パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

奈良・狛犬探訪

2017年03月28日 | 日記
なら・観光ボランティアガイドの会主催の「獅子と狛犬〜古都奈良を護る神獣たち〜」に参加してきました。


巡ったのは、
①漢國神社・林神社
②鎮宅霊符神社
③御霊神社
④興福寺南円堂
⑤春日大社(二之鳥居)
⑥手向山八幡宮
⑦東大寺南大門

狛犬・狛獅子は以前から興味があり写真は撮っていたのですが
改めて、ボランティアガイドさんの説明を聴きながら巡りました。
狛犬は、奉納、献納されているので、制作年、石彫によっては「石工の名前」等が彫られており、
これからは注目して観たいと思います。
昨年は、春日大社第60次式年遷宮造替で、貴重な鎌倉時代の木造で本殿の狛犬が公開され観てきました。
今回の多くの狛犬は、1850年代・江戸時代後期の石造で、参道、鳥居の傍、社殿の前など、
屋外に置かれているため、風雨に曝されて風化も進んでいます。石材も、花崗岩もありましたが、彫刻がし易い?砂岩が多いようです。
それだけに、風化の進んでいる狛犬、地震とかで毀れたり、欠けたりしたものも見られました。
昭和の狛犬は、さすがに彫刻の線もきれいにみえます。



興味があったのは、巡った多くの狛犬は神獣と言われるように、神社にあるのが普通だと思っていたのですが
興福寺南円堂の屋根の獅子の置物。狛犬と言えるのかは別として、正面の屋根左右に飾られています。飾り瓦?
右の獅子は「倒立?」しています。魔除けの意味があるのでしょうか。




多くの狛犬を見て歩きました…特に手向山八幡宮には多くの神前の石造狛犬と、神殿狛犬も木造レプリカながら観ることができました。
本物は奈良国立博物館にあるそうで、鎌倉時代の運慶作とか。
確認してませんが、全部で七対もの狛犬があるそうです。
また、手水舎の注水口も一般的には、水に因んで「龍」が多いのですが、「狛犬」の口からでした。

 



探訪の最終地は南大門。南大門と言えば運慶、快慶の阿形、吽形の金剛力士像が余りにも有名ですが…

 


南大門を潜って直ぐにあるのが「狛犬」です。あまり見向きもされていないようです。
金剛力士像と同様、鳥除けの金網に守られているから余計に素通りされ…写真も網目から苦労しました。
この狛犬は、鎌倉時代・建久七年(1196年)、東大寺再建の際、中国から呼び寄せた、宋の石工「伊行末」(いぎょうまつ・いのゆきすえ)の作。
石造では最古と言われ、台座から3m大の大きな「雌雄一対の獅子」でいずれも口を開けています。
「伊行末」は、般若寺「十三重石塔」、大野寺「弥勒磨崖仏」なども手がけたそうです。
「石造の中国獅子」ですから、厳密には狛犬ではないと言うべきなのでしょう。台座の文様など細かい彫刻がされています。

 
 
 
 


この獅子ですが、何故か東の獅子が左に傾ています(写真は、間違えて水平に補正してしまいました…)。
東が雄獅子、西が雌獅子です。よく観るとシンボルがリアルに彫られています…。

この胸を張った姿勢の獅子?を見た記憶があります。
昨年秋参拝した、京都の宇治神社参道の社務所前だったと思います。(2016.11.18写)
二体とも口を開けている…獅子でした。
これも中国獅子なのでしょうか? 次回はもう一度よく観察してきます。



社務所の両脇の獅子
 


追加ブログです
東大寺南大門の「獅子」調べていると、またまた出てきました…「京都・清水寺の仁王門階段下の獅子」。
これは、まさしく南大門の獅子をモデルに制作奉納されたそうです。
この獅子、実は清水寺ではなく、「地主神社」の獅子らしいのですが、行ったとき神社で聞いてみます。
2体とも大きな口を開け、胸を張っています。尻尾は異なりますが…。



 

 

 
階段側の後ろからパチリ(2015.11.1写)






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三津寺仏像群特別公開

2017年03月09日 | 日記
三ッ寺と思っていましたが「三津寺」だったんですね。
大阪難波の繁華街にあり、夜に周辺を歩いていたんですが…。
非公開文化財の特別公開されているとのことで拝観してきました。


寺というと奈良、京都をイメージし、大阪に寺は…。
大阪市内にも四天王寺、和光寺(北堀江・あみだ池)、そして三津寺など寺院もあります。
奈良は平家の焼き討ち、京都は応仁の乱など戦火で寺院、多くの仏像が焼失しました。
大阪でも石山合戦、大坂の陣、大塩平八郎の乱、太平洋戦争での大阪大空襲もありましたが、
三津寺は奇跡的にも戦火を蒙ることもなく貴重な文化財が遺され、祀られています。
歴史的には、行基菩薩が開祖と言われ、1680年頃、仁和寺の僧真空が住職となり、整備し
古義真言宗大福院という小さなお寺ができていましたが、1691年の地図では
「三津寺・観音」とあり、寺の敷地は一つの街区全体をしめる大きなものだったようです。
現在の本堂は1800年初めに建てられた建物と言われており、特に内陣の造りは、
江戸時代の豪華な雰囲気を豊かに残しており、大阪市内ではとても希少です。
この再建された本堂、前堂には、明治の廃仏毀釈で生玉神社の境内にあった
「生玉宮寺」が廃寺となった際、多くは散逸、廃棄されたようですが、
その中の「持宝院」由来の仏像がここには残っており、まとまって残っていることは例がなく、
奇跡的なことだと詳しい説明がありました。


三津寺について
名 称 七寶山 大福院 三津寺
宗 派 真言宗 御室派(総本山 京都 仁和寺)
本 尊 十一面観世音菩薩
開 山 行基菩薩
創 建 天平十六年(744年)

当山は、應神天皇を葬り奉った御墓所の跡に、聖武天皇(奈良時代)の勅命により
行基菩薩が創建された寺であります。
当時は、楠の大樹が生繁り、その一本にて行基菩薩が観音像を彫刻し
本尊にしたと伝えられております。
 ご本尊は十一面観世音菩薩で、秘仏になっております。
また、脇仏の薬師如来、弘法大師を初め地蔵菩薩、毘沙門天、不動明王、愛染明王、
弥勒菩薩、大日如来等の古い(平安時代後期、鎌倉時代、江戸時代初期)木像仏をお祀りしております。

現在の本堂は、文化5年(1808年)に建立され、内陣及び位牌堂は総漆塗りで柱や扉は
金箔をはりめぐらせ、格天井には花柄の異なる絵が描かれております。
 明治12年には、当時の庫裡において第一回の大阪府議会が開催されました。

 現在の庫裡は、昭和8年、御堂筋拡幅の折、境内の約4割が接収された際に新築されたもので、
当時の寺院としては非常に珍しい鉄筋コンクリート造3階建て(一部地下1階)、
全室スチーム暖房で、ガス、水道設備や消火設備を備え、また荷物用リフト(地階から3階迄)を
設け、2階には50畳の大広間があり、伝統的な外観と最新の設備を整え、落慶式当日の夕刊でも
報道されました。

 第二次世界大戦による昭和20年3月13日の大空襲の折、大阪市内は殆ど灰燼に帰し、唐山周辺も一面の
焼け野原になりましたが、当山だけはご本尊さまのご加護により被弾のみならず類焼さえも免れました。

 墓地は千一前にあり、道頓堀開削の指揮をとった安井道頓を初め、浄瑠璃の題材にもなった
三勝・半七や船場の著名承認の墓碑が多く祀られております。

 平成8年4月より平成9年9月まで、本堂、庫裡を主体に境内全域の大修理を施工しました。
                                      (「当山のご案内」より)


ご朱印

配布資料

特別公開のPF







PF写真拡大
   
十一面観音菩薩立像 一木造地蔵菩薩立像    愛染明王座像       明王形座像


御堂筋から見た三津寺庫裡全景


昭和8年御堂筋拡幅接収のため建築された城郭の櫓かと思わせる庫裡
結果的には、空襲、火災から免れ、仏像も無事に


           山門        高層ビルを背にした本堂


  
本堂の内陣の三っのお厨子の尊像の扁額
「薬師如来」「観世音菩薩」「弘法大師」

中央厨子 地蔵菩薩 十一面観音菩薩 毘沙門天
左厨子  愛染明王 薬師三尊 不動明王 ほか
右厨子  大日如来 弘法大師 弥勒菩薩
(薬師如来脇侍に日光菩薩、月光菩薩)


石標「七宝山大福院」    観音菩薩「御詠歌」
                  西国三十三所・第三十番札所宝厳寺(竹生島)     
                  「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積むここちして」


本堂正面               正面燈籠

 
刻印 「大福院什物」  「寶山三津寺」 「御宝金剛院 真空建立之 正徳四年甲午歳 末秋吉辰」
                                (正徳4年・1714)

 
本尊は秘仏のため、何時でもお参りできるよう
境内に石造本尊十一面観音が祀られています
   

前堂(愛染堂)には「生玉宮寺」由来の、江戸時代の仏像が多く祀られています。

前堂(愛染堂)

 
堂左  扁額「宝珠地蔵尊」「ちぎり地蔵尊」「立江地蔵尊」

  
堂中央 扁額「愛染明王」

 
堂右  扁額「弘法大師」

学芸員の方の特別情報!

愛染明王の仏像は、憤怒のお顔、恋愛成就…に気を取られがちですが、
台座を見ると「蓮弁に宝珠」が付いています。全ての愛染明王についている
訳ではないようですが、三津寺の本堂、前堂の像の台座には見られます。
宝珠は「霊の力」の他「財」を表し、上方あきんど魂?が窺がえるようです…と・
他の愛染明王台座には宝珠が付いているもの、いないものも見受けられます。
お寺、美術館等で愛染明王にお会いしたら、ここも注目してみます。


おまけの話…
 
愛染堂なのですが…屋根が隣のビルに食い込んでいる?
実は「半堂」なのです。
お寺の方の話では、御堂筋の拡張で、移転再建の時、
隣接の既存建物との関係で、
愛染堂は奥行半分だけ再建されたとのこと。

おまけの話のおまけ…
京都の錦天満宮の鳥居は、設計ミスで(鳥居上部の両端を考慮せずに柱の位置だけで道路幅を決めてしまった)
区画割りを元に両側にビルが建てられたため、鳥居の両端が、ビルの中にめり込んでいます。
参道からもビルの窓を通してめり込んだ先端を覗くことができます。
後で建てられたビルの中を貫通しています…。
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西大寺大茶盛の由来は…

2017年03月06日 | 日記
西大寺周辺を散策していると、八幡神社がありました。
説明によれば神仏分離まで、ここは僧形八幡を祀っていた西大寺の鎮守八幡宮とのことです。





扁額
              
一之鳥居             参道


二之鳥居             参道


手水舎                   中門


狛犬(中門外側)


三間社流れ造りの本殿(左殿・中殿・右殿)


狛犬(中門内側)


本殿・左狛犬                 塀越しに中門を望む


三間社流れ造りの本殿左側              三間社流れ造りの本殿右側


本殿前右側の狛犬

八座の末社
 
武内神社             住吉神社


 
善女龍王神社           巖島神社

 
稲荷神社              巖島神社


恵比須神社             若宮神社


「杉高大明神」があるそうですが気付きませんでした。

本殿のある玉垣の内には「武内神社」のみ鎮座しています
お社
平入り…本殿、善女龍王神社、巖島神社(本殿玉垣外横)、稲荷神社
妻入り………武内神社、住吉神社、巖島神社(参道)、恵比須神社、若宮神社 
*巖島神社は、本殿境内と参道に二社在りました。

中門の正面のみ板玉垣(瑞垣)で三面は、瓦葺きの土壁で神仏習合の名残かも?



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