『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

宮古島の神とシャーマン

2012年10月28日 17時29分03秒 | 核の無い世界へ


宮古島の神とシャーマン

10月27日(土)、10:00~17:00 明治大学で、シンポジウム「宮古島の神とシャーマン」が開かれ、参加してきました。「宮古島の神と森を考える会」主催で、民俗学者の谷川健一氏、明治大学教授の居駒永幸氏らの講演を聞き、宮古島からのカンカカリャ(シャーマン)の話を聞き、午後からは、祭儀でうたわれる神歌を拝聴しました。会場には、大教室満杯の人が詰めかけ、大入り大盛況。私は関係者席に座らせてもらい、最前列で講演を聞きました。

当会は谷川健一氏が1994年に立ち上げたもので、宮古島の森が激減(16%)している実態を知り、島の村々にある神を祀る御嶽(うたき)が消えることを危惧して興した研究会です。

明治時代に菌類学者の南方熊楠が、神社の杜を護ることの重要性を説き、杜を護ることは日本民族の精神性を護ることだと付言した歴史があります。杜(森)には菌類や様々な生物が蘇生することで、その磁場空間を新生(神聖)とするわけで、それを失えば、神の座が失われることになります。

明治に始まった近代合理主義が、村々の小さな社(やしろ)を、大きな神社に合祀させていくなかで、南方熊楠は、合理主義に危険を感じ取っていたと思います。それから100年余りの間、その合理主義が一体どれほどの破壊をもたらしたか。南方の予想を遙かに超えたと言えるかもしれません。

宮古島の神と森を護ることの意義は、南島研究者にとって、それは南方が激しく訴えたこととまったく同質です。南島世界に古代からの信仰と空間が維持され続けていることを知っている者にとって、それを失えば、もう修復が不可能となるといった危惧は、合理主義で頭が固まった者たちには想像がつかないことだろうと思います。

宮古島のシャーマンと縁を結んだ私としても、実に、危惧することであり、日本人は合理という呪縛から解放されなければ、今後の世界は非常に貧しいものにどんどん転化してしまうだろうと観じられます。

【根間忠彦氏のメッセージ】

今回参加したシャーマンのひとり、根間忠彦氏とは8年ぶりの再会でした。シンポの前夜と当日の夜の二回、酒席をともにさせて頂き、忌憚なくおおいに語り明かしました。

「いま、世界がどんどん汚染されて、神はとても嘆き悲しんでいる。このままいけば世界の半分が消えていくが、それでいいのか」。根間さんは自らに語りかける神からそう問い掛けられていると言います。なんとか食い止めたいと願い、島中の御嶽を祈り歩き、この世の行く末を按じていると言います。そして、私には、子ども達へ伝えるメッセージを書いてほしいと申されます。

家に帰り、8年前の手帖を開くと、すでに、根間さんから宮古島で同じメッセージを受けていました。「宮古島は鏡であるから、それを学んで、子ども達にその美しさを伝えてください。このままでは世界が汚染される。それを伝えなさい」

そう、ノートに書いてあり、赤線を引いていました。忘れていたわけではありませんが、改めて読み返してみて、やはり驚いたのです。福島第一原発で事故が起こり、放射能汚染が起こって、子ども達へとんでもないダメージを与え続けているではなか! 放射線は微量でも遺伝子を傷つけ、染色体異常をきたすことは医学者でなくともすでに承知のことです。大丈夫だろうではすまされないのです。

今日、カナダで7.7の大地震が起こりました。世界が揺れ始めています。福島第一原発4号機が心配です。1500本余りの燃料棒が倒壊すれば、どんな事態を招くか。先週、「原子力と日本病」の著者、村田光平氏の講演を聞いて来ましたが、やはり福島第一原発4号機を最も危惧されていました。放射能火災を起こせば、人が近づくことが出来なくなり、福島第一原発そのものがコントロール出来なくなる。米国製の特殊な消化薬は用意されてはいるが、事態は火急なのだと。

しかし、世間一般で、その事態を知らない人が多いのです。テレビ新聞で大きく伝えないからです。少しでも話を聞いてくれそうな人には、度々、この話を伝えています。ですから、あなたもこの事実を知ってほしいと思います。

この先、どうなるのか、私にもわかりません。ですが、出来る限り伝える努力をします。そして祈ります。「神一厘の仕組み」を信じて。

人×70億人

2012年10月17日 22時53分13秒 | 航海日誌
人人人人人人人人人 人×70億人が世界じゅうの人だとか。
そんな数なんか、計りしれん。

でも、その人人人が、ひとつの無意識で繋がっていて、その根っ子に地球の大きさがあって、その正体が、たったの、ひとつだったら。

一個の細胞から分裂して、億万個の個体が生まれたという生物の話のように、1から始まって、数になったとしたら、それって、なんだろうか。

分裂して、人が数になって、分裂した行動して、分裂した意識になって、いいのわるいのの、ののしりあいをして、それって、なんだろうか。

開いて結んで、たったそれだけの。この地球で。

それって、祝福の、遊びじゃないのか。

生きている今が幸せか。

そんな気がするな。

忘れてるんだもの。

祈りの巡り旅

2012年10月14日 19時00分24秒 | 航海日誌
             出口春日さんと


開き結びの旅

10月7日、8日、京都府綾部の地へ8年ぶりに参り、「みやびの祭り」に参加してきました。

綾部は、「大本」の聖地です。合気道の方々ならご存じでしょう。出口王仁三郎翁が、植芝盛平翁に、「あんたは合気道で愛善の道をやりなはれ」と云われ、開祖はこの地でしばし合気道道場を開いておられました。

この綾部で、初めて、宗教儀式の流れとは赴きをかくす祭りが開かれました。信者さんに限らず、この大和を自然を慈しむ方々の集いであり、祈りであり、催事による賑わいでした。

わたしは、出口春日さんの御縁で、この祭りに参加させて頂きました。合気道を志す者として、大和の神々を奉る者として、御縁を結ばさせて頂いたのです。

さて、綾部へ向かう前のこと、広島に仕事がらみで帰郷した折、旧友にと酒を飲んでいてこの祭りの話をしたところ、同行したいといわれ、またそれが多分に嬉しくもあり、二人旅となりました。

7日の夕刻に綾部に着き、道も不案内なままで、列車を乗り継ぎ、降りた無人駅から歩いて里山に入っていくと、赤い鳥居の導きで会場に出るといった体験もありました。

会場では、なかなか出口さんにお会いすることができず、ままよと舞台の様子を眺めておりました。そこへ、どこからか、ぽんと現れたのが出口春日さんでした。彼女はもちろん大本の流れを汲むお方です。私が訪ねたことを喜んで頂け、こちらも感激ひとしお。

これまでメールのやり取りはさせてもらっていましたが、お会いするのは初めてでした。お話を聞きたい、話したいことも山のようでしたが、祭りの最中。まあ、多くを語らないでも通じていると思いました。

長崎~広島を巡って

今回の綾部への旅は、いつになく私にとって特別なものでした。その2週前に仕事で長崎へ向かい、翌週は広島へという流れは、私の中では被曝地への祈りの巡礼でした。

10年前に、広島~長崎への祈りの旅をしており、今回はその逆で長崎~広島へと巡るというのは、おおきく8の字を描いくイメージがあり、最後に綾部で「、」を打つ感覚があったからです。

実は、その意味するところは、この私にもよくは分からないのですが、自然とそういう流れに乗って動くということなので、理屈では解説し難い事ではあります。

しかし、頭で考えずに自然に従ってそうなるというもので、これも、まあ、私のいつものひとり神事といってもさしつかえなかろうかと思います。

ただ、こころの中には、広島も長崎も、そして福島も、いえ、広くこの日本が今、放射能という人の手で生んだ禍害に対して、苦しんでおり、それを浄化せずにはおれない心境からの祈りが止んだことはありません。

綾部で出口春日さんにお会いして、なにか、深く喜びを感じたのは、ぐるり巡っての先に、清々しい一輪の花を見たような感慨でありました。

みやびの祭りは、感謝の祭り。命を頂いていることの感謝です。

さて、最後に、蛇足か・・・とも思ったのですが、旅の友が「天橋立を観たことがないので行ってみたい」と申して、ならば同行するかとなり、綾部を少し早く発って日本海側へ出ました。

で、連絡船で対岸に渡ってみて、おお、ここにはあの、元伊勢と呼ばれる「籠神社(このじんじゃ)」が鎮座したおるではないか! 何度も伊勢神宮へは参拝していて、しかし、倭姫さんが出立されたこの神社へはいつかはと思っていた私は、そうはいっても、ここだとハッキリ知らないままだったわけです。まあ、これもお導きじゃろうと。

お参りをすませ、由緒略記を手にしてみると、大和の親神ニギハヤヒ命が祀られておるとわかってますます嬉し嬉しの小生でした。ニギハヤヒさんは、スサノオ命の第5子という説を私は理解しておるものですから、それで何度か奈良・大三輪へお参りしていて、ここへ繋がったと、嬉しいのです。

まあ、取り留めもなく書きましたが、ご理解くださる方々もいらっしゃるといった独りよがりな日記のようなものです。

とにかく、無事に巡り旅を終え、東京に帰ったら、エネルギーが切れて2日ほど倒れておりましたというのが、オチといえばオチでしょうか(笑)

また、歩く季節がやって参りました。また、一歩です。