『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

極まって2

2011年12月31日 13時11分38秒 | 航海日誌
今年ラストの記事は、いつもに増して長いですよ~(笑)

前回の記事で、身体でわかることがあると書きました。頭だけではせいぜい半分だと。身体でわかるということを、もう少し説明したいと思います。

たとえば、胃痛に悩んでいたとして、しかし仕事優先で我慢していたとします。胃は現状を訴えています。しかし頭では仕事をこなさねばならないと考え、胃のシグナルを無視しています。

身体の言葉が、ここでは痛みです。それを放っておけば、胃潰瘍まで進行し、入院することになるかもしれません。よくよく考えれば、そうなのですが、我慢する場合も多いものです。

では、なぜ胃痛になったのか。その原因は何なのか、それはどうすれば解消できるのか、などなど原因を根本から見直す必要があるのではないか。胃は、「マッタ!」をかけているのです。まだ大丈夫と、それを無視すれば身体が壊れるのです。

胃痛の喩えは、経験者も多いのではないでしょうか。かくいう私もその経験者です。夜中に四つんばいになり、胃を抱えて唸りました。原因はわかっていました。仕事上の人間関係によるストレスが主要因でした。それを自覚して、相手のことを観察し、なぜそういうキツイ態度を取るのか、相手の視線から自分を観てみました。すると仕事のやり取りでズレがあります。やり方、表現方法が合わないので、相手は苛ついています。なんでコイツはこうなんだと腹が立つわけです。

そこまで観て、その人との対応の間合いを少し変えました。それから、自分のことを気にかけてくれているのだと思いかえし、感謝の念を送っていました。すると、相手の態度も少しずつ変わりました。胃痛がだんだんやわらいでいき、数週間後には痛みが消えていました。潰瘍が自然治癒していると、後に受けた検診でわかりました。さらに、その人も同じころ胃潰瘍になりかけていたことを知りました。

【身体すべてがセンサー】

脳からの思考が自分をつかさどっていると思いたいところですが、そうだとは言えません。胃は第二の脳とも言われ、生命活動上、重要な指揮権を持っています。食物を消化し、栄養素を腸へ下ろして、そこで血液を生む(千島学説)といった生命維持に欠かせない働きをしています。

ですから、精神バランスを崩すと、生命維持が困難になるとシグナルを発し、その刺激(痛み)を脳が受け取って、異変が起こっていると察知する仕組みになっているわけです。また、胃だけでなく、ほかの臓器も神経細胞がネットワークし、バランスを取りながら生命を維持しています。さらに、遺伝子が生命の基本情報を保持し、細胞の修復もおこないます。まだ解明されていない遺伝子情報も多くあるようです。

これがトータルに機能して、健康な状態で生きていけるのでしょう。しかし、機能論だけでは、なぜ生きているのか説明のつかない領域があるのです。

【魂はどこに在るのか】

さて。ここからは、いつものように常識をはずれた話の展開(笑)

ちょっとばかり実験してみましょう。いま、このブログ画面から目を外し、目を閉じてゆっくり呼吸を整え、なにかを「考えている」のは身体のどの部分なのか、確かめてみてください。

大抵は、眉間の奥、つまり大脳の真ん中あたりと感じるのではないでしょうか。言語脳で言葉がうまれるので、言葉によって考える作業は、脳がおこないます。

では、今度は、「感じる」のはどこかを、感じてみてください。

どうですか? 感じるのは頭ではなく、胸のあたりではありませんか? よく言われるように、予感は、胸のあたりからじんわり湧いてくる感触です。また、とても楽しいとき、胸がわくわくするというのも同じです。恋をして、胸がキューンとなるのもね。言葉を超えて、身体で感じている。

これらを言葉で伝えようと思っても、どうでしょう。伝えきれないほどのいっぱいがありませんか。

考えるんじゃない、感じるんだ!

と、身体が云っている。

言葉に惑わされるな! 感じるものに従え。

そのセリフって、誰が云っているのか?・・・

胸の奥に響く、言葉になる前の・・・

その胸の奥から湧くものを、頭へ上げると、「感情的になるな」といさめる言葉が発せられます。その胸の奥から湧くものを腹に下ろせば、決心がつきます。

さて。魂はどこら辺に在るのか。

胸の奥なのか・・・

胸の奥に感じるセンサーを持つ魂は、身体全体を覆い、地球を覆い、次元へ超えた向こう側へ繋がった、固定されない波長のようなもののようです。しかし、個人にとっては、個性的な波動と呼べばいいでしょうか。

自我意識(個人)→ 無意識(個人)→ 真我(個人)→ 集合意識(エリア)→ 集合無意識(地球)→ 宇宙意識(太陽系)→ 大宇宙 ここまでが3次元+時間の意識領域

そこから先は次元を超えますから、言語化できません。言葉にすると、般若心経のように、解釈がさまざまになり、脳で捉えることが非常に困難となります。また、言語化すると考える作業が中心になるので、迷いが生じて、堂々巡りとなってしまいます。言葉による答えはありません。

そこで、脳だけに任せるのではなく、身体を使うというわけです。禅もそうだし、山伏の荒行も、そういうアプローチです。言語を超える作法です。けれども、そうやすやすと超えられる峠でもなさそうです。

有名な話に、お釈迦さんが菩提樹の木陰で息絶え絶えで座っていると、村の娘さんが一杯の乳を差し出し、それを飲んで身体に力が蘇ったことで悟りを開いたというスジャータの物語があります。

身体をいくらいじめてみても、言葉を超えて悟りへ至らず、身体すべてで感じ取る、その先に、蓮の花がポンと開くように、至る。そういう感じかなと思います。

色即是空・・・一切遠離転倒夢想・・・考えてもわかりません。

だれにでも感じるセンサーは備わっています。ワクワク、ドキドキのさらにその奥に、魂の領域があり、そこに至る。

遠くも近くもなにも、そこに繋がって身体を活かしているから生きている。

生きていることを忘れているから、想い悩み苦しんでいる。

生きている実感は、胸の奥によく手をあてて、感じ取る。

いま、これを書きながら、私が私に想うことです。

その感じを言葉にすれば、「有り難い」です。

この貴重な時間空間のなかで、身体をもって遊んでいられることの、有り難さです。

今年という期間限定の時間(約束事)が終わろうとしているなかで、ますますそれを感じます。

そして、頭のなかで、ああ、いろんなことがあった、哀しみの年でもあった、フクシマのあの幼子はどうしているだろうか、と、言葉の渦が巻いています。

生きているのに生きていることを忘れていては生きていることがもったいない。もったいないから、有り難い。だから、生かしていただいて有り難うございますと、なります。感じるところ、で、そう感じます。

感じるから、想い、考えます。順番はそうです。

感じたことを素直に言葉にしましょうと、小学校の国語の先生がよく言っていましたが、そのとおりです。

でも、先生はとてもむずかしいことを伝えていたのかもしれませんね。

さてさて。

今年もお付き合いいただき、
みなさん、ありがとう。

心身ともに良い年をお迎えください。


極まって1

2011年12月29日 23時05分25秒 | 航海日誌
今夜は、だらだらと書きたいことを書きます(笑)

12月もあと残すところ3日ですね。でも、近年は年の瀬感が薄いですな。みんな、そのように言います。どうしてだろう。

子どもの頃は、「もーいくつ寝るとお正月」とばかりに待ち遠しいのは、お年玉をもらって、でも、すぐには使えないから、またオモチャ屋が開くのを待って、わくわく。なに買おうか、でっかい戦車のプラモか電子ブロックが欲しいなあ。そんなでした。

子どもばかりじゃない。大人も、年末の忙しさから抜けると、全身がゆるんだかのようになって、ああ、新年のめでたさよ~、てな感じ。私も、40くらいまでの正月は、そんな気分がありました。

ここで何度か書いていますが、時間には、物理時間(時計時間)と、心理時間があります。時計は誰でも24時間の流れを共有しますが、心理時間のほうは、個人差があります。楽しいことは、あっという間に過ぎ、辛いことは長く感じる、アレです。

さて。2011年の今年は、この日本のトンデモ年でした。まさか、の年。2012年アセンション信望者にとっては、いよいよの序曲と感じていることでしょう。2012年12月26日に2万6千年周期のマヤ暦が終わっているというやつ。だから、世界が終わるというもの。

私の意見は、そんなものは、そういうふうに民衆を思わせ、思考力を奪いたいやからのプロパガンダだというものです。10年以上前から、2012年説を知っていましたが、本やネット資料で調べているうちに気づいた結論です。そういうふうなコンセンサスを捏造したい連中が、とくに欧米にいるのだと。

9.11も3.11も、大衆陽動の格好の題材になっています。9.11はテロとの戦いといいながら大量破壊兵器のないイラクを攻め、数十万人の市民を犠牲にしました。それそのものがテロだと。それでも米国が世界から糾弾されることもなく今日です。3.11も、震災以降、原発を中心におかしな状態が続いています。これも、いっこうに糾弾されません。今の日本はまるで無政府状態です。フクシマはその犠牲に遭っています。

しかし、未だ声が上がらない。リアリティに欠けた報道しかなく、だれも現実味を感じていないのかも知れません。すでに無気力になっているとさえ感じます。だが、決して心にパッションを失ってはなりません。たとえどんな状況下であっても、その人の生きる力は、精神から湧く情熱からもたらされます。

ネットで情報を集めて、拡散するのも、重要なことですが、たとえば海に潜って魚を追いかけるのも重要です。また、山を歩いて森の風を感じるのも重要です。私の友人たちにはそういった人たちがいますが、彼らは明るく、真剣に、生きている。家や仕事場にこもってばかりいると、どんどん精神を負の世界へともっていかれます。私もバランスを取るために合気道を活かしています。身体からわかることがあるのです。

身体はウソをつかないと、よく言うでしょう? おかしいことには理屈でなく、即、感じるのです。頭だけでは、コントロールされやすいのです。テレビニュース番組だけ観ていれば、それが現実と思い込んでしまいます。私は4月にフクシマへ行きましたが、そこで感じたことが現実でした。すでにあのとき、フクシマでは、放射能という言葉はタブーになっていました。その忌まわしい言葉を封じ込めて、何とか生きている。「せっかく生き残れたのに・・・」という幼子を抱えた母親の声が耳に残っています。原発の隣町から批難した人でした。

そして今も、本当はフクシマから避難したいのに逃げ出せない人々が大勢いるのです。とくに子どもを抱えた親は懸命です。でも、動けないでいる。号令がかかれば、一体どれほどの人々が逃げおおせるのか。それが無政府状態の意味です。

いつも思うことがあります。リアリティって、ほんとうに人それぞれだなと。どんなに情報を頭に詰め込んだとしても、行動は人それぞれです。ある酒の席で懲りずに、原発の話を投げかけたら、勢い話題になったのですが、結果は「政府が悪い」で終わりました。それで終わりです。

歩く道があるのです。ひとそれぞれに、その道が。その道を歩く。そのとき、身体は知っています。そう、その道だ、悩んでも迷っても、どうでもいいから、最初に決めたその道を歩け。それは未知の道かもしれないけれど、忘れているだけですから、心配はいりません。自分を信じて。忘れていない自分を。

どんなことがあっても、どんな時でも、自分が自分を見守っています。恐れることはありません。そして、忘れていたことをいつか思い出します。そう、そうだった! 遠い遠い記憶。でも、ずっと在る記憶です。今度のスクリーンはすごかったけど、おもしろかったと言える自分に。祝福を。

また、書きます。


反転世界

2011年12月28日 23時36分36秒 | 航海日誌
力が力を征すといった。世界はそうなのだと。だから、皆、そう活きろと言い続けてきた。嘘を突き通した。力は破滅にしか向かっていない。力はエネルギーだが、破壊のエネルギーである。力が力を失った次元に、想像の及ばない、反転世界があるのだ。そのことは、想像不可能な領域というよりも、反転したここにある、のかもしれない。

時間の誕生・・・

ゆっくりと生きれば、時間という物理的空間的、幅が創り出せる。ゆっくりというのは、精神からの始まりであり、その、ずいぶんとあとに肉体が付いてくるから、そこには永い空白がある。それを埋め合わせるのが、精神という神ワザだ。言葉の感触の物事であると言わざるを得ない。

超える事の出来ないでいる、問い掛け。

これが全世界かもしれない。

感触が?


日はまた昇る

2011年12月26日 21時52分43秒 | 短編エトセトラ
いちばん古い記憶は何ですか? 覚えている風景でも、声でも、あるいは匂いかも。自分でいちばん遠い記憶は、なに?

朝もやか、夕霧かもしれない。あたりは白くもやり、そこに一本のレールだけがみえる。砂利を歩いている。歩くたびに、石がザクリザクリとして、足がふらふら足首がねじくれてとても嫌な感じだ。

母が手を引いている。それがヨチヨチ歩かせている。やがて、線路がすけて、ずっと下に青い水がゴーゴー流れている。レールを跨ぎ跨ぎ、進むが、もうその先へ行く気力がうせて、母はまた来たほうへ恐る恐るもどって行った。

やがて、白やむ世界が明るくなり、空ににじむ日が昇っていた。そのあとにつづく記憶はなく、そこでぷつりと消えている。

その様子が景色のように背後からみえるのが、微かになぜか記憶に残っている。あれはいつのことなのか、不明の、ほんとうだったのか、幼児の夢だったのか、それもよくわからないが、いちばん古い記憶としてぼくのなかに在る。

いつか、それを話してみたが、あんたがみた、やっぱり夢だったのだろうと、母が静かに笑った。


また書くよ

2011年12月25日 22時10分46秒 | 航海日誌
もう、このブログは、だれ~もなにもいわなくなって。これってなんだ、しかたないかと思うけど、そういう現実です。

で、だからって、そうでもないので、書いています。

で、今日の合気道忘年会で、感じて、書きたいことを。

Tさんが、ぼくのそばに来てくれ、話してくれた。苦しいけど、稽古して、ずっと突き詰めて、それはそうなんだと思うけど・・・いっぱい苦しいことがあるんです・・・そうですよ、生きていて苦しいことが一杯あるのはぼくもそう、とぼくが答える。だから、自分が自分に挑んでいるんです。だから、それでいい、と。Tさんが泣いて、そう、と言って自分の席に帰って、それから話をしていないけど、よかったんだろうと。Tさん、また、精一杯の話しようね。

ぼくは、Tさんのことが、いとおいしくなった。出雲のIさんのことも話題にしたし。出雲で待っていてくれるからと。

そういう、今夜だった。だから、その気持ちを忘れていないから、心配しないで。たぶん、このブログも、ずっと読んでいてくれて、話してくれたんだろうね。ほんとうに、ありがとうね。Tさん。

その、気持ちを受けて、ぼくは、また書くよ。


今わかること2

2011年12月25日 08時34分38秒 | 航海日誌
恐怖の中身が恐いから、見ないよう、聞かないように、しているけど、そうしていても、どうしても、その恐怖の中身へどんどん近づいていく。

もうもう、どうしようもなくなったときに、わなわなとすすり泣かないことだ。そうしたのは誰でもなく、自分自身なのだから。

あのときは、そうは思えなかった。まさか、いや、そんなことなど起こらないだろうと信じていたから。自分についた嘘だ。

なんの慰めにも成らない後悔を、しても、どうしようもなく、泣く。

そこからだ。生きたか。納得いくように生き切れたか。それを問うことになる。意識が遠のいていくばかりの、狭間の、時の流れのなかで、それを問う。

ぱっと、世界が開け、どこか懐かしいような、いつか来た道を歩いているような、意識だけの明滅で、思い、また、問う。

生き抜いたか。

いま、世界人間劇場の日本公演で、ひとりの例外なく、極まりの舞台を演じている。

マインドコントロールとはね、舞台俳優が台本を演じているに過ぎない。

さて・・・・・・・。

ぼくに書くことがあるなら、それは、このブログの主テーマの、「私たちはどこから来て、どこへゆくのだろう?」

3,11以降、三次元物理世界のざわめきのとりこになっていた。怒り、哀しみ、絶望していた。見ないふり人間がたまらなく。とくに身近なものの見ないふりが辛い。

これはイリュージョンなのだ。負の冠がつくから嫌だ困ったになっているが、人生劇場を俯瞰すれば、やはりイリュージョンなのだ。

期間限定の人生において、それはそうなのだ。起こる全てが、祝福と言えば、ついに気が狂ったと云われるだろう。

しかし、ぼくらは、どこからか来て、また、どこかへゆく存在なのだよ。時のない旅人なのだよ。肉体は単なる飛行船のようなものだが、これが今いきている証しでもあるのだから、ありがたい地球の借り物なのだよ。

それにしても。予想だにしなかった、展開に、実を言うと戸惑っているのです。まさか、日本がこのような事態で展開するとは思っていなかったから。

予想はこうだった。金融攻撃を浴びせられ、オイルを止められ、北朝鮮軍事行動で米国と連動で中国戦争が起こり、日本国民はボロボロにされて、じわりじわりと復活し、10年後、世界のリーダーになっていく、などと夢想して。

ところが、最初に、原子爆弾だ。まいったね。

原発が原子爆弾だとわからないか。この元がどこからもたらされたか。米国でしょ。40年くらい設置されて、起爆の仕方が違うだけで、放射能を撒き散らしている。出口王仁三郎さんが、日本は一度でんぐりがえって復活すると予言したが、こういうでんぐりがえりだったとは・・・

やっぱり、イリュージョンに過ぎるなあ。この日本舞台公演は、もの凄い。

これからいよいよ、待ったなしの本番です。

で、ぼくらはどこから来て、どこへゆくのか。


(つづくかも)


今わかること

2011年12月24日 00時47分29秒 | 航海日誌
今回の事態で、今までずっと考えてきたことで理解できることがある。その問いは、人間心理から導き出される行動について、「正常時と異常時で人はどう変わるのか」である。

今の日本の状況は、異常時である。にもかかわらず、人々は何事もないかのようにして生きている。異常といっても、空気はうまし、食べ物がうまいし、酒もうまい。どこが異常なのか。

だが、放射能汚染はとまらない。いったん原子炉から放出された放射性物質は環境を汚染している。動植物の体内に侵入して放射線を出し、細胞や遺伝子に傷を付け続けている。

ところが、その実感がない。痛みがあればいいのにと思う。痛ければわかるからだ。しかし現状、忘れていれば忘れていられる。そして、大方の人がそうして生きている。これは、フクシマの被災地では顕著なのだそうだ。「放射能」というワードは禁句で、口にすることもできないという。地元ではパチンコ屋が大繁盛だそうだ。放射能の怖さを忘れ、パチンコに興じる刹那。それを否定も責めることも出来ない。

異常時に、人はどうなるのか。限界を超えればパニックに陥るが、その直前までは温和しくしている。ある人に、放射能の話をしたら、気分が悪くなるからやめてくれと怒られた。私としては大切な情報を伝えようと思ったのだが、余計なお節介だったらしい。人はそれぞれにその人の気分で生きているのだから、気分を害されたくないのだ。興味関心は人それぞれ。貝のように口をつむぐしかない。

まあ、私の周りで限っていえば、原発放射能問題やら、TPP問題やらをことあるたびに口にしている人間は、残念ながらこの私くらいのものだ。あなたみたいな人は1万人に1人くらいだと言われたことがあるが、つまり超マイノリティということである。自分では変人とは思っていないが、人からみればかなりの変わり者なのだろう。良心に従っているのだから、仕方がない。精一杯なのである。

そんな私に、もう一言だけいわせてください。

もう、書くよりもっと意味のあることをしたいと思います。もう、今年が終わります。


お米が消えた!

2011年12月23日 15時49分04秒 | ソウルフード
日本人の主食は、いうまでもなく米。昭和40年代までは1年平均1人120kgくらい食べていて、今は50kgを切るほどになっているが、それでも主食は米に変わりない。

近年の生産総量は約800万トンで、今年の23年産米も同程度が作られた。比較的、豊作だったのだが、ところが、その米が主産地東北では農協に集まっていない。震災にみまわれた福島、宮城は作付けそのものが減ったからわかるが、ほかの東北各県で、米が消えているという。ある県での集荷率は50%に満たないという異常事態なのだ。ここに書いていることは私が関係者から聞いて知っている事実である。

米はどこに行ったのか? 卸業者や普段は買わない商社が動いて米を集めていると噂されるが、何より農家が出し控えでいるようだ。だから、いま米は高値をつけている。高いうちに売ったほうが儲かるのだが、ではなぜ出さないのか。米不足が声高になったピークで売ろうという魂胆か。どうもそれだけではないようだ。

今の日本の不安材料がそうさせているのではないか。TPP問題がひとつ。条約が施行されるのは2025年頃で、まだ遠い先のように思われるが、農家はすでに深刻に受け止めている。TPPは日本の農業を破壊するといわれれば、10数年先に未来はないと思ってしかりだ。ならばもう、一所懸命に作った米を出すものか!という心理になってもおかしくはない。

それから、福島の原発事故の放射能問題が大きくのしかかっている。食の安心・安全をうたって農作物を作り、食卓へ送り続けた農家も、それが根底から覆される事態に陥り、これも未来が見えない現況に置かれているのだ。

日本の食品は安全で美味しいと高く評価され、盛んに求められたのも3.11震災以前で、今は食品輸入規制が敷かれ、世界で最も安心できない食品になっている。放射能はフクシマだけの話ではなく、放射線の粒子は混入して拡散されるが、放射能は決して希釈されない。多くの日本人にその認識が欠如し、ガレキ受け入れで拡散させようとしているが、首長らには意味がわかっていないか、無視しているか、とんでもない暴挙をおこなおうとしている。

こうした現況下で、米が消えているのだ。しかし、まだ、スーパーの棚に米があるので、消えたといわれてもリアリティがない。この深刻さは農業関係者にしかわからないだろう。しかし、年が明け、どの時点かで、米びつが空になったときに初めて、米が消えた事実を知ることになる。「お米がないなら、お菓子を食べればいいじゃない」と、マリー・アントワネットさんのような悠長なことをいっていられなくなる。

米が消えた! これは百姓一揆の現代版かもしれない。「お米の大事さを思い知っておくんなせい」という、農民の声だ。この国の異常事態に声を上げるのは、百姓しかいない。彼らがいちばん、その深刻さを知っているからだ。


話しかけるのは誰?

2011年12月22日 01時19分44秒 | 航海日誌
電車の中で、ボクの足に通勤カバンを押しつける男に、なんでだよ、よけてよ、とつぶやく心中で。今朝は、おっさんばかりが前を塞ぎ、まあ、ボクもおっさんだけど。帰りの電車も、くぐもった空気で、隣で鼻をかむ、おっさんも。インフルエンザうつさないでくれよな。

ボクの心中は、自我があれこれうるさい。

その自我を見つめる誰かがいる。

それはダレ?

ボクの中の誰か。

不満たらたらの時間をどう思おうが、それがおまえを幸せにはしない。

そう誰かが話しかけます。

スイッチ!

そうだったな、と自我が答えます。

それは誰か。

神仏を他の者と思うかぎり、遠い。

まっすぐな、あなたの良心です。


嘘八百2

2011年12月20日 21時27分09秒 | 核の無い世界へ
どうするんだ。どうしたいんだ。ぼくらは、どう。このまま嘘に暮らすのか。

ぼくがまだ少年だった頃、父が青年だった時代を想ったことがあった。
それは断片的に、父が語ったことからだった。「校門で担任とすれ違って、挨拶する顔が笑った言われて職員室に呼ばれて固い出席簿で顔を叩かれてのう、なにがおかしいんか!言われて、部屋の反対側まで何度も叩かれた」

何という時代だったんだと想った。
そして、自分が生きる時代とは遠く隔たった、父たちの時代があったと想った。
今思えば、そのときのぼくから20年ちょっと前の話だったのだが、まったく違う時代があったと想った。

父たちの時代は、軍国主義で、天皇バンザイで、憲兵がいて言論も統制され、ガチガチの帝国ニッポンだったのだろうと。でも、ぼくらの時代は、もうまったく違って、言論の自由と、何より民主主義なのだから、国家が国民の安全な生活を保障してくれている。もう、あんなキチガイのような時代にはならないだろう。

あれから40年経って、今の時代はどうも、そういうことではないような気がして、何かまたおかしなことになっていないかと想う。マスコミも戦時中のように統制されていて、いちばん伝えないといけない政府発表のウソを、そんなことはなかったかのようにカモフラージュして、何となく大丈夫的な報道をしている。そうじゃない新聞も少しはあるけど、少数だ。

フクシマでは、すでにこの11月くらいから体調不良を訴え、鼻血をだしたり、甲状腺が腫れたり、髪の毛が抜け落ちている人たちがいるようなのだ。それを知ったのは、フクシマの人たちが発信しているブログ記事からだ。そんなこと、少しもテレビ新聞で伝えられていない。また、原発関連の代表的なネットでも、現地の健康被害についてのリアルな記事がない(もちろんぼくがウオッチしているネットだけだが)。

もし、それが事実ならば、ヒロシマ・ナガサキと同じなのだ。政府(大本営)発表の原発収束宣言などとかけ離れた、現実が原発周辺の町を襲っているのかもしれないのだ。見たわけではないので、それを事実と呼べないでいる。ほんとうかどうか、調べねばならない。


嘘八百

2011年12月19日 20時23分39秒 | 航海日誌
嘘というものは曖昧模糊な精神に巣くうウイルスのようなものです。どうにかなるさ、気にしない気にしないで通る世はもう過ぎています。

それでも気に留めない人々は、まさかの事態から今の気晴らしで生き通したいと思って、わざと気をそらしているのだろう。

これほどおかしな世の中になっているのに、やはり火の粉が降りかからない限り、人は、動かない、野田。政治家のせいにして唾を吐いている場合ではない。

なぜ、国民運動が起こらないのか。目に留める度に「原発停止」「廃棄物の移送反対」「福島の子どもを護れ」といった活動に署名しているが、国民のうねりにならない。デモも海外のように数十万人規模に達しない。

どうしてだろう?

日本人は温和しい民族だからというのは、違うだろう。江戸時代なら百姓一揆も起こしたし、幕末は日本中で大騒動となった。戦前は民権運動盛んで、戦後は労働運動も学生運動も大騒ぎ。第5福竜丸がビキニ環礁の核実験で被爆した時は、核反対の署名が3000万人分集まった。

やはり戦後の占領政策が半世紀も過ぎ、日本人は骨抜きにされたのだろう。そう思いたくもなるが・・・

それにしても?

私が感じるのは、臨界点。そこへ今の日本は世界を代表して向かっているのだ。嘘つきは世界中にごまんといて、欧米連中のつく嘘は、それはそれはえげつないもんです。その嘘の肩代わりをしているのが今の日本人の哀しさですが、今に化けの皮が剥がれます。脅されているのですよ。だから、政治家連中はお首を揃えて嘘つきを演じている。ローマの後の中川経済大臣の事態を思い出せば、おわかりでしょう。

では国民は? ワケが解らなくなっていて、何かが動くのを待っているのです。その臨界点に達すれば、皆が声を上げるはずです。もう一歩でしょうか。嘘に飽き飽きするのは。


東京新聞の伝聞より

2011年12月18日 00時54分52秒 | 核の無い世界へ
東京新聞が、「政府ウソばかり」という記事を載せました。
冷温停止、事態収束という政府発表に、福島第一原発の現場作業員たちの声は、「建て屋内にも入れないのに、収束だと?」「汚染水で何とか冷却しているだけで、冷温停止か?」など、疑問を通り越して、呆れ果てた声が上がっているようです。

東京新聞ウエブ記事
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011121702000035.html

このブログを書き始めた頃、「世界の嘘の隠し柱」という記事を載せました。そして、嘘とはなにか、嘘学の必要性を訴えました。嘘といのは人間にとってそうそう簡単に解明できる人間心理ではない。嘘学の骨子は、帝王学なのですが、秘されているため、ここに書くことが出来ません。

そのウソほんと?
ほんとうと答えればウソですが、ウソと答えてもウソのウソですから、ウソです。えー? ウソをウソと言えばほんとうでしょ? いいえ、ウソはどこまでいってもウソなのです。そのウソのひとつが今の日本に飛び交っています。

裁判所でいけしゃあしゃあと発言されている、「セシウムは東電の所有物ではないので責任は負えません」というのも、そのひとつです。それがどのような社会背景と負のエネルギーでつかれているウソか想像できますか? 理解して論破できれば、嘘学の大家です。

「敵を欺くには味方から」ですが、その味方とは誰か・・・嘘つきは嘘が解らなくなっているのです。正常人ではないと思ったほうがいい。そういう人がテレビにたくさん出ている。

そういうものに騙されるのは、嘘のとりこになっている証拠です。嘘は人を動かすというのが、帝王学のイロハのイです。しかし、その帝王とは、暗黒帝王であるとだけ言っておきます。どうやら、これから世界は二つに分かれるようです。どちらで生ききるか。今が、その正念場だ。喝!


短編小説「崖」

2011年12月17日 13時28分55秒 | 短編エトセトラ
 「崖」
           作・遊田玉彦



 ストンと切れた、断崖絶壁。
 遥か崖下の谷底の村で、畑に出た農夫が、鍬を手に土をほっくり返しているのが、崖の上から蟻よりも小さいくらいに見えている。
 土埃を巻上げながら、サクサクと小気味よいリズムで動かしていた鍬を止めたかと思うと、ふいに腰を上げ、そっくり返るようにして崖を見上げるが、それは農夫の一種のくせである。腰を伸ばしたついでに、つい崖を見上げてしまうのだ。農夫は今朝からもう何度か崖を眺めている。

 崖っぷちに立っている男の姿は、むろん見えない。痩せぎすの、腹だけが妙にせり出た男で、薄手のジャンパーに縞模様のスラックス、安物のスニーカーという出で立ちだ。どう見てもハイカーという趣ではない。
 今起きたばかりのような、とろんとした目で崖下を眺めている。谷から吹き上げてくる風に何かの匂いを嗅ぐ仕草をし、ひとつ深呼吸をしたかと思いきや、おもむろに背を向けて縁に膝まづき、崖下に片方の足を降ろし始めた。

 崖を正面から見れば、垂直ではあるが、壁から突き出た岩と岩の連結に若干の隙間があり、手足が掛けられそうである。崖の途中に丁度畳一枚ほどの岩棚が見え、ヤマユリが一輪咲いている。
 男はその花を採ろうというのか、どういう了見か知らないが、眼下の岩棚に降りようと節くれた指に力をこめ、右の足、左の足と岩の隙間に爪先を喰い込ませながら、じわり、じわりと降下していく。
 途中、崖に突き出した岩に腹がつっかえるたび、身体が空中に押し戻されそうになり、四肢がいっせいに硬直して動かなくなる。指を、トカゲのように押し開き、爪先を岩の角に突き立て、額からぼとぼと汗が吹き流れる。うぅ、と声を漏らし、またじりじり下へ下へと降りていく。

 男が岩棚に降り立った。飛び降りた拍子に白い花を踏み、足の下でひしゃげてしまったが、男は少しも気にする様子がなかった。
 岩棚は、村のキノコ採りの秘密の場所で、見事なイワタケがひと抱えも採れるのである。イワタケというのは、岩にこびりついているのを見れば黒いボロ布の切れっぱしにしか思えない。けれども、そのボロ切れを何時間もかけて丁寧に洗い、いったん日に干したものを水にもどし、鍋でぐつぐつ煮れば全く別物に生まれ変わる。この菌類独特の滋味とでもいうのか、それが鍋の中でえもいわれぬ風味に変化して、一度口にしたやいなや、我先に競って食べることとなる。キノコの中でもとくに珍重され、町では高価な値で取り引きされる。料亭にでも売りに行けば、ひと晩は豪遊できる代物である。
 村いちばんのキノコ採りは先年、老衰で亡くなった。誰もここがイワタケの宝庫だということなど知らない。キノコ採りの名人ともなれば、絶対に場所を明かさず、末期のときでも口を割らない。他人に採られることがそれほどまでに惜しいからか、あるいはもっとちがう理由があるのか、とにかく場所を明かないのは昔からのキノコ採りしきたりである。

 男もこの岩棚にイワタケがあることなど知らない。また、かりに知っていたとして、今はキノコの時季ではない。わざわざキノコのない春先に崖を降りる馬鹿者などありはしないだろう。
 男にはこれといった理由がない。ならば男は阿呆か何かかといえば、そうだとは決めつけられない。高等数学の演算もできるし、ひちめんどうな帳簿もこなすことができるのである。歳のころは五十そこそこのこの男、眼下の村の者ではなく、バスで一時間離れた海沿いの町に住んでいる。立派とはいえないが、従業員が五人ほどいる小さな部品加工の工場を経営している。順風満帆とまではいかないまでも、何とか潰さずやっている。去年の秋には住みかを少々改築したばかりである。

 男の歩んだ人生を俯瞰すれば、どこかに理由は探せそうだと考えられないこともない。
 五つのときに肺炎をこじらせて死にかかったことがあり、そのころ父親は女に入り浸たりで滅多に家に帰ってこなかったのだが、母親は離婚を考えつつも、子どもがまだ小さいうちは家を出るわけにもいかず、ずっと耐えていたという幼少時代がある。
 あるいは、先祖代々の土地が売れ、思わぬ大金が転がり込んで、それがもとで父親の女ぐせが再発し、最後は住んでいた家までも借金のかたとなり、一家離散となった青年時代がある。
 さらには、飲み屋で行き会った女に、男が貯えていた金を持ち逃げされたこともある。高々百万そこそこの金で、それで男は無一文になったが、そんな金よりも、一度は信じた女に騙された自分が許せなかった。

 世間でそう珍しい話でもあるまいが、男のこころに影をつくっているものの主だった要因はそれらだと断定してもよさそうである。だからこそ、男は独立心を柱として、三十を堺に一心不乱に仕事に打ち込み、煙草は吸うが酒はやらず、博打は最も毛嫌いして宝くじですら買ったことがない。これといった趣味もなく、工場で機械をいじっているのが趣味のような男だ。女房と娘とそれから年老いた母親との四人で暮らし、従業員の面倒もみて、それなりに頼りにされている。借金が多少はあるが、それほど苦にする額でもない。毎月、コツコツと利子を払い続け、この十年間返済が滞ったことはない。新しい機械を購入すれば仕事を拡げられそうだが、現状での融資は難しい。銀行屋が昨日きて、慰めめいた適当な話をして帰っていった。

 男には三十半ばで生まれたひとり娘がいる。いまは家にひきこもって賑やかな音楽ばかり聴いているが、来年は町を出て専門学校に行くと、今朝話したばかりだ。
 「ねえ、お願いなんだけどぉ、ちょっとお金足りないんだ」
 「またか、この前やっただろ」
 「この前って、先月じゃない。そんなのもうないよ」
 「幾らだ」
 「二万円」
 「何に使うんだ」
 「あれ、あれよ、いろいろあってサ、友達との付き合いもあって」
 「月末に近いから、持ち合わせがないんだ。こっちもいろいろあるんだ」
 娘は父親と目を合わせようとしないで、斜を向いたまま軽いため息をついた。今、男の財布には五千円も入っていない。

 「タバコやめたら?」
 「ああ」
 「いつも必ずって約束だけじゃないの」
  と、母親そっくりの言い草を娘がした。
 「わかってるよ」
 「わたし、来年は家を出ていくから」
 「だから、おまえの好きにすりゃいい」
 「そっちも、好きにしたら?」
 「おれだって、たまにはカラオケくらい行ってる」
 「あれね、ハハハッ」
「いいだろ、おれが何を歌っても」
 先週、珍しく従業員と街のカラオケボックスに出かけ、ウーロン茶で二、三曲やったのだ。一曲は娘の好きなアイドルグループの歌だった。その曲を娘と歌ったのはもう一年前のことである。
 「たまにはママと三人で歌いにいくか」
 「お金ないんでしょ。それにさあ、遠慮しとくわ」
 「おれの歌、耳が腐るってんだろ」
 久しぶりに娘がケラケラ笑うのを見た。大きな口を開けて笑う娘の犬歯がやけに白く男の目に映った。

           ○○○

 ――崖を降りてみたかっただけだ。
 と、男が誰に言うでもなく、ポツリとつぶやいた。
 岩棚に腰を降ろした男は、宙空に向かってまたつぶやいた。
 ――岩棚がおれを呼んだんだ。

 まるで馬の背でも叩くかのように、岩棚を手のひらでぱんぱんと叩いた。
 目の前をトビがすーっと飛んで、
 ぴーひょろろ、ぴーひょろろろー
 と二度、鳴いた。
 鳴き声が谷間に吸い込まれるように消えていった。

 男は胸のポケットから煙草を出し、マッチをすって火を着けが、風ですぐに消えてしまった。二度目は手で囲い、火を着けた。マッチ棒を空に投げると、白い煙の糸を引きながら谷底に、ふわり、ふわり落ちていった。煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んで空を見上げた。久しく感じたことのない旨さだった。娘が産まれた冬の朝の病院ロビーや、工場を立ち上げた日のことが目に浮かんだ。つづけて二本ほど吸い、崖に背中をもたれかけ目を閉じた。

 陽光が降り注ぎ、春の風がここちよく頬を撫でた。先ほどのトビも、もうどこかへ飛んでゆき、風もやんで、無音となった。
 男は浅い眠りに落ちた。
 うとうと舟を漕ぎ、トビになって空を舞っているような気分にひたり、それが夢なのかそうでないのか、どこからどこという境目のない白い宙に浮いていた。
 谷から巻上げる風が岩棚に当たって、ひゅるひゅると寂しげな音を鳴らせた。目を覚ました男は岩棚にじっと座ったまま動こうとしなかった。とろんとした目で宙空を見つめ、することといえば煙草を吸うばかり。煙が背にした壁に沿って白い龍の姿に変じて空に立ち昇っていった。やがて煙草もなくなり、男はうしろ手に岩壁を押さえてゆっくり立ち上がった。
 
 ――降りるとするか。
 と、つぶやいた。
 日が西の空に傾いていた。オレンジ色に染まったまん丸い天球が目線よりも低く浮かんでいた。もう半時もすれば向こうの山陰に隠れるだろう。ゆるやかに闇が男を包みはじめていた。
 膝をつき、岩棚から首を突き出して谷底を覗き見た。
 壁は垂直どころか、谷に向かってえぐれていた。どこにも降りられそうな場所がなかった。さらに身を乗り出せば、昼間、農夫が仕事をしていた畑にまっさかさまに落ちるしかない。落ちてもいいか、と、一瞬、思った。崖下を眺めていると、地上に吸い込まれそうな気分になった。

 ――落ちるか。
 誘惑とも何ともつかない情動が胸の中でもぞもぞ沸き起こる。そのまま任せておけば、胸のものが身体に伝わって手足が動いてもいいくらいになった。

 ぴー ひょろろろー
 トビの声が谷底に落ちていった。
 ――登るか。
 男は、壁に向いて両手を伸ばし、上を見上げて指が引っかかるところはないかと探った。だが、降りるときはあったはずの突き出た岩がひとつもなくなっていて、のっぺりとした壁になっていた。壁から岩棚は畳一枚ぶんを残し、動かなかった。
 そうか、と言って大きく息を吐き、また岩棚に座り直し、空になった煙草ケースを投げ捨て、それから男はなにも言わなくなった。黙ったきり目をとじ、息をしているのかもわからないくらいに静かになった。

 夜空に星が瞬いていた。ひとつがすーっと斜めに走って消えた。月が、つい、ついっと天に昇っていった。
 やがて日が昇った。雲が横を流れていった。
 トビがひとつ、またひとつ、鳴いた。

 岩棚に座った男のすぐ脇に白いヤマユリが一輪咲いている。パリパリになった飴色の皮に骨を包み、男は黒い節穴の目で宙空を見つめている。下界では、あの頃はまだ赤児だった農夫の子が、太い腕で土に鍬をザクリ、ザクリ打ち込み、ふと崖を見上げ、土を掘っくり返している。

                      2008年12月20日の再録


二重のリアリティ

2011年12月14日 22時15分08秒 | 核の無い世界へ
昨日、私は、社会の元凶は企業体質にあると書きました。みなさんがどう考えるのかわかりませんが、極論に過ぎたでしょうか。

この私もサラリーマンとして毎日、会社へ通っています。仕事と売り上げが課題であることはどの企業とも変わりありません。打ち合わせや会議が時々にありますが、テーブルに上がるのは仕事の進展と利益です。

最近の企画会議で、私はこういう発言をしました。「東北、とくに福島では放射能の問題が深刻です。そこで必要とされる仕事があるのでは? 例えば被爆記録手帳など、今後、必要とされるものを制作することも仕事になると思います」

反応はありましたが、それが論議になることはありませんでした。私はどう思われるかを予測して、発言したのです。会社では食品関係の仕事をしているのですが、そこへ踏み込むことは営利企業にとっては得策とはいえない。それを承知で話したのです。

会社の考え方を逸脱した発言は、個人的意見でしかなく、ときに排除されます。そこには暗黙の了解、コンセンサスですか、それがあります。何が言いたいかといえば、どの会社組織にもそれがあるということです。それに従わなければ、働くことはならずです。

私の会社は、農作物産地のために一生懸命に働いて健全だと思いますが、業務を飛び越えたことは出来ません。しかし、原発事故問題は刻々と深刻化している。仕事上でも何か出来ないかと考える日々。家に帰れば、パソコンで原発関連の情報を検索して、少しでも状況把握に努めています。

今夜「水蒸気爆発で爆発ではなく、核爆発だった」という元原発管理者のネットニュースを観て、やはり一般報道されない違う現実があるのではないかと思う。そして、明日になれば自分の業務に専念するわけです。だから今、私はふたつの現実に生きている。仕事という環境と原発事故という環境の狭間で。それは毎日、私のブログを読んでくださる皆さんと同じ心情だろうと思います。どうなるのかと。為せば成る。その為すことを。一所懸命。