『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

沈黙の先

2012年06月27日 08時44分21秒 | 航海日誌
昨日は、国会周辺を歩きました。消費税増税法案が可決されたタイミングでした。周辺は報道の車両がいるくらいで、静かでした。

多くの国民は、増税は嫌だが仕方ないといった気分でしょうか。誰もが、日本立て直しに金がいるのなら、それは出すと思うでしょう。しかし、これまでのように、その金がどう使われるのか、さっぱりわからない。それが国民感情でしょう。

直接税は有無を言わさず。増税され、その恩恵をこうむるのはどこか。輸出の多い大企業は、還付金が入るそうです。消費は落ち込み、中小企業はさらに追いつめられる。

どうも、この国はいくところまでいくといった負のループにある。中途半端なところでの起死回生はないようです。とことん、苦を味わい、負を背負って、大波を越える。そうなるようです。

さて、週末は、この国会周辺に原発反対の人々が集まり、官邸を取り囲むわけです。金より、命を大事にしろ!と。昨日の国会とは、まったく違う温度になるでしょう。沈黙の先の、必死の叫び。

これから、宮城県の亘理地区へ行きます。海岸線に近い町で、どう復興がなされているか、現実をみてきます。みればまた、わかることがあるでしょう。

では、行ってきます。

無血革命

2012年06月25日 22時03分05秒 | 航海日誌
江戸城を無血で開城させたのはなにだったか。
この国に革命は無いという人もあるが、革命はある。

人の血が無数に流れて、それが革命というのは欧州の歴史。
この大和も、源平があったが、欧州ほどの血が流れたとは思えない。

幕末もしかり。欧州人は血の革命を望んだかもしらんが、日本人が望まなかった。西南の役は戦争ではなかった。欧州の圧力をかわす手だてだった。そのために、西郷公は天へ還った。

きっと、今も同じだ。だが、これほど巷に情報らしき雑言が流れた時代はない。ゆえに、人々は欧米式の情報を勘違いしている。

日本人だからこそ、志士はいる。その姿が見えないだけだ。その志士は欧米人と戦っているのであって、日本人と戦っているのではない。

江戸城はないが、それに代わって国会議事堂、首相官邸がある。そこを人々が囲み、無血開城を果たすのだ。それが志士を支える。論ではなく、事実とは、それにほかならない。

教条主義の愚かさ

2012年06月24日 20時24分48秒 | 航海日誌
藤原直哉さんのネットラジオで、ゲストに招かれた高嶋博士が、おおいに語っておられる日本近代史。政治がどう動いたのか。まったく知らなかった歴史の裏舞台が語られている。

江戸時代、禅宗の中興の祖、白穏禅師が伝えた「片手の声」。それは何が響くのか。真理であると。その教えを近代へ伝えた珠玉の講話である。

大東和戦争時、国の中枢がどうだったのか。元老院に招かれた臨済宗の玄峰老師が、天皇側近達に語ったことは何だったのか。

今の日本は1億玉砕の教条主義に陥っていると看破。教条主義とは理屈の世界に留まっていることだ。何が国を動かし護るのか。先を観ろと。先を見越おす。事実しかない。敵も味方もない。何を為すかだけがある。大関は大関らしい負け方をしなさいと。

昭和18年、元老院の密室で語られた、この話は、今まさしく重要な事である。これ以上、私がどうこう書くより、志のある方は、このネットラジオをお聴きになって、ご自分でとくと考えていただきたいです。

藤原直哉ネットラジオ
対談 日本政治の過ちの本質 環境微生物学博士、白隠護持会事務局長 高嶋康豪博士 vs 藤原直哉  2012年6月22日(2時間6分)
http://www.fujiwaranaoya.com/TD120622.mp3

奴隷

2012年06月23日 00時32分31秒 | 航海日誌
私が2010年にアップした小説のクライマックスです。3/11震災が起こる前でした。もう間もなく、大変な事態となると直感していました。

だから、何が起こるかわからないが伝えなければと感じ思って書ききった小説をブログに出したのです。

何かわからないが、そうなったら、われわれ民衆ができるのは、どう考えてもこれしかなかったのです。無言の行動。結集デモ。

それが今、現実に起こっています。
皇居ではないけれど、国会や官邸に人々が集まっています。
原発、止めろ。みんなを消すのか!
未来を消すのか!
と。

原発を推進しようとする人間は、反対する人間と、生身はなにも変わりません。何が違うのか。それは恐らく、良心を失い、感情の奴隷になった人々なのでしょう。かれらこそ、心の奴隷なのです。そこには自由という感覚がない。だから、仕方ないと、ご主人(組織)に従い、悪を行うのです。自虐なく、行えるのです。個人行動ではなく、命令に従っているだけだと。奴隷とは、そういう人々なのです。ただし、かれらは奴隷などとは微塵も感じていませんが。

だから、社会悪が行えるのです。

そのことを理解しなければ、敵はどこにいるのか、まったく観えないのです。

私の中にも、敵はいるのです。

あなたの中にも、敵はいるのです。

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「ドリーマー20XX年」

最終章

 八月一日、早朝五時――
 皇居のある中央区へと、新宿区、文京区、台東区、中央区、港区の四方から無数の人間たちが人垣となり、ゆっくりと歩みを進めていた。ホームレスの男女、労働組合団体、さまざまなNPO団体、一般市民、子どもの手を引く母親の姿もある。多くの学生たちも見受けられる。

 誰もみな無言である。アスファルトを擦る足音だけがビル街に響き渡り、あたりを異様な空気が支配している。吉川たちドリーマーは靖国神社を越え、やがて九段下の内堀に沿って歩いている。
 その集団が竹橋に至り、国立近代美術館前で大勢の人々と横一列に並んだ。皇居側にはおびただしい数の治安部隊員が並び、こちらを睨んでいる。それ以上は近づけないといった距離にまで迫り、デモ隊は一斉に隣同士で手をつなぎ始めた。皇居は完全に人の輪で囲まれた形になった。
 人の数は定かではない。三〇万人なのか五〇万人なのか、一〇〇万人に達しているのか、その数は問題ではない。ここに集まり、皇居を囲んだことに意味がある。無言でいることの威圧は想像を遙かに絶している。

 治安部隊の各ブロックからデモ隊への要請が拡声器で流れ始めた。
――デモの参加者に告ぐ。不当行為、破壊行為に出る者はただちに検挙する。皇居側に進んだ場合も同様である。それ以上、近づいてはならない。

 拡声器の声が止むと、また沈黙が辺りを支配した。
 吉川重則が右隣の河口真理江の手と左隣の石井洋介の手を振り上げた。それに合わせて工藤香織、高野隆、野川典子、深田勝、芦沢忠彦、佐藤ゆりらドリーマーたちの両腕が手をつないだまま振り上げられ、横につながった人々に連動して波のようなうねりとなって皇居の周りでひとつの生き物のように動き続けている。
 ただ、それだけだ。だが、それだけのことが饒舌なのだ。

 対峙する治安部隊員も、彼らが何を訴えているのかがよくわかっている。また、皇居の中にいる天皇もわかっている。国会にいる政治家も官僚もわかっている。国家安全保障局の情報部員らの中に杉山泰子の顔もあり、その杉山もわかっているのだ。
 決起集会の主旨として、ネット上で宣言した文章を読んでいるからだ。

――われわれは人として生まれ、人として日本で生きてきて、人としてまっとうに扱われる人生を望んでいる。世界経済が崩壊したからといって国家が解体され、世界統一政府により人民が選別されて奴隷のように扱われることを認めるわけにはいかない。法律は人間が作り、人間を管理するものとして働くが、その社会法規の前に自然法というものが存在しているのだ。命が命を生み育て、それが連綿とつながって豊かな世界を創っている。その事実からもたらされるのが自然法である。人類はみな兄弟というが、兄弟を騙し、隷属させ、命を奪うことは自然法を無視する行為にほかならない。なぜなら自然とは命そのもののことを示すからである。その自然法とは命を守り育むために存在するからである。地位、権力に関わらずなんびとも自然の外に出ることは出来ず、ゆえに自然を犯す行為は破滅への道なのだ。自然の摂理に逆らう者はやがては自己破壊を起こす運命にあることを忘れてはならない。
 われわれは今日、皇居前において、この自然法に基づき、日本国政府に対して人民選別政策を撤回することを要求する――

 これがネット上で宣言した文章だった。政府関係者であれば全員が読んでいるはずだ。皇居前でがなり立てる必要もない。また、大声を上げたところで、その声が耳に届くこともない。騒ぎ立てるのは烏合の衆のすることだ。敵対対立するデモなど愚の骨頂。それが「ネット人垣作戦」の最も要となる約束だった。

 また、大阪でも大阪城を囲んで同様の決起集会が開かれていたし、広島、長崎では原爆記念公園で、沖縄では首里城で、あとの地方は小規模であっても同様の決起集会がおこなわれていた。つまり日本全土で、自然法に基づき生きる権利を主張する人々が集まり、日本国政府に宣言したのである。

 この日の様子はテレビ新聞各社が報道し、世界へ配信された。だが、宣言文の全文を掲載したり、読み上げるマスコミは皆無だった。掲載されたのは「ホームレスの生きる権利を守り、対応を日本国政府へ要求」といった要約のみだ。公にされていない人民選別政策などとは何処にも記されていなかった。その代わり、ネット世界では全文が貼り付けられてさまざまなページで紹介されていたし、英文翻訳にして海外へアピールするホームページやブログの管理人もいた。

 今や、ネット世界を知らない者たちとの情報の温度差は歴然としているのだ。そして情報を管理することが最大の課題となっている権力機構、組織にとって、これほどやっかいなツールはないのである。このインターネット世界を管理するなら、すべてのプロバイダーを国営組織化するしか手がないだろう。すでにそれに向けての法整備は着々と進められている。と同時に、ネットは監視され、操作されていた。一般民が情報を遮断されれば、二〇XX年には完全に情報が管理された世界が誕生することになる。

 それを阻止するべく彼らドリーマーの闘いは始まったばかりだ。世界統一政府の野望があるかぎり、脳内から情報を収集するドリーマーの活動が終わることはない。

遠い太鼓

2012年06月17日 20時38分30秒 | 航海日誌
遠い記憶をぼくらは忘れているんだ。
遠い遠い先祖の記憶。
いつか思い出すんだろうか。
なぜ、いまここに生きているんだろうかと。

ばあちゃんが云った。
あんたはご先祖さんのことを大事に想いなさい。
先祖ってなあに?
あんたが生まれる前の前にいた人たちだよ。

畳の部屋の鴨居のうえに、おじいさんの肖像画があった。
その人の前の人たち。

今も遠くで太鼓を叩いている。

見えない戦争

2012年06月16日 15時00分18秒 | 核の無い世界へ
原発の事を考えない日はありません。
あれから3.11から、生活の一部になってしまっている。
関係書を読み、ネットで調べ、おおかたの情報は頭に入っている。
だから、テレビ報道などチラリ観ても、肝心の部分を欠落させて、触れないで流していることがよくわかる。

テレビしか観ていない人は、NHKが言うんだから、原発が稼働しなければ15%も電力不足なのだろうと思い、関西電力大飯原発再稼働は仕方ないと思い込んでしまっている。そう思わない人も多くいるが、その声はほとんど伝えない。

昨夜6時に、首相官邸前に1万人を超える人々が集まった。大飯原発再稼働を反対する声を上げるために、ネットの呼びかけで集まった人々である。

そして、今日、政府が再稼働にゴーサインを出した。理由は、「この夏の電力不足」原発を動かさなければ、この国の経済に深刻な影響が出るからだそうだ。

この国の安全に深刻な影響が広がっている最中に、経済か。経済活動が主体で人間活動は二の次の、本末転倒の考えだが、その狂った発言に耳を貸す者たちも狂っている。いえ、耳を貸しているのではなく、スルーしているだけ。いずれにしても同じことである。

もう何度も、ここで同じような訴えを書いている。自分でも辟易するが、書かねばならない心情を裏切れない。だから、書く。

社会通念を疑う。○○だから、○○は、仕方がない・・・という言い訳にもならない発言だらけだ。「国は経済で動いているから、人の命の問題は二の次にしても仕方がない」と、代表者が言っているのだ。

ハッキリ言うと、この人物が狂っているのではなく、そう言わざるを得ないオーダーが下されたという事である。首相が個人的意見でも物事を判断していると思っている人などいないだろう。

だから、1万人が官邸に詰め寄ったところで、どうにもならない。100万人なら、報道も無視できないから、大騒ぎになり、治安維持部隊が出動し、リーダーが逮捕される。

では、誰のオーダーか?

それが問題の根源である。

経団連であり、金融界であり、海の向こうの連中からであり、内外からの社会的なステルス攻撃が続けられている。

認識を新たにしなければならない。

今起こっていることは戦争なのだ。

現実ってなんだ

2012年06月11日 21時04分59秒 | 核の無い世界へ
あれから・・・いつから? 2011年3月11日。
ここ東京でも、大きく揺れ、ついに直下かと思った。
数日後、福島の原発が水素爆発を起こした。
これは単に地震災害では終わらないと思った。

逃げなきゃ、マジ、やばい。

が、周囲はわりあいと平静をよそおっていた。
天候、風向きによって1、2日で関東にも放射能が降るぞ!
なかには、察知して家族を非難させた人たちもいた。
ほとんどの人は日常をキープして、不安なおももちでテレビを観ていた。
テレビは、肝心要の情報など微塵も流さず、
落ち着いてください的な話に終始した。
やれやれ。だからテレビばかり見ちゃ、いけないって。
ホアンインが、「いまのところ、いまのところ」と連呼して、いつまでのいまのところなのか、さっぱりわからない話をしていた。

あれから・・・1年もすぎ、また、春がすぎ、夏になろうとしている。

なにも終わっていない。原発は、壊れたまま、放射能を垂れ流している。第4号機は、1535束の核燃料棒をむき出しプールに沈めたまま、傾いたまま、放射能を放出し、海もどんどん汚染している。魚も汚染し、変な味がしないから、それを人間が食べ、ぼくもしらずしらず食べている。産地表示だけじゃ、避けられない。加工されたらわかんないだろ?

やばい、ほんとうにやばい。ぼくはもうオッサンだから、そろそろ死んじゃっても仕方ないって感じもあるが、やっぱり子どもたちが気の毒だ。気の毒・・・申し訳ない気分だ。仮に、30年後もまだぼくが生きていて、すでに大人になった子どもたちに、「あのとき、おじいさんはどうしてたの?」と聞かれて、なんと答えられるだろうか。

ひどいもんだ。国の代表者も、それに連なる大人たちも、ひどいもんだ。もっと大声で原発止めろ!と叫んでもいいはずなのに、沈黙。原発に反対して毎日、活動している人々もいるけど、それ、少数派ってもんで、おおかたの大人たちは毎日、あれから・・・忘れてしまって。なんでか、口をつぐんだままだ。

これが、現実ってもんだったのだ。
ぼくが、なにより、いちばん驚いた事実である。