『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

つれづれに

2013年03月31日 19時16分27秒 | 航海日誌
ここんとこ、さぶいですな。春さくら、と思っていたら、冬もどり。
ぶるっとしつつの熱燗が格別です。

さきほど、アマゾンで、「隠された造血の秘密」という千島学説についての本を注文。腸内で血液は造られているという50年前の千島博士の説が、注目を集めているんです。これと、腸内発酵菌が重要だというのはリンクしていますね。菌類がどうも造血にかかわっていると。

健康で生きようとするなら、発酵食品。塩麹ブームなどもそうですが、そも、日本の昔食、玄米に味噌汁、漬物、納豆なんかをふつうに毎日、食べていれば、ふうつに健康体です。酸化するような食ばかりしていると、免疫力も低下して、病気になってあたりまえか。

原発事故から放射能禍害が蔓延する中で、精神を病む人も多いようで、その精神を支えるのは肉体だから、発酵力にお願い、つまり日々食べて、この超大難局を乗り越えたいもんです。

オジイ達の夕景

2013年03月30日 13時06分41秒 | 航海日誌
夕方になると、島絣のたもとをはだけたオジイたちが、決まって、湯飲みを片手にふらふらとやって来て、「きょうの、味みましょうね」とだれにいうともなく、口々に言い、湯飲みを差し出す。

島の泡盛蒸留所の大釜の前は、大木戸が開かれ、風を通している。はな垂れという、できたての原酒を絞り出し、ぽたぽたと落ちる口に、湯飲みを差し出すのだ。

オジイは3人、4人といて、みな注いでもらうときはおとなしいのだが、それを口にするやいなや、「味いいね。きょうのも上出来さ」

そういうオジイ達を見たのは小学生の頃だったね、と、石垣島の高嶺酒造三代の若社長が話してくれた。オジイ達の夕景だ。そうして小さな蒸留所に帳が下りていく。どこからともなく、三線(さんしん)の音色が聞こえて来る。

今は昔の話。またオジイたちが復活するときが来るさあ。

人間の記憶の謎

2013年03月17日 18時18分10秒 | 航海日誌
数学世界の難問定理を4つ解いたという佐野博士が、脳と記憶についてネットでおもしろい話をされていた。

人口知能研究としてスーパーコンピュータを使い、記憶(データ)をどんどん詰め込んで、その記憶をフィードバックさせながら人口知能が思考できるかというテーマである。

すると、その限度は時間で45分だったという。それ以上の情報が入力されると、フィードバックがスムーズにいかなくなり、思考不能となるそうだ。

ハードの容量は増やせても、フィードバックできなければ、単なる国会図書館である。そこから情報を引き出し、思考し、新たな創造を生み出すことは、人間にしかできない。

人間は、1時間、1日、1ヵ月、1年と、そこで頭にどんどん様々な情報が入力されている。もちろんそれらの情報をすべて記憶浮上させる芸当は困難だろうが、大抵のことをイメージし、言語化できる。幼稚園の頃の場面でも、よく覚えていたりする。

人の一生の記憶量とはどれほどのものだろう。スーパーコンピュータとは次元が異なるのだろう。佐野博士は、そこでさらに興味深い話をする。

脳細胞だけではその容量がまったく足りない。すると記憶というのはどこか違うところに蓄えられると考えられる。それはどこか。エーテルではないか。古典物理の世界は、宇宙はエーテルで満ちていると考えられていた。現代物理はエーテルといった考えを捨て、宇宙は真空だとしている。しかし、これには矛盾が起こっている。エネルギーを伝えるには触媒となる物質が必要だからだ。

勢い話が宇宙論へ飛躍したようだが、博士が言うのは、その宇宙領域のエーテル帯に記憶が蓄積されているのではないかという推論である。これは、まあ、オカルト派には「アカシックレコード」のことかと理解されるかもしれない。博士の語るニュアンスは違うものを感じる。筆者の私論では、5次元空間あたりかなと想像するのだが。

とにかく、天文学的な量の記憶データがどこへ蓄積されているのか、人口知能研究から、新たな謎が提議されているという話である。そして、あなたの記憶は身体を離れたどこかの異次元に蓄積されているとして、そこにあなたのオリジンがあると考えると、ふしぎな気持ちになりません?

筆者はそここそが、魂のふるさとと感じるのだが、証明できる話ではない。

TPPの夜だもの

2013年03月16日 00時41分32秒 | 歴史の断層
「愛は消えない」NOT LOST LOVE

そばにいるのに 愛を感じない
寄り添ってても 言葉もない
愛って 言葉に 迷い迷って 
愛ってどこに なにってわからない

愛がわからない どこにあるのか
愛がわからない おしえてほしい
愛がわからない ただ感じたいよ

今日もいっしょで愛を感じない
歩いていても 手をつながない
愛って 言葉に 戸惑い感じ
愛ってどこに なにってわからない

愛がわからない どこにあるのか
愛がわからない おしえてほしい
愛がわからない ただ感じたいよ

昨日もいっしょだ いつものうに
小さな部屋で ココア飲んでた
愛って 言葉に 甘苦ホットの
愛ってどこに カップに中にわからない

愛がわからない どこにあるのか
愛がわからない おしえてほしい
愛がわからない いま感じたいよ

そばにいるだけ 昨日のように
なにも語らず 笑わないけど
愛って 言葉に 懐かしさ感じ
愛って どこって わからないけど

愛がわからない どこにあるのか
愛がわからない おしえてほしい
愛がわからない いま感じたいよ

いまいるここち 感じてるまま

(未完)

完成したら、歌にしたいと。

作曲は、ピアニスト成田さんにお願いしたいな。



敵はどこぞ?

2013年03月09日 14時40分54秒 | 航海日誌
アメリカ人が敵ではない。アメリカのなかにも良心ある人々は大勢いる。国や民族でくくっていては、世界の問題はみえない。世界規模のマネーを動かすグローバリストは、国や民族という枠を超えてネットしている。超国家ともいえるが、表側に実態が晒されないから、民衆のほとんどはそれを知らない。

それこそが問題なのです。原発問題にせよ、TPPにせよ、根は同じ。巨大マネーがそれを推し進めている。民衆は実質的にそれを世界経済と呼んで受け入れている。たとえ、原発反対と叫んでも、その声は届かない。

なぜならば、経済は必要なもので、無ければ生活が成り立たないと思っているからだ。しかし、経済と思っているものは、それは小さな生活経済に過ぎず、その小さな生活経済が寄せ集まって世界経済が出来ていると思い込んでいるが、実態は、民衆の小さな生活経済から無法的にマネーが吸い上げられるシステムで操られているという、リアリティなきまま、言いなりになっているという現実を知らないでいる。

隷属とは、そのことを言う。われわれは経済的奴隷であり、そこから未だ解放されることがない。そのことに無自覚に過ぎ、反対と叫んでも、なにも変わらない。反対と叫びながら、賛成しているからだ。この500年間がそうであったように。

まったく世界を変えようと思えば、まず、自覚することからしか何も始まらず、ただし知っただけでは知らないのとほんの数ミリの差でしかないが、その先にあるかも知れない個々人の精神の変容にしか、世界が変わる可能性がない。ゆえにまさしく悟りの領域の話です。

ずんずるべった

2013年03月03日 22時55分49秒 | 航海日誌
昔むかし、ずんずるべったという妖怪がおった。

ずんずるべったは、ときどき町に出て、ずんずると長い舌で人々を舐めていた。

ずんずるべったに舐められると人々は無気力になってずんずると暮らすようになった。

ずんずる暮らすと町には活気がなくなり、病人が増えた。

けれども城から駆け勇んだ武将に退治されて、町は平穏無事になった。

ところが時代が変わり、武将がこの国にほとんどいなくなってからというもの、

ずんずるべったは町にはびこり、人々を舐め続けるようになった。

それでどうなったかといえば、ずんずるべったに舐められた人々は、

もう、だれがずんずるべったかどうかさえ、わからなくなった。

だからもう、ずんずるべったの話をしても、だれも怖がらない。

ずんずるべったは今夜もずんずるべったを舐めている。