不退寺の正式な山号、寺名は「金龍山 不退轉法輪寺」といい、
平城天皇の孫で阿保親王の子である在原業平(ありわらのなりひら)が開基したと伝わる寺であることから「業平寺」、
境内が四季折々の花に囲まれ「南都花の古寺」ともいわれています。
・任明天皇御勅願所
・在原朝臣業平公建立
・平城天皇旧萱御所
・阿保親王御菩提所
5月28日は、業平の命日あたり、毎年「業平忌」が厳修されています。
僧侶の入道、三礼、散華、証観音・五大明王の真言など読経、願文、焼香…
一般参拝者にも回し焼香がありました。
不退寺由来
仁明天皇の御勅願により、在原業平朝臣の建立になる当時は南都十五大寺に数えられた古刹である。
大同四年(809)平城天皇御譲位の後、この地に「萱の御所」を造営せられ、阿保親王(平城天皇の皇子)の歿後、その皇子であった在原業平朝臣が承和十四年(847)詔を奉じて旧居を精舎とし、父親王の菩提を弔うと共に本尊聖観音像を安置して衆生済度のために「法輪を転じて退かず」と発願し、不退転法輪と号し、略して不退寺(業平寺)と称した。
本堂
内部は内陣と外陣に分かれ、その境に吹寄菱欄間(業平格子)と木連格子を入れている。
須弥壇上中央に本尊聖観音菩薩像、その周囲に五大明王像、地蔵菩薩像を安置されています。
須弥壇の左右に小部屋があり、東小部屋に神仏習合名残りの伊勢太神宮が奉安され、
西小部屋に阿保親王坐像と平城天皇、伊都内親王の尊儀が祀られている。
ご本尊「聖観音立像」 佐保路の法華寺、海龍王寺の観音像は「千手観音」ですが
不退寺は「聖観音」で在原業平作と言われ、桂材の一木造で、宝冠帯が大きくリボンを着けた観音様です。
全身胡粉地の上に極彩色の花紋装飾が施されているせいか、美白のふくよかな美しく、艶かしい観音様です。
業平朝臣の理想の女性ではないかとも言われているとか。
現在は彩色が所々剥落していますが修復されたらさぞかし、いっそうお美しいお姿に…。
五大明王像
不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の五明王。
平安時代の彫像で、奈良において五明王揃って現存しているのは不退寺だけだそうです。
一般に五大明王像は慈悲相で形相が激しいが、不退寺の像は躍動感が無く、穏やかに表現されていると言われています。
伊勢神太神宮
須弥壇の東側にある小部屋に、神仏習合名残りの伊勢神宮社殿が奉安してあります。
他の寺院でも境内に祀っていることはあっても、本堂の中にあるというのは珍しいそうです。
ただし、寺伝では正面観音開きの扉の中に業平朝臣が賜わという伊勢神鏡が祀られていたそうですが、
残念ながら寺外へ散逸し今は社殿のみです。
阿保親王坐像
西小部屋には阿保親王坐像と平城天皇、伊都内親王の尊儀が祀られています。
在原業平朝臣画像
業平忌のメインである業平画像は須弥壇と西小部屋の間に掲げられていました。
百人一首で見る画札では、背に弓をさした中将、または武人の姿ですが、
不退寺の画像では、右手で箋を握り、左手で筆を持って歌を思索中のポーズ?という
珍しい御影とされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/c8/c235050560ec744028200db9552c42d2.jpg)
(南都銀行本店の「業平忌」紹介展示パネルの写真)
左上部に 略伝「右近衛権中将在原朝臣業平は平城天皇の権帥阿保親王の五男なり
元慶第四歴(元慶四年・880年)蕤賓(五月)廿八日行年五十六而卒(死)」
伊勢物語第八十八段の和歌「おほかたは 月をもめてし これそこの
つもれは人の老となるもの」が掲げられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/9d/cb114872e7a61792c1c5b8fa54572db6.jpg)
百人一首の在原業平朝臣の画像
弓を手にした武人姿
本 堂
堂内は撮影禁止でしたが…庭に出て振り返ると…
ご本尊様にお見送りしていただき、失礼しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/91/8c7dd691615c665436cf7b76df4e2ab4.jpg)
南都銀行本店の「業平忌」紹介展示パネルの写真
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/10/f98ca406bd8cb339c447d24f5ff5ebc1.jpg)
大和北部八十八ヶ所御詠歌
廿九番「観音をたゞ 一筋にたのみつゝ 不退の寺に 急ぎまいらん」
庫裏の入口には、厄除けの「角大師(元三大師)」などのお札
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/3a/7a1b7049bc88cc1167654bef9333ec2b.jpg)
付近の古墳から運ばれた石棺
"
立石
四方に梵字が薬研彫りで、刻まれている立石(たていし)と言う笠塔婆が本堂の前に建っています。
上段に宇宙を表すという五大の真言、中段に金剛界四仏の種子、下段の南面に光明真言、
北面に大随求小咒、東面に十三仏、西面に三帰依真言と大日真言、一番下は蓮台のようです。
西方は少し剥落しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/aa/5ffbf0686fd97b5ad37789a10e9b889d.jpg)
立 石
業平忌のみ開扉された多宝塔
建立当初檜皮葺の二層構造であったが落雷で喪失し、今は初層のみで上層と相輪を欠いています。
内部の壁板には真言八祖が彩色されているが、剥落が激しく薄暗い自然光のみで劣化を防いでいる。
多宝塔には安浪(快慶)作の千体地蔵が安置されていたそうですが、その一体が本堂に祀られています。
不退寺最古の建造物で、壁の絵を保護する意味もあって、5月28日の業平忌のみ開扉。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f8/f772d0a60a938654bc7625fa34b37ad4.jpg)
普段は正面、左右の扉は閉じられたまま
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/90/f1f3acd7170aa5a1bece8de530b93da0.jpg)
多宝塔の鬼瓦
本堂の欄間や戸には様々な格子模様
平城天皇の孫で阿保親王の子である在原業平(ありわらのなりひら)が開基したと伝わる寺であることから「業平寺」、
境内が四季折々の花に囲まれ「南都花の古寺」ともいわれています。
・任明天皇御勅願所
・在原朝臣業平公建立
・平城天皇旧萱御所
・阿保親王御菩提所
5月28日は、業平の命日あたり、毎年「業平忌」が厳修されています。
僧侶の入道、三礼、散華、証観音・五大明王の真言など読経、願文、焼香…
一般参拝者にも回し焼香がありました。
不退寺由来
仁明天皇の御勅願により、在原業平朝臣の建立になる当時は南都十五大寺に数えられた古刹である。
大同四年(809)平城天皇御譲位の後、この地に「萱の御所」を造営せられ、阿保親王(平城天皇の皇子)の歿後、その皇子であった在原業平朝臣が承和十四年(847)詔を奉じて旧居を精舎とし、父親王の菩提を弔うと共に本尊聖観音像を安置して衆生済度のために「法輪を転じて退かず」と発願し、不退転法輪と号し、略して不退寺(業平寺)と称した。
本堂
内部は内陣と外陣に分かれ、その境に吹寄菱欄間(業平格子)と木連格子を入れている。
須弥壇上中央に本尊聖観音菩薩像、その周囲に五大明王像、地蔵菩薩像を安置されています。
須弥壇の左右に小部屋があり、東小部屋に神仏習合名残りの伊勢太神宮が奉安され、
西小部屋に阿保親王坐像と平城天皇、伊都内親王の尊儀が祀られている。
ご本尊「聖観音立像」 佐保路の法華寺、海龍王寺の観音像は「千手観音」ですが
不退寺は「聖観音」で在原業平作と言われ、桂材の一木造で、宝冠帯が大きくリボンを着けた観音様です。
全身胡粉地の上に極彩色の花紋装飾が施されているせいか、美白のふくよかな美しく、艶かしい観音様です。
業平朝臣の理想の女性ではないかとも言われているとか。
現在は彩色が所々剥落していますが修復されたらさぞかし、いっそうお美しいお姿に…。
五大明王像
不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の五明王。
平安時代の彫像で、奈良において五明王揃って現存しているのは不退寺だけだそうです。
一般に五大明王像は慈悲相で形相が激しいが、不退寺の像は躍動感が無く、穏やかに表現されていると言われています。
伊勢神太神宮
須弥壇の東側にある小部屋に、神仏習合名残りの伊勢神宮社殿が奉安してあります。
他の寺院でも境内に祀っていることはあっても、本堂の中にあるというのは珍しいそうです。
ただし、寺伝では正面観音開きの扉の中に業平朝臣が賜わという伊勢神鏡が祀られていたそうですが、
残念ながら寺外へ散逸し今は社殿のみです。
阿保親王坐像
西小部屋には阿保親王坐像と平城天皇、伊都内親王の尊儀が祀られています。
在原業平朝臣画像
業平忌のメインである業平画像は須弥壇と西小部屋の間に掲げられていました。
百人一首で見る画札では、背に弓をさした中将、または武人の姿ですが、
不退寺の画像では、右手で箋を握り、左手で筆を持って歌を思索中のポーズ?という
珍しい御影とされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/c8/c235050560ec744028200db9552c42d2.jpg)
(南都銀行本店の「業平忌」紹介展示パネルの写真)
左上部に 略伝「右近衛権中将在原朝臣業平は平城天皇の権帥阿保親王の五男なり
元慶第四歴(元慶四年・880年)蕤賓(五月)廿八日行年五十六而卒(死)」
伊勢物語第八十八段の和歌「おほかたは 月をもめてし これそこの
つもれは人の老となるもの」が掲げられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/9d/cb114872e7a61792c1c5b8fa54572db6.jpg)
百人一首の在原業平朝臣の画像
弓を手にした武人姿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b7/1388579fbe27c0f75359fddbe2723daf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/aa/d95d92040d36e64d172cd44a46e8f182.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/02/3fe211b228785ae4f72cc6e1c73525fe.jpg)
本 堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/00/d982d4f88937037efd656a0a85d89168.jpg)
堂内は撮影禁止でしたが…庭に出て振り返ると…
ご本尊様にお見送りしていただき、失礼しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/91/8c7dd691615c665436cf7b76df4e2ab4.jpg)
南都銀行本店の「業平忌」紹介展示パネルの写真
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/10/f98ca406bd8cb339c447d24f5ff5ebc1.jpg)
大和北部八十八ヶ所御詠歌
廿九番「観音をたゞ 一筋にたのみつゝ 不退の寺に 急ぎまいらん」
庫裏の入口には、厄除けの「角大師(元三大師)」などのお札
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/3a/7a1b7049bc88cc1167654bef9333ec2b.jpg)
付近の古墳から運ばれた石棺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/7e/b05a0b1f75e858128ec31735870cd9ad.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/57/892a671a773af20d3e226f90837213fe.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/eb/0be2c9878468f4236d90cdd1abb00900.jpg)
立石
四方に梵字が薬研彫りで、刻まれている立石(たていし)と言う笠塔婆が本堂の前に建っています。
上段に宇宙を表すという五大の真言、中段に金剛界四仏の種子、下段の南面に光明真言、
北面に大随求小咒、東面に十三仏、西面に三帰依真言と大日真言、一番下は蓮台のようです。
西方は少し剥落しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ad/3cacf0c7454d59783de89bf5027767f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/aa/5ffbf0686fd97b5ad37789a10e9b889d.jpg)
立 石
業平忌のみ開扉された多宝塔
建立当初檜皮葺の二層構造であったが落雷で喪失し、今は初層のみで上層と相輪を欠いています。
内部の壁板には真言八祖が彩色されているが、剥落が激しく薄暗い自然光のみで劣化を防いでいる。
多宝塔には安浪(快慶)作の千体地蔵が安置されていたそうですが、その一体が本堂に祀られています。
不退寺最古の建造物で、壁の絵を保護する意味もあって、5月28日の業平忌のみ開扉。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/fe/fbdb9cd75ae7d4a622eb0cd57fe3a05a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/cf/51d50de4c7dadf6c8094ad955bcf87ab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f8/f772d0a60a938654bc7625fa34b37ad4.jpg)
普段は正面、左右の扉は閉じられたまま
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/90/f1f3acd7170aa5a1bece8de530b93da0.jpg)
多宝塔の鬼瓦
本堂の欄間や戸には様々な格子模様
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/89/4a1c35d137731b6f938d82b43ed3de71.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/2c/81647918665be8bd5acaaec602172c77.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/7f/6a17674fa65a712d3d7a3f0a810d2105.jpg)
木連格子戸、上部は吹寄菱格子 吹寄菱格子を特に「業平格子」と呼ぶ 立桟格子戸
御朱印と散華
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/82/7a92831b2960d6b82ad9a64a746636ed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/e0/ed62b4ca85bf909f69a0830e0b1f5b2a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/49/aaa2b582d621b800578897ba409c7a5c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/82/7a92831b2960d6b82ad9a64a746636ed.jpg)
「本尊 聖観音」の御朱印 水牛に乗った大威徳明王像の大判御朱印 法要で撒かれた散華
入山料を納めて頂きました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/c0/2bb2ff0dc2e047a59dd1d263da3a1cf5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/f4/6528a0b191e5c5586ff46a8be51a2b49.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/c0/2bb2ff0dc2e047a59dd1d263da3a1cf5.jpg)