『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

無題

2015年08月31日 23時48分50秒 | 航海日誌
執着は、人生、そのものだな。

でも想う、考える。

その執着を、愛と。

そうだろう。

失いたくない。

その、失いたくないものは、なんだろう。

肉体と、その刻まれた記憶想いで。

愛は、刻まれた記憶想いか。

記憶も思い出も無くなれば、愛は、消えるのか。

愛は、消えるものなのか。

愛は、超越だったと想おうとしていなかったか。

想っていたが、消えるもの、だったのか。

愛への、執着が、人生そのものなのではないのか。

愛は、どこぞ。

ひろしま

2015年08月19日 23時20分59秒 | ソウルボート著者紹介
広島原爆投下の14年後、ぼくは広島市内で生まれました。

ぼくが広島に原爆というものが落とされたのを知ったのは、それから9年後、小学校4年生の頃でした。

学校課外授業で、平和公園へ行き、原爆資料館を見学してのことでした。

それまで、ふだんの生活で大人達から、原爆の話は聞いたこともなかった。

原爆資料館を見学したけれど、先生たちが原爆について多くを語った記憶もありません。

ただ、資料館に展示されていた、ケロイド人形がゆうれいのように怖かった。

生徒達ぼくらは、ワーっと声を上げて、資料館から出た。

小学生のぼくたちは、その後、資料館を、ゆうれい屋敷と呼んでいた。

大人達は多くを語ろうとしない。いまも語らない。

なぜだろう?

ゆうれいが怖いからだろうか?

ゆうれいになるのが怖いのだろう。

だから、どれもこれもなかったことにしたいのだろう。

311も、同じだろうと想う。

人は、経験したことか、いま自分に降り掛かっていること、その他は他人事というのが基本ですね。

経験というのは、戦争体験があるとかないとかではなくて、戦争に関して、思い至る経験があるかないか。

たとえば事故に遭って死に直面したとか、同乗者を殺してしまったとか、そういう死の体験があって、リアルを感じる。

また、そういう体験がなくても、人の生き死にを想う人というのは、何かの理由があって、他人事も自分事と感じるのでしょう。

とにかく、リアルを感じる人というのは、戦争を理屈では語れない。

だから、国会で語られているのは、リアルの外の感覚でしょう。

いま、議事堂に空爆があるやという場面で、ミサイルは武器ではなく、弾薬であるなどと語れる筈も無い。

ネットであれこれも、リアルはありません。頬に、胸に、熱さ痛さを感じるリアル。

小学生のころ、毎日のように鼻血が出ていた被爆二世より。

かぎり

2015年08月19日 22時59分24秒 | 航海日誌
お久しぶりです。

生きています。

生きて、表現をする。

細胞の、血の、脳髄の声だ。

丸木夫婦のドキュメント番組をみて、鼓舞。

どんな表現か、どんなものでも。

生きていることが表現だ。

なにをしてもなにかをしてもすべて。

いきる証だ。

つづき

2015年08月09日 20時20分26秒 | 航海日誌
なぜ、生まれたのか?

生まれて来たのか?

生まれたら、死ぬ。

死ぬのに、なぜ、生まれたのか。

人生のいろいろを人は想い、味わい、生き歳、生きる。

どういきるかを命題に生きている。

懸命だ。

ぼくも懸命だ。

懸命だった。

いま、いかに死ぬのかと、想い始めた。

いかに死のうかと、想っている。

明日とか、あさってとか、1年、5年、10年とか、と、そういうことではなく、

いま、いかに死のうかと、想っているのだ。

ところが、なぜ、生まれたのかがわからない。

覚えていない。

なにか、なにかを想い、生まれて来たはずだったんだが。

そこが起点だ。

生まれたそのときの、起点を、思い出そうと、懸命なのだ。

いくつかの、いくつかの、ことは出来たか、やったか、それもうやむやだ。

感触を、確かめたい。

その、感触を。

今日も、暑い。この暑さが、身になにかを浴びせる。

それで、生きている。

生きているという事は、そういうことなのだろうと想う、ばかりだ。

いきていることは、なぜ、の、連続で。

なぜ、と想わなくても、暑さのまとう、今日だ。




原爆忌に捧げる一編

2015年08月09日 19時49分29秒 | 核の無い世界へ
小学生の頃、田舎で遊んだ彼は、被爆二世で、白血病で亡くなりました。
その、リキちゃんに捧げます。

滝の下
西瓜を縁側でふたりして食べた後、幸夫が針をどうやって作るのか、秀紀は興味津々だった。鶏小屋の横の納屋に入り、工具箱を探して底のほうから錆びた細い釘を見つけた。釘の先をペンチでコの字に折曲げ、金槌で叩いて整形し、それからヤスリをかけて先を尖らせた。釣り針にしては歪なかたちだったが、それでも針先は鋭く、指に当るとぷすりと突き刺さりそうになった。
「ユキちゃん、すごいね」
「こんなん何でもない」
「いつもこれで釣るん?」
「田舎じゃけえ、針なんか売っとらんよ」
県道脇の雑貨屋には、子ども用の釣り具セットが売られているのを秀紀は知っていたが、そのことは黙っていた。去年の夏休みに祖母にねだってセットを買ってもらったのだ。きっと幸夫は買ってもらえないのだと、秀紀は思った。都会っ子の自分と幸夫とは、どこか育ち方がちがう。農村の子どもの遊びは手づくりが当り前だということを理解していたわけではなかったが、漠然とちがうとだけ感じた。秀紀は夏休みになると広島市内からひと山越えた祖母の住むこの田舎に来て、同歳の幸夫と毎日のように遊んでいた。
幸夫がふたつの針を作り、凧糸に括りつけた。それをポケットに突っ込み、手にバケツをもって谷川に出かけた。幅が五メートルほどの流れで、田や林のなかをくねくねと曲がりくねって、ところどころに淵をつくり、子どもが遊ぶにはなかなかに変化に富んだ川だった。秀紀はいつも網をもってハヤをすくうのだが、幸夫に頼んで釣りをすることになったのだ。
ポケットから小刀を出した幸夫が、山の斜面に生えていた篠竹を切って竿を作った。その先に凧糸と針を括りつけ、ミミズを針につけて川に投げ入れた。
「ここはの、アカンバツが釣れるんよ」
「それ、どんな魚?」
「腹が赤いんじゃ」
「珍しいの?」
「特別じゃ」
ほどなく、幸夫が一匹釣り上げた。ハヤとはどこかちがった腹の赤い魚だった。バケツに入れると、ブリキの底でくるくると泳ぎまわった。
「きれいな魚じゃねえ」
「ヒデちゃんも釣りんちゃい」
幸夫を真似て、岩の横の深みに竿を降ろすが、いくら待っても当りがこなかった。我慢できなくなって竿を上げると、ミミズが消えていた。空缶に入れたミミズをつまみ出して針に刺した。ミミズが縞模様の体をくねらせた。ふだんは素手でミミズを掴むことなど秀紀には気持ち悪くてできないのに、釣りではそれができた。
「あのな、ピクッと当りがあったら、サッと竿を上げんと釣れん」
「うん、わかった。こうでしょ」
「そうそう」
 また、幸夫が一匹上げた。今度のはふつうのハヤだった。
「ユキちゃん上手じゃ」
「ヒデちゃんも釣れるよ」幸夫に励まされるが、まったく釣れる気配がなかった。
清流が心地よい瀬音を響かせ続けた。釣り糸を垂れているより、そこに入って遊びたくなった。秀紀は運動靴を脱いで足を浸け、ジャブジャブと水を跳ね上げて川を歩いた。
「川に入ったら魚が逃げるじゃないか」たしなめるような口ぶりで幸夫が言った。
「ぜんぜん釣れんけえ、こっちのほうが面白い」
 幸夫がふくれ面で、竿を上げて川上に移動した。秀紀はそのまま川のなかで水遊びに興じたが、ひとりで遊んでいるのに飽き、また幸夫の姿を探した。
「ヒデちゃんが川に入ったけえ、魚が釣れんようになったんじゃ」
「川で遊ぼうや」
「釣りしたい言うたん、ヒデちゃんで」
「もうええよ」
「なら、滝へ行こうか」
滝はそこから百メートルほど川上にあった。三メートルほどの落差だが、子どもの目には立派な滝だった。川底に降りると、水飛沫で涼しかった。鼻にツンと青い水の匂いがした。水をかけ合い、びしょ濡れになって遊んだ。
日が西の山に傾き、辺りの木々でヒグラシが鳴きだした。カナカナカナと寂しげに鳴くその声が、夕暮れを告げていた。そろそろ帰ろうと、幸夫が言った。
バケツの赤い魚を見つめていた秀紀が、
「ほんもんの針じゃったら釣れるんじゃ」と、ぼそり言った。
幸夫は何も言わず秀紀を見つめていた。
「ヒデちゃんに、アカンバツやるよ」
「いらん」
「ばか」
「ばかは、そちじゃ」
 ふたりは滝の下で掴み合った。幸夫が突き返すと、秀紀が腰まで水に浸かった。
「おまえが悪いんじゃ!」と幸夫が声を上げた。
「もう、ユキちゃんと遊ばん!」
「わしも遊ばんわい」
「忘れんなよ」
「忘れん!」
幸夫がバケツを頭の上にかざし、アカンバツを滝の淵に投げ入れた。そのまま土手を駆け上がり、林の向こうに走って消えた。林が夕日で赤く染まっていた。カナカナカナと、ヒグラシの声が鳴り続け、秀紀の耳のなかで共鳴していた。身を固めじっと動かず、声を聴いた。
突然、水の音が大音響となって頭から降ってきた。辺りの景色がちがうものに変わっていた。
秀紀は何もかもが物悲しくなり、幸夫が作ってくれた竿をその場に置いて祖母の家に帰った。びしょ濡れで戻った秀紀をみて祖母がどうしたのかと問うたが、秀紀は川で転んだとだけ言った。
翌日、幸夫の家の前まで行ってはみたものの、昨日のケンカが目に浮かび、また祖母の家に帰り庭で遊んだ。祖母が危ないからやめろと言うのも聞かず、サルスベリの木を登り降りした。それにも飽きると、納屋から鍬を出してきて庭に穴を掘った。庭が穴だらけになった。そこに今度は井戸からバケツで水を汲んできてぶちまけた。祖母がそのひとつに足を落として草履が濡れた。
夕方になると父親の正紀が迎えに来て、番茶を一杯飲んでから秀紀を車に乗せ、広島市内の自宅へと向かった。道に出た祖母が手を振った。車が加速すると、やがて祖母の姿が見えなくなった。悲しみが一気に込み上げて秀紀は泣いた。
正紀が、「おまえがいい子になれば、また連れてきてやる」と言った。秀紀はしゃくり上げながら、何度も何度もかぶりを振り、また泣いた。
日の落ちた山道は漆黒の闇に包まれ、車のライトが行く先の砂利道を照らしていた。峠に差しかかると、広島の街が星屑のようにまたたいていた。正紀が一瞬、車を止め、「奇麗じゃのう」と言って、ため息を吐いた。
滝の下でケンカ別れしてから二年後に、幸夫が入院した。白血病だった。伯父の和己が血液型が同じで輸血したという話を父母がしているのを聞き、それから間もなくして亡くなったことを知った。
「中学に上がる前にのう。かわいそうなことじゃ」と正紀が言った。「おまえも仲よう遊んでもろうたのに」
秀紀は「うん」とだけ返事して何も言わなかった。幸夫と絶交したままになったことなど話せなかった。幸夫との釣りは、あれが一度だけだった。秀紀にとってあの四年生の夏休みは滝の下で終わり、忘れることのない釣りとなった。