『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

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大歳神その4

2009年06月08日 09時05分32秒 | 未知への扉
三輪山は標高200m余りの山だが、参道は山をぐるぐる周りながら登っていくので山頂まで1時間近くもかかった。しかし、清々しい気分である。山頂に近づくと、小さなお社があり、「日向王子」と神名がある。それはニギハヤヒではない。日向王子とは、恐らく神武のことだ。ニギハヤヒからすれば、神武は娘ムコとなる。なるほど、一族として祀られているのだと理解した。そのさらに奥、ここが山頂という場所にいわくらがあり、しめ縄が巡らされてあった。そこにはお社もなにもなく、神名もかかげられていない。ニギハヤヒの墳墓であろうと感じた。

大神神社では、主祭神を「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」としている。どこにもニギハヤヒとはしていない。恐らく伏せてあるのだ。在野の研究者で、そう主張する者も複数いる。ところが神社では、その大物主とは、大国主神の事だと説明している。だが、別に大己貴(おおなむち)大神を祀っているからおかしい。大己貴とは大国主の別名なのだ。同じ神を2つに別けてなぜ祀るのか。大物主大神こそがニギハヤヒではないのか。

研究者・原田常治氏は、「現実に、今でも皇居で、11月22日の夜、神武天皇の舅である歴史から消された天照国照大神饒速日尊(ニギハヤヒ)の鎮魂祭を行っておられる」と、『古代日本正史』で述べている。であれば、ニギハヤヒこそが、日本黎明期の歴史で封印された神であるということになる。

出雲の幼名「大歳(おおとし)」、青年期に「饒速日(ニギハヤヒ)」として活躍し、奈良に大和朝廷の基を築いた始祖太祖として、今も大神神社、石上神社など、数々のお社で祀られる大神である。その正式な御神名を「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」と申される。