雪に埋もれた箱館五稜郭
幕末、京市中の警備を預かる特別警察隊がいた。新選組だ。その中に、鬼の副長と呼ばれた男がいた。土方歳三である。厳しい法規「局中法度」を作り、隊律を乱す者は容赦なく切り捨てるといった、その鉄壁のような存在が恐れられた。やがて、15代将軍、慶喜は大政奉還。新選組の存在意義は失われる・・・
慶応4年(1868)京都鳥羽・伏見の戦いで始まった旧幕府軍と新政府軍(官軍)との戊辰戦争は、戦場を関東、東北へと移していった。新選組はその中心的武闘集団となり、甲州勝沼、下総流山、宇都宮城、会津若松へと転戦するが、近藤勇や沖田総司を亡くし、土方歳三は新選組を再編成しつつ、戦い続けた。銃器による近代兵力の前に、旧幕府軍は苦戦を強いられた。頼みの綱は、新政府軍に対抗すべく奥州と越後の31藩が軍事同盟を結んだ「奥羽越列藩同盟」だった。いよいよ会津城が落とされんとなり、米沢藩へ救援を願い、庄内藩へ向かおうとした土方は米沢で足止めされた。各藩の思惑は異なり、同盟とは名ばかりで、一致団結の決戦は望めないと知り、土方はひとり仙台へ向かった。
この仙台で土方は、旧幕府海軍副総裁の榎本武揚と始めて出会った。榎本は、最新鋭艦、開陽丸を始め、軍艦8隻を従え、蝦夷地へ向かうべく、仙台に立ち寄っていた。彼もまた、新政府軍へ徹底抗戦を望んでいた。その榎本と土方は意を同じくする。二人は意気投合したという。土方も開陽丸に乗り込み、蝦夷地へ向かうことを決意した。新政府軍に奪われた箱館五稜郭を奪回し、最後の命運を賭けた戦いに挑むべく。蝦夷地・函館近郊の鷲之木の海岸に上陸したのは明治元年(1868)旧暦の10月20日(12月3日)。雪が舞う暴風で、あたり一面の銀世界だった。土方は、ブーツを履いた洋装で、革の靴底で雪を踏みしめ、蝦夷地の第一歩となった。
(つづく)
幕末、京市中の警備を預かる特別警察隊がいた。新選組だ。その中に、鬼の副長と呼ばれた男がいた。土方歳三である。厳しい法規「局中法度」を作り、隊律を乱す者は容赦なく切り捨てるといった、その鉄壁のような存在が恐れられた。やがて、15代将軍、慶喜は大政奉還。新選組の存在意義は失われる・・・
慶応4年(1868)京都鳥羽・伏見の戦いで始まった旧幕府軍と新政府軍(官軍)との戊辰戦争は、戦場を関東、東北へと移していった。新選組はその中心的武闘集団となり、甲州勝沼、下総流山、宇都宮城、会津若松へと転戦するが、近藤勇や沖田総司を亡くし、土方歳三は新選組を再編成しつつ、戦い続けた。銃器による近代兵力の前に、旧幕府軍は苦戦を強いられた。頼みの綱は、新政府軍に対抗すべく奥州と越後の31藩が軍事同盟を結んだ「奥羽越列藩同盟」だった。いよいよ会津城が落とされんとなり、米沢藩へ救援を願い、庄内藩へ向かおうとした土方は米沢で足止めされた。各藩の思惑は異なり、同盟とは名ばかりで、一致団結の決戦は望めないと知り、土方はひとり仙台へ向かった。
この仙台で土方は、旧幕府海軍副総裁の榎本武揚と始めて出会った。榎本は、最新鋭艦、開陽丸を始め、軍艦8隻を従え、蝦夷地へ向かうべく、仙台に立ち寄っていた。彼もまた、新政府軍へ徹底抗戦を望んでいた。その榎本と土方は意を同じくする。二人は意気投合したという。土方も開陽丸に乗り込み、蝦夷地へ向かうことを決意した。新政府軍に奪われた箱館五稜郭を奪回し、最後の命運を賭けた戦いに挑むべく。蝦夷地・函館近郊の鷲之木の海岸に上陸したのは明治元年(1868)旧暦の10月20日(12月3日)。雪が舞う暴風で、あたり一面の銀世界だった。土方は、ブーツを履いた洋装で、革の靴底で雪を踏みしめ、蝦夷地の第一歩となった。
(つづく)