『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

百聞は一見にしかず

2012年04月30日 21時35分38秒 | 核の無い世界へ

EMと名付けられた有用微生物の培養菌類は、開発からすでに30年が経ち、農業分野では知られた存在です。農薬・化学肥料を必要としない農法がおこなえるとして、各地で取り組みがなされ、世界各国へ普及しています。しかし、広く公には認知されていないようで、一般には「?」。

EM開発者の比嘉輝夫教授は、放射能を分解する能力があるとして、震災後、福島でEM散布の実験がなされているようです。すでにロシアのベラルーシでは、その効果が認められているといいます。福島でも半減期に30年かかるセシュウムが、EM散布した農地で半減しているようです。しかし、一般報道ではほとんど取り上げられることがありません。国が全面で採用していないからで、しかし農水省は黙認していて、ボランティアでの散布作業を展開しています。

菌類が放射能を消す? そんなことが起こるはずがない・・・学会が認めないものを、国が公に認めるわけにはいかない、といった事情があるようです。ここでも、それぞれの既得権の問題が内在しているのです。それが社会のすべての元凶といってもいいと思います。

理論確立はされていないが、現場で実証されているではないか! そんなことは関係ない! 消えたというデータがあるではないか。そんなことは認められない。では、われわれ独自で散布します。そういうことでEMチームが動いているようです。

果たして、このEMとはいかなる培養菌なのか・・・

EMについてもっと知るには、自分で試してみるしかないと、今日「わした日暮里店」へ行って、入門セット(たったの800円)を購入しました。EM1という原液に糖蜜を混ぜ、活性液を作ります。家庭では生ゴミ処理や、園芸などに利用。ゴミの匂いが消えるか、園芸では植物がどう生長するか、など、その結果を実感できます。

効用はさらに生活全般にあるようですが、まずは基本から試してみよう。本やネットで見聞きするだけでなく、実感を得ることが大事です。自分で試してみて、どうかはまたご報告します。

一刻

2012年04月29日 22時46分11秒 | 航海日誌
刻一刻と刻むのは、心臓の鼓動の、肉体とともに有る、この世界。一刻、時の刻み、一生の刻み。今世の一刻、たった今、すべての時の中に、未来も過去も一刻の、今に有る。

そういう感慨はなかなか訪れませんが、時に、あることは有る。何時間も岩場を登り、風雨に耐えながら、汗が湯気になって立ちのぼった、その先に開けた富山連峰の眺めを唐松岳から眺めた瞬間、自分はどこにいるのかさえ不明になって、ただ、風景の中に佇む。

その一刻。日常から離れた世界で感じる一刻ではあるが、それは今へと続く。

人生のイベント

2012年04月29日 00時10分19秒 | 航海日誌
今日までの3日間、東京のとある巨大イベント催事会場で、米粉の普及啓発に関するイベントに従事していました。先ほど、会場撤収が終わり、家に帰ってホッと一息ついたところです。毎日9時間ほど立ちっぱなしでした。

この仕事は、米粉を皆さんに知ってもらい、家庭でも使っていただくことで、米そのものの消費を拡大したいといった農水省の意図があります。米粉の使用率が高まれば、米の生産も上がります。米粉料理教室をやり、米粉のクレープの試食もやり、米粉チャリティで米粉も配布しました。

米粉って、おいしいといった声も多く聞かれ、みなさん米粉に親しんでくれましたが、さて、日常生活に戻って、米粉が使ってもらえるか・・・

それはさておき、ここはひとつ、難解な言語で。数式は言語です。私は言語で数式と同様の提議をしたい。読めて解する事を書いてみたいと思って書いております。しかし、それが理解されるかどうかは解らないのです。解らないが、解るかも知れないと想って、解きはなっています。難解不可解な「オイラーの定義」も、同じ。言葉も数式も同じ。約束が有るから、理解出来るが、その約束が解らなければ理解できません。だから同じ事です。学校というところで、解りましょうで、6年も3年も3年も4年もなにをしていたのか。何にもわからんと言ったら、それで卒業でしたのに。

わからないことだらけですが、それでもなんとなくこの世界がみえてきたような気がしてきました。それはどういうことかというと、自然の摂理に生かされていることはそうでありながら、人のおこないはわからんということ。人があれこれいうことは自然の摂理になかなかそぐわないということ。

だから、未だに、人生のイベントを続けている。3日間の米粉のイベントも、同じだったという感慨をもっていま書いています。わからんです。だから面白い。今夜は私が知っている3人くらいの人に向けて書いてみました。

何が残って

2012年04月23日 23時46分51秒 | 航海日誌
アンフォーゲッタルブル

ナットキング・コールの、そして娘のナタリー・コールの唱った、その歌。忘れられない。

人生のさまざまな想いの中で、どれもこれも忘れてしまいたいこともあって、それでも、それだけは忘れられないという、その想い。

どれがいちばんか、その次かなんて、比べられない、その想い。

それはある時の固有か、なにか、ではなく、ただ、そんな想いが残っていることの。

生きて、良かったと想える記憶の喜び。

わからん5

2012年04月22日 18時42分18秒 | 核の無い世界へ
脱原発が、福島原発事故から1年経っても国民のコンセンサスになっていないことがわからん。本当は、かなりの人がそう思っていても、国民総意に拾い上げる機関がないためだからではないだろうか。

NHKなどの調査で、「反対、賛成、わからない」のパーセンテージが公表されるが、反対:3割 賛成:3割 わからない:4割といったのが毎回、決まってのおおよその比率だ。わからない4割がくせ者で、どちらかといえば反対がかなり含まれているのではないか。意識調査もコントロールしやすい。参考にはならない。

電力不足、経済低迷、生活困窮となると、原発の必要性を説く輩がマスコミを使って喧伝し、未だ、そうなのだろうと思っている人も、これまた多いようだ。放射能禍害が、どんなに豊かな生活をも消し去るという事実を直視しない限り、脱原発が国民総意になることはないだろう。

そのことをずっと言い続けているが、未だに光明をみない。ネットも思ったより効果を発揮していない。大体が、このブログを読んでいるような読者は少数で、ネット世界を覗いている大多数は、もっとオモシロいものを見ているのだろう。

とはいっても、方法としてネットで発言し、フェイスブックなどでシェアして、少しでも多くの人々と意見を交わし、コンセンサスへの足掛かりをつけようとしている人も多いのも事実だ。

とにかく諦めず、コツコツ訴え続けるしかない。そうしなければ自分が納得できない。原発問題を書き続けるブロガーは、そういう人たちなのだ。

わからん4

2012年04月21日 14時05分35秒 | 核の無い世界へ
【苦楽感】
私個人の限られた時間の中で、テレビ新聞ではない情報らしきものをネットで検索して、あれこれ考えて書いています。だが、わからんことだらけです。ほんと。

人間の限界ですね、これは。検証するとか、間違いないといった確証は、文字映像情報では確たるものを得られない、ということがこの1年でよくわかりました。

では、なにがわかるのか。それは文字データなどからではなく、感覚的な、胸の内で感じる感慨からの「苦楽感(観)」でしょうか。

仏教で云う「一大事」にいることは間違いない。そこに確かに居る。で、自分はどう生きているのかと、我に問う。

すると、必死であるとわかる。ジェットコースターの最前列に乗って目を開けて真下を見ている感じ。恐いのにわざわざ乗って必死に怖さを体感し、そこで生きていることを味わっている感じ。

そう、いま世界一恐いジェットコースターに乗っているのですね。

【静かな戦争】
いまをそう呼ぶ人がいます。ある種の核戦争が起こっているのだと。都市に落とされる核爆弾をヒロシマ・ナガサキが受けましたが、いま起こっていることは、核の平行攻撃です。現象的にそういえる。

だれが攻撃しているのか。東電でしょうか。日本政府でしょうか。日本国民でしょうか。責任論では、そこが問われていますが、どうでしょうか。加害者と被害者が一緒くたで、わけがわからないとなって。

わけがわからないという混沌が、戦争状態です。敵がみえない。敵はステルスです。みえてもらっては困るのです。みえたら、事態は収束へ向かう。この戦争を終わらせることができる。戦争は勝者が利権を得るまで終わらせません。だから、あらゆる手を使って操作します。

なにが起こっているのかが民衆にわからないのは、そういったことが事実行われているからです。テレビ新聞は利用される機関となります。そこで働く人々の善意悪意には関係がないのです。私はテレビ新聞の関係者を数多く知っていますが、皆さん善良な方ばかりです。人ではなく、機関としてのマスコミの成り立ちがそうさせるのです。残念ながらそこが理解されていない。大東亜戦争の最中、大新聞がなにを報道したか。それがいまも起こっています。同じです。

ネット世界に触れている読者なら、もう、大方の人が気がついていることです。60数年前はネットがなかったから、異論を持つ者たちは密かに集まって情報を交換していました。そして、憲兵に刈り取られました。そうでない一般大衆はわけがわからないまま渦中にいました。

その当時、「マッチ箱くらいの爆弾で都市が消える」という話をしていた人がいました。しかし、そんなことがあるわけがないと思っていたら、本当にそうなって驚いたと。これは私が伝え聞いた実話です。話した人は科学的知識のある人でしたが、新聞にはそんな話は書かれることがなかったから、殆どの国民は知らなかったのです。当たり前です。原爆は国家の極秘事項でした。

いまの、極秘事項はなんでしょう。機関がそれを伝えることは決してありません。大衆は烏合の衆でいること。これは鉄則です。ずっと以前に、このブログで「帝王学」が教えられることはないといった話に通じます。「無知の知」知らないことを知れとしかいえません。しかし、それでも「知らない」ということを知れば、かなりの心構えが出来て、腹が座ります。

私は、ある一族の血の流れの感慨から、これを書いています。書かされているといった感慨もあります。これはスピ発言じゃな(笑)。読んでいただける一人ひとり、どうお感じになるかわかりませんが、いまという貴重な時間に生きていることの大事を、しっかり味わい尽くしていただければと想います。

「わからんことがわかる」そこから次の世界がみえてきます。

わからん3

2012年04月20日 23時45分21秒 | 核の無い世界へ
日常のマヒ感覚       2012.4.20

現実とか、現実的にとか、大人はよく口にします。その現実とはなんでしょう。子どもの現実ということでいえば、小学生であれば学校と家庭の間にある、もろもろの要素でしょう。大人といえば、会社と家庭の間のもろもろ。どちらも、もろもろですが、子どものもろもろは、勉強と遊び。大人のもろもろは仕事と家庭のあれこれ。

そのあれこれにおいて、現実といっているわけですが、大人の内実の多くは時間とお金の問題が絡んでいる。「現実的にそれは無理でしょう!?」といった場合、無理の理由は「時間が無い、お金が無い」といった話が多い。

そうすると、大人の現実的とはお金と時間の問題といえそうです。
「現実をよく考えなさい」というセリフ・・・

そこで僕は、こう聞き直します。
「現実って、なんですか?」
「いま直面している問題だよ」
「そう、今の問題なら、福島第一原発事故は今も事態収束せず、大変な危機を抱えたままですが、それがいちばん現実問題で、それを超える問題はありませんが」
「それは東電や政府がなんとかする問題だ」
「その東電や政府が嘘八百の発表ばかりで、いっこうに現実的な対策がみえません」
「それは社会の現実であって、おまえ個人の現実とはヒエラルキーがちがうんであって」
「え? その社会に生きているんだから、大きな現実じゃないの。なのに、個人的には関係ない問題っていうの?」
「どうすることも出来ないじゃないか」
「そう、それが大人の答えか・・・」
「そういうことばかり言っていると飯が食えなくなるぞ」
「ふ~ん、大きな余震が来て4号建屋が倒壊すれば、1500本の燃料棒が発火して日本全土が放射能汚染で終わりなのに、飯が食えなくなるって」
「だったらどうすりゃいいんだ!」
「日本人みんなでどうにかするしかないんじゃない」
「おれは関係者じゃないから責任はない」
「そう、つまり自分の現実じゃないってことかあ」
「うるさいガキだ。あっちへ行け!」

こんな会話がどこかでされるかされないか知りませんが、されたとしても、一夜明ければ、そんな現実も忘れて、日常へ戻っていきます。テレビをつけても、「福島第一原発は、世界的な規模の汚染危機を招き、欧米も緊急対策を訴え始めました」といったキャスターの声を聞くこともありません。それは日常にマヒした感覚器官には知覚されない、もうひとつの現実なのです。
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ここで臨時ニュースです。
福島県南相馬の子ども3000人余りの甲状腺を検査したところ、約3割900人以上の甲状腺にシコリが認められました。また、北海道でも児童に同様のシコリが認められたとのことです。また、東京都においても、大量の鼻血を出す子どもが増えているといった事態も確認されていますが、その数は調査がおこなわれていません。いまのところ政府はこれらの問題を注視することなく、一般にもこの現実は認められておりません。ということで、まだ現実問題にはなっておりません。(キャスター:ねじまき鳥)

終わらない夜

2012年04月16日 22時48分49秒 | 航海日誌
君がいて僕がいてそれだけが世界でどんな夢をみているのか

君がいた夜をなんどもなんども

苦しみとか喜びとか感じあって

大笑いをする

あんなあんな時間があったってことを

いつまでも放さないでも

夜明けが来るなんてぜったい考えない

永遠にここがそのままあり続けますように

ぼくらは夢を見続ける

大丈夫だよっていったらすべてが消えてしまいそうで

それだけが恐い

すっとんでただ大笑いする

ドリーマーを信じて

ふつう

2012年04月15日 00時52分30秒 | 航海日誌
ぼくは、たぶん、ふつうではないのかも、と想う、最近になって。
どれだけ人と違うかはよくわからないけれど、ひとと話をしていて、あれ、どこかずれていると感じたり。
それで、調整をして話したりしているけど、体面してはそうだけど、文でやると、一方通行だから、そのズレがよくわからないで、そのままスルーしていることがほとんど。

ところで、今日は父の命日だ。6年前に亡くなった父が、かつて、おまえの話はよくわからんと言ったことがあった。どうして?と想ったが、いま想えばそうだったんだろうなと想う。でも、亡くなる前日に、「ありがとう」と言った父が、ぼくは最高にうれしい。それだけだ。

ゴジラ見えず

2012年04月10日 23時56分00秒 | 核の無い世界へ
今日も仕事してましたよ。みんなと同じく。その隙間で考える。時刻む、その中で。認識とはなんだろう。リアルとはなにか。生物的に、人間的に。福島第一原発の危機は漫画ではないのだろうと。スーパーヒーローが現れて止めてくれるか。止めるのはだれだ。この禍害の大きさは計り知れない。いまゴジラが火炎を吹きながら東京を襲っていて、それが見えないで酒を飲んでいるような。じゃじゃじゃんじゃじゃじゃん、じゃじゃじゃん。そのスクリーンの中に居るという感覚が薄い。じゃじゃじゃんの行軍マーチは、5年、10年続き、放射能ゴジラの攻撃を身に受けるのだろうか。ぼくは小説家のはしくれだから、そんな風景を想いながら、とてつもなく深い溜息をつく。

精一杯

2012年04月09日 23時02分35秒 | 航海日誌
みんな必死で生きていると想う。生きるとは、必死なのだ。

どんな生き方をしていようが、根本では同じだ。他者と自分がちがうように見え、そう思うだけだ。

いま、日本は、世界は、危機的状況を迎えた渦中にある。そもそも必死で生きている人々にとって、それは、精一杯の枠を超えた異変である。

どうしたらいいんだ! と、だれもが必死を超えて日々を生きていると感じる。

一杯いっぱいだ。

どうしたらいいんだと、その一点だけに頭をフルに使ったら、爆発してしまうに違いない。だから、隙間で考える。あとは日常の平行を必死で取っている。

ほんとうは、そういうことではないか。

知らん顔をしているわけではない。

精一杯なのだ。

地球が何度か回っているうちに、これにもまた、変化が現れる。

そして、また必死で生きるのだ。

そもそも、それが人生だ。

なにを思おうが必死に生き抜こう。

そういわないでも、そうなる。

今世を生きて、必ず死ぬのだ。

その先は、次の「ソウルボート」のお話である。

わからん2

2012年04月08日 21時14分18秒 | 核の無い世界へ
わからんことは、やはり、わからんと言うしかないのです。

そんなことを言っていたら生活できなくなりますよ、とか、そんなことは子どもが言うことですよ、とか、わかならいというのは、頭が悪いと自分で言っているのと同じですよと、世の中の頭がいいとされる人々がもっとも顔でおっしゃる。

しかし、わからんものはわからんのです。

世界を終わらせてしまうかもしれない危機を抱えて進行している福島第一原発事故の元凶を、政府お役人らが、いまのところ大丈夫という発言を、誰が信じるのか。それでも国民というものは、静観して、おとなしくして。というより、日々の稼ぎの事が頭にいっぱいで、端っこで、どうなるんじゃろと思っているいまを、パラノイアと呼ばすしてなにか。どこのにリアリティがあるのか。

時すすみ、すべてが飽和して、物理的結果を招いて、それでも、なにか夢の中の事々だったように、過去も未来もない次元で彷彿するのだろう。

――意味を感じる人にこれを書いているので、さっぱりの人には、これもわからんでしょう(笑)

そういうことをドリーマー20XX年でも書いたのですが、わからんか。

いまの政府の状態は、倫理観が欠如した、未来へなんの責任も持たない人々の愚行と、元スイス在日本大使が国会でおっしゃったが。そのストレートな発言がどれほどの国会議に伝わったのか。

明治から始まった国家あげての教育とは怖ろしいもんです。見事にコントロールされている。どうコントロールされているか、感じますか?

わからん

2012年04月05日 23時24分15秒 | 核の無い世界へ
世の中がわからないというのが基本形だと私は考えています。

その時代によって、このわからん感覚、度合いは違いますが、これまで生きてきて、いまが最もわからんです。

その、わからんの最大級が、原発禍害を進行、いや促進させている電力会社が、法人の電気料金を値上げするとして、各企業へ通達して、契約期によって据え置く期間がありながら一律だと発表し、テレビ会見で、お支払いいただけない場合は電気をお届けできなくなりますと発言し、あげく、猶予期間があったことを後になって認め、テレビ解説者は、困ったもんだと言うのみで、時が過ぎていくこの風景が、わからん。

国というものの中で、このような不条理が大きくまかり通っていることが不思議で、わからん。

みなさんも、きっとそうだろうと思います。

ほんとうの理由はなんだろう?

後は憶測にしか過ぎません。

しかし、なにか発言できない、ほんとうの理由というものがあるのだろう。

蚊帳の外から眺める風景です。

おかしいものを、おかしいと言っていても、おかしいものは止まりません。

だったら一度、電気など止まってしまったらいいと思うのは、不条理への怒りです。

今日の大風

2012年04月03日 19時52分07秒 | 航海日誌
日本列島を吹きまくる大風、春の嵐・・・なにか、禊ぎの感あり。

北朝鮮のミサイルに備え、迎撃弾PAC3が沖縄本島、宮古島にも配備されたようだ。北朝鮮を脅威として、軍備を拡張、具体化しているのか。

大風も、軍備の煽りも、ヘタに抵抗すると、煽りにのることになる。たとえば、暴風雨に抵抗して傘を力任せに立てるから、骨が折れてしまうが、くるりと返してかわすと、骨折れず、やり過ごすことがかなう。

傘をくるくる返しながら、多少濡れてもかまわんと歩いて帰宅しながら、あおりにのっちゃあいかんと想う。大風はまさに、禊ぎだと想う。

海苔の日

2012年04月02日 20時44分45秒 | 航海日誌
「上から読んでも下から読んでも」といえば、な~んだ? 山本山ですな。今も、あのキャッチフレーズの宣伝やっとるんじゃろか。で、今回は海苔の話でございます。
 いつもは、好きなもんとか、嫌いなもんとかで書いておりますが、海苔に関しては、好き嫌いを超越した食べ物ということになります。のり巻きに海苔がなければ話にならんし、旅館の朝ご飯に海苔が付いていなかったりしたら日本の宿とは呼べません。旨い不味いじゃなく、無いとおかしい。そういう存在が海苔というもので、ま、古女房のようなものとは口が裂けてもいえませんけん。
 さて、では海苔をいつ頃から日本人は食べるようになったかと。たぶん縄文時代に遡ると思います。というのも、日本人の腸内菌は海藻の多糖類を分解する能力にたけているそうで、長い年月をかけてじゃないとそうはならんでしょ。海岸で食えそうなもんをせっせと採集して、コレ食えるが、どうじゃろかとやっとるうちに気がついたらみんなが食べるようになっていたと。
 奈良時代の出雲風土記などにも海苔の記述がみえ、その頃は立派な特産品になっとったんよ。で、大宝律令(702年)が施行された2月6日には、海苔も租税の一つとして扱われておるんです。今でも島根の岩海苔は高級品よね。
 養殖されるようになったのは江戸時代からで、ことに江戸前の海苔は紙漉の技法を用いて板海苔に加工して、浅草海苔が誕生しちょる。パリッと香ばしい海苔がなけりゃ、シャリにウニものらん。
 で、近年鮨も世界的ブームですな。西洋の方は昔、海苔をブラックペーパーなんぞと呼んで、日本人は紙を食うとのたもうたそうじゃがね。今じゃ、デリーシャスとなって海苔も輸出増です。ということで、大宝律令発布の2月6日は、海苔の日となっておりますんで、お忘れなく。
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ということで、食楽という雑誌で5年ほど書いていた「食の記念日」の連載が、海苔の日で終わりとなりました。永らくお読みくださった読者の方々に感謝。本にしたらいいのに、という方も。そうですね、そうなれば本望です。知り合いの編集者に相談してみよっと。