『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

「力む」とは5

2010年10月31日 18時45分47秒 | 合氣道のすすめ
何度かに分けて「力む」ということについて書いてきました。力むの反対は、「ゆるむ」です。「ゆる体操」というものがあります。身体科学を研究する高岡英夫さんが提唱する健康法です。身体をゆるめていくと、思わぬ動きが出来るようになるし、内蔵もゆるめることで機能をアップすると言います。

現代は、ストレス社会と言われるように、心身に想像以上に負担がかかっているようです。満員電車ラッシュ通勤で会社に出て、この不況でノルマも厳しい。人員削減で仕事量も増え、給料は上がるどころか下がって帰りの赤提灯での一杯もできない。リストラの憂き目もいつ何時か・・・これはサラリーマンの話ですが、社会のしわ寄せはあらゆるところに出ていますね。みんな、きつきつで苦しい。気がつかないうちに「力んで」いると。肩の荷を下ろして、肩の力を抜いて、と言っても、抜けるような状態じゃない。

今の生活現状が、プレッシャーを与えるほどに、それに対して「力んで」いても、我慢できる限度があります。だったら、うまく力みを抜いて、なにもかも頑張ろうとしないことも大切なことと思います。かく言う私も性格的には「力んで」しまうタイプです。だからどうしたら力まないでいけるかと考えてきました。そこで結論は、ゆるめばいい。話は簡単です。

ゆるむというのは、覇気を無くすることでも、のんべんだらりでもありません。身体の芯(正中線)をしっかりさせて、しなやかになることです。柔らの道に「柔よく剛を制す」という言葉がありますが、柔軟になる、その術(すべ)です。ここでつらつら書いてきたことは、言葉ですから、なんかそうみたいだけどとヒントにしてもらって、感触、実感は自分でみつけていただきたい。そう思います。「自分の主は自分」ですから、ご自分を納得させるのは自分です。合気道も、「力まない」その感触を得る門ということです。世にはいろんな門がありますから、ぜひ、自分にあったものを見つけて、うまく「ゆるみ」ながら人生を謳歌していただきたいと思います。


「力む」とは4

2010年10月30日 13時44分08秒 | 合氣道のすすめ
なぜ、力んでしまうのか。筋肉を固めて攻撃に備える、相手の力に対抗しようとする「防衛本能」です。緊張すると身体は自然とそうなる。身構える状態です。それで防衛できるレベルもあります。しかし、硬直で身を守れる限度を超えると危険な状態になってしまいます。自分より大きな力がぶつかってきたら、受け止めるよりも、受け流すか、身をかわすほうが安全です。

ところが、緊張して固まっていると身体が動きません。そこで合気道では、さっと身体を動かせるようになる練習をするわけです。例えば、徒手を振り下ろして打ち込んでくるのを、かわして技を掛ける稽古をします。また、短刀(模擬)を突き込んで、かわすこともします。何度も稽古を重ねて慣れていき、とっさの攻撃に身体が動くようにするためです。

幕末の倒幕派の話ですが、京の街中で出くわした侍が刀を構えて軽く握っていたら、その相手は新選組だと思えという申し合わせがあったそうです。真剣を交えても、力まない相手は強敵だから逃げろというのです。今の時代でも、現実に街角で斬りつけられる事件が起こっている昨今は、いつ何時とも言えます。もし、そうなったら身をかわして逃げるが勝ちです。力んで身構えていたら命取りになりかねません。

身体の状態と心は連動しています。力まないことに馴染んでくると、気持ちもゆったり保てるようになります。また、心がゆったりしていれば、身体もリラックスするのです。心身一如というように、ほぼ同時にそうなる。力まなければ心も落ち着き、平常心を保てるようになります。

合気道は少ない力で投げ飛ばせるとか、とっさのときに身をかわせるとか、そういったメリットがありますが、何よりも、平常心を保てる精神と身体を錬磨することこそが目標だと思います。そのための、力みを抜く稽古なのです。つまり、心と身体を自由自在にコントロールする訓練をしているということです。
(つづく)


「力む」とは3

2010年10月29日 11時44分52秒 | 合氣道のすすめ
「力むな」では力は抜けません。命令では筋肉は従いません。では、どうすれば・・・? 合気道の稽古法のひとつで説明します。片手の手首を掴まれた状態で、相手の足下にその手を突き下げる「隅落とし」という技があります。初心者の場合、力みが入ったままで手腕を動かすので、掴んでいる相手もそれに反応して筋肉を固め、技が掛かりません。

そこで、こう教えることがあります。「足下に100円が落ちてるよ。それを拾う感じで手を下ろしてごらん」。落ちているコインを力んで拾う人はいませんね。むしろ、さり気なくすーっと拾う(笑)。そんな感じで手腕を伸ばすと、相手は拍子抜けで腕を持って行かれ、アレ?と思う間もなく技が掛かってしまうのです。

さて、どんなスポーツでも、応援で「がんばれ~ファイト!」と言われたら、歯を食いしばって力んでしまう。「がんばる」とか「ファイト」という言葉が、「力み」に繋がっているかのようです。がんばろうと思うと、よーしと力こぶを作って、ファイトと腕をかざす。体育や運動会で、誰しもそんな経験があるのではないでしょうか。

でも、運動神経がいいと言われる同級生などは、どこか悠々としていて、サッカーの試合などでボールをひょいひょいと運んでゴールを決めます。身体の力みを抜いてなどと考えることもなく、そうしている。サッカーがうまいと自他ともに認められているので、その余裕からリラックスしていて、力むことがないのです。しかし、そんな運動神経自慢の仲間も大きな大会へ出場して、もっとレベルの高い選手と競うと、とたんに緊張して固くなり、いつもの動きができなくなってしまいます。

もう、ご理解いただけたと思いますが、身体の動き働きは、精神状態によって変化しているということです。心の置き所、あり方が身体に影響を与えているのです。
(つづく)


「力む」とは2

2010年10月28日 09時57分28秒 | 合氣道のすすめ
もう一度、合気道の稽古で「力む」場面を説明します。稽古相手と対面して、片方が技を掛け、もう一人がその技を受けます。技を掛ける方は、その瞬間に力みを無くしてスムーズに動きますが、初心者の場合はここで力んでしまいます。なぜなら、技を掛けようと意識し過ぎて腕力に頼り、筋肉が硬直してしまうからです。このときの力みを「屈筋力」と呼びます。屈筋は物を持ち上げたり引っ張ったりする筋力(力こぶ)で、筋肉(上腕筋)が縮んで出すパワーです。一般に腕力とはこの屈筋力のことを指しています。

一方、あまり認識されていない筋力が、「伸筋力」です。これは筋肉の束が伸びることで出るパワーで、手腕を突き出す力です。実は、この伸筋力は、屈筋力の数倍のパワーを持っています。筋肉を縮めるよりも、伸ばすほうが力強いのです。例えば腕を強く引っ張られたら引っ張り返さず、逆に力みなく腕を突き出せば、相手の力を簡単に押し返せるのです。

さて、筋肉の働きはそうなのですが、では、いざそうなったらどうか。おそらく殆どの人が力んでしまうでしょう。押されたら押し返そうと、また引っ張られたら引っ張り返そうと反射的にそうなります。興奮状態なら尚更そうなり「力み」ます。屈筋パワーVS屈筋パワーです。腕力のあるほうが勝ことになります。

では、そのとき「力み」を消すにはどうすればいいのか。筋肉の動きは呼吸と連動していますから、息を吐きながら身体の力を抜いて腕を伸ばします。とはいえ、これがなかなか簡単ではありません。手首を掴まれると、反射的に力みが入ります。力むなと思っても、身に付いた動きに逆らえないのです。ですから合気道では、屈筋力に頼らない稽古を何度も繰り返し、力みを抜くことを身体に叩き込んで覚えさせます。

これが技の基本といえ、どんな動きでも力まない身体づくりを目指します。つまり、たとえどんな不利な状況下でも、フリーズ(固まる)しないということです。人の運動能力を高めるテクニックなのですが、学校の体育や一般スポーツで教えられることはあまりありません。ただ、「力むな~!」と言うだけでは力みは抜けません。どうしたら力まないでいられるかを教える具体的なメソッドが必要なのです。
(つづく)


「力む」とは1

2010年10月27日 10時48分00秒 | 合氣道のすすめ
今日は合気道の教えから「力み」について書きます。合気道は「力み」をなくしていく稽古を繰り返します。「力む」と「力」を失からです。これはどういうことかと言うと、相手の腕を取って投げてやろうとグッと力を込めると、腕力だけが相手に伝わります。すると相手もその強制的な力に反応(反射)して、力みます。そこで互いの力がぶつかり合います。ぶつかると、互いの力を殺し合うことになります。力と力が押し合い、動きが止まります。

ところが、力まずに筋肉を柔らかくしたままで相手の腕を取って投げ技をかけると、相手も力まずに流れに従うので、すーっと力が伝わって、そのあとは、アレ?っとスッテンコロリとなります。これは生理機能です。筋肉は防衛反応で押してくる力には対抗するのですが、力みを感じない流れ(動き)には、対抗しない(できない)という機能が備わっているのです。その筋肉の特性がわからないと、「なんで投げられたの?」となります。合気道の技が不思議に思われるのは、実は筋肉の生理機能「力むと相手の筋肉も力む」の逆をおこなっているからなのです。

さて、この「力む」ということを、日常の話に移し替えてみると、面白いことがわかります。例えば、急いで料理をしていて、固い食材に包丁を当てて力むと刃筋を誤って指を切ったりします。力まず刃を当ててすっと動かせばきれいに切れるものです。相手が動かない食材であっても「力み」は、流動という力を失うのです。また、場面を野球に変えても同じことが言えます。力んで打ったボールは遠くへ飛びません。力みのないきれいなフォームでバットの芯に当てればホームランです。長嶋監督が「ぽーんと打て」といったアレです(笑)。ゴルフでもテニスでも同じです。或いは球技でなくともおよそ人間の動きに当てはまるでしょう。ランニングでもウオーキングでも、リラックスして軽やかに全身を動かせば疲れも少なくなって気持ちよく走れ、歩けるものです。

では、わかってるのに力んじゃうという「力み」は、何からもたらされるのか。どうすれば力まなくなるのか・・・
(つづく)


現代の龍馬は?

2010年10月25日 19時34分37秒 | 龍馬は悲し
以前、坂本龍馬のことを世間で伝聞されているのとは全く違う側面から書いた(カテゴリー/龍馬は悲し)。多分にミステリじみている話だが、近年は、龍馬は英国のエージェントだったのではないかといった本も出版されている。グラバーを始め長崎にいる外国人との接触で、当然、秘密取り引きがあったはずである。そうした資料が残される可能性は極めて少ない。今の検察が資料を破棄するのと同じだ。表に出たらまずいからである。

幕末にあって、この国がどうなるのか、どうするのかといった風雲急を告げる中にあって、志のある下級武士たちが動いた。この歴史に間違いはないだろう。薩長を結びつけ、土佐を動かしたのは龍馬だけではないが、かれが中心にいたのも事実だろう。龍馬はそれだけの仕事をやれる人物だったと。京で殺されなければ、欧米のどこかへ渡って海運商人になったかもしれない。明治になって土佐の新聞記者が岩崎弥太郎から龍馬の人物を聞き書きしなければ、世間に知られることもなかったようだ。まったく裏舞台での活躍だったと思われる。

さて、龍馬のようなエージェントはほかにも何人もいただろうが、龍馬のように歴史に名を馳せることはないままだ。なにを言いたいかといえば、彼らのような舞台裏の人間たちが動いて、表が動いたということだ。エージェントの仕事とはそうだからである。であれば、現代もまた、秘密裏に何かが動いているはずだ。時代は大断面にある。幕末から維新への1869年と、2010年の今の風景はあまりにも違うが、人間社会の根本は変わらない。世間に顔を出さない誰かが動いている。それは、どんな人物か。15年くらい経って、またどこかの新聞記者が聞き書きで記事を書くのだろうか。


悪法

2010年10月24日 14時53分22秒 | 航海日誌
昨日、書いた「派遣労働」を解禁したのは小泉政権である。この労働法について書く。正規社員にかかるコストは給料だけでなく保険料や福利厚生、諸々の手当などの負担もあり、おおざっぱにいって派遣社員の培はかかる。正規社員と派遣社員では年収で200万円もの差が生まれる。正規社員を減らして派遣社員を増やせば、会社の労働賃金コストが大幅に削減できるのだ。経営者にとって、派遣を雇うほうがコスト的に随分、助かる。資金繰りに頭を悩ませる経営者なら周知の話だ。経営難の昨今、たまらず「派遣」で目先の利を取るのはその為である。

そのお陰で大企業ならばコスト削減で会社の内部留保も増えるが、何よりも株主への配当がアップする。株主を儲けさせるが、その株主が誰かといえば、この10数年来、日本の大手企業の半数の大株主は米国系資本家である。ソニーなどは米国企業と思っているアメリカ人も多い。リーマンショック以降はその株もかなり売られているようだが。毎年アメリカが大使館を通じて通達するという年次改革要望書にも「派遣労働法」を勧めるとあったように、小泉政権下で派遣労働法が施行された背景には、日本企業の米国化があったといわれる。固かった日本企業の蛇口を開かせ、本来は労働者に還元されるはずの資産の垂れ流しがおこなわれたのだろう。

以前の日本型企業のあり方というものは、「社員は終身雇用で、家族同様」であった。派遣労働というものはなかった。自動車産業には「季節労働」はあったが、それは生産増加に伴う必要な労働力として求められたものであり、その職に就く者は限られていた。例えばそれは農閑期に働く出稼ぎ労働者である。農業衰退と同時に農機具ローンが逼迫する中で、その借金を補うために出稼ぎする農家の人々である。働く場がないから仕方なく就くといった今の状況とは実情が異なっていた。それがどの職種でも「派遣労働」が珍しくないといった今の状況は、かつてからすれば「異常」である。

まったく異常なのだが、いったん常識化すれば当たり前になる。気がついたら、庶民は貧窮の生活を強いられる世の中になっていたのである。そういうことが政治でおこなわれるのだから、これを「悪法」と呼ばないで何と呼ぶのか。なぜ、派遣が堂々とおこなわれているのか、その理由を知れば、その改善策も見えてくる。そして今また、正規社員化へ軌道を戻そうという気運が高まっている。「派遣労働」を禁止すれば、また、経営者は苦しむが、将来を観ればそれが会社の寿命を保たせ、健全になる道であることを知っているのもまた経営者である。日本型企業の復活が、この国を救うのではないか。先の無い甘い蜜を吸って短命で終わるか、健全経営を目指して会社を社員一丸で育てるか。どちらの道を選ぶかが今、問われているのだ。まあ、しかし、いったん甘い方法を知った経営者が、もとのあり方へ戻るのは、死ぬよりも苦しいかもしれない。そのことをきちんと理解して、労働者は経営者を説得しなければならない。少しでも、経営者の気持ちを酌むことで、先の突破口が一緒に見えてきます。これはまったく親子の関係です。敵ではない。共に生きる同士なのですよ。


がんばるな~

2010年10月23日 12時40分38秒 | 航海日誌
働きたくても働く場がない・・・仕事に就いても正社員になれない・・・明日が見えない。自分の存在を消してしまいたい・・・最後はうつになり、自殺を考え、命を絶とうとする若い世代が増えている。NHK番組「ミドルエイジ・クライシス/30代ひずみ世代の今」で、そうした人々の実態を取り上げるのを観て思った。

ぼくが働き始めた80年代は失業率が150万人だったが、今は培を超える350万人だ。ぼくの頃は仕事を選ばなければ何かあった。株主に配当が増える仕組みの悪法、派遣労働法が生んだ派遣労働もなかった。まじめに一所懸命やっていれば社員になれた。今、まったく状況が違う。大学院で専門技術を学んだ者でも仕事がないという。この国の仕事のパイが縮んでいるのだ。努力すれば何とかなる状況ではない。60代の視聴者が「甘え」だとメッセージしていたが、今の若い世代が置かれている状況を実感できていない。死んでしまいたいとまで追いつめられ、逃げる場がなくなった状況をだ。その切羽詰まり方が「尋常」ではないのだ。

番組でコメンテーターを務めていた作家の石田依良氏が、「他人が決めた価値観で死んではいけない」と言っていた。死のうとする前に、自分の「生きたい」という欲求に従い、なにか拠り所を見つけて、それから同じ悩みを持つ人たちとの「つながり」を持とう。そこから明日の望みが見えてくると。「あきらめない」ことが大事と語っていた。

冒険家で生還する者に共通するのは、最後まであきらなかったということがある。「生きて帰る」。人生もそれと同じだ。今は、大冒険時代なのだ。それから、冒険家に必要な資質は、「がんばらない」ということである。登山家の田部井純子さんが語っていたが、「無理は禁物。途中で引っ返すことも勇気なの」。闇雲にがんばるのは、死への道なのだ。がんばってもどうしようもないこともあるのだ。だから、無理にがんばるな~である。同じ所でへばりついて、がんばらず、違うルートを探そう。違う生き方がきっとある。まだ見えない自分の面白い生き方を、あきらめず、今の状況にがんじがらめになってがんばらない。

でも、がんばるとすれば、がんばらないことにがんばると。人生、緩急「ゆうゆうと急げ」である。同じ時代に生きているぼくもまったくそうなんです(笑)


お願い

2010年10月22日 21時26分26秒 | 航海日誌
メメントモリで、私は「精神が身体を離れる」という自分の奇妙な体験を書きましたが、皆さんはそんな経験はありませんか? もし、体験があれば、そのときどんな感覚で、何かを感じたか考えたかなど、どんなことでもいいので教えてください。また、体験はなくともどう思うかなど、皆さんのご意見をお聞かせください。これは、死生観のテーマとしてとても重要なことですから。これをきっかけにいろいろな論議の場になれば本望です。よろしくお願いします。

メメントモリ3

2010年10月18日 10時01分11秒 | 未知への扉
人は必ず死ぬ。これほどの常識はありません。が、ふだんは問わず語らずの常識です。

さて、ここで非常識なことを言います。人は死なない。死ぬと言っているのは、肉体のことであり、つまり、死とは肉体の終わりです。私なら私という者の肉体が生命活動を終わらせて、土に還るということです。そのことを死と呼んでいる。

肉体は物質です。形を変えて自然へ還元されますから、ほんとうに消え去るわけではありません。有り様が変わるだけです。その意味からすると、死は、一個体の終わりですが、変転です。

では、「私」と感じる精神は、どこへ行くのでしょうか? 

私もこの疑問を長年、考えてきました。東西の本を読んで、どこかに答えが書かれてないか調べました。このテーマを通常、科学は扱っていませんから、ほとんど宗教関係の書か、精神世界の本です。

それらの本で語られるのは、やはり「死」は肉体の終わりであって、魂(精神)の終わりではないということです。ただし、肉体の死後、魂あるいは精神がどのようになり、どこへ行くのかの表現はさまざまです。文化の相違で表現イメージが違う。日本昔話に出てくるような草花咲く山谷にご先祖が待っているとか、深山渓谷に霞みがかる仙境とか、美しい神殿のようなところとか。それでも、共通するのは、肉体を離れ、どこかへ行くというパターンは同じ。死は、魂にとって終わりではないということでした。

たとえば仏教の輪廻思想ですが、極楽浄土へ帰り、御縁を頂いてまた生まれ変わる。われわれ日本人はなんとなくでも、そうなのかなと思っている。しかし、ふだんは忘れて生きています。生きていることで精一杯です。死を想うことはほとんどありません。それでいいわけです。今、死ぬかどうかと考え続けるのは健常な事ではありません。私も、ふだんは忘れています(笑)。

忘れていますが、死を想うとことをないがしろにしていると、生きていることも希薄になる。こうして生きていられるのを有り難いと思えるのは、死を想うことからの想起だからです。生と死の間に時間が流れている。それを人生と言います。人は必ず死ぬというのは、この時間が終わるということなのです。映画なら2時間のドラマのように、その固有のドラマが、ああ、いい物語だったと感じるか、つまらなかったと思うか、ドラマ中の主人公である「私」次第ですね。しかも監督も自分です。だったら面白くしなきゃ、もったいない。生きている間を思い切り生ききりたい。そう思います。


メメントモリ2

2010年10月17日 16時17分16秒 | 未知への扉
記憶とは、面白いものです。久しぶりに食べた鰻丼が旨いと感じつつ、食べ終わると忘れていますが、ちゃんと記憶されていて、ふとまた鰻丼が食べたくなる。これと同じように、生活中のどんなことも、記憶していますが、ふだんは忘れています。その繰り返し。嫌なこと辛いことも、喉元過ぎれば熱さを忘れるです。忘れてまた、リフレッシュできます。

人により、この記憶のリピート度合いは差がありますが、基本的には同じパターンです。経験は記憶され、その時の喜びや辛苦は、継続しないようにできている。なぜ、そうなるのか? そこに時間というものが介在しているからです。私たちは生まれて来て、死に至るまで、何度もいろいろなことを味わえる「恩寵」をもらっている。それが「時間」というものの成せる技のようです。

昨日、書いた私の体験談では、身体を離れると、時間感覚が在りませんでした。精神だけが思考する感覚です。空間も時間もなく、ゆえにその精神を圧迫する要因がない。ただ、思考があるだけです。時空間が介在しないので、過去や未来からも完全に独立しています。悩みも何もありません。いっけん素晴らしいことのように思えるかもしれませんが、そんなことではなかった。ああ、また鰻丼が食べたいなどという思いも湧いてこない。第一、身体がないのだから腹も空かない。暑くも寒くもない。精神に影響を与える要素が何もない。

それはまるでコンピュータの中にいるデータのようなものといえるかもしれません。そのデータをもとにすべてが思考できるが、実態がないので何も感じないのです。無味乾燥。でも、データ上のすべてがわかる。面白くもなんともありません。ですから、「生」というものは、「時間」という「もの」の内で、精神がさまざまな体験を謳歌できる約束となっているのでしょう。身体は、そのための乗り舟なのです。だから、この貴重な期間を味わえる身体を与えてくれた親に、先祖に感謝するのは当然のことです。死を体験して想った、忘れていたこととは、このことでした。


メメントモリ

2010年10月16日 14時05分03秒 | 未知への扉
今から4年前の話。10月1日未明、原因不明で右膝下が倍に腫れ上がって激痛に苦しみ、朝、亀のように這って家を出て、新宿区の某大病院へ。「これは痛風の腫れかもしれませんな」。40歳後半の私と同年配の医師が、痛風の可能性が高いといわんばかりに、「その体格ですからね」と、だめ押しコメント。そうか、やっぱりおれもついにアレか。「一通り検査しましょう」と、まず採血。その結果で痛風かどうかがわかる。2時間待ちました。「数値の結果では、痛風ではありませんでしたねぇ」。どこか残念そうに聞こえるのは気のせいか。

抗生剤を点滴するしかない、ということで即、入院。原因は菌が皮下に入って繁殖して腫れたということだが、傷もないし、どこから進入したのかは不明。痛風が疑われたくらいだから、触れば激痛が走る。ベッドに横たわり、ひたすら点滴。8日間、抗生剤を打ち放しで、体内に45リットルが注入された。

さて、この入院で私は奇妙な体験をしたのだ。あれは確か、腫れがピークに達し、熱が40度を超えた3日目の夜のベッドでのことだ。足の痛さと熱にグッタリして、意識が遠のき、自分がどこにいるのかさえ不明になりそうだった。すると、自分の頭の中から意識が流出(そんな感じ)し、病室の天井付近に在った。激痛にさいなまれる身体から出て、何の痛みも苦しみもない。

「ややっ、これは幽体離脱というやつだ!」と思った。立花隆の『臨死体験』という本を読んでいたから、自分もその体験をしているのだろうと、中空にいながら考え、その実感を味わおうという余裕もあった。その感覚とは、痛みもなければ、あらゆる苦悩(借金の悩みとか、人間関係とか諸々すべて)から精神が解放された状態だ。つまり肉体的束縛というものが一切ない。この感覚は実に奇妙で、生まれてこの方、感じたことのないものだった。

次に感じたことは、この真空的な精神の有り様というものについてだった。確かに何の悩みもないが、あまりにも真っ白けで、ちっとも面白味というものが無い。つまり、感動も喜びも無い。だた、純粋に精神があって、非常にクリアな思考感覚だけがある。この状態というのは超人的なのだ。しかし、喜怒哀楽のない精神というものが、まさしく無味乾燥で、こんなにも詰まらないものかと。なるほど、そういうものなのだなと中空で認識していた。

そういった事々を天井付近で思考し、私はまた激痛と高熱にさいなまれる我が身へ戻った。とたんに怒濤のごとく「生」が復活し、ああ、勘弁してくれと泣きそうなりながら、それでも生きていてよかった。有り難いと思った。生きているということは、喜怒哀楽を味わえるということにほかならない。肉体に生きているからこそ味わえるのですなあ。

9日目、退院となり、担当医が「今だから言いますけど、菌をやっつけようと白血球がふうつの3~4培も増えてましたからね。身体が持たない。体力のない老人だったら死んでいましたよ」

どうやら、やはり私は死にぞこなったのだ。あのピーク時に、ニア・デスにあって、生と死の狭間を体験したようである。純粋な精神は超然としているが、面白味というものがまったくないということがハッキリした。酸いも甘いも何でもかんでも、実感できることの喜び! 生きていて有り難いと、生きている間ずっと感謝し続けるのは、そういうわけである。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


まぼろしの豚

2010年10月14日 15時00分36秒 | 航海日誌
       沖縄の豚、アグーの子ども

ぼくの干支は亥年だが、「亥」は我々が思い描くイノシシの姿ではなく、中国では丸々と太った豚のことだ。中国から導入された干支の来歴は定かではないが、その当時、日本にはまだ家畜の豚がいなかったので、野を駆けるイノシシのようなものとしてイメージを重ねたらしい。それで、亥(猪)=イノシシと相成った。よって豚は、干支より後に、中国から移入された家畜ということである。

豚をよく食べる沖縄では、その来歴を一説に一三八五年としている。同年、琉球国那覇の久米に移住した渡来人が持ち込んだという記録が残っているからだ。後に琉球王府は、使役用の牛馬を食べることを禁じ、豚だけが食用として許された。その伝統が、沖縄の豚食文化として今日に至っているのだという。

ラフティ(角煮)、ミミガー(耳軟骨)、テビチィ(豚足)などは泡盛になくてはならないおつまみ。おかずの代表、チャンプルー料理でニガウリなどを炒めるのに使われるのは、豚脂と決まっている。塩をあまり使わなくても、豚脂に含まれる旨味成分のグルタミン酸、アミノ酸でけっこう味が濃くなるのだ。沖縄の長寿の秘密は、この豚脂にあるともいわれている。最近でこそ珍しくなったというが、一昔前はどこの家庭でも「脂壺」を常備し、いわば万能調味料だったのだ。甘い豚脂の匂いが食欲をそそる。それが沖縄の台所の香りというわけである。

ところで、アグーと呼ばれる沖縄の黒豚をご存じであろうか。一九八〇年代までは絶滅に瀕していた幻の豚だ。これが中国より伝来した豚の原種といわれ、戦前までは沖縄のどこの農家でもふつうに飼われていた。ところが戦後は食料増産のため、アグーよりも多産で大きさが倍もある西洋種の白豚、バークシャーやランドレースなどが主流となった。

一方、アグーは、その姿を消していき、七一年度の名護市博物館の調査により、沖縄本島に一六頭しか残っていないことがわかったという。先祖伝来の島豚を復活させねばと、地元の北部農林高校で「戻し交配」が行われた。これはアグー同士を交配させ、より原種に近い遺伝子を持つ子豚を選びながら、先祖返りをさせていく飼育方法である。名護市近郊の今帰仁村でアグーを育てている畜産農家では、現在、年間三〇〇頭を出荷できるまでになった。代表の高田勝さんは、東京農大を卒業後、生物進化研究所を経て沖縄へ渡った人物である。

「飼育が難しいアグーはなかなか商売にはなりませんが、沖縄の文化として評価されると思います。沖縄では本来、豚は単なる食肉ではなく、儀礼用の意味合いが強いのです。神に捧げ、感謝とともに食べる特別なもの。だから、生産性が低くとも、大切に育てられていたのです」

ジーン・ガーディアンズ(種の保護者)としての意義を感じながら、高田さんはアグーを飼っているという。流通にはほど遠く、いまだ幻と呼ばれる、沖縄文化の香り高き島豚である。その味のほどは、現地へ行って確かめるよりほかはない。それこそが、スローフードの真骨頂というものであろう。

政府刊行物新聞(2007.3.5)に掲載した記事より


労働と金

2010年10月12日 09時41分09秒 | 航海日誌
「働かざる者食うべからず」とは、いったい誰が言ったのか。おそらく江戸時代の戒め言葉だろう。その頃の働くとは、農村社会で、種まき植え付け収穫といった人力を尽くして農作物をつくり育てていた作業のことだろう。とにかく人手が必要だったのだ。皆が畑で土を起こしているのに、ぷらぷらしていたら、おまえには芋を食わすわけにはいかんぞと。

だが、現代は、この言葉は当てはまらない。働きたくても仕事がない人々が増えているからだ。最近は、同業者で余りにも仕事がないので生活のために工事現場へ出たり、皿洗いしている仲間もいる。かくいう僕も、以前のように仕事がないし、ギャラも20年前よりも低いのだ。職安へも足を運び、仕事を探すが50男をどこも雇ってくれない。だから、あっはっはと、笑っているおかしな中高年である。

「働きたくても仕事がない者は食うべからず」なのである。これを自己責任とかなんとか言った馬鹿者がいるが、国の果たすべき社会責任はどこにあるのか。緊急雇用対策などと言うが、焼け石に水だ。雇用創出などといって、国や行政が仕事を作るわけではない。民間任せである。本気でやる気なら、何百万とある中小企業への支援として、税の削減や無利子で貸し付けして、生き返らせるだろう。この国を下支えしているのは中小企業なのだから、そこを救わなければ庶民は助からない。これを大声で言っているのは国民新党の亀井さんくらいのものだ。

だが、その中小企業支援も応急処置でしかない。去年あたり国会でもちらりと提案した議員がいて、すぐに払拭されてお話にならなかったが、「政府発行紙幣」が独自の経済健全化への道のようである。米国ではリンカーン大統領が実現させた銀行借り入れに頼らないグリーンパック紙幣だ。国は銀行から金を借りて財政運営をしていて、借りるために利子を払っているのだが、これが諸悪の根源となっていると元米国財務省の研究者、リチャード・C・クックが看破している。なんで、国が民間銀行に借金をして利子を払い、そのツケを税金で賄わねばならないのか? その利子はどうなっているのか? もう、みんなもこの事実を知って、疑問に思わなければならない時期に到来したのである。あっはっはー

※ 関心のある方は下記アドレスをコピペ検索してご覧ください。
(あべよしひろ資料室)
    ↓↓↓
http://www.anti-rothschild.net/material/animation_07.html#pagetop


半分休もう

2010年10月11日 12時25分58秒 | 航海日誌
COP10が名古屋で開催されているが、地球環境問題の解決法を各国の権利主張であれこれ話すのだろうが、あっはっは、である。生物多様性、循環型社会・・・言葉でしかないじゃないの、そんなの。

話し合いの腹に何があるかといえば、航海時代からの奴隷制度の延長線上の話であって、またもや生物資源を奪われるなんてまっぴらだという声と、なにを言ってるんだ今、地球が壊れてもう人類はまずい状態にまでなっているんだから、生物多様性を護るためにといいながら、欧米型の生活を改める気がない連中が顔を付き合わせてなにをかいわんや。

テレビなんかでも朝から討論会をやって、ああでもないこうでもないと言っているが。これらも話だけの話。で、ほんとうに自然環境を護ろうとするなら、今、先進国でやっている開発やら生産仕事というものを半分にすればいいのだ。経済問題が環境問題に直結しているのだ。経済は成長しなければならないという呪縛から解かれなければ、なにを話したって解決なんかしない。だから、みんな仕事は半分にして、余計なものをどんどん作らないで、スモールな暮らしになるしかないじゃないか。というのが僕の意見だ。あっはっは(笑いの練習です)。

もうひとこと。民間銀行主導の金融システムを改めて、国に紙幣発行権を取り戻し、金利を可能な限り低くおさえれば、こんな問題など雲散霧消するのだ。利子の奴隷にならなけりゃ、そんなに働かないで済む。そもそもトーマス・ジェファーソン大統領がいい、リンカーン大統領のときに国が発行したグリーンパック紙幣を流通させると、健全な経済がうまれたそうだが、リンカーン暗殺後にすぐに元に戻られ、その後、政府に紙幣発行権が取り戻されることはなく現代に至っている。

この日本も同じ金利システムだ。ぼくらはオギャーと生まれた時点から社会の中で借金を背負わされて生きているが、その自覚がないだけのことである。自覚がないというのは本当に恐いグリーム童話だ。学校では教えない極秘事項なので、というか先生たちも知らない。だから独学して、僕は近年、多くの謎が腑に落ちるようになったのだ。

今日は、1ドル81円になっているが、あなたこれ、自然現象ではないんですよ。そんなことわかってるか。国際金融機関という民間銀行群がコントロールしまくってるわけでしょ。またまた、巨大な利子が作り出されて、庶民にツケが回される、そのツケが自然も破壊しているのです。COP10に集まった連中の腹の中には、実際、この問題があるのである。あっはっはっは。