久しぶりに会った大学時代の友人達に、石山寺近くの小高い山中にある芭蕉ゆかりの「幻住庵」を案内して貰った。
俳句は門外漢で、此処に庵が有ったり、近くの「義仲寺にお墓がある」ことも初めて知りました。
芭蕉が、大阪市のど真ん中、南御堂辺りで客死したことは知っていましたが…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/9d/14fda11eac9a7d8e3657624ba2c45fff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/bd/0c038a7ba1e3491bd93f861c2923357b.jpg)
(案内パンフレット)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/8f/f0c12a50dae8c7f122b741661fb1c5c9.jpg)
草庵の入口 内から見ると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/48/4f7db0b9477a90753408ef56932287ff.jpg)
僧正に揮毫して貰ったという木製の扁額「幻住庵」
『筑紫高良山の僧正は、賀茂の甲斐何某が厳子にて、このたび洛にのぼりいまそけるを、
ある人をして額を乞ふ。いとやすやすと筆を染めて、「幻住庵」の三字を送らるる。』
(幻住庵の記より)
* 筑紫國高良山月光院御井寺第五十世座主、寂源一如僧正。
賀茂祠官藤木甲斐守敦直の子。
大師流の名筆家で文人のことらしい。
* 幻住庵は、芭蕉の死後数年経って移築され、
現在は大津市別保二丁目に尼寺「幻住庵」として存続し、
真筆の額が保存されているとのこと。
(玄住庵保勝会 山田氏・「松尾芭蕉と近江」より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/bd/dc23a689ff9d66b5252d5512cb4908f2.jpg)
「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。」…
『蓬(よもぎ)・根笹軒(ねざさのき)をかこみ、屋根もり壁おちて、
狐狸(こり)ふしどを得たり。幻住庵(げんじゅうあん)といふ。』
(幻住庵記より)
「とくとくの清水」
「幻住庵の記」に、「たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みてみづから炊ぐ」とあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/e5/be7ddf6dfa2368e9a13f0cbde9497495.jpg)
灯籠越しに入口を見る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/7c/5496875fff4989d0cc3fbbc045b1597a.jpg)
何故か「織部型石灯籠・切支丹灯籠」が…
棹が地中に埋まり、「FILI(上の赤丸)」とキリストを 表わす文字が組み合わされた記号が彫り込まれていたり
その下に「マリア像(下の赤丸)」と言われるレリーフが見えます。
復元の際に置かれたのでしょうか?膳所藩主の血縁にキリシタンが居られたそうですが…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/05/6b8c582b5c6000389a5ee4444e24352c.jpg)
石碑「幻住庵跡」 幻住庵の記に記された「椎の木」は石碑の後ろ?
『先づ頼む椎の木も有り夏木立』(幻住庵の記の締めの句)
幻住庵のおさらい(Wikipediaより抜粋)
幻住庵(げんじゅうあん) 滋賀県大津市にある松尾芭蕉の関連史跡。
「奥の細道」の旅を終えた翌年の元禄3年(1690年)3月頃から、膳所の義仲寺無名庵に滞在していた芭蕉が、
門人の菅沼曲水の奨めで同年4月6日から7月23日の約4ヶ月間隠棲した草庵。
ここで「奥の細道」に次いで著名で、「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ」の書き出しで知られる「幻住庵記」を著した。
元は曲水の伯父幻住老人(菅沼定知)の別荘で、没後放置されていたのを手直しして提供したものであり、近津尾神社境内にある。
芭蕉は当時の印象を「いとど神さび」と表現したが、その趣は21世紀の今も変わらず残っている。
現在の建物は1991年9月に芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環で復元したものであり、
敷地内には幻住庵記に「たまたま心なる時は谷の清水を汲みてみづから炊ぐ」との記述があるように、
芭蕉が自炊していた痕跡 ”とくとくの清水”が、今も木立の中、水を湧き出している。
俳句は門外漢で、此処に庵が有ったり、近くの「義仲寺にお墓がある」ことも初めて知りました。
芭蕉が、大阪市のど真ん中、南御堂辺りで客死したことは知っていましたが…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/0b/40b521ac4cf90023942019a867c372f3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/9d/14fda11eac9a7d8e3657624ba2c45fff.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/bd/0c038a7ba1e3491bd93f861c2923357b.jpg)
(案内パンフレット)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/2b/4cbbceacc2e8ec90b610878d1d11c3ab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/8f/f0c12a50dae8c7f122b741661fb1c5c9.jpg)
草庵の入口 内から見ると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/48/4f7db0b9477a90753408ef56932287ff.jpg)
僧正に揮毫して貰ったという木製の扁額「幻住庵」
『筑紫高良山の僧正は、賀茂の甲斐何某が厳子にて、このたび洛にのぼりいまそけるを、
ある人をして額を乞ふ。いとやすやすと筆を染めて、「幻住庵」の三字を送らるる。』
(幻住庵の記より)
* 筑紫國高良山月光院御井寺第五十世座主、寂源一如僧正。
賀茂祠官藤木甲斐守敦直の子。
大師流の名筆家で文人のことらしい。
* 幻住庵は、芭蕉の死後数年経って移築され、
現在は大津市別保二丁目に尼寺「幻住庵」として存続し、
真筆の額が保存されているとのこと。
(玄住庵保勝会 山田氏・「松尾芭蕉と近江」より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/bd/dc23a689ff9d66b5252d5512cb4908f2.jpg)
「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。」…
『蓬(よもぎ)・根笹軒(ねざさのき)をかこみ、屋根もり壁おちて、
狐狸(こり)ふしどを得たり。幻住庵(げんじゅうあん)といふ。』
(幻住庵記より)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/33/c3a5e4cedfe22078783a4554f22abb31.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/13/b2388a41cc651bcc8b2107a5feb03668.jpg)
「とくとくの清水」
「幻住庵の記」に、「たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みてみづから炊ぐ」とあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/e5/be7ddf6dfa2368e9a13f0cbde9497495.jpg)
灯籠越しに入口を見る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/7c/5496875fff4989d0cc3fbbc045b1597a.jpg)
何故か「織部型石灯籠・切支丹灯籠」が…
棹が地中に埋まり、「FILI(上の赤丸)」とキリストを 表わす文字が組み合わされた記号が彫り込まれていたり
その下に「マリア像(下の赤丸)」と言われるレリーフが見えます。
復元の際に置かれたのでしょうか?膳所藩主の血縁にキリシタンが居られたそうですが…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a7/e9e81a213a9c35fc4b0e970da0e75ff9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/05/6b8c582b5c6000389a5ee4444e24352c.jpg)
石碑「幻住庵跡」 幻住庵の記に記された「椎の木」は石碑の後ろ?
『先づ頼む椎の木も有り夏木立』(幻住庵の記の締めの句)
幻住庵のおさらい(Wikipediaより抜粋)
幻住庵(げんじゅうあん) 滋賀県大津市にある松尾芭蕉の関連史跡。
「奥の細道」の旅を終えた翌年の元禄3年(1690年)3月頃から、膳所の義仲寺無名庵に滞在していた芭蕉が、
門人の菅沼曲水の奨めで同年4月6日から7月23日の約4ヶ月間隠棲した草庵。
ここで「奥の細道」に次いで著名で、「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ」の書き出しで知られる「幻住庵記」を著した。
元は曲水の伯父幻住老人(菅沼定知)の別荘で、没後放置されていたのを手直しして提供したものであり、近津尾神社境内にある。
芭蕉は当時の印象を「いとど神さび」と表現したが、その趣は21世紀の今も変わらず残っている。
現在の建物は1991年9月に芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環で復元したものであり、
敷地内には幻住庵記に「たまたま心なる時は谷の清水を汲みてみづから炊ぐ」との記述があるように、
芭蕉が自炊していた痕跡 ”とくとくの清水”が、今も木立の中、水を湧き出している。
「もう一つの幻住庵」
大津市別保二丁目4の45にありました。
拝観とかはされていないようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4e/53420899c8d71a6f93f68947fc1e8828.jpg)
正面と「玄住庵」の懸額
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/a0/bb0819a36b977363a7c578617e8160d0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/76/6b28464eb34ba139456534287c66676c.jpg)
門の外からお庭を失礼しました。
大津市別保二丁目4の45にありました。
拝観とかはされていないようです。
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正面と「玄住庵」の懸額
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門の外からお庭を失礼しました。
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