パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

静かな祇園祭(あとの祭)

2021年07月25日 | 日記
7月22日、京都に出かけたついでに鉾町の居祭り見に立ち寄りました。
昨年、今年と祇園祭山鉾巡行は中止。
今年は、鉾建て技術伝承のためもあり、鉾町では鉾、山を建て、居祭り。
先祭りの月鉾前では、鉾は元に戻され姿は見られませんでしたが、厄除け粽は売られていました。
目的は「大船鉾」。
祇園祭では占出山・船鉾・大船鉾が神功皇后を御祭神としています。
戦のゆくえを占うために鮎を釣られた姿を表しているのが占出山、
戦に出陣する船を表しているのが前の祭りの船鉾、
戦に勝って凱旋する船を表しているのが後の祭りの大船鉾です。
そのため、船鉾の御祭神は出陣の鎧姿ですが、
大船鉾の御祭神は凱旋で鎧を脱ぎ狩衣をまとったお姿です。
また、船鉾、大船鉾には渡海の無事を守るために
「住吉明神」・「鹿島明神」・「竜神 安曇磯良」の三神がお供されています。

昼間なのでお囃子は聞けませんでしたが、鉾の威容は満喫できました。

四条「町」⇒四条「甼」










御祭神 神功皇后
  鹿島明神    住吉明神    龍神・安曇磯良
(艫部 操舵手)     (副  将)    (舳 先)




このブログの写真では船首には「龍頭」が写っていますが、隔年で「大金幣」が取り付けられます。
鉾町の変遷で、鉾の建つ四条町は当初は、北四条町と南四条町に分かれ、巡行を隔年で受け持つことになり、
北四条町が出すときは「龍頭」、南四条町が出すときは「金幣」を掲げることになっていました。
蛤御門の変の火災で鉾が消滅しましたが、「金幣」は難を逃れ、平成26年、150年振りに「大船鉾」は復興を遂げ、
復活した後祭りの掉尾を飾り「大金幣」を船首に飾り巡行しました。
北四条町と南四条町は統合され四条町に、平成28年には「龍頭」も復元、
慣例に従い隔年ながら往古の雄姿を見せています。

今年は「龍頭」でしたが、「大金幣」の写真です。

2014.7.24 復興初巡行


パンフレットより抜粋


平成28.7.22 復元「白木の龍頭」がデビュー


御神体の三神の内余り耳にしない「竜神 安曇磯良」について
神功皇后の軍船を導く海神で、船鉾、大船鉾の舳先に祀られる。
安曇の名の如く、海部の祖神として、筑前志賀島を中心に海路の要所に祀られているそうです。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする