『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

大歳神その3

2009年06月07日 14時54分02秒 | 未知への扉
ニギハヤヒという神さまが気にはなるのだが、当時、私にはやらなければならない事があった。郷里広島の先祖調べと供養である。物事には順番があり、神仏に関しては、まず、先祖事からやらねば次に進むことはできない。まずは、仏の世界、先祖事からである。父と一緒に県北の山中へ行って、その昔に行方不明となった先祖探しや、実家の墓参りを繰り返し、数年が経った。やるところまでやったという実感があり、その段階で、「次へ進ませてほしい」と山の墓で祈った。

あの時は墓の前で、独りで供物を肴に酒を飲み、谷に向かって大声で唄った。「山~も畑~も、銭金かあ~、ふる~さと売って、銭金かあ~」と、即興の歌だった。その歌に、銭金音頭と名付けた。なぜ、そんな変な歌を唄ったのか。経済バブル時代、西風新都市計画などと呼ばれた山林土地開発で、さんざん買収された古里の山谷が悲しかったからだ。

それからであった。私に奈良・三輪山へ行く機会が到来した。初めて行ったのは、2006年7月22日のことだ。大阪へ出張が入り、その足で奈良へ行けることになった。和歌山・田辺の友人に声をかけると、車を出して同行してくれることになった。その友人は宮古島へ行ったこともあり、こうしたことに理解のある人間だ。大阪で落ち合い、奈良へ向かった。

まずは、大神神社(おおみわじんじゃ)へ参拝をすませ、奥の院の三輪山へのぼることにした。三輪山そのものが御神体であり、麓の神社はいわば遙拝場であり、それが日本の神社の原形といわれている。拝殿あるいは社殿は、そこから神を拝むのだと考えればいい。神という超自然は、お社の中にちんまりいらっしゃるような存在ではないのですね(笑)

(つづく)