『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

今日という日

2012年08月26日 23時34分25秒 | 航海日誌
名古屋から東京へ戻って、今日は合気道の暑気払いの集いがあり、品川から新宿で下車して、合気道仲間と酒を飲みました。

合気道という共通の集いですが、みな、それぞれに悩みがあって、いろんな話を交わしています。途中からの参加でしたが、その中にすっと入って、一緒に話題を共有しつつ、想いました。

なにか、共有出来る一緒のものがあると、それは仕事(お金)に関係なく、共有出来ると、安心があります。

その安心がいいのです。そういう時間がいいのです。いつも、義務や責任で固まっていると、つらいつらいの連続の我慢に耐えるばかりですから。それはなにか鍛えられるもののように想うものですが、負の方向だけでは。鍛えられるとは限りません。

バランスです。そのバランスは、右左だけではなく、上下もありますし、もっと内面の全方向があり、方向だけでなく、丸の中の点のような、どちらともつかないバランスがあります。

最期はあるでなし、ないでなしのような、感覚の、その、感覚が心中にあります。それを説明することは不可能ともいえるのですが、つかむのはご自分の心身であります。わたしもそのことをずっと想っています。

みなさんが、なにかご自分で感じたなにかを、あしたへ繋げられたら幸いです。

謝罪と告白

2012年08月25日 09時35分46秒 | 航海日誌
ログイン出来なくなっていたブログの編集ページに、再度入ることが叶いました。早い話、パスワードを忘れたことが原因でした。

まず、長年、このブログをお読み頂いている読者の方々へ謝罪しなけりゃと思います。すみません、お騒がせしました。ちょっと、グレておりました。

さて、じつは、私が酔っぱらった15日(お盆の最終日、終戦記念日)は、ソウルボートとの縁の深い人物と酒を飲んだ日でした。酒は、愉快なものでした。友人は「楽しく生きようよ。そうしなけりゃ、つまんないだろう」と言いました。私も、そのとおりだと答えました。

3軒目のバーへ彼が誘うので、もう酒は充分でしたが、勢いで行きました。するとそこのバーの主人は数ヶ月前に亡くなっていました。友人は、その死を知らなかったことにやるせなさを感じたのでしょう、黙って天井を見つめていました。

先ほどまでの快活さを失ったかのように見える友人と別れ、地下鉄に乗って帰宅しました。パソコンを開き、酩酊したまま、ブログをアップしました。なにか、やりきれない想いがあふれ、このブログはもうやめよう、ここで書いていることを繰り返しても、読者にどれほど伝わっているのだろうか。もともと、ブログは一方的な、個人日記のようなもの。対話を求めるなら、そのような書き方があるのですが、そうはなっていない。継続も大事ですが、やめるときも必要だろうといった感慨でした。

いま、世界は、この日本はますます何かの大節目に向かって、一刻一刻を突き進んでいるように感じます。個々の感情の集合が世界を創っているのですが、そのように世界がみえるかどうか。あずかり知らないところで勝手に世界は動いているというのが大衆感情かもしれません。

バランスが重要です。このブログは自分自身の鏡のようなものです。バランスが崩れて、ストップしました。理由を簡単に言えば、そういうことです。大きく傾いたソウルボートという船体の、バラストを立て直して、なんとかバランスを修正しております。まだ、沈むわけにはいかん。この大波を乗り越えて、自分の約束を果たさねばと必死です。

必死なのはみなさんそれぞれに必死に生きて、その必死の最中に愉しんで、この人生を謳歌されていると思います。

さとるとは、なんとなまめかしいものかと感じます。
この世のうまれでた、あのひ。

いま、ソウルボートの第二部が、始まったと感じています。

それを私は書くだけです。

パブコメ

2012年08月12日 21時43分42秒 | 核の無い世界へ
本日、18時でパブコメ「エネルギー・環境に関する選択肢」が受付を終了しました。

さて、みなさんはどうされましたでしょうか。パブコメをおとなの夏休みの宿題と呼んでいる人がいましたが・・・

どうせ、コメント送っても政府が動く筈がない、とか。もちろん、再稼動に賛成の人がコメント送ることはないでしょうけど。

1960年代の安保闘争は、国民運動にまで発展して、100万人が国会を取り囲みましたが、安保は名を変えて未だに続いていますね。あの安保闘争はなんだったのか。なんの実行力をもたなかったと。

なんだったのか、それは心の中でずっと続くのです。原発の禍害も、同じ。その時代をどう生き、その後をどう生きてきたかと、ずっと自分に問うことになるのです。

たとえ、一時を忘れていても。