『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

龍の年に伝える事3

2012年01月07日 12時31分47秒 | 未知への扉
【先に見える印象風景】

私たちは、どこから来て、どこへゆくのか・・・
そのことをずっとこのブログで書いてきました。どこから来たのかも不明、どこへゆくのかも不明。その字のごとく、明かりを失ったかのような話ですが、無明ではないと。

前回、見えないものを見る心の話をしました。その象徴の一つが龍であると。今年はその龍の年です。日本列島の形状は、龍に喩えられることがあります。われわれは龍に住む民だと。中国は眠れる獅子と呼ばれましたが、日本人は眠れる龍とイメージできます。未だ眠っている。

もう何年も前から、その日本は龍のごとく大地を揺らし、眠りから覚めると云われて来ました。去年から大きく揺れ始め、龍体をゆさぶり、永い眠りから覚めようとしています。

人間にとっては、地震活動期です。揺れれば、そこにのかっているものは壊れます。今までの常識も壊れていきます。壊れることは人にとっては元凶です。しかし、それは転換であり、新生への胎動です。

この人間界も長らく定着していました。腐敗の匂いも漂います。生命体としての新生が、起こるには、大祓(おおはらい)が必至であり、すべてに禊ぎ(みそぎ)のおこないが興ります。それが今です。

災いは転じるのです。しかし、その前に災いを「大難を小難に」変えることが求められます。いかに、いかに。一人ひとりが心を清め浄化することに尽きます。容易いことではないのはよくわかります。しかし、すべてはそこから始まります。

その人の色はその人の周囲に映り、互いに染め合っています。それが連携して世の中の色があります。どこか他方をみて、色を変えようと考えても変わらないのです。変わるのはその人の色です。

そして、これからたくさんの転換変化がみられることでしょう。梅は一輪一輪が蕾を開き、世界に色を映します。やがて咲き誇るすべてが、この世の景色を変えるでしょう。三千世界に梅の花が咲くのです。


龍の年に伝える事2

2012年01月04日 12時41分04秒 | 未知への扉
初めに龍の話を少しします。

龍はいると思いますか? ネバーエンディング・ストーリーの白龍、ファルコンのような大空を翔る龍です。いるわけがない? でも、龍を見た。龍はいるという人もいます。その人には龍が見えるのかもしれません。

私の場合は、龍の形象が見えることがあります。下北半島の大空で見たし、奈良の三輪山、鳥取大山麓の天の真名井では、清水の中から私をじっと見つめていました。写真に撮ると、それがまたハッキリ顔で(笑)

龍に出会うと、これからおじゃましますのでと断りをして、きちんと挨拶します。アニミズム精神、あるいは古神道に則っての作法です。

神道では、龍を眷属(けんぞく:神の遣い)として礼を尽くします。また、お寺でも、龍は化身として本堂をお守りしています。

ですから、動物存在として龍がいるいないの話ではなく、象徴の龍の話です。風水思想では、龍脈といって、地のエネルギーを龍に喩えて捉えます。地中を流れる気脈が地上に吹き上がる場所を「龍穴(りゅうけつ)」と呼びます。その場所はみなぎる力に満ちており、敏感な人は立ってはいられないほどです。古社などはそういう場所に建てられたものが多いのです。

では、その象徴としての龍は、どこからその姿が生まれたのか。龍は伝説です。その伝説は、古代に遡ります。そう、恐竜の時代。大地を闊歩した龍もいれば、海へ還った龍もいたし、空へ上がった龍、翼龍もいました。人間はそれらの龍を見ていて、記憶している。それはそれは力強い生きものでした。かれらがこの世界から姿を消しても、人類の記憶には残っています。

それが象徴の龍です。その龍に畏れを抱くのは太古の記憶からものと思えます。去年、ブータン国王が訪日し、龍は存在するかのように語りました。龍に畏敬の念を抱く国王に違和感はありません。神秘の国ブータンの方ですから。かれは仏教徒なので、その象徴として龍を見ているのでしょう。

【見る事とは】
では、龍という形象でいったい何を見ているのか。風水でいうところの龍脈でしょうか。自然界のエネルギーの流れでしょうか。そうともいえますが、もう少しニュアンスの違う面があります。

神道的にいえば、やはり眷属としての龍です。その地を護っている。そこにはある意識ないし、意志があるといってもいい。だから無闇に踏み込んではならない。こちらがそういう精神でいれば、見えるのです。シャーマンは見て、読み取りをします。そんなものはいるはずがないと否定すれば見えません。

言葉を換えれば、見たいものを人は見るともいえます。目に映るものは信じますが、映らないものは信じないのが人間です。私はときに霊体を見ることがありますが、それを人に見せることはできません。ですから実在するという言い方はできません。私にとっては見えるといえるだけです。

では、なぜそのようなものが見えるのか。この世は物質的なものだけで成り立っているのではないと想っているからです。誰でも見えないものもあると知っていますが、その見えないものを見る人々もいるのです。見える人はなんとかそれを伝えようと思います。けれども、それが叶わないことのほうが多いのです。

見えるその先に、なにがあるのか・・・

(つづく)


龍の年に伝える事1

2012年01月03日 17時08分42秒 | 未知への扉
改めて、明けましておめでとうございます。

本日は、今まで語らなかった話を書きます。

2000年初頭から、この2012年とはどんな年だろうかと想っていました。フォトン・ベルトの話題がネットや本で語られるようになり、銀河宇宙の周期で、この太陽系は26000年ぶりにフォトン(光子)の帯に突入し、そこで人類はどんな大転換を向かえるか・・・といったものです。マヤ暦も、2012年12月で終わっているので、地球になにか大きな変化が起こるのではないかと、一部の人々の間で囁かれるようになりました。

正直、私もその頃は、その説に興味をもって関係書籍を読みあさっていました。でも、結論などあるはずもなく、しかし、なにか世界規模のカタストロフィーが起こる可能性も否定できないと感じていました。私が沖縄でお世話になったシャーマンも、2005年頃、これから世界は大変な時代を迎えるから、心しなければならないと云っていました。また、熊野の仙人と呼ばれる人物も、同様のことを話していました。

かれらが語ったことは、「心を清らかに、浄化しておくこと」というものでした。そして、その同じ時期に、神道系の旧友から誘われ、下北半島へ浄化の旅をすることになりました。六ヶ所村の辺りで、「北の柱建て」の神事をしなければならないから手伝ってくれというものです。私は神主でもシャーマンでもないので、興味本位で行く気は毛頭ありません。しかし、沖縄のシャーマンに尋ねてみたところ、私にも「浄化」の役があるというのです。ヒロシマ生まれで被爆二世の私は、自分にもそういう因縁があるのかと想い、素直に同行しました。

まず、むつ市の総鎮守へお詣りに行き、神主さんに主旨を話し、正式参拝を終えました。次に、核燃料処理場のある六ヶ所村へ赴き、その土地の氏神さんをお詣りし終えてから数キロ離れた海岸線の林のそばまで行き当たり、そこで古神道に則った神事をおこないました。私は大祓祝詞を念じるばかりでした。とにかく、ここで浄化しておかねばという想いだけです。この旅は、なにが目的なのか、頭でわかる理屈を超えていました。

私はオモシロ半分でこういった事を人に語ることはしません。このような神事は陰ながらのおこないです。ですから、親しい人にもここでの話はしていません。しかし、あえて今この話を皆さんにすることにしたのは、去年の3.11による原発事故が起こったからです。とても重大な時期に入ったので、縁在る方々に知っていただきたい。

いま想えば、6年ほど前に下北半島へ浄化の旅に出たのは、実に象徴的な出来事だったと感じます。六ヶ所村核燃料再処理工場は、日本の原発で出される核廃棄物の最終地点であり、ここが地震に襲われれば、地球全域が汚染されてしまうほどのものです。そのような事が起こらぬよう、地の龍を治めねばという想いでした。六カ所村での神事を終え、下北半島の先端へ行くと、青い空に細く長い雲が南西から北東へ伸びていました。ひとめで、龍の姿とわかりました。形象として現れるのです。

そして、20011年3月11日、東北大震災が起こり、福島第一原発が壊れて放射能汚染が広がりました。下北半島へ赴いたとき、私には放射能を浄化せねばという想いが強くありました。祈りで放射能が浄化できればスーパーマンですが、そんな話ではありません。これには人間にとって今後どう生きなければならないかの、深い意味があるのです。

辰年に入った今、その話をしようと思います。

(つづく)


メメントモリ3

2010年10月18日 10時01分11秒 | 未知への扉
人は必ず死ぬ。これほどの常識はありません。が、ふだんは問わず語らずの常識です。

さて、ここで非常識なことを言います。人は死なない。死ぬと言っているのは、肉体のことであり、つまり、死とは肉体の終わりです。私なら私という者の肉体が生命活動を終わらせて、土に還るということです。そのことを死と呼んでいる。

肉体は物質です。形を変えて自然へ還元されますから、ほんとうに消え去るわけではありません。有り様が変わるだけです。その意味からすると、死は、一個体の終わりですが、変転です。

では、「私」と感じる精神は、どこへ行くのでしょうか? 

私もこの疑問を長年、考えてきました。東西の本を読んで、どこかに答えが書かれてないか調べました。このテーマを通常、科学は扱っていませんから、ほとんど宗教関係の書か、精神世界の本です。

それらの本で語られるのは、やはり「死」は肉体の終わりであって、魂(精神)の終わりではないということです。ただし、肉体の死後、魂あるいは精神がどのようになり、どこへ行くのかの表現はさまざまです。文化の相違で表現イメージが違う。日本昔話に出てくるような草花咲く山谷にご先祖が待っているとか、深山渓谷に霞みがかる仙境とか、美しい神殿のようなところとか。それでも、共通するのは、肉体を離れ、どこかへ行くというパターンは同じ。死は、魂にとって終わりではないということでした。

たとえば仏教の輪廻思想ですが、極楽浄土へ帰り、御縁を頂いてまた生まれ変わる。われわれ日本人はなんとなくでも、そうなのかなと思っている。しかし、ふだんは忘れて生きています。生きていることで精一杯です。死を想うことはほとんどありません。それでいいわけです。今、死ぬかどうかと考え続けるのは健常な事ではありません。私も、ふだんは忘れています(笑)。

忘れていますが、死を想うとことをないがしろにしていると、生きていることも希薄になる。こうして生きていられるのを有り難いと思えるのは、死を想うことからの想起だからです。生と死の間に時間が流れている。それを人生と言います。人は必ず死ぬというのは、この時間が終わるということなのです。映画なら2時間のドラマのように、その固有のドラマが、ああ、いい物語だったと感じるか、つまらなかったと思うか、ドラマ中の主人公である「私」次第ですね。しかも監督も自分です。だったら面白くしなきゃ、もったいない。生きている間を思い切り生ききりたい。そう思います。


メメントモリ2

2010年10月17日 16時17分16秒 | 未知への扉
記憶とは、面白いものです。久しぶりに食べた鰻丼が旨いと感じつつ、食べ終わると忘れていますが、ちゃんと記憶されていて、ふとまた鰻丼が食べたくなる。これと同じように、生活中のどんなことも、記憶していますが、ふだんは忘れています。その繰り返し。嫌なこと辛いことも、喉元過ぎれば熱さを忘れるです。忘れてまた、リフレッシュできます。

人により、この記憶のリピート度合いは差がありますが、基本的には同じパターンです。経験は記憶され、その時の喜びや辛苦は、継続しないようにできている。なぜ、そうなるのか? そこに時間というものが介在しているからです。私たちは生まれて来て、死に至るまで、何度もいろいろなことを味わえる「恩寵」をもらっている。それが「時間」というものの成せる技のようです。

昨日、書いた私の体験談では、身体を離れると、時間感覚が在りませんでした。精神だけが思考する感覚です。空間も時間もなく、ゆえにその精神を圧迫する要因がない。ただ、思考があるだけです。時空間が介在しないので、過去や未来からも完全に独立しています。悩みも何もありません。いっけん素晴らしいことのように思えるかもしれませんが、そんなことではなかった。ああ、また鰻丼が食べたいなどという思いも湧いてこない。第一、身体がないのだから腹も空かない。暑くも寒くもない。精神に影響を与える要素が何もない。

それはまるでコンピュータの中にいるデータのようなものといえるかもしれません。そのデータをもとにすべてが思考できるが、実態がないので何も感じないのです。無味乾燥。でも、データ上のすべてがわかる。面白くもなんともありません。ですから、「生」というものは、「時間」という「もの」の内で、精神がさまざまな体験を謳歌できる約束となっているのでしょう。身体は、そのための乗り舟なのです。だから、この貴重な期間を味わえる身体を与えてくれた親に、先祖に感謝するのは当然のことです。死を体験して想った、忘れていたこととは、このことでした。


メメントモリ

2010年10月16日 14時05分03秒 | 未知への扉
今から4年前の話。10月1日未明、原因不明で右膝下が倍に腫れ上がって激痛に苦しみ、朝、亀のように這って家を出て、新宿区の某大病院へ。「これは痛風の腫れかもしれませんな」。40歳後半の私と同年配の医師が、痛風の可能性が高いといわんばかりに、「その体格ですからね」と、だめ押しコメント。そうか、やっぱりおれもついにアレか。「一通り検査しましょう」と、まず採血。その結果で痛風かどうかがわかる。2時間待ちました。「数値の結果では、痛風ではありませんでしたねぇ」。どこか残念そうに聞こえるのは気のせいか。

抗生剤を点滴するしかない、ということで即、入院。原因は菌が皮下に入って繁殖して腫れたということだが、傷もないし、どこから進入したのかは不明。痛風が疑われたくらいだから、触れば激痛が走る。ベッドに横たわり、ひたすら点滴。8日間、抗生剤を打ち放しで、体内に45リットルが注入された。

さて、この入院で私は奇妙な体験をしたのだ。あれは確か、腫れがピークに達し、熱が40度を超えた3日目の夜のベッドでのことだ。足の痛さと熱にグッタリして、意識が遠のき、自分がどこにいるのかさえ不明になりそうだった。すると、自分の頭の中から意識が流出(そんな感じ)し、病室の天井付近に在った。激痛にさいなまれる身体から出て、何の痛みも苦しみもない。

「ややっ、これは幽体離脱というやつだ!」と思った。立花隆の『臨死体験』という本を読んでいたから、自分もその体験をしているのだろうと、中空にいながら考え、その実感を味わおうという余裕もあった。その感覚とは、痛みもなければ、あらゆる苦悩(借金の悩みとか、人間関係とか諸々すべて)から精神が解放された状態だ。つまり肉体的束縛というものが一切ない。この感覚は実に奇妙で、生まれてこの方、感じたことのないものだった。

次に感じたことは、この真空的な精神の有り様というものについてだった。確かに何の悩みもないが、あまりにも真っ白けで、ちっとも面白味というものが無い。つまり、感動も喜びも無い。だた、純粋に精神があって、非常にクリアな思考感覚だけがある。この状態というのは超人的なのだ。しかし、喜怒哀楽のない精神というものが、まさしく無味乾燥で、こんなにも詰まらないものかと。なるほど、そういうものなのだなと中空で認識していた。

そういった事々を天井付近で思考し、私はまた激痛と高熱にさいなまれる我が身へ戻った。とたんに怒濤のごとく「生」が復活し、ああ、勘弁してくれと泣きそうなりながら、それでも生きていてよかった。有り難いと思った。生きているということは、喜怒哀楽を味わえるということにほかならない。肉体に生きているからこそ味わえるのですなあ。

9日目、退院となり、担当医が「今だから言いますけど、菌をやっつけようと白血球がふうつの3~4培も増えてましたからね。身体が持たない。体力のない老人だったら死んでいましたよ」

どうやら、やはり私は死にぞこなったのだ。あのピーク時に、ニア・デスにあって、生と死の狭間を体験したようである。純粋な精神は超然としているが、面白味というものがまったくないということがハッキリした。酸いも甘いも何でもかんでも、実感できることの喜び! 生きていて有り難いと、生きている間ずっと感謝し続けるのは、そういうわけである。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


意識の伝播

2010年09月18日 10時05分07秒 | 未知への扉
イギリスの生物学者、亡きライアル・ワトソンは、一般向けの著作で霊魂や超能力に言及したお陰で、オカルト学者のレッテルを貼られたが、80年代の日本ではなかなか人気が出て、雑誌ブルータスなどに連載していた。

かくいう私もファンのひとりだった。生物学者でありながら、既存科学の枠を飛び越えて、仮説世界を闊歩した。霊の存在を肯定的に捉えたが、あくまでも科学的思考で論述に努めた。学者だから当然ではあるが。

私はワトソンが論述する仮説に魅了されたが、なかでも彼が名付けた「コンティンジョン・システム」という仮説に興味を覚えた。例えば魚の群れが一瞬にして方向転回できるのは、相互のコミュニケーションシステムを持っているからとし、ただし、それは超ハイスピードで伝達させることのできる未発見のシステムだと考えられるとした。

離れている者どうしが瞬時に意思疎通できるシステムだ。人間でいえば、テレパシーである。この言葉を使った瞬間、オカルトになるが。そんなもの眉唾というのが一般通念である。では、まるでひとつの生命体のように数万匹のアジの群れが一瞬で方向を変えることができるのはなぜか、生物学では説明がない。しかし、そのように行動できるのだからシステムがあることを否定できない。なぜだか、わからないのだ。だから仮説を立てるのだ。

生物には同種間での意志伝達システムがあってしかりだろう。人間は電話やネット回線を使用して、それをやっているが、こんな話もある。
「アラスカのネイティブの猟師が、今こちらに犬ぞりで2人の仲間がこのキャンプに向かっていると、その様子を事細かに言ったんだ。ボクも視力2.0以上で500m先も見えるから雪原に目を凝らしたんだけど、どこにも見えなかった。そうしたら本当にその通り現れたよ。ただし、目の前に姿を現したのは2時間後だった」

この話を聞かせてくれたのは、作家のC.Wニコル氏だ。驚き、信じるしかなかったそうだ。人間にも本来的に生物としての能力が備わっていると考えてよさそうである。その能力が眠ってしまっているのが現代人というものだろう。この仮説が正しいなら、今現在われわれ人間は、無意識にどんな意志伝達、情報交換をしているのだろう。きっとそれは、ウソまやかしのない、本音。


どうしてうまれたの?

2010年05月12日 10時55分01秒 | 未知への扉

母親に率直な疑問をたずねる子どもは珍しくありません。「ねえ、ねえママ、わたしはどうしてうまれたの?」「ぼくはどうしてうまれたの?」

「それはねえ、コウノトリさんが」と答えるのが20世紀の定番でしたが、「ママとパパが愛し合ったからよ」というのもあります。最近は、何と答えているのか。このような質問をするのは、3歳~5歳児ですから、「精子と卵子が」とかと、具体的にセックス行為を説明する親は少ないでしょう。

さて、子どもの質問に戻ります。「どうして・・・うまれたの?」の、どうしては、どうやってと聞いているのではないのです。この私も同じ質問をした記憶が残っていて、母親は困った顔をしていました。そのときの私の感情は、「なぜ、自分は生まれてここにいるのか」でした。今ここにいるという、所在の意味をたずねているのでした。

親は自分たちのことから子どもの存在を考えるので、子どもができたことの原因や関係を答えてしまうのです。「パパと愛し合ったからよ」と。しかし、子どもがたずねているのは、なぜ、自分が存在しているのかという疑問。存在理由です。子どもは、大人が答えられない哲学的な質問をしているのです。

では、同じ質問に今どう答えることができるでしょうか。「どうしてうまれたの?」。その先にどんな答えがあるでしょうか。

パパとママが結婚して産まれたのだけど・・・どうしてって・・・それはたまたま・・・

私は、自分の息子が3歳頃に、逆にこんな質問をしてみました。そばでお昼寝をしていた子どもが目を覚ましたところです。

「なっちゃんが起きたら、たましいはどうなったの?」。むにゃむにゃと何か言っているので、もう一度同じ質問をしました。すると、こう答えたのです。

「ぼくがおきたら、寝ちゃったよ」


あの世の近況

2010年04月25日 14時49分08秒 | 未知への扉

父がこの世を去って、今月で丸3年が経った。桜満開の季節、終末医療の病院で最後の花見をして、あれよという間に逝ってしまった。その父が、亡くなって数ヶ月した頃、夢に現れた。姿はなく、声だけだった。電話を掛けてきたのだ。

「もしもし、そっちはどう?」と私。何か父が答える。よく聞き取れない。「何なんなの?」・・・すると、声がゆっくりになり、「ああー、つまらん」と、聞いたことがないほどの落胆した声だった。目が覚めてからも、この声がはっきり耳に残っていた。その「つまらん」という言葉にすべてが込められていた。

仏教で教えるところの、涅槃の手前に父はいるようだった。キリスト教では「煉獄」と呼ぶところか。そこは、人生回顧の部屋とでもしておこう。たった今まで生きていた前世を振り返り、自己審判をくだすのだという。

身体を持って生きていた時が、どんなに豊かな時間だったか。暑いも寒いも涼しいも、苦いも辛いも旨いも、感じることの出来る面白さ。身体を離れれば、純粋に思考のみとなり、感覚器官の醍醐味は消え去っている。私は何度か幽体離脱の経験があるから、それが理解できる。

生きているということは、まさしく身体の中に居て味わえる事々のすべてだ。魂は、この身体ごとの期間に成長が出来るといわれる。だから、人間として生まれてくるのだが、望んだとて簡単に生まれられるわけではない。あの世の諸々の約束事があって、それにパスして、やっとこさ人間になれるという。人間になりたい魂はごまんといるらしい。生まれて来られたことの貴重さ。有り難さ。その期間限定の人生を味わい尽くさなければ、勿体ない。生きていることが、あんなにも面白かったのか・・・

父のメッセージは、それを云っていた。


夢の観察者

2010年03月01日 08時14分58秒 | 未知への扉
もう何百年も昔のこと。シャム(タイ)に隣国が攻めてきて、兵士が都アユタヤの寺院も仏像も叩き壊した。破壊することが兵士の務めとでもいわんばかりに鉄のこん棒で釈迦の石像を打ちつけた。石像の首が地面に転がり落ちた。その後、時を経るなか、菩提樹の根が釈迦の首を抱きかかえ、さらに歳月を経て釈迦の体になっていった。

 巨木の根元にすっぽり埋まった釈迦の首・・・

私は腰をかがめ、菩提樹の体をもつお釈迦さんを見つめた。木は大事そうに首を幹に包んでいた。根本に小さな花が供えてあったが、とくべつ祀りあげられているふうでもなかった。かえって菩提樹の釈迦像を神々しいものにしている気がした。私は手を合わせ、その場を立ち去った。

 その翌日、バンコクのホテルでのことである。

ヨーロッパ系の航空会社が経営するホテルの快適なベッドの中、それは明け方の夢だったが、夢というにはあまりにもリアルな映像だった。ベッドから起き上がり、いま見たばかりのものを忘れてはいけないと思い、取材ノートに書き留めた。夢には『最良の日々』というタイトルがついていた。夢のスクリーンに、タイトルが浮かび、まるでモノクロ映画のようなシーンが流れていった。                          

-----------以下は取材ノートの原文のまま記す------------

夢の中の〈私〉がいる。〈私〉はあるグループに属している。そこで不思議な時間を生きている。時が永遠に続くことを理解し、自分の生命がある時点で宇宙へ帰っていくのを知っている。その時が訪れると、卵型のカプセルに乗り宇宙へ飛んでいくのだ。

メンバーは男女が12、3人くらいいる。血縁のようでもあり、そうでもないような、結束したなにかがある。〈輪廻転生〉を共有している人間たちのようにも思える。生まれて死んでまた生まれてと、ひとつのリズムで繰り返す、そのタイミングがほとんど同時期にある人間たち・・・
 メンバーのひとりに〈時〉が訪れた。動揺はない。準備をしなくてはならない。「そうか、あれに乗っていくのか」と、夢を見ている私はそう思う。シルバーに輝く美しい流線型の乗り物。何万年も時を駆けてきたシャトル。いや、ちがう、何万年という時の単位など超越している。全能の乗り物。メンバーのひとりが連れていかれようとしている。

男がグループの家を訪れてくる。庭に面した大窓にその姿が見え、玄関に立った男は無口だ。彼が来たことがその時の知らせ・・・シャトルに乗ってメンバーがいよいよ旅立つ。残るわれわれはこう思う。

「今回、彼は短かった」と。

そのことに寂しさは感じない。〈私〉が属するグループは、人生という時の有限性がひとつの区切りであり、それを包み込むもっと大きな人生〈メガ・ライフ〉があることを知っている。悲しみや寂しさを超えたところで、ただ事実だけを受け止める。体のほうはメンバーを送り出す準備に余念がなくスピーディに動いている。

メンバーがシャトルで飛び去る。それから〈私〉の精神に変化が起こる。旅立つ仲間に向けて「最良の日々たらんことを」と願う。〈私〉と一体になった私は、初めて時の流れというものを感じる。それは、生身の肉体をもった自分の、肉体への執着の念から生じるものであり、それが自然な感情の変化であることを知る。メンバーが去る瞬間にこころが動くのは、ふーっと息を吐く感覚だ。

この夢のビジュアルは、あまりにもリアルだ。キッチンの流し口につまったタマネギの臭いほどにも。(1998年4月18日)

タイで見た夢から4年が経過し、ふと気づいた。この夢は、もしかして、あの世の情景を映していたのではないか。メンバーは、あの世から、この世へ旅立った。だからあんなにも超然として見送ることができるのだ。たしかに、あの世からすれば、この世に旅立つことは〈死〉を意味するだろう。あの世で死んで、この世で生まれる。あれが輪廻転生の瞬間だったのか。私はあの世に行ってそんなものを見たのか・・・。
(私家版『ソウルボート』13章より抜粋)

『最良の日々』解説

10年前、取材で訪れたタイで見た私の夢は、「あの世」というものを自分が理解できるビジョンで見たのかも知れないと思っています。お釈迦さまの首に、なんらかの刺激を受けたのでしょうか。菩提樹の仏陀像があるアユタヤからバンコクへ移動し、その翌朝の夢でした。夢から覚める瞬間は、まばたきするくらいの速さでした。夢の内容をハッキリ覚えていたので、取材ノートに記したのです。

もっと細かな情景というものがありました。その家は平屋で、少し洋風ですが、基調はアジアンぽいとか。迎えに現れた男は、アルマーニ風のスーツ姿だったとか、そうした背景がありました。これらのシチュエーションは、私がすんなり受け入れられる舞台設定であって、夢なればこそ自由自在のもののようです。そうした、シチュエーションには大した意味はなく、むしろそこで感じ取られる「意味」に、重要なメッセージが込められていると思うのです。
 
鳥獣戯画で有名な京都・高山寺の明恵上人は、『夢の記』を数十年にもわたって書き残しています。私もそれに倣って、夢日記をつけています。たまに、これは正夢か!といったふしぎな夢も見ます。

1985年に起こった日航ジャンボ機、御巣鷹山墜落事故の夜に見た夢は、山の学校の校庭で、大人の女性と小学生の女の子が、校舎前の鉄棒の横に立って笑っていました。その翌日、搭乗員の女性と女の子の二人だけが奇跡的に助かったということを報道で知り、驚きました。しかも、遺体は山村の学校に一時収容されたということでした。あまりにも夢と現実が符合しているので、まさかと思いつつも、夢を否定できませんでした。ですから、夢は、ときに何かのメッセージを伝えることもあるのではないかというのが、私の考えです。

みなさんも、いろんな夢をご覧になると思いますが、気になる夢を書き留めておくと、あとで気がつく何かがあるかも知れません。

さて、今夜はどんな夢を見ることでしょう?


前世説

2009年10月02日 13時17分26秒 | 未知への扉

ふだんは考えないことですが、ふと、自分はどうして生まれて来たのだろうと思うことがあります。そして、自分はいつ自分としての意識をもったのか。オギャーと産まれた瞬間からなのか。お腹にいるときからとも言われますが、今は、覚えていません。いちばん古い記憶でも、2~3歳の頃の微かな記憶でしょうか。

ところが、お腹にいた記憶があるという人もいます。暗くて、でも暖かかったし、やすらぎがあったと。あるいは、生まれ出る瞬間の、行きたくないといった抵抗感を覚えているという人もいます。さらに・・・生まれて来る前の記憶、「前世の記憶」があるという人たちもいます。

ここまでになると、にわかに受け入れられる事ではないかも知れません。しかし、米国のギャラップ調査では約60%の人々が、前世説を信じているそうです。20年くらい前の調査だったと思いますから、現在どう変わったかは知りません。欧米はキリスト教圏ですが、新約聖書に「輪廻転生」は説かれていません。なのになぜ、それほど多数の人々が前世説を信じているのか。

実は、米国ではチャネラーと呼ばれる、一種の霊能者たちがおり、有名なのはエドガー・ケーシー(故人)がいます。何万人ものリーディング記録(被験者の魂の記録)が残され、ケーシー財団に保管され、今も研究されているそうです。セスやバシャールといった霊人をチャネリングした超有名チャネラーたちも人気です。また、チャネラーではありませんが、ロバート・モンロー博士(故人)も有名な存在で、音響研究から魂研究に入った博士です。ある波長を利用して一種の催眠状態へ導き、魂が抜け出して異次元を旅する体験を重ねています。ここも今でもモンロー研究所として活動しており、最近は日本でも書籍などで紹介され、知られるようになりました。関連して、精神科医らの研究も進んでおり、過去生を真剣に研究する学会まで存在しています。

面白いと思うのは、欧米では、これらの研究が、日本ほど「非科学的」と捉えられていないことです。もちろん懐疑的な人も多いでしょうが、財団や研究所を設けて広く社会的な存在として認知されているという状況は、日本とは異なります。欧米人の性質や宗教背景の違いと思えますが、たとえ自分は懐疑的であっても、そういった活動ないし、他者の思想を認めるという態度があるように思えます。また、「前世説」という仮説に対して、鵜呑みにはしないけれども、あくまで考えの異なる説として捉えているのではないかとも思えます。つまり、冷静な大人の態度といえましょうか。

さて、この日本ではどうか。「そんな非科学的な話を人前ですると、バカにされる」といった風潮があるように思えます。恐らく、私が当ブログで時々に書いているような話は、ふだんの話題に上らない内容だと思っています。最近では、「オーラの泉」などといった番組もあり、前世うんぬんも世間の言葉になってはいるようですが・・・

ところが、昭和以前、生まれ変わりは、別段おかしな話ではなかったようです。「悪人は動物に生まれ変わるぞ」とかと当たり前に言っていたのは、ものの喩えのように聞こえても、本心からの言葉が含まれていたように思います。つまり、最上級の戒め言葉として使ったわけで、そんなバカなと思うなら、通用しない言葉です。

仏教が、あの世を、浄土を説き、民衆はごくふつうにそう思って生きて来たわけで、非科学的などと考える土壌はありませんでした。変わったのは戦後でしょう。とくに60年代~80年代のモノの大量消費時代が顕著だったように感じます。見えない世界のことなど見ている暇がないくらいモノが溢れていましたから。まあ、しかし。モノもかつてのような価値を失い、いらないモノが増えて、今はまた、心の時代へ入っています。見えないものに何かを感じている人は増えているのではありませんか。「前世説」は、その最大の象徴でしょう。さて、では「来世」は?


尾瀬の山の神

2009年09月26日 12時53分46秒 | 未知への扉
       尾瀬の夕刻ひとり歩く。向こうに至仏山。その時!

一昨年の9月11日、10年ぶりに尾瀬へ行ったときの話です。午後に尾瀬ヶ原へ入り、ビジターセンターに立ち寄り、山荘に荷物を置いて夕食までの時間、独りで木道を歩きました。夏休みが終わり、人影もまばらで行き交う人も数人。広い尾瀬ヶ原を1時間も歩けば、もう誰もいませんでした。牛首という場所が尾瀬ヶ原の中間地点で、さらに木道をコツコツ鳴らせて2キロ歩き、竜宮まで行って折り返しました。時計の針は5時をまわり、辺りはうす暗くなっていました。

 おれは、この広い尾瀬ヶ原で、
 ぽつんと独りだ! 

人っ子ひとりいない大自然の中で、感覚が開放されました。すると、おかしなことに何だかむしょうに、股間のあたりが、むずむずむくむくし始めるのです。そんなこと初めての経験です。オイオイなんだよ、コレ? 男という生き物は視覚動物でして、女の方がいない場所で、そんなことにはなりません、ふつうは。 

ただ、山仲間から、そういう話は聞いたことがありました。「山の神って、女の神だから、男は自分の道祖神をさらすと喜ばれるんだってよ。山にいて、わけもなくそういうことになると、木こりや猟師たち山人はそうするんだそうだ」

山人にならいました。尾瀬ヶ原の真ん中で、おかしなことをしているなと思いつつも・・・それからロッジのある方へ木道を急いで歩きました。その方角には、至仏山がそびえています。そうか、あれは神の山だ。そう思い、自分の精神を広げるというか、祈るような感じで歩きながら山を眺めていると、にわかに空の雲が割れ、夕陽がさし込みはじめ、至仏山の谷間に、光の玉のような白いものが降りてきました。

その谷間の神々しい光景に、言葉にならない、何かエネルギーのようなものを感じました。山が笑うというか、喜ばれているような、受け入れられているような、そんな壮快な気分でした。

さて、翌日。ビジターセンターへもう一度、立ち寄ると、職員の人たちが朝から忙しそうにしています。昨日と様子がちがいます。
「今日は何かあるんですか?」
「今日9月12日は、至仏山の十二さまという山の神のお祭りで、その準備があるんですよ」
「はあ、どんな神さまなんですか」
「なんでも、12人の子を産んだ山神さまで、それで十二さまと呼ばれています。豊穣の神さま、私たちからすれば、山の安全を守ってくださる神さまですね」

では、尾瀬ヶ原で感じた何かは、あながち・・・

さすがに例の話は、センターの女性職員にはしませんでした。ただ、山の神は女神なんですねとひとりごち、昨日の奇妙な体験を胸に仕舞い込みました。あれは実に、山の神という、目には見えぬ存在エネルギーを感じる山旅でした。夕暮れの尾瀬を歩けば、そんなふしぎなこともあるという話です。

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【お知らせ】
8月末に取材で登った月山の記事が、本日発売の『男の隠れ家』11月号に掲載されています。特集「週末、山へ」の中の「信仰の山を旅する」です。本ブログのようにディープな部分には触れていませんが(笑)。書店で手に取ってご覧頂ければ幸いです。


霊性と宇宙

2009年09月25日 09時25分25秒 | 未知への扉
       縄文人がみた何者か


『霊性と宇宙時代の到来』
思考限界を超えて人類が至る道

真の霊性と宇宙次元への目覚め。それは、この世とあの世とを含め、幻であることを知覚すること。幻のとりこを終焉すること。般若心経で云うところの、「遠離一切顛倒夢想」である。

霊的なものと、宇宙とを、ひとつのものとして捉えることができるでしょうか。

霊的なものは、仏教、または神道、あるいはキリスト教などの宗教イメージで思考します。一方、宇宙について考えるときは、天文学的に、またはSF(サイエンスフィクション)的なイメージとなります。

われわれは、二分する思考が強固ですから、霊と宇宙という二大重要事項を別々の事として思い、どうしても「ひとつのもの」として考えることができないのです。

霊と宇宙を、「霊宇宙」として、差異を超えて、ひとつのものとして考えることができないのではありませんか。いえ、考えることはできます。今、考えているのですから。しかし、考える、その先へ思考を飛躍させ、イメージを発展させることができない。

これを「思考限界」と呼びます。どうも、この思考限界がわたしたちを現状に縛り付けている原因ではないかと思うのです。

大本の出口王仁三郎が面白い話を残しています。この地球は大昔は地軸が真っ直ぐだったが、辛苦の環境となって人間が進化発展をするようにと、神が地軸を傾けたと。その地軸がまた真っ直ぐになる日が来る。そのとき人間は神人となると。

ここで語られる神とは? 宇宙神でしょう。サイエンスの宇宙と宗教の神ではありません。ウチュウカミです。ウチュウジンでもいい。われわれが知るところの名前などないのですから、不可知なのですが、話をするのに仮に名称を付与しているに過ぎません。イメージの外側にある何者か、何か、です。ただ、わたしたちは、その話を面白いと思うかどうかだけです。

二分思考はDNA二重らせんの影響かも知れません。本当かどうかわかりませんが、米国では三重らせんの子どもが発見されているという話もあり、インディゴ・チルドレンと呼んでいるそうです。天才的なのだとか。それが本当として、かれらならイメージの向こう側がリアルかも知れません。

出口王仁三郎が、神人時代はもうすぐじゃ、と語ってすでに半世紀以上となっていますが、間もなくの事かも知れません。神人か霊人かに生まれ出る一瞬の産みの苦しみを母・地球が耐え忍んでいるのが今かも知れません。

今日は、いつもですが、「と思う」の話をさせて頂きました。


月山その3

2009年08月30日 13時17分24秒 | 未知への扉
             月山の月(8月26日)


さてさて、ここからが私が当地で感得した話となります。答えから申しますと、仏は後からのもので、蜂子皇子は、奈良から祖霊神である神々を勧請したのではないか。現に、羽黒山の出羽神社のご祭神は伊氏波神と稲倉魂命の二神で、月山神社は月読命、湯殿山は大山祗命と大己貴命と少彦名命の三神を祀っています。伊氏波神はわかりませんが、後の神々はすべて出雲神です。神名というものは土地により変えられ、また政治的にも変えられるので、解りにくいのです。大山祗命はスサノオ命、大己貴命は大国主命、少彦名命は同名のままですが出雲神です。稲倉魂命は稲荷大明神で、つまりどれもスサノオ命の同族の神々となります。

そして、最後に月山山頂の祭神である月読命は? スサノオ命です。伊勢でも、月読命が祀られていますが、スサノオ命とは明かされていません。月山でも同じく明かされていませんが、神社の説明板にはハッキリと天照大御神の弟神と書かれ、黄泉を司る神とあります。月山へ登る途中の中宮社には、スサノオ命の妻である稲田姫が祀られていました。それを知り、やはり間違いないと思いました。そして山頂境内の最奥に宝剣をかたどった鉄の剣が祀られているのを見て、オロチから頂戴した草薙剣のシンボルだと感じました。

ここまで、マニアックな話に終始したので神々の歴史に触れていない人には、よくわからない話だったと思います。しかし、これは日本の歴史の中で非常に重要な発見なのです。もちろん専門家には周知のことと思いますが、一般には伏された事実だと思ってください。スサノオ命が名を伏されながら主祭神として祀られることの意味は、本来、天皇家にとっても、主祭神であるということなのです。表向きの歴史はゆがめられたどころか、為政者の手で封印されていました。諸々の所業が、今もです。

蜂子皇子が祀った神々は出雲神であるということは、どういうことでしょうか。ご存じのように、記紀において出雲は大和へ国譲りをして神武が初代天皇となったとされますが、事実は違うようです。大和の祖は、三輪王朝の大歳、ニギハヤヒであり、三輪山に祀られています。そのニギハヤヒは、スサノオ命の子息であり、天皇家の公租は天照大御神とされますが、本流はスサノオ命、つまり出雲系だということです。だからこそ、蜂子皇子は、月山の地において、月読命=スサノオ命を祀ったのだというのが結論です。後の世を想い、謀反を炙り出すために、霊峰月山に月神を祀ったのだと。月には秘められた力があり、その霊力は顕現し、いよいよ今、この世を照らしているのです。私は、今日という日に、封印を解かんと願い、この事を進言します。



【追記】
さて、本日は天下分け目の衆院選です。源氏VS平家、西軍VS東軍、新政府軍VS旧幕府軍のごとく、いつの世の潮目、変わり目がありました。しかし、どちらが勝った負けたの話ではなく、大政奉還がおこなわれるということは、これからの世が興るということなのです。明治政府が整うまで15年の歳月がかかりました。さて、これから世の中はどう動き、激変するのか。散切り頭を叩いて考えてみましょう。冷静になって周囲を見渡してください。すでに隠し切れなくなった事実が映像やペーパーからこぼれ出ています。つい先日の新聞トップに、核持ち込みの密約があったと記事が載りましたね。それだけでもおおよその見当がつくはずです。ウソだろう!まさかーの、驚きの歴史のページが開きます。楽しみにしておいてください。日本の新しい国体の始まりです。


月山その2

2009年08月29日 18時06分11秒 | 未知への扉
       月山山頂の夕景


蘇我馬子は物部守屋を倒し、急速に権勢を増していました。物部氏は天神地祗を祀るという天皇家の本道を守ろうとし、蘇我氏は仏教信仰を広めようとし、結果、物部は滅ぼされ、蘇我の世となりました。崇峻天皇も蘇我の血筋ですが、天皇家の立場として、やはり神祗を根本と考えます。仏教の興隆を図り、国教とする考えをもつ馬子をうとましく思うようになり、機をみて討つことを考えました。しかし、馬子に先手を打たれ、592年11月、献上の儀式の場で殺されてしまいました。家臣が天皇を弑逆(しいぎゃく)したのは日本史上初めてであり、殯(もがり)もせず、その日もうちに埋葬され、しかも陵地なしという扱いでした。(出典:「歴代天皇100話」立風書房)

なんとも、痛ましいと感じる歴史の一幕です。馬子に耳打ちしたのは、崇峻天皇の后だったそうです。女の嫉妬が原因とも。あなおそろしや。ですが、対極には、神道と仏教という国体に関わる大問題がありました。そこで起こった事件でした。

さて、その崇峻天皇の子、蜂子皇子が月山開山の祖です。奈良の地を追われたのか、自ら新地を求めたのか。皇子は月山を訪れ、三本足の霊烏に導かれて羽黒山に登拝し、羽黒権現を感得して羽黒山頂に祠を建立しました。次いで月山権現、湯殿権現を感得して三山の開祖となったとされます。これら三権現は、当地の修験道の始まりであり、神仏習合の信仰の始まりです。仏教を擁立する蘇我氏に追われ、月山で神仏習合を成し遂げた蜂子皇子の心中は幾ばくのものだったでしょうか。

つづく