『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

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奥出雲紀行3

2009年06月27日 14時05分39秒 | 未知への扉
スサノオとは一体何者なのか、お話したいと思います。それを語らなければ、なぜオロチ族と和合して出雲国を誕生させることができたのかがわからないからです。結論から先にいえば、スサノオ一族は、渡来系ということです。古代モンゴル民族という説があります。スサノオは、出雲国沼田(現平田市)で生まれたようです。その父親は、布都(フツ)という名で、スサノオは布都斯(フツシ)という元の名があります。平田市の宇美神社には、布都御魂という神名で祀られています。このフツ、フツシという名は古モンゴル名だと考えられています。

中央アジア高原のモンゴリアン民族の一部は、世代を継ぎながら移動して、南経由(後の日向族)と北経由(後の出雲族)とに別れて、新天地を求めて日本列島にたどり着いたようです。スサノオは、北経由で朝鮮半島から出雲へ渡って来た一族です。朝鮮半島にも、スサノオが行き来した曽尸茂梨(ソシモリ)という地があります。『日本書紀』では、天から追放されたスサノオは、新羅の曽尸茂梨に降り、この地欲さずとして子の五十猛尊(イソタケル)と共に土船で東に渡り、出雲国の鳥上の峰へ至った後、ヤマタノオロチを退治したとあります。そして、天から持ち帰った木々の種を、韓の地には植えず、大八洲(日本)に植えたので、大八州は青々とした地になったと物語られています。

渡来系スサノオ一族は、後に出雲族となり、今の島根地方を治めたようです。おそらく、先住の製鉄技術集団であるオロチ族も渡来系だったと思います。民族の移動というものは単一ではなく、部族ごとに世代を重ねながら行われたのです。古代日本は、緑の山河多き肥沃な土地であり、先住部族が小集団に別れて、海辺や山中に住んでいたわけです。そうした先住部族をまとめ上げ、国のかたちを造っていったのが、スサノオ一族でした。そして、それが後に大和国となる、原形となったと思います。実際、奈良・天理市の石上神社(日本最古の宮)に祀られる神名は、布都(フツ)御魂、布都斯(フツシ)御魂、布留(フル)御魂、宇摩志麻治(ウマシマチ)尊の四柱です。スサノオ一族の父子が祀られているのです。また、石上神社は布留の杜と呼ばれ、布留とは、大和の祖ニギハヤヒ(スサノオ第5子)の蒙古名のようです。

なぜ、オロチから譲り受けた宝剣「天叢雲剣」が、後に大和朝廷の三種神器「草薙の剣」となり、今も熱田神宮に祀られているのか。その宝剣をスサノオが、大和へ進出したニギハヤヒに与え、三輪の王となったニギハヤヒが、日向族の王子(後の神武)がニギハヤヒの末娘御歳(ミトシ)の元へ婿入りした際に、その証として与えたという流れがあります。これが、大和朝廷誕生の流れであると私は思っています。古事記・日本書紀では、全く違う物語とされていますが・・・国譲りの真相は、譲り渡したのではなく、受け継がせたのです。

つづく