初めて聞く寺院の名前です。
TV番組で「日本孟宗竹発祥之地」として紹介されたという。
今では、西山山麓一帯で筍の一大有名産地となり,嗜好されている。
下海印寺や奥海印寺という地名知っていましたが、寂照院はどんなお寺かと思って、
話題の地、縁の寺院に行ってきました。
戦国時代の戦乱で荒廃し廃寺になり、海印寺子院の寂照院だけが残っているという。
荒廃していたお寺を近年立て直されたものばかりで古刹という雰囲気はないが、
歴史的には、平安時代の創建で、鎌倉時代の仏像などを有している。
また、道元が中国より孟宗(もうそう)竹を持ち帰り最初に植えたところだそう。
寂照院について
宗 派 単立真言宗
山 号 木上山(こがみさん・このかみざん)
名 称 海印寺寂照院
本 尊 千手観世音菩薩
創 建 819年東大寺佐伯道雄(どうゆう)僧都により「海院三昧寺」が創建
大寺院で寂照院は塔頭十院の一つ
変 遷 平安時代末期に衰微、鎌倉時代に1265年東大寺尊勝院末寺として「宗性」が復興
【1227年「道元」が中国江南省地方原産の孟宗竹持ち帰りこの地に植えたという】
室町時代、応仁、文明の乱で海印寺焼失、塔頭・寂照院のみが残るが荒廃
江戸時代初期、真言宗に改宗
現代、
1965年 仁王門解体修理
1995年 本堂再建工事・走田9号古墳発見
1997年 本堂復興
2004年 仁王門、薬王門再建
仁王門
吽形木造金剛力士像 阿形木造金剛力士像
目鼻立ちや筋肉の抑揚、衣の皺や動きをやや誇張気味に表現する様式
鎌倉時代の写実様式が形式化した頃の作例に特有のもの
南北朝時代 1344(康永3)年 造立
仁王門を潜ると参道が本堂への階段、左手に孟宗竹の石碑、
右手に本尊縁の椎の木が植えられています。
「日本孟宗竹発祥之地」 椎の木 (親木は1934年室戸台風で倒木)
本 堂 本尊 千手観世音菩薩 (鎌倉時代作)
本尊の周りには「四天王立像」
左に平安時代後期作「妙見菩薩座造」
右に不動堂の江戸時代本尊「不動明王」
回向堂 本尊 阿弥陀如来
左に「水子地蔵尊」(日本最古、唯一)
薬王門と鬼瓦
日本で最初に植えられた「孟宗竹」の竹林
乙訓景観十景 奥海印寺「竹の小道」
竹の子
伽藍復興工事の際、古墳が見つかり、本堂を階段上に建設することになった。
古墳自体は、埋蔵物などは盗掘されており、発見されなかった。
走田神社から寂照院にかけての南斜面を中心に広がる古墳群。8〜10号墳が発掘調査によって発見された。
なかでも、9号墳の横穴式石室は残りが良く、玄室内には組合せ式家形石棺の部材が残されていた。
9号墳は現在、寂照院本堂の背後に保存され、家形石棺の部材は長岡京市埋蔵文化財センターで保存されています。
TV番組で「日本孟宗竹発祥之地」として紹介されたという。
今では、西山山麓一帯で筍の一大有名産地となり,嗜好されている。
下海印寺や奥海印寺という地名知っていましたが、寂照院はどんなお寺かと思って、
話題の地、縁の寺院に行ってきました。
戦国時代の戦乱で荒廃し廃寺になり、海印寺子院の寂照院だけが残っているという。
荒廃していたお寺を近年立て直されたものばかりで古刹という雰囲気はないが、
歴史的には、平安時代の創建で、鎌倉時代の仏像などを有している。
また、道元が中国より孟宗(もうそう)竹を持ち帰り最初に植えたところだそう。
寂照院について
宗 派 単立真言宗
山 号 木上山(こがみさん・このかみざん)
名 称 海印寺寂照院
本 尊 千手観世音菩薩
創 建 819年東大寺佐伯道雄(どうゆう)僧都により「海院三昧寺」が創建
大寺院で寂照院は塔頭十院の一つ
変 遷 平安時代末期に衰微、鎌倉時代に1265年東大寺尊勝院末寺として「宗性」が復興
【1227年「道元」が中国江南省地方原産の孟宗竹持ち帰りこの地に植えたという】
室町時代、応仁、文明の乱で海印寺焼失、塔頭・寂照院のみが残るが荒廃
江戸時代初期、真言宗に改宗
現代、
1965年 仁王門解体修理
1995年 本堂再建工事・走田9号古墳発見
1997年 本堂復興
2004年 仁王門、薬王門再建
仁王門
吽形木造金剛力士像 阿形木造金剛力士像
目鼻立ちや筋肉の抑揚、衣の皺や動きをやや誇張気味に表現する様式
鎌倉時代の写実様式が形式化した頃の作例に特有のもの
南北朝時代 1344(康永3)年 造立
仁王門を潜ると参道が本堂への階段、左手に孟宗竹の石碑、
右手に本尊縁の椎の木が植えられています。
「日本孟宗竹発祥之地」 椎の木 (親木は1934年室戸台風で倒木)
本 堂 本尊 千手観世音菩薩 (鎌倉時代作)
本尊の周りには「四天王立像」
左に平安時代後期作「妙見菩薩座造」
右に不動堂の江戸時代本尊「不動明王」
回向堂 本尊 阿弥陀如来
左に「水子地蔵尊」(日本最古、唯一)
薬王門と鬼瓦
日本で最初に植えられた「孟宗竹」の竹林
乙訓景観十景 奥海印寺「竹の小道」
竹の子
伽藍復興工事の際、古墳が見つかり、本堂を階段上に建設することになった。
古墳自体は、埋蔵物などは盗掘されており、発見されなかった。
走田神社から寂照院にかけての南斜面を中心に広がる古墳群。8〜10号墳が発掘調査によって発見された。
なかでも、9号墳の横穴式石室は残りが良く、玄室内には組合せ式家形石棺の部材が残されていた。
9号墳は現在、寂照院本堂の背後に保存され、家形石棺の部材は長岡京市埋蔵文化財センターで保存されています。