と出る。1時間あたり0.1ということは年間では1ミリシーベルトと理解でき、年間被曝量のラインだと解る。それ以上が基準値を上回るのだと、初めて知ったような気分になった。

喜んでそんなことをしているわがない。しかし、それを自分に知らせることの意味がある。恐いから知りたくないというのと、知りたいというのと、分かれ目がある。知れば、自分としてはどうするのかと、また、現実を突きつけられる。

福島市は、0.3ミリシーベルトあるようだ。それは福島医大でのモニタリング数値で、ネットで発表されている。その数値には、リアリティがない。自分で行って計れば、同様の数値になるのだろう。そのとき、そこに自分もいて、年間被曝量基準値の3倍あると感覚できるだろう。

線量計とは、そういう意味を持つ。

カウンターやっと購入

2012年05月05日 20時40分34秒 | 核の無い世界へ


去年の5月ごろから手に入れたいと思っていた放射線測定器。ロシア製でも10万円して手が出ない。段々値段が下がってきて、3万円くらいになったときに、えい、買ってやろうと思った。でも、手が出せなかった。

その理由は、家族や周囲の人の反応だ。ガイガーカウンターをかざしてそこらを測定する者は、村八分的な雰囲気があった。福島ではそうではないだろうが、東京あたりではそうだ。

それで躊躇していたのだが、今年になって雰囲気が変わった。まわりでもカウンターを持つ人が現れだした。といっても2人だが・・・私が購入したのは、エステー化学「エアカウンターS」定価7900円が、アマゾンで4900円ほどで買えた。普及が進み、量産されているようだ。(詳しく知りたい方は、アマゾンのカスタマーレビューをお読みください)

まず、室内を計ってみた。0.08ミリシーベルト/h平均。自然放射線量レベルだ。キッチンで0.1(年間で1ミリシーベルト相当)超えの場所があったが、気にするほどではない。問題は家の外部、排水溝やトヨ、排水汚泥が貯まりやすい所だ。そこはこれから計る予定だが、近所の目も気になるから、ひっそりと。

もし、0.2を超える場所を特定できたら、そこにEM菌類を定期的に散布して、値変化があるかどうか調べる。この近辺は幸いにもホットスポット化していないようで、0.5を超える場所はないかもしれないが、もし、そんな場所があったら、そこもEM散布だ。

とにかく、自分で納得がいくように、やれるだけやってみたい。

原発が止まる日

2012年05月04日 23時02分34秒 | 核の無い世界へ
明日、5月5日、こどもの日に北海道泊原発が停止して、全国にある54基の原子力発電が停止する。実に42年ぶりのことだが、その間、原発が発電する電力で経済成長を果たし、私たちはその恩恵に浴して生活してきた。

1980年代、チェルノブイリ原発事故が起こり、反原発運動が起こった。欧州からの食品の輸入も汚染が懸念されて規制された。当時も、幼い子どもを抱える母親たちは問題を深刻に受け止めた。だが、社会一般は外国で起こったこととして、余り感心を示さなかった。

知人でこの手の問題に関心が高い人物は、明日にでも放射能禍害が起こるのではとノイローゼ気味になっていた。私も、安アパートに通電される電気が原発からのものだとリアルに感じ、気色が悪かった。できるならそんな電気は使いたくないと思った。で、コンセントを見つめた。

原発神話がささやかれ、電力会社は巨額の宣伝費を投じて、市民に安全でクリーンを喧伝し続けていた。日本の技術力は世界に誇るレベル。原発事故は絶対起こらないし、起こしてはならないと。しかし、米国からシステムごと輸入した原発は、設計万全とは言い切れないしろものだった。

また、原発稼働に伴う労働者の多くが被曝しながら稼働するという現実が、世間の目から遠ざけられていた。原発仕事は金になると、職のない人々が集められた。その人たちは死んだ。

だから、今日、私は、祈る。忘れないと祈ります。その次に、私は続くと祈るのです。どんなにか、祈るのです。

ここで書かれていることは、感情はほとんど理解されないかもしれない。でも、ぼくは生きてきて、それを伝えたいと思うのです。しらん顔をして、人を殺す放射能装置を放って置くんですか? 

そんな世界は嫌だ。嫌いだ。だから、明日を祈る。明日、後に続く者たちへつなげたい。


あしたが良き日であるように。