伊勢神宮別宮伊雑宮の御田植え
「日本人の未来を考える」
私論による、考え方の方向と提案
1【戦後、食から改造された日本】
国家が、その存在基盤として寄って立つところは何であろうか。領土、政治、経済、産業、文化と、事項で挙げれば、そうであろうか。しかし、その国家に帰属する人間があって、それらの諸活動が起こるのである。国家は人なりであるが、では、その国家を形成する人間の基本的アイデンテティとは、いったい何から生まれるのだろうか。
帰属意識の基盤は、住居から始まり、居住区域、地方、国へと徐々に拡大する。これは空間的、地理的条件である。一方、精神的条件として、出生の来歴というものがある。まず、両親があり、その親があり、先祖へと連綿と繋がっていく歴史である。このことは人種の如何を問わず、どこの国、民族においても同じはずだ。地理的条件は移住すれば変わるが、精神的条件を変えることはできない。その気になれば移民してアメリカ人になることは出来るが、自分の出生(親、先祖)を変えることは不可能だ。
ところが今、この日本では、このアイデンテティの精神的条件が欠如していると言わざるを得ない事態に陥っている。親殺し、子殺し、家族崩壊といった事件が連続して起こっている。また、授業放棄、いじめと自殺といった学校崩壊や、さらに会社崩壊ですら起こっている。度重なる建築耐震データの改ざんや、食品会社の賞味期限隠蔽、個人データ流出、株のインサイダー取引などがいい例だ。モラルの欠如でかたづけられる問題ではない。家庭が崩壊すれば、第2の家庭ともいわれた会社が崩壊してもおかしくはない。大人、子どもに関わらず、多くの日本人にアイデンテティの精神的条件が失われつつあるということを証明しているのではないか。これは、国家の存在基盤の危機的状況だということを強く認識すべき事態である。
では、なぜ、この日本がそうなったのか。「戦後政策」にほぼ原因があるといえるが、これには敗戦国としての条件の下にそうなったというべき問題を孕んでいる。日本の帝国主義における、中国、アジア各国での暴挙に対する徹底的な再教育をアメリカがおこなったというのは、表から見た事実であって、勝った国が都合のいいように相手国を「改造」するのは当たり前の話だ。飴があれば鞭がある。その鞭で、日本の精神的バックボーンを叩き壊したのだ。
飴は、現代で分かり易くいえば、象徴としてのハンバーガーだろう。あれを囓りながら路上を歩いている若者の姿である。たとえば少なくとも40代か50代の方なら、ファーストフードを路上で立ち食いなどしないだろう。人間改造は、戦後20~30年かかってのことだからタイムラグがあり、その後、ますます強化されたと考えられる。
食生活の変更は、人間をコントロールする最も有効な手段のひとつである。米国流栄養学の提唱を受け入れ、昭和29年、学校給食法を制定して、脱脂粉乳とパン食に変えた。戦後の食糧難と栄養失調からの脱却という現実があり、アメリカ人のような逞しい身体にならんと思う事情があるにせよ、あれは米国側の政策だったのだ。日本人を肉食化へ方向づけ、米国企業の市場拡大が目的だった。今では、動物性たんぱく源を主体とした食生活が健康を害するということは常識となったが、当時は健康増進に必要不可欠だと喧伝された。欧米化は食から始まったのだ。五穀菜食主体の日本人の伝統的食生活は、昭和20年代に断ち切られた。
食生活が与える精神の変貌は想像以上に大きいといえるだろう。そうした実験データもある。被験者を1ヶ月間、肉食と野菜食とに別けた結果、肉食のみの人間は精神的に安定せず、常に苛つき突然、怒りだすようになったという。野菜食はその反対に、穏和なままで体力の低下もなく、むしろ持久力が認められている。最近では、「1ヶ月間マックだけを食べたらどうなるか」といった内容のドキュメンタリー映画がアメリカで制作されたが、3週間でドクターストップがかかっていた。そのまま続ければ生命の保障は出来ないと。
肉食だけにかかわらず食品添加物問題も見過ごせないが、食品による精神の影響を、われわれは現実問題として捉えるべきである。日本のアメリカ化というのは、ハッキリ言えば愚民化なのだ。アメリカ政府は、自国民に健康の保障などしていない。「自由の国」というのは、ほったらかしで好きにさせて、愚民化することなのだ。日本にもそれを見習わせたわけで、それを「愚民政策」と呼ぶ。
「3S政策」と呼ばれるものも存在し、これは「セックス・スポーツ・スクリーン(TV)」である。これもアメリカの裏政策といわれ、広告メディア戦略などの研究書では当たり前の話であるが、一般にはこうした本は読まれることがない。私は学生時代から、『メディアの牢獄』『広告の神話』『広告の洗脳戦略』といった数々の本を読んで卒論を書いたりしていたので、自分にとってはお馴染みの話だ。オームが洗脳手段で活用して話題になったサブリミナル効果など、60年代からある広告戦略なのである。
自分の想像など遙かに超えて世界が運営されているということを知らなければ、愚民のひとりに参加することを否めないのだ。戦後、日本人は、まず食(安い・早い・恐いファーストフード)により肉体を侵害され、精神的バックボーンを抜き去られている。
「日本人の未来を考える」
私論による、考え方の方向と提案
1【戦後、食から改造された日本】
国家が、その存在基盤として寄って立つところは何であろうか。領土、政治、経済、産業、文化と、事項で挙げれば、そうであろうか。しかし、その国家に帰属する人間があって、それらの諸活動が起こるのである。国家は人なりであるが、では、その国家を形成する人間の基本的アイデンテティとは、いったい何から生まれるのだろうか。
帰属意識の基盤は、住居から始まり、居住区域、地方、国へと徐々に拡大する。これは空間的、地理的条件である。一方、精神的条件として、出生の来歴というものがある。まず、両親があり、その親があり、先祖へと連綿と繋がっていく歴史である。このことは人種の如何を問わず、どこの国、民族においても同じはずだ。地理的条件は移住すれば変わるが、精神的条件を変えることはできない。その気になれば移民してアメリカ人になることは出来るが、自分の出生(親、先祖)を変えることは不可能だ。
ところが今、この日本では、このアイデンテティの精神的条件が欠如していると言わざるを得ない事態に陥っている。親殺し、子殺し、家族崩壊といった事件が連続して起こっている。また、授業放棄、いじめと自殺といった学校崩壊や、さらに会社崩壊ですら起こっている。度重なる建築耐震データの改ざんや、食品会社の賞味期限隠蔽、個人データ流出、株のインサイダー取引などがいい例だ。モラルの欠如でかたづけられる問題ではない。家庭が崩壊すれば、第2の家庭ともいわれた会社が崩壊してもおかしくはない。大人、子どもに関わらず、多くの日本人にアイデンテティの精神的条件が失われつつあるということを証明しているのではないか。これは、国家の存在基盤の危機的状況だということを強く認識すべき事態である。
では、なぜ、この日本がそうなったのか。「戦後政策」にほぼ原因があるといえるが、これには敗戦国としての条件の下にそうなったというべき問題を孕んでいる。日本の帝国主義における、中国、アジア各国での暴挙に対する徹底的な再教育をアメリカがおこなったというのは、表から見た事実であって、勝った国が都合のいいように相手国を「改造」するのは当たり前の話だ。飴があれば鞭がある。その鞭で、日本の精神的バックボーンを叩き壊したのだ。
飴は、現代で分かり易くいえば、象徴としてのハンバーガーだろう。あれを囓りながら路上を歩いている若者の姿である。たとえば少なくとも40代か50代の方なら、ファーストフードを路上で立ち食いなどしないだろう。人間改造は、戦後20~30年かかってのことだからタイムラグがあり、その後、ますます強化されたと考えられる。
食生活の変更は、人間をコントロールする最も有効な手段のひとつである。米国流栄養学の提唱を受け入れ、昭和29年、学校給食法を制定して、脱脂粉乳とパン食に変えた。戦後の食糧難と栄養失調からの脱却という現実があり、アメリカ人のような逞しい身体にならんと思う事情があるにせよ、あれは米国側の政策だったのだ。日本人を肉食化へ方向づけ、米国企業の市場拡大が目的だった。今では、動物性たんぱく源を主体とした食生活が健康を害するということは常識となったが、当時は健康増進に必要不可欠だと喧伝された。欧米化は食から始まったのだ。五穀菜食主体の日本人の伝統的食生活は、昭和20年代に断ち切られた。
食生活が与える精神の変貌は想像以上に大きいといえるだろう。そうした実験データもある。被験者を1ヶ月間、肉食と野菜食とに別けた結果、肉食のみの人間は精神的に安定せず、常に苛つき突然、怒りだすようになったという。野菜食はその反対に、穏和なままで体力の低下もなく、むしろ持久力が認められている。最近では、「1ヶ月間マックだけを食べたらどうなるか」といった内容のドキュメンタリー映画がアメリカで制作されたが、3週間でドクターストップがかかっていた。そのまま続ければ生命の保障は出来ないと。
肉食だけにかかわらず食品添加物問題も見過ごせないが、食品による精神の影響を、われわれは現実問題として捉えるべきである。日本のアメリカ化というのは、ハッキリ言えば愚民化なのだ。アメリカ政府は、自国民に健康の保障などしていない。「自由の国」というのは、ほったらかしで好きにさせて、愚民化することなのだ。日本にもそれを見習わせたわけで、それを「愚民政策」と呼ぶ。
「3S政策」と呼ばれるものも存在し、これは「セックス・スポーツ・スクリーン(TV)」である。これもアメリカの裏政策といわれ、広告メディア戦略などの研究書では当たり前の話であるが、一般にはこうした本は読まれることがない。私は学生時代から、『メディアの牢獄』『広告の神話』『広告の洗脳戦略』といった数々の本を読んで卒論を書いたりしていたので、自分にとってはお馴染みの話だ。オームが洗脳手段で活用して話題になったサブリミナル効果など、60年代からある広告戦略なのである。
自分の想像など遙かに超えて世界が運営されているということを知らなければ、愚民のひとりに参加することを否めないのだ。戦後、日本人は、まず食(安い・早い・恐いファーストフード)により肉体を侵害され、精神的バックボーンを抜き去られている。