『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

自分って?

2016年09月17日 00時03分47秒 | 航海日誌
人生ってなんだと思う。。。自分が自分に落とし前をつけるだけ。この世界の敵って。。。自分。自分ってなに。鏡。マトリクス。笑うね。ぜんぶ、自分だったって。わかれたって、わかれてないもん。

もう、おれに

2016年09月09日 23時18分06秒 | 航海日誌
もう、走らなくて、いい。

どこに走るんだ。

おれ向かって、走らなくていい。

おれが、おれに、向かって。

この世に生まれて、ずっと、どこに向かって走っていたのか。

おれは、おれに、向かって、走っていた。

なぜ。

おれに、会うため。

おれって、だれだ?

だれでもない、おれだ。

そのおれが、神だ。

ばかよろうが、神って。

だっからよ、とおい。

こころの叫びを聞いたか

2016年09月08日 22時25分26秒 | 航海日誌
こんばんは。

日々、いろいろの現象に、反応して、うれいかなしみ、たびに、こころを鎮めています。

なんで生きているのか、活かされているのか。。。

人は、みな、こころが叫んでいるのだろう。

どうなる、どうする、どうすればいい、のか。

どうするには、金がついてまわる世の中です。

だから、金のことを考えるが、それではこころは解決しない。

「生きて行くために、金がいるだろ」

それは、この世の中の仕組み。

その仕組みの中で、生きているのだから。

だから?

シンプルに、金から、離れる生き方はできないのか。。。

逆かも。

常在戦場、、、常在洗浄、、、洗い流せ。

食べるものの量が減って、でも、酒を飲む日々。

ええかげんにせんとな、ええ加減がええね。




こんばんは

2016年08月03日 22時52分43秒 | 航海日誌
お久しぶりです。

近況。。。元気です。

ありがたいです。

ここのところ、想うことは、
地球自然環境のことです。

アフリカで雪が降ったり、シベリア35度の猛暑で永久凍土が溶けたり、
欧州でボール大のヒョウが降ったり、米国で森林火災が酷かったり、
中国で大豪雨が降ったり、噴火や、雨や、干ばつや、
もう、どうなっているのかと。

でも、ぜんぜん、ニュースでやらない。

ネットのワールドウエザー情報によると、そんなことになっている、らしい。

この秋、加速度的に、ミニ氷河期へ突入という情報もあります。

そこで、世界は、次の局面へ入ると。

さあ、いかなるか。

某国の首相が、経済優先と申しておりますが、妄言であることを知ることになる。

備えておきましょう!

ヒロシマから帰り

2016年06月26日 23時00分30秒 | 航海日誌
お袋の49日葬儀から、半年が経ち、ヒロシマへゆき

その間、岡山駅前、英国EU離脱を号外で知り、

世界がいよいよどんどん極まっている最中。

なにを想うか。

天・自然が動いている。

自然とは、人を含めた、この星の環境すべて。

ただ、想う。

過去も、未来も、いま、ここに、すべてを。

この感触が、ソウルボートであると。

生かしていただいて、ありがとうございます。

生きている、いま。

この感覚。

それ、よ。

戦争が近づいている

2016年04月27日 22時28分17秒 | 航海日誌
たぶん。世界で金を好き勝手に動かせるやから連中は、そうではない人間たち数十億人をうとましく、思っているのだろう。

そやつらを、馬鹿者らを、この世界から消して、せいせいすると思っているのだろう。

ところが、この世界にいろいろの豊かさを生まれさせているのは、たとえば、ワインの饒舌の味とか、チーズの饒舌な味とか、この日本の芳醇な酒とか、漬け物とか、金さえ出せば好きに味わえるこれらの豊穣を、それがどこからなにからもたらされているのかへの想像のかけらもなく、彼らが馬鹿者と思っている人々が、消えるとどうじにそれらの豊穣も消える事をちっともわかっていないのだ。

消せば、この地球から、豊穣も消え、粗末な、金のにおいだけが残る世界があることを想像もできないのだ。

後の祭りと知らない、金のみ豊かな寂しい人々である。後悔先に立たずを思い知ることのなきよう。

このままでは、あと数年で、世界大戦へ突入するだろう。

そうならぬよう、今、世界が二つにわかれて、静かな戦いをしている。

自覚のあるやなしや、に関わらずだ。

2015年12月19日 23時15分56秒 | 航海日誌
Soudatta2015♪

そうだった、そうだった、

思い出すも、思い出せず、

そうだった、そうだった、

思い出し、想い忘れ、

そうだった、そうだった、

思い語り、想い失った、

そうだった、そうだった、

思い、想い、憶い、

そうだった、そうだった、

そうだったって、なにかを
いま、思ったんだね。

ひさびさに

2015年12月19日 00時38分53秒 | 航海日誌
人生、航海しております。

おお、まだ、生きていたかと(笑9)

まだ、遊田の読者はおるのか。。。

2015も、そろそろ。

わたし、シャーマンではありませんので、うらなえません。

が、動いてますな。とても、とても。

で、書かないといけないことを書きます。

来年は、だれの、どなたの目、身体にも、わかる、変化の年になろうと。

なぜ、そういえるのか。

わたしが変わりました。

先月、母ちゃんが、死んで。

鍵が開きました。

そうだった、そうだった、そうだったのか。

ソウルボートの秘密が、開きました。

つづく。

無題

2015年08月31日 23時48分50秒 | 航海日誌
執着は、人生、そのものだな。

でも想う、考える。

その執着を、愛と。

そうだろう。

失いたくない。

その、失いたくないものは、なんだろう。

肉体と、その刻まれた記憶想いで。

愛は、刻まれた記憶想いか。

記憶も思い出も無くなれば、愛は、消えるのか。

愛は、消えるものなのか。

愛は、超越だったと想おうとしていなかったか。

想っていたが、消えるもの、だったのか。

愛への、執着が、人生そのものなのではないのか。

愛は、どこぞ。

かぎり

2015年08月19日 22時59分24秒 | 航海日誌
お久しぶりです。

生きています。

生きて、表現をする。

細胞の、血の、脳髄の声だ。

丸木夫婦のドキュメント番組をみて、鼓舞。

どんな表現か、どんなものでも。

生きていることが表現だ。

なにをしてもなにかをしてもすべて。

いきる証だ。

つづき

2015年08月09日 20時20分26秒 | 航海日誌
なぜ、生まれたのか?

生まれて来たのか?

生まれたら、死ぬ。

死ぬのに、なぜ、生まれたのか。

人生のいろいろを人は想い、味わい、生き歳、生きる。

どういきるかを命題に生きている。

懸命だ。

ぼくも懸命だ。

懸命だった。

いま、いかに死ぬのかと、想い始めた。

いかに死のうかと、想っている。

明日とか、あさってとか、1年、5年、10年とか、と、そういうことではなく、

いま、いかに死のうかと、想っているのだ。

ところが、なぜ、生まれたのかがわからない。

覚えていない。

なにか、なにかを想い、生まれて来たはずだったんだが。

そこが起点だ。

生まれたそのときの、起点を、思い出そうと、懸命なのだ。

いくつかの、いくつかの、ことは出来たか、やったか、それもうやむやだ。

感触を、確かめたい。

その、感触を。

今日も、暑い。この暑さが、身になにかを浴びせる。

それで、生きている。

生きているという事は、そういうことなのだろうと想う、ばかりだ。

いきていることは、なぜ、の、連続で。

なぜ、と想わなくても、暑さのまとう、今日だ。




人は動かじ。

2015年06月19日 00時16分35秒 | 航海日誌
「やってみせ、やらせてみせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
意訳:手本をみせ、そのまま見よう見真似でやらせてみて、次にはワンポイントだけ伝えてさせてみせ、ちょっとでも解って多少なりとも体現できていたら、そこを褒めてあげると、理解できた事がうれしくなって、人はまた次へ動き出せる。
どの職場環境においても、同じく。やれ!動け!働け!と連呼していても、人は動かじ(動けません)。リーダーたるもの、褒めどころは、その一点、その小さな一歩のみ褒めれば良い。あとは自然に人は歩む。

どう死んで逝く?

2015年05月30日 00時19分21秒 | 航海日誌
ぼくが大学というところへ行って、いちばん良かったと思えるのは、ある社会学講義で「病気は社会が作る」というものだった。その意味が最近わかるようになった。そうだったんだ、病気は作られていたんだ。ある権威が、あなたは病気だと云えば、あなたは即刻、病気になる。病の気になる。はめられる。そういうことなのだけど、病気になってしまう。死と病気はまったくちがうスタンスにあるということが、ぜんぜんわからない。わからないまま、死んでいく。それこそが、問題なのだ。病気で死んだのではない。その時、その旅が終わる日を迎えて、あなたは旅立つのだ。

『死の瞬間」E・キューブラー・ロス博士。それ、同感!

なぜ病むのか

2015年05月28日 22時43分56秒 | 航海日誌
ぼくはフードジャーナリストではない。だから、書ける。
食べてはいけないものが、世間にいっぱい。
食べるということは、生きる、に直結している。
そうすると、何を食べないかになる。
数多く、栄養素をたくさんバランスを取って食べなければ生きられないという文言を信じるのは自由ですが、
どうもそういうことではなく、食べてはいけないものを身体に入れてはいけないということではないかと思う。
してはいけないことがあるように、食べてはいけないものが蔓延していないか。
それを毎日、食べていたら?
病気。

居着きの子守唄

2015年04月13日 23時41分59秒 | 航海日誌
多少、お酒が入った頭で、語ります。どんどんこの世の中、日本社会、国民民衆も時間に流れて生きております。知事選、県議選がおわりましたが、すごいね。自民圧勝の爆裂(日刊現代タイトル風)。なんで、こうなるのか? 私論は、おそらく(民衆意見を聞いたわけではないので)、元凶の恐怖真理と、その手前に、現状維持心理が働いていて、武道でいうところの、「居着き」(これを自分に唱う「居着きの子守唄」と命名します)に陥っているのだろうと推察されます。秘密保護法だの、マイナンバーだの、集団的防衛権だの、背筋が凍るだろう文言が立法化されようと、ほぼされているのに、細魚の口のように口をつぐんでおるのは、心理的に、そういうことなのだろうと推察されます。で、この国では、割と昔から、社会(会社)で、政治と宗教の話はするなと申します。それは経済活動に自己不利益をこうむるからと理解されます。語る者は馬鹿とされます。おおかた、馬鹿にされたくないから、口を細魚のごとくつむぐ。それは仕方のない事です。それが日本人というものです。で、結局は自分の尻は自分で拭くのです。物理的にそうです。最期は自分でそうするしかありません。だから、大いに好きに生きたらいいのです。人の意見は意見です。その意見は、最期までは通用しません。最期は、自分で自分のおとしまえをつけるのです。それだけです。生きているうちは、その先は、謎です。語れば、単なるオカルトです。惑わされます。気をつけたいものです。西洋のオカルトが元凶ですから。死んだら、驚いたくらいがちょうどいい。