パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

不退寺・業平忌

2016年05月28日 | 日記
不退寺の正式な山号、寺名は「金龍山 不退轉法輪寺」といい、
平城天皇の孫で阿保親王の子である在原業平(ありわらのなりひら)が開基したと伝わる寺であることから「業平寺」、
境内が四季折々の花に囲まれ「南都花の古寺」ともいわれています。
・任明天皇御勅願所
・在原朝臣業平公建立
・平城天皇旧萱御所
・阿保親王御菩提所
5月28日は、業平の命日あたり、毎年「業平忌」が厳修されています。
僧侶の入道、三礼、散華、証観音・五大明王の真言など読経、願文、焼香…
一般参拝者にも回し焼香がありました。

  (クリック拡大)
 
 (クリック拡大)


 
歴史の道「不退寺」の石標    細い小路の正面に不退寺南大門
 
  

不退寺由来
仁明天皇の御勅願により、在原業平朝臣の建立になる当時は南都十五大寺に数えられた古刹である。
大同四年(809)平城天皇御譲位の後、この地に「萱の御所」を造営せられ、阿保親王(平城天皇の皇子)の歿後、その皇子であった在原業平朝臣が承和十四年(847)詔を奉じて旧居を精舎とし、父親王の菩提を弔うと共に本尊聖観音像を安置して衆生済度のために「法輪を転じて退かず」と発願し、不退転法輪と号し、略して不退寺(業平寺)と称した。

本堂
内部は内陣と外陣に分かれ、その境に吹寄菱欄間(業平格子)と木連格子を入れている。
須弥壇上中央に本尊聖観音菩薩像、その周囲に五大明王像、地蔵菩薩像を安置されています。
須弥壇の左右に小部屋があり、東小部屋に神仏習合名残りの伊勢太神宮が奉安され、
西小部屋に阿保親王坐像と平城天皇、伊都内親王の尊儀が祀られている。
ご本尊「聖観音立像」 佐保路の法華寺、海龍王寺の観音像は「千手観音」ですが
不退寺は「聖観音」で在原業平作と言われ、桂材の一木造で、宝冠帯が大きくリボンを着けた観音様です。
全身胡粉地の上に極彩色の花紋装飾が施されているせいか、美白のふくよかな美しく、艶かしい観音様です。
業平朝臣の理想の女性ではないかとも言われているとか。
現在は彩色が所々剥落していますが修復されたらさぞかし、いっそうお美しいお姿に…。

五大明王像
不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の五明王。
平安時代の彫像で、奈良において五明王揃って現存しているのは不退寺だけだそうです。
一般に五大明王像は慈悲相で形相が激しいが、不退寺の像は躍動感が無く、穏やかに表現されていると言われています。

伊勢神太神宮
須弥壇の東側にある小部屋に、神仏習合名残りの伊勢神宮社殿が奉安してあります。
他の寺院でも境内に祀っていることはあっても、本堂の中にあるというのは珍しいそうです。
ただし、寺伝では正面観音開きの扉の中に業平朝臣が賜わという伊勢神鏡が祀られていたそうですが、
残念ながら寺外へ散逸し今は社殿のみです。 

阿保親王坐像
西小部屋には阿保親王坐像と平城天皇、伊都内親王の尊儀が祀られています。

在原業平朝臣画像
業平忌のメインである業平画像は須弥壇と西小部屋の間に掲げられていました。
百人一首で見る画札では、背に弓をさした中将、または武人の姿ですが、
不退寺の画像では、右手で箋を握り、左手で筆を持って歌を思索中のポーズ?という
珍しい御影とされています。

(南都銀行本店の「業平忌」紹介展示パネルの写真)
左上部に 略伝「右近衛権中将在原朝臣業平は平城天皇の権帥阿保親王の五男なり
元慶第四歴(元慶四年・880年)蕤賓(五月)廿八日行年五十六而卒(死)」
伊勢物語第八十八段の和歌「おほかたは 月をもめてし これそこの
つもれは人の老となるもの」が掲げられています。


百人一首の在原業平朝臣の画像
弓を手にした武人姿


   
本  堂

 
堂内は撮影禁止でしたが…庭に出て振り返ると…
ご本尊様にお見送りしていただき、失礼しました。


南都銀行本店の「業平忌」紹介展示パネルの写真



大和北部八十八ヶ所御詠歌
廿九番「観音をたゞ 一筋にたのみつゝ 不退の寺に 急ぎまいらん」

庫裏の入口には、厄除けの「角大師(元三大師)」などのお札



付近の古墳から運ばれた石棺
  "


立石
四方に梵字が薬研彫りで、刻まれている立石(たていし)と言う笠塔婆が本堂の前に建っています。
上段に宇宙を表すという五大の真言、中段に金剛界四仏の種子、下段の南面に光明真言、
北面に大随求小咒、東面に十三仏、西面に三帰依真言と大日真言、一番下は蓮台のようです。
西方は少し剥落しています。
 
立  石


業平忌のみ開扉された多宝塔
建立当初檜皮葺の二層構造であったが落雷で喪失し、今は初層のみで上層と相輪を欠いています。
内部の壁板には真言八祖が彩色されているが、剥落が激しく薄暗い自然光のみで劣化を防いでいる。
多宝塔には安浪(快慶)作の千体地蔵が安置されていたそうですが、その一体が本堂に祀られています。
不退寺最古の建造物で、壁の絵を保護する意味もあって、5月28日の業平忌のみ開扉。

  
普段は正面、左右の扉は閉じられたまま


多宝塔の鬼瓦


本堂の欄間や戸には様々な格子模様
   
木連格子戸、上部は吹寄菱格子    吹寄菱格子を特に「業平格子」と呼ぶ    立桟格子戸


御朱印と散華
  
「本尊 聖観音」の御朱印   水牛に乗った大威徳明王像の大判御朱印      法要で撒かれた散華


入山料を納めて頂きました

興福寺菩提院大御堂-続編-「吒枳尼真天」

2016年05月19日 | 日記
鐘楼の前の水鉢の蓮には、新芽が


菩提院でも寺名、寺紋など色々の瓦が使われています。
  
寺紋「下がり藤」              寺名「菩提院」

 
寺名「興」                 寺名「興福寺」

三条通入口から鐘楼を望む


入口の直ぐ左手奥に朱塗りの祠が祀られてあります
 
傍の石標には「吒枳尼真天」と記されています。
《荼吉尼天、吒枳尼天とも漢字表記し、吒天(だてん)とも呼ばれる。》



柵が組まれ、鋭い棘の「枳殻(からたち)」の生け垣があります。実も付いてます。
祀られている「吒枳尼真天」の「枳」の字に因んでいるのでしょうか。

ところで…「吒枳尼真天」って?

妙法院休憩所の柱に真如堂の
「吒枳尼天」のお札を見つけました

   
剣と宝珠を持つ吒枳尼天(小さい写真をクリックすると拡大)
仏像図彙 1783年 (転写) 


「貴狐天王(きこてんのう)」、「辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)」を本地とする稲荷神との習合です。

インド神話の「カーリー女神」の眷属である
「ダーキニー ―空を歩く者の意―」を由来とする。
肉を喰らい、踊ながら空を舞うといわれる。

日本に渡り「吒枳尼天」となり、
一般に白狐に乗る天女の姿で表され、剣、宝珠、稲束、鎌などを持物としている。

東寺造営の際、伏見稲荷山の材木を使ったことから
真言密教と吒枳尼天の概念を含んだ稲荷信仰が全国に広まったと言われる。

少しそれますが…
稲荷と言えば「伏見稲荷大社」。総社として約3万社あると言われています。
茨城「笠間稲荷神社」、佐賀「祐徳稲荷神社」とで三大稲荷神社という説や、
愛知「豊川稲荷」、岡山「最上稲荷」を三大稲荷とする説などがあり、
また、全てを合わせて五大稲荷と言うこともあるそうです。
ただし、稲荷神社の御祭神は、「宇迦之御魂神」を主神として祀りますが
豊川、最上は神社ではなく寺院です。
豊川稲荷は「豊川閣妙厳寺(曹洞宗)」で
最上稲荷は、「最上稲荷山妙教寺(日蓮宗)」と言う寺院で
「吒枳尼天」を祀っています。              (ウイキぺデイア等参照)


これらのことから、菩提院の境内にある「吒枳尼真天」は、
明治元年の神仏分離令から免れた神様の一つのようです。

おまけ

吒枳尼天は、京都の真正極楽寺(真如堂)の塔頭の法傳寺にも祀られています。    
開基は順徳天皇、本尊の「吒枳尼天」天は弘法大師の作と伝える。日本最初の稲荷大明神とも伝える。
上記のお札の写真の寺院です
 
      法傳寺の石の鳥居           本殿「吒枳尼尊天」の提灯が

「なんじゃもんじゃの木(ヒトツバダコ)」

2016年05月13日 | 日記
興福寺菩提院のなんじゃもんじゃの木の満開を見損ねましたが、新聞で「安土の沙沙貴神社」のなんじゃもんじゃの木が満開との情報で観に行ってきました。
同様に、新聞を見て来たと言う人たちが訪れていました。
   


これは花弁ではなく、一つの花です。

 
境内の奥に未だ若木の「アメリカヒトツバダコ」も植えられていました。

 

 

   



沙沙貴神社、祭神佐々木大明神で「佐々木源氏発祥の地」と言われ、
「佐々木」姓の方が全国からお詣りになられてますと社務所で聞きました。
重厚な楼門はじめ拝殿、本殿、東西の回廊…素晴らしい境内で心が鎮まります。
境内には鎮守の森もあり、様々な木、花が植えられ、花好きにはたまらない神社で、
四季折々に訪ねてみたい神社です。

絵馬堂珍しい額が奉納されていました。

「ひふ みよ いむ なや こと…」


神代文字「神代四十七字」
神代文字の一つ阿比留草文字?
古代ミステリー?

神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字伝来以前に古代日本で使用されたと紹介された多様な文字、文字様のものの総称である。江戸時代からその真贋について議論の対象となっており、偽作と主張されているものが多い。(ウィキペディアより)

なんじゃもんじゃの木と興福寺菩提院大御堂

2016年05月10日 | 日記
興福寺五重塔と三条通りの向かい東に菩提院大御堂があり、そこに「なんじゃもんじゃの木」があると聞いて早速出かけてみました。

「なんじゃもんじゃの木」の正式名称は「ヒトツバタゴ」
ヒトツバタゴ (一つ葉タゴ、一つ葉田子、Chionanthus retusus) とはモクセイ科ヒトツバタゴ属の一種。
同じモクセイ科のトネリコ(別名「タゴ」)に似ており、トネリコが複葉であるのに対し、本種は小葉を持たない単葉であることから「一つ葉タゴ」の和名がある。
なお、別名はナンジャモンジャノキであるが、「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種には、ヒトツバタゴのほかにクスノキ(樟)、ニレ(楡)、イヌザクラ(犬桜)、ボダイジュ(菩提樹)などがあり注意を要する。
中国、台湾、朝鮮半島および日本では対馬、岐阜県東濃地方の木曽川周辺、愛知県に隔離分布する珍しい分布形態をとる(但しこれらの地域以外でも植栽の樹木の実の種が野鳥に運ばれて着床して自生している自生の樹木を山林の中で観察することができる。)。成木で樹高は20mを超える大型の落葉高木。幹は灰褐色で縦に切れ目が入る。 葉は長楕円形で4cm-10cm程度となり、長い葉柄を持ち対生する。花期は5月頃で、新枝の枝先に10cm程度円錐形に集散花序をつける。花冠は深く4裂する。雌雄異株であるが、雌花のみをつける株は存在せず、雄花をつける株と、両性花をつける株がある雄株・両性花異株である。秋に、直径1cm程度の楕円形の果実をつけ、黒く熟す。
日本において本種は希少種のひとつであり、絶滅危惧II類(VU)(環境省レッドリスト)に指定されている。天然での分布域も狭く、長野県、愛知県の木曽川流域、岐阜県東濃地方および長崎県対馬市に自生しており、それぞれの県のレッドデータブックに掲載されている。長野県および愛知県では絶滅危惧I類、岐阜県および長崎県では絶滅危惧II類に指定されている。

愛知県犬山市池野西洞、岐阜県瑞浪市釜戸町、同県恵那市笠置町、同県中津川市蛭川の自生地は一括して国の天然記念物(「ヒトツバタゴ自生地」)に指定されている。他に恵那市大井町、同市中野方町、中津川市苗木、同市落合新茶屋の自生地が岐阜県県指定天然記念物、、瑞浪市稲津町萩原の自生地が同市指定天然記念物、、土岐市泉町白山神社境内のハナノキ・ヒトツバタゴが国の天然記念物となっている。また、長崎県対馬市上対馬町鰐浦地区には、約3000本の本種が自生しており、「鰐浦ヒトツバタゴ自生地」として国の天然記念物に指定されている。(ウィキペディアより)


菩提院の「なんじゃもんじゃの花」


(4月26日境内外の道から撮影)


前回は、工事中で入れなかったので再度、訪れましたが…遅かりし…
散った花びらが辺り一面に雪が降ったように敷き詰められていました。
  
  三条通りの入り口から         石仏の上の木がなんじゃもんじゃの木      散って雪が降ったよう

 
     樹に残った花びら          (クリック拡大)


菩提院大御堂

   
正面五間(17m) 側面五間(14.2m)本瓦葺き 正面に向拝
 
 
  下段参照 ☟         稚児観音菩薩額


  


鐘 楼

   
五重塔を背景に

 
鐘楼の鐘は永享8年(1436)鋳造

十三鐘伝説石子詰旧蹟
  

   (クリックすると説明が拡大)
                      石亀

説明板によると、花札の「鹿に紅葉」の絵札の由来にもなります。

  

京都伏見・「金札宮」

2016年05月06日 | 日記
京都非公開文化財特別公開があり、今回は洛南伏見の社寺が多く公開されていましたので、
その一つ「大黒寺」に行ってきました。
お寺の真向かいに「金札宮(きんさつぐう)」という初めて聞く神社がありました。
堀川御池の近く、西洞院押小路下がるにあるに「御金神社(みかねじんじゃ)」というありがたい神社がありましたが、
「金札宮」にも興味がわき参拝しました。
金札宮のホームページ等によると、「京都伏見の当社・金札宮は、伏見で最も古い神社のひとつで、
(村伝によれば、天平勝宝二年(750年)の創建と伝えられている)
祭祀を司る霊験あらたかな天太玉命(白菊翁・白菊大明神)を祀り
また観阿弥の謡曲「金札」や、ご神木で京都市指定天然記念物のクロガネモチの木でも知られ
開運と幸運を呼ぶ神社として永く人々の尊崇を集めています。」とあります。

御祭神

○天太玉命〈白菊大明神〉(あめのふとだまのみこと)
  天照大御神と天太玉命
  天照大御神が天の岩戸に幽居された時、天太玉命は、天児屋根命、手置帆負命の諸神等を卒い、
  大幣を捧持して祈祷し、大神を和し奉る功績がある。
  御名を太玉と言うのは、太玉串(大幣)の省かれたるによる。


○天照大御神(あまてらすおおみかみ)
  伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に禊祓し給いて左の御目を洗い給ひし時になりませり、と古事記にあり。
  日本書紀には、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、二神が力を合わせ大八州國を経営し給いて、山川草木の霊を生み給うや、
  相謀りて如何にぞ天下の主を生まざらめやとして大御神を生み給うとある。
  大御神は我が国家皇室の御祖神で永く伊勢に斎き祀られ給ふ。


○倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
  食物を主宰する神である。日本書紀には伊邪那岐神、伊邪那美神、二神の御子とあり、
  古事記には、須佐之男命の御子と伝えられている。
  天太玉命の命により五穀の種を、伏見の里に蒔き、
  耕業を盛んにならしめた神徳から金札宮の本殿に祀られる。


御利益
  
  金札宮の祭神は、人の心に宿る邪悪な情を除いて正直な道に帰らせ、
  なにごとも道理に基づいた考えや行動を得ることによって運を開かせてくれます。
  末社にお祀りしてある恵比須神とともに、開運の宮・幸運を呼ぶ宮として地域の人々の崇敬を集めています。

境内


鳥居               石標            楼門
 

参道から清和殿、本殿へ 右端にご神木が



     狛犬             狛犬            ご神木「クロガネモチの木」

このご神木は、京都市指定の天然記念物で、
樹齢1200年とも言われ、樹高10.6m・胸高周囲2.19m.
モチノキ科の常緑高木で雌雄異株であり、
この木は雌株で冬季には赤い実を付けるそうです。
   



大黒寺の向かいの金札恵比寿社      公岡稲荷大明神         他にも金刀毘羅社、大国主命(事代主命)などの末社


色々な提灯「かなう〜さん」     神社名の提灯      今年の干支「申」の提灯


  御朱印の袋       御朱印「金札恵比寿」  「天太玉命」


観阿弥作と伝わる、謡曲「金札」は、金札宮の縁起をあらわしたものと言われている。

金札宮春季神幸祭が5月15日に催行されます。
 

                                            (クリック拡大)