『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

始まりの始まり

2011年04月30日 22時38分45秒 | 近未来長編小説『ドリーマー20XX年』
『ドリーマー20XX年』前文

おそらく、ある種の人間にしか理解できない領域の話がある。それがシャーマンの世界だ。おそらく、といったのは、ある種の人間以外が理解できたのか、確かめようがないからだ。

「わかったかも」とか「なんとなくはわかる気がする」と答えられても、それがどこまでわかったのかわからないのだから。テストではないのである。100点か0点かのどちらかだ。間はない。

ある種の人間というのは、その皆がシャーマンとは限らない。シャーマンのように別次元の世界を往き来する者もいるし、シャーマンの話を聞いて自分が行ったように理解する者もいる。

そして、そのある種の人間は、この日本でいえば3万人いるかいないかだ。つまり1億人に対して3%ほどの人間だ。隣の人がそうかも知れないし、あなたの町には一人もいないかも知れない。電車の席で隣り合わせる確率は極めて少ない。だが、出会う時は出会うのだ。その必要に迫られたときに。

彼らの名をドリーマーと呼ぶ。夢次元を駆ける戦士たちだ。孤独な彼らが力を合わせ、その能力を発揮する日は近い。

“神を信じる者に神は居無い”
 なぜならば、
 神は信じる何かではないからだ。
 あなたがこの世で最も愚劣で汚らしいと感じるところに
 神のサインがあったとしても
 それを神の片鱗だとは信じられないだろう。
 信じるのは自分の感情だけだ。
 信じない者が神を内に知る。


お知らせ

2011年04月30日 14時35分20秒 | 近未来長編小説『ドリーマー20XX年』
昨日、最終章の一部をアップした「ドリーマー20XX年」は、約7年前から書き始めて、去年の秋にやっと書き上げた小説です。40代のしがない安サラリーマン(書き始めた当時の私の年齢)が、ある日、夢で奇妙な老人と出会い、そこから夢の世界を旅しているうちに未来へ行って知った管理社会の驚愕世界。これじゃ、今の自分のほうがよっぽど自由で暢気な暮らしだと思い、なんとか出来ないかと奔走する話です。舞台は新宿区の都庁や歌舞伎町。ホームレス住民数万が住む戸山公園村などで、主人公たちが役人らと渡り合います。

私は2000年代に入って、これからは既存の社会ではない別の社会への一大変革が起こると感じてきました。それがどういった形で成立するのかと社会をウォッチングしています。端々で感じ思うことを、極端に描き、見えないものを炙り出したいと考えてきました。都内各所に作られたホームレス公園村での米騒動に始まり、マインドコントロール、人工地震やアセンション騒動などが起きるこの物語は、近未来ブラックユーモア小説と呼べばいいでしょうか。でも、近未来へ向かう現実のキーワードをちりばめました。どう読み取るかは読者それぞれです。

2011年3月11日 2時46分。未曾有の大地震が東北で発生。原発災害という最も危惧された人災事故が起こりました。それは、まさしく現実の序章と思います。今後どうなるのか、われわれの意識はどのように開化するのか。日本人だけではなく、全人類が当事者であり、主人公です。

「マインドコントロールとは、マインドコントロールされていると意識できない状態のことを指すんだよ。舞台の中にいちゃあ、決して解らないだろうけど。君はどう、それ、解る?」
 主人公、ゼロゼロKYこと山田一雄の言葉です。

さて、時は来たれり。当ブログで公開いたします。カテゴリー「ドリーマー20XX年」でお読み頂けるようまとめていますので、いま暫くお待ちください。このゴールデンウィーク中にはアップできると思います。


ドリーマー20XX年

2011年04月29日 08時01分04秒 | 近未来長編小説『ドリーマー20XX年』
八月一日、早朝五時ーー
 皇居のある中央区へと、新宿区、文京区、台東区、中央区、港区の四方から無数の人間たちが人垣となり、ゆっくりと歩みを進めていた。ホームレスの男女、労働組合団体、さまざまなNPO団体、一般市民、子どもの手を引く母親の姿もある。多くの学生たちも見受けられる。
 誰もみな無言である。アスファルトを擦る足音だけがビル街に響き渡り、あたりに異様な空気が支配している。吉川たちドリーマーは靖国神社を越え、やがて九段下の内堀に沿って歩いている。その集団が竹橋に至り、国立近代美術館前で大勢の人々と横一列に並んだ。皇居側にはおびただしい数の治安部隊員が並び、こちらを睨んでいる。それ以上は近づけないといった距離にまで迫り、デモ隊は一斉に隣同士で手をつなぎ始めた。皇居は完全に人の輪で囲まれた形になった。
 人の数は定かではない。三〇万人なのか五〇万人なのか、一〇〇万人に達しているのか、その数は問題ではない。ここに集まり、皇居を囲んだことに意味がある。無言でいることの威圧は想像を遙かに絶している。
 治安部隊の各ブロックからデモ隊への要請が拡声器で流れ始めた。
ーーデモの参加者に告ぐ。不当行為、破壊行為に出る者はただちに検挙する。皇居側に進んだ場合も同様である。それ以上、近づいてはならない。
 拡声器の声が止むと、また沈黙が辺りを支配した。
 吉川重則が右隣の河口真理江の手と左隣の石井洋介の手を振り上げた。それに合わせて工藤香織、高野隆、野川典子、深田勝、芦沢忠彦、佐藤ゆりらドリーマーたちの両腕が手をつないだまま振り上げられ、横につながった人々に連動して波のようなうねりとなって皇居の周りでひとつの生き物のように動き続けている。
 ただ、それだけだ。だが、それだけのことが饒舌なのだ。
 対峙する治安部隊員も、彼らが何を訴えているのかがよくわかっている。また、皇居の中にいる天皇もわかっている。国会にいる政治家も官僚もわかっている。国家安全保障局の情報部員らの中に杉山泰子の顔もあり、その杉山もわかっているのだ。
 決起集会の主旨として、ネット上で宣言した文章を読んでいるからだ。

ーーわれわれは人として生まれ、人として日本で生きてきて、人としてまっとうに扱われる人生を望んでいる。世界経済が崩壊したからといって国家が解体され、世界統一政府により人民が選別されて奴隷のように扱われることを認めるわけにはいかない。法律は人間が作り、人間を管理するものとして働くが、その社会法規の前に自然法というものが存在しているのだ。命が命を生み育て、それが連綿とつながって豊かな世界を創っている。その事実からもたらされるのが自然法である。人類はみな兄弟というが、兄弟を騙し、隷属させ、命を奪うことは自然法を無視する行為にほかならない。なぜなら自然とは命そのもののことを示すからである。その自然法とは命を守り育むために存在するからである。地位、権力に関わらずなんびとも自然の外に出ることは出来ず、ゆえに自然を犯す行為は破滅への道なのだ。自然の摂理に逆らう者はやがては自己破壊を起こす運命にあることを忘れてはならない。
 われわれは今日、皇居前において、この自然法に基づき、日本国政府に対して人民選別政策を撤回することを要求するーー

 これがネット上で宣言した文章だった。政府関係者であれば全員が読んでいるはずだ。皇居前でがなり立てる必要もない。また、大声を上げたところで、その声が耳に届くこともない。騒ぎ立てるのは烏合の衆のすることだ。敵対対立するデモなど愚の骨頂。それが「ネット人垣作戦」の最も要となる約束だった。
 また、大阪でも大阪城を囲んで同様の決起集会が開かれていたし、広島、長崎では原爆記念公園で、沖縄では首里城で、あとの地方は小規模であっても同様の決起集会がおこなわれていた。つまり日本全土で、自然法に基づき生きる権利を主張する人々が集まり、日本国政府に宣言したのである。
 この日の様子はテレビ新聞各社が報道し、世界へ配信された。残念ながら宣言文の全文を掲載したり、読み上げるマスコミは皆無だった。掲載されたのは「ホームレスの生きる権利を守り、対応を日本国政府へ要求」といった要約のみだ。公にされていない人民選別政策などとは何処にも記されていなかった。その代わり、ネット世界では全文が貼り付けられてさまざまなページで紹介されていたし、英文翻訳にして海外へアピールするホームページやブログの管理人もいた。
 今や、ネット世界を知らない者たちとの情報の温度差は歴然としているのだ。そして情報を管理することが最大の課題となっている権力機構、組織にとって、これほどやっかいなツールはないのである。このインターネット世界を管理するなら、すべてのプロバイダーを国営組織化するしか手がないだろう。すでにそれに向けての法整備は着々と進められている。一般民が情報を遮断されれば、二〇XX年には完全に情報が管理された世界が誕生することになる。それを阻止するべく彼らドリーマーの闘いは始まったばかりだ。世界統一政府の野望があるかぎり、脳内から情報を収集するドリーマーの活動が終わることはない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これが去年、私が書き上げた「ドリーマー20XX年」の最終章の一部です。某出版社は出版出来ないとしました。そして、今年、大地震が起こり、今に至っています。昭和の日の記念日に、抜粋のメッセージ部分を掲載します。そうならぬために。


子どもの安全基準

2011年04月27日 06時50分38秒 | 核の無い世界へ
福島老朽原発を考える会ら3団体が集まり、「福島の子どもたちを放射線から守る」として、文部科学省の担当者が質疑応答する場面が、驚くべき内容なので、下記の動画を観てください。

子どもの安全基準 根拠不透明~市民の追究で明らかに
http://www.youtube.com/watch?v=jnOD55uLA7c&feature=player_embedded#at=13


ブログに動画を貼り付けたかったのですが、グーブログで出来なかったので、すみませんがコピペしてください。

20ミリシーベルトの基準は何かと問う、福島のお母さんたちの質問に対して、何ら答えられない文科省の若い担当官の姿が、怒りよりも、哀しみを感じさせずにはおれない。政府の姿勢、実態がこれほど露呈している資料映像はない。観れば誰でもわかると思います。この動画を伝えてくれた仲間は、悲しすぎて泣いてしまったと申しておりました。私は言葉を失いました。




無知の罪

2011年04月26日 23時14分27秒 | 核の無い世界へ
原発事故は、人災どころか、事件だ。そう断言する根拠は、東電は福島第一原発で、電源が切れてあわや制御不能という事故(2010年6月)を起こしていて、その危険度を経験していたにもかかわらず、今回の大事故に至っているからだ。何の対処もなされていなかったその理由を、東電も原子力安全・保安院も回答していない。「予測外の事態でしたので」とは答えているが、それはおかしい。予測できる事故経験があるからである。

元・福島県知事の佐藤栄佐久が、4月18日に開かれた外国特派員協会の会見で、答えている。
「原発は絶対必要だ。だから絶対安全なのだというロジックがあり、その安全というのは何ら科学的根拠がない。リスクに対しタブーがあった」

佐藤氏は県内のダム工事の汚職事件で捜査され、逮捕に至り知事を辞職している。佐藤知事は徹底して原発の安全性を問題視し、政府に対応を求めてきた人物である。知事辞職当時の事情は自著『知事抹殺・つられた福島県汚職事件』(平凡社)に詳しく書かれているそうだから、私もこれから取り寄せて読むことにしている。

佐藤知事の会見は、ビデオニュース・インターネット放送局で公開されているので、是非ご覧になってほしい。
http://www.videonews.com/press-club/0804/001839.php

さて、原発は問題どころではない。いま危機下に置かれた、いわば戦闘状態と何ら変わりがない。私は戦後政策の根幹に、原発が横たわっていると考えている。電力マフィアとも呼ばれるように、巨大利権構造がある。一昨日のブログで「原発は非核国の核武装」かもしれないと書いたが、そういう国策があるのかもと疑えるほど、政府(与野党どれもこれも)も東電も不可思議な対応であり、多くの人もそう感じているだろう。東電はここにきて情報開示を制限している。いち企業であるはずの東電をそうさせているのは何か。まさか、ここまでおかしな事が起こるとは・・・本当にやばいそ、これは、待ったなしで。

私は最後の最後までこの世紀の事態を見届けようと覚悟するが、子ども達は避難させ守らなければと切に思う。ロシアの絵本の題を「てぶくろ」と声に出し、読めるんだ、すごいねと言うと愉快そうに笑った。それ以外、女の子は何もしゃべることがなかった。福島の避難所で出会った、あの小さな女の子と無言の約束をしたのだ。貴方の助けも求む! お願いだ、助けよう!!!


子どもは守ろうぜ!

2011年04月26日 09時07分44秒 | 核の無い世界へ
子どもに対する被爆基準値を引き上げるという行為は、政府の考えが全て露呈していると思いませんか。国民の命を守ろうと機能できていない。だから、対策も情報開示も後手後手になっている。放っておいたら大変なことになる。知らなかったでは済まない。無知は罪となりますよ。

以下は、子どもを守る署名の転載です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

20ミリシーベルト撤回要請~経過報告
http://blog.canpan.info/foejapan/daily/201104/25

緊急要請「子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求する」には、3日間で3万もの署名をいただきました。

心ある人たちの怒りが爆発したかのような署名の洪水に、受付フォームが一時、パンクしご迷惑をおかけしました。

今日中に頂いた署名は、一次とりまとめとして集計し、4月27日に管総理大臣および高木文部科学大臣宛に仮提出させていただきます。

一方、現在、政府交渉の再設定に時間を要している関係上、より多くの皆様の署名を集め、再度、日本政府宛に本提出させていただきます。ということで、最終的な締切を4月30日(土)23時に設定させていただきます。引き続き、「20ミリシーベルト」撤回に向けて、みなさまのご協力をお願いいたします。

>要請本文および署名受付フォーム

<一次締め切り:4月25日(月)23時>

<最終締切:4月30日(土)23時>

なお、現在、議員からの連名もお願いしているところです。皆様からも地元選出議員に、本要請への連名を呼びかけて頂ければたいへん幸いです。

国際署名も受け付けています。
Urgent Petition Against 2020millisieverts per year Radiation
Exposure onto Children in Fukushima
http://blog.canpan.info/foejapan/daily/201104/24

(文責:満田夏花)

FoE Japanスタッフブログ
名称 国際環境NGO FoE Japan (認定NPO法人)
都道府県 東京都
電話番号 03-6907-7217
URL http://www.foejapan.org/
E-mail info@foejapan.org
設立 1980年1月


あの子との約束

2011年04月25日 00時08分54秒 | 核の無い世界へ

やっと揺れが少なくなって、関東以北の人々はホッとしているが、原発という危険きわまりない施設が稼働しているかぎり、安全は無いと断言できる。この国の市民は皆、同様にそのことを知らなければならない。知るということは、ほんとうにどうなのかを個々が真剣に追究するという態度だ。もう、喉もとを過ぎて忘れていては繰り返しどころか、事態はもっと大きく深刻になるだろう。

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下記の貼り付け記事は、その一端である。子を持つ親は真剣にならなければ、親の価値がないと思う。

国際環境NGO FoE Japan(認定NPO法人)
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/8
【緊急声明と要請】
子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し、撤回を要求する

=====緊急声明&要請(本文)=====

4月19日、文部科学省は、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として、年20ミリシーベルトという基準を、福島県教育委員会や関係機関に通知した。この年20ミリシーベルトは、屋外で3.8マイクロシーベルト/時に相当すると政府は示している。

3.8マイクロシーベルト/時は、労働基準法で18歳未満の作業を禁止している「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)の約6倍に相当する線量を子どもに強要する、きわめて非人道的な決定であり、私たちは強くこれに抗議する。

年20ミリシーベルトは、原発労働者が白血病を発症し労働認定を受けている線量に匹敵する。また、ドイツの原発労働者に適用される最大線量に相当する。

さらにこの基準は、大人よりはるかに高い子どもの感受性を考慮にいれておらず、また、内部被曝を考慮していない。

現在、福島県によって県内の小・中学校等において実施された放射線モニタリングによれば、「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)に相当する学校が75%以上存在する。さらに「個別被ばく管理区域」(2.3マイクロシーベルト/時以上)に相当する学校が約20%も存在し、きわめて危険な状況にある。

今回、日本政府が示した数値は、この危険な状況を子どもに強要するとともに、子どもの被曝量をおさえようという学校側の自主的な防護措置を妨げることにもなる。

文科省は、20ミリシーベルトは、国際放射線防護委員会(ICRP)勧告Pub.109およびICRP3月21日付声明の「非常事態収束後」の基準、参考レベルの1-20ミリシーベルトに基づくとしているが、その上限を採用することとなる。

21日現在、日本政府からは、本基準の決定プロセスに関しては、何一つ具体的な情報が開示されていない。また、子どもの感受性や内部被曝が考慮されなかった理由も説明されていない。文科省、原子力安全委員会において、どのような協議が行われたのかは不明であり、極めてあいまいな状況にある(注)。

私たちは、日本政府に対して、下記を要求する。

・ 子どもに対する「年20ミリシーベルト」という基準を撤回すること
・ 子どもに対する「20ミリシーベルト」という基準で安全とした専門家の氏名を公表すること


(注)4月21日の政府交渉で、原子力安全委員会は正式な会議を開かずに、子どもに年20ミリシーベルトを適用することを「差支えなし」としたことが明らかになった。また、4月22日、5人の原子力安全委員の意見とりまとめについて議事録は無かったと、福島瑞穂議員事務所に回答している。

(参考)
4月21日付ドイツシュピーゲル誌の20ミリシーベルト設定に関する記事(「文部科学省、子どもたちに対してドイツの原発労働者と同様の被爆限度基準を設定」)より、専門家のコメント

エドムント・レンクフェルダー(オットーハーグ放射線研究所)
「明らかにがん発症の確率が高まる。基準設定により政府は法的には責任を逃れるが、道徳的には全くそうではない。」

__参考情報:4月21日、文科省・原子力安全委員会との交渉報告(FoEブログ)

反対署名先

http://blog.canpan.info/foejapan/daily/201104/23



報告とお礼

2011年04月24日 15時39分23秒 | 核の無い世界へ

子ども達へ本を贈ってくれた皆様へ

「ちっちゃな段ボール図書館」のご報告とお礼

この度は、小生ならびに所属会社の活動の一環として、東日本大震災の被災地・避難所(福島・宮城の二ヶ所)へ届ける本にご協力頂き、誠にありがとうございました。おかげさまで約600冊の本が集まりました。

この4月8日(金)の夜半に福島県福島市へ向かい、翌朝、飯坂町の観光会館「パルセいいざか」を訪問して、手作りカレーとともに、子ども達へ、皆様から寄せられた絵本・童話・名作小説・自然関係本など合わせて約300冊を贈ることができました。

この避難所は福島第一原発周辺の市町村から避難した方々が身を寄せる施設でした。乳幼児から園児、小学生の顔も多くみられ、届けた本は段ボール箱ごとホールの柱横に並べて頂け、すぐに小さな子ども達が手に取ってくれました。(添付の写真はその一コマです)

福島の避難所には半分ほどの本を置かせてもらい、あとの半分の本は、翌日に向かった宮城県仙台市郊外の多賀城市民会館へ届けました。私は福島担当でしたので、別班が宮城へ向かいましたが、そちらでも段ボール図書館はとても喜んでもらえたと聞いております。皆様の本は確かに、子ども達の手へ心へ届いたと思います。

これから被災地の皆さんは避難所から仮設住宅などへ移られますが、そこでも本は子ども達に必要とされるでしょう。今後も、時期をみて同様の活動を続けたいと考えております。それが本好きにできることのひとつだと思い。

最後に、私の考えを少し述べさせて頂きます。
地震は天災ですが、その後の根拠のない風評や、何より原発事故問題は人災です。であれば人災は人の知恵で防ぐこともでき、そうした被害を終息させなければなりません。では、どうすればいいのか。答えは日本人全員の思考の中にあると思います。ですから答えは、たとえばテレビから発せられるものではなく、自分の心の中から湧き出るものだろうと思います。どうすればいいのか、良心に照らせば返事があると思います。

子ども達に本を贈ったのも、良心からの答えに従ったからですね。良心に照らせば、いまいる立ち位置で何ができ、何をするかがみえてくるのではないでしょうか。無理矢理に「がんばらなくていい」。できることしかできないのです。できることを「するかしないか」だけです。

生かして(行かして)頂いて 
ありがとうございます。

追伸

本を送ってくれた方から頂いたメールで知ったのですが、新聞テレビではまったく報道されなかったが、4月 10日に高円寺で反原発のデモがあったそうです。多くは普通の若者でツイッターで集まった人々だとか。1万人 規模のデモになり、路上で目撃して感動したと伝えてくれました。

これからはこうしたデモが増えるでしょう。選挙で誰かを当選させても、効力弱し。「人民は弱し官吏は強し」。ならば路上で意志を示す。ただし、火炎瓶を投げては負け。無言の意志を示す。ガンジー以上の方策はありません。


そうだった

2011年04月22日 23時53分29秒 | 航海日誌
生きている限り、言葉を吐き続ける。伝わるとか伝わらないとか、どうということでもない。主体は、発信する側にあるのだから。誰が読んでいるのかもわからない。思うことを書くだけだ。ぼくは厭世的で自虐的といわれる。文章を書くとそれが表出する。人を明るくできない文章。そうだろうなと思う。明るい未来。希望のもてる未来。どうしたらそうなるのかのメソッド的な箴言。そのように書けるひとのブログも多い。でも、ここではどう書くか。「かあさん家が燃えているよ・・・いいから早く寝なさい」だ。いい子で寝たら家は大丈夫なの? いまそこにある危機よりも遠い未来を。そもそも危機ってなんだろう。危機を避けるなら生きていないほうが安全だ。安全って? 生きていることって死よりもよっぽど危険なのではないのか。いや、生と死は同じなのでは。あれこれつべこべ考えるその外から考えることができるか。考え抜いたらどこかに抜けるのか。

そのようにぼくの自我は必死で考える。すべての言葉と思考は他人にとって説である。


良心(両親)

2011年04月21日 22時22分54秒 | 航海日誌
わたしたちはどこからうまれてきたか。両親からですね。父と母との間にうまれさせてもらえて、生きているのです。そんな当たり前のことを取り立てて?
 忘れていることだから。その、当たり前のことを思い出すことがどれほど大切か。誰でも知っていることを、あえて改めて思い出すことが出来るのが良心のなせるわざですよ。遠いとことばかりを想わず、最初の、オギャーの時を思い出す季節がやってきた。今ですね。

わからなければ、さらにおおきくわからされる。目が覚めるまで揺り起こされますよ。父母に。言葉で言ってもわからないもの。


朧気ながら思うこと

2011年04月20日 23時50分18秒 | 核の無い世界へ
「なぜ?」という疑問が大きければ大きいほど、不思議な現象が、この日本に横たわっています。原発事故と、その後の国の対応、対処の何とも不可思議な進行についてです。

なぜ、技術先進国であるはずの日本が、40年も前からの旧型原発を使い続けているのか。耐震性も低い設計のままで。地震国なのにです。しかも、浜岡原発などはわざわざ震源地の央震に建てられています。「わけがわかんな~い」誰が考えてもおかしいと思えるのに。そして今回の事故が起こっています。

原発運営者は、頭がおかしいとしか思えませんが、果たしてそうなのか。何か隠された大きな理由があるのではないか。周辺住民の被害なども犠牲にせざるを得ないほどの理由が・・・

ここからは妄想です。

核武装でせめぎ合ってきた世界の中で、唯一の被爆国である核武装を許さない日本は、形を変えた核武装を取ってきたのかもしれません。日本そのものが原子爆弾化して。プルトニウムを保有し、抽出するのが容易なシステムの旧型原子力で、爆弾そのものを保有しなくても、それは同じことであるということです。

それから、世界がいよいよ危ないやばい時代になって、日本が、世界に短刀を突きつける役目が、原発なのかもしれない。こんな小さな国に原発がいくつもあるのは、この国は簡単に攻められないぞと示しているのかもしれない。プルトニウムもごまんとあるぞと。これは究極の核武装だと。

妄想ですが、事実そうなのかもしれません。よく、テロの手段の最も効果的な実行は、原子炉のコントロールを失わせるとこだといわれますが、しかし、例えば北朝鮮が若狭湾の原発にテロを起こしたとして、狭い日本海の向こうの自国も被災すると考えれば、原発に手など出せないのです。

「核エネルギー」をもってしまった人類は、今、究極の選択を迫られている。それは、手にした最も危険なおもちゃを捨てるかどうか、捨てられないのなら、どうするか。それがわからないなら、どうなるかを日本がまた66年後の今、示していると。


原発の是非

2011年04月18日 23時01分47秒 | 核の無い世界へ
20歳代から、私は原発はいらないと思ってきましたが、思っているだけで巷の反対派に声援は送るものの、傍観者でした。だから普段は原発のことを忘れています。

だが、今回の大事故は現在進行していることであり、傍観者でいるわけにはいきません。世論をうまく言いくるめてまた原発は必要だと体制化しようとしても、もう、無理があるでしょう。

原発がいかに危険きわまりないシステムであるか、みんながわかってしまったのです。「安全・安心・クリーン」の標語が見事崩れ去りました。

でも、電気が足りないと経済も生活も困る!? 実は電力は現状でも足りているという話があります。では計画停電はなぜ? 原発が必要だとするコントロールだとしたら・・・そんな噂もありますよ。裏の取れない話ですがね。

足りなくてもいいと言う人は案外多いのでは。昭和20~30年代の生活を知っている人は、あんな時代でも楽しかったと覚えています。夜は暗いのが当たり前。早寝早起きで、健康に暮らせるほうがよっぽど幸せだ。ライフスタイルの変更を、今。価値観の転換期です。「原発はいらない」これからはそう民意を発動させましょう。それに抗する政治家は当選させない。それが方法の第一歩です。


人の、先に

2011年04月17日 08時40分46秒 | 航海日誌
魂の話。人は魂をもって生きる。魂が抜ければ、人は人でなくなり、抜け殻の肉人形となる。瞬時。

魂と還った元人は、人が生きる世界を眺める。眺めてわかる。おのが人であったと。それから人を想い、影ながらの働きをする。

人はそれがわからない。魂がおのが真我であることもすっかり忘れている。

忘れているから、魂の助けを知らない。感謝もない。我良しとなる。

ただ、完全に忘れることはならないから、うっすらとなにか想う。仕様がないから天にむこうて、ありがとうと想う。天はその魂の所在だとは気がつかないで。

ぐるぐるとめぐり、それを永遠と呼ぶが、まぼろしの映し鏡。釈迦は、もうよしとせんと云ったとか。

進化 瞬時


傾聴に値2

2011年04月16日 21時28分59秒 | 核の無い世界へ
元、自衛隊戦略幕僚幹部が語る「福島原発で今なにが起きているのか」
御用学者が語る内容と全く違う現実があります。

実は電力は充分、足りているという話・・・原発を稼働させ続けるためのウソだと・・・国家の有り様とその裏側の事情。原発は不要だ。薄っぺらな陰謀論などではなく、現実だとする軍事参謀の2時間余りの講演ですが、聞けば思考に変化が起こるか。

ワールドフォーラム
http://www.worldforum.jp/