パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

井手町「玉津岡神社」

2018年03月29日 | 日記
地蔵禅院に隣接して耳慣れない御祭神の神社「玉津岡神社」がありました。
創建は、6世紀中頃で、元は「椋本天神」とも呼ばれていました。

天平3年(731)に、橘諸兄により、現在地に再建されたと伝わっています。
明治11年、井手郷の各村合併により神社も当社にまとめられました。

本殿は、貞享4年(1687)再建の春日造りで、京都府登録文化財。
境内末社に井手の里を橘氏の本拠地とした、橘諸兄とその一族である
楠木正成を合祀した「橘神社」があります。

主祭神 下照比賣命   欽明天皇元年(540)兎手玉津岡の南に降臨

大 神 六柱
    •下照比賣命  大国主命の娘で味耜高彦根神(アジスキタカヒコネノカミ)の妹 
    •天兒屋根命  
    •少彦名命   大国主命と共に日本の国造りに力を尽
    •素戔嗚命   
    •味耜高彦根命 大国主神と宗像三女神のタキリビメの間の子
    •菅原道真公  

      玉津岡鎮座・八王子社・下照比賣命、
      西垣内鎮座・春日社・祭神 天兒屋根命、
      宮の前鎮座・田中社・祭神 少彦名命 
      西前田鎮座・八坂社・祭神 素戔嗚命、
      玉の井鎮座・天神社・祭神 味耜高彦根命 下照比賣命
      五社が八王子社殿(玉岡の社)に合祭している.
玉津岡神社と改称された後、有王天満宮 祭神 菅原道真が合祀された。

      時代の変遷の中で、社の名前が変わったり、合祀されたりしてとても分かり難い…


神社の石標と略記

 
坂道の参道と一の鳥居


 
二の鳥居と扁額


急な石段を上がり三の鳥居を潜ると拝殿(舞殿)


蛙(カワズ)の水の注ぎ口の手水舎 (手を浄めるだけでなく、「心洗水」です)

 
向拝の付いた幣殿、本殿

 
狛犬


向拝の屋根瓦に神紋「山吹水(ながれ山吹)」紋 
(「菊水」紋に似ていますが異なります。)

向拝の欄間彫刻等には珍しいものが…

 中央面は鶴と松  


左面は蝙蝠?と梅             右面は親子亀と竹 

松竹梅や鶴亀は吉祥のスタンダードですが蝙蝠は初めてみました…?
中国では、蝙蝠は福の韻をふむため幸福、長寿の縁起物らしいですが…     


手水舎に蛙の注ぎ口に続き、「木鼻」の左右にも阿吽の蛙さんが…
古来より井手は山吹と共に、歌枕になるほど、美しい声で鳴く
「蛙(カジカカワズ)」の名所だそうで、それに由来するのか…

*木鼻とは
 「木の先端」という意味の「木端(きばな)」が転じて「木鼻」に書き換えられたものです。
 頭貫などの水平材(横木)が柱から突き出した部分に施された彫刻などの装飾をいいます。
 よく見かけるのは「象鼻・獅子鼻・獏鼻…」


瓦にも…
 
波兎と?

境内には、天照大神を祀る太神宮社、橘諸兄を祀る橘神社など13の末社があります。
  
太神宮社            橘神社            八幡宮社

  
八百神社、多賀神社、竈神社、大黒神社、恵比須神社、厳島神社、住吉神社、水分神社、山上神社、稲荷神社の末社



 (雑記帳の記載にあたっては、略記、井手町HPなどを参考にさせていただきました。)



井手町「地蔵禅院」しだれ桜

2018年03月29日 | 日記
井手町玉川堤には約500本の「ソメイヨシノ」が見事に咲いていましたが、
更に山手に進むと、「しだれ桜」で有名な「地蔵禅院」があります。
由来書によれば、
奈良時代の白鳳年間に華厳宗の寺院として井手左大臣橘諸兄公により草創されたと伝わり
往古盛衰を繰り返し後、寛永5年(1628年)禅宗寺院として再興し今日に至っているとのこと。

宗派 曹洞宗
山号 玉峯山
寺号 地蔵禅院
本尊 地蔵菩薩
    他に
    千手観音菩薩(橘諸兄公持仏と言われている)
    文殊菩薩





  

  
山門としだれ桜を横から見る

 
正面から見たしだれ桜と鐘楼

 
裏側から見たしだれ桜と鐘楼


享保12年(1727年)、境内にあったしだれ桜より株分けされた古木
樹齢約三百年、樹高10m、幹周り2.4mの古木(京都府指定天然記念物)
昭和22年枯死した、京都市円山公園の初代しだれ桜(一重白彼岸枝垂桜)は、
地蔵禅院の同じ親木の株分けと言われています。

境内には明治38年(1902年)、日露戦争戦勝を記念して
株分けされた2本のしだれ桜の古木もあります。


 



本堂の裏手にも見事な桜があります

 「高知ひょうたん桜(実生桜)」の表札

*「ひょうたん桜」とは…
 蕾がひょうたんに似ている所から呼ばれています。
 高知県吾川郡仁淀川町に咲く<ウバヒガンサクラ>の古木
 樹齢約五百年、樹高21m、根元廻り6mの巨木で県指定の天然記念物


橘諸兄観音像

 
貝母百合(バイモユリ)?      木瓜と「崇福寺」と彫られた灯籠
               かって隣接の廃寺のものでしょうか?

 
改修時に降ろされた瓦「寶」の字       山門の鯱瓦



ご朱印


春の足音

2018年03月20日 | 日記
春到来の陽気に、草花も活動を始めています。
家の庭も赤、白、黄色の花が彩りで賑やかに、
近隣でも土筆が一斉に顔を見せ、お隣の庭で咲くカタクリも…
小学校のり面の桜も毎年早く5本程、一番咲き、
池公園の桜も蕾が少し膨らんできました…池に群れていた鴨も居なくなり…
間違いなく『春』です。

【 庭 の 草 花】

 
木瓜

 
草木瓜

 
アケビの蕾

 
ブルーベリーの蕾

 
椿(筒咲)                           藪椿

 
 クリスマスローズ

 
アーモンド

 
ネコヤナギ

 
ヒイラギナンテン

【 近 隣 の 草 花 】

 
こども園の梅           小学校の桜(早咲き)

 
小学校の桜(早咲き)


 
小学校のり面の土筆

 
こども園のり面の ムスカリ           スノードロップ


お隣のカタクリ(午前)


お隣のカタクリ(午後)

 
お隣の  ヒマラヤユキノシタ        花蘇芳          


【アーモンドフェスティバル会場のアーモンド H30.3.18】

   


神戸市深江にある「東洋ナッツ食品㈱」で毎年開催され、地域の名物イベントです。
今年は、3月17(土)、18(日)に開催され大賑わいでした。
今年で第29回だそうですが、我が家のアーモンドの花は、このイベントで頂いた
「アーモンドのの実(種?)」からの実生です。
近鉄・阪神相互乗り入れ開通の年(H21.3)に初めて乗車して会場に行った
想い出のアーモンドです。と言うことは樹齢9年?になるのです…

  



勅祭「春日祭(申祭)」

2018年03月14日 | 日記
過日セミナーに参加し、花山院春日大社宮司が講師をされた、「春日祭(申祭)」の詳細の説明を受け、
興味を持ち、3月13日、春日祭(申祭)が斎行されたので拝観に行ってきました。

と言っても、春日祭の行列は末社祓戸神社前で「祓戸の儀」を行った後に本殿に向かいますが、
本殿や回廊内での他の祭事は、一般の者は拝観不可なので、行列や「祓戸の儀」の見物は、二の鳥居に入る前の参道脇までとされています。

ところで、「勅祭春日祭(申祭)」って…
祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる勅祭社は
伊勢神宮は別格として全国に十六社ありますが、
特に
春日大社の「春日祭」、
上賀茂神社、下鴨神社の「賀茂祭(葵祭)」、
石清水八幡宮の「石清水祭」は、
「三勅祭」と言われています。
春日祭は、およそ1200年以上続く天皇が代理を出して、宮中が斎行する祭です。
かっては、二千人を超す大行列が京都の御所から奈良に向かったとの記録があります。
現在では、賀茂祭(葵祭)の斎王代の行列で、復元のイメージかと思います…

なお、春日祭は明治維新までは2月・11月の上の「申の日」に行われていたことから申祭とも言われています。


春日祭の始まり

①【1月8日  酒殿祭(さかどのさい)】社醸酒の仕込み開始を神様に報告(伊勢神宮、春日大社のみ酒造が許可されています。)
②【2月8日  竈殿祭(へっついどのさい)】古式神饌を調理する 

春日祭の前儀

①【3月10日 辰の立榊式(たつのたてさかきしき)】一之鳥居に大きな榊を立てます 
②【3月11日 巳の祓式(みのはらえしき)】春日祭奉仕の神職を神木で祓い清めます
③【3月11日 午の御酒式(うまのみきしき)】春日祭奉仕の神職が社醸酒を拝戴し心身の浄化をはかります
④【3月12日 未の砂置式(ひつじのすなおきしき)】清砂を神前に敷きます

春日祭
① 御戸開の儀
② 御神宝奉奠

宮中より天皇陛下の御名代である勅使の参向を仰ぎ
国家の安泰と国民の繁栄を祈る祭礼が始まります。

10時に、勅使は辨代(副使)、奉行代以下を率いて斎館を出発、
③ 祓戸の儀(祓戸神社前) 
  勅使と辨代は中臣の祓いを受けられ古式に則った解縄、人形、散供など贖物により
  自らを祓う
④ 著到の儀(着到殿) を経て回廊内へ参進。 幣殿・直会殿の作合の座につき、
⑤ 御棚奉奠(みたなほうてん) 神饌供進
  勅使自らが最初の御棚神饌を第一殿の神前に運ぶ(勅裁では春日祭のみの作法)。第二殿以下は宮司、神職。
  鯛や鮑等16種の神饌。折櫃に納め、黒文字で作られた御棚の上に据え付ける様子を称している。
⑥ 御幣物奉納(ごへいもつほうのう)
  天皇陛下からの御幣物を、宮司以下神職が神前に御奉納

⑦ 御祭文奏上(ごさいもんそうじょう)
  天皇の宣命、詔にあたる御祭文を勅使が微音にて奏上
⑧ 神馬牽廻(みうまのけんかい)
  朝廷から神馬を奉ったことに由来する儀式。
  左馬寮、右馬寮の官人代が神馬2頭を牽いて時計回りに3度廻

 
⑨ 直会の儀 饗膳(きょうぜん)
⑩ 和舞奉奏(やまとまいほうそう)
鶴と松の模様がある小忌衣(おみごろも)と冠を着けた舞人6人が榊(さかき)を手にし、静かに舞う
⑪ 見参(げざん)の御覧
⑫ 袖の下の作法
⑬ 拝舞(はいぶ) 祭事無事終了に伴いお祝いの褒美が授けられたこと(賜禄:しろく)に対してその有難さを表現した作法
  勅使と辨代は直会殿を出、林檎の庭の作合いの前あたりで行う
  平安時代の作法として唯一春日祭に残っているもの。
  御禄としていただいた真綿を肩に掛けて喜びを表す舞のような拝礼で、勅使と辨代ではさらに作法が異なる。

正午過ぎ祭儀が終了し勅使、辨代、奉行代以下は退下します。
宮司以下神職により、御幣物、御棚神饌の撤饌、御扉を閉じ、御神宝を神庫に納めて
春日祭は終了。


【3月14日 戌の小祭(いぬのこまつり)】境内の摂社、末社に神饌を勧め斎行
 



一之鳥居


 
辰の立榊式によって鳥居の左右に立てられた大きな榊、ただし、
春日大社では古くから榊の代わりに神事には、
「梛(なぎ)」が神聖な木として用いられています

 
二之鳥居


  
斎館から浄められた砂の敷かれた参道へ

  
唐櫃に入った御幣物、神馬も行列に続きます



   
衣冠束帯の装束 (黒・「勅使」 赤・「辨代」)

  
二之鳥居を潜って祓戸神社前へ

  
祓戸神社前に着座

   
お祓の作法が行われているようです

  
下襲(したがさね)の裾が展ばされ、正装のいでたちに
(屋外で活動する際には、石帯に下襲の裾を挟んで
邪魔にならないようにしていたそうです。)

   
祓戸の儀を終えて参道を先ず着到殿、そして本殿に向かって進んで行かれます
(一般の拝観者はここまで)


この後、東大寺二月堂の「お水取り・日中行法」を拝観し帰路、
春日大社一之鳥居に差し掛かると…

 


春日祭は終わり、駒札も「勅使御参向 春日祭 三月十三日午前十時斎行」から
「平成三十年 御創建千二百五十年 春日大社」と変わり、
左右の鳥居に立てられていた大榊の右側が外されていました。
若宮おん祭の際も同様に祭礼が終わると一本の榊に代わります…。


3月10日辰の立榊式から祭礼の斎行中掲げられていた駒札(写真重複)



「平成30年御創建1250年」特別ご朱印




(参考)
◯三勅祭で奏上される御祭文の用紙は鳥の子でその色は…
 春日祭  黄色
 葵 祭  紅(くれない)色
 石清水祭 黄色
 別格の伊勢神宮 縹(はなだ)色

◯御幣物(平安朝の延喜式の定めのまま)
 五色の絁(あしぎぬ:絹織物) 一丈二尺 *五色(青・赤・黄・白・黒)
 糸(絹糸)          一綛(かせ)
 曝布(さらし:麻布)      一反
 木綿(ゆう) 一斤
 麻 一斤

 

あくまで似たものと推測した写真ですが…
(2015.11.20橿原神宮勅使館特別公開で撮ったレプリカ?)

御祭文

 
御幣物         柳 筥(やないばこ) に納められた五色の絁 
唐櫃の中の御幣物は、柳筥に納められているようです。 


おまけ…
「袖の下の作法」 
直会殿で行われる「見参」は、外記代により、春日祭にご奉仕をされた証の位階と氏の記名を勅使が確認される儀式で、
記名された見参は辨代へと授けられ、辨代のご確認の後は、「装束の袖の下を通して見参を渡す作法」で
「袖の下」の語源と言われています。
袂(たもと)に隠すようにしてそっと渡すことから、今では「賄賂」として良い意味として使われていませんが…。

ブログには、春日大社HP、「宮司が語る御由緒三十話 ー 春日大社のすべて」、セミナー資料等を参考にしました。
付け焼刃の知識ゆえ、記載内容に間違いがあるかもしれません。

アーモンド開花!

2018年03月14日 | 日記
連日の4月中旬並みの暖かさに膨らみかけていたアーモンドの蕾が一気に開花しました。
花は70〜80%程度の開花ですが…昨年は咲かなかったので嬉しさも倍増です。
アングルはことなりますが…恥ずかしそうな開花ですよ!
時系列も加味してみました。





 

 



 

 

 






有楽椿(ウラクツバキ)

2018年03月09日 | 日記
新聞で紹介されていた「等持院の有楽椿」を鑑賞に行ってきました。
このお寺は高校時代の校区で良く知っていたものの「椿」まで興味は…。
近くの「龍安寺」が余りにも有名で観光客も少ないようです…
60年ぶりかな…場所は記憶にありましたが…車では初めて。
地元の方に教えて頂いて、山門を潜り抜けた奥に駐車場がありました。
改修工事中で、庭園のみの拝観でしたが、目的の「有楽椿」は観賞できました。

等持院…
足利尊氏が、1341年天龍寺の夢窓国師を開山に迎え創建されたのが由来。
足利将軍歴代の菩提所となっていたが、御多分にもれず、応仁の乱等で
市内の多くの寺社と共に衰退した。
しかし、豊臣秀吉、秀頼により再建され、足利15代、230余年の歴史的な
貴重な文化財が保存されているお寺です。

 

 


有楽椿…
織田信長の弟で茶人でもあった織田有楽斎長益が、茶の湯の席に好んで用いたと伝えられているところから
呼ばれるようになったとか。
有楽椿はツバキ科ツバキ属の常緑高木で、原産地は日本。
関東では太郎冠者(タロウカジャ)とも呼ばれているそうです。
室町時代の頃、中国から持ち込まれた椿(ツバキ)の原種である西南山茶(ピタールツバキ)と
日本の藪椿(ヤブツバキ)との交配ではないかと推定されているそうです。

樹高は5~10メートルくらいである。
葉は楕円形で、互い違いに生える(互生)。
開花時期は12~4月である。
椿(ツバキ)と違って花がラッパ状に咲き、一重咲き。
その控えめな咲き姿が受けて、古くから茶人が愛した花。
花の色は濃い桃色である。



駒札による紹介
『有楽椿(通称 胡蝶侘助)
樹髙十数メートル。
根元の幹周「100センチ」
地上85センチで三つ又になり
現存の有楽椿中最大樹で
四百有余年の樹齢の珍しい銘樹で
織田有楽の時代豐公が秀頼に寺を
再建させたとき庭園の修復と共に
植えたものと傳えられる。
早春から四月まで
みごとな花が咲きます。』


 

  

 



庫裏の「火乃用心」の表札と奥から達磨様が見張っていました?


翌日、NHKのTV番組で「城南宮」の「枝垂れ梅・椿」の中継を見て、「有楽椿」を観に行ってきました。
 
「枝垂れ梅」

  
『有楽(太郎冠者)12〜3月紫を帯びた桃色 筒咲き』