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『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

57年目のお盆

2016年08月15日 22時25分39秒 | ソウルボート著者紹介
こんばんは。遊田です。

57年目のお盆です。

ふ〜っと、想いました。あれこれ人生回想してて。

最近、怒りっぽいくなりました。

あれ、おかしい。

人生がんちく、あれこれわかって笑えるかなと、想っておった。

今日も、あることで、電話先の相手に、怒りました。

あれ、怒っている、わし。。。

人生、経験して、あれこれ、相手の事情も、よくわかっているはずなのに。

なんで、反対に、怒るのか。

それは、単に、怒りっぽくなったからか。

え? 単に、怒りっぽくなるとは?

単に、ではなくてさ、なんで怒るのかって、自問自答だ。

そこで。

10代、20代、30代って、なっていくうちに、まだ、坂を登っておる。

そこで対面している仕事関係の相手は、だいたい一回り上の20代、30代、40代で、
すみませんと謝っている人ばかりだったが、
自分が40代、50代になっているうちに、
反対に謝られる相手が多くなって、
それが平常になっているうちに、
いつしか怒りクセがついてしまっていて、
怒っている。

あれ?

人生がんちく悟りが身に付くんだろ?

笑える筈だったのが、ちがうぞ。

最近、笑っていない。せいぜい黙っていることが多い。

おかしい。

人生設計と違う。

そこで、今夜、インディアンの言葉を知りました。

「人は、生まれて来るときは泣いて、まわりが笑う。死んでゆくときは、笑い、まわりの人を泣かせなさい」

人生は、坂を登り、下る。

登りで泣いて、下りで、笑う。

下りで笑えりゃ、それがいい。

57回目のお盆にて。。。






今日の小説

2016年02月26日 00時02分53秒 | ソウルボート著者紹介
「崖」
      作・遊田玉彦



 ストンと切れた、断崖絶壁。
 遥か崖下の谷底の村で、畑に出た農夫が、鍬を手に土をほっくり返しているのが、崖の上から蟻よりも小さいくらいに見えている。
 土埃を巻上げながら、サクサクと小気味よいリズムで動かしていた鍬を止めたかと思うと、ふいに腰を上げ、そっくり返るようにして崖を見上げ、腰をとんとん二度叩くが、それは農夫の一種のくせである。腰を伸ばしたついでに、つい崖を見上げてしまうのだ。農夫は今朝からもう何度か崖を眺めている。
 崖っぷちに立っている男の姿は、むろん農夫には見えない。痩せぎすの、腹だけが妙にせり出た男で、薄手のジャンパーに縞模様のスラックス、安物のスニーカーという出で立ちだ。どう見てもハイカーという趣ではない。
 今起きたばかりのような、とろんとした目で崖下を眺めている。谷から吹き上げてくる風に何かの匂いを嗅ぐ仕草をし、ひとつ深呼吸をしたかと思いきや、おもむろに背を向けて縁に膝まづき、崖下に片方の足を降ろし始めた。
 崖を正面から見れば、垂直ではあるが、壁から突き出た岩と岩の連結に若干の隙間があり、手足が掛けられそうである。崖の途中に丁度畳一枚ほどの岩棚が見え、ヤマユリが一輪咲いている。
 男はその花を採ろうというのか、どういう了見か知らないが、眼下の岩棚に降りようと節くれた指に力をこめ、右の足、左の足と岩の隙間に爪先を喰い込ませながら、じわり、じわり、降下していく。
 途中、崖に突き出した岩に腹がつっかえるたび、身体が空中に押し戻されそうになり、四肢がいっせいに硬直して動かなくなる。指を、トカゲのように押し開き、爪先を岩の角に突き立て、額からぼとぼと汗が吹き流れる。うぅ、と声を漏らし、またじりじり下へ下へと降りていく。

 男が岩棚に降り立った。飛び降りた拍子に白い花を踏み、足の下でひしゃげてしまったが、男は少しも気にする様子がなかった。
 岩棚は、村のキノコ採りの秘密の場所で、見事なイワタケがひと抱えも採れるのである。イワタケというのは、岩にこびりついているのを見れば黒いボロ布の切れっぱしにしか思えない。けれども、そのボロ切れを何時間もかけて丁寧に洗い、いったん日に干したものを水にもどし、鍋でぐつぐつ煮れば全く別物に生まれ変わる。この菌類独特の滋味とでもいうのか、それが鍋の中でえもいわれぬ風味に変化して、一度口にしたやいなや、我先に競って食べることとなる。キノコの中でもとくに珍重され、町では高価な値で取り引きされる。料亭にでも売りに行けば、ひと晩は豪遊できる代物である。
 村いちばんのキノコ採りは先年、老衰で亡くなった。誰もここがイワタケの宝庫だということなど知らない。キノコ採りの名人ともなれば、絶対に場所を明かさず、末期のときでも口を割らない。他人に採られることがそれほどまでに惜しいからか、あるいはもっとちがう理由があるのか、とにかく場所を明かないのは昔からのキノコ採りしきたりである。

 男もこの岩棚にイワタケがあることなど知らない。また、かりに知っていたとして、今はキノコの時季ではない。わざわざキノコのない春先に崖を降りる馬鹿者などありはしないだろう。
 男にはこれといった理由がない。ならば男は阿呆か何かかといえば、そうだとは決めつけられない。高等数学の演算もできるし、ひちめんどうな帳簿もこなすことができるのである。歳のころは五十そこそこのこの男、眼下の村の者ではなく、バスで一時間離れた海沿いの町に住んでいる。立派とはいえないが、従業員が五人ほどいる小さな部品加工の工場を経営している。順風満帆とまではいかないまでも、何とか潰さずやっている。去年の秋には住みかを少々改築したばかりである。
 男の歩んだ人生をふかんすれば、どこかに理由は探せそうだと考えられないこともない。
 五つのときに肺炎をこじらせて死にかかったことがあり、そのころ父親は女に入り浸たりで滅多に家に帰ってこなかったのだが、母親は離婚を考えつつも、子どもがまだ小さいうちは家を出るわけにもいかず、ずっと耐えていたという幼少時代がある。
 あるいは、先祖代々の土地が売れ、思わぬ大金が転がり込んで、それがもとで父親の女ぐせが再発し、最後は住んでいた家までも借金のかたとなり、一家離散となった青年時代がある。
 さらには、飲み屋で行き会った女に、男が貯えていた金を持ち逃げされたこともある。高々百万そこそこの金で、それで男は無一文になったが、そんな金よりも、一度は信じた女に騙された自分が許せなかった。
 世間でそう珍しい話でもあるまいが、男のこころに影をつくっているものの主だった要因はそれらだと断定してもよさそうである。だからこそ、男は独立心を柱として、三十を堺に一心不乱に仕事に打ち込み、煙草は吸うが酒はやらず、博打は最も毛嫌いして宝くじですら買ったことがない。これといった趣味もなく、工場で機械をいじっているのが趣味のような男だ。女房と娘とそれから年老いた母親との四人で暮らし、従業員の面倒もみて、それなりに頼りにされている。借金が多少はあるが、それほど苦にする額でもない。毎月、コツコツと利子を払い続け、この十年間返済が滞ったことはない。新しい機械を購入すれば仕事を拡げられそうだが、現状での融資は難しい。銀行屋が昨日きて、慰めめいた適当な話をして帰っていった。

 男には三十半ばで生まれたひとり娘がいる。いまは家にひきこもって賑やかな音楽ばかり聴いているが、来年は町を出て専門学校に行くと、今朝話したばかりだ。
 「ねえ、お願いなんだけど、ちょっとお金足りないんだ」
 「またか、この前やっただろ」
 「この前って、先月じゃない。もうないよ」
 「幾らだ」
 「二万円」
 「何に使うんだ」
 「あれ、あれよ、いろいろあって、友達との付き合いもあってさ」
 「月末に近いから、持ち合わせがない。父さんもいろいろあるんだ」
 娘は父親と目を合わせようとしないで、斜を向いたまま軽いため息をついた。今、男の財布には五千円も入っていない。
 「タバコやめたら? ママに言われてやめるっていってるじゃない?」
 「ああ」
 「いつもそう、口ばっかり」母親そっくりの言い草を娘がした。
 「わかってるよ」
 「わたし、来年は家を出ていくから」
 「だから、おまえの好きにすりゃいい」
 「そっちも、好きにしたら?」
 「おれだって、たまにはカラオケくらい行ってる」
 「あれ、ハハハッ」
「いいだろ、おれが何を歌っても」
 先週、珍しく従業員と街のカラオケボックスに出かけ、ウーロン茶で二、三曲やったのだ。一曲は娘の好きなアイドルグループの歌だった。その曲を娘と歌ったのはもう一年前のことである。
 「たまにはママと三人で歌いにいくか」
 「お金ないんでしょ。それに、遠慮しとくわ」
 「おれの歌、耳がってか」
 久しぶりに娘がケラケラ笑うのを見た。大きな口を開けて笑う娘の犬歯がやけに白く男の目に映った。

           ○○○

 ――――崖を降りてみたかっただけだ。
 と、男が誰に言うでもなく、ポツリとつぶやいた。
 岩棚に腰を降ろした男は、宙空に向かってまたつぶやいた。
 ――岩棚がおれを呼んだんだ。
 まるで馬の背でも叩くかのように、岩棚を手のひらでぱんぱんと叩いた。
 目の前をトビがすーっと飛んで、ぴーひょろろろーと鳴いた。鳴き声が谷間に吸い込まれるように消えていった。
 男は胸のポケットから煙草を出し、マッチをすって火を着けが、風ですぐ消えてしまった。二度目は手で囲い、火を着けた。マッチ棒を空に投げると、白い煙の糸を引きながら谷底に、ふわり、ふわり落ちていった。
 煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んで空を見上げた。旨かった。久しく感じたことのない旨さだった。娘が産まれた冬の朝の病院ロビーや、工場を立ち上げた日のことが目に浮かんだ。つづけて二本ほど吸い、崖に背中をもたれかけ目を閉じた。
 陽光が降り注ぎ、春の風がここちよく頬を撫でた。先ほどのトビも、もうどこかへ飛んでゆき、風もやんで、無音となった。
 男は浅い眠りに落ちた。
 うとうと舟を漕ぎ、トビになって空を舞っているような気分にひたり、それが夢なのかそうでないのか、どこからどこという境目のない白い宙に浮いていた。
 谷から巻上げる風が岩棚に当たって、ひゅるひゅると寂しげな音を鳴らせた。目を覚ました男は岩棚にじっと座ったまま動こうとしなかった。とろんとした目で宙空を見つめ、することといえば煙草を吸うばかり。煙が背にした壁に沿って白い龍の姿に変じて空に立ち昇っていった。やがて煙草もなくなり、男はうしろ手に岩壁を押さえてゆっくり立ち上がった。
 ――――降りるとするか。
 と、つぶやいた。
 日が西の空に傾いていた。オレンジ色に染まったまん丸い天球が目線よりも低く浮かんでいた。もう半時もすれば向こうの山陰に隠れるだろう。ゆるやかに闇が男を包みはじめていた。
 膝をつき、岩棚から首を突き出して谷底を覗き見た。
 壁は垂直どころか、谷に向かってえぐれていた。どこにも降りられそうな場所がなかった。さらに身を乗り出せば、昼間、農夫が仕事をしていた畑にまっさかさまに落ちるしかない。
 ――――落ちてもいいか。
 一瞬、思った。
 崖下を眺めていると、地上に吸い込まれそうな気分になった。
 ――――落ちてやるか。
 誘惑とも何ともつかない情動が胸の中でもぞもぞ沸き起こる。そのまま任せておけば、胸のものが身体に伝わって手足が動いてもいいくらいになった。
 ぴー ひょろろろー
 トビの声が谷底に落ちていった。
 男は、壁に向いて両手を伸ばし、上を見上げて指が引っかかるところはないかと探った。だが、降りるときはあったはずの突き出た岩がひとつもなくなっていて、のっぺりとした壁になっていた。壁から、すぐにでも岩棚が引っ込んでしまうかもしれなかった。岩棚は畳一枚ぶんを残し、動かなかった。
 そうか、と言って大きく息を吐き、また岩棚に座り直し、空になった煙草ケースを投げ捨て、それから男はなにも言わなくなった。黙ったきり目をとじ、息をしているのかもわからないくらいに静かになった。
 夜空に星が瞬いていた。ひとつがすーっと斜めに走って消えた。
 月が、つい、ついっと天に昇っていった。
 やがて日が昇った。雲が横を流れていった。
 トビがひとつ、またひとつ、鳴いた。
 パリパリになった飴色の皮に骨を包み、微塵もなく、男は黒い節穴の目で宙空を見つめている。崖遥か下では、あの頃まだ赤児だった農夫の子が、太い腕で土に鍬を打ち込み、ふと、反っくり返るようにして崖を見上げ、伸ばした腰をとんとん二度叩き、それからまた小気味よくサクサク土を掘っくり返している。崖下の畑が土ぼこりをたてているのを見つめている岩棚に座った男のすぐ脇に白いヤマユリが一輪咲いている。

歴史の極、刮目!

2015年09月16日 22時34分47秒 | ソウルボート著者紹介
鴻池委員長! 

貴君の重責は計り知れない現在になっております。鴻池といえば、江戸期、大坂の大名貸の大店だったが、そのルーツは、出雲の山中鹿之介にある。下克上の戦国期にあって、主君、尼子を立て、決して出雲を捨てなかった。武将の鏡と讃えられた人である。あの猿、秀吉が惚れた男と伝わる。最期は、毛利方に備前で討たれたが、その子は母とともに、広島へ落ち延び、武士の身分を変え、灘へ出て、酒屋の丁稚として生き、今の清酒を生んで栄え、鴻池へと発展したのです。私の先祖は、その縁者であったから知っている秘話です。その鴻池が、いま、国会で、この国の存亡を決める重大な局面で、委員長をやっている。歴史の巡りの奇縁だ。刮目! 御意でなからずんば、如何に!その先は書かぬ。

無題2

2015年09月03日 23時29分50秒 | ソウルボート著者紹介
Facebookなるもんに、しばし、旅しておりました。

それはそれで。。。

時、刻々と、人間の世のうらがわで、諸処もろもろの事ごとが。

その総和、総体を、みなが受けるわけで、

それ、そうだ。

どうなるか、それは、個々で、おのおの。

おもしろき世の中に、行き、生き、生かされ、生き、それ、人生というものだろう。

たった、ひと呼吸で、去るもんもいれば、そうでないもんもいる。

長さか、たまさか、短さか。


ひろしま

2015年08月19日 23時20分59秒 | ソウルボート著者紹介
広島原爆投下の14年後、ぼくは広島市内で生まれました。

ぼくが広島に原爆というものが落とされたのを知ったのは、それから9年後、小学校4年生の頃でした。

学校課外授業で、平和公園へ行き、原爆資料館を見学してのことでした。

それまで、ふだんの生活で大人達から、原爆の話は聞いたこともなかった。

原爆資料館を見学したけれど、先生たちが原爆について多くを語った記憶もありません。

ただ、資料館に展示されていた、ケロイド人形がゆうれいのように怖かった。

生徒達ぼくらは、ワーっと声を上げて、資料館から出た。

小学生のぼくたちは、その後、資料館を、ゆうれい屋敷と呼んでいた。

大人達は多くを語ろうとしない。いまも語らない。

なぜだろう?

ゆうれいが怖いからだろうか?

ゆうれいになるのが怖いのだろう。

だから、どれもこれもなかったことにしたいのだろう。

311も、同じだろうと想う。

人は、経験したことか、いま自分に降り掛かっていること、その他は他人事というのが基本ですね。

経験というのは、戦争体験があるとかないとかではなくて、戦争に関して、思い至る経験があるかないか。

たとえば事故に遭って死に直面したとか、同乗者を殺してしまったとか、そういう死の体験があって、リアルを感じる。

また、そういう体験がなくても、人の生き死にを想う人というのは、何かの理由があって、他人事も自分事と感じるのでしょう。

とにかく、リアルを感じる人というのは、戦争を理屈では語れない。

だから、国会で語られているのは、リアルの外の感覚でしょう。

いま、議事堂に空爆があるやという場面で、ミサイルは武器ではなく、弾薬であるなどと語れる筈も無い。

ネットであれこれも、リアルはありません。頬に、胸に、熱さ痛さを感じるリアル。

小学生のころ、毎日のように鼻血が出ていた被爆二世より。

戦の匂いがぷんぷん

2015年04月01日 00時01分16秒 | ソウルボート著者紹介
戦(いくさ)というものは、偶然に起こる事は無い。

必ず意図仕掛けがあり、その為に工作を行う。

古くは、三国志。トロイの木馬しかり。近代では真珠湾も、キントン湾事件も、枚挙にいとま無し。

力ある者の命に従い、工作員が動き、仕掛け、戦を起こしている。

そんな事の知る由もなく、外に放り置かれる民衆は、ただ、唖然と戦に飲み込まれる。

また、多少知る者においては、どうしようもないと諦めている。

あるいは戦いたいと熱望する者もいる。

そういう事ごとが集積され、破壊、壊滅的な戦が現実と成る。

人間はそれをくり返している。

後悔先に立たず。

後の祭り。

みんなでそうなるのだから、心置きなくやる事に致し方無し。

すでに、兵どもの夢の後。

夢とは何ぞや?

まとめのお山へ往きます

2014年10月09日 22時00分30秒 | ソウルボート著者紹介
今度の土曜日、石川県の白山へ。日本きっての霊山です。

三嶋神社から始まり、富士山へ行き、八ケ岳の権現岳へ登って、そのとき御嶽山が噴火して、渾身の祈りをしております。

そして、白山へ。

折しも、台風19号が迫っている。

どんと来い(笑)

果たすまで果てるまで。

産まれて来た何かを果たすまで。

ニギニギト コノハナサクヤト イワナガト

白山では菊理姫神(くくりひめのかみ)がお待ちです。

この世をくくり直せとおっしゃる。

まとめの祈り山旅です。




自然の神

2014年09月29日 21時57分45秒 | ソウルボート著者紹介


9月27、28日、八ケ岳の権現岳へ登りました。

ご縁での登山です。

時、同時、御嶽山が噴火しました。

権現岳には、岩永姫を祭った、お社があります。

その岩の上で、祈りました。

なにを祈ったのか。

和合。

大和は、大きな和を祈る民です。

その石(意志)が、固く固まったままで、血が流れる人が本来の人の姿で生きていないままです。

悲しみ苦しみ それはなぜか。

本来に生きていない生かされていないで生きているからです。

封印されていることにも気づかず、生きていればいつかはと時を松葉かり。

しかし、それでは、封印は解かれないのです。

人は聞きます。では、どうすればいいの?

どうすれば?

気がつかれていないのは、自分の心の奥底です。

そこに解く鍵がある。

その鍵を手に取れるのは、その人でしかない。

その鍵を取らなければ、開くことは、神にも出来ない約束です。

神をといえども、それはならず。

その貴重な仕組み。

私も、その鍵をずっと探して生きています。

岩のように、閉ざした、心を開く鍵です。

さあ。

あなたも。

祈りの祝詞を記します。

ニギニギト コノハナサクヤト イワナガト

(文意)

ニギニギト(ニニギノミコトにぎやかに) コノハナサクヤト(此花咲姫の華々しさと) イワナガト(岩永姫の心が花開く)

これが、日の本の大和合の祝詞です。



サラス 悲しみの地球へ

2014年08月30日 01時19分57秒 | ソウルボート著者紹介
顔をさらす。この地球へ。

わたしはプレアデス星団から来た。

どれくらい昔か、100億光年くらいと云っておこう。
一度、金星へ降りた。
それから、スキップで、月に寄った。

こんな話はキチガイとされるのはよくわかる。

それでいい。

それでいい時が来たから。

わたしは、古代ユダヤ系へ入った。

それは、1万年前の話だ。

それか
らの地球が大変だったから。

ひどい戦争を何度もなんどもくりかえして、肉体人間を殺して、魂をシャッフルしている。

なせ、そのようなことを、この人間がやっているかはよくわかっている。

魂を魂が乗り移る行為を繰り返している。

魂は、肉体に宿ったら、本来を忘れるから、魂のよりどころを求めて、それは、自覚以上の寂しさ、虚無だから、苦しくて、そうする。みな。

しかし、この世地球へ降りて来たわれわれ魂は、忘却の契約でチケットを得たのだから、それに従うしかない。

洗脳という、今の世界の行為は当たり前で稚拙だ。それ以前にわれわれは洗脳されて、それを条件に生まれて来た。つまり、知っていて、忘れる事を約束したのだ。

なぜ、約束したのか?

それを思い出してほしい。

あしたの、生きる糧を得る仕事にためにも。

魂の旅へ。ボンボヤージュ!

ソウルボート航海記 地球グレゴリオ暦2014.8.30

ふたたび

2014年03月09日 22時31分14秒 | ソウルボート著者紹介
どうしたら、この長い歴史の意識操作を解除できるのだろうか。それをずっと想っている。気づけよ、民よ。

私のルーツは、120年前までの名は、遊田といった。ゆうでんと読ませているが、本当はゆうだ。音を詰めれば、ゆだ=ユダ。

信じようが信じまいが、1800年ほど前に、大陸から渡ってきた、ユダ族の末裔であろう。それが、安芸の地に根ざして、旧家として生きてきたが、菅原も寄ったし、源氏も寄って、何かを確かめていた。

旧約のユダの、後に変えられてしまったイズラエルの地の物語を誰も知らない。本当の歴史は違う。新約聖書はほとんどが改ざんされて、知るよしもない。

いわんや、この地の民が知るよしもない話だ。

ユダヤと呼ばれし民は、アシュケナージュの白ユダヤではないのだ。金融をむさぼっている少数の連中とは関係がないのだ。

嘘で創られる歴史がある。それが今の世界の常識となっている。

今、これを書いているのは、もう、それほど時間がないからである。

今まで、決して語らなかった話だ。

もう、言葉の情報に頼っている間は無い。

自分の感性、感覚を発露するしかない。

ソウルボートで書かれた話の、後に大事となる人だから助けようというのは、ここで書いている話を伝えるためだった。

知覚してほしい。あなたたちが目覚めるしか、この世界をすこやかな地にするすべはないのだ。

それをいうために、私はいままで生きてきた。それだけなのだ。あなたが目覚めなさい。ほんとうに感じることを正直に生きなさい。

今ある地位や名誉や金銭の悪夢から、解き放たれんことを願う。

あなたのなかの神を呼び起こしなさい。

多くの、真摯なキリスト教者が語るように、多くの仏教者が語るように、多くのイスラム教者が語るように、真摯に誠意をもって語られる言葉に偽りはないのだ。そうではない人々が運用を間違えているだけだ。

もう、間はない。

それを忘れることのないよう願う。

明日、世界は変わる。

ローリング ザ ボール 522

2012年05月22日 22時44分07秒 | ソウルボート著者紹介
エブリシングス オーケー

ずっと忘れていたサウンドを聴いて、そうだ、音だ。
音が、耳から入って来て、わたしを、誘う。
ずっと忘れていた音が、雨音のように、染み入って、
涙になって、こころのまわりに流れ込む。

おぼれればいい

大粒の水滴の洪水だ。

サウンドが水だ。

流れればいい

ちくちく刺す

ひらひら踊る

とん、と押す

なめらかに舐める

ローリング ザ ボール

わたしがボールだ。

ころんころん

ボールだ。