『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

しばらく考えていたこと

2012年01月27日 23時28分55秒 | 航海日誌
【生活を改善する】

東北大震災で福島第一原発が壊れ、放射能が列島へ拡散するという一大事を起こし、未だ収束をみない。これはフクシマというククリで済む事ではありません。放射能の拡散は日本全土に及んでいるし、建築資材に混入し、食品に混入して拡散しています。

除染するといいますが、それは無理がある。表土をすべて洗い流すことは不可能だし、流しても、放射性物質が移動するだけです。微粒子の物質はそうです。

もう、ダメなのか・・・

私の祖母は1940年8月6日、広島で被爆しましたが、96歳まで癌にもならず天寿をまっとうしました。毎日、ごはんと漬物、汁の粗食で、90歳まで畑に出て仕事もしていました。そうした生活が元気の素でした。

これからは、個々人が生活を見直す時期になるでしょう。しっかり生きるには、免疫力が高まる生き方はあります。

野菜中心の粗食、身体を使う仕事や運動、規則正しい睡眠、半身浴で身体を温める、循環器系を助けるビタミン類、ミネラル類などの摂取、などなど、昔から良いとされる方法でも生活改善。それが免疫力を高め、放射能で傷めた細胞を補いながら、身体を活性化させてくれる。さらに今後はもっと効果的なサプリも紹介されるでしょう。

また、除染がかなわない汚染物も、たとえば高嶋さんという方が研究、普及させている菌類で分解する可能性もありそうです。ブラウンガスという水酸素エネルギーは、放射性物質を燃焼し無害化するという話もあります。まだ未知のものとして話題になっていなくとも、どこかの時点で注目され、その効果が認められる時がくるでしょう。

いまはもう希望もないような状態にあるようでも、先では必ず、解決の方法が見つかるでしょう。なぜ、そういえるのでしょうか。これまでの歴史がそうだったからです。人類は絶望を何度味わったかしれませんが、今もこうして世界で生きてきるのが、ないよりもの証明です。

なぜ、この地球があるのでしょうか。魂が、人間という肉体をまとって3次元体験をするためです。そんな話など聞いたことがないですか? なかったら、これから聞くでしょう。そういう時間になりました。

その前に、もう少ししたら、もう勘弁というカタルシスが世界で起こります。すでに起こっているのですが、まだ、見えない人が多い。もう、あからさまになって誰も、まさかトンデモなどと言ってられない時です。すると、そこから初めて次元突破の、一人ひとりに伸びる銀の糸が見えるでしょう。その糸は一人ひとりの導きの糸です。あなたにしか見えない糸。誰かが、この糸がと言ったら、偽物です。人の意図は糸ではありません。そのことをよく覚えておいてください。呉々も。

もう間もなくです。でも、それはどうなるか、ご自分が決めることです。だれも命令などしませんから。誰を信じることもなく、自分を信じる初めての究極の時の訪れです。丸裸になって、そのときご自分の本当の姿を知るのです。もう、間もなくです。


最初に宮古島へ行った顔の話

2012年01月13日 23時39分27秒 | 宮古島のシャーマン

あの日と今も変わらず、変わったのは形だけ

20代前半の若造の頃の顔です。この頃が最もエネルギッシュで、これから俺はやりたいことを思い切りやって生きるぞと想っていた頃でした。旅がしたかった。旅をしました。

それから、10年余り経ち、私にファイナルコールが鳴りました。37歳のときでした。身体が墓に半分埋もれて、これはもう生きているのか、どうか、最後の最後のような姿・・・・そう、沖縄宮古のシャーマンに伝えられました。

私が宮古島へ行ったのは、1997年でした。その話は「宮古島のシャーマン」で書いてあります。

今から15年前のそのとき、シャーマンに会った第一声が「あれ、あんたもっと若いかと思ったよ。髭は生やしているけど、そうか、あんたが一番自信があった頃の姿で来たんだねえ」

でも、若かったけど、暗い青年でした。どう、どこへ向かったらいいのか解らなかった。自分のやるべきことが解らず迷いながら、おれはダメだと。

若くてエネルギーもあって、でも、自信がなく、でも、何かしたい、しなければと焦って生きていました。

そして、ファイナルコール。宮古島体験。死んでいた仲間が遠くで笑っていた。手招きもするけど、まだ、行けない、行くわけにはいかない! そう叫びました。

また、それから、15年過ぎ、これを書いている。生き、生かしてもらっている。生き生かしです。

いつもおもうのが、ほんとうに思うことを云おう書こうと思いながら、それに近づかないもどかしさです。こころと戦うが、勝てない、出来ないの、もどかしさです。なんで書けないのだろうか。

どうしても、自分の本音の底に、書くことが行き着かないのです。何万べんも書いていても、未だ、行き着かない。

書けたと思ったことが無い。

だから仕事のほうが楽です、というか、まったく違う。これこれこうしてという注文には応じられても、オーダーのないものには、書けない。答えがない。

それが昨日書いた、孤独の話です。

だから、今日も、書きました。

でも、明日書くかはわからない。


言葉枯れて

2012年01月12日 22時44分33秒 | 航海日誌
「核の無い世界へ」を、このブログスタートから書いてきたが。そして、フクシマ原発事故が起こり、今も、いついかなるかといった状態にあるが、いくら言葉で書いていても、マスターバーションのような感覚に、ほとほと嫌気が刺してきたのです。

もう、自分感情の記録のようであるのですが、そもそもブログというものが、そういうものだけれど。

勝手に書いているだけで、間にだれもいないのだから、自己との対話が本来。だから、自分が自分に、ほとほと。こういうものはエンターテインメントの逆です。

d、近ごろは、フェイスブックに書いています。数人でもレスポンスがあって、それを喜んでいる。

何度、言葉が枯れているだろう。わたしは。

宮古のシャーマンに、神さまから万年の筆を与えられたといわれて、それでも弱い心で、枯れそうになっていて、でも、だらだらと書いている。

ほかの人のブログを読むと、すごいな。枯れるどころかです。その理由はよくわかります。これ、暗いもの。暗いことでも楽しくさせるテクがある。

ひとり、リクエストをくれた人がいました。あなたは、スピリチャルな話を書いたらいいと。

ぜんぶ、スピリチャルなんですけど。

孤独だ。

やめるか。

ご勝手に。

ごもっとも。


味わい尽くす

2012年01月11日 23時16分21秒 | 核の無い世界へ
たとえば、この30年ほど、何とかなって来たから大丈夫だろうと思っていたところが、天災は忘れたころにやって来るとばかりに大震災が起こって、いったんは大騒ぎになったけれど、原発事故も収束せずにいるままで、また大地震が起こったら、こんどは東京も終わりだと頭の隅で思いつつも、まあ、それがいつと決まっているわけでなし、今日のことをやって生きているというのが、東京あたりに住んでいる人間の大半の心理と想像する。

いつ、B29が飛来して東京を爆撃するのか、今日か明日かでも人々は住んでいたのと、どこが違うのか。

昨日、久しぶりに会った人と話をしていて、勢い原発話になった。その男性は林野関係の仕事をしてきた人で、環境や経済に明るい。この度のことで頭に来て新聞購読もやめたとか。ヒドイもんだと一言。では、なぜそうなのかと。拝金だろうね。いまの大人というものは全員が、小金に絡め取られて動けないのだという。なるほど。小金という言葉がリアルに感じる。

その夜は、別の人と酒を飲んでいて、また原発話に。彼いわく。まだ、誰も言い出さないことがあると。フクシマの原発から50キロ圏内は立ち入り禁止区にして、放射能汚染物質も全てそこに集めるしかない。つまり廃墟地にするということだが、わが故郷に何てことをいうのかとなるから、誰も口にしない。しかし、チェルノブイリはそうなっていると。

つくづく、凄い時代の只中に生きていると思うが、この時代に縁があって今いるのだから、すべてを受けとめるということだ。あらんかぎり感じ、思い、考えて、味わい尽くす。暗たんたる、この気持ちをも。


成人の日に

2012年01月09日 15時12分38秒 | 航海日誌
世界中どこでも、子どもから大人になる日ないしは期間というものがあるようです。その一つがアメリカ先住民族のトーテム探しの儀式。森に一人で入り、特別な場所を見つけて、そこで自分のトーテムと対話するというもの。トーテムとは精霊のことですが、クマやビーバーなど森の生きものに象徴化され、たとえば鹿が現れればそれが自分の精霊となり、村での呼び名も、幼名から「鹿の男」などと変わります。ネズミが現れればネズミ男でしょうか。

冗談はさておき、名前が変わってしまう成人式は、村での扱いもがらりと変わるようです。子どもだからと許されていたことも、もう許されません。ルールを犯せば村から追放されます。大人になるのは厳しい。成人式は、堂々と酒たばこがやれる日といった、この国とは大違いです。

子ども時代におさらばして、大人になるためには、ガツンと一発、転換の義が必要ですね。それは1日で終わるものではなく、期間が必要かもしれません。私の場合は、夏休みに2ヶ月の旅に出ました。リュックをかついで、東北、北海道をうろうろ歩き、そこで出会った人々からいろんなことを学び、感じました。

そのときの旅で出会った同年代のM青年は、リュックにのぼりを立てていました。「戦争反対!」。それを見て、おれには出来ないなと。カンボジアへボランティアで行き、出会った村の少女が、その後、地雷で亡くなったことを知ってやり場のない怒りを覚えたと語ってくれました。支笏湖で会ったのですが、彼は京都からずっと歩いて来たのでした。

支笏湖の1泊200円の町営宿で夜通し語り合った彼は、私から見れば、自分の何倍も大人に見えました。「自分が信じる道を歩こう」「ぼくも歩くよ」そう言い合い、峠で別れましたが、リュックにのぼりを立てて去っていく姿が今でも目に残っています。彼は今も元気だろうか。元気なら、あの夜、語ったように、今でも平和活動を続けているのだろうと想います。


闇夜にカラス鳴く

2012年01月08日 23時09分40秒 | 航海日誌
いま、外でカラスが鳴いていますね。生きものは正直でよろしい。ぼくも鳴こうと思えども、涙出ず、涸れて一夜のさんど笠か。

本日は、合気道の鏡開きでございまして、昼間から御神酒を頂き酔っ払い。新宿で仲間とさんさんやって、今に至る。

途中の寄り道も、いといとおしい。お家にかえったら、外でカラスが夜泣き。生きものはいいのう。

で、わたくしがなんのそののていたらくでございますが、それでもひとえに、おれが何とかすると大風呂敷雑言を吐いて帰って参りました。

カラスに鳴かれてつつましく、反省するばかり。どうするそうする、


龍の年に伝える事3

2012年01月07日 12時31分47秒 | 未知への扉
【先に見える印象風景】

私たちは、どこから来て、どこへゆくのか・・・
そのことをずっとこのブログで書いてきました。どこから来たのかも不明、どこへゆくのかも不明。その字のごとく、明かりを失ったかのような話ですが、無明ではないと。

前回、見えないものを見る心の話をしました。その象徴の一つが龍であると。今年はその龍の年です。日本列島の形状は、龍に喩えられることがあります。われわれは龍に住む民だと。中国は眠れる獅子と呼ばれましたが、日本人は眠れる龍とイメージできます。未だ眠っている。

もう何年も前から、その日本は龍のごとく大地を揺らし、眠りから覚めると云われて来ました。去年から大きく揺れ始め、龍体をゆさぶり、永い眠りから覚めようとしています。

人間にとっては、地震活動期です。揺れれば、そこにのかっているものは壊れます。今までの常識も壊れていきます。壊れることは人にとっては元凶です。しかし、それは転換であり、新生への胎動です。

この人間界も長らく定着していました。腐敗の匂いも漂います。生命体としての新生が、起こるには、大祓(おおはらい)が必至であり、すべてに禊ぎ(みそぎ)のおこないが興ります。それが今です。

災いは転じるのです。しかし、その前に災いを「大難を小難に」変えることが求められます。いかに、いかに。一人ひとりが心を清め浄化することに尽きます。容易いことではないのはよくわかります。しかし、すべてはそこから始まります。

その人の色はその人の周囲に映り、互いに染め合っています。それが連携して世の中の色があります。どこか他方をみて、色を変えようと考えても変わらないのです。変わるのはその人の色です。

そして、これからたくさんの転換変化がみられることでしょう。梅は一輪一輪が蕾を開き、世界に色を映します。やがて咲き誇るすべてが、この世の景色を変えるでしょう。三千世界に梅の花が咲くのです。


メディア関係者へ

2012年01月05日 21時27分35秒 | 核の無い世界へ
メディアをうらむな、メディアをつくれ シンポよりパート4~
↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=-moR-FX3YLo&feature=related
(上のアドレスをコピペして検索)

メディア関係者にこそ、このネット番組を観てほしいのです。

元、某テレビ局報道部デスクの木下黄太氏が、フクシマの原発取材で体験したことを語っています。取材する者の姿勢、局の姿勢、限界を。報道局会議でどのようなやり取りがあって、報道をしないのか。なぜ、政府追随の報道しかしないのか。メディアとしての機能不全がどうして起こるのかを、ハッキリ語っています。また、であればどうするのか。そこで木下氏は独自のネット・メディアを立ち上げて活動しています。その理由は、個人的にもう許せなくなったからだと。

私は、この放送を観て、心の中のわだかまりを代弁された気分になり、共感しました。放送はパート1~13までありますが、とくに木下氏が語っているパート4~ご覧下さい。

良心を取り戻し、生きるために、願います。


龍の年に伝える事2

2012年01月04日 12時41分04秒 | 未知への扉
初めに龍の話を少しします。

龍はいると思いますか? ネバーエンディング・ストーリーの白龍、ファルコンのような大空を翔る龍です。いるわけがない? でも、龍を見た。龍はいるという人もいます。その人には龍が見えるのかもしれません。

私の場合は、龍の形象が見えることがあります。下北半島の大空で見たし、奈良の三輪山、鳥取大山麓の天の真名井では、清水の中から私をじっと見つめていました。写真に撮ると、それがまたハッキリ顔で(笑)

龍に出会うと、これからおじゃましますのでと断りをして、きちんと挨拶します。アニミズム精神、あるいは古神道に則っての作法です。

神道では、龍を眷属(けんぞく:神の遣い)として礼を尽くします。また、お寺でも、龍は化身として本堂をお守りしています。

ですから、動物存在として龍がいるいないの話ではなく、象徴の龍の話です。風水思想では、龍脈といって、地のエネルギーを龍に喩えて捉えます。地中を流れる気脈が地上に吹き上がる場所を「龍穴(りゅうけつ)」と呼びます。その場所はみなぎる力に満ちており、敏感な人は立ってはいられないほどです。古社などはそういう場所に建てられたものが多いのです。

では、その象徴としての龍は、どこからその姿が生まれたのか。龍は伝説です。その伝説は、古代に遡ります。そう、恐竜の時代。大地を闊歩した龍もいれば、海へ還った龍もいたし、空へ上がった龍、翼龍もいました。人間はそれらの龍を見ていて、記憶している。それはそれは力強い生きものでした。かれらがこの世界から姿を消しても、人類の記憶には残っています。

それが象徴の龍です。その龍に畏れを抱くのは太古の記憶からものと思えます。去年、ブータン国王が訪日し、龍は存在するかのように語りました。龍に畏敬の念を抱く国王に違和感はありません。神秘の国ブータンの方ですから。かれは仏教徒なので、その象徴として龍を見ているのでしょう。

【見る事とは】
では、龍という形象でいったい何を見ているのか。風水でいうところの龍脈でしょうか。自然界のエネルギーの流れでしょうか。そうともいえますが、もう少しニュアンスの違う面があります。

神道的にいえば、やはり眷属としての龍です。その地を護っている。そこにはある意識ないし、意志があるといってもいい。だから無闇に踏み込んではならない。こちらがそういう精神でいれば、見えるのです。シャーマンは見て、読み取りをします。そんなものはいるはずがないと否定すれば見えません。

言葉を換えれば、見たいものを人は見るともいえます。目に映るものは信じますが、映らないものは信じないのが人間です。私はときに霊体を見ることがありますが、それを人に見せることはできません。ですから実在するという言い方はできません。私にとっては見えるといえるだけです。

では、なぜそのようなものが見えるのか。この世は物質的なものだけで成り立っているのではないと想っているからです。誰でも見えないものもあると知っていますが、その見えないものを見る人々もいるのです。見える人はなんとかそれを伝えようと思います。けれども、それが叶わないことのほうが多いのです。

見えるその先に、なにがあるのか・・・

(つづく)


龍の年に伝える事1

2012年01月03日 17時08分42秒 | 未知への扉
改めて、明けましておめでとうございます。

本日は、今まで語らなかった話を書きます。

2000年初頭から、この2012年とはどんな年だろうかと想っていました。フォトン・ベルトの話題がネットや本で語られるようになり、銀河宇宙の周期で、この太陽系は26000年ぶりにフォトン(光子)の帯に突入し、そこで人類はどんな大転換を向かえるか・・・といったものです。マヤ暦も、2012年12月で終わっているので、地球になにか大きな変化が起こるのではないかと、一部の人々の間で囁かれるようになりました。

正直、私もその頃は、その説に興味をもって関係書籍を読みあさっていました。でも、結論などあるはずもなく、しかし、なにか世界規模のカタストロフィーが起こる可能性も否定できないと感じていました。私が沖縄でお世話になったシャーマンも、2005年頃、これから世界は大変な時代を迎えるから、心しなければならないと云っていました。また、熊野の仙人と呼ばれる人物も、同様のことを話していました。

かれらが語ったことは、「心を清らかに、浄化しておくこと」というものでした。そして、その同じ時期に、神道系の旧友から誘われ、下北半島へ浄化の旅をすることになりました。六ヶ所村の辺りで、「北の柱建て」の神事をしなければならないから手伝ってくれというものです。私は神主でもシャーマンでもないので、興味本位で行く気は毛頭ありません。しかし、沖縄のシャーマンに尋ねてみたところ、私にも「浄化」の役があるというのです。ヒロシマ生まれで被爆二世の私は、自分にもそういう因縁があるのかと想い、素直に同行しました。

まず、むつ市の総鎮守へお詣りに行き、神主さんに主旨を話し、正式参拝を終えました。次に、核燃料処理場のある六ヶ所村へ赴き、その土地の氏神さんをお詣りし終えてから数キロ離れた海岸線の林のそばまで行き当たり、そこで古神道に則った神事をおこないました。私は大祓祝詞を念じるばかりでした。とにかく、ここで浄化しておかねばという想いだけです。この旅は、なにが目的なのか、頭でわかる理屈を超えていました。

私はオモシロ半分でこういった事を人に語ることはしません。このような神事は陰ながらのおこないです。ですから、親しい人にもここでの話はしていません。しかし、あえて今この話を皆さんにすることにしたのは、去年の3.11による原発事故が起こったからです。とても重大な時期に入ったので、縁在る方々に知っていただきたい。

いま想えば、6年ほど前に下北半島へ浄化の旅に出たのは、実に象徴的な出来事だったと感じます。六ヶ所村核燃料再処理工場は、日本の原発で出される核廃棄物の最終地点であり、ここが地震に襲われれば、地球全域が汚染されてしまうほどのものです。そのような事が起こらぬよう、地の龍を治めねばという想いでした。六カ所村での神事を終え、下北半島の先端へ行くと、青い空に細く長い雲が南西から北東へ伸びていました。ひとめで、龍の姿とわかりました。形象として現れるのです。

そして、20011年3月11日、東北大震災が起こり、福島第一原発が壊れて放射能汚染が広がりました。下北半島へ赴いたとき、私には放射能を浄化せねばという想いが強くありました。祈りで放射能が浄化できればスーパーマンですが、そんな話ではありません。これには人間にとって今後どう生きなければならないかの、深い意味があるのです。

辰年に入った今、その話をしようと思います。

(つづく)


だっからよー

2012年01月01日 05時57分31秒 | 航海日誌
人類に、ヒロシマ・ナガサキに原爆が落とされて、いくら平和利用などと詭弁を吐こうが、原発はだめだと最初から云っているでしょうが、そんな単純な話がどうしてわからないのだろう?

人々がああだ、こうだ、といっているのはぜんぶ屁理屈の羅列なんだよー。

元旦、朝まで生テレビ・フクシマ原発討論を観ていて、ホントー。そう感じる。

原発、終わり。世界の原発思考を収束させるだけだ。

触ったらいけないオモチャがあるんです。

それは人類の進歩じゃない。

やることは、意識の進化だよ。


初夢

2012年01月01日 00時00分03秒 | 航海日誌
初夢といえば、一富士・二鷹・三茄子と、昔からいわれておりますな。

一番、富士山は、不死山が転化したとも。別名で蓬莱山。秦の始皇帝が不老不死の仙薬を求めた山ですな。どどいつに、富士の高嶺の白雪は甲斐で見るより駿河いい、なんてのもありまして。ま、これは別の話でございます。

二番の鷹はと申しますと、日本では鷲より上とされて、源氏の頃より鷹狩りもおこなわれ、武家のシンボルともなる猛禽類。

では、三番茄子は? 米沢9代藩主・上杉鷹山公の格言、成せばなる成さねばならぬの、なす、ですな。紫も高貴色でして。京茄子なんぞ、お高いもんです。

とにかくも、富士、鷹、茄子のどれかかが初夢に出たら、こりゃ目出度いこととなるわけでして。

さてさて、谷中長屋で、晦日から大酒を飲んだ虎公と熊公が、赤ら顔で話しております。

「オイ熊、おめえはどんな初夢みたんだ?」
「おれかい、茄子つかんだ鷹が富士山まで飛んでって」
「三つそろいか! そりゃまた豪勢な。富くじでも当たったか!」
「もう、ぱあーっと富士が見えて、お宝がざっくざっく」
「お宝! 先きゃ、どうなったんでい」
「鷹は、このおれなんだが」
「ほう、面白え、熊が鷹か」
「こうして羽ひろげて、ぱった、ぱった、富士へ飛んでって」
「飛んでってか」
「飛んでって、目が覚めたら雪隠に、顔突っ込んでた」
「そりゃ、情けねえ」
「雪隠の絵が富士でよ、握った茄子はおれのマツタケだった」
「そりゃ、お宝、マツタケ無駄だあ」

              (お後がよろしいようで)

さあて、初夢ってえもんは、元旦の朝にみたもんじゃなくて、翌二日の夜の夢をいうんですな。

みなさんは、どんな初夢をごらんになられることでしょうか?