『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

リスクについて

2013年05月30日 00時32分42秒 | 航海日誌
危機回避。
リスクを遠ざける。
というのは、いっけん、知性的に聞こえる。
しかし、断言するが、リスクは常に背負っているものであり、
なにをしようがつきまとうものであり、リスクを消すことはできない。

リスクという、流行りの言葉に惑わされているのだ。

何か、初めてのことをやるのに、リスクが伴わないことは、考えようがない。

何がどうなり、どう、起こるか知れないから、計りようがないのが、初発の事である。

それを、リスクがあるから、出来る出来ないという事は、つまり、怖いからできませんという予定調和の安全のうちにいたいという正直な感情の吐露だ。

それはそれでよし。正直だからだ。

しかし、それは、武道でいうところの、居付き、となる。居付きというのは、怖くて動けませんという動態の事である。戦時に動けなければ、即、討ち取られる。

それが、それも、本望と心底で想っているのなら、よしである。

しかし、大概の場合、その覚悟を持ってはいないだろう。

覚悟ということは、もう、なにがあっても動じないということだ。

しかし、人は、動じるのである。

動じるのであれば、常に、リスクを背負っているのである。

ゆえに、人は、生きている限り、リスクと共に生きているのであろう。

動けるのに、動かないのは、いちばんのリスク者である。

いま、動けると感じたら、動けばよし。

明日は、どうだかわからない。

いつが今か、明日か、昨日も、なかかりし、今中の、宇宙の遊泳であろうから、心配するkとなく、おのがおので決めて生きればいいのだ。

リスクを、愉しもう、愉しめるか、愉しんだら、愉しめるよ。




国際的認識

2013年05月28日 22時55分41秒 | 核の無い世界へ
松村氏の書簡を転載します。福島第一原発事故後の我が国の現況について、国連事務総長へ宛てた書簡です。これが国際人の認識だろうと思います。

一般日本人は、国際感覚を認識出来ているのだろうか?


福島で行動を起こす:
潘基文国連事務総長あて公開書簡
May 8, 2013

潘基文事務総長殿

あなたは2011年3月11日の福島の災害をきっと恐怖と不安に駆られながらご覧になられたことと存じます。特にあなたの出身地域である東アジアでの別の核災害は、国家関係にとって何を意味するでしょうか。幸いにも、このたびの影響は概して日本列島にとどめられ、多くの専門家の予想ほどではなかったようです。このニュース記事は数週間で主要報道機関からは消滅したとはいわないまでも消散し、そのあとは英雄の記事あるいは最愛の人を失った特に悲劇的なケースの個人的興味を引く記事として復活しただけでした。

しかし危機は終わったわけではありません。本日、マーティン・ファクラー氏は放射能汚染水がプラントから漏れ出しており、現場は緊急事態の新たな段階にあるとニューヨーク・タイムズで報道しました。日本の元駐スイス大使の村田光平氏が昨年書いた書簡は、現場にある数千本の放射性使用済み核燃料棒とその脆弱性がもたらす危険に対して国際的な関心を呼び起こしました。彼は日本の国会で数回にわたってこれを立証しています。

独立した国際専門家および国際原子力機関(IAEA)に所属する国際的専門家は、燃料棒を現場から撤去して、一時的とはいえ、より安全な場所に保管するという東京電力の計画は非現実的とはいわないまでも楽観的だとコメントしています。_燃料棒が提起する多くの問題を報道することにおいて、ニュースメディアは物足りないながらも相当の仕事をしました。放射性燃料が安全であるためには継続して冷却する必要があります。この冷却を維持する急ごしらえの電気システムが何度か故障しました。一度は24時間以上も続き、いずれもシステム自体と空腹のネズミに起因する故障でした。福島第一プラントの安全と火災の間に介在する装置は控え目にいっても当てになるものではありません。(そして、当初から多くの人々に明らかなように、東電は第一に現場の安全と維持管理の責任、第二に日本国に対する費用の支払いという二つの責任を回避したいのです。)

使用済み燃料の火災の重大さの程度については推測するしかありませんが、(冷却水不足あるいは地震による流出のために)ひとたび火災が発生すれば、ベストのシナリオでも未曾有の地球規模の災害となることは議論の余地がありません。起こり得る結果は東京圏の35百万人の避難、日本国土の永久的な使用停止、米国の食用作物の汚染です。これらは空想的な予測ではなく、保守的と言わないまでも合理的な予想なのです。

ところが、考えられないが皆が知っていることは、この状況がいまだに新聞報道において格下げされているため指導者の意識も低いのです。このことから思い出されるのが、私が最初は国連において、その後リオデジャネイロでの地球環境サミットの事務局長として数十年間にわたって参加してきた気候変動の解決に向けた我々の国際的取り組みです。我々にはおそらく解決可能であるが、解決しようとする決断と政治的意思に欠ける潜在的だが極めて深刻な問題があります。ご存じの通り、気候変動に関する合意は日の目を見ませんでした。気候変動と比べれば、福島の放射性燃料棒の問題は解決しやすくまた緊急を要します。深刻な地震が再度発生すれば、次の10年間を優に越えて日本に打撃を与えると日本人なら誰もが言うでしょう。つまり、この状況を早く解決しなければならないということです。

解決が可能だとしても、この問題は常に注意を払うことと有能で資金力のある当事者が必要になります。誰がそれを引き受けるのでしょうか。IAEAは先週、東京電力が放射性燃料棒をより適切な貯蔵容器に確保するには40年かかると言いました。東京電力は数十億円の除染費用の日本への支払いをすでに拒否していますし、その作業を的確かつ適切に行うための技術も必要な資金も持っていません。けれども、日本政府はこれまで東電を頼みするだけでした。

日本以外で次に明白な選択肢は技術的優位性、資金力、リーダーシップという点で米国です。事故後の早い時期に米国防省は日本に支援を申し出ましたが、日本はそれを断りました。そのドアは永久に閉ざされたものかはまだ分かりません。これは善意ある行動ではありません。燃料プールの火災が発生したら米国は危険な状況に立たされます。カリフォルニア、オレゴン、ワシントンの住人はすでに多量の放射線を浴びています。おそらくオレゴンの上院議員ロン・ワイデンによる以外の米国主導の行動は考えられません。米国の上下両院議員は引き続き国の内外で彼らの無気力を示しているのです。

私は独立専門家からなる国際チームによる実態調査を長い間主張してきました。国際連合はそのようなチームを編成し派遣するひとつの適切な機関です。しかしIAEAはその責任を引き受けるべきではありません。

IAEAの使命は核エネルギーの平和利用を推進することです。拡散の懸念はここでは当てはまりません。災害それ自体がまさに核エネルギーの平和利用が何を意味するのか、そしてそれは推進されるべきかという疑問を(再度)を投げ掛けているのです。最近、IAEAは福島の安全性を向上するように強く要請しましたが、公式見解ではいまだに東電を使ってその作業を実行するという考えですが、それは不正確でありまた不可能です。

私たちはより大きな災害を待っているだけではないのです。ひとつはすでに私たちの前で展開しているのです。放出された放射線による健康上の影響は甚大です。主要報道機関が何を報道していようと、日本では甲状腺などのがんがこの4~5年で大幅に急増するでしょう。先天性奇形が発症する可能性もあります。一部の国連機関と報道機関全体の時期尚早の報道は無責任です。わたしたちは予防措置の意味を何も考えないのでしょうか。こうした潜伏効果が10年以内に日本の多くの年少人口に障害をもたらすでしょう。

我々の近視眼的な姿勢は、日本においても国際的にも悲惨です。一つの明るい点は国連特別報告者アナンド・グローバー氏による昨年の日本への事実調査ミッションでした。私はあなたが彼の調査結果を支援し、それを広く伝えることを希望します。_気候変動と同じように、福島の件で国際的な行動を取るまでに時間がかかりすぎました。しかし今や、我々全体に影響をおよぼす可能性のある問題を日本が処理することを容認できないことは明らかです。

潘基文事務総長殿、わたしは、あなたが国際連合のトップという特有な立場を生かして政治的意思を駆り立て、我々が「待つ」選択をしなければ日本と世界がさらに苦しまないですむ、別の災害の予期しない影響を考慮に入れざるを得なくなる前に、福島の放射性使用済み燃料棒の問題の解決のために、国際的な科学者および技術者からなる独立評価チームを組織されることを強くお勧めいたします。

松村昭雄 元国連開発計画特別顧問 人類の生存に関する精神指導者および議会指導者の世界フォーラムの創設者。 1992年リオデジャネイロ地球サミット議員会議事務局長 

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この公開書簡から、なにを感じるか・・・
私は、この地球の国際的な諸問題の解決しえない問題、すでに問題とも呼べない虚無を感じる。
なぜなら、ここで言語で表現されている事々の、裏をも感じるからだ。

私たちは、どこへゆくのだろう?

金の世界から、飛翔できるのか。

できるのだろうとは想う。

それまで、とことん、突き進むにせよ。

この国の人びとは、いま、なにを想い、感じているのだろう。

みな、今中をむさぼる。それが味わい尽くす全てだ。            

人に問い我に問う

2013年05月22日 23時51分15秒 | 航海日誌
人知れず、人を想い、人の有り様在りかを知らず。
ゆえに、孤独を味わい、孤独に死す。
されど、死なず。
孤独を愛す。

人の行方を想い、
我の行方を計る。
どこに行ったかと人を想い、
我の在りかを探す。

我の在りかは、何処か。
我の中にあるのか、
人の中に有るのか。
我解らず。

我とは何か。
孤独の中に在るのか。
人の中に有るのか。
我知らず。

孤独に死なず。

死は、どこに在るのか?

ゆえに、ゆえに、死を知らず。

未だ、死を知らず。

孤独を知らず。

今中の世をむさぼる。




福島~宮城紀行

2013年05月19日 20時43分53秒 | 航海日誌
1泊2日で、1年ぶりに、福島の安達太良山麓と、仙台へ行って来ました。
福島では、震度4の地震を体感。宮城では震度5強だった。
すぐに、フクイチは大丈夫だろうかと思いました。
彼の地にいれば、もう、怖ろしくはありませんでした。

公共施設の脇には、モニターがあります。
安達太良では、0.3マイクロシーベルトでした。
東京では0.08マイクロシーベルトです。
それはもう単なる数値でしかなく、人びとはそこで暮らしています。
たしか、去年もここは同じくらいの数値でした。

子どもたち、子どもの身体のことを想います。

安達太良の麓でおにぎりをほうばり、豚汁をすすり、きゅうりをかじりました。
うまいのです。とてもとても。悲しいほど旨いのです。
味噌を食え、味噌だ! そんなことももう口無しになって。

おれはどうなったっていい、などと言えませんが、
おれはもう旨いものをいっしょに食べて、そこにいました。
みんなといっしょにいるのでした。

翌日、電車で仙台へ移動して、仙台はなにかの祭りをしていました。
街しゅうに人がごった返していました。
泊まったホテルは、シングル1泊9000円もしました。
30年くらい前の古いホテルなのに、そんな値段でした。
安居酒屋も2人で1万円も取られました。
復興バブルかなにか、そういう感じで、値段が高いのでした。
おかしな感じでした。

おそらく狂ってしまっているのでしょう。
だれがそうさせたのかも、もうわかりません。
だれもわからなくなっています。

そういう、東北は、狂乱のまつりの最中です。