パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

法隆寺「西円堂」

2019年02月18日 | 日記
「南円堂」、「北円堂」と言えば興福寺…良く知っています。
「西円堂」?
法隆寺にある有名なお堂であることを初めて知りました。
何度も法隆寺を参拝しているのに…。
寺務所の方も、観光の流れが西伽藍の中門西入口から入って
金堂、五重塔、大講堂…
御朱印の頂ける聖徳院、大宝蔵院次いで夢殿の東伽藍へと…。
夢殿と同じく八角形の「西円堂」まで来られないですね…と。
小高いところにあり、天気が良ければ大和三山も望めるとか。
不覚!

この西円堂は奈良時代(718年/養老2年)に、東大寺大仏建立の立役者・僧侶の行基によって創建。
詳しくは光明皇后の母親である橘夫人(県犬養橘三千代)が行基に御願して行基の指揮のもとに創建。

法隆寺は伽藍が奈良の中心部から郊外に位置することが幸いしてか、付近周辺では戦争が起こらず、
軽度な火災はあったものの現在に至るまで創建近くの伽藍が現存。

この西円堂も歴史が古く、それを物語るのが後述する薬師如来像です。
この薬師如来像は寺伝によれば奈良時代の創建当初から西円堂に存在する仏像と云われています。
しかし永承三年(1048)に破損転倒し二百年を経た鎌倉初期1250年(建長2年/鎌倉時代)に再建された。

西円堂は八角円堂造りですが、堂舎出入り口には一間向拝が付いている。
向拝の下には板扉がついており、その奥に御本尊「薬師如来」が安置。

法隆寺の修二会は2月1~3日の3日間。旧暦ではなく今の2月に、西円堂で営まれます。
結願の3日には節分「追儺会」も行われることから主要な堂宇の一つなのでしょう。
東大寺二月堂の修二会が奈良時代から始まったのに対して、
法隆寺西円堂の修二会は鎌倉時代である弘長元(1261)年から始められたと伝えられます。






西円堂には向拝が付いています


「峰薬師」           (向拝の柱に)           「西円堂」


西円堂でもっとも目につくのが連子窓です。
連子窓は現在では日本中の多くの寺社で見られますが、
その歴史は古く一説では仏教伝来と共に日本へ流入した建築様式だと伝えられている。
尚、この連子窓は法隆寺の回廊にも据えられている事実からしても古式の窓。

連子窓の上には組物として簡素な出三斗で組まれ堂舎の周囲を取り巻いている。
屋根は瓦葺で中央には擬宝珠が据えられています。

御本尊薬師如来は行基の作で、「峰の薬師」と呼ばれ、わが国最大の脱乾漆像
像高;約2m25cm


(写真は他のブログより転載)


東側には鐘楼がある。
この鐘は、かの詩人の正岡子規も聞いていたとされており、毎日の刻を告げる鐘です。
子規が存命中であった頃は、「朝6時から夕方18時までの間」で、約2時間の刻を梵鐘で告げたそうです。
しかし、現在では残念ながら拝観のできる時間帯の「朝8時から夕方16時までの間」まで。
西円堂の梵鐘を聞くことができる時間;朝8時、朝10時、正午(12時)、午後2時、午後4時

「時の鐘です。撞かないでください」の表示があります。

ちなみに子規の有名な句に「柿食えば鐘が鳴るなり・・」があります。
一説には、この句の中の「鐘」とは「西円堂の梵鐘」を指し示すとも言う説も。

西円堂修二会
・2月1日~3日(午後1時・午後5時)
西円堂鬼追式(追儺式)
・2月3日(午後7時)


西円堂からの眺望


御朱印「峰薬師如来」


八角形のお堂…法隆寺には東に夢殿と鐘楼、西に西円堂と鐘楼そして時の鐘。
興福寺には、北円堂と南円堂と鐘楼。南円堂の鐘は今も時の鐘を撞く…

奈良県には多数の八角円堂があります。その殆どが国宝や重要文化財です。
八角は中国の八方位陰陽説から来ているとされています。
ほかにも栄山寺八角堂・薬師寺玄奘塔がある。

法隆寺東院夢殿・法隆寺西円堂・栄山寺八角堂(奈良県五條市)・興福寺北円堂の4箇所が国宝。
興福寺南円堂が重要文化財。
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