『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

大転換期こそ

2011年03月31日 00時26分03秒 | 航海日誌
何度も思い、何度も書きますが、今はまさしく大転換期だと思う。未曾有のというのは、そういう時に起こったことだ。だからこそ、今何をすべきなのかを冷静に実直に考え、どう行動するかだ。

誰の責任かを問うているときではないのです。責任のなすりつけ合いをしている間は無い。一人ひとり性格があり、考え方もそれぞれです。その考えを比較している間も無い。もてる知恵を出し合い、集めて、この難局を乗り越えることに焦点を当てよう。官も民もない。個々人がすべて参加しているのです。言いたいのはそれだけです。


傾聴に値

2011年03月30日 08時38分12秒 | 核の無い世界へ
『柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会』のメンバーのひとり、元原発技術者でサイエンス・ライターの田中三彦さんには面識があります。もう、随分前ですが、田中さんが追究しておられたバイオスフィア(NASAの地上ドーム生態系実験)の話を取材したときにお会いしました。原発の危険性から方向転換し、80年代は地球生態系を考えておられました。私は20代半ば、田中さんは30代後半でした。

あれから25年。このような方々がずっと原発問題を世の中に訴え続けておられます。テレビ・新聞の情報だけでなく、その道の真摯な声に耳を傾けてみてはどうでしょうか。

「福島原発震災」をどう見るか―――私たちの見解
http://kkheisa.blog117.fc2.com/


風評報道

2011年03月29日 00時01分19秒 | 核の無い世界へ
昆布などを食べても意味がないというようなテレビ報道があり、これも風評と断じたキャスターへ。

下記の、誰でも閲覧できる原子力安全・保安院のホームページをご覧になっているのか。昆布の葉なら必要量で50gも食べないとならないが、根昆布ならその何倍もヨードを含んでいる。ヨウ素製剤が入手できない場合、緊急を要するなら昆布で摂取することが有功と考えられる。

本来なら、政府が早急にヨウ素製剤を近隣住民へ配布するべきことであった。原子力安全・保安院のマニュアルでも、言明していることである。

無責任な風評は、時にテレビが流しているのではないか。もしそうであれば猛省を求む。

「原子力施設等の防災対策について」
- 19 - 5-2 防護対策 (抜粋)

4 安定ヨウ素剤予防服用について
放射性ヨウ素は、人が吸入又は汚染された飲食物を摂取することにより、身体に取り込まれると、甲状腺に選択的に集積するため、放射線の内部被ばくによる甲状腺がん等の晩発性影響を発生させる可能性がある。この内部被ばくに対して、安定ヨウ素剤を予防的に服用することにより、放射性ヨウ素の甲状腺への集積を防ぐことかできる。この際、安定ヨウ素剤の服用は、甲状腺以外の臓器への内部被ばくや希ガス等による外部被ばくに対して、放射線影響を防護する効果は全くないことに留意する。この防護対策を実施するに当たっては、放射性物質の放出状況を踏まえ、屋内退避や 避難等の防護対策とともに判断する必要があるが、その際、内部被ばくに対する屋内退避の有効性が当該建物の気密性に依存すること(付属資料8参照)、及び、建物の気密性による内部被ばく低減効果は時間とともに低下することに留意する必要がある。なお、周辺住民等に対する防護対策としての安定ヨウ素剤の服用については、「原子力災害時 における安定ヨウ素剤予防服用の考え方について」(平成14年4月原子力安全委員会 原子力施設等防災専門部会)によるものとする。


何が出来るか

2011年03月28日 00時04分08秒 | 核の無い世界へ
被災者の救援とともに、今やらなければならないのは、福島を始め各地の原発を総点検することだ。点検だけでなく、耐震補強工事と防波堤の高さを最低2倍にすることだろう。国(経済産業省)と原子力安全・保安院任せでは、そう動かないと思われる。

では、どうすればいいのか。各地で「要請の声」を上げ、地方行政を動かすことからではないか。江戸時代でいえば各藩が動き、幕府を動かすことと同じだ。大政奉還はそうして実現したではないか。

昨日取り上げた「やしきたかじんのそこまで言って委員会」武田邦彦教授の話では、静岡・浜岡原発は、東海地震の震央地に建てられているという。武田氏は、元内閣府・原子力安全委員会のメンバーだった人物だ。いわば当事者であるが、常々、安全に関して問題提議をしていたという。

東海地震が起こりうる、その震源地に建てられているとハッキリ語っているのだ。福島も依然、予断がならない状態だが、浜岡も即刻、対策をこうじるべきだ。そうさせるよう、市民がネットワークして、声を上げよう。署名活動でも、ネットでも、手を尽くして民意を発動させよう。まずは、静岡県庁のホームページへどんどん意見を書き込んで、伝えよう!(私は意見を送った)。地震が起こってからでは遅いと。今なら誰でも判るはずだ。

静岡さん、福島と同じどころか、もっと大変な地域になっていいのですか!!


無題3

2011年03月27日 15時24分02秒 | 核の無い世界へ
関西のテレビでは、原発委員会の専門学者を招いて、東京ではやらないような内容の番組があるんですね。下の番組を観てよくわかりました。

やしきたかじんのそこまで委員会 武田邦夫 原発の正体 その1
http://www.youtube.com/watch?v=jyou9oG1qBg

原発の正体 その2
http://www.youtube.com/watch?v=YDcYUlTHYyQ

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無題2

2011年03月27日 10時58分49秒 | 核の無い世界へ
       原爆投下後の広島


当ブログの読者が「原発被爆労働者」のドキュメント映像をお知らせくださいました。私もすぐに観ました。それで思いました。

私もおおむね、このようなことがあると知っていましたが、日常ではすっかり忘れ、当たり前に電気生活を送ってきた。しかし、今は、私自身が当事者だ。どんなに微量でも、ここ東京で放射能を浴びているのだ。私の父は広島で被爆し、私はその原爆被爆二世だ。微量がどうこうの話ではない。

昨日の記事で、「原爆はまた落とされた」と書いた。どう落とされたか。原発を造り、稼働させるということが原爆と同じ意味だ。まず、被爆労働者がいなければ稼働できず、今観たドキュメントの時代(80年代?)で、すでに29万人の被爆労働があり、10~20年かけて多くの方々が亡くなっている。それだけでも広島・長崎の被爆者を超えている。それがわかっていて稼働させるということは、確信犯だ。つまり原爆を落とし続ける行為ではないか。

それを隠し、原発を平和利用と屁理屈を吐いて、稼働させている。しかも、素人がちょっと考えてもわかるほど、脆弱な対策しかこうじていないのだから、これも確信犯ではないか。誰が犯人か。いうまでもないが、その中に私も貴方も含まれている。「大人はみんなエエかっこうしいの嘘つきだ」泊原発の集会で中学2年の少女がそう訴えている。

大人の態度は「母さん家が燃えているよ~いいから早く寝なさい」だ。現実を見ていないで、現実的になれと大人はいうのだ。そういうことをいっていると仕事がもらえなくなるともいう。だから大人というものは確信犯だろう。

私はこのブログを始めたときに、「世界はウソの隠し柱で出来ている」と書いた。そう書きながら、自分でトーンダウンしていた。だが、今、自分も微量被爆して再燃した。何が仕事だ! 確信犯で間接的に関わっていて、何が仕事だ!

雑誌デイズジャパンで被爆労働の実態を書いて、毎晩のように脅しの電話が入っていたライターが仲間にいる。「お宅のご家族の健康が心配ですね」という脅し方だ。何と卑屈で卑怯なヤクザ(役座)の風上にも置けないやからか。講談社はその雑誌を廃刊にした。

読者が知らせてくれた、下記のドキュメントは、本来がNHKで放映する予定で撮られていたという。それがならず、イギリスで放映されたという。NHKも最近はBS放送ならかなりのドキュメントをやるが、これは放映できないだろう。広告料が必要のないNHKだから電力会社に遠慮はいらないが、国に遠慮がいるからだ。東電は民営の皮をかぶった国家企業ではないか。テレビでの会見態度を見れば、これ以上の官僚的態度はない。あれが確信犯というものの態度である。

隠された被爆労働~日本の原発労働者
http://www.youtube.com/watch?v=92fP58sMYus&NR=1

もう、うだうだ言っている時間は無い。
今すぐ、福島第一原発は巨大なコンクリートブロックを何百個も空中投下して、埋めて廃炉にしなさい! ほかの原発は補強工事を着工しなさい! それから原発廃止へ転換し、阪大の荒田博士の放射能を出ない「常温個体核融合技術」が実現可能かすぐに検討し、この国をまともなものにしなさい。

そういう声を上げなければ、私も貴方も確信犯だ。


無題

2011年03月26日 21時57分20秒 | 核の無い世界へ
歴史に残る大事件の最中にいる。地震は天災だが、原発は人災だから事件だ。「福島第一原発」は地震対策がまともにこうじられていなかったという情報がネットに流れている。津波に対しては5.5mの高さまでしか対応できていなかったとされ、30年前の設計での建築物も時代遅れであり、以前から問題視されていたという。だが、そのまま放っておいて稼働させていたのだ。

よく、クルマの運転で「だろう運転」は駄目といわれるが、まさか来ないだろうが来てしまった。1000年に一度の大津波がいつくるか、が、今来たのだから言い訳もなにもない。「あってはならない」は危機管理にならない。そんな屁理屈を吐いている場合ではないが、どう対処するのか出来るのか。

思考は停止してもいい。まず身を守れ。オオカミ少年でもいい。考えてもどうなるかわからない。そんな時だ。情報と現実の乖離の狭間に何があるか。こんな凄いドラマに遭遇だ。また原爆は落とされたのだ。どの指を切られても痛い。なんでもいい、思い切り生きろ!


あまからな毎日

2011年03月25日 21時54分23秒 | 航海日誌
ここのところチョコレートやキャラメルやクッキーをやたら食べるようになった。普段は殆ど口にしない甘いものだ。おまけに夜は酒をいつもより多く、ぐびっと飲んで酔っぱらってささっと寝る「あまから」な毎日だ。

毎日のように何度も揺れ、放射能やら停電やら、どうしようにもどうにもならない事々が続いている。ほとほと嫌気が差す。関東以北の人々は皆そうなのではないか。もっとも被災地の方々はそれどころの騒ぎではないが。代替え行為というのだろうか。甘いのも辛いのも欲しくなるのは。

テレビでは連日、原発事故のゆくえを報じるがいっこうに先行きがみえない。最大級の危機であるはずなのに、それがみえてこないし、今後の方策もわからない。水道水にも放射能が混入という前代未聞の事が起こっているが、それを飲むしかない。健康に問題がないと言われても喜んで飲む人間などいない。コンビニや自動販売機から水だけが売り切れている。

そうだ! 東海や敦賀、新潟などの原発は大急ぎで補強工事をしないでいいのか。日本全国が放射能の危険に晒されていると今ハッキリしたではないか。なのにそういう気運が高まらないのは何故だ? これから高まるのか。わたしは今の電気が半分になっても平気だ。だが、国中の経済活動が半減するわけだから、経済大国はそういう変更はしないだろう。阪大の荒田先生の常温個体核融合はどうなったのだろうか。なぜ、誰も何も言わないのか。なんとも、そういうジレンマが何よりも嫌気が差す。


轟き

2011年03月24日 08時34分30秒 | 航海日誌
以前、新潟震災があって、その1ヶ後に六日町を訪ねたときのことだ。旅館で寝ていて、明け方だった。ゴーッと地面が鳴り、遠くから何かが近づいてくる。その轟音で目が覚め、地響きがとわかって肝を冷やした。まさしく「轟く」という漢字の実感があった。

あれは本当に気味の悪い音だ。目には見えない巨大な生物が自分目がけて接近してくる感じだ。新潟震災が大変だったとはテレビ映像で見知っていたが、現地にいて、地鳴りを体感して、初めてその恐怖がわかった。だから、体験しなければいくら記録映像を観て怖がってもバーチャルな話でしかなかった。

今もそうだろう。いくら話しを聞いても自分がそうでなければそうではない。ただし、想像力と思いやりの強い人は、人の痛みを自分のことのように思って心配を傾け、行動力のある人は何か出来ないかと思案し、行ける人は現地へ赴いて経験を共有しようとする。どの思いも行動も人それぞれで、その人の性格と立場とで変わってくる。だから出来ることをするだけだ。自分の立ち位置で出来ることとは何か。それを探せばいいと思う。


大丈夫

2011年03月23日 08時21分18秒 | 航海日誌
ひとは生まれたときいには皆、丈夫な身体をさずかっている。そうでないひとも生まれるが、おおかたはそうだ。母親の胎内から出でたときには皆、そうである。この世は母から離れた刹那から始まる。呼吸をし、オギャーと鳴く。

わたしは、その瞬間から、地球服を身にまとったと思っている。この地球環境で生きていける防護服である。防護服がうまく働かなければ残念ながら何万時間も生命を維持できない。自然界は、この防護服がなければ生命を維持できない。

ところが、反自然下においては、約束が違うから途端に生命維持が困難になる。映画に「第五惑星」というのがあったが、朝夕、燃えさかる流星の雨が降り、とても生きていけるような環境でない。そこで敵同士が宇宙船から不時着し、助け合って生きていくというストーリー。最後は愛し合っていた。地球人は男だが、相手は両性をもつ宇宙人だ。愛はみてくれを超え、環境がそうさせた。

身体を精神が超えると、そうなるのかなと思う。地球服を着た我々は何者か。服を問題にするか、精神を問題にするか。そのうちいつかはこの服を脱ぐのだからね。着ているうちをしっかり味わっておこうか。それは、永遠の今。だから大丈夫だ。なにを言っているのか、わかんね~(笑)。般若心経よりわかるよね!?!


情報模様

2011年03月22日 08時04分03秒 | 航海日誌
3月11日、大地震が起こって以来、生活が一変し、その間でいろいろなことを考えた。津波(欧米でもTUNAMIと表記)の強大なエネルギーに町が飲み込まれ、消え去る場面をTVで観て、その場にいなかったので現実なのかどうかと我が目を疑うほどの惨事である。

一方、東京でも毎日、揺れが断続的に続き、震度3,4が珍しくないが、やがて慣れてしまっている。それでも今度は大きいのが来るかもと神経が休まるときがない。数日のうちに震度7クラスが起こる可能性があるといわれるのだから、関東以北の人々は覚悟している。それでも日々の生活は営まれ、休日明けには会社や学校へ通うことになる。

これは戦時下と同じ状況ではないか。いつ空爆があるかと心配しながら、防空ずきんをかぶっていた父母の時代がそうだったのだろうと思う。地震だけでなく、放射能の怖さも加わり、いったいどうなるのかと不安に思うのは誰しも同じ心境だろう。だから、少しでも確かな情報を求めるのだ。しかし、どれが確かな情報なのか比類しようがないのも事実だ。

テレビ・新聞の報道を額面通り受け取る人はそれほど多くはいないだろう。報道規制の内実には、さまざまな方策があってのことだから、誤報も含めて慎重にならざるを得ない。公共電波で流せる情報には限界があるのだ。だが、生命の危機が迫っている場合は、それは後で問題となる。何を優先すべきなのか。高度な危機管理と倫理問題となる。

片やネット情報は規制がないから雑多な放言が飛び交っている。これらは相当の情報整理能力がなければ、闇雲な恐怖を煽られるものも少なくない。風評が生まれる根源にもなっているのではないか。日頃から、ネットソースを選択して読み取りをしていなければ、惑わされるものが多いだろう。子どもなどは情報を混同して、「もうダメだ」となってしまいかねない。生きることへの諦め精神が最もマイナスとなる。

とはいえ、ネットの有効性も高い。被災地への物資が不足しないように首都圏での買い控えを呼びかけるものなどは有用である。いま何をしなければならないかの、的確な判断につながる情報を伝え合うためにネットを有効利用しなければならない。ツイッターやフェイスブックなど、ネットワークが限定された情報ソースの有効性がさらに注目されるはずだ。

ただ、情報に絶対はないと思っておくことが大事だ。いま、そこにいてどうなのか、とどのつまりは自分の判断にゆだねるしかない。そして今の状況だからこそ、これまで語り合うことのなかった人生の大切な事を身近な人たちと話し合おう。人が人を支え合い、思いやり、自分の出来ることを一所懸命にやって生きているかけがいのない日常の素晴らしさを味わおう。生かされていることの感謝の橋を渡そう。その心が次の時代を必ず繋いでいく。


黒い雨

2011年03月21日 22時14分40秒 | 核の無い世界へ
今夜から明日、関東は雨に濡れる。その雨は、福島原発の放射能を含んでいると考えられる。どれ程の放射能量かはわからない。どんな影響があるかもわからない。わからないことだらけの雨だ。

だから、無色透明でも黒い雨なのだ。1945年8月6日広島に降った雨は、黒かった。その雨に打たれた人々はなぜ黒いのかわからなかった。灼熱地獄のその後の涼やかな雨だっただろうか。雨に濡れ、熱を癒した人々に放射能が振り落とされたなどわかりようがなかった。

雨は恵みのはずだった。大地を潤し、植物を育て、動物らは喉を潤す天の恵みだ。その雨が黒く染まり、染めたのは天の神ではなく、資本家と政治家と製造技師と、そもそも基礎理論を打ち立てた科学者だった。世界はかれらが創っているからだ。神は現世を創りはしない。人に任せている。

また、半世紀すぎ同じようなことが違う流れで繰り返されている。もっと力強いエネルギーを誕生させて。見え方の違うやり方で。意図するか、しないかの問題ではない。そういうことが起こっている。

大地が泣いている。人が泣く前に。その雨を受けるのは、大地だからだ。そのあとで人々が泣くのだ。いつもわれらは母を泣かせている。戦争を起こす母はいない。愚鈍で無知蒙昧な男どもが火を振りかざして戦いへ赴き、女はそのうしろで泣いているのだ。なぜなら、おんなは命を生むのが唯一のしごとだからだ。そして、また新たな命を生み続けるのだ。


琵琶の月

2011年03月19日 21時28分31秒 | 航海日誌


今夜から明日にかけてスーパームーンだそうです。月が地球に一番接近して巨大に見える。月は、海の満ち欠けに関係していますね。月の引力によって、海面が引っ張られるということは、最も近いとそれだけエネルギーが増す。大潮になる。地震との関係はどうなのか。月を眺めて、思います。

人生、日々好日。人間(じんかん)に青山あり。

慌てず騒がず、時を味わう。


問答無用

2011年03月18日 22時12分23秒 | 航海日誌
余りにも余りにも無知に過ぎる。原発が今、どうなのか、無関心過ぎる。放射能の恐ろしさを知らなさすぎる。

そうのような発言ではないが、ジャーナリストの広瀬隆さんがネットテレビで語っているのを聞いて、私にはそう聞こえる。

いま、テレビなど観ても、何ミリシーベルトがどうだこうだと数字だけ並べて解説しているが、気が知れない。その数字になんの意味がある。すぐに健康被害がないと公共電波で公言するなら、テレビに出ているあなた方は皆30キロ地点に行って、マイク片手に解説すればいいだろう。

人間の住む行政地図がすでに大きく変わってしまった。そうなることを一部の良識ある技術者と知識人が30年も前から訴えて来た。それがそうなった。誰が責任を取るのか、取れるわけがない。どう責任を取るというのだ。環境に放出された放射能を回収できるのか。

結局、人間は個人の目先の利益と巨大な利権集団に迎合するという「枠組み」から逃れられない。それが大人だとして来たが、誰も責任を取らない取れないのが大人の社会というものです。例外なく、同時代にこの枠組みに生きている人々は、共同責任を取らされる。それが、ほんとうの自然法だ。

この天下が与えたホンモノの自然法によって行く先が決まる。生きとし生けるものの定めだ。問答無用だ。だから、生かして頂いて、ありがとう御座いますなのである。どう生き、どう死ぬか。それぞれが答えをもっている。どんなことがあろうが、より良く納得できる生き方がある。それは心底の自分の本心に従う生き方だ。1年生きようが、100年生きようが、生きたことの長さには意味がない。生きていてなにをどう思い精一杯生きられたか。それこそが人生で大事なことである。

だから、やっぱり慌てす騒がず、今いる場所で今している経験を深く味わい感じて、命の有り難さに感謝しよう。いまこそ、ほんとうにいい人生稽古ができる。

ここで、一つの提言がある。いま生きていて、良心に従うならば、子らや子孫にために、日本の原発を閉鎖させるように訴えよう。もう、長く生きた者にはその責任があります。国民運動にすべき時は今しか残されていない!

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広瀬隆さんが解説する今の福島原発のニュースを
ブロともyuponさんからの情報で転載します。

ニュースの深層3/17(木)「福島原発事故」原発の真相1/3
http://www.youtube.com/watch?v=veFYCa9nbMY

ニュースの深層3/17(木)「福島原発事故」原発の真相2/3
http://www.youtube.com/watch?v=nKoGPtyKx44

ニュースの深層3/17(木)「福島原発事故」原発の真相3/3
http://www.youtube.com/watch?v=HDFzptO4eEA



思いやりとは

2011年03月17日 22時57分46秒 | 航海日誌
いつか、平和は祈るものではなく、為すことだと書きました。恐い恐いでどこかに居着いて、祈るだけでは空祈り。そもそも何に祈るのか。祈りとは、誓いでもあります。「助けてください!」と祈り、助かるように行動すること。

さて、この関東圏に居て、たった今も震度4の揺れがありましたが、その度に今度かと思いつつ、すみやかに2階へ避難します。祈っている間はない。もう、毎日、そうした揺れが繰り返されています。現場にいなければ、それがどんな感じかは解らないでしょう。慌てず騒がずの私としても、かなりストレスはある。

かたや、原発事故の放射能汚染。何度もニュース言葉になっているように「今すぐ健康に問題はありません」。その通り。今すぐではないが、数ヶ月から数年で健康被害が起こります。すぐにではない。このまま汚染が広がればそうなります。その現実が、遠方に方々にはピンと来ないかもしれません。彼の地は大丈夫だろうかとは思っても、即、自分の問題ではない。そういうリアリティは持てない。仕方ないことです。そういうものだからです。人間に心理のあり方です。

先ほど私はあることで珍しく電話で怒りの声を上げました。「こっちはそれどころではないんだ!」。相手の事への思いやりがないにも程がある。これも人間の限界だ。よく考えて欲しい。私はいいとして、いま、子どもに健康への影響を心配している。今後、この日本がそうなるのかも考えている。これは日本全体の危機的大問題となる。数ヶ月すれば、そうなる。そこへ、まったく個人の欲求の話をするとはどういうことか。無神経にもほどがある。今そういうことを、そんなつもりじゃないと思っても、してはいけないのです。

相手を思いやる事、それは自分の事だとわかってほしい。東北沿岸で被災して寒く空腹に苦しむ人々、放射能で恐怖にさいなまれている人々、今、この夜空の下にいて、泣いている人のとこを、自分のことのように思いやってほしい。明日は我が身です。後では祭りは出来ないのです。後悔先に立たずです。