三十三間堂仏教文化講座で「戸津説法」の聴聞に参加してきました。
戸津説法とは、天台宗の高僧が「法華経」の説法を、坂本の「東南寺」で
行うもので、かっては「30日間」に亘って、坂本の生源寺、下坂本の観福寺と
東南寺で行われていたが、「元亀の法難(信長の比叡山焼き討ち)」以降、
東南寺のみとなり、江戸時代初期には「10日間」に、明治以降は「5日間」になったと
頂いたしおりに記されていました。
歴史は、宗祖伝教大師最澄が、叡山鎮守山王日吉権現への地恩報謝と、ご両親への
孝養回向の一つとして、琵琶湖畔の戸津浜で民衆に法華経を説いたのが始まり、
千二百余年に亘り続く、宗門の最も重要な行事の一つ。
説法師をつとめることが、天台座主への登竜門とされています。
今年は穴太寺(亀岡市)住職の穴穂行弘氏(78)が説法師を務められました。
坂本周辺の里坊地図。左下が東南寺で、比叡山の東南に位置する寺名とか。
「戸津説法のしおり」 御朱印
説法の行われる本堂正面
説法師 穴穂行弘大僧正
本堂屋根の狛犬
東南寺を示す「東」の瓦の鐘楼
境内中央の地蔵菩薩
この地は坂本城の二ノ丸跡とされ、境内には坂本城が落城する際戦死した武士の供養塔(首塚)や石仏があります。
2020年のNHK大河ドラマが「明智光秀」ということで、縁の東南寺を訪れる人が多くなるのでしょう。
説法師・穴穂大僧正の住職をされているお寺は「穴太寺」で東南寺は坂本にあり、
坂本の町には石垣の塀などが多く残されています。
ここは城の石垣積みなどで活躍した「穴太衆」の出身地というこで、
ここで見られる石垣の多くは穴太衆の積んだ石垣のようです。(穴太積)
何か縁があるのでしょうか?
字こそ異なりますが姓も「穴穂」大僧正。
付録?
織田信長の比叡山焼き討ちは日本史で習いましたが・・・
延暦寺では「元亀(げんき)の法難(元亀2年)」と言うのですね。
鎌倉時代の有名な僧侶の流刑でも、日本史では学ばなかったけれど、
宗門から見れば「◯◯の法難」表記されているのを目にしたことがあります。
今年は、京都では大政奉還・明治維新150年とよく目にしましたが、
会津の友人は、「戊辰戦争150年」とか言ってました・・・
主体が変ると表現も変わるのですね?
戸津説法とは、天台宗の高僧が「法華経」の説法を、坂本の「東南寺」で
行うもので、かっては「30日間」に亘って、坂本の生源寺、下坂本の観福寺と
東南寺で行われていたが、「元亀の法難(信長の比叡山焼き討ち)」以降、
東南寺のみとなり、江戸時代初期には「10日間」に、明治以降は「5日間」になったと
頂いたしおりに記されていました。
歴史は、宗祖伝教大師最澄が、叡山鎮守山王日吉権現への地恩報謝と、ご両親への
孝養回向の一つとして、琵琶湖畔の戸津浜で民衆に法華経を説いたのが始まり、
千二百余年に亘り続く、宗門の最も重要な行事の一つ。
説法師をつとめることが、天台座主への登竜門とされています。
今年は穴太寺(亀岡市)住職の穴穂行弘氏(78)が説法師を務められました。
坂本周辺の里坊地図。左下が東南寺で、比叡山の東南に位置する寺名とか。
「戸津説法のしおり」 御朱印
説法の行われる本堂正面
説法師 穴穂行弘大僧正
本堂屋根の狛犬
東南寺を示す「東」の瓦の鐘楼
境内中央の地蔵菩薩
この地は坂本城の二ノ丸跡とされ、境内には坂本城が落城する際戦死した武士の供養塔(首塚)や石仏があります。
2020年のNHK大河ドラマが「明智光秀」ということで、縁の東南寺を訪れる人が多くなるのでしょう。
説法師・穴穂大僧正の住職をされているお寺は「穴太寺」で東南寺は坂本にあり、
坂本の町には石垣の塀などが多く残されています。
ここは城の石垣積みなどで活躍した「穴太衆」の出身地というこで、
ここで見られる石垣の多くは穴太衆の積んだ石垣のようです。(穴太積)
何か縁があるのでしょうか?
字こそ異なりますが姓も「穴穂」大僧正。
付録?
織田信長の比叡山焼き討ちは日本史で習いましたが・・・
延暦寺では「元亀(げんき)の法難(元亀2年)」と言うのですね。
鎌倉時代の有名な僧侶の流刑でも、日本史では学ばなかったけれど、
宗門から見れば「◯◯の法難」表記されているのを目にしたことがあります。
今年は、京都では大政奉還・明治維新150年とよく目にしましたが、
会津の友人は、「戊辰戦争150年」とか言ってました・・・
主体が変ると表現も変わるのですね?