パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

またまた「諫鼓鶏」の燈籠見つけました…

2017年02月26日 | 日記
「犬も歩けば棒にあたる」
奈良市内を歩いていたら、家の前に無造作に置かれていました。
珍しいことに違いはありませんが、3っ目,4っ目と発見です。
丁度、お宅の方が居られたのでお聞きしました。
祖父が趣味で集められたそうで、気に入っていたようなので移設されたとか。
石清水八幡宮の燈籠と同様に鶏の顔が欠けていました。
顔が無いので初めは何だか分からなかったそうです。
しかし、鼓の周囲の左右の龍と台座の獅子や牡丹?が確認できました。


鶏の頭は欠けていますが、「諫鼓鶏の燈籠」


左右の龍と三つ巴は反時計回り


獅子                   牡丹


その方が、見たことがないが、奈良公園の「江戸三」中にもあるそうですよ…と。
それを聞くと、そんなに離れていないので、「諫鼓鶏の燈籠」探索に。
敷地内に点在する離れ造りの建物に燈籠が無いか探していると、遂に発見!
これは完全な燈籠で、鶏の頭もあり、本来の燈籠として庭に置かれていました。

 
庭に置かれた燈籠

 
時計回りの三つ巴        客室が正面なので裏側の様子が見えます


鶏の形が完全(但し裏側)

部屋から料理を食べながら、窓越しに燈籠を見てみたいものです…

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枚岡梅林から梅が消えた…

2017年02月26日 | 日記
京都では北野天満宮で梅花祭が行われたと言うのに…
近鉄電車で枚岡下車すぐ、参道の坂を登ると枚岡神社。

 
近鉄枚岡駅

 
枚岡神社二の鳥居              参道


この地域では有名な「枚岡梅林」があったので観梅に出かけました。
参拝後、矢印に従って梅林に向かいましたが…歩けども1本の梅すら見当たりません!
観梅に訪れたカメラを持った何人かに出会いましたが…、同様にキョロキョロ。
地元の散歩中の老夫婦に「梅林は何処ですか?」と聞くと、「ここです…」
「病気に罹って皆、掘り起こしてなくなりました…。」と。

 
空しい梅林案内図           残された桜が寂しそう

 
掘り起こされた跡           水仙が植えられていました


ここが梅林だった場所

休憩所の小屋に貼紙がありました。
『ウメ輪紋ウイルス感染による枚岡公園内梅林のウメ・スモモの木の伐採について』
 大阪府では、ウメ・モモなどの植物に感染するウメ輪紋ウイルス(※)について、
農林水産省と連携して府内の果樹園地等でウイルス調査を行い、
その結果を踏まえ感染樹等の防除を実施しています。
このたび、府営枚岡公園内の梅林のウメの木において、ウメ輪紋ウイルスが複数確認され、
以下のとおり、梅林のウメ・スモモの木を全て伐採することとなりましたのでお知らせします。
 なお、このウイルスはウメなど特定の植物に感染するウイルスで、人や動物には感染しません。
また、感染した果実を食べても健康への影響はありません。

※ ウメ輪紋ウイルスとは
 このウイルスは、ウメやモモなどの特定の植物に感染します。
このウイルスに感染すると、葉に退緑斑点や輪紋を生じるほか、
 果実の表面に斑紋が現れます。また、アブラムシ類によって感染するほか、
感染したウメ苗木の流通・株分けによっても感染範囲が拡大する恐れがあります。
 感染した植物は農薬等で治療することができないので、
感染樹を除去することが重要
な対策となります。
         
1. 場所
 府営枚岡公園(東大阪市東豊浦町12番12号)
        
2. 伐採対象樹木
 ウメ、スモモ 計322本        
3. 伐採時期
 平成28年度中(予定)(H29.2月初旬には完全に伐採されたそうです。)
 ※伐採時期等詳細については、決定次第大阪府ホームページにて掲載します。
                     
4. 今後の方針
 ウメ輪紋ウイルスは約3年の潜伏期間があることを勘案し、
 同公園の近隣を含め、複数年調査を実施し、ウメ輪紋ウイルスの根絶が確認されるまでの間、
 新たにウメの木を植栽することができません。
 その期間中に関係者の方々と、より魅力的な梅林の再整備に向けて検討を進めていきます。
  (以下省略)
                       

昨年の新聞記事によると、
『枚岡梅林では、観梅シーズンや6月の「梅狩り」は多くの参拝者でにぎわってきた。
一昨年、木に異変が見つかり、調査の結果、全ての木を伐採、処分することになる基準とされる
1割以上の樹木でPPVが確認された。
神社は昨年の梅狩りを中止し、伐採作業を前に10月、「梅の御霊を慰める清祓い式」を執り行った。
山根眞人禰宜は「伐採は忍び難く、異例だが清祓いをした。府の公園事務所が定期的に消毒しており、
当初は感染についてあまり深く考えていなかった」と言う。
PPVはアブラムシや苗木を通して感染する。
梅の葉に斑点や輪紋が現れ、実の早期落果や品質低下等の被害を招く。
感染すると特効薬はなく、伐採して流行を防ぐしか手がないのが現状だ。
人や動物には感染しないため、木に触れ、実を食べても健康への影響はない。
潜伏期間は3年とされ、伐採すると少なくとも3年間は、新たな梅の木を植えることはできない。』

大阪府では、豊中市、池田市、吹田市、東大阪市、八尾市、柏原市、松原市、
富田林市、河内長野市、大阪狭山市、河南町、千早赤阪村、堺市、泉佐野市、
藤井寺市、太子町、羽曳野市内の庭木のウメや、正月の寄せ植え用苗などで確認されており、
近畿の他の県でも見つかっており、各地のの梅林公園や社寺の梅林も危機に曝されているようです。
我が家にも大事にしている「八重咲きの紅梅」が一本ありますが大丈夫?

既に、大阪府内の河内長野市及び富田林市の一部防除区域からの植物の移動は国が制限されており、
東大阪市の枚岡もこの防除区域に指定されたそうです。
初めて見つかったのが平成21年頃東京青梅市とかで、今後とも全国的な問題になりつつあります。

樹木では、「マツクイムシ」で松が枯れ、住んでいる奈良でも、ナラ類やシイ・カシ類の木が枯れる
「ナラ枯れ」(奈良枯れではありません)という被害が広がっています。
これは、「カシノナガキクイムシ」という昆虫が「ナラ菌」という病原菌を
木の中に運び込むことよって引き起こされる樹木の伝染病です。
秋でもないのに、遠くから見ると紅葉しているかに見えますが…実は枯れているのです。
平城山丘陵も酷いものです…。
雑木林の中ですから、庭や公園の植栽のように伐採が進まないのでしょうね。

動物では、鶏の「トリインフルエンザ」、牛、豚等の「口蹄疫」、「狂牛病」などで殺処分等
大騒ぎがありましたが、人や動物への感染の有無、食べ物…に比べ、
樹木はさほど大きく取り上げられていないようで、知らないことが沢山ありますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長谷寺参道 3.與喜天満神社

2017年02月20日 | 日記
長谷寺参道の神社参拝の石段、階段の極め付けが、ここ「與喜天満神社」。
ここの階段は『心身健康の「よき階(きざはし)」』と言うそうですが厳しかった…。
初瀬川の対岸にあるのが長谷寺で、天満神社があるのは「與喜山(古くは大泊瀬山)」
登り口に、登らずに参拝される方のために、賽銭箱が置かれていました…。
参拝のしおりによると
「吉のお宮」、「日本最古天神」、「「天照大神初降臨の地」、「日本最古天神」、
「真言宗豊山派長谷寺鎮守聖廟・地主の神」とあります。











 
初瀬川に架かる天神橋


天神橋を渡ると、社務所、鳥居まで階段…

 
社務所前の「えんむすび、夫婦円満の男女(めおと)岩」

 

 
與喜天満神社の鳥居

 
鳥居を潜ると左右の紅梅が満開

  


 
参道は続きます…階段の左右には「夫婦杉」の大木 



 
長い階段を登り切ると手水舎


徳川家光寄進の手水鉢

 


本殿

 
白太夫社・櫻葉社                瀧蔵権現三社…

       白太夫社 御祭神 度会春彦翁          御祭神 速玉命・伊弉諾尊・伊弉再尊
       櫻 葉 社 御祭神 天照大神・伊予親王
  

本殿前から拝殿を見下ろすと…
中央は白い小石が敷き詰められています…
神聖なエリアをであることを実感します

 

 
苔生した狛犬は歴史を感じます


参拝の帰りも階段は膝にきます…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長谷寺参道 2.白髭神社

2017年02月20日 | 日記
参道は山の裾を進むことになります。
この白髭神社は急な階段を折り返し登った小高い岡に鎮座した地域の氏神様。



御祭神 「猿田昆古命」 「天宇豆賣命」

 
最初の石段を登った所に「霊符神社」
御神祭 「国底立尊」 

 
「稲荷神社」                 「山神」


手水


白髭神社正面(拝殿)

 
狛犬獅子


拝殿越しの本殿

 
白髭神社の境内から望む長谷寺の景色はとても良かった。(写真再掲)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長谷寺参道 1.長谷山口坐神社

2017年02月17日 | 日記
長谷寺へは車で来てお寺の駐車場に停めるので、街道筋を歩くことはない。
「だだおし」には、初めて近鉄電車「長谷寺」からスタートし参道に向かいました。
何よりも驚いたのが、駅を降りて暫くの間、石段を下って行くこと。
地形的には、駅舎は大和川を挟んで中腹にある…。


近鉄長谷寺駅前の石碑

 
長い石段、坂道を下り、参道に入り、最初に参拝したのが「長谷山口座神社」

 
欄干には「大和川」・「神河橋」     参道入口の鳥居


磯城伊豆加志(巖橿)本宮伝承地の石碑(鳥居の横)
『垂仁天皇の御代倭姫命を御杖として、
この地域の「磯城厳橿の本」
約八ヶ年天照大神をお祀になった』


標示されている「由緒記」

 
参道は結構厳しい石段が続く


拝殿

 
「祭神 大山祇神 手力雄神 豊受姫神」   略縁起には「泊瀬斎宮」…の表示もあります

 
拝殿、本殿                   本殿

 
本殿の扉には「下がり藤」の透かし彫り(神紋かも…)

 
本殿階段脇の狛犬(横正面)

 
本殿階段脇の狛犬(顔正面)


参道に戻り進むと「長谷山口座神社遥拝所」がありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長谷寺の「だだおし」

2017年02月15日 | 日記
奈良の冬の二大火の祭典と言えば「東大寺のお水取りのお松明」、「長谷寺のだだおしのお松明」。
東大寺のお水取りは近いこともあり、度々観にいきましたが、長谷寺は初めてでした。

長谷寺
宗派 真言宗豊山派
山号 豊山
寺号 長谷寺
宗紋 輪違


「だだおし」のポスター

 
白髭神社からの本堂遠景


霜よけに覆われたボタン


登廊                  本堂前の三百余社


本堂入口                  鐘楼

   
本堂前の舞台から



本堂の裏の小窓から「裏観音」を拝むことができます
高さは172.2センチメートルで江戸時代作。
右手には本尊と同じように錫杖を持っている。
本尊の裏にあることから「裏観音」と呼ばれ、
昔は本尊が開帳されない日はこの観音さまをお参り。
また、この裏観音さまが背にしている壁面いっぱいに、
阿弥陀如来二十五菩薩来迎図が豊かな色彩で精緻に描かれている。


法要で履かれる木履


唐櫃に入ったれ如意宝珠・閻浮檀金宝印など七種秘宝が、化主大僧正猊下と伴に入堂


ところで「だだおし」とは
長谷寺では一月一日から七日間の法要『修正会』、二月八日から七日間の法要『修二会』を行なっている。
そして、『修二会』の締めくくりとして二月十四日に行われるのが「だだおし」の儀式である。
正式には追儺会(ついなえ)と呼ばれる。

「だだおし」

「だだ」とは、閻魔大王(えんまだいおう)の持ち物で、
生前の行為を審判し懲罰を加える杖のことであるとする説や、
疫病神を駆逐する「儺押し(だおし)」から来たとする説や、
「閻浮檀金宝印(えんぶだごんほういん)」あるいは「檀拏印(だんだいん)」を人々の額に押す
「檀拏押し」から来たという説、
「だだだ・・・」と鬼を追い出す所から来たという説等、諸説があって定かではない。
 寺伝によれば、長谷寺開山徳道上人(とくどうしょうにん)が養老二年(七一八)に病にかかり
仮死状態となって一時冥土に行った。
夢うつつの間に閻魔大王から「お前は死んではならぬ。
早く立ち返って西国三十三カ所観音霊場を開基せよ。」とのお告げがあった。
その時にいただいた「閻浮檀金宝印」を修二会結願の日に、諸仏諸菩薩をはじめ、
お参りしている善男善女の額に押し当てて
「悪魔退散」「無病息災」の加持祈祷が行われたところからこの名が由来したと伝えられている。
 また一説によれば、昔長谷寺の西北(乾~いぬい)の方角に悪鬼が棲んでいて、
暮れ六つの鐘・法螺貝の音を聞いては出没し里人を困らせた。
この鬼を修二会の法要の折に寺に招き寄せ、法力で追い払ったという。
それ以降、宝印による加持と鬼払いとは結びつき、閻魔大王によって保証された「宝印の力」と、
十一面観世音菩薩に懺悔することによって与えられる「法力」とによって
悪魔が鎮められるという信仰から「だだおし」の法要として今日まで伝えられ、
毎年多くの参詣をいただいている。


悔過導師(けかどうし)以下職衆が本堂内陣に入り、本尊十一面観世音菩薩の御前で人々の罪科を懺悔する法要が行われる(悔過法要)。
次に、唐櫃に入れられてきた如意宝珠(にょいほうしゅ)・閻浮檀金宝印など七種秘宝が、厳重な封印を解き本尊正面に供えられる。
化主大僧正猊下を大導師に、一山の僧侶が出仕する厳粛な法要が修され(本法要)、
次に鬼面加持の作法、牛玉札の御加持が修される。
大導師が修法檀を降り別座に着くと、宰堂が宝印を捧げ正面に進み出て、
まず本尊様を仰ぎ恭しく宝印を押し奉る。
次に左上段の「雨宝童子(赤精童子)」:天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)、
右上段の「難陀龍王」春日大明神(かすがだいみょうじん)、
続いて天地四方。次に大導師以下一山の僧侶、及び堂内外の信者・参詣者の額・牛玉札(ごおうふだ)に
宝印の加持が行われる。

参詣者の額への宝印加持


 この宝印授与の儀式に前後して、太鼓・法螺貝が堂内に激しく鳴り響き、
二尺余もある大鬼面の赤・青・緑色の三匹の鬼が現れ、金棒を振り翳し大音勢で堂内を暴れ廻る。
すると僧侶達が楉(すわえ)と四手に挟んだ牛玉札の威力を持って堂外に追い出し、
追われた鬼は男衆と共に大松明を担ぎ、本堂の周りを練り歩く(長谷寺HPより)




松明の火の粉バスターが待機   舞台から見た五重塔


内陣を追われた青鬼がお松明を従え遂に登場します 
緑鬼、赤鬼と続き回廊を数回、暴れ乍ら練り歩きます…


燃え盛る松明




  
松明の火が幕に移り燃えた…消防隊が消し止めた! かっては提燈が燃えたこともあるそうです…


ひときは大きな面の赤鬼の登場でクライマックス!

 
暴れ疲れた赤鬼が退散


松明も消火へ  


 消し炭片や燃え残りの木を厄除け等に持ち帰る人も




ご朱印「大悲閣」        ご朱印の袋
            (観音巡礼の小型散華が)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元興寺節分会と「元興神」

2017年02月05日 | 日記
毎年、節分が来ると何処に参拝するか迷います。
今年は、日本最古の飛鳥寺を前身とする「元興寺」に決めました。
元興寺の節分会についてはHPで
『境内では、導師と行者衆による星祭・厄除け・招福祈願の柴燈大護摩供と火渡り修行を執り行います。
柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)とは、炎の中に不動明王を勧進し祈願を行うもので、
その炎に願いを書いた護摩木を投入し焼き尽くすことで願いごとをお不動様に聞いていただきます。
舞台では、年男・年女によって豆まきを行います。豆まきは、鬼を追う神事から始まったとされます。
本来は「福は内」の掛け声でしたが、「鬼は外」が対句として使われるようになりました。
元興寺は八雷神や元興神の鬼の発祥地なので、近年あえて「福は内、鬼は内」と呼ぶようにしています。
つまり「福は家の内に入るように」「鬼は自分の内から出るように」願っています。』と。

また、豆撒きのまえのご住職の、興味深いお話し。
元興寺の節分会は興福寺等の「追儺式」のように鬼は出てこない。
豆を撒いて声を出して、人の心の中の鬼を外に追い出す…

また説話から『元興寺の鐘楼に悪霊の変化である鬼が出て、鐘つきに行った僧が血痕を残し消え、
都の人たちを随分こわがらせたことがありました。
鐘楼は、現在の「御菓子司春日庵」さん辺り、血痕は猿沢の池近くの和菓子屋「とらや」さん辺りまでとか…
その頃、尾張国から雷の申し子である大力の童子が入寺し、鐘楼に出る
この鬼の毛髪をはぎとって退治したという有名な説話があり、
邪悪な鬼を退治する雷を神格化して、八雷神とか元興神と称することになり、
鬼のような姿で表現するようになりました。
元興寺にまつわる鬼のことを「元興神(ガゴゼ・ガゴジ・ガンゴ)」などの発音で呼ばれている。
「ガンゴ」は「ガンゴウ」からきており、「ガゴジ」や「ガゴゼ」と同様に
元興寺(がんごうじ)から生まれた鬼の言葉。

悪鬼は指が三本とされる。三毒「貪欲(どんよく・むさぼり)・瞋恚(しんに・いかり)・愚痴(ぐち・おろか)」の煩悩しかない。
智慧と慈悲という大切な二本の指を亡失している…』と。


ご住職の法話          杉本健吉画伯の画かれた絵馬「元興神」

先ずは、節分会の法要が本堂で行われ参拝自由とのことで、本堂に上がりました。
不動明王座像、不動明王立像の前での読経。
春から縁起が良く、散華が2枚も舞い落ちてきました。
今までで一番大きな散華(縦15cm横10.5cm)に驚きました。


節分会法要の散華の表裏

散華の大きさを比べると…


法要終了後、本堂の参拝順路の説明板により厨子裏の「智光曼荼羅」や諸仏を時計回りに参拝しました。
説明曰く
佛教は、「右優位」が基本です。「右巡」とか「右進左退」といいます。
つまり「右回り(時計回り)」で「右足」からです。合掌は右手仏と左手衆生の合体です。』

元興寺のおさらい
宗派 真言律宗
山号 なし(奈良時代創建の寺には山号がない場合が多い)
本尊 智光曼荼羅

南都七大寺のひとつ。
6世紀末、蘇我馬子により建立された日本最古の寺といわれる法興寺(飛鳥寺)が
平城遷都により奈良に移り、元興寺と名を改めた。
奈良時代の元興寺は三論宗と法相宗の道場として栄え、東大寺や興福寺と並ぶ大伽藍を誇っていました。
奈良においては東大寺、興福寺が勢力を増す一方で、元興寺は律令制度が崩壊する10〜11世紀以降徐々に衰退。
室町時代の宝徳3年(1451)、土一揆(どいっき)のあおりで元興寺は炎上し、
五重塔などはかろうじて残ったが、金堂など主要堂宇や智光曼荼羅の原本は焼けてしまった。
この頃を境に、寺は智光曼荼羅を祀る「極楽院」、
五重塔を中心とする「元興寺観音堂」、
それに「小塔院」の3つの寺院に分裂した。
極楽院は奈良西大寺の末寺となって真言律宗寺院となり、中世以降は智光曼荼羅、弘法大師、聖徳太子などの
民間信仰の寺院として栄えた。
一方、極楽院の南にある「元興寺観音堂」の方は東大寺の末寺(華厳宗元興寺)となり、
五重塔を中心とする寺院でしたが、室町時代の火災に焼け残った創建遺構の五重塔と観音堂は、
江戸時代末期の安政6年(1859)に近隣火災の類焼で焼失し、
以後は「元興寺」の寺号は継ぐものの衰退しています。
現存する唯一の元興寺僧坊遺構は、旧元興寺東室南階大房の四房分を国宝禅室
三房分を国宝極楽堂に改築して伝え、旧講堂の一部を含む史跡元興寺極楽坊境内として保存されています。
(以前企画された「屋根裏探検隊」に参加して、元興寺禅室の屋根裏で、
日本最初の本格的寺院といわれる「飛鳥寺」由来と思われる586年頃の一番古い現役部材を見学しました。)

現在、ユネスコ世界遺産『古都奈良の文化財』のひとつ、
中世南都の復興期に、浄土教と密教の道場として再生発展した庶民信仰霊場として登録されています。




境内の風景

  
東門付近 

 
東門の提燈            法要に掛けられた寺紋幕


本堂と柴燈護摩壇


護摩壇中央の不動明王の種字「カーン」の祭壇

 
住職による節分会願文

  
本堂横の福豆撒きの特設舞台         奈良豊澤酒造からの献酒「豐祝」で鏡開き

 
柴燈の火の粉や煙を浴びると厄除けになるそうです…

 
護摩壇を組んであった燻っている丸太の薪の上を、素足で清めの塩を踏みしめて、「火渡リの行」

  
関係者、年男、年女、留学生等による多彩な顔ぶれによる豆撒き


散華に続き福豆も頂きました

 
特別ゲストは「せんとくん(奈良県マスコットキャラクター)&第27代ミス奈良の2人
&「しかまろくん(奈良市観光協会マスコットキャラクター)」



ご朱印「智光曼荼羅」


大判ご朱印「南無上宮太子」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする