パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

聖霊院太子堂猫之門-追記-

2016年04月24日 | 日記
聖霊会舞楽大法要に行った際、聖霊院寅の門の写真を撮ってきました。
太子殿前殿にも猫を発見。
戦災後再建された際、猫の門、寅の門の彫刻と同じ時のものでしょうか?
大阪には「大阪欄間」という伝統技術が引き継がれていると聞きます。
調べていませんが、ひょっとすると、その技術かも…

 
寅の門の寅                猫の門の猫

  
太子殿前殿の猫 左右にボタンの彫刻


大阪欄間
欄間は奈良時代から寺社建築への採光を目的に作られたものと考えられていますが、後に彫刻等の技巧を凝らした華麗なものが貴族階級の住居にも使われるようになり、江戸時代以降、一般住宅にも取り入れられるようになりました。
 もともとは京都が主な産地でしたが、欄間の一般への普及や、木材取引が多く行われている大阪に伝播、定着したものと考えられます。
大阪欄間には、屋久杉の木目を生かし、近江八景等を立体的に彫り出した彫刻欄間、桐の肌と透かし模様が調和した透かし彫欄間のほか、筬欄間、組子欄間等の種類があり、換気の機能に加え、日本家屋にふさわしい落ち着いた美しさを見せています。
大阪欄間彫刻は、彫刻欄間の技術技法を使用して額や短冊掛け、照明器具等の生活用具に活用したもので、技の冴えと手づくりの温もりが好評です。材料は、欄間と同じく屋久杉などを用いて、木目の美しさを生かしています



太子会と言うことで庭も開放されていました。

                      聖徳太子を祀る太子堂の東側に守屋祠
        守屋祠          
物部守屋と弓削小連、中臣勝海(なかとみのかつみ)の三座を祀っている。
           つまり、この祠(ほこら)では蘇我氏や聖徳太子の怨敵であり、しかも
           恨みをのんで死んでいった物部守屋とその一味を祀っている不思議な光景。


猫之門は、不開の門と聞いていましたが、太子会には開かれるみたいです…。
 


太子堂奥殿  (夢殿に似ていますが円形だそうです。)


         奥殿越しのハルカス   砂ずりの柳の下に見えるお堂には「従者・調子麿と愛馬の黒駒」(馬屋の後ろの隙間から)
                                    太子は眉間から白い光を放った甲斐より献じられた、
                                  足の部分だけが白い驪 駒(黒駒)を神馬として
                                     自らの乗馬とし、舎人の調子麿に飼育を命じたとか。

聖霊院の北門を出ると、宝物館。
収蔵の国宝 扇面法華経冊子(平安後期に作られた装飾経。)に因んで、その横に植わっているのが「梶の木」

花序が長く垂れ下がっているところから雄株で雄花穂のようです。(雌花穂は球形)

説明板によると
梶(穀)の木(かじのき) Mulberry Tree
国宝 扇面法華経冊子 妙法蓮華経巻第1 扇10
「歌枕梶の葉図」
四天王寺が所蔵する国宝 扇面法華経冊子(平安後期に作られた装飾経。)
法華経を書写した扇形の料紙に、極彩色の下絵や金銀の箔などによる装飾をほどこしたもの)
の中に、梶の葉を描いた場面がある。
この絵は、梶の葉に和歌を書いた平安時代の七夕の習慣を描いている。
梶は当時の紙の原料でもあり、現在では珍しい樹木である。
ウイキぺデイアによれば
古代から神に捧げる神木として尊ばれていた為、神社の境内などに多く生えられ、
主として神事に用い供え物の敷物に使われた。
葉はブタ、ウシ、ヒツジ、シカなどの飼料(飼い葉)とする。
樹皮はコウゾと同様に製紙用の繊維原料とされた。
中国の伝統紙である画仙紙(宣紙)は主にカジノキを用いる。
また、葉は、昔は七夕飾りの短冊の代わりとしても使われた。

植物図鑑よれば
梶の木
クワ科の落葉高木。東南アジア原産。亜熱帯および日本各地で栽培されています。
わが国でも古くから製紙用に栽培され、野生化もしています。
高さは5~10メートルになり、樹皮は灰褐色で黄褐色の皮目があります。
葉は左右非対象の卵形で互生します。
葉には切れ込みのないものから3~5深裂するものもあります。
「こうぞ」や「ひめこうぞ」に似ていますが、葉柄が長く2~7センチあるのが特徴です。
雌雄異株で、5月から6月頃、葉腋に雌花序と雄花序をつけます。
果実は集合果で、7月から8月頃、橙赤色に熟して食べられます。
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四天王寺番匠堂-追記-

2016年04月24日 | 日記
4月22日は四天王寺聖霊会舞楽大法要。
この日は「太子会」にあたり、各お堂が開放されていました。
先日の番匠堂は逆光で上手くとれませんでしたので、
もう一度撮りなおしてみました。
すると…お堂の扉が開かれていました。
不遜とは知りながら…お堂の写真をトリミングすると
「曲尺太子」像が開帳、浮き出てこられました。
右手に「曲尺」のようなものを持っておられるように見えます…?
想像で見えてしまったのかもしれませんが…。
他のブログに掲載された額装の「曲尺太子」は柄香炉を
「曲尺」に持ち替え中央で持っておられるようですが…

11月22日には、番匠堂奉賛法要があるそうです。

 
4月22日撮影               4月15日撮影

 

                                     (小さい写真をクリックすると拡大)
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林神社・饅頭まつり

2016年04月21日 | 日記
林神社の例大祭饅頭まつりは、毎年4月19日に斎行されます。
ご祭神林淨因命の末裔にあたる塩瀬総本家や、奈良、京都、大阪はじめ全国の菓子会社の参列、多くの参拝者で賑わいます。
饅頭まつりの行われる林神社は、高天交差点を少し南に行った「漢国神社(かんごうじんじゃ)」の境内にあります。

    漢国神社         饅頭の祖神 林神社石碑     林神社例大祭饅頭祭



      参拝の行列      氏子の法被には社紋の「松皮菱」




林神社例大祭次第


  林神社社殿     御祭神.林浄因命(りんじょういんのみこと).    お菓子会社からのお供えの数々


饅頭塚と神饌


境内には、藤棚の藤が、ヤマブキが満開 アヤメも一輪


接待用の薯蕷(じょうよ)饅頭造りに大忙し


修祓                奉幣


祝詞奏上



塩瀬総本家はじめ参列者による玉串奉奠         宮司挨拶        


参列者、参拝者への茶菓接待


奉献の品々


パパとりの雑記帳 2015.2.7「饅頭の祖」のブログがあります。
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四天王寺番匠堂

2016年04月21日 | 日記
番匠堂は、中心伽藍東重門の外側の傍らに建っています。
(クリック拡大)

聖徳太子は、日本に仏教を広められると共に、
わが国に朝鮮半島・百済国より番匠と称される数多くの
名工を招請され、高度な建築技術を導入されました。

番匠堂内には曲尺を持つ聖徳太子像(曲尺太子)が祀られています。
前に建つ「六字名号」の石碑が一画、一画を鋸・錐・鉋など
大工道具をデザインした文字で書かれています。

番匠器名号ですが、四天王寺七堂伽藍を創建されるときに
(材料として)大地の産物の命を断ってしまうので、
金槌・ノコギリ・錐などに仏性を入れて、
番匠器(大工道具)で「南無阿弥陀仏」の名号を入れ、
工事の安全と無事建立を祈念したのがはじまりだそうです。
毎年11月22日、番匠堂に於いて、「曲尺太子奉賛法要」が
厳修されてます。

 

 
  
(小さい画像をクリックすると拡大)

建築技術の向上と工事の無事安全を願う名号の幟


番匠器名号の実物は軸装されていて、宝物館に収蔵されているそうです。
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松の花

2016年04月20日 | 日記
松に花が咲いているのを見つけました。
松と言えば「松かさ」、「松ぼっくり」は知っていますが、
花?意外に気が付きません。
見かけていても、それが「花」だったとは…。
理科とか生物で学んでいたのかもしれませんが…。
松かさは学術的には「球果」と言いますが、
可愛くなくなりますね。


角のように伸びているのが新しい枝の部分です。

 
枝の頂部の赤味がかったのが「雌花」が2〜3つ付きます。
その下部にあるのが「雄花」で茶色っぽい色をした房状に沢山付いています。。
若い枝の付け根にあるのが「青い松かさ」で、前年に雌花の胚芽に受粉した種子が格納されています。
来春にはこの青い松かさは成熟して、よく見かける松かさとなり、種子を飛ばすようになります。

 
先端の雌花を拡大してみました。
たくさんの鱗片があつまっていて受粉し易い構造になっています。

松は、風媒花ですから風で運ばれるようにできています。
春先は、スギ、ヒノキの花粉が有名ですが、
松も負けず劣らず白い煙のように飛び散ります
粒子が大きいので遠くまでは飛ばず、木の周辺程度とか。
4〜5月にかけて、松の木の近辺は、花粉症に要注意とのこと。


                                   (小さい写真はクリックすると拡大します。)
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四天王寺聖霊殿・猫之門

2016年04月18日 | 日記
何度となく四天王寺には参拝しているのですが見落としていたのが聖霊院にある「猫之門」。
院内の太子殿奥殿の横にあたり、不開の門とのことです。因みに、聖霊院正門は「虎ノ門」とも言われ虎の彫刻のことを後で知りました。

(クリック拡大)


聖霊院(太子堂)正門「虎ノ門」(虎の写真は転載) 

 
太子殿前殿、後方にあるのが夢殿の形の奥殿


太子堂前殿           聖霊院扁額



門の横には「太子殿猫の門」と石の標識が建てられています。



さらに、門には「猫之門」との表札が


そして門横桁中央部分に眠っているような猫の彫刻が飾られています。
 

「眠り猫」と言えば左甚五郎の日光東照宮を思い出します。(写真転載)


 この猫には、幾つかのの伝説があります。(ブログで書き込まれたものを編集して紹介します。)
 四天王寺の七不思議の一つ
 左甚五郎作、猫の門の「眠り猫」は元日の朝に三聲鳴く

 猫が門番をしていったい何を守っているのだろうかというと、聖霊院内にある経堂に納められた経文を鼠から守っているそうです。

 四天王寺は大坂の陣で焼失しましたが、徳川幕府によって再建されました。再建された「猫之門」のネコは名匠・左甚五郎の作であったと伝えられており、日光東照宮の「眠り猫」 と一対となって、大晦日と元旦に鳴きあったともいわれています。
 第二次大戦の空襲で焼失し、現在の猫の門は戦後、1979年に再建されたものですが、先代のネコは鼠の番をせず、夜な夜な花街へ遊びに出かけているとの噂がたち、困った寺に金網 をかけられた為に空襲の際に逃げられなかったという、面白可笑しく可愛そうな噺も。

 左甚五郎の眠り猫といえば、日光東照宮が有名ですが、京山幸枝若の浪曲に左甚五郎「四天王寺の眠り猫」があり、大阪日本橋三丁目の大工棟梁吉兵衛宅に寄宿した甚五郎が岡山の
名人松吉と北門に飾り付ける眠り猫の出来を競うお話。(YOU TUBEで聴けます。)
「戦災前は天王寺なる北門に残りあったる眠り猫正月元旦来たりなば、ニャンと一声鳴いたという誰が付けたかニャン門という」

伝説、噺ではなく、興味あるブログがありました。
 猫之門は、四天王寺をはさんで石の鳥居と向き合っていること。四天王寺は四天王寺式と呼ばれる謎めいた伽藍配置をしています。門は南門のほかに東西にふたつ。伽藍は金堂と塔 とが南北に並んでいますから、東西ふたつの門の間に建物はない。つまり、この猫は四天王寺越しに石の鳥居を眺めている。まあ寝ているから見てないでしょうけど。
 石の鳥居は、夕日を拝むポイントですから、猫は毎日、夕日を拝んでいるわけです。逆に石の鳥居から四天王寺を拝めば、四天王寺ごしに猫を拝むことになります。まあ、猫を拝ん でいるわけで はなく、その後ろの太子堂つまり聖徳太子を拝んでいるわけです。
 ひょっとすると、謎と言われる四天王寺の伽藍配置は、この東西軸の導入で解けるかも知れません。(前の境内図をクリック拡大参照してください。)

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