パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

長岡京市・寂照院

2022年04月30日 | 日記
初めて聞く寺院の名前です。
TV番組で「日本孟宗竹発祥之地」として紹介されたという。
今では、西山山麓一帯で筍の一大有名産地となり,嗜好されている。
下海印寺や奥海印寺という地名知っていましたが、寂照院はどんなお寺かと思って、
話題の地、縁の寺院に行ってきました。

戦国時代の戦乱で荒廃し廃寺になり、海印寺子院の寂照院だけが残っているという。
荒廃していたお寺を近年立て直されたものばかりで古刹という雰囲気はないが、
歴史的には、平安時代の創建で、鎌倉時代の仏像などを有している。
また、道元が中国より孟宗(もうそう)竹を持ち帰り最初に植えたところだそう。

寂照院について
宗 派 単立真言宗
山 号 木上山(こがみさん・このかみざん)
名 称 海印寺寂照院
本 尊 千手観世音菩薩
創 建 819年東大寺佐伯道雄(どうゆう)僧都により「海院三昧寺」が創建
    大寺院で寂照院は塔頭十院の一つ
変 遷 平安時代末期に衰微、鎌倉時代に1265年東大寺尊勝院末寺として「宗性」が復興
    
    【1227年「道元」が中国江南省地方原産の孟宗竹持ち帰りこの地に植えたという】

    室町時代、応仁、文明の乱で海印寺焼失、塔頭・寂照院のみが残るが荒廃
    江戸時代初期、真言宗に改宗

    現代、
     1965年 仁王門解体修理
     1995年 本堂再建工事・走田9号古墳発見
     1997年 本堂復興
     2004年 仁王門、薬王門再建

  
仁王門

  
吽形木造金剛力士像   阿形木造金剛力士像

目鼻立ちや筋肉の抑揚、衣の皺や動きをやや誇張気味に表現する様式
鎌倉時代の写実様式が形式化した頃の作例に特有のもの      
南北朝時代 1344(康永3)年 造立                

仁王門を潜ると参道が本堂への階段、左手に孟宗竹の石碑、
右手に本尊縁の椎の木が植えられています。      



 
                「日本孟宗竹発祥之地」 椎の木 (親木は1934年室戸台風で倒木)       

  
本 堂 本尊 千手観世音菩薩 (鎌倉時代作)
本尊の周りには「四天王立像」 
左に平安時代後期作「妙見菩薩座造」
 右に不動堂の江戸時代本尊「不動明王」

 
回向堂 本尊 阿弥陀如来
左に「水子地蔵尊」(日本最古、唯一)

  
薬王門と鬼瓦


日本で最初に植えられた「孟宗竹」の竹林
  
乙訓景観十景 奥海印寺「竹の小道」

 
竹の子

伽藍復興工事の際、古墳が見つかり、本堂を階段上に建設することになった。
古墳自体は、埋蔵物などは盗掘されており、発見されなかった。

走田神社から寂照院にかけての南斜面を中心に広がる古墳群。8〜10号墳が発掘調査によって発見された。
なかでも、9号墳の横穴式石室は残りが良く、玄室内には組合せ式家形石棺の部材が残されていた。   
      9号墳は現在、寂照院本堂の背後に保存され、家形石棺の部材は長岡京市埋蔵文化財センターで保存されています。           



 

 

 





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養父市・加保坂ミヅバショウ自生地

2022年04月29日 | 日記
兵庫県養父市にミヅバショウの自生地があるとのことで行ってきました。
自生地としては日本南西限と表記されています。
植物園は別として、規模の大きな鬼無里のミヅバショウは見事でした。
加保坂のミヅバショウは、1976年天然記念物として県の指定を受け
谷間の湿地帯、約4000㎡に2000株以上保護されています。
発見当初は「カラー」かな思われましたが、ボーリング調査の結果
「ミヅバショウの花粉」が1100年前の湿原地下の泥炭層から見つかった。
辺りは湧水豊富な「蛇紋岩帯」で構成された湿地帯であり、
ミヅバショウに含まれる「毒」に猪に食べられることもなく自生していたとのこと。

天気も良く楽しみにしていましたが、前日の風雨でダメージを受けており残念でした。
監視員の方の話では、今年は例年に比べ、先始めは低調、途中の暖気で一気に咲き、
もう終わりに近いとのことでした。

 
案内パンフレット


入園券

 
案内板                 グリーンロッジ加保坂

  
ミズバショウ自生地入口 


 

愛唱歌「夏の思い出」で知られるミズバショウは、国内では北海道や       
中部以北の高山などの湿原に多く分布しているサトイモ科の多年草である。             
 1975年、植物学者・矢野悟道教授らによって加保坂のミズバショウが確認され、            
湿原地下の泥炭層の花粉分析の結果、約11,000年前からの存在が明らかになった。                       
これにより、当地は日本でのミズバショウ分布の南西限となり、学術的に貴重な                        
自生地となった。 
                    


所 在 地 養父郡大屋町加保字加保坂58番地
面   積 3967平方メートル
標   高 520メートルから530メートル
ミズバショウの概要
 ミズバショウは雪どけの頃から成長をはじめ、4月下旬から5月上旬にかけて開花するミズバショウは、
これまで日本の南限が岐阜県とされていたがこの地が発見されて、日本の南西限となり学術上貴重な存在と
なっている。
ミズバショウの生育地は東向き緩斜面の長さ80から100メートル、幅30から40メートルの湿地で1メートル余りの
オオミズゴケの層でおおわれている。
当地でミズバショウが発見された理由として「湿地帯が蛇紋岩地帯で植物の生育が悪く、今日までほとんど人工が
加わらずに自然が残されたため」と思われる。


 

  

  

湧き水の流れる谷間と露出する蛇紋岩
   

ミズバショウを見に行く散策路には名前の分からない山野草が顔を見せています。
案内図では、「カタクリ」、「ザゼンソウ」も見られるようです。
今の時期は「イカリソウ」が、あちこちに沢山咲いていました。

 

 

ミズバショウの間に、多くの植物が伸びっています。
「ヤマドリゼンマイ」のようです.
ゼンマイは1つの株から胞子葉と栄養葉の2種類の若芽が出ます。
先ず、「雄(型)ゼンマイ」が発芽し、「胞子葉」と言われますが食用にはなりません。
次に発芽するのが「雌(型)ゼンマイ」で、「栄養葉」と言われ、食用になります。   

  

 

 

  


ヤマドリゼンマイ・・・
胞子葉は栄養葉より先に伸び出し、胞子が散布された後もしばらくは残るが
早く萎れ、夏までには枯れてしまう。
「ゼンマイ・発条」「銭舞」「銭巻」「千巻」等名前の元?になった
「綿帽子(頭部)」の写真しか撮れていません。 












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元興寺「カラタネオガタマ」

2022年04月26日 | 日記
4月26日、なら町を散策して、何度も来ている元興寺にやってきました。
今まで気付かなかったのですが、入口の近くに奉納された「カラタネオガタマ」が植栽され花が咲いていました。
以前来た時は蕾、今回はやや遅めでしたが、花を見ることができました。

  

 
2022.4.1 撮影 「蕾」

  
花の蕾は「芽鱗(がりん)」に覆われ、剥がれて蕾が現れる

  
開花
 

和名「カラタネオガタマ」
(唐種小賀玉・唐種招霊)

日本固有の「オガタマノキ」と区別して、渡来植物であることをしめしている。
(原産は中国南部で,江戸期半ばに渡来と推測)
植物分類 モクレン科オガタマノキ属
特  徴 常緑中木(樹高;3~5m)
     葉は短い葉柄の先に5㎝、2~3cm程度の楕円形 全縁、鋭頭 枝に互生
     葉表面には光沢 裏面の主脈上に褐色の毛
     5~6月頃に黄白色の花 開花時にバナナにも似た香

(GKZ植物事典を参照)
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西陣聖天・雨宝院

2022年04月13日 | 日記
地元では「西陣聖天さん」で知られたお寺。
最近では、桜の名所として観桜に訪れる人が多くなって来ています。
ズバリここの大きな「御衣黄桜」は見事です。


 

雨宝院について
 山  号 北向山 (ほっこうざん)
 正式名称 雨宝院  (うほういん)
 通称名称 西陣聖天
 宗  派 古義真言宗・真言宗泉涌寺派
 本  尊 大聖歓喜天(秘仏)
 創  建 弘仁12年(821年)
 開  基 弘法大師空海







 

  
「大聖歓喜天」                 「千手観世音」 


                                 


 
正面                             西門



  
「日本最初大聖歓喜仏」 本堂                    観音堂

雨宝院の境内は、さほど広くないにもかかわらず桜を楽しむのにはとても素晴らしいです。
「歓喜桜」、「観音桜」は「御室桜」と同種の「御室有明」。「御衣黄」、「松月」に
八重桜、一重桜、枝垂れ桜、濃淡の桜の花びらが楽しめます。

 

 


桜の花びらを敷いたような参道




西陣五名水(西陣五水)
西陣の智恵光院通を中心に南北400mほどの間に並ぶように
「西陣五名水」と呼ばれた井戸がありました。
 雨宝院境内には「染殿井」という今なお水のある井戸として公開されている。
 かっては、染物がよく染まると、西陣織職人に重宝されていました。
 ・「染殿井」 雨宝院境内に涸れることなく現存。清めの手水として使用
 ・「千代野井」本隆寺に井戸跡のみ
 ・「安居井」  比叡山東塔竹林院の里坊安居院ゆかりの井戸(非公開)
 ・「鹿子井」  民家内にあり(非公開)
 ・「桜 井」  桜井基佐邸址(現在首途八幡神社)にあったが、隣接公園に模造


  



<おさらい>
古義真言宗(こぎしんごんしゅう)では本地身説法(真言宗最高仏である大日如来が自ら説法するとする説)
新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)は、空海(弘法大師)を宗祖とする真言宗の宗派の一つで、真言宗中興の祖と言われている
覚鑁(かくばん)(興教大師)の教えを元に高野山真言宗から分かれた宗派である。高野山内で新たな教義を打ち立てたため「新義」と呼ばれた。


真言宗十八本山

古義真言宗系
教王護国寺 - 東寺真言宗総本山
金剛峯寺 - 高野山真言宗総本山
善通寺 - 真言宗善通寺派総本山
随心院 - 真言宗善通寺派大本山
醍醐寺 - 真言宗醍醐派総本山
仁和寺 - 真言宗御室派総本山
大覚寺 - 真言宗大覚寺派大本山
泉涌寺 - 真言宗泉涌寺派総本山
勧修寺 - 真言宗山階派大本山
朝護孫子寺 - 信貴山真言宗総本山
中山寺 - 真言宗中山寺派大本山
清澄寺 - 真言三宝宗大本山
須磨寺 - 真言宗須磨寺派大本山

新義真言宗系
智積院 - 真言宗智山派総本山
長谷寺 - 真言宗豊山派総本山
根来寺 - 新義真言宗総本山

真言律宗
西大寺 - 真言律宗総本山
宝山寺 - 真言律宗大本山
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「石のカラト古墳緑地」

2022年04月06日 | 日記
天候に恵まれ、絶好の花見日和。
団地内の桜を観ながら、久しぶりに
国の史跡に指定されている「石のカラト古墳緑地」周辺を散策。

 
古墳緑地への歩道               散った桜の花びらの道

 


南に面した開口部

  
上段が円形で下段が方形の上円下方形

古墳周辺にはまだ少し早い感じの桜が開花し始めていました。

  

 


ツツジも数輪開花



石のカラト古墳 についての詳細
別名 カザハヒ古墳(風灰古墳)

奈良県北部・京都府南部、平城京北郊の平城山丘陵において、丘陵東斜面の棚状平坦地に築造された古墳である。
「カラト」の古墳名は、石室が唐櫃に似ることに由来するという。
これまでに盗掘に遭っているほか、1979年(昭和54年)に発掘調査が実施されている。
墳丘は2段築成で、版築による。
墳形は上段が円形で下段が方形の上円下方形で、
上段は直径約9.2メートル・高さ約1.6メートル、
下段は一辺約13.8メートル・高さ約1.2メートルを測る。
墳丘表面には川原石による葺石が認められる。
また墳丘周囲には暗渠・排水溝による排水施設が設けられている。
主体部の埋葬施設は横口式石槨(石棺式石室)で、南方に開口する。
盗掘のため副葬品の多くは失われているが、調査では漆片(漆塗棺か)のほか金・銀玉などが検出されている。
この石のカラト古墳は、古墳時代終末期の8世紀初頭頃の築造と推定される。
被葬者は明らかでないが、奈良時代に近い頃の貴族の墓と想定される点で重要視される古墳である。
古墳域は1996年(平成8年)に国の史跡に指定された。
現在は復原整備のうえで公開されている。

来歴
• 中世期、盗掘[3]。
• 1979年(昭和54年)ニュータウン建設計画に伴う発掘調査
   (奈良文化財研究所、1979年に概報刊行・2005年に報告書刊行)
• 1987年(昭和62年)復原整備
• 1996年(平成8年)7月16日、国の史跡に指定
埋葬施設
主体部の埋葬施設としては横口式石槨が構築されており、南方に開口する。石槨の規模は次の通り。
• 長さ:2.6メートル
• 幅 :1.04メートル
• 高さ:1.06メートル
石槨の構造は高松塚古墳(明日香村)に類似する。
石槨は組合式で、凝灰岩の切石16枚(天井4・床4・側壁各3・奥壁1・扉石1)から構成される。
天井部は屋根形に刳り込まれている。
石槨内からは金製玉1・銀製玉1・銀装大刀金具類3・金箔片・黒漆断片が、墓道からは須恵器が検出されている。

文化財 国の史跡 石のカラト古墳 - 1996年(平成8年)7月16日指定。

その他
江戸時代の「五ヶ村惣図」(享保9年(1724年))によると、
大和国超昇寺郷と山城国相楽郡との間で山論が起きた際に、
超昇寺郷が勝訴して相楽郡に舌状に張り出すこととなった。
これが本古墳が奈良県と京都府にまたがることになった要因とされる。

【ウィキペディア(Wikipedia)】
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テングノメシガイ

2022年04月06日 | 日記
昨年気が付いた「テングノメシガイ」、今年も庭の苔の間から顔を出しました。



 

 

 

 



テングノメシガイTrichoglossum hirsutum
テングノメシガイ科テングノメシガイ属
テングノメシガイは針葉樹林や広葉樹林の非常に湿気の多い場所の腐植やミズゴケの上などに発生します。
テングノメシガイは「天狗の飯匙」の名前の通り細長いスプーンのような形をしている真っ黒なキノコで
頭部の直径は4~15mm程度の大きさで浅い縦溝が入っています。絨毛状、柄部は微毛が密生する。
胞子は細長いミミズのような形で、15隔壁を生じる。
似たような仲間が多く、泣かせるきのことのこと。

参考
分類
界 : 菌界 Fungi
門 : 子嚢菌門 Ascomycota
亜門 : チャワンタケ亜門 Pezizomycotina
綱 : テングノメシガイ綱 Geoglossomycetes
目 : テングノメシガイ目 Geoglossales
科 : テングノメシガイ科 Geoglossaceae
属 : テングノハナヤスリ属 Geoglossum

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