『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

なぜ、騙される?

2009年06月12日 10時38分37秒 | 航海日誌
騙(だま)された人(50歳の女性)が、テレビに出て語っていました。昨日のニュース番組です。「原宿で、姓名判断ですからと・・・事務所に連れて行かれ、そこで『あなたの先祖が地獄で助けてほしいと言っています』と言われて、自分が不幸続きなのはそのせいかと・・・」と、語っておられました。あげくは、120万円の印鑑を買わされて。

ふだん何もそんなことを考えていない人が、いきなり街中で声を掛けられて、「あなたの先祖が!」などと言われて、つい、騙されている。なぜ、騙されるのか? 誰しも、ご先祖のことは気になっているのです。一家の主や主婦であれば、尚更です。先年亡くなった父母・・・ちゃんと供養ができているだろうかと、心配なのです。詐欺師は、そこにつけ込み、「いま、あなたは人生の大転換期なんですよ!」と、ダメ押しで脅す。コレ、「転換期トーク」という手口だそうです。

以前から、このブログで何度か書いていることですが、金銭がらみの「ご先祖もん」は、偽物と思って間違いがないということです。騙される側にも、金銭で解決できるならといった拝金的な思考が、どこかにある。だから、あわてて金を出すのです。しかし、お金より尊いものがある。見えないけれど、確かなものです。心です。たとえ1億円積んだとしても、そこに心が乗っていなければ、日本銀行が原価ウン円で刷ったただの紙切れです。

惑わされないで、しっかり、自分の心を磨いて「ありがとう」で生きていけばいいのです。いえ、なにをなにを・・・毎日、自分が自分にそう語りかけている話をしたまでのことで(笑)


変化不動

2009年06月11日 09時58分49秒 | 航海日誌
人間の身体は4ヶ月くらいのサイクルで、すべての細胞が入れ替わるといわれます。これはどういうことでしょうか。数十兆個の細胞の一つひとつが、劣化して、また新たな細胞へと生まれ変わるのです。約120日で全く新しい身体となって、それでも以前と変わったとは思わず生きています。

考えてみれば、これは凄いことです。肉体的には同じでない。しかし、精神的には同じである。これを「変化不動(へんげふどう)」といいます。変化しながら動かない(変わらない)のです。なぜ、それが可能なのか。一般に科学では、DNA遺伝子情報を基に、細胞再生が行われるからだと説明されます。つまり、正しい情報がある限り、同じ形態が何度でも復元されるわけです。

生きているということは、つまり、情報が基ということになります。では、その情報とは何でしょうか? 両親から伝え受けた遺伝子に書き込まれたデータでしょうか。では、そこに何が書かれてあるのか。最新の研究でかなりの情報が読めるようになったと話題になっていますが、それでもほんの数%といわれます。読めないことで、あとの遺伝子はデタラメ情報かもとかたずけている(笑)

そこに、遺伝子の読めない空間に「変化不動」の秘密があるのではないでしょうか。その空間に神が宿っているのかも知れません。それを私は、超人気スピリチュアル・ブロガーの伊勢白山道さんの言葉を借用して「内在神」と呼んでいます。神仏を外に求めて助けを願うのが、既存の宗教一般といえますが、今後は、内なる神との対話が始まる時代となる気がします。根本はそうだと、高野山でも教えられました。内在神に気づくことが、今生の第一歩の始まりです。


皿洗いも修行

2009年06月10日 16時05分50秒 | 航海日誌
稼業がフリーライターなので、毎日家にいて仕事をしています。家人は外へ働きに出ているので、掃除・洗濯・皿洗いを担当しています。以前はそういうことがどうも面倒臭く、どこか渋々でしたが、この頃は、仕事の合間の気分転換となっています。今日も皿を洗いながら、そうそう、これも修行のひとつだと。ずっと前ですが、宮古島でカンカカリャ(シャーマン)から聞いた話が耳に残っています。

「滝に打たれるだけが修行じゃないんだよ。山へこもっても、町に帰ってきたら忘れてる者もいるさ。それよりも、毎日のことが大事さね。皿を洗いながら、自分はどうだろうと思う。それが大事なことなんだよ」

ありふれた日常の中の、ほんの何かから気づくことの意味は大きいのです。皿洗いはひとつの喩えです。なんで皿なんか洗ってるのか、でも、汚れた皿が溜まっていると気持ちが悪い。自分ひとりなら、どうでもいいことでも、一緒に暮らす人間がいれば、それを誰かがやらなきゃならない。台所が綺麗になれば気持ちがいい。家族が帰ってきても、そうだろう。皿を洗う度にそう感じる。面倒臭いといった感情はすっかり消えています。

なんで俺がもない。逆に義務感もない。たかがも、されども、ない。いつしか、洗いたいから洗っている自分に変わっていました(最近ですけど・笑)。そういう自分の変化に気づくと面白いものです。人はなかなか変われないといいますが、案外、日頃の何げない事々から変わっているのかも知れません。


石室に眠るスサノオ

2009年06月09日 09時57分04秒 | 未知への扉
 明け方の夢である。
 古びたパチンコ屋にいた。玉を弾いてみると、じゃんじゃん玉が出た。ラッキーじゃないか、こんなこともあるのだと感心していると、店員が横にきて、実はこれには訳があるのだと云いながら、パチンコ台の裏側を開けた。

 その奥は、うす暗い、石室になっていて、何か、そこに横たわっている。何事か、そこで起こっている不気味な気配に、圧倒される。もう、パチンコどころではない。だんだんと目が慣れてきて、石室の中が見えてきた。石室に台があり、横たわる何者かの念が伝わってきた。
 念を言葉に換えれば、こうだ。

「わたしはスサノオである。ここに眠る者である。ただし、わたしの首はここにはない。あるのは首から下の体だけだ。おまえたちに渡すものがある。受け取りたまえよ」

 圧倒的なエネルギーを感じながら、念の言葉を受けていた。自分のほかに二人の男がそばにいた。M君とA君だった。
 一人が水晶の塊を受けた。もう一人も水晶の塊を受けた。そして自分は形のちがう水晶を受けた。それは円錐形で、先が細っていた。自分のだけ形がちがうことに戸惑いを感じていた。

「それでいい。それがおまえのものだ」と、声がした。

 眠りが覚めかけ、心臓が波打っていた。今しがたの、リアルを思い返していた。その円錐形の水晶が私の胸の中に入ったと感じた。去年、参拝した奈良の大神神社で玉が腹に入り、今度は、戈(ほこ)が胸に入った。

 数日後、たまたま読んでいた『日本を不幸にした藤原一族の謎』関祐二(PHP)という本に、奈良明日香村「高松塚古墳」の謎について書かれており、塚の被葬者は、石上麻呂だとする説が有力とあった。石上麻呂は物部氏に繋がり、ニギハヤヒの末裔、つまり、出雲族スサノオの子孫である。

 その遺体が首から上が切り落とされ、跡形もなく消えているという。呪詛による封印だ。それを切り落とした者が、後の大和政権を掌握し、平安以降もずっと君臨し続けた。裏(影)の歴史である。


大歳神その4

2009年06月08日 09時05分32秒 | 未知への扉
三輪山は標高200m余りの山だが、参道は山をぐるぐる周りながら登っていくので山頂まで1時間近くもかかった。しかし、清々しい気分である。山頂に近づくと、小さなお社があり、「日向王子」と神名がある。それはニギハヤヒではない。日向王子とは、恐らく神武のことだ。ニギハヤヒからすれば、神武は娘ムコとなる。なるほど、一族として祀られているのだと理解した。そのさらに奥、ここが山頂という場所にいわくらがあり、しめ縄が巡らされてあった。そこにはお社もなにもなく、神名もかかげられていない。ニギハヤヒの墳墓であろうと感じた。

大神神社では、主祭神を「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」としている。どこにもニギハヤヒとはしていない。恐らく伏せてあるのだ。在野の研究者で、そう主張する者も複数いる。ところが神社では、その大物主とは、大国主神の事だと説明している。だが、別に大己貴(おおなむち)大神を祀っているからおかしい。大己貴とは大国主の別名なのだ。同じ神を2つに別けてなぜ祀るのか。大物主大神こそがニギハヤヒではないのか。

研究者・原田常治氏は、「現実に、今でも皇居で、11月22日の夜、神武天皇の舅である歴史から消された天照国照大神饒速日尊(ニギハヤヒ)の鎮魂祭を行っておられる」と、『古代日本正史』で述べている。であれば、ニギハヤヒこそが、日本黎明期の歴史で封印された神であるということになる。

出雲の幼名「大歳(おおとし)」、青年期に「饒速日(ニギハヤヒ)」として活躍し、奈良に大和朝廷の基を築いた始祖太祖として、今も大神神社、石上神社など、数々のお社で祀られる大神である。その正式な御神名を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」と申される。


大歳神その3

2009年06月07日 14時54分02秒 | 未知への扉
ニギハヤヒという神さまが気にはなるのだが、当時、私にはやらなければならない事があった。郷里広島の先祖調べと供養である。物事には順番があり、神仏に関しては、まず、先祖事からやらねば次に進むことはできない。まずは、仏の世界、先祖事からである。父と一緒に県北の山中へ行って、その昔に行方不明となった先祖探しや、実家の墓参りを繰り返し、数年が経った。やるところまでやったという実感があり、その段階で、「次へ進ませてほしい」と山の墓で祈った。

あの時は墓の前で、独りで供物を肴に酒を飲み、谷に向かって大声で唄った。「山~も畑~も、銭金かあ~、ふる~さと売って、銭金かあ~」と、即興の歌だった。その歌に、銭金音頭と名付けた。なぜ、そんな変な歌を唄ったのか。経済バブル時代、西風新都市計画などと呼ばれた山林土地開発で、さんざん買収された古里の山谷が悲しかったからだ。

それからであった。私に奈良・三輪山へ行く機会が到来した。初めて行ったのは、2006年7月22日のことだ。大阪へ出張が入り、その足で奈良へ行けることになった。和歌山・田辺の友人に声をかけると、車を出して同行してくれることになった。その友人は宮古島へ行ったこともあり、こうしたことに理解のある人間だ。大阪で落ち合い、奈良へ向かった。

まずは、大神神社(おおみわじんじゃ)へ参拝をすませ、奥の院の三輪山へのぼることにした。三輪山そのものが御神体であり、麓の神社はいわば遙拝場であり、それが日本の神社の原形といわれている。拝殿あるいは社殿は、そこから神を拝むのだと考えればいい。神という超自然は、お社の中にちんまりいらっしゃるような存在ではないのですね(笑)

(つづく)


大歳神その2

2009年06月06日 01時29分18秒 | 未知への扉
今から12年前、私と宮古島へ取材同行した、カメラマンのA君は、その後、2年くらいして島に移住した。その一番の理由は、カンカカリャNさんとの出会いと、その時の強烈な神秘体験が元となっている。彼は、それ以前はとくに神仏に興味がなかった。シャーマンのことも何も知らなかった。それが、一度の体験で、身体で解ったと語った。「御嶽(うたき)で、あんな強烈な神霊が身体の中に入って、死ぬかと思ったんですから」と。御嶽とは、沖縄独特の聖地(神域)だ。本島では、世界遺産となった、「せいふぁー御嶽」が有名である。

さて、そのA君が、宮古島に住んで数年した頃、私になぜか必用に言い始めたことがある。「よくは解らないんですけど、なんかニギハヤヒって神さまが大事みたいですよ」と。彼は、カンカカリャから、「あんたの先祖は、ヤマタノオロチかもよ」と言われ、出雲の神々に関心をもっていた。だから、あなたも関係あると。ニギハヤヒと聞いても、私にはどんな神なのかさえ、当時は解らなかった。「そうか、大事な神さんねえ」といった程度だった。それですっかり忘れていた。

1年ほど経って、ニギハヤヒについて書かれた本を手に取り、じっくり読んで、ハッと思った。A君が無意識に伝えていたのは、これか!と。日本史の黎明期に重要な存在だったのではないか。それが隠されている。いつか、奈良・大和地方へ行って調べてみたい・・・その頃から、段々、気になる神として脳裏の片隅に留めるようになっていた。それが7年ほど前だが、以来、徐々に、その謎の神さまに引き寄せられていくこととなったのだ。
(つづく)


大歳神その1

2009年06月05日 10時20分07秒 | 未知への扉
ニギハヤヒは、スサノオの第5子として出雲に生まれ育ち、幼名を大歳(おおとし)といった。やがて、青年期となった大歳はニギハヤヒと改名し、スサノオと共に九州地方へ遠征し、今の大分辺りで知られる存在となっていった。さらに父の命を受け、何年もの歳月をかけて中国地方から近畿へ移動しながら各地の豪族と渡りを付け、古代国家(主権は各豪族にありながらの合議的統一)を形成していった。そして、近畿の豪族ナガスネヒコと和合し、その娘を娶り、大和(三輪)入りを果たした。そこに三輪王朝と呼べる小国家を築き、後の大和国家の原形を誕生させた。(原田・小椋説)

私は、その原田・小椋説を知り、ほんとうはそうだったのではないかと思うようになった。そして、そういう視点でもって旅をすると、「大歳」という名が目につくようになった。それは神名としての大歳である。出雲では、日御碕神社で見たし、母の実家がある浜田市では、小さな集落で祀られているのを知った。その村の共同墓地には大歳家の墓も見た。また、郷里の広島でも大歳神社がいくつもある。さらに、伊勢神宮の末社、佐美長神社では米作の始まりの神として祀られているのを、それと知らずに訪ねて知った。また、あるときは、福島県奥会津の民家で、大歳の札が祀られていた。

大歳は謎の神。祀る人々に聞いても、なんの来歴も知らず、ただ、豊穣の有り難い神さまと答えるだけである。やがて、大歳は「稲荷神」へと変化して祀られるようにもなったようだ。なぜ、稲の神なのか。大和を治め、稲作を各地に伝えていったからではないか。その稲作が国家を形作る原資となっていった。だとすれば、大歳・ニギハヤヒは、大和・日本の親神である。

古事記の一節にのみ、ニギハヤヒは登場する。神武が大和入りする前に、ニギハヤヒという神がいて、神武に国譲りをしたとだけ出てくる。話が本末転倒しているのではないか。やはり、親は親としてきちんと祀り直さねばならない。親を親とも思わないなら、その子は親知らずとなる。


消された覇王

2009年06月04日 10時37分02秒 | 未知への扉
最近、出雲の隠岐へ行って来た編集者から、アマテラスやスサノオは実在した存在なのかという疑問を投げかけられたので、以前、書いた記事を再録(一部修正)して掲載します――。ご興味のある方はお読みください。


日本神話で知られるスサノオは、アマテラスの弟として登場し、荒ぶる神と恐れられている。弟の傍若無人なおこないに呆れ果てたアマテラスは、天の岩戸に隠れ、この世が暗闇になるという話は余りにも有名だ。しかし、こんな話が果たして歴史の何を伝えているのだろうかと、誰しも思うにちがいない。神話なのだから、何かの喩え話なのだろうと思うのが関の山だ。

ところが、だ。アマテラスは天皇家の祖として祀られ、スサノオを祭神とする神社はあまたある。荒唐無稽の神という存在が、なぜ祀られ、皆がお参りするのだろう。そこには、秘められてしまった歴史的事実というものが隠されているのではないか。

『消された覇王/伝承が語るスサノオとニギハヤヒ』
             小椋一葉著(河出文庫)
という本が、そうした疑問に対して、既存の歴史本で読んだこともないような、新説を提示してくれる。
「かつて二世紀から三世紀の日本に、スサノオに発し、その子ニギハヤヒを柱石とする巨大な王権が存在した。出雲から出で九州を席捲し、内海外洋航路を掌握して大和を治め、日本の基礎を確立したこの王権が、記紀を媒体とし、蘇我氏、藤原氏の陰謀によって神話にすりかえられ抹消された経緯を、豊富な神社伝承と祭神の分布等によって解明する」 (本書解説より)

出雲族の王スサノオが、九州の豪族を治め、次いで大和地方に子息ニギハヤヒを派遣して治めさせ、そのニギハヤヒが大和王朝の祖となったのだという。ニギハヤヒの末娘、ミトシ(御歳)の婿養子として、九州・日向族の王子を迎える。それが神武だとする。いうまでもなく、神武は初代天皇とされている。神武はニギハヤヒが築いた王朝を継承し、天皇家が誕生したのだとするのだ。だが、ご存じの通り、正史はちがう。記紀ではどこにもそんな事は書かれていない。歴史資料がないのに、なぜ、そんなことが書けるのか。著者は、記紀以前の神社伝承と、祭神分布の地理的アプローチからの考察に依っているのだ。各地の古社を訪ね、調べ上げた結果からの論だという。

実は、このアプローチには先駆者がいる。『古代日本正史』(婦人生活社)の著者、原田常治だ。昭和51年に刊行された本書は、学会からは無視されたが、在野の研究者に刺激を与えたようだ。

まえがきで、原田は皇室に向けたメッセージを書いている。
皇室の立場で考えても、いつまでも記紀のウソを野放しにしておくのはいかがなものかといい、「現実に、今でも皇居で、11月22日の夜、神武天皇の舅である歴史から消された天照国照大神饒速日尊(ニギハヤヒ)の鎮魂祭を行っておられる。そういうことも、無理に伏せておかないほうが、皇室の将来のためによいのではないか」と、言い切っている。

著者は、婦人生活社の社主であり、ライフワークとして古代史に踏み込んで晩年をフィールドワークに捧げている。後継者を望むとあとがきにも記している。近年、タブー視されてきた日本史の闇に光を当てた本が多数出版されるようになった。もちろん、学会からではなく、在野の研究家らの著作が大半である。まあ、だから読んでいて面白い。ほんとうは、そうなのではと思わせるものも多い。確証などないが、人間社会を推理する楽しみがある。

私が推理するところのキーワードは封印だ。歴史にはあまた封印が施されてきただろうと思う。一個人史で考えても、封印はある。「あれだけは云ったらマズイ」という事は色々ある。社会で考えたら、とてつもなく巨大な封印があって可笑しくはない。では、封印を開けたらどうなるか。混乱が起こる。風が吹き込む。何かが変更される。新たな価値がうまれる。などなど。少なくとも、封印を解かなければならない封印というものがあるだろう。

封印された歴史のふたを開けることの意味は、浄化だ。だれのためでもない。すべての人々にとって重要なのだ。封印こそは、穢れの手法。今日現在の政界、産業界のさまを見れば実感できること。つい最近も、戦後の日米間で日本国内に核兵器持ち込みを許すという密約が取り交わされていたといった官僚次官OB4人の証言が共同通信のインタビューで明らかにされた。大手新聞社はこの配信を黙殺していると、元レバノン大使の天木直人氏がブログで書いておられた。原水禁ビックリ仰天の、大変な事実である。

日本を洗い清める時期到来だ。まず、歴史を知ることが、その第一歩となる。


ゆうでんの謎

2009年06月03日 08時48分39秒 | 未知への扉
私のペンネームの遊田は、みなさんも変わった名前だと思われているのではないでしょうか。「なぜ、そんな名前なの?」という読者の方もいらっしゃるので、今日は自己紹介を兼ねて少々・・・。私の本名は、5代前まで遊田と申しておりました。時代は江戸後期です。そのことを知ったのは、『ソウルボート/魂の舟』(平凡社)を執筆していて、家系について調べてわかったことでした。

12年前、取材で訪ねた沖縄の宮古島で会った神カカリャ(シャーマン)から、「あんたには本当の名前があるはずだけど」と言われ、まったく心当たりもなく、「?」でした。父親に聞いても何も知りませんでした。それで実家のある広島の役所へ出向いて戸籍を調べると、4代前まで遡ることができました。しかし、遊田の名はありませんでした。

本家屋敷跡で、隣家の老人から聞いた話が決定打でした。
「あなたの家は、昔は遊田と云ったと年寄りから聞いとります。江戸時代の末のことでしょうかの。分家して今の名前になったようですよ」
驚きました。シャーマンの言うとおりでした。そして亡き祖母が大切にしていた木箱を開けてみると、和紙に書かれた文書が出てきて、遊田の名が記名してありました。
 
遊田は、図書館のいちばん分厚い『氏姓事典』にも記載がない名前です。事典にはかなりの珍名が載っていますから、それを上回る珍名ということになります。田で遊ぶとは、どういうことか。調べてみると、いろいろ解ってきました。「田遊び」とは「神遊び」で、豊穣祈願の農民神事であること。また、「遊ぶ」とは、白川静の『字統』では、「見えざる動かざるものが動くこと」といったような意味があること。見えざる動かざるとは、つまり「神」のことでしょう。また、遊佐とか、遊馬といった遊の付く氏名は、天皇家のある役職があった家だと事典にありました。しかし、遊田は何の記載もないのですが。

本家のある土地は、大昔から奉納米を作る宮島の社領でした。遊田はその中心的な家だったようです。当然、御田植え神事をやるわけです。源平の合戦では、大将を務めた源範頼(義経の兄)が、壇ノ浦へ出陣する前に本家に陣を張り、しばらく滞在していたようです。明治に神社合祀される前まで「範頼神社」が屋敷内に祀られていたこともわかりました。

「調べれば、きっとわかるはずよ」と、シャーマンから言われていました。家のことを調べると知らないことがぞくぞくを出てくるものです。それまで、単なる田舎の家としか思っていませんでしたが、歴史がらみの諸々があります。ただ、語り継がれていなかったということです。

私は過去の事々に、それほどこだわりを持っているわけではありません。ただし、自分の根っ子を知りたいとは思うのです。長男ですから、知っておく必要があると思います。家なんか、関係ないと言えないのです。その家があって自分があるのですから。もっとも、そう思うようになったのは、40歳を境にしてからでした。それ以前は、そんなことなど考えたこともありませんでした。

私にとっては。やはり沖縄の神カカリャから聞いた「神伝え」の話が心に響いたことが大きかったと思います。あの時、聞いた事々が、今へ繋がっています。その間で解明できたこともたくさんありました。時空間を超えるような、驚きの物語で、本に書けば何巻になるか。ですから、身近な友人には「今、ソウルボートは5巻目くらいかな」と話しています(笑)

でも、未だに「?」が残っています。人生の宿題のように。どこまで解けるかはわかりません。解けるところまで解こうと思います。趣味どころか仕事を超えて、謎解きは人生そのものだと思うくらいです。貴方の○○さんという名前にも、きっと何かいわれがあると思います。


先祖って?

2009年06月02日 10時11分36秒 | 航海日誌
「あなたの先祖は?」という問いかけに、「先祖って何ですか?」といった返答を真顔でする若者がいることをどう思うか。自分が両親から産まれ、その前に祖父母がいるということは解っても、そこから先がまったくイメージにないという。先祖などということを考えたことが一度もなく、それを問われて本人は当惑したそうだ。若者といっても、二十歳を過ぎた健康な成人男性である。

 これは、沖縄宮古島のあるシャーマン(沖縄全体ではユタ、宮古島ではカンカカリャと呼ばれる民間の巫女)から聞いた実話だ。祖霊信仰の篤い沖縄では、今でも伝統的なシャーマンたちが人生相談に応じ、主に先祖事に関するアドバイスをしてくれるのだ。
 12年前に取材で沖縄を訪ね、私も縁あってお世話になり、宮古島での体験を『ソウルボート(魂の舟)』(平凡社)というタイトルで小説として書いた。

 アドバイスへのお礼は、その人なりの心付け程度。もしくは野菜や魚の場合もある。商売とはいえず、村内の役割としての務めといったほうが本来的に正しい。ネイティブ・アメリカンやドゴン族のシャーマンと同じだと思う。金儲けに走ると、正神から見放され、特殊な能力を失うとも聞く。その点が、街中で事務所を構えて料金表を掲げる職業霊能者とは似て非なる存在だ。

 さて、くだんの若者は、そのとき生まれて初めて先祖という存在を考えてみることになり、自分がなぜ今いるのかにハタと気がついて、ビックリ顔をしたそうだ。
「大和の人は先祖事に無関心な人も多いけど、まあ、先祖という言葉さえ知らないっていうんだから、もう、困ったもんだね」。本州から訪ねてきたその若者を前に、シャーマンも驚いたという。

 この若者の例を笑ってかたずけることはできない。現代社会を象徴する「根無し草」人間の、素顔そのものであると思うのだ。
 かくいうこの私であっても、二十歳の頃がどうだったか。学生時代に東京に出て以来、田舎に帰郷すれば明治生まれの祖母にいわれて仏壇に手は合わせるものの、日常の生活で先祖を想うことなど皆無だった。社会人になっても、アパートに仏壇があるわけではなし、先祖を想うことなどあろうはずもない。そんな線香臭い話に興味はない。先祖がどうのこうのなんて関係ないさ。第一、宗教になんか興味ない。人様に迷惑をかけなければそれでいいじゃないか。俺は俺で好きに生きていけばいいのだ。

 二十五歳の初夏の午後のことだった。出払ってだれもいないオフィス(某雑誌編集部)で、次号の企画立案にも飽きて、机の前でボーッとしていた。
 突然、後頭部をだれかにポンと叩かれ、耳慣れぬ男の声が聞こえた。
「おまえは忘れているよ」
 頭の中で響く、声なき声。
 だが、その重みのある声を、白昼夢だと無視することができなかった。
 忘れている? 何を? 

 それから二十数年が過ぎた。幸せを求め、自分なりに生きてきた。この東京には隙間のないほどにビルが建ち、有り余るほどの物が溢れかえった。しばらく前までは、日本は豊かになったといっていたけれど、もう、だれもそんなことをいう人はいなくなった。世の中を支える大切な何かが、ズッポリ抜け落ちてしまった気がする。

 自分はなぜ、この世界に生まれたのか。なんの為に生きているのか。人の命は、どこから来てどこへゆくのか。哲学でもなく、宗教観でもなく、胸の内に湧いてくる素朴な疑問が、忘れていることの大きなヒントだ。私たちは、先祖から連綿と続く人間という舟に乗った魂(精神、意識)。それを私は、「ソウルボート」と呼んでいる。人生という海原を航海中であるが、比喩でも何でもなく、リアルにそう感じるのだ。


ふしぎなタクシー

2009年06月01日 17時28分40秒 | 未知への扉
10年前の今頃だったろうか。友人と池袋で飲み、深夜となり、帰宅途中で雨が降り出した。滅多に乗ることのないタクシーを、交差点でつかまえようと思った瞬間、目の前に一台が停まった。乗車して間もなく、ドライバーが「神さまの話をしてもいいですか」と言った。「構いませんが、私は一切の宗教団体に関わりませんが」と答えた。

「宗教とはちがいます。神さまの声が聞こえて、貴方を乗せろと言われて。私には意味が解らないことを伝えられるのですが、それを貴方に聞けば答えてくれるそうです」と、そこまでを聞き、概ねの見当がついた。この人は何かと繋がっているのだが、その正体はわからない。

そこから彼の質問が始まった。
「虎穴に入らずんば虎児を得ずの、虎児は、本当は故事だそうですが?」
「それは、古き知恵に学ぶには覚悟がいるという意味でしょう」
「では、これからは中国が重要な国になるというのは?」
「あの国は実際には15億人以上いるとか。世界の4人に1人が中国人ですから重要になるはずです」
「地上で処理できないゴミは宇宙へとは?」
「プルトニュウムのことでしょうね」
「では、南極の氷が溶けるの、溶けるの字は、本当は理解の解というのは?」
「地球温暖化のことでしょう。その意味を理解しろと」

以上のような、ナゾナゾめいた質問だった。しかし即座に質問に答えることが出来たのは、彼に指示する神さまが言う通りだった。そのどう見ても普通の風貌のドライバーは、タクシーを運転しながら、声が聞こえるという。だが、その意味がわからなく、解説できる人間を指示されて乗せているそうだ。その日は私が二人目だと言った。彼はある種のメッセンジャーのようだった。その夜、伝え聞いた話は、これからの世界にとても重要なメッセージに思える内容だった。10年後の今、それは益々リアリティを帯びている。

私は試しに、逆に質問してみた。「これから私はどう生きればいいか、聞いてみてもらえますか?」。すると彼は黙ってハンドルを握りながら耳を傾け、間を置いて「それは教えられないそうです。自分で見つけることだからそうです」とだけ言った。その答えを聞いて、邪神ではないなと思った。相手をつるような甘言または脅しをしないからだ。出会えた礼を言うと、ドライバーもうれしそうな笑顔を見せて、深夜の街を去って行った。その後、そのタクシーに出会っていない。あの人は、今でもああして街を走っているのだろうか。街中にも、そういうふしぎなことが、希にあるという話だ。