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『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

短編「マイボール」

2011年02月20日 23時54分06秒 | 『ソウルボート』短編集
ソウルボート短編集

「マイボール」


 親友、松田修が亡くなって、1年余り経ったその翌年、健一郎は大学受験に失敗し、浪人生活をしていた。石内村から原付バイクでひと山越えて広島市内の予備校に通っていた。その予備校には、同じ高校の同級生も数人が顔を揃えている。小学校のときからの同級生でサッカーが得意だった平田達郎もいた。

「のう、おまえはどこの大学目指しとるんじゃ?」平田がからかい半分の口調で健一郎に話しかけた。
「わしか、東京の大学」
「東京がつく大学なら東京経済、東京理科大、いろいろあろうが」
「どこでもええ、もう浪人はできん」
 健一郎にとっては、どの大学というより、受かった大学へ行ければそれでよかった。とにかく広島を出て、離婚した両親のもとを離れ、ひとりで生活をすることが目標だった。
「平田はどこへ行こう思うとる?」
「わしか、九州よ。博多へ行きたい」
 平田も大学名ではなく、土地を指して言った。
「博多か」
「ミュージシャンが多い街じゃ。わし、音楽やりたいんじゃ」
「音楽いうて、どんな?」
「ブルース」
「シブイのう」

 予備校からの帰りがけ、山の上り坂をバイクのエンジンを吹かし、峠でブレーキをかけて広島市内を見下ろした。家々、町並みが見え、三角州に川が流れ、その向こうに瀬戸の海が眺められる。その風景が健一郎にはすでに懐かしいものに思えた。さまざまな記憶が断片的に去来する。それがひとつの塊のようになって、健一郎の胸を駆けめぐった。高校時代、松田修と自転車で通った山道だが、この峠から改めて広島を眺めたことはなかった。
「松田君、わしは東京へ行くよ」
 そうつぶやき、広島を背にバイクにまたがった。

             ○○○

 自室のベッドに横たわって天井を眺めていた健一郎の脳裏に、ふと、忘れていたことが浮かび上がった。
「マイボール預けたままじゃった・・・」
 中学3年生のときにボーリング場へ行き、仲間のひとりに自分のボールを預かってもらっていた。そのうち取りに行くと言ったまま、すでに4年の歳月が流れていた。
 植田徹に電話をかけると、大事に仕舞ってあるから取りに来いと言った。なら、今度の日曜日に訪ねると約束をして受話器を置いた。

 瀬戸内海に面した新興団地に建った真新しい一軒家のベルを押すと、懐かしい顔が出迎えた。
「ああ、久しぶり」
「悪かったね。ずっとボール預けたままで」
「取りに来んから、もう捨てようか思うとったよ」

 植田の部屋でいっとき話し込み、健一郎がケースに入ったマイボールを受け取ると、クルマで近所を案内すると言った。彼も浪人しており、最近、免許を取ったと言った。
「高校になってここに引っ越してきたんじゃけど、海の景色がええところなんじゃ」
 植田が父親のクルマを借りて高台へ走らせると、瀬戸内海が一望にでき、宮島がすぐそこに見えた。
「ほんま、絶景じゃ」
「そうじゃろう。でも、毎日、見とると飽きるけどの」
「早ように免許取ったんじゃねえ」
「家の手伝いもあるし、大学は地元の私立へ行くけえ、大して勉強せんでもええから。今はアルバイト中なんじゃ」
「植田は昔から頭よかったから楽勝じゃろう」
「なにが、挫折よね」
 吐き捨てるように植田が言った。あの優秀だった植田からの言葉とは思えなかった。もっと勉強すれば国立大学へも夢ではなかったのだ。何かを諦めたように、瀬戸の海を眺め、また、「挫折よ」と、ぽつりと言った。
 
            ○○○

 中学時代のいっとき、ボーリングが流行った。健一郎の父親もその遊びに熱中して毎週、日曜日にはボーリング場へ通っていた。健一郎は、父親からボールを譲り受け、自分もやっとマイボールを持てたことに満足していた。クラスメイトの植田徹は早くからマイボールも持っており、スコア平均も170あった。最後にゲームをしたのは、中学3年の秋だった。植田は190を出し、健一郎は138の成績で終わった。
 そのときなぜ、マイボールを預けることになったのか、なにか理由があったはずだが、健一郎にはハッキリした記憶がなかった。もしかしたら、もうボーリングをやめると言ったのかも知れない。それを植田が預かると言って引き取ったのかも。
 そのマイボールが4年振りに手元に帰ってきた。もうボーリングに興味など消え失せ、ただの重たいボールでしかなかった。いったんは机の横に置いてみたが、納屋に仕舞い込んだ。
 スポーツ万能で成績も良く、クラスの女の子に人気のあった植田が、あんなに浮かない顔でいたことが意外に思えたのだ。4年も会っていなかったのだから、その間で彼に人生になにがあったのかまったく知るよしもなかった。健一郎にとっては、ただ、意外さだけが際立っていた。

 それから3週間ほど経って、中学時代の同級生、吉田綾子から電話がかかってきた。
「もしもし、小林君。吉田よ」
「ああ、どうしたん。久しぶりじゃね」わりと仲の良かったクラスメイトだったが、卒業してからは電話などなかった。
「あのね、驚きんさんなよ・・・」
「どしたん?」
「植田君がね、事故で・・・」その先は声を詰まらせ、泣き声に変わった。
「まさか」
  健一郎は、呆然となり、3週間前に会ったばかりの植田の顔を浮かべた。

 週末が葬儀だった。クラスのほとんどの顔が揃っていた。女の子らはみな声を上げて泣いた。葬式の帰り際、誰かが、今度、同窓会をやろうと言った。会えるときに会っておこうと、皆が首を縦に振った。
 健一郎は、心の中で思った。去年、松田が亡くなる1週間前にふと思い立ち会いにいった。今度は植田を思い出し、同じく会いにいったのだ。自分が会えば、亡くなるとはどういうことなのだ。
 その話は誰にもできなかった。気味悪がられたくなかったし、なぜなのかの答えがない。それに、そんなの偶然だと言われたくもなかった。
 ただ、吉田綾子には、短く話した。
「二度目なんだ」
「ふしぎね。でも、小林君に別れをしたんじゃない?」
「そうとしか思えないけど」
「ふたりのぶん、がんばって生きなきゃ」
「そう思う」

 年が明け、健一郎はどうにか大学に受かり、広島を離れることになった。その数日前に、西広島の国鉄駅前で、ばったり同級生に出くわした。予備校もいっしょだった平田達郎だ。
「おう、偶然じゃのう」
「平田か。おまえ決まったんか」
「九州へ行くことになったわい。おまえは?」
「わしは東京へ行く」
「ほうか、お互いがんばろうや」
「おう、がんばるよ」
 ほんの数分の邂逅だった。その短い会話の中で健一郎は精一杯の思いを口にしていた。
 がんばる・・・この世を去って行った友人たちのぶんも自分が背負っていると、それだけを思って。そうでなければ生きている自分がなんなのか、その答えをふたりから問い掛けられているとしか思えなかった。


短編「写真」

2011年02月11日 19時36分01秒 | 『ソウルボート』短編集
「写真」或いは、イエスタデー・ワンス・モア

          ○1○

 広島市内から西にひと山越えた石内村に健一郎が引っ越したのは、市内の私立高校に入学が決まった二月のことだ。それまで、父親の健男が勤める自動車製造会社の社宅住まいだった。祖母が住む古い家を建て替えることにしたのは、代々の墓がある一帯の山が売れた金が入ったからだった。
 隣近所の土壁の木造家屋に比べ、外壁がクリーム色の二階屋はモダンな雰囲気があった。健一郎の部屋は二階にあり、フローリングの洋間だ。ベッドと本棚、机が置かれ、壁には、オリビア・ニュートンジョンのポスターが貼ってある。洋間なのに引き戸なのが気に入らなかったが、引っ越す前は妹との相部屋だったから、念願の個室を得て、有頂天だ。

 この家に引っ越し、健一郎の高校生活がスタートした。市内の高校まではバスと電車を乗り継いで一時間半かかったが、当初はその通学時間が小さな旅のようにも思えた。隣に同年代の女の子が座ったときは、それだけで頭がいっぱいになった。そのうちに、自分の好みの女の子を見定め、どうにか隣に座れないかと気をもむ。この年代特有の淡い恋心というもので、それでどうなるというものでもなかったが、通学時間の密やかな楽しみとなっていた。
 しかし半年も経つと、一時間半もかかる通学がおっくうになっていた。通学路で見初めた女の子と仲良くなれていたなら、それも違っただろう。たまに顔を見つけて、ハッとするだけのことなのだ。女の子の顔を眺めるよりも、十五分でも長く寝ていたかった。

 隣村に住む、松田修が同じ高校の一級先輩だと知ったのは、通学を始めて半年後のことだった。松田とは村で顔を見知っている程度で、話したことはなかった。体育館で顔を見かけ、声をかけたのは松田だった。
「なんや、あんたもここか」
「先輩じゃったんですか」
「わしは商業科よ。そっちは普通か」
「ええ、一応大学進学したいんで」
「わしは勉強苦手じゃけん、卒業したらすぐ就職よね」
 あっさりしたその物言いに健一郎は好感を持った。
「今度、よかったらうちに遊びに来ませんか?」
「ええよ、日曜日に行かせてもらおうか」
「少しですがレコードあるんで、カーペンターズ好きですか?」
「洋物はあんまり聴かんけどね。サイモンとガーファンクルならあるけえ、持っていくよ」

 日曜日となり、健一郎は、コーラとポテトチップスを用意して松田を歓迎した。石内村に越して、始めて友だちと呼べる相手を家に招いたのだ。玄関に立った松田を祖母の絹江に紹介すると、絹江は松田んとこの息子さんかといい、こんな大きな子がいたのかとしたり顔をした。
 自分の部屋に通し、すぐにレコードを掛け、洋物を何曲か聴いてなごんだ。
「カーペンターズもええね。気に入ったよ」
「ええでしょ。中学んときコンサート行こう思うとったら中止になって、今でもチケット持っとるんよ」
「なんで中止になったん?」
「カレンが病気になって日本に来られんようになってね」
「そりゃあ、残念じゃったね」
「この次に来るときは必ず行こう思う。それでチケット払い戻しせんかった」
「そのチケットもう使えんで」
「けど、宝物じゃけえ」
「そうか。そんときはわしも行くで」
「ほんまに?」
「ほんまよ、約束じゃ」

          ○2○

 それ以来、ふたりは無二の親友となった。松田は自転車で1時間かけて通学していた。バスと電車を乗り継ぐより、自転車のほうが学校に着くのに30分早い。それに定期代もかからない。健一郎は松田の誘いに決心して、一緒に自転車通学を始めた。朝、松田に家に寄り、共にペダルを漕いで高校へ通った。帰りも、校門で待ち合わせた。

 健一郎は空手部で、松田は合気道部に入っていて、武道談義に熱中できた。
「合気道はこっちから攻撃せんけえね。かかってこられたらそれを受け流すのが技なんよ」
 健一郎が、空手と合気道はどちらが強いかという質問に、松田がそう答えた。
「そう。なら合気道は受け身ばかりなん?」
「取りと受け身にわかれて交互に技を掛け合うんで、柔道とも空手とも違う」
「じゃあ、どっちが強いか空手とやってみんね」
「遠慮しとく。強い弱いを競わないのが合気の道じゃけえね」
 松田が笑いながら、瀬戸の海を指さした。学校からの帰りがけ自転車を降り、防波堤に足を投げ出して、西日が傾く赤い波間を眺めていた。
「海じゃ。波は打ち寄せ、また引いて。合気道はあれと同じゃ」
「ふーん。ようわからんけど、なんかわかる気もするけど」
 健一郎が松田の言葉を素直に受け止めるように言った。
「本当はわしもようわからんけどね。師範の話の受け売りじゃ」と松田が笑った。
 晩秋である。来年、松田は卒業し、健一郎は3年になる。松田は地元の農協へ就職したいと考えている。
「農協なら親も安心じゃけ、なんとか入りたい」
「松田君なら入れるじゃろう」
「こうやって一緒に通学できるのも残り少ないのう」
「ホンマじゃ、寂しいけど後1年は一人で自転車通学するけえね」

 それから半年して、松田は農協への就職が決まり社会人となった。社会人となった松田は、健一郎から見れば、もう自分とは違う大人に見えた。学校帰りに松田を訪ねても、家にいないことが多かった。久しぶりに顔を合わせ、仕事の大変さを聞かされても、健一郎には実感の伴わない話であり、適当に相づちを打つだけだ。
「帳簿は1円も間違えられんし、学校で習うた簿記とはわけが違うけえ。残業して何とかかんとか帳尻会わせて」
「ぼくは計算もの苦手じゃから、そんな仕事はできんね」
「それだけじゃないよ。農家を回るんにクルマ運転せんといけんけえ、今は夜に教習所通いもあるし、時間がないのう。学生のころが遠い昔じゃ」

 そのうちに健一郎も受験期が迫ってきて、ほとんど松田と会うこともなくなっていった。たまに電話で話し、近況を聞いていた。
「クルマ買うたんじゃ」
「すごいのう」
「中古のオンボロよ」
「乗せてえや」
「もちろんじゃ」

 日曜日になり、松田の家に行くと、庭先にクーペタイプが停められていた。見るからに中古車だが、健一郎には手の届かない乗り物だ。
「ええねえ、これに乗って毎日、農協へ通うんか」
「月賦じゃけえ、給料の半分は払わんとならん。オヤジに許してもらうん苦労したんよ。なにがクルマか、10年早い言われて」
「松田君のオヤジさん恐そうじゃけえ」
「ほうよ。でも許してくれた。全部、自分が責任持ってやれ言うて」
「わしも働くようになったら乗りたいのう」
「じゃあ、ちょっとそこらをドライブするか」
 松田が指先のキーを振り、健一郎をうながして乗り込み、エンジンをスタートさせた。
 カーラジオの音に混ざってエンジン音が車内に響き、初夏の風が窓から吹き込んでくる。対向車のない田舎道を走り、松田は50キロ以上スピードを上げない。去年、松田の弟が改造した原付バイクで転倒して入院したことがあった。
「うちの弟はあれからバイク禁止じゃ」
「バイクは危ないけえね」
「頭打たんかったからよかったんよ」
「クルマはスピード出さなにゃあ安全じゃけえ」
 ハンドルをしっかり握り、シートベルトを締めた松田が左ウインカーを点灯させて、山手の団地造成地へ向かった。そこはまだ一軒の家も建っておらず、土地が区分され、広い道がつけられていた。
「ここなら、ちいとスピード出しても平気じゃ」
 そう言いながらセカンドからサードギアに切り替え、エンジンを吹かし、トップに入れてクルマを加速させた。メーターの針が80キロを指している。助手席の健一郎の顔に、風が速度を上げて吹きつける。
「このクルマどんくらい出るん?」
「140キロくらいは出る思うんじゃけど、そがあに出したらエンジン壊れるじゃろう。わしはスピード狂じゃないしのう」
 そう言い、スピードは50キロに落としている。
「何キロまで出したことあるん?」
「一回だけ100キロ出したけど、大事に乗らんとのう」
 頑固な父親を説得して手に入れたこのクルマは、松田にとって宝物なのだ。彼が所有したものでこれ以上の物はなかった。
 健一郎には羨望だった。アウトドア好きの彼は、四輪駆動のピックアップタイプを夢見ていた。
「ちょっと運転してみるか」
 唐突に、松田がそう言った。
「え、わしが? ええん」
「特別じゃ。ここなら誰もおらんし」
 夕暮れの団地造成地の真っ直ぐな道路を走るクルマはほかにはない。人影もなかった。健一郎は、セカンドギアまでしか出せなかったが、30キロ程度のスピードで数百メートルの直線を走った。生まれて初めてクルマを運転する体験に興奮を覚え、自分も大人の仲間入りになった気分を味わった。

「今日はありがとう。運転おもしろかった」
「大学生になったら免許取りんさい。クルマは人生が変わるでえ」
「うん、バイトして金貯めんとね」
「小林が免許取ったらクルマ貸してやるけえ」
「ほんま、じゃあ乗らしてもらおうか」
「なら、そんときは遠くへドライブに出るか」
「ええねえ、どこまで行こうか」
「東北がええ」
「そがあな遠くへ? 1000キロ、2000キロあるじゃろ」
「クルマがありゃ、どこへでも行けらあや」
 松田がフロントグラスの遠くを見て、愉快そうに笑った。

           ○3○

 山の木々がじょじょに色づき、秋が深まり始めていた。健一郎は学校から帰ると部屋に籠もり、机の上に問題集を広げていたが、ふと、久しく会っていない松田の顔を思い浮かべ、電話をかけてみた。
「仕事忙しいんじゃろう?」
「そっちは受験勉強か」
「まあ、ぼちぼち」
「お互い、忙しいのう」
「ねえ、今度の日曜はどうしとるん?」
「たぶん、土曜日も残業して疲れて昼まで寝とるかのう」
「ほんなら、夕方くらいに遊びに行ってもええ?」
「予定はないけえ、ええよ。そうじゃ、あんたに借りとったレコード返さんといけんけえ、うちに来んさい」

 日曜日の5時過ぎ、家を訪ねると、玄関先に松田が出迎えた。
「おお、久しぶり。元気じゃったか」
「約束どおり自転車通学しとるけえ、元気よね。最近は山越えの道を使って学校まで50分で行とるんよ」
「ほう、あの峠を越えて行とるんか。頑張とるのう」
 松田の2階の部屋に上がると、健一郎は松田が駅前の洋菓子屋で買っておいたシュークリームと紅茶でもてなされた。三月ぶりに会った松田の物腰は、健一郎の目にはさらに大人になったように感じられた。
「わしも借りっぱなしのレコード気になっとったんじゃ」
「ええのに、オリビアはもう聴き飽きたけえ」
「わしが最近、聴くんはこれよね」松田がそう言って、キャビネットからLPジャケットを取り出したのは、八代亜紀だった。
「シブイの、聴くんじゃねえ」
「先輩にカラオケスナックへ連れて行かれて、聴くようになったんじゃ」松田が半分、唱うように「お酒は温めの燗がいい、ちゅうての。しみじみ飲めば、しみじみと」と、言った。
 健一郎にはその良さに同意ができないでいたが、職場の連中との一時に漂う空気がそういうものなのだろうとだけ理解した。今の松田にとっては、オリビアよりも八代亜紀なのだ。
 松田がそのレコードを掛けると、6畳間に艶のある歌声が流れ始めた。それからおもむろに立ち上がり、部屋の窓を開けた。
「ほら、この窓から新幹線の線路が見えるじゃろ。夜、家に帰って、窓の外の新幹線が走っていく灯を眺めながら八代亜紀を聴いとるとのう、なんか涙が出てくるんじゃ」
 そして、話の最後に松田は「辛いのう」とだけ言った。
 それを聞き、なぐさめたいとは思うが、どうなぐさめればいいのか。仕事をする身にある松田の心情を想像するが、健一郎には実感できない世界だった。

              ○4○
 
 それから一週間後のことだった。玄関先の電話に出た祖母の絹江が健一郎を呼び、掛かってきた電話に出ると、受話器の向こうから伯父の声がした。
「あんた、松田君と仲が良かったろう?」
「うん。それが?」
「ええか、驚きんさんな」
「どうしたん?」
「あのの、夕べ事故があっての」
 健一郎の頭から血の気が引いて、受話器の声が遠くなった。
「今夜が通夜なんじゃが」
「うん、行くよ」

 始めて見る人の死に顔だった。半分開いた瞳が、光が奪われたガラス玉のようで、もう二度と光は戻って来ないのだと思うと、健一郎の目から涙がぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
 祭壇の前で父親が短く挨拶をした。
「かけがいのない子をいっぺんにふたり亡くし、これは自分の不徳じゃ思うております。子らにはすまんとしか言いようがありません。わしはそれを背負うて生きていくしか」
 声が詰まり、深々と頭を下げる父親をみて、健一郎も頭を下げた。白い幕が張られた部屋の中のそここで泣き声が響いていた。
 
 通夜の空気がほんの少しゆるんで、健一郎は伯父から事故の模様を聞かされた。
「昨日の夜、団地の造成地へ兄弟で行ってのう。登り坂じゃったからスピードは出ておらんはずじゃが、道端に停まっとったダンプにうしろから突っ込んで。夜は誰もおらんから、助けも来んじゃろうが」
 前に、健一郎が運転させてもらった造成地での事故だった。あの、慎重な松田がなぜと、信じられなかった。
「魔に取られたんじゃのう」と伯父が言い、茶をすすった。
「信じられんよ」と、健一郎が声を震わせた。
「可哀想なことをしたよのう」
「親友じゃった」
「そのぶん、あんたがしっかり生きんといかんで」
 健一郎には、もうなにも言うことがなかった。

 年が明け、大学受験が始まり、健一郎は東京で試験に臨んだが、希望校はどれも不合格となった。浪人生活となり、予備校へ山越えの道を原付バイクで通う毎日となった。バイクを走らせていても、決して無謀なスピードを出さなかった。
 松田の死を忘れることはなかったが、とはいえ常々に思い出すことも薄れていった。だが、高校時代に通った山道を走ると、すぐに思い出すのだ。最後に交わした言葉を述懐していた。
「辛いのう」という言葉だった。
 新幹線の灯と八代亜紀・・・
 あの日、なぜだか、彼の写真を撮ったことを思い出した。久しぶりに会うからと、カメラを持って訪ねたのだった。健一郎が、あの窓辺で写真を撮ってあげると言うと、松田は照れくさそうにしてファインダーにおさまった。
 そのときの写真を現像せぬままだったことを思い出した。写真屋へ行き、現像を待って、数日後に仕上がった写真に松田の顔がハッキリと映っていた。それはどこか寂しげなうつむき加減の表情だった。
 健一郎はその写真に向かって、
「なんで、死んだんじゃ」とつぶやいた。
 そして、彼の死の少し前に訪ね、写真を撮っていたことを不思議に思った。

 日曜日になり、松田の家に電話をかけた。母親が出、仏壇に線香を手向けたいと言うと、息子も喜ぶと、か細い声がした。
 家を訪ねると父親も待っていた。茶を出され、以前はまともに会話をしたことのなかった松田の父親と話をした。
「じつは、これ」健一郎がそう言ってポケットから写真を出した。「亡くなる1週間くらい前に撮った写真なんです」
「おお、修の写真か」
「なんでか撮ったんです」
「これが最後の写真になったんじゃのう」
「お父さんにあげんとと思うて」
「ありがとう。あののう、2年前にこういうことがあってのう」父親が打ち明け話のような物言いで続けた。「広島市内の工事現場で仕事をしとったときなんじゃが、その道ばたで占いのおばさんが座っとっての。わしは占いなんか信じんのじゃが、そんときは気まぐれで看てくれ言うて。ほんならのう、あんたは大事なものを失う言われた。3千円も払うて、なにをバカなこと言うんかいうて怒ったんじゃ。じゃが、これがそうじゃったんか思うてのう。そがあな、ふしぎなことがあった。あんときゃ、まったくのう。わしはのう」

 それから1年後、健一郎は東京の大学へ通うこととなった。アルバイトをしながら、なんとか自力で生活し、酒の味も覚え、恋もし、広島時代の事々も記憶の彼方へ遠のいていった。アルバイト中、家具配達で2トントラックの助手席に乗っていて、居眠りの10トントレーラーに追突されるという事故を経験したが、その大事故でも奇跡的にかすり傷ひとつですみ、命を失うことがなかった。

 ある日、夢をみた。暗闇の中に、松田が立っていた。健一郎は夢の中で盛んに話しかけたが、松田は、ただニコニコと微笑んでなにも語らなかった。翌朝、その夢を思い返し、松田のことを忘れていたと思った。「すまん、松田君。今度、田舎に帰ったら墓参りするから」そう念じた。夢をみた日は、命日の翌日だったのだ。


短編「ポポ」

2011年01月29日 14時48分20秒 | 『ソウルボート』短編集
『ソウルボート』短編集

「ポポ」


 小林健一郎は、そろそろ受験を真剣に考えなければならない時期に来ていた。本気で大学へ行きたいのなら、部活もきっぱり辞めて、残りの半年間は机に張り付いていなければ、行けそうな学校などないことは自分でよく解っていた。半年という時間が、それでもまだ永いものに思え、まだ平気だと空手部の稽古を夕方まで続けていた。三年生で部活を続けているのは、デザイン専門学校へ進むことに決めている児玉と、大学進学の定まらない健一郎だけだった。

 汗まみれになった道着をたたみながら、児玉が口を開いた。
「おれは東京でデザインやって、稼ぐんじゃ。先輩の先輩で有名な広告代理店に入って月に100万円の給料もろうとるんがおる」
 児玉が小さな瞳を光らせ、札束を持つ仕草をした。「小林は大学へ行くんじゃろ、どこのや」と、大して関心なさそうに聞いてきた。
「東京へ行く。どこかはわからん」
「六大学か」
「無理に決まっとる」
 投げやりにそういい、道着をスポーツバッグに詰め込んだ。児玉と並んで道場を出ようとすると、指導部長の村田が口をへの字に曲げて、なにか言いたげにしていたが、児玉が先手を取って、「お先に失礼します!」と大声で言い、自転車置き場へ走っていった。
 それにつられて健一郎も挨拶の声をともに走った。また、いつもの説教が始まるとたまらない。道場の掃除がなっていないとか、理由はその日によって違うが、癇癪持ちの相手だった。
「昨日、道場の鍵かけ忘れてた」児玉が肩をすくめて言った。
「鍵はおれが掛けた」と健一郎が返した。
「じゃ、なんでや」
「ああ、多分おれのことじゃろう。大学のこと。先生は国士舘大学の空手部出身じゃ」
「ほうか、わしには関係ないの」
 自転車で並んで走りながら、児玉が山口百恵のヒット曲を口笛で吹いていた。
「おまえは暢気でええのう」
「わしんとこは貧乏で大学なんか行かしてもらえん。新聞配達しながら専門学校へ行くんじゃ」
「なら、おまえはもう空手はやらんのか」
「空手も卒業じゃ」
 健一郎は先週、部長から東京の大学へ進んだら、空手も続けろと言われたのだ。ということは、国士舘大学を受けろということだと思った。大学の空手部の稽古は、高校生のレベルとは次元が違う。足腰も立たなくなるような猛稽古の毎日だ。通学電車の中で、先輩から命じられたとおりに、つり革で懸垂をさせられたり、網棚に上って蝉の真似を強要されるといった噂を聞いていた。
「おれは大学行っても、空手はやらん」健一郎が吐き捨てるように言った。
「おまえは体力あるけん、やったら強うなれるで」
「大学空手は地獄じゃ。テニスでも始めるよ」
「軟派になるんか」
「そのほうが女の子にもてるじゃろうが」
「女か。ぶちゅーっとキスしてみたいのう」児玉がでかい声でいい、げらげらと笑った。

 瀬戸内海に沿って走る線路脇の県道を自転車で風を切ってしばらく走り、商店街に出たところで自転車を止めた。いつものコロッケ屋で一個ずつ買い、一気にほおばって空腹の急場しのぎをするのが慣わしだ。児玉が先に自転車を降り、ガラス戸の奥に声を掛けた。
「おばちゃん、肉コロッケ2つ」
「おれは今日はやめとく」
「なんでや、付き合えや。おごったるけん」
「いや、腹が減っとらん。先に行く」
 健一郎は「また明日」といい、強くペダルを踏んでコロッケ屋から遠ざかった。児玉の家は近いが、彼の家までは山沿いを走り、ここからまだ三十分ほどかかる。

 ほんとうはコロッケが食べたかったのだ。反対の態度に出たのは、大学受験のことで気が重かったからことも理由のひとつだが、それだけではなかった。家を新築して以来、両親の仲がぎくしゃくしていた。それは父親の健男がほぼ独断で決めた設計で、母のミヤコは納得していなかった。開発業者に山が売れた金で建てた家だった。健一郎が中学三年のときに新築の話が出て、一年余りでできた家だ。一階にリビング、座敷、台所、サンルーム、両親と祖母の居室があり、玄関がやたら広い。二階に健一郎と妹、洋子の子ども部屋が二つのっかっており、外観のバランスが決していいと言えるしろものではなかった。外壁は薄い黄色で、茶系が好きな母親の好みと違っていた。

「かあちゃんは、あんまり楽しそうじゃないのう」
 健一郎はこころのなかでそうつぶやき、ペダルを漕いで家路を走っていた。父親と二十年暮らしてきた母親の心情など、彼にはそれ以上、想いが至らない。今が楽しいか、楽しくないか、楽しさは、こころが躍動するか、しないか。青年の域に達している健一郎にとって、楽しさとは、今、なにが自分に躍動感を与えてくれるかだ。空手の稽古はきついが、組み手で技が決まったとき、躍動感があった。興奮のなかに居るとき、なにもかも忘れられた。

「コロッケ喰っときゃ、よかったな」
 軽い登りに差しかかり、そのから先はしばらく五百メートルほどの平坦で真っ直ぐな道だった。家はもう近い。
 突然、ハンドルを握る手が左右にブレ出した。と、自転車が大きく傾き、転倒しそうになった。あわてて反対側へハンドルを切り、体制を立て直すと、今度は反対側へ傾いた。それを繰り返しながらよろよろと二十メートル進んで自転車を止めた。
ーーなんだ、これ・・・変だ、変になった
 正気を確かめるように、そう声に出した。
 全身から気が抜けたような、その場にふわりと突っ立っているだけの、奇妙な感覚だった。
ーーおれ、どうしちゃったんだ
 恐怖感はなかった。ただ、おかしな状態にいるということが不可思議なのだ。
 すると、またもやおかしな感覚になった。突然、腹の真ん中が空洞になったのだ。両手で腹を押さえると、ちゃんと腹はあった。なのに、ポッカリと穴が開いている感覚があった。数秒間、その感触が続き、何事もなかったように身体がふつうに戻った。
ーー変だった、コレなんなんじゃ?
 自転車に乗っても、もうフラフラしなかった。残りの家路を進みながら、今しがたの奇妙な感触を思い返し、ハンドルをしっかり握ってペダルを踏んだ。

 玄関を入ると、いつものように祖母の絹江が出迎えた。明治生まれの絹江は着物姿だ。足袋は履いておらず、畑仕事で黒く日に焼けた細い足が突き出ている。しわがれた声で、か細く「ポポがのう、いけんことになったんじゃ」と言った。
 下駄箱の上には、セキセイインコの籠が置かれている。止まり木に黄色い小鳥の姿がなかった。
「ポポは?」
 健一郎が鳥籠をのぞくと、籠の底に小さく横たわったセキセイインコが目に入った。
「いけんかった。わしがのう、餌を切らしたから。悪いことをしてしもうた」絹江が自分の責任だと言って、手を合わせ、健一郎にゆるしを請うような目をした。
 セキセイインコは、健一郎が中学生のとき飼い始めた鳥だった。夕方、誰もいない校庭でひとりサッカーボールを蹴っていて、ジャングルジムに止まっていた小鳥を見つけ、そっと手を伸ばすと指に留まったのだ。
ーー手乗りインコ、どっかの家から逃げたんじゃ
 当時は、今、健一郎が住む家は工事中で、仮のアパート住まいだった。小鳥を連れて帰ると、母親が、自分で面倒見るなら飼ってもいいといい、小鳥くらいならと父親も許してくれた。その晩に、ポポと名付けた。その名を呼ぶと、すぐに指に留まった。ポポという名は、以前にも飼っていたことのあるインコのものだった。健一郎はためらわず、同じ名を与えた。その頃、彼は高校受験の前夜だった。机の脇には、いつもセキセイインコがいて、それがごく日常の風景となっていった。新しい家に引っ越しをしてからは、玄関の下駄箱の上が鳥籠の場所となっていた。

 絹江は玄関先で、しゃべり続けた。
「院寿さんがのう、昼間にお参りに来た帰りに、鳥を見て、またお参りにくるけんのういうて、おかしなこというと思うて」
 院寿は、檀家寺の住職のことだ。祖父の月命日の法要があったのだ。今日が祖父の命日だと、健一郎に覚えはなかった。祖父は父親がまだ幼い頃に亡くなっていた。四十年も前のことである。奇しくも、小鳥が死んだ日と、その命日が重なっていた。
「ばあちゃん、もうええ、明日、庭に墓作ってやるけん」
「生きものは、死ぬるけえのう、じゃからわしは生きものは飼いとうないんじゃがのう」
 祖母は、「ナンマイダブ」をつぶやきながら、玄関脇の自分の部屋の戸をそっと閉めた。

 その夜、家族が食卓を囲んで、いつものように黙って食事をしていた。健一郎が、口火を切った。
「今日、ポポが死んだの、わかったんよ」
「なにがや」父親の健男がビールを飲みながら言った。
「学校から帰る途中で急に身体がフラフラなって、なんでか腹に穴が開いたような変な感覚になったんじゃけど、帰ったらポポが餓死しとった」
 黙って聞いていた健男が、「不思議なことじゃのう」とだけ言った。
 ミヤコが、自分も鳥のことが今朝はなぜか気になったと言った。
 中学生になる妹の洋子が自分もだと相づちを打って涙声で言った。「うち、なんでか朝、ポポちゃん、行ってくるけえね言うて学校へ行ったんよ」
「じゃけえ、ぼくにポポが伝えたんじゃ」
「そがあなことがあるか」健男がいぶかしげに健一郎の顔を見た。
「ほんまに、そうなった」
「わしにはそういうのはわからんが、ポポは可哀想なことじゃったの」
「そうそう、可哀想よね」とミヤコが細い声で言った。
 皆の話を茶を飲みながら聞いていた祖母の絹江が、コクリと頭を縦に振って、「墓を造ってやらんとのう」とぽつり言った。
「うん、野武士の墓の横に埋めてやろう思う」と言うと、絹江が大きくかぶりを振った。

 翌朝、祖母に言ったように、健一郎は庭の松の木の下に穴を掘り、ちり紙でくるんだ黄色いセキセイインコを埋め、土の上に餌を撒いて手を合わせた。その松の木の脇には、一抱えもある苔むした石が置かれてあるが、それは昔、この地方が安芸の国と呼ばれていた時代に、家の前で行き倒れた旅の武者の墓だと祖母から聞いていた。
 人も、生きとし生けるものも、一生を終えると土に還る。ポポが伝えたのは、そのことだったのかもしれない。だったら・・・健一郎の胸にある感情は、まだ、この自分はそうなるわけにはいかないといった想いばかりである。


短編・胸騒ぎ

2011年01月22日 18時51分21秒 | 『ソウルボート』短編集
「胸騒ぎ」


          ○1○

 木造平屋建ての座敷を教室とするこの塾は、原爆で焼け野原となった広島で戦後しばらくして建てられた民家だが、町内の子どもたちから「寺子屋」と呼ばれている。それは授業で座卓を使って正座をさせるからで、足が痺れるのを我慢することも教育の一環だとする方針に対しての、子どもらからの揶揄である。
 授業は、一科目を四十五分間おこない、五分休憩し、次の科目が四十五分間おこなわれる。四十五分間の正座は大人でもきつい。授業が終わるころには立てなくなるほどに足が痺れ、暫くその場から動けない生徒もいる。それを耐えさせるのは、塾の教師、松崎忠則が、体罰が珍しくなかった戦時中の、尋常小学校教員だったとことに由来する。戦時中に小学校へ通った母親たちは、この教育方針を歓迎して子どもを通わせていた。第一に、月謝がほかの私塾に比べ、三割も安かったことで家計が助かるとありがたがられていた。

 八月を過ぎ、小学校は夏休みに入っているこの日は、二教科めの国語の授業で俳句をつくる課題が出された。季語として「夏」の一文字を使うこととされた。十五分間が与えられ、六年生のクラス八名が正座をして、それぞれが思い浮かぶ夏の句を、渡された短冊に書いていた。小林健一郎も鉛筆で書いては消し、書いては消しをくり返し、皆が初めての俳句に頭をひねり、時間となって一枚一枚が回収された。

  せせらぎで子ども遊ぶや夏の日に
 黒板に白髪の松崎が一句をチョークで書いた。声に抑揚をつけて詠み、生徒の顔を見回し、小林くんの句に満点の五点をあげようと言った。
 生徒がいっせいに健一郎をみて、「へぇー」と声をあげた。感心した声ではない。意外だといった、むしろ冷やかしの声だ。
 健一郎は、自分の句が褒められたことはうれしかったが、同時に恥ずかしかった。仲間から、珍しいことだと言われている気がして悔しかった。
 松尾芭蕉の『奥の細道』の、江戸から東北へ向かった足取りや、芭蕉の弟子がどうしたといった話など、健一郎の頭の中にはなにも残っていない。うれしいのと、悔しいのとが胸の内でグルグルと渦巻いているだけだった。

 健一郎が下駄箱から運動靴を出していると、
「小林の、よかった思う」と、戸山茂が言った。
「まぐれじゃ」
「まぐれでもええじゃない。できたんじゃけえ」
「みんな笑ろうた」
「ぼくは、笑わんかったで」
「戸山くんはえらいけえ」
 坊主頭の佐川啓介が横から顔を突き出して、
「決まっとろう、戸山くんはえらいんじゃ」と言った。佐川は勉強のできる戸山のうしろをいつもくっついて歩いている少年だ。

「あの俳句も、えかったよ」と、戸山が佐川の句も褒めた。
「ね、ええじゃろう、わしの俳句。夏休み子犬もころころわろうとる」
 佐川は、自分の句のほうが健一郎のよりできがいいと思っていた。教師が三点しかくれなかったことにムシャクシャしていた。
「戸山くんヨシヤに寄って行こうや。クジで一等賞当てたる」佐川が声を張り上げ、前を歩き始めた。うしろを振り返って戸山に向け、「アイスおごってあげる」と言った。
「小林くんも行こうや」と、戸山が誘ったが、健一郎は気が向かなかった。先週、アイスバーのクジが当たり、もう一本を佐川におごったのは健一郎だった。俳句で負けたことへの当てつけに思えた。
「夕方、父ちゃんの車で田舎に行くんじゃ。早う帰らんといけん」
 旧盆前日の今日は、母親の実家がある島根県の海辺の村へ行くことになっていた。
「田舎かあ、ええね」
「いつも夏は島根に行くんよ。海で魚を捕るんじゃ」
「魚が捕れるん?」
「小さいのじゃけど」健一郎が銛で魚を突く真似をした。
「それ、食べるん?」
「大きいの突けたら。二メートル潜るんじゃ。深いところにはクロダイもおるよ」
「すごいのう」
 健一郎は、戸山といっしょに島根の海で遊べたら楽しいのにと思った。先を歩いていた佐川が、業を煮やしたように「早う行くで!」と叫んだ。
「じゃ、さいなら」
「さいなら」
 

          ○2○

 友だちと別れたとたん、今しがたの釈然としない気分がどこかへ消え、田舎への旅路が待っていることが健一郎の胸を躍らせた。広島から太田川上流を目指して渓谷の道を走り、中国山脈から山陰へと抜ける三時間のドライブだ。去年の夏、早朝に出発し、深い渓谷を縫って流れるエメラルド色の渓流が健一郎の目に浮かぶ。今年は夜のドライブで、真っ暗な山道を走ると思うと、冒険気分をかき立てる。

――父ちゃんはもう帰っとるじゃろうか
 カバンをたすきに掛け直し、足取りを速め、家の角の交差点へと一気に進んだ。
 遠くから交差点に停まったパトカーの回転燈の赤い光が目に入った。その交差点で、パトカーが停まっているのを健一郎は何度か目にしていた。
「事故じゃ」
 と、思った瞬間、胸がざわめいた。次に心臓が高鳴った。健一郎はそのまま走って事故現場を通り過ぎ、家へ駆け込んだ。

 庭先に母親のミヤコが突っ立っていた。
「洋子が撥ねられたんよ」
「やっぱり! わかったんじゃ、パトカーの赤いの見たら、洋子じゃいうの」
「今、病院に運ばれて、あんたが帰ってくるのを待っとった」
「かあちゃん、わし、わかったんよ」
「洋子がね、ちょっと外へ行ってくるいうて」
「なんでかわからんけど、わかったんじゃ。胸がドキドキして、ほいで走って帰ったんよ」
 健一郎は、パトカーの回転燈を見た瞬間、胸騒ぎがし、妹が事故に遭ったのだと直感した。そのことを母親に伝えたかった。直感を「わかった」という言葉に込めていたが、ミヤコには伝わらなかった。

 間もなく父親の健男が愛車のマツダファミリアで帰ってきた。それに乗り込み、すぐに病院へ向かった。七つになる健一郎の妹は、腕に包帯を巻かれ、額に絆創膏が貼られ、ベッドに横たわっていた。
「お兄ちゃん、痛い」顔をくしゃくしゃにして、そう言った。
「なんでや、どうして」
「わからんのんよ、バーン、音がして」
 洋子は、交差点を通過しようとしたライトバンの前に飛び出して撥ねられていた。
 健男が医師から状態を聞き、病室に戻ってきた。
「腕の打撲と、頭を少し打っとるが、脳波に異常はないから心配はいらんそうじゃ。一晩様子を見て、大丈夫なら明日家に帰ってもええ言われた」
 ミヤコが洋子を見て、ほっとため息をついた。
「おまえがしっかり見とらんからじゃ」と健男がミヤコを叱責した。
「ちょっと駄菓子屋へ行って来る言うて、ひょいっと表に出て」ミヤコがすまなさそうにそう言った。
「大した怪我じゃのうてよかった。島根行きは延期じゃの」

 それを聞き、健一郎は複雑な気持ちになった。田舎へ行くことが止めになるのが納得できなかった。
「洋子はわたしが看とるけえ、父ちゃん健一郎を連れて行きんさい」
「医者が心配ない言うても、何かあったらいけん」
 釣り好きの父親も、海に近い母の郷里へ行くとこが毎年の楽しみだった。旧盆の夜は、親戚同士が座卓を囲んで夜通しの宴会が盛り上がる。大いに騒いで、笑い声と共に先祖を迎えるのだ。
 父親のひと言で中止となり、健一郎も我慢するよりないと思ったが、それでも諦めきれなかった。
 父親と健一郎は家に戻り、ミヤコが病院に残った。健男は不機嫌な顔で広島・巨人戦のナイター中継を眺め、麒麟ビールを飲み、健一郎は三ツ矢サイダーを飲んだ。蚊取り線香が食卓の下から煙を立ちのぼらせる、蒸し暑い夏の夜だった。


          ○3○

 旧盆入りとなった翌日、午前中に病院へ向かい、ミヤコと洋子を乗せて自宅に戻った。洋子は普段通り歩けるまでに回復していたが、大事を取らなければと布団に寝かせた。昼はおかゆを与え、スイカを反切れ食べさせた。健一郎は冷や麦を食べた。
「これから石内へ行ってくる。今夜には戻るが、健一郎はそのまま置いてくる」やぶからぼうに健男が言った。
「そりゃ、おばあさん喜ぶじゃろう」
 流し台に立ったミヤコが洗い物をしながら返事した。
 石内は、広島市からひと山ほど越えたところにある健男の実家だ。藁葺き家に母親ひとりが住み、ときおり健男は様子を見に帰っていた。今回は、洋子の事故で島根行きが無理となり、車で小一時間の石内へ行くことにしたのだ。
 その会話を聞き、健一郎は躍り上がらんばかりになったが、おとなしくしていた。父親の実家がある石内には海こそないが、野山に囲まれた山村で、ハヤが群れ泳ぐ川が流れている。石内へ行けば、網を持って一日中その川で遊ぶのだ。

 市中を抜け、山手に差しかかるとアスファルトの道から砂利道に代わり、マツダファミリアが低いエンジン音を鳴らして坂道を上っていった。峠に差しかかり、健男が「車なら楽なもんじゃ」と言った。健男が青年時代は、この峠道を歩いて市内まで出たのだ。昭和三十年にミヤコと一緒に暮らすようになり、四畳一間の新居まで実家から米を担いで歩いて戻ったこともあった。その時代から十年余りが過ぎていた。
「お母さん、帰ったで」と健男が言い、藁葺き家のガタビシ鳴る引き戸を開けると、
 うす暗い土間から顔を覗かせた健一郎の祖母が、
「ありゃ、どうしたんかい。あんたら、島根じゃないんか?」と言った。
「それがのう、きのう洋子が事故に遭うて、中止じゃ」
 祖母の家には電話がなく、なにも知らされていなかった。
「事故いうて、まあ、どうしたんか」
「大した怪我しとらんが、家で寝かせとる」
「まあ、まあ、大丈夫ならええが」
 祖母の絹江が声を震わせて言い、健男と健一郎のあいだに目を泳がせた。
健男が腕時計に目をやり、「三時か、墓参りに行こうや」と言って土間を出ようとした。
「わしは朝の涼しいうちに墓へ参ったんじゃが、ええことじゃ。あんたらと行きゃあ、先祖が喜ぶのう」
 墓は山の上にあり、麓までは車ですぐだが、車を降りて山道を十五分は登らねばならない。小山の頂きに十坪ほどの墓地があり、代々の墓が並んでいる。水を担ぎ上げ、供物を並べての盆供養を毎年、絹江がひとりでおこなっていた。やかんに汲んだ清水を墓にかけ、手を合わせる健男の姿は、久しぶりのことである。健一郎も同じように手を合わせ、何に向かって拝んでいるのかはよくはわからずも、墓石に向かって「ナンマイダブ」と二度繰り返した。

 西の山に日が隠れ始めていた。茶の間の柱時計がボンボンボンと六つを打った。その横には健男が二歳の時に亡くなった父親の肖像画が掛かっている。ほうじ茶をすすっていた健男が、そろそろ帰ると言って腰を上げた。
「なんもないが、漬物で茶漬けでも食べんさい」
「ええよ、暗うなる前に峠を抜けて帰るけえ」
「ほうじゃ言うても、なんか食べとかんと」
「健一郎は、明後日迎えにくるから、あれになんか食べさせてくれりゃええ」
「健男は泊まれんのかい?」
「入院せんかったが、まだ洋子が心配じゃけえ」
 健男はそう言い、マツダファミリアのエンジンを吹かして田舎道に土煙を巻き上げ、村外れに消えていった。それを見送った健一郎の耳にツクツクボウシの蝉の声が聞こえ、夏の夕暮れの空気が辺りを包み込んでいた。
 健一郎は納屋へ行って以前に使った網を探し、畑でキュウリをもいでいた絹江の前に振りかざした。
「ばあちゃん、あした、川へ遊びに行ってええ?」
「おお、ええよ、ええよ」
 絹江が、思わぬプレゼントでも手に取ったように相好を崩し、
「あしたは、健一郎さんの好きな鯨肉でも焼こうかいのう」と言った。

 健一郎は、前日の事故現場で妹が撥ねられたことがわかったことがふしぎで仕方なく、夕餉の後、蚊帳に入ってふとんの中で祖母にその話をしてみた。
「ドキドキして、洋子がひかれたのわかったの、なんでじゃろう」
「そりゃ、昔からいう胸騒ぎいうもんじゃのう。親姉弟はつながっておるから伝わるんじゃ」
「ぼくがわかったの、うそじゃないんじゃね」
「ほんまよね」
 絹江が真顔でそういい、うちわで健一郎の顔をあおいだ。
「健一郎さんが墓参りしてご先祖も喜んどろう。洋子はご先祖が守ってくださったんじゃけえ、感謝せんといけんのう」と絹江が言い、電球を消した。
 障子の外で、夏の虫が鳴くのが耳に届く。茶の間の柱時計が鐘を十回鳴らしたが、その夜、健一郎はなかなか寝付くことができなかった。