パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

四天王寺「庚申堂」

2019年02月24日 | 日記
四天王寺の南大門から少し離れたところにあるのが「庚申堂」
四天王寺が「大日本佛法最初」であることから「本邦最初庚申像」とされています。
三大庚申堂として、ここ大阪(荒陵山四天王寺)四天王寺庚申堂、京都(黒山延命院金剛寺)八坂庚申堂、【東京(喜宝院)入谷庚申堂 現存せず】。
他にもなら町庚申堂が有名ですが、四天王寺庚申堂の「青面金剛童子」以外は、本尊は何れも「青面金剛明王(夜叉神)」がお祀りされています。

本尊・青面金剛童子像は秘仏として厳封されています。
ご開帳は60年毎(庚申年毎、直近は昭和55年1980年)とかで、
次回の開帳は、2040年…もう拝観は無理です…。
ただし、庚申日(庚申さん)に掲げられる掛軸の絵で、「青面金剛童子」の面影を見ることができるそうです。
この掛軸には、中央上段に火炎を背負う一面六臂の青面金剛童子が邪鬼を踏まえて立ち、
その左右に童子2躰、その下に夜叉4躰、最下に三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)が描かれています。
かつて各地の庚申講で集まりの場に掲げ礼拝の対象としたものだという。



 



 

 

                 『今から1200余年前、人皇題42代、文武天皇のみ代、
                 大宝元年春庚申の日はじめて本地を示し、我朝に降臨し給う。
                 その由来をたづねると、このまえ、日本にいろいろと疫病が流行り、
                 諸人大いにこれをなやみ、良医の薬をもとめ、高僧のいのりなど、
                 さまざまであったが、なんの効験もなかった。
                  この頃津の国、四天王寺に民部の郷僧都毫範という貴い御僧があって、
                 慈悲の心ふかく、広く人間の悩みをたすけようと、天にいのる丹誠のあまり、
                 あらたなる霊験を得て、諸人のなやみをまぬがれしめた。
                 時に正月七日庚申の日であったが、
                 年の頃が16才ぐらいとおもわれる童子があらわれて、
                 僧都のみまえで、帝釈天のおつかいのの者であるが、
                 天の命によって、汝が人間の悩みをあわれむ、
                 その至誠を感じて、我を天より下さしめ、
                 除災無病の方便をあたえようとのお告げがあった。
                 以来毫範阿闍梨の感得した青面童子を、祀ることとなった。…』
                                         (上掲パンフレット)
 
本堂とお百度石

  
お百度石の頂部 「見ざる・言わざる・聞かざる」


 
新しく「三猿堂」が建ちました                         「センターは言わざる!」


御朱印 (書体が変っています)


今年の庚申さんの日




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