『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

辰年よ、ありがとう

2012年12月31日 19時11分28秒 | 航海日誌
                   鳥取大山麓、天の真名井


今年1年、ソウルボート航海記をお読みくださって、誠にありがとうございました。

時に酒乱日記のごとくになりながら、それでも一所懸命に書きました。

それが出来たのは、毎日70~150人の読者の皆さんが、ここを訪れてくださることで励まされたからです。

たぶん、ぼくの小説をお読みくださっている方々もいると思います。これはその続編として書いているつもりです。ソウルボート、魂の舟はどこから来て、どこへゆくのか・・・テーマは変わりません。

ぼくたちが知っていると思っている世界は、それほど大きいものではないと思います。身の丈が精一杯。それでもぼくは、未知の世界を知りたいという強い想いがあります。

いま日本は、ことに震災以降、福島第一原発事故により、国家の危機的状況に陥っていると感じます。さいさん記事として書いているように。その先は、全く不明ですが、このまま日本が沈んでしまうことなどないと信じています。

最後の最後で、どんでん返しが起こって、日いずる国が復活して、世界を救うと思っています。三千世界に一度に梅の花が咲く。それはどんな世界でしょう。人間を隷属、蹂躙する嘘の無い世界。人を思いやり、人をいたわり、人と人の絆をいとおしく感じる世界。それがごくふつうのことの世界・・・とても楽しみです。

龍の年が、そろそろ終わろうとしています。ほんとうは、旧暦2月まではまだ龍の年ですが、グレゴリオ暦で動いている現代日本では、人々の意識から、龍は去っていきます。そして巳年が訪れます。今度は大空を飛翔する年から、力強く地を這う年へ移り変わります。へびは脱皮して、生まれ変わりの姿を現します。

2013年の13は、西洋では不吉としていますが、マヤの聖数です。仏教でも世を救う菩薩の13仏が現世に降り、その13仏目は、虚空蔵菩薩です。虚空に智と徳が満つる、その時、世界は一転する。

そして、世界は三千の世となりて、梅の花が咲く。

それまで、身の丈で出来ることを感謝感謝で精一杯、思いの丈は大きく広く果てしなく。

それで良いのです。

民意反映の方法

2012年12月31日 10時03分21秒 | 核の無い世界へ
【消費者の声が届いた!】

大手スーパーのイオンが、「放射能ゼロ宣言」を出したそうである。

取り扱う食品に対して、ゲルマニウム半導体検査機でチェックして、独自基準の50ベクレル/kgを超えた食品は販売しない方針。そのデータも公表するという。

イオンの取り組みは、食品の放射能調査をしてほしいという消費者の声を受けて踏み切ったものだ。

グリンピース・ジャパンがおこなった大手スーパーに対する魚類(太平洋側の魚汚染が深刻なため)への放射能汚染の取り組みアンケートでは、イオンが82ポイントで1位、イトーヨーカドーが68ポイント、ダイエー54ポイント、ユニー46ポイント、西友32ポイント。

福島を始め、東北、北関東エリアの生鮮食品は、汚染されているのではないかといった懸念が根強い。農産物に比べ、海産物の放射能検査は徹底されていないという話もネットで散見される。それを風評被害だと訴える声もあるが、消費者からすれば不安が払拭されない限り、安心して口にすることはできないだろう。とくに幼子を抱える母親の悩みは切実だ。(母性の苦悩は、地球が割れんばかりと想う)

風評を消すには、徹底的な検査を経るしか方法はない。産地での検査はもちろんだが、流通で偽装問題も起こっており、直接、消費者と対面販売する小売店が最後のボーダーとなる。

イオンの「放射能ゼロ宣言」は、消費者の望みにストレートに応えたものだ。しかし消費者からすれば、もっと早期に実行されるべき対応だった。おそらく、幾度も営業会議の議題に挙がり、しかし、産地や流通業者間、さらには政治圧力との関係で却下されていたのではないか。

だが、消費者の声が、イオンを動かした。約6000人の声だ。やはり客の声は大きいのだ。その消費者の声に応えれば、客は増えるといった計算も働いただろう。客増を説得力にして頑張った社員たちがいたのかもしれない。とにかく経営的打算があろうがなかろうが、結果的には「正しい」のである。

【食品安全を求め、実現する方法】

日本の伝統的商法の根本は、正直商売だ。

「正直によき物を売れ末は繁昌」白木屋呉服店初代、大村彦太郎可全の家訓。

不実な商いの危険性を心得ていた江戸時代の商人たちの、平凡だが、商いの大道をゆく姿勢である。

悪しき物を売れば末に繁昌は無い。

どころか、今の事態は破滅への道だ。

自社の放射能汚染食品検査を営業会議の議題にせよ。

イオンに続く、スーパー小売業者が求められる。

そのためには、選挙投票より簡単で、民意が反映される方法がある。

あなたも、近所のスーパーへ買い物に行くたびに「お客様の声」に、放射能検査をしてほしいと書けばよい。

その声は絶大だ。万も集まれば、商人は真剣になる。各地のスーパーで放射能検査が実施され始めれば、面的に広がり、常識となる。食品の安全レベルが格段にアップするだろう。これを望まない消費者はいない。

意志を示し、行動を起こす、誰にでも可能な方法だ。

私も今日から実行する。

思考と行動2

2012年12月30日 12時20分29秒 | 核の無い世界へ
副題:うどん思考

思考から行動へ移るには、どんな流れがあるのでしょうか。

まず、思考といってもさまざまです。

例えば、お腹がすいたから、うどん屋へ行くのも、思考と行動です。それは本能的行動だろう思うかもしれません。

しかし、なにを食べるか、自分の今の嗜好を考え、サイフの中身を調べ、ダイエットにもなるから350円のにしようと考え、うどん屋を選択して出かけるのですから、昼ご飯を食べるにも思考が働いています。

空腹(動機)→ なにを食べるか(思考)→ うどん屋へ行く(行動)

どんな人でも、思考して行動しています。無意識でうどん屋へ行く人はいないのだから。

では、ここで毎回テーマにしている「脱原発」で思考と行動の間をみてみましょう。

原発は危険(動機)→ 賛成か反対か(思考)→ ?(行動)

「?」思考しても、うどん屋へ行くように簡単にはいきません。

テーマが大きすぎるからです。

どうなるのだろう・・・

その先がみえません。

(福島第一原発事故が収まっていない。いつまた大地震が起こるかわからない。満杯の核廃棄物の処理方法が未だない)

しかし、自民党政権に変わって、原発推進を表明しました。

(核廃棄物処理が確立していないといっても、すでに核廃棄物はあるのだから、原発を稼働させながら、その方法を確立させるように政府が指導的立場を取る:茂木経産大臣表明)

ニュースで流れ、また、どうなるのだろうと、思考します。

しかし、テーマが自分の身の丈を遙かに超えて、大きすぎます。

どうなるのだろう、という思考から、一歩も先へ進みません。

考えても仕様がないからと、このテーマについてはいったん思考を停止します。

そして、空腹に従い、なにを食べるかを考えて、うどん屋へ行くのです。

これを日常的な事柄の「うどん思考」と定義します。

非日常が日常化してしまった事柄を「原発思考」と定義します。

「うどん思考」と「原発思考」の狭間になにが定義されるのか、それが未だにわからないのが現状の日本人が置かれた「カオス(混沌)」なのです。

カオスが「原発思考」を停止させています。

「うどん思考」のみで日本が動いています。

目下、観察される事柄からの考察です。

思考と行動1

2012年12月29日 21時21分51秒 | 核の無い世界へ
自分の考えを行動に起こせる人と、考えることを考え続けて、すぐに行動に起こさない人がいます。

どちらがいいのか、いちがいには言えません。時と場合とその中身がちがうからです。

しかし、思っているのに、それをかたちにできないというのは、手足を使わないでただ、ブロンズ像のように考える人になっていて、それは健康なこととは言えないかもしれません。

さて、考えてすぐに行動に起こせる人は、考えが一つにまとまっているから、どう行動すればいいのか迷うことがない。行動に起こさない人は、考えがあれこれとあって、どれを選択すればいいのか、迷っているからとも思えます。

では、今現在、最も選択を迫られている、「原発稼働」に賛成か反対かで、思考と行動というものを述べてみたいと思います。

賛成!という人は、自民党政権になって、その方向へ動き出したのでここでは置いておいて。

反対という考えを持つ人で、デモに参加したり、反対集会で意見を交換したり、東電を訴えたりなど、行動に起こしている人は、原発問題に真っ向から取り組んで行動している人。山本太郎さんなどは、その代表でしょう。

では、反対だけど、何をどうしていいのか迷っている人は? 考えがまとまっていないのか。原発稼働反対という考えは同じです。しかし、それをどう行動していいのかわからないのでしょうか。それだけではないでしょう。デモに参加しても効果はない、いや、参加することに意義があるが、意見を交換してもパワーになるのか、いや、互いに励まし合うことで力が湧く・・・

あれこれ思うが、行動に迷っているというのが実際ではないでしょうか。そこに横たわるのは無力感でしょうか。これだ!という行動がわからない、決まらない、だから考え続けている、のか。

国民の7割くらいは、考えてはいても、行動に移らない人々なのではないでしょうか。行動の糸口さえ見つかれば、自分も動きたいと思っていても・・・

ほんとうに、どうなのでしょうか。

仕事納め

2012年12月28日 22時01分45秒 | 航海日誌
東京は雨です。軒下をポトポトと雨音が鳴っています。

今朝、メールでメッセージありました。

いつまで自分に酔っているのかと・・・

突き刺さりました。

世の中、それは自分の中だった。

凍りつきます。

ぜんぶ、自分が映ってる。

どうするかどうするか、おまえ。


おかしいことだらけ

2012年12月27日 21時07分59秒 | 航海日誌
昨夜は、ついにぶち切れて、あほう丸出しナイト。

あきれてくだすって、ありがとう。

この日本がおかしなことになっていて、16日の選挙以来、わたしは、
腹が立ちっぱなし。

今日、お昼にネット検索しておって、カレードスコープさんが不正選挙について書いたいた。

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1757.html

読んだら、ざくざく、あちこちから、不正選挙の疑い情報が集まっている。

まわりの人々に、あの選挙はおかしいと話すと、?

だったら、どうしてニュースにならなんですか?と。

マスコミは、みんなが思っているように機能していなんですよ、と返すと、

それで話は絶ち切れました。

関心のある人は、カレードスコープさんの記事を読んでみてください。

なにもいわんやつらへ

2012年12月26日 23時56分01秒 | 航海日誌
おい!
勝手に読むのは、よろしい。が、だ。

なにか言えよ。たまにはよ。

おい、おまえ、誰だ?

これはネットというものは、

ひきょうもんの集まりだ。

ね、ハンドルネームなのに、なんでなんか言えんかね。

なにも、事件化せんでしょ。あんたが特定できんのにね。

それでも、なにもいわんか?

なにが怖いんだね? あなた。

バナナの話

2012年12月25日 00時08分01秒 | 航海日誌
まだ幼かった頃、ほとんど記憶が薄いのですが、お母ちゃんがなぜか家にいなくてひとりでいたときに、テーブルの上にあったバナナを食べたんです。そうしたら、くらくらとしてそのまま倒れたらしく、病院に運ばれて救命されて復活したらしい。「バナナを3歳児が3本もいっぺんに食べたら、消化できないで死んでしまいます!」と、母は医師に言われたらしい。

欠食児童だったのか、そこにあったバナナを全部食べた私は、死にそうになった。なんでそんなに必死でバナナを食べたのだろう?

わかりません。が、それから50年たって、いま、バナナを毎日食べています。というのも、最近はバナナが安売りされていて、一房が150円くらいです。安いから買うようになったのですが、本能的にバナナへの欲求が高まって、会社帰りのデパ地下で3日ごとに買うようになった。

なぜ、バナナが安売りされているのか、最近知ったのですが、中国がフィリピンとの貿易をストップして、バナナが溢れて日本に大量に運ばれて市場価格が破壊されたからのようです。中国は尖閣問題だけでなく、アジア諸国と軋轢を起こしているのです。

バナナは完全食ともいわれ、消化と吸収が良く、たっぷりの食物繊維でビタミンB6、ビタミンC、カリウム、マグネシウムなどのミネラルが豊富です。糖分にはブドウ糖、果糖、蔗糖など複数の糖質が含まれています。ブドウ糖はすばやくエネルギーになり、果糖や蔗糖は体力を養うエネルギーに変わります。私は朝、これを1本食べて、活動のエネルギーにしています。

で、フェイスブック仲間の知らせで知ったのですが、「バナナはカリウムが豊富だから食べているの?」といわれ、そうだったのかと。カリウムは放射性物質のセシウムを防ぐ効果があるとされ、子どもたちには必要な食物要素らしい。カリウムとセシウムは近い分子構造だから、カリウムを取り込んでいるとセシウムが甲状腺に取り込まれるのを防ぐことができるらしいのです。

どういう因果関係かわかりませんが、50年前に必死でバナナを食べて死にそうになった私の経験は、今現在の状況を察知して、必死だったのかとも思えないでもない。なんか、こじつけのようですが、そんな気がするんです。

作家の荒俣宏さんが、あるとき私に言ったのです。アダムとイブのリンゴは、本当は、バナナだったんですよと。でも、緑あふれる南国天国のエデンに、北のリンゴは育たないでしょ。バナナの葉であそこを隠して、バナナを食べたと物語っても、あの時代にバナナはヨーロッパになかったから、ピンと来ない。だからバナナをリンゴに置き換えて物語を創ったのだと。バナナは天国の食べ物だったのですと。

とにかく、バナナが安売りされているのだから、子どもさんにはひんぱんに食べさせたらいいのではないだろうか。甘くておいしいバナナは、子どもたちも喜んで食べるでしょう。南の島からの贈り物のバナナ。安く買えるのは、中国の圧政のためですが、反対に考えると、中国のお陰でもあります。あした、スーパーやコンビニで手にとってみてください。1本あたり30円くらいで売られています。冷凍にしておけば、非常食にもなります。

あしたも一房、買って来よう。

クリスマスイブは・・・

2012年12月24日 12時20分54秒 | 航海日誌
コスモロジーを歓喜する夜

 今年、2012年(平成24)は、712年(和銅5)の古事記編纂からちょうど1300年の節目である。奈良や出雲など神話ゆかりの地では様々なイベント、記念事業が行われているようだ。私もそのゆかりの地の一つ、兵庫県の淡路島を訪ねた。永年、思い込んでいたことに新たな発見があったが、その話は後述したい。

 さて、古事記は日本国最古の正史とされる。上・中・下巻に分かれ、この国の始まりを物語る神話的な旧辞と、推古天皇までの系譜を中心とした帝記とで構成されている。天武天皇の発案に基づき稗田阿礼の暗唱を太安万侶が編纂。そもそも、当時すでにあった諸家(各地の豪族)の帝記・本辞に誤りが多いとして企画されたものというが、天皇による支配体制の盤石を図るのが目的だったのだろう。時の為政者が正史を創るというのはいつの世も常である。(現代では、それをマスコミという組織が創り上げている)

 歴史学者の間であっても、古事記をそのまま史実と捉える人はいない。ことに神代の天地開闢、天孫降臨から神武天皇の誕生までを記した上巻(かみつまき)は、まさしく神話そのものである。だから神話のなんたるかに触れることはしない。

 ところが、学者ではない者は、この神話というものを面白く愉しめる。
「天地(あめつち)が初めて現れ動き始めた時に高天原に成った神の名は天之御中主神」で始まり、天津神の命を受けた男神イザナギと女神イザナミの国産み神話から、この国の創世を物語る。

 天の浮橋から天の沼戈を指しおろし、青海原をかき混ぜ、その戈の先からしたたり落ちた潮の滴が固まり島となった。自ずから凝り固まったので「おのころ島」と呼んだ。それ以前の地上世界は若く、水に浮かんだ脂のようで、くらげのようにふわふわと漂っていたと語り、その混沌としたこの世に島が現れた始まりが「おのころ島」というのである。

 なんとも壮大な陸地誕生の場面を想像させるコスモロジーである。奈良時代にこの表現を著したことの文学的な評価は高い。しかし、私などはそれ以上のサイエンスな著述にすら感じる。ひょっとして地球創世期の地質学的見知をもって語られたのではないかと。

 というのも、太安万侶は聞き書きを編纂したのであって、暗誦したのは阿礼である。阿礼はどうもシャーマン的な存在だったようで、古代からの言い伝えを口伝したもののようだ。ネイティブ・アメリカンのシャーマンは数万年の記憶を伝承するという話もある。阿礼のそれがどのくらい古いものだったか、余りにも壮大無辺な物語がために編者は困惑したのかも知れない。一端、未完に終わっている。それを後年、太安万侶が撰録し直しているのだ。

 去年の11月、「おのころ島」とされる兵庫県の淡路島へ行ったのだが、そのとき大変興味深い話を聞いた。私はずっとおのころ島は淡路島のことだと思っていたのだが、神話の地は、淡路島の南に浮かぶ「沼島(ぬしま)」がその地だという。しかも、その小島には「鞘型摺曲(さやがたしゅうきょく)」と呼ばれる1億年前の地球のシワが残る、世界的に貴重な岩石が平成6年に発見されている。

 また、海岸には「上立神岩」と呼ばれる岩が直立していて、これはまるでイザナギ・イザナミが指し下ろした沼戈のごとき形状である。その近くには女陰を顕す「下立神岩」があり、記述のとおり陰陽合一のシンボルが存在する。

 古事記には、イザナギ・イザナミがおのころ島に降りて、夫婦の契りを結んだシーンがある。イザナミいわく「私の身体には足りないところが一ヶ所あります」。イザナギいわく「私の身体には余ったところが一ヶ所だけあります」といい、それで余ったところで貴女の足りないところを挿し塞いで国を生もうと思うと誘う。

 まさしく、これは数億年の時間的隔たりを超越した陸地創世と人間誕生のドラマではないか! 当地を訪れ、私はイメージが一気に膨らみ大層、興奮したのである。戦前の教科書には、日本は神世の時代からの神国だとして大和魂を煽ったが、古事記を単なる為政者の作り事と捉える現代もまた、智のしぼんだ有り様だろう。イギリス人ジャーナリストのグラハム・ハンコックがピラミッドの謎を現代天文学から解き明かして話題となった『神々の指紋』しかり、こと古代史には秘された部分が実は巨大なのだ。

 紙面の上だけではピンと来ないことも、現地を訪ねれば思いも寄らないなにかに出くわすものである。ことに神話を愉しむには、その地を訪れるに限る。年表だけ眺めていては、歴史にリアル風景が立ち上がることはないだろう。

 私のように、古事記をコスモロジーにまで拡大するも自由だ。つまりコスモロジーは、セックソロジーだ。地球は女生と男生の混じり合うエネルギーで生まれたのだ。そのメタファーを感じよう! そして私たちもそのようにして生まれている。そのフラクタルを喜ぼう。見えないものがどのようにしてコノ世に姿を現すか。現れるときの歓喜! 誕生! 

 面白きことのなき世を面白く、である。とにかく教科書で習った暗記物の歴史を卒業し、神話感覚を膨らませよう。それが大人な遊びというもの。今夜はクリスマスイブ。多くの男女が睦み合い、コスモロジーを歓喜する夜だ。

宇宙船地球号

2012年12月23日 08時28分44秒 | 航海日誌
お早うございます。

今日は、マヤ暦の終わりから、始まりの日の1日目です。

昨日は、世界の各地で、地球の終わりを迎える人々が聖地に集まったようです。

1999年や2000年の時の大騒動ほどではありませんでした。
(宣伝が足りなかったのかな 笑)

人々はお祭りが好きですから、なにか大きなテーマがあれば、集まって、歌うのです。

それが負の中身であっても、共有する人々は歌います。

また、それを感覚的に受け入れられない人々もいます。

さて、マヤは何を伝えようとしたのか・・・・・

私はサイクルについて、伝えようとしているのだと思います。

終わりとは、完全停止ではなく、変容への突破だと。

生から死も、同じ。輪廻転生。

終わりて始まり。

今日から、始まりました。

宇宙船地球号の旅を楽しみましょう!


2012年12月22日

2012年12月22日 00時50分14秒 | 航海日誌
おめでとうございます!
ついに、2012年12月22日となりました。
(鐘の音がキンコンカ~ン)

待ちに待った、この日がやっと来てくれました。

ま、少数に人々の話です。

ほら、なにも起こらないじゃないの?

そりゃそうです。

地球の運行は、そんじょそこらの横槍で、軌道をふにゃふにゃにしませんわ。

だったら、とうの大昔に、おかしくなっておりますし、いきもんも生きておらん。

わたしはさっきまで忘年会で浅草の今半で、宴会やっておりました。

ものすご、世俗です。

いまもアルゼンチンの500円赤ワインをひとりで飲みながら、この世の時間を謳歌しております。

そう、ものすごく世俗です。

それが生きている証だ。

で、ところが、夕方から酒を飲みながら、感じていたことがありまして、人間の。生きる。ことについて。

そうか、世俗なんだと、こんな当たり前のことに、やっと思い至ったんです。恥ずかしながら。恥ずかしくないけども。

家族は深夜になってもう静かに寝ておりますんで、ひとり勝手きままにやっております。

あさってはクリスマスイブとか、キリストさんのご生誕のお祝いかなにかで、また、酒を飲むんだ。

で、うかれほんちの話ですが、今夜はとことんやりたいと思います。

実をいうと、地軸が傾いてもよかったんです。

そうなったら、おおー、地球が動いたと受け入れるだけですけん。

でも、いまだにそうはなっておらん。

だから、ワインを飲みながら、これを書けておる。

ま、この感情に至るまでの、私なりの儀式はありましたが、ものすごく世俗的にの。

その儀式ですっきりして、いまに及んでおりますんじゃ。ありがとう。

そうそう、日本酒を何杯も飲んで、言いたいことを言いたいだけ言わせてもらって、楽しかったな。

結局、人と人でしょ。というような話。

だったら、人にとことんとか。

魂の旅だ! それがソウルボートだ。

自分の手で漕いでいくんだ、当たり前だのクラッカーだ。

だから、わしはあんたのことが好きだということだが、あんたってどれだけよ。

みんなってどれだけよ。

数はわからんがね、あんたが好きだ。

たくさんのソウルボートが、この大海原に漕ぎ出して、横を向いたらあんたがおるんだ。

そういう話です。

で、2012年12月22日は、儀式の節目にあたり、感謝デーということで、どうでしょう。

生かしてもろうて、ありがとう。



ダイレクトメール

2012年12月21日 00時02分55秒 | 航海日誌
いつもは、いったんワードに書いて、それからここ、ブログに移していますが、
ダイレクトで書いています。

それはなぜか。そのままをお伝えしたいから。

というのが、心と身体と良心と保身とが入り交じって、そのままが書けないことが多いからです。

ほんとうに、公共の場で、どれだけ本音が書けるか出せるか。

今日は20日ですが、明日の21日がわからない。生身で生きているわれは明日がわからない。それは皆同じでしょう。

わたしだって、明日はどうなるのか、わからないし、怖いといえば怖い。怖いと思わないように思っているだけです。

ネットには、さまざまいろんな情報というものが流れていますが、そのどれもこれもが、テレビ新聞の表情報と、どれだけ有用なのかという基本的な考えが湧いてきます。

けっきょく、わからない。

じぶんという器がなにを察知して感じ取るか、でしか、ないのだという感覚。

なにがいいたいのか。

感じることのすべて。

いま生きているそのことに。

それ、それこそが、貴重な自分の一時なのだろう。

だから、残る最後の感慨は、ありがとう。

ほんとうに、ありがとう。

みんな、すべて、あなたに、わたしに、ありがとう。

良き、思い出に。


おお間近!

2012年12月20日 00時02分24秒 | 航海日誌
もう、20日になりました。
そう、例の、2012年12月22日まで、あと2日です。

まあ、おおかたの人々にはそんなに関心のある日付ではないでしょう。

わたしは、もう、10数年前から、この日付を睨んできたもんですから、
やはり気になるんです。

プレアデスメッセージか、マヤか、日月神示か、フォトンか、裏社会か、
どれがどうかまだ知りようがないですが、
何かあるのか。

まあしかし、なにかサインは見える感じる気がします。

そのサインをしっかりキャッチしたいと思います。

これも、心理的なものなのです。

木の耳

2012年12月19日 00時20分53秒 | 核の無い世界へ
3/11以降、放射能禍害の深刻さが時間経過と共に増していくと予測していたが、世間はいっこうに放射能の危険性に耳を傾けないでいる。一部の人を除いて、理解しようとしていないと感じている。

しかしすでに、この関東でも相当の放射能汚染が進んでおり、それは日に日に健康へ影響を与えていると考えられる。DNAへの影響も無視できなくなっていくだろう。ことに、幼年期の子どもにとっては。それは統計的数字の問題ではない。経時変化は個体によって、その現れはさまざまだろう。だが、影響は皆無ではないだろう。

精神的な分裂の問題が起こっているのではないか。

最近になって私はそう思うようになった。社会的な精神分裂とでも呼べばいいのだろうか。「危険」でも「大丈夫」だろう、といった科学的には相容れられない理解のあり方が日常化して、人々を無明の暗闇に包み込んでいるのではないか。どうとでもなれといった開き直りではなく、もう、どうしていいのかわからないから、わからないなりに静かに生活を続けている、そういう日常に埋没しているのではないか。この自分も含めて・・・

米国在住の、ある日本人科学者が、「怖いと思っていない人間に、放射能は怖いのだと説得しても、それは無理だと解った」という発言をしたそうだ。

そうなのだろう・・・?

これは、まったく、心理的な問題なのだ。