『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

歩け!

2012年09月17日 16時48分46秒 | 航海日誌

この連休は久しぶりにのんきに過ごせました。日帰りで軽井沢へ行って、旧軽散歩して、温泉に入って、蕎麦を食って。あとの休日は家で夢想タイム。

ふと、自分の年を想う。53歳は、たしか伊能忠敬が隠居して、本格的な日本図を作成するために、実測の旅に出た歳だった。関東から太平洋沿岸をきっちり肩幅の歩調で歩き、蝦夷へ渡り、一部を歩いて、また本州に戻り、日本海側へ出てえんえんを歩き、ぐるりと回って日本一周の測量の旅。そうして日本初の実測による伊能図が完成した。

そんな偉業に重ねることはないが、自分には、なにかと想う。お金稼ぎの仕事にかかわろうがかかわるまいが、生きているこの貴重な時間をなにに使おうか。20代で想っていたのは、自然生活への憧れだった。それでもぼくは都市に住み続けて来た。なぜだろう。移住しようと思えばチャンスはいくらでもあったのだ。

物欲的な街への欲求か。否、そうではない。ここで自分はまだやることがあるといった、なにか。人との関わりの中で模索するなにかだ。出版関係の仕事で多くの人たちと出会い、自分で大事だと思うメッセージを込めて記事を書いてきたつもりだ。

都市に住んでいても、テーマは変わらない。自然への畏敬、憧憬、心地良さ。なのに、人間は反自然行為に明け暮れて、とも想い、原発の禍害をうんで、ワケがわからなくなって右往左往していると想う。

これじゃ、いかん、どうしたっていかん。自然を壊しちゃいかん。

やはり、歩け! と。歩きながら、とことん。

ふたたび福島で感じた事

2012年09月08日 16時56分10秒 | 核の無い世界へ
            福島郡山市駅から東の山向こうに原発がある

9月6日、仕事で福島県郡山市へ行って来ました。私が担当する遮熱塗料ガイナを塗布してくれた農家さんの野菜工場現場を視察するためです。

ガイナは、エコ塗料として今、注目されるもので、屋根に塗るだけで室内温度を4~5度下げる効果を発揮します。一般住宅などに普及しつつありますが、農業分野ではまだあまり使われていません。

その農家さんは、郡山市街地から東へ約10キロの山間部にあります。さらに東へ40キロ進めば、福島第一原発という位置関係です。農家の省エネ対策に、ガイナを勧め、その場所が原発に近いということを考えると、複雑な心境でした。省エネも大事だが、放射能の影響はどうなのだろうか。

郡山駅前の広場には、大型の線量計が設置してあり、この日の数値は、0.25μシーベル/hを示していました。東京では、0.07くらいですから、大変な線量です。累積すれば年間1ミリシーベルト相当となります。基準値ぎりぎりです。

さて、ガイナの効果は得られたようで、野菜の生長も良くなったと聞き、ひと安心しました。高い塗料ですから効果なしとなれば責任があります。で、最も気になる放射線の影響は、なんと市街地より原発に近いにも関わらず、数値は東京と変わらないのです。放射線の拡散は距離に比例するのではなく、地形や天候に左右されるのだということです。

この地で何代にもわたって農業を営んで来られた農家さんいわく。この土地を離れて農業をする気にはなれないと。続けられるまでやるという覚悟が感じられましたが、原発事故は未だ収束しておらず、がんばってなどと気軽に返事ができませんでした。

ふたたび郡山駅前に戻り、線量計をみるとまた少し値が上がっていました。人々は、見た目は何事もないかのようにして線量計の前を通り過ぎていますが、心中はいかようか、ここを離れる自分には想像するしかありません。

いつになったら、かつてのように何事もなく安心して暮らせるのか・・・去年、福島市で出会った浪江町から避難していた幼い女の子はどこでどうしているのか・・・子どもを抱える母親たちの苦しみ・・・おれは、こうしてここを去るのだが・・・

フクシマが原発禍害の限定地のように語られるけれど、関東以北は同じです。放射線拡散に距離は値しない。これを忘れてはなりません。東京に住むわれわれも同じです。喉もとをどんどん過ぎて、熱さを感じないのでは、いま起こっている大問題(生命の危機)さえも、どこか絵空事のような、国会をみていると、そうとしか思えませんが、それは、やがて自分たちの身に現実として突きつけられるということを思い知る時が来ます。

郡山から新幹線に乗り、数分すると、東の空に虹が出ていました。周囲から、立ての虹は珍しいと声が湧きました。さらに少しすると、今度は西の空が赤く焼けて、那須岳がシルエットになってなんとも美しいばかり。

自然はこんなにも美しく世界をみせてくれるのに、人間はいったいなにをしているのだろう。



現代の百姓一揆

2012年09月05日 23時10分00秒 | 航海日誌
もう、民間の有志でやるしかない。百姓一揆だ。節電? やりましょう、やっているところはもうやっている。

知恵を使えば、20,30%の節電は即、可能だ。コストの掛かるLEDに変えなくても、蛍光灯に取り付ける反射板で半減できるし、ガイナという遮熱・保温塗料もあり、探せば、いろいろあるんです。

原発の電気がなければ、需要が賄えないなどといったプロパガンダに踊らされるのはもう懲り懲りだ。知恵と情熱で、百姓一揆だ。

原発いりませんというなら、いらないという証明を示さなければ、動かない。

ただ、反対! と叫んでいても、なにも動かない。

自分が動くことだ。原発電気はいらないという証明を。

それを探し、使おう。

それが、目には目を歯には歯を、だ。

それしか、ありません。

良心

2012年09月04日 22時03分37秒 | 航海日誌
こころを覗く。すると、なかなかに複雑な色々が、こころというふくろのなかで、蠢いている。

わたしのこころは、これだと、なかなか見つけられない。いいえ、これ、これが我がこころというと、そういうはしから、ちがうのが蠢く。

そうこうするうちに、50年がすぎている。

わたしのこころは、これと決められない。つねづね、蠢いている。良心を探し求めている。その良心に従って生きることを生活の日々に求めんと。

そういう悩みは良心からもたらされていると知りつつも。

明日も、また。