パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

大阪平野区長寶寺閻魔詣で

2018年05月20日 | 日記
5月18日大阪平野区の長寶寺に「閻魔詣で」してきました。

長寶寺

宗 派 真言宗 高野山
山 号 王舎山 
寺 名 長寶寺

開基は坂上田村麻呂の娘で桓武天皇の妃“春子姫”です。
延暦25年(806)桓武天皇崩御により、春子姫は弘法大師に帰依し剃髪し慈心大姉となられ、
坂上田村麻呂が大同年間に(806~810)に創建した長寳寺の開基となったのです。
後醍醐天皇が吉野に皇居を移されるとき、当山を仮の皇居とされ『王舎山』の山号を賜りました。
後に広い堂宇も元弘の乱・建武元和の兵火にあい、ことごとく焼失しました。
現在の本堂と庫裡は、天保年間(1830~44)第33代慈源大姉の代に再建されました。


お寺の由来

 
告知ポスター(大きいのでコピー一部重複)


山   門

 
本   堂

 
境   内



5月18日に、秘仏本尊十一面観世音菩薩(坂上田村麻呂守護佛)
及び閻魔大王の扉を開き法要が執行され、閻魔大王の宝印授与をいただくことができます。
この宝印は別名『極楽へのパスポート』と言われています

   
   大王御判     御判の捺されたお札


閻魔大王御判の由来(抜粋)

此の御判は「平野長寶寺よみがえりの草子」にある通り、
永享十一年(1439)慶心房が本堂で読経中、閻魔王のはからいで當寺院の不動明王に導かれ、閻魔王宮に行き、
閻魔大王が牛頭鬼・馬頭鬼を使い鉄の刺股で、極楽行、地獄行と閻魔大王自らが決め、
善根していない者は地獄に堕ち、聞くだに恐ろしい地獄の責め苦が日毎、夜毎くり返され、
八大地獄の苦難の恐ろしさを見せ、生前に善根功徳をする様をすすめるために、
慶心房を頓死させ、其の証拠として慶心房の額に判を押して蘇生させたが、
人々は信じないので、嘉吉元年(1441)十月十五日慶心房が読経中一疋の青蜘蛛が下り、
それをつかむと気を失い、又、閻魔王宮に行き、王に召され八大地獄を見せたが、
人々が信じないので、前に慶心房の額に判を押したが、色がうすくなったのを版木に刻り、
其の判を押して人々に結縁さす様に固くおおせられたので、三日後に蘇生した後は、
閻魔大王より頂いて持ち帰った証判を今の世まで、一般参詣者に結縁授与するものなり。
                                         合掌
                                 王舎山 長生院 長寶寺

 
本堂棟の寺紋「向馬」


寺紋は坂上田村麻呂の定紋「向馬(むこううま)」



閻魔様は、「現世の横死者救済」に力を入れて下さっているのですね。

京都の真如堂に伝わる「決定往生之印」と言う、長寶寺の御判とよく似た言い伝えがあります。
ここでは、慶心坊ではなく陰陽師安倍晴明。(以下真如堂の案内による。)
『晴明が突然死して閻魔王の前に引き出されたとき、晴明の念持仏の不動明王が、大王に懇請して、
晴明は蘇生したといいます。その時、閻魔王は、「是は我が秘印にして、現世には横死の難を救い、
未来にはこの印鑑を持ち来る亡者決定往生の秘印なり」と言って、晴明公に印を授けました。』
不動明王と印は晴明公の逝去後に真如堂へ納められ、印紋は今も参拝の方々に授与されています。


真如堂の「決定往生之印」


閻魔大王とは関係がありませんが、京都東寺の修正会は毎年1月3日に行われています。
『修正会では「おふなごう」とも、「牛玉法印」とも言われる厄除けの御宝印(ごほういん)を祈願し、
僧侶の額・御影堂の柱に朱印が押されます。
その後御影堂の南側で御宝印を半紙に押したお札が参拝者に授与され、額にも押してもらえます。』


東寺の御影堂の格柱に      半紙に授与された御宝印

僧侶の額に押されるところは、長寶寺の言い伝えで「慶心房の額に判を押したが…」と同じですね。
仏教の額と印判の関係も調べてみたいと思っています…。

またキリスト教でも、神のしもべたちの額に印を押しす話が有ったり、インド人女性が額に赤い粉?を塗る風習もあります…

サムハラ神社

2018年05月17日 | 日記
サムハラ神社って?
初めて聞いた神社の名前です。しかもカタカナ…
しかも…漢字が見当たりません…

ja.wikipedia.org/wiki/サムハラ神社でさえ…
『「𪮷〓𪮷𪮇神社」
本来の表記は「𪮷〓𪮷𪮇神社」です。この記事に付けられた題名は、
技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています
サムハラ神社無傷無病、延命長寿の神として知られる。
𪮷〓𪮷𪮇(サムハラ)とは不思議の4文字で、身を守ると言われている。
これは漢字のような文字であるが神字であり漢字とは異なる
Unicodeには、〓のみが収録されておらず、活字変換は不可。
他の文字は全てCJK統合漢字拡張Cに収録されている。』
『𪮷〓𪮷𪮇はサンスクリット語の saṃvara (「三跋羅(さんばら)」)という言葉に由来するという。』

サムハラ神社のご祭神
天と地が出来たとき、高天原に成られた三柱の神様。

•天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)・・・ 最高位、至高の神
•高皇産霊大神(たかみむすひのおおかみ)・・・・・・・・・ 創造、征服、統治の神
•神皇産霊大神(かみむすひのおおかみ)・・・・・・・・・・・ 創造、生産の神

これらを「造化三神」と呼び、三柱を同時に祀るというのは、
全国でも非常に珍しい神社でだそうです。


 

 
正面・鳥居                     ご祭神など書かれた由緒板

 
拝殿正面 奥に本殿


神  紋
神社の起源地である「加茂町百百(どうどう)」に因んで
百百を二段重ねにしてデザインされているとのことです


ご朱印

神社の由来書
  
(神社名は「作字」されている?)


松尾祭の還幸祭の発興が有ったのが旭の杜、西寺跡公園。
その一角にあったのが、「鎌達稲荷神社」。
何でも、京都のパワースポットで知られているとのことでした。
安部晴明の子孫「安倍土御門」や呪術僧の「浄蔵貴所師」など、
超人パワーを持った人たち縁の神社だそうです。
この神社のサムハラ呪符は災難除け、奇蹟を生むお守りが頂けると…。

ここで、大阪の強大なパワースポットとして有名なサムハラ神社を知りました。
ならば…と、大阪で用事のついでに参拝してきました。
何でも「『御神環』指輪型お守り」は、入手困難な人気アイテムだそうです…。
社務所には5月末入荷の予定と書かれていました。
初穂料は3000円とか。
「無傷安全・無病息災・延命長寿」の霊験絶大とか。
なお、サムハラ神社平野町御符所に展示されているそうです。

サムハラ神社は大阪地下鉄阿波座駅から徒歩5分程度。
大阪府警機動隊の施設の隣です。
剣道の気合いの声、竹刀の響きが聞こえていました。

葛城山・アオマムシグサ

2018年05月12日 | 日記

この季節、「自然つつじ一目百万本」で有名な「葛城山」に登ってきました。
新聞に載っていたり、上空にはヘリが飛び、TV局のカメラも回ってました。

  


正しくは「昇ってきました?」
「ロープウエイで山上駅まで!」
健脚組が、登山道を歩いて登る姿を眼下に、
大和三山、明日香、生駒を遠望しながら約6分。
標高959.7m.
 
山頂写真スポット                 三角点

 
50人乗りのピストン運転です 

 
左が耳成山 大きのが畝傍山      天の香久山は良く撮ってない…


今年は、桜はじめ、花全体に開花が早く、自然つつじ園もピークは過ぎていたように見えました。
それでも、バスツアーの観光者や、訪問者は多く、ロープウエイも乗車まで20分余り待ちました。
 


散策マップ

 
「白樺食堂」のデッキ下にはシャクナゲも

  

 

ロープウエイの近くに祠があります

葛城天神社 御祭神国常立尊


役行者神変大菩薩
葛城と言えば役行者の縁の地
ロープウエイの案内で修行の滝の名前…「櫛羅」
「くじら」と読む地名だそうです。山にくじら?


大日大聖不動明王

 
犬も散策に…  山頂付近には「天空のハッピーベル」ハート形の鍵が沢山架けられて…

つつじは盛が過ぎていましたが山道の脇に「アオマムシグサ」を発見!

 

   
上から中を覗くと…


先日、室生の山の中の池の近くで初めて見たのは、「マムシグサ」。
茎の模様がマムシに似ていた…
  
今から思うとこれも「アオマムシグサ」だったのかも…。

アオマムシグサ(青蝮草)は、山地や原野の湿った林床に生え、「仏炎苞が緑色になるものをアオマムシグサ」というようです。

しかし、マグシグサは、変異が著しく中間的な形態を示すものも多く、植物学者でも分類が異なるため、分類が難しいようです。
マムシグサは、テンナンショウ属の中でもあまり好かれないのは茎の模様からマムシを思い起こさせるからのようです。

伏見稲荷大社・還幸祭(一)

2018年05月09日 | 日記
還幸祭のハイライトといえば、東寺東門「慶賀門」での神供。
神仏習合が目の前で実感できます。
神職が東寺僧侶に修祓を行い、僧侶が神輿に般若心経を唱え、
「南無稲荷大明神」「南無弘法大師」と真言を唱えます。
現在は、神輿は車両に乗って路上に横向けに並んでいますが、
かっては門前に向って整列した五基の神輿に僧侶が読経していたそうです。

  
五基の神輿、供奉人が整列し、還幸祭の発輿の神事が行われます

 
 
参道、鳥居を潜り油小路の車列に向かいます

    五基の神輿が次々と御旅所から発進していきます  

  
僧侶の方々が門前にて神輿をお迎えします 筍、大根、白菜、赤飯などの神饌がそれぞれの神輿に供えられています


  
神職によるお祓いと僧侶による読経

 
 読経が終わると神職は車列に戻って行きます

 
門前中央には鳳凰を戴く下の社の六角神輿(御祭神・宇迦之御魂大神) 


僧侶の方々は巡行の車列のお見送り










稲荷祭・天狗榊山車

2018年05月09日 | 日記
稲荷祭の際、「天狗榊」なるものが復活されたとのことで
とにかくは拝見と、還幸祭の日に出かけてきました。

 
「天狗榊」由来の駒札と山車全景

                         【駒 札】
                          伏見稲荷大社 稲荷祭 山車 天狗榊 
                         ・稲荷祭は、毎年卯月吉日に五柱のご祭神の御神輿が八条油小路の
                          御旅所へ奉還される神幸祭に始まり、皐月三日、氏子区域を巡幸
                          して本社に還御される還幸祭を以って終わる。
                         ・隣接の八坂神社との氏子区域の境目が松原通り(旧五条大路)の
                          南北と定められ、かっては祇園祭の山鉾も通っていたが、現在は
                          稲荷祭の行列のみが巡幸している。
                         ・稲荷祭は、氏子町衆のイナリ信仰熱と経済力により神輿のほかに、
                          祭を盛り上げ華やかながら滑稽味のある幾多の山車が造られたことは、
                          天明六年(一七八六年)刊行の「都名所図会拾遺」にも見られ、
                          天狗榊もその内の一つであることがわかる。
                         ・今回ここに復元したものは、古文書やその残欠(京都市有形民俗
                          文化財)より類推し、縮小したもので、上部より真榊、天狗面、
                          神額と幣、お迎え提灯一対、本体の懸装品は前後に稲荷大社神紋、
                          左右の胴掛けは、「波涛麒麟図」、見送りは狩衣露紐仕立ての金襴地である。
                         ・毎年、稲荷祭期間中に、雅楽や太鼓と共に区内を巡行し、少しでも
                          往古の盛時が甦ることを希求するものである。

                                               平成二十四年四月二十八日竣工
                                                       川西崇敬会
                                                       有隣神事委員会
 


「天狗榊」
最上段・真榊 二段目・天狗面 三段目・「稲荷大神」新額と幣 四段目・お迎え提灯 本体懸装品・前後に神紋と胴掛け
 
左側面からの全景と懸装品胴掛け「波涛麒麟図」

 
後部の見送り「牛若丸と弁慶」と右側懸装品胴掛け「波涛麒麟図」

山車は一辺がほぼ1.3メートルの箱形の台車に
懸装品を掛け真木(しんぎ)(高さ約2.4メートル)を立てます

 
松原通りで還幸祭の車列を、迎え太鼓でお迎えする「天狗榊」と氏子の皆さん


 
神輿のお通り

  
稲荷の象徴「おきつねさん」や、「神馬」の車列も通ります。

に稲荷祭は、五殿の神霊が神輿に遷り御旅所にお出ましになる「神幸祭」に始まり、
「氏子祭」で神輿を担いで各氏子町内会巡行、「還幸祭」で神霊はそれぞれの本殿に還ります。
お迎え山車である、「天狗榊」も氏子祭の行われた4月29日に巡行?していたようです。
来年はその様子も是非観てみたいと思います。

稲荷祭のお迎え山車が、かっては祇園祭の鉾町毎のように50基程有ったそうです…。
駒札を読むと松原通りを境に、先ず稲荷祭、そして7月の祇園祭と賑やかな町の風景が瞼に浮かびます。
京都の春は、今宮神社の鎮花祭「やすらい祭」で祭が始まり、稲荷祭と同時期に「松尾祭」で神輿が隣接区域の御旅所に奉安されています。
新緑の季節、洛中は賑やかなことです。







なんじゃもんじゃの木(ヒトツバタゴ)

2018年05月06日 | 日記
この季節になると神社の境内等でよく「なんじゃもんじゃの木」を見かけます。

名前の由来は、見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称で、
特定の植物の種名ではなく、通常は「ヒトツバタゴ」を指すことが多いのですが
他の樹種(ニレ、イヌザクラ、ボダイジュなど様々)の場合もあります。

(ウィキペディアによると)
ヒトツバタゴ(一つ葉タゴ、一つ葉田子、Chionanthus retusus)とは
モクセイ科ヒトツバタゴ属の一種。
ヒトツバタゴ属(Chionanthos)は、Chionが「雪」、-anthosが「花」を意味する。
ヒトツバタゴ同様、雪のように白い花をつけることが多い。
同じモクセイ科のトネリコ(別名「タゴ」)に似ており、トネリコが複葉であるのに対し、
本種は小葉を持たない単葉であることから「一つ葉タゴ」の和名がある。

成木で樹高は20mを超える大型の落葉高木。
幹は灰褐色で縦に切れ目が入る。
葉は長楕円形で4cm-10cm程度となり、長い葉柄を持ち対生する。
花期は5月頃で、新枝の枝先に10cm程度円錐形に集散花序をつける。
花冠は深く4裂する。
雌雄異株であるが、雌花のみをつける株は存在せず、
雄花をつける株と、両性花をつける株がある雄株・両性花異株である。
秋に、直径1cm程度の楕円形の果実をつけ、黒く熟す。

日本において本種は希少種のひとつであり、絶滅危惧II類 (VU)(環境省レッドリスト)に指定されている。
天然での分布域も狭く、長野県、愛知県の木曽川流域、岐阜県東濃地方および長崎県対馬市に自生しており、
それぞれの県のレッドデータブックに掲載されている。
長野県および愛知県では絶滅危惧I類、岐阜県および長崎県では絶滅危惧II類に指定されている。

愛知県犬山市池野西洞、岐阜県瑞浪市釜戸町、同県恵那市笠置町、同県中津川市蛭川の自生地は
一括して国の天然記念物(「ヒトツバタゴ自生地」)に指定されている。
他に恵那市大井町、同市中野方町、中津川市苗木、同市落合新茶屋の自生地が岐阜県県指定天然記念物、、
瑞浪市稲津町萩原の自生地が同市指定天然記念物、、
土岐市泉町白山神社境内のハナノキ・ヒトツバタゴが国の天然記念物となっている。
また、長崎県対馬市上対馬町鰐浦地区には、約3000本の本種が自生しており、
「鰐浦ヒトツバタゴ自生地」として国の天然記念物に指定されている。

民俗学では、元々は占いや神事に利用されていたもので、
植物名で直接呼ぶことが憚られたものではないかとの説などがあります。
神社でよく見かけたのはこの説に由来するのかも…。
昨年は、奈良興福寺菩提院大御堂、
滋賀近江八幡市安土町常楽寺の沙沙貴神社へと
この木を見に行きましたが、近くにもありました。
5月3日は稲荷祭の還幸祭で伏見稲荷大社。


 



   
木のあるのは神楽殿の南側の「松の下屋」の近くです。
秦姓祠官松本家の旧居宅跡だったところで、
大正時代の建築で築後100年だそうです。


5月4日は結婚式で参列した上賀茂神社。
大きな木に細かい白い花が木一杯に咲いていました。
実は、4本の花弁に見えますが、1枚の花弁が4っに裂けたものです。
(難しい表現では、花冠は深く4裂する集散花序。)

 


挙式は「立砂」のある「細殿(ほそどの)」でありました。
西鳥居側、向かって左手に「なんじゃもんじゃの木」があります。



写真の再掲載になりますが…沙沙貴神社の「なんじゃもんじゃの木」

 

 
(H26.5.12撮影)