パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

六地蔵巡り

2023年08月24日 | 日記
毎年8月22日から23日にかけて無病息災、家内安全などを祈願して
街道沿いに祀られた六体の地蔵菩薩を巡拝する年中行事があります。
六地蔵とは、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の六道に迷い苦しむ衆生を救済せんと発願せられた仏様です。

六地蔵巡りの寺院
第一番札所 大善寺 (伏見六地蔵) 奈良街道
第二番札所 浄禅寺 (鳥羽地蔵)  西国街道
第三番札所 地蔵寺 (桂地蔵)    丹波、山陰街道
第四番札所 源光寺 (常盤地蔵)   周山街道
第五版札所 上善寺 (鞍馬口地蔵)  鞍馬街道
第六番札所 徳林庵 (山科地蔵)  東海道




六地蔵巡りは例年8月22日、23日に行われ、六地蔵を巡って、お札を受け取り玄関に吊るすと、
疫病退散、家内安全、福徳将来の御符になると言われています。
今回は、酷暑の中、六か所を巡るのは無理で、[第六番札所の徳林庵]をお参りしていました。

宗 派 臨済宗南禅寺派 
山 号 柳谷山 
寺 名 徳林庵
開 創 室町時代1550年に、人康(さねやす)親王の末葉、雲英正怡禅師が人康親王の菩提を弔うため開創


 
徳林庵             御朱印

   
本尊           秘仏・「大閻魔尊天像」(六地蔵巡りの日のみ開帳)



   
拝所・地蔵堂(六角堂)             六角堂(地蔵堂)              六角堂後方の六地蔵


  
「本尊・地蔵菩薩立像」


地蔵堂に安置している地蔵菩薩像は、平安時代初めに、参議小野篁が、一度冥土へ行った際に生身の地蔵尊を拝んだことで蘇った後、
木幡山の桜の大木から六体の地蔵を彫りだしたうちの一体という伝説があります。
初めは大善寺に六体の地蔵尊が安置されていましたが、平安時代末期の保元年間(1156~59)になり、
後白河天皇の勅命をうけた平清盛、西光法師によって、伏見六地蔵の大善寺も含め京へ出入りする街道口の6ヶ所に
分けて安置するようになり、旧東海道に沿う山科の地に分祀され「山科地蔵」と呼ばれるようになったと伝えられています。
通称として「山科廻地蔵」、「四ノ宮地蔵」とも呼ばれています。


境内には、人康親王、蝉丸供養等(室町時代)、茶所の4体石仏(鎌倉時代)、荷馬の井戸、飛脚の釜があります。

 
蝉丸・人康親王供養塔
南北朝時代のものと伝わる宝篋印塔です。人康親王は仁明天皇(810~850)の第四の宮様です。
平安時代より琵琶法師達が当地に集まり二月に人康親王、六月にその母の橘嘉智子の供養をしたのは、
親王自身も目を患い四ノ宮に隠棲され、盲僧達を保護された事によります。
この琵琶法師達の集まりは、明治四年までつづきましたが、
長い時間の中に彼らの祖神である人康親王と蝉丸がこの供養塔を軸として同一化したのではないかと思われています。



  
茶所
お茶所の奥には鎌倉時代の作といわれる大日如来の四体石仏が安置されています。


  
運送往来・参拝の人々に茶をふるまった茶釜

 
井桁 
かつては東海道(もしくは街道)の運送往来の牛馬の水飲場として使われていました。
その石組には、「文政四巳年六月吉日、大阪 名古屋 金沢 奥州 上州 宰領中」という文字が刻まれ、
当時の往来のにぎやかな様子を想像することができます。


六地蔵巡りの御符



ブログ作成に当たっては、六地蔵会発行の案内書、各種観光案内を参考にしました。
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