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『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

毎日グッドバイ

2010年11月30日 22時09分53秒 | 航海日誌
出会い別れて日々。人々との顔合わせで、うれし。独りでいることの寂しさを噛みしめて、会えてよかったと思い感じる。地球で最後の独りと、誰かが謎かけて、それが自分とは限らない。そういう感慨にさいなまれ、会えてよかったと、会えて生きていると確かめられたと、人間は想う。

様々なバージョン

2010年11月29日 22時29分01秒 | 航海日誌
今朝、足早に道をゆく人々を眺めていて、ふと、他者は自分の別バージョンなのだと感じた。目には他人に映るが、どの人もそれぞれの意志を持って生きていて、まったく自分とは異なる人間なのだが、それぞれに肉体を持って様々な表現をしているのだなと。すると、他人は違う顔を持つ自分であると感じた。ふつうの感覚からすれば、おかしな感覚である。

古神道には、「分霊」という伝えがある。神なる存在から魂が分かれ、それぞれの縁する肉体に宿るというものだ。その中に宿る魂は同根。つまり、もとは同じだとする神観念である。分霊することで、様々な体験ができ、それを神は人間を通じて味わっているとも。頭で考えられる話ではない。ふと、感じたのだ。すると、なんだかすべてが愛おしいような、すべてが善いような、そういう気持ちになったのだ。


冬は身体を温める

2010年11月28日 18時29分37秒 | 航海日誌
グッと寒くなってきて、温泉が恋しい季節の到来ですね。私は猫舌で猫肌(?)なので、温い湯にゆったり浸かるのが好みです。家の風呂でも、38度~40度くらいにして長めに入るようにします。ことに冬場は身体の芯まで温めて寝るのが、健康維持の基本。体温が低くめだと血流循環に影響があり、免疫力も低下して風邪などひきやすいです。調子が悪いなと思ったら、身体をしっかり温めて、生姜湯などを飲んで早めに寝ると。まあ、私の場合は、熱燗ですけど(笑)。とくに冬場は身体を冷やさないよう気をつけたいもの。冷えは万病の元と考えてよいと思います。

老神温泉・伍楼閣

2010年11月27日 21時15分56秒 | 温泉へ行こう!
       バラの花が浮く「しぶつの湯」
       壁には尾瀬ヶ原と至仏山の絵も


山の話に花が咲く宿

群馬県片品渓谷を望む老神温泉の老舗旅館。片品川のせせらぎを眼下に、その絶景を眺めつつ湯浴みする気分は格別で、全国露天風呂百景に選ばれている。3つの露天風呂「赤城の湯・岩鏡・水鏡」があり、内湯の「しぶつの湯」と「ひうちの湯」には壁面に尾瀬と山の風景が描かれている。常連客には登山愛好家も多い。山の行き帰りに泊まる客もいるそうで、なかには百名山のすべてを登頂する人も。女将も大の山好き。「会えばすぐ山の話や秋高し」といった女将の俳句に心情が表れていて、山好きの心を和ませる宿だ。

【データ】
群馬県沼田市利根町老神602 電話0278-56-2555 料金/1泊2食1万1700円~ 交通/JR上越線沼田駅から鎌田行きバスで50分、老神温泉下車、徒歩2分


米に感謝

2010年11月25日 22時05分49秒 | 航海日誌
ほんとうに久しぶりのリーマン生活に入って、人と人の間で仕事をしていると、これが人間のあり方なのだと思います。ずっと会社で働いている方には、なんだい今さらそんなことと思われるでしょうが、ひとり籠もって物を書く生活からすれば、実に新鮮な感覚です。でも、まだドガンと仕事がきていないからの、悠長な期間ですが(笑)

で、仕事のテーマが「米」ですから毎日、米の収量やら、食味データなどを睨んで米のことを考えています。例のTPPで米の市場が自由化されれば、日本は500万トンの生産地ということになり、どう競争して日本の米を作り、売るかといったシステムを考えることが我々の仕事になります。

そうなれば、いよいよ日本人にとって米が大事に思える時代が到来するだろうと思います。やっぱり日本の米がいちばん旨い。今はなにげに食べている米ですが、その米を作ってくれる農民を有り難く思える時代は、すぐそこです。


人生の羅針盤

2010年11月23日 15時27分46秒 | 航海日誌
昨日は、新しい仕事の初出張で岩手県の盛岡へ行きました。岩手県産「純情米ひとめぼれ」の話を聞きに行ったのですが、そこで古い記憶が蘇りました。17歳の夏休みに友人と岩手へ旅したことがあり、そのときお世話になった農家(今で言えばファームステイか)で、頂いたご飯があまりに美味しいので感嘆の声を上げていると、その家のおばあちゃんが「帰って家のご飯を食べたら、ここのがもっともっと美味しかったってわかるよ~」と、てらいなく言いました。で、実際にその通りで、お米の味にこれほどの違いがあるのかと、改めて驚いたのでした。その言葉が脳裏にこびりついていて、何十年ぶりかに思い出したわけです。

初出張が岩手県というのも、思えば縁だなと。高校生のときの生まれて初めての旅が岩手でした。しかも旅の目的がファームステイ。今回のテーマもお米で、なにか不思議に繋がっている。人生の機微をなんでもかんでも結びつけて考える必要はありませんが、歩む道筋を捉える意味で時々に立ち止まり、振り返ると、人生ドラマの大筋が見えるようになります。過去の中に未来が映っていると。そこに進む方向のヒントがあると。

今、なにかを悩んでいるとしたら、過去の自分を思い出してみるといいと思います。かつても岐路で悩んだことがあるはずです。そのとき、昔の自分はどうしたか、どっちへ行ったか。それが繋がって今の道程にあるのは間違いない。その流れ連なりを見れば、その行き先も見えてくると。私の場合でいえば、34年前にすでに「米」がキーワードとなっていて、今に繋がっているのだとわかります。これは占いなどよりも確かに自分の未来を捉えることができる方法です。「やっぱり、そうか」と、過去の自分が答えを出しているからです。どこかの占い先生にお金を払って観てもらうこともなく、思い出すだけです(笑)。これこそが誰にも内在されている人生の羅針盤だと思います。


一期一会

2010年11月21日 20時21分23秒 | 航海日誌
この意味は、何だろうか。一期一会(いちごいちえ)を、分解してみよう。まず、一期(いちご)は、期間のことであるが、生まれて死ぬまでのオールライフ(一生)ということだ。一生のうちに、一回会うことがあるというのが、一会(いちえ)である。極めて稀なことで出会った、あなたとわたしという関係のことを云っている。

さて、これはどういうことか。もう、二度と会うことがないということか。そうではない。一期一会である関係は、想像超えて深い。この日本に1億余りに居る人間に出会うことの確率を考えると、一生のうちでいったい何人の人間に会うことが可能か。日本人男性の平均年齢が78歳として、28470日あるわけだから、毎日1人としてそれだけの人と出会うかといったら、それは無理だ。せいぜいその10分の1として、2800人くらいか。しかし、話を交わすレベルになると、もっと少なくなるだろう。さらに、その後、連絡を取り合う関係になるとしたら、また10分の1か。しかし、280人と常に連絡しあうこともないから、もっと少ない。

というように、人と人の出会いの関係は思うよりも少ないが、深いものがあるのだ。一期一会とは、交差点ですれ違うような希薄なことではなく、出会って人生に何らかの意味をもたらす関係の、刹那(切ない:途切れないの本来の語義、気の遠くなるような時間)である。今となりに居る人が、今日、あなたにとっての深い一期一会の関係者である。それは誰か。その人と何を語り合っているか。何を想うか。また彼、彼女は何を打ち明けるか。それこそが、一期一会である。


偶然はない、か

2010年11月20日 21時11分23秒 | 航海日誌
この度、私の新しい仕事が決まって、つくづく思うことは、この世の中にたまたまといった「偶然」はないということだ。自分が尊敬する歴史研究家のご家族、縁者が経営する会社で働くことになるとは・・・しかも、そんなことつゆ知らずで、入社が決まってから気がついたという次第だ。また、その会社がテーマとするのは、一粒万倍の「米」である。このブログでも、何度も米の大切さを書いてきたのだ。偶然などと片付けられないほど、機微が結ばれているとしか思えない。

この東京に出て30年余り、いろいろな人に巡り合い、その深まり方はそれぞれ違うが、「縁」がなければ決して出会うこともなかっただろう。出会ったから縁ができたと思うより、縁があったからこそ出会ったと思うのが日本人の心情であろう。その縁を生かすも殺すも自分次第。縁は良縁ばかりと限らない。因縁めいたこともある。しかし、それは自分に与えられた「宿題」である。どんな出会いも有り難いのだ。そう思えば思うほど、稲穂のように頭がたれるばかりである。


米米クラブ

2010年11月18日 22時23分12秒 | 航海日誌

石井達也さんではありませんが、米米クラブです。やっぱ。で、ぼくは今年の夏に、「ドリーマー20XX 年」という近未来小説を書き上げて、その中心テーマが米なのです。もう数年すると、米騒動が起こるという話です。某出版社に見せたのですが、出版は無理となって、途方に暮れていた。そうしたら、前回書いたように米の仕事をしないかという話になって、なんだか現実と小説がクロスして面白いことになってきたと。

昨日、JAビルで今年の米をどう売るかといった会議を傍聴して、まだまだ米騒動は遠い話のようでしたが、そこから予見はできた。米余りと米が足りないといったアンバランスが起こっている。消費拡大と安定供給をいかに。でも、世間は米などまだ見向きもしない。いろんな食品でカロリーが足りているから、米を食わないだけの話。だが、米は単にカロリーではない。日本人の食の安心は米にある。そのうちそれが分かるときが来ると思う。やっぱ、飯と味噌汁だなとね。

これから、米をアピールするために奔走します。それが日本人にとって大事なことになる。やっと、世のため人のために、働くことができる。有り難いことです。今日は、広島産の濁り酒を飲んで、一気に書きました。


御縁

2010年11月16日 22時58分53秒 | 航海日誌

暫くフリー稼業で何とか生計を立てていたが、ここのところいよいよ経済が苦しくなってきて、どこか雇ってくれるきとくな所はないかと首をぐるぐる回していたのです。まあ、しかし、50男を雇うところなんぞ、今の時世であるもんかとほとんど諦めていたら、「おい、君。やる気があるか」と声が掛かった。しかも、仕事の中心テーマは「米」だ。米の流通業界をクライアントに、どう売るかをプロモートするのだ。そのための企画編集である。

当ブログの読者諸兄ならご理解いただけると思うが、米は、私が常々書いている重要テーマである。米は日本人の心身を養う神聖なる糧だと、いつも書いている。やる気があると答えるのは当然だ。「よし、ならば来い」となりました。有り難いことだ。私を雇ってくださったのは某出版社から枝分かれした会社で、その社主はHさんで、そのまた系列会社でお米の企画編集に就くのだ。こちらの会社の社長Yさんと、このお二人で「食と米」をテーマにそれぞれの会社を営んでおられる。

これは何かのご縁に違いないと、粛々としていたら、今夜、ハタと気がついたことがあった。社長さんは、私が以前、当ブログで書いた「大歳神」(09.6.8記事)の中で紹介した『古代日本正史』の著者、原田常治さんのご子息であった。また、Yさんは原田さんに随行してフィールドワークを経験した方であった。私はこの本を読んで、古代の風景を思い描き、出雲や大和(三輪山)をめぐったのだ。明治生まれの原田常治さんはもう他界されているが、お会いできればよかったと思う私はファンそのものである。そのご子息に巡り会い、こうして仕事を与えてもらえた幸運を「神恩」と思わずにはおれない。

出雲の幼名「大歳(おおとし)」で、青年期に「饒速日(ニギハヤヒ)」として活躍し、奈良に大和朝廷の基を築いた始祖太祖として、今も大神神社、石上神社など数々のお社で祀られる大神である。その正式な御神名を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」と申され、五穀豊穣の神として、また酒造りの神として崇められている。何をかいわんや。これから「米」のために一所懸命に働く我である。
「生かして頂いて ありがとう御座位ます」


故郷の記憶

2010年11月15日 22時50分51秒 | 航海日誌

生まれ育った広島で、中学生まで住んでいた町をぶらり歩き、幼稚園の頃からある児童公園に立ち寄ると、当時もあった遊具がそのままで、思わずオーッと声を上げた。45年は経つだろうか。オブジェのような、どう取っつけばいいのかよくわからないコンクリの遊具だ。そのへんてこりんさが面白く、ここに来れば必ずよじ登って遊んだものだ。

記憶がいっぺんに蘇った。冬の夕方、もう日が暮れて誰もいなくなった公園で、でもまだ家に帰りたくないと、その遊具の奥に隠れていた。あたりがどっぷり暗くなり、となりにあった鉄製のロケットの中に潜り込んで、飛べ!と何度も命令したが、そのうちになんとも寂しい気持ちになって、諦めて家に帰った。そのロケットはもう今はなかったが、コンクリのオブジェが、その日のことを思い出させてくれた。

東京に戻りました。また、ぽつらぽつらと記事を書きますので、よろしく!


平和都市

2010年11月12日 10時04分20秒 | 核の無い世界へ
広島に帰郷して、昨日は母とお墓参りに。市内からひと山越えて、小一時間かかる谷間にわが先祖の墓所がある。その周辺は、20数年前からの新都市計画で巨大団地化しており、しかしなぜだか墓の周辺一帯だけがぽっこり緑の山谷である。最近では、いのしし、さる、くまも出没すると聞いた。奥山を開けば、獣は里に下りるようになる。小生が留守のあいだは、山の動物に墓守をしてもらおう(笑)

夕方、家に帰ってニュースを観たら、この広島市で「平和シンポジウム」が開催中と知った。ノーベル平和賞受賞者が一堂に会して開かれる国際会議で、アジアでは初めてという。ダライ・ラマも来日して広島入り。だが、オバマは来ず。前にこのブログで、オバマが広島へ来る日があるのか・・・と書いたが、やはり来ることならず。市民は来日を願っていた。

原爆投下は人類への犯罪である。ルーズベルトとチャーチルの会談語録に、「ドイツへ落とすわけはいかないが、日本ならいいだろう」と語り合ったと最近、出版された本で読んだ。それが事実なら、明らかな人種差別である。ここに原爆投下の精神の闇がある。オバマ大統領は米国を代表して正式に、この国際犯罪を謝罪しなければならない。これが実行されなければ、平和祭はイベントの域を出ることはない。


GAMAN

2010年11月11日 20時02分00秒 | 航海日誌
今ワシントンのスミソニアン博物館で、「THE ART OF GAMAN」展をやっているそうだ。日系移民が第二次世界大戦時、強制収容所で3年半暮らした期間に、生きることの望みを手に託して物づくりに没頭した。その流木に刻んだ作品、鷹、熊、空き缶に彫った梅と鴬の見事さ。そのアートの素晴らしさを、いま米国人が見て、感動している。それをNHKクローズアップ現代で紹介していた。

GAMAN 我慢だ。それは誇りからもたらされる精神。その我慢の根源は、「我(自我)が慢(一杯)となることを云う。フルアップ(一杯いっぱい)になれば、我慢できなくなる。我慢できるのは、さらに我が大きくなることから叶う。我慢は、あきらめではなく、我が大きくなることだ。大きくなれなければ、THE ENDだ。それをだれが為すのか、我(私自身)である。自らが、大きくなる。これほど困難なことがあるだろうか。でも、これほど大いなる道があるだろうか。

それを英字にすると、GAMANとなる。GA・MAN(我マン)。アメリカにおいては、荒野を歩くロンリー・ガンマンか(笑)。とはいえ、米国市民は、スミソニアン博物館で、そう感じてかつての日本人をみているようだ。われわれは、その日本人を自らに取り戻そうではないか。そうしなければ、恥かしいではないか。


鍋で直会(なおらい)

2010年11月09日 17時32分01秒 | 航海日誌
日曜日に、合気道仲間と鍋を囲みました。キノコと野菜に、北海道のサケの白子とカジキの切り身をぶち込んで、香港の料理屋の出汁を入れて、さあ、どんな味かとやってみたら、うまい。酒がすすみ、わいわいがやがやと賑やかな鍋パーティになりました。

神道に「共食」があります。神さまに捧げ物をして祀り、直会(なおらい)として、それを皆で頂く。つまり、神と共に食すという意味です。合気道稽古後の日曜日の鍋パーティは、稽古で心身を禊ぎ(清め)、直会ということになり、思いのほかの馳走になったのでした。

本来、食事をすることは、自然からの恵みを頂くわけで、だから、日本人は食べる前に口をついて「いただきます」と言うのです。そして食べ終われば「ご馳走さまでした」と、感謝の言葉でククリます。つまり、食事をするということは、常々が「共食」となります。

そういえば、食事の前に手を洗う習慣も、衛生面だけでなく、清めの意味があります。なにげにでも、そうしているのは親からそう倣ったからであり、皆がそうしているからですが、知らず知らずとも、神感謝しているのが日本人です。宗教うんぬんを超えています。

最近では「孤食」という言葉が聞かれますが、一人で食べるのは味気ないだろうと思います。大勢で食べるのが美味しいのは、「共食」で神々のつどいとなるからです。えっ、神って? 私たちの中に宿っている命のことです。森羅万象生きているものはすべて「神宿り」と申します。
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明日から田舎へ帰って墓参りとおふくろ孝行をしてきます。ブログ更新はしばしお休みです。その間は過去記事を読んで頂ければ幸いです。


那須温泉・鹿の湯

2010年11月08日 20時04分47秒 | 温泉へ行こう!
       40人ほどが入られる広い浴場

湯治場の雰囲気

那須温泉の元湯、鹿の湯は、今から約1300年前に発見されたと伝えられる。狩野三郎行広が弓矢で傷つけた鹿を追うと、谷間に湧く湯で傷を癒す姿を見た。それが「鹿の湯」の名の由来である。正式な記録では天平10(738)年の正倉院文書に那須温泉の記述がある。ちなみに当地は、その名のとおり源氏方の弓の名手、那須与一の出身地だ。

古来より温泉地として知られた那須は、江戸時代には諸大名が湯治に訪れた。後世その名を馳せ、庶民の湯治場として明治期に建てられた湯屋は古湯の風情を醸す。温度ごとに6つに別けられた湯船は、41度から48度まであり、体調により入り分ける。白濁の湯は硫黄を含む酸性の泉質。肌がすべすべして女性には美肌効果も望めるが、長湯は禁物とされる。山のいで湯でのんびり身体を癒したい。近くには、全国でも珍しい「温泉神社」や奇岩景勝地「殺生石」もある。

【データ】
栃木県那須郡那須町湯本181 電話0287-76-3098 営業/8時~18時 休/無休 料金/400円 交通/東北新幹線那須塩原駅から那須ロープウェイ行きバスで50分、那須湯本下車、徒歩5分