『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

読書の秋企画

2010年09月28日 20時33分23秒 | 航海日誌
明日は、朝から池袋にあるジュンク堂書店へ行き、書店の一日密着取材。本屋さんに本がどう届き、どんな流れで読者に届いているのか。また、書店での本との出会い、楽しみ方などをリポートする予定だ。

ジュンク堂といえば、大型店のなかでも個性派書店に位置づけられる。各フロアの棚づくりは、担当者の考えに任されているとか。本は単にジャンル別、著者別に並べられるだけでなく、一冊一冊の並べられ方でひとかたまりの世界観が生まれる。お客はその棚に魅力を感じて、本をチョイスするといった関係がある。

さて、本屋さんに一日居座ってどんな体験ができるか。本好きの私としても興味津々。いくら本好きでも3時間以上いたことはないが。なんだか、本屋でアルバイトするような気分かな。そのお話はまた改めてご報告したい。


江戸と現代

2010年09月27日 19時57分44秒 | 航海日誌
きのうの大河ドラマ「龍馬伝」で、龍馬が「にっぽん人どうしが戦争しちゃいかんぜよ」と叫んでいた。いよいよ大政奉還へと向かう序曲だ。敵は幕府ではない。欧米列強といかに渡り合うか。

あれから140年ほどになるが、政府の無策ぶりと財政危機、列強からの圧力といった状況がソックリに思える。だいたい、歴史のバイオリズムというものは150年くらいだという説もあって、ならばもう、歴史転換期の渦中にいるわけだ。

現在を、歴史で省みれば、国内で争っている場合ではない。また、アジア(とくに中国)を敵視してはならない。中国は英国にアヘン戦争でやられた同朋であって本来の敵ではない。共産党という赤いレッテルで相容れない国の感を持つ人も多いだろうが、宝来貿易の時代から付き合いの深い国だ。今年、上海万博を開催し、さらなる経済発展を目指す中国にとって、日本はなくてはならない国である。

列強のくちぐるまに踊らされてはいけない。日本人(アジア人)の気持ちで物事をよくよく考えてみれば見えてくることだ。なら、尖閣諸島問題は何だという方も多いだろうが、今の中国にとって何の国益にもならないことを起こして騒いでいるのは、なぜか? 国の体面だけか? どうもおかしなことが起こっているとしか思えない。とにかく、表面的な部分切り取り報道だけで感情的に物事を思い込まないことが大事だ。歴史がそれを教えている。


真意はどこに?

2010年09月26日 22時52分39秒 | 航海日誌
小沢一郎へのひつような検察捜査があったし、いまもそうだろうが、大坂地検の今回の事件(化)の表出は、どうなのか。その真意はどこにあるのか。なぞと言えば、近年ないほどの巨大な謎だ。いよいよ世の中が動いている。今起こっていることは、もの凄いことなのです。今後の大きな動向を、われわれは息を飲んで見守るしかないのか。

まぼろし堂

2010年09月25日 13時35分10秒 | 航海日誌

今から9年前だが、「ラパン」という雑誌編集者をしていたとき、個性派書店の特集をやり、荒俣宏さんを古書店「まぼろし堂」店主に仕立て上げ、ほんとうに荒俣さんの稀覯本を売ったことがあった。今は文京区にある平凡社が碑文谷にあった時代で、地下に荒俣書庫があり、そこを古書店に見立てて撮影し、目録を作って誌上で売ったのだ。

漫画「若いふたりの山脈」浅丘ルリ著(500円)から、フンボルト「コルディエラ景観集」1810年(120万円)、江戸期の虫図譜「栗氏千虫譜」(370万円)などなど、まあ珍しいというか、知らないような本ばかりを並べて面白がっていたら、1冊だけほんとうに買い手がついた。「アンデルセン童話集」1872年(13万円)である。ビクトリア期の美しい挿絵入りの名著だ。

「ほんとうに売ってくださるのですか?」と言いながら現金を持って現れたのは20代の美女であった。荒俣さんが「もちろんお売りしますよ。貴女のような方ならざぞかし大切にしてくださるでしょうからね」と、愛娘を送り出すかのような声で言い、自分の著作もおまけに付けて手渡したのであった。それをそっと胸に抱き、微笑みを残して去っていったあの女性は謎の存在だ。

このときのラパンに僕は「本に泳ぐ魚、或いは瞑想的人間のフィッシング」というショート・ショートを書いた。魚とは紙魚(シミ)のことで、古書にはこの不可思議な魚が棲んでいて、文字の谷間を回遊しているという話。古紙の香りを嗅ぎながらこの魚と遊ぶ悦楽をフランシス・ベーコンやウォルトン候に登場してもらって好き勝手に膨らませ、ミジンコほどの紙魚を巨魚のごとく書いたが、あの女性が持ち去った「アンデルセン童話集」にも間違いなく紙魚が棲んでいることだろう。

さて、そんなことを思い出しながら、夕べなにげに手元の本を開くと、何年ぶりだろうか久しぶりに紙魚が1匹現れて、活字の間をつつつっと泳いでいったので、とたんに僕はうれしくなり、紙魚にありがとうとまで言ったのである。


ヘッドラインだけ

2010年09月24日 09時49分12秒 | 航海日誌
尖閣諸島中国漁船事件後の中国の動向/レアアース輸出停止か。在中日本人4名取り調べ。報復劇も茶番劇か▼円高と元のアンバランス/どこまで進む円高。一方、安すぎる元▼菅総理オバマ大統領と何を話す?▼大坂地検の証拠捏造事件。故意ではなく誤って書き換えた?▼イチロー200本安打達成。平成ラストサムライ▼白鳳59連勝。相撲のふるさとモンゴル大将▼天候不順。気温一気にマイナス15℃。異常気象も続けば正常か

どこやらで啼き続けるは腹の虫


釣りの記憶

2010年09月22日 16時34分08秒 | 航海日誌
       1978年、初めて釣った山女魚

高校生になって渓流釣りにはまった。釣りキチ三平の影響と、開高健のエッセイに触発されたからだ。まず、渓流竿をもっと明け方、深山幽谷へ出かけ、ヤマメを狙った。初めて釣ったヤマメは18センチほどだったが、心臓が飛び出しそうなくらい興奮し、どどどっと喜びが込み上げたものだ。漢字で山女魚と書くが小判状のパーマークに斑点がちりばめられて実に美しい魚だった。

高校中ほどになり、ルアー釣りを始めた。こちらは開高健さんの世界だ。ルアーと呼ばれる鉄ヘラに針のついた疑似餌をリール竿から投げて狙うのだが、これがなかなか難しい。何回投げたかわからないくらい。まったく釣れることがなかった。

夏休みも終わろうかという頃、父親が温泉へ連れて行ってくれたときのこと。すぐ前が渓流でその先に大きな滝があった。覗くと青々とした淵がみえ、瀑布が轟き滝壺が白く逆巻いていた。その水面へルアーを投げて何が釣れるのかわけもわからず遊んでいて、ふと大岩の向こうへ行けば釣れる気がして、竿をくわえて崖によじのぼった。途中まで進むと、足が掛かる場所がなかった。かといって戻ることもできず、岩にへばりついていた。5分か、10分そうしていたか。もう、あの真下へ飛び込むしかない。でも、ヘタに飛んだら岩にぶち当たる。うまく落ちても渦に巻き込まれて浮いてこれないかも・・・

泣く余裕もなかった。死ぬかもと思った。じりじりと岩を伝って元に戻れた。落ちて元々と思っていた。日暮れ近かった。何を想ったか、また、滝壺にルアーを投げ、無心に糸を引いていた。ガクンと重くなり、何か、遙か下の水面で暴れていた。32センチの山女魚だった。そんな大物を釣った有頂天と、今しがたの恐ろしさが渾然となり、ぼくは阿呆のように笑っていた。もう、32年前の話だが、つい先ほどのことのようでもある。


秋の空に

2010年09月21日 16時24分38秒 | 航海日誌

人はそれぞれに、それぞれの思いがあって生きている。近しい人にはこころを傾け、その人のことを思い知ろうとする。今ごろどうしているだろうか、楽しくしているだろうか、泣いてなんかいないだろうか・・・親子、兄弟、恋人、親友、どれも人と人のこころの通い合い。そのこころの枠がどんどん広がれば、空に浮かぶ大きな雲のようになる。そうなれれば、悩みなど雲散霧消だな。

社会と自然)

2010年09月19日 19時17分50秒 | 航海日誌
             奥吉野の月と星

ここのところ、自然が大変に変調しています。夏の猛暑の記録史上初。大雨災害の甚大さ。どうしちゃったんだろう、どうなるんだろうと感じる人が増えています。一方で、人間社会では、一時ドルが82円に暴落。FRBが米国債を買いつつ、日銀は金融緩和の先送り。と思ったら政府の市場介入。どうなっちゃうんだろうだと思います。

フラクタル現象というのをご存じですか? 自然界はすべてシンクロしていて、何処かで観察できる現象は地球上のあらゆる部位で相似するということ。自然はすべて繋がっていますから、影響しあい、互いの関係性の中で同時的に形象を現すのです。

だから、今、地球は非常にドラスティックに変化をみせているのです。そういう時期にハッキリ入ったということだと思います。その中に私たちがいるということです。この激変化をどう受け止めるか。ちっちゃな自分も、その中の大きな自分も、フラクタルに生きています。私たちは自然そのものなのです。

せっかく生きているのですから、大いに生きたい。この秋は、海でも山でもいいから自然の中へ身を持ち出して、リフレッシュしたい。出かける余裕がなければ。マンションのバルコニーから大空を眺めてもいい。流れる雲も、月も、今後の生き方の何たるかを教えてくれるかもしれません。


意識の伝播

2010年09月18日 10時05分07秒 | 未知への扉
イギリスの生物学者、亡きライアル・ワトソンは、一般向けの著作で霊魂や超能力に言及したお陰で、オカルト学者のレッテルを貼られたが、80年代の日本ではなかなか人気が出て、雑誌ブルータスなどに連載していた。

かくいう私もファンのひとりだった。生物学者でありながら、既存科学の枠を飛び越えて、仮説世界を闊歩した。霊の存在を肯定的に捉えたが、あくまでも科学的思考で論述に努めた。学者だから当然ではあるが。

私はワトソンが論述する仮説に魅了されたが、なかでも彼が名付けた「コンティンジョン・システム」という仮説に興味を覚えた。例えば魚の群れが一瞬にして方向転回できるのは、相互のコミュニケーションシステムを持っているからとし、ただし、それは超ハイスピードで伝達させることのできる未発見のシステムだと考えられるとした。

離れている者どうしが瞬時に意思疎通できるシステムだ。人間でいえば、テレパシーである。この言葉を使った瞬間、オカルトになるが。そんなもの眉唾というのが一般通念である。では、まるでひとつの生命体のように数万匹のアジの群れが一瞬で方向を変えることができるのはなぜか、生物学では説明がない。しかし、そのように行動できるのだからシステムがあることを否定できない。なぜだか、わからないのだ。だから仮説を立てるのだ。

生物には同種間での意志伝達システムがあってしかりだろう。人間は電話やネット回線を使用して、それをやっているが、こんな話もある。
「アラスカのネイティブの猟師が、今こちらに犬ぞりで2人の仲間がこのキャンプに向かっていると、その様子を事細かに言ったんだ。ボクも視力2.0以上で500m先も見えるから雪原に目を凝らしたんだけど、どこにも見えなかった。そうしたら本当にその通り現れたよ。ただし、目の前に姿を現したのは2時間後だった」

この話を聞かせてくれたのは、作家のC.Wニコル氏だ。驚き、信じるしかなかったそうだ。人間にも本来的に生物としての能力が備わっていると考えてよさそうである。その能力が眠ってしまっているのが現代人というものだろう。この仮説が正しいなら、今現在われわれ人間は、無意識にどんな意志伝達、情報交換をしているのだろう。きっとそれは、ウソまやかしのない、本音。


引っ越しその後

2010年09月17日 10時49分19秒 | 航海日誌
この目白に引っ越してきて、気分が一変した。なんせ、ここはサイレントな町である。家の外から聞こえてくるのは、虫の声。今も、ジジジッと鳴いている。時折、路地を歩く靴音か。山手線線路から100mだが、遠くで電車の走る音が聞こえて、それがかえって片田舎にいるような気分にさせる。唯一うるさいのは、となりの家の女の子が吹くリコーダーか、いな、朝4時に走り回る新聞配達のバイクのバタバタだ。

引っ越してきて、すぐに氏神さまの祭りがあった。高田氷川神社秋まつり。御札を頂きにお参りしたら、神楽殿でピイヒャラ笛太鼓の音が聞こえた。氷川神社の主祭神はスサノオ尊で、稲田姫、大国主命の三柱が祭られている。つまり、出雲神が氏神さまである。私は出雲神の御縁を頂いているので、なるほどそれでここに引っ越させてもらえたのかと感謝の至りである。それを今、しみじみ思い書いている。

最近も最近、世の中はちぢんでしまって、いよいよ人々のこころの幅も狭くなってしまって、心中推し量れんほどだ。人ごとではない。ちぢんだこころの幅を広げるにはどうすればよいか。私の場合は、さんぽに出て、氏神さんにお参りして、「生かして頂いて ありがとうございます」と祈る。それでこころがすっきりする。天を仰げば、秋空がぽっかり。清々しくなる。


ライフスタイルの変更を

2010年09月15日 13時11分04秒 | 航海日誌
昨日は民主党代表選で菅氏続投が決まった。何をか言わんやだが、何も言わないでおこう。ただ一言。人は変化を恐れると。

だが、世は激変化の最中にある。ドルが70円台に落ちる直前だ。2年前にドルは70円以下になると放言していたら、周囲で笑う人ばかりだった。狼が来るぞ、か。

世界は戦争経済である。かつてのように戦艦、爆撃機での全面戦争という形は取れないので、極地戦かテロ活動と情報戦(工作活動)なのだが、最も威力を発揮するのはマネーである。マネーバランスが崩れれば、生活への禍害は免れない。

「人はパンのみに生きるにあらず」を逆説すれば、「人はパンで生きる」。つまり食べ物が今日の糧だ。デフレの後に来るのはインフレである。最近、街中の飲屋街で呼び込みが激しくなった。「生ビール一杯100円ですよ~」とそこら中で声を上げている。デフレ甚だしい。次は、生ビール一杯1000円ハイパーインフレか。飲める人はごく僅かだ。

いったい世の中どうなっちゃうんだろうと思っているうちに、あれよあれよ。もう、狼少年もいない。そうなる前に心構えを。ライフスタイルの変更を。備えあれば憂いなし。近々、田舎の疎開先を見てこようと思っている。芋があれば飢え死にはしない。気力、活力、元気が何よりだ。


北方四島

2010年09月13日 14時02分01秒 | 航海日誌

先週、9月8日、サンマ漁の取材で北海道根室の地を踏んだ。当日の夕方、時間があったので根室の先端、納沙布三岬へ行ってみた。北方領土問題の地だ。岬から歯舞群島が遠望でき、国後島も見えた。その先に色丹島、択捉島がある。四島を合わせた面積は福岡県とほぼ同じという。

納沙布岬の北方館からは望遠鏡で歯舞群島のロシアの建物がよく見えた。1951年に結ばれたサンフランシスコ平和条約で、千島列島、南樺太は放棄されたが、北方四島は含まれておらず、この領域がどこに帰属するか決められていないままロシアが占拠している。長年、日本政府はこの北方四島返還を求めており、地元民の領土返還の願いは続いている。

同日、折しも鈴木宗男議員の受託収賄疑惑に、最高裁が実刑判決を下した。そのニュースを聞いて複雑な思いがした。鈴木議員は長年、北方四島返還運動に奔走した。この問題解決に鈴木議員はなくてはならない存在だ。道民、地元民の落胆は大きい。

明日は民主党代表が決まる。菅氏続投か、小沢代表返り咲きか。代表決定は今後の政局への影響が計り知れない。その直前での鈴木議員の判決である。国策の二字が頭に浮かぶ。当日、釧路新聞を読んだ。「無実主張の上告棄却 釧路の各界に衝撃」の見だしが踊る。戦前戦中の国家統制時代、強権が振るわれた。現代はいかに。今後の世のゆくえを憂うのは筆者だけではあるまい。

  見よ、今日も、かの蒼空に
  飛行機の高く飛べるを。

 釧路新聞に在籍した石川啄木の歌。
 哀しみの歌人は天高く飛翔する。


秋刀魚

2010年09月11日 17時34分40秒 | 航海日誌
       根室のサンマ漁船

今週は北海道の根室へ秋刀魚の取材で出かけていました。全国的な猛暑続きの天候で、北海道でも海水温が上昇して回遊魚のサンマなどは、少しでも冷たい北へ上がっていつもの漁場では不漁続きでした。訪ねた根室花咲漁港でも、例年の5分の1以下の収量で、まだまだサンマは高値です。

さて、鮮度の高い地元で食べた秋刀魚の味は・・・脂がのって旨い。刺身でいただきましたが、こちらでは醤油にわさびではなく一味を入れて、ぴりっと食べます。これもまたイケますよ。

帰って来て今日、近所のスーパーで秋刀魚の値を見たら一匹150円。北海道産です。少しは安くなってきた。鮮度のいいものは内臓も旨い。ビールで秋刀魚。もう、秋です。


新生活

2010年09月07日 09時55分52秒 | 航海日誌
       京の夏

お久しぶりです。引っ越し先でやっと落ち着きました。毎日の酷暑に辟易しながら部屋の整理で汗だくだく。体重も4キロ減りました。マンションから一軒家に変わり、気分も変わって新装オープンといったところ。原稿を書いていても、何だかちがう。つべこべ悩まないで書くから以前よりテンポが速くなった。

昨日まで書いていたテーマは、漂白。俳人の井上井月(いのうえせいげつ)について。井月は幕末から明治にかけて信州伊那谷で30年余りの放浪生活の中で俳句を書き捨てた人物で、俳句に関心のない村人からは乞食井月と呼ばれた。俳句仲間の家を泊まり歩きながらの気ままさ。お礼に俳句を残していく。自分の俳句帳を持たないから、まさに書き捨て。大の酒好きで、膳に美酒が出れば、「千両千両」と連呼して相好を崩した。出自来歴を明かさず、マレビトであり続けた。

  目出度さも人任せなり旅の春  井月
 といった調子である。新年の句で、美酒に酔う乞食井月満面の笑みが目に浮かぶ。
  稲妻のひかりうち込む夜網かな
 といった一瞬の光景の凄みをとらえた句もある。
  何処やらに鶴の声きく霞かな
 辞世の句は、野の露のなかで霞んでいくような漂白の終焉を詠った。

人には人の生き方がある。それをどう想うかは本人の心中の出来事であって、他人がどうこう言うのは勝手のことである。ただ、他人との一瞬の関わりのなかで、相互が人生を共有する場面がある。豊かさはその交わりの時々にひそんでいる。俳句というものは、それを拾い掬い上げる知恵にほかならない。

 そこで一句。
暑さにもほとほと飽きて彼岸花
 おそまつ。


静かな町

2010年09月01日 09時42分45秒 | 航海日誌
みなさま ご無沙汰しました。
豊島区目白に越しましたが、古い住宅街の中の一軒家で隣や周辺からの音もほとんど聞こえず、実に静かな場所です。大都会のスポット。サイレントなタウンです。

引っ越し先でやっと落ち着きましたが、まだネット環境が整っておらずで、記事更新は来週からとなります。もうしばらくお待ち下さい。よろしくお願いします。