パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

王寺町 「達磨寺(達磨禅寺)」

2021年03月20日 | 日記
聖徳太子ゆかりの寺。達磨が祀られているのは大和地方では珍しい。
この地で瀕死の旅人を見つけた太子が、衣食を与えて看病したが、翌日死亡してしまった。
亡骸を葬ったところ数日で消えてしまい、あとには太子が与えた着物のみが残っていた。
これは達磨の化身であったのではないかと考えた太子は、堂を建て自らが彫った達磨像を安置したといわれる。
境内に残る方丈は寛文7年(1667)に建立されたもので、奈良県内でも類例の少ない本格的な方丈建築である。
また、数々の寺宝が安置されており、代表的なもので木造達磨坐像(重要文化財)や木造聖徳太子坐像(重要文化財)などがある。
太子の愛犬で元旦に鳴くといわれる雪丸の像もある。(奈良県公式観光サイトより)






中門(南門)

 
中門(南門)鬼瓦

 
本堂



本堂 本尊扁額と三本尊

 
手水舎                     鐘楼

  

雪丸
 
西門入口の「雪丸」



 

 


達磨石 & 太子石



 
達磨寺1号古墳    古墳石室内

 
達磨寺2号古墳
達磨寺3号古墳の上に本堂が建立されているとのこと

  
雪柳                 アカシア 

  
椿                    桜

 
 シデコブシ

 
雪丸の絵馬(戌)                  境内図

ボランティアガイドさんの話では4月11日から方丈が公開されるそうです。

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大津市 「早尾神社」

2021年03月16日 | 日記
皇子が丘公園の初御代桜を楽しんだのち、公園内を散策していると、
「早尾神社」の石標があり、予備知識のないまま参道に足を向けました。

<
   

早尾神社って?
由緒によれば
『今から1200年の昔に全国日吉や日枝神社の総本宮日吉大社中七社の内、
早尾神社を此の地に祀り、谷間に不動像を刻み寺門宗の守護神として崇敬した
と伝えられています。
境内には児大友社、八幡社、蛭子があり、児大友社には三井寺の創建者とされる
大友与多王をお祀りしています。
(もともと、天武天皇より「園城寺」の勅願を賜い大友氏の氏寺となった)
また、児大友社は、別所(大門)の御旅所のところに御鎮座のところ、
明治43年3月に境内にお移しされたものです。』

御祭神
 主神 武速素戔男命
 大和民族の皇祖と仰ぐ天照大御神(伊勢神宮)弟神で、
     大国主命(大国様)の父神、事代主命(蛭子様)の祖父神です。
     また日本神話に主役として度々登場され、
     早くより出雲の国に降りられ、国土の開拓に尽くされる。
     また神話の「岩戸隠れ」や「八叉大蛇退治」の主人公の神様です。

 相殿 猿 田 彦 命
     猿田彦之命は、天孫降臨で神々の道案内を務められた。


参拝の栞

貞観元年(859年)智澄大師円珍が、園城寺(三井寺)の復興にあたり、
坂本日吉大社の早尾大神を分霊して此の地に奉還し、寺門宗の守護神とした


御朱印


  
手水舎                   拝殿・中門

 
中門


中門・扁額


本殿・入母屋造り

 
本殿左右の狛犬 

 
児大友社                 蛭子社・八幡社


「日吉中七社」について、少し調べてみました。

日吉大社はかっては境内一〇八社・境外一〇八社といわれていましたが、今では「山王二十一社」と総称され、
「日吉大神」と呼ばれています。
二十一社はさらに
・上七社(山王七社)  【本宮】西本宮 東本宮 
            【摂社】宇佐宮 牛尾神社 白山姫神社 樹下神社 三宮神社
・中七社        【摂社】大物忌神社 新物忌神社 早尾神社 産屋神社
            【末社】牛御子社 八柱社 宇佐若宮
・下七社        【摂社】氏神神社
            【末社】樹下神社 竈殿社 竈殿社 巌滝社 釼宮社 氣比社

御祭神 武速素戔男命について・・・境内入口の南側に「山上不動明王」をお祀りしたお堂がありました。
素戔男神の本地が「不動明王」であるとされていることと関係があるのかもしれません。
参拝に来られていた方によれば古くから有名なお堂とのことでした。



  
不動明王堂と行場


  
滝の行場
 
        本堂内には講の方が         摩崖仏不動明王の写真が前立に
 

山上不動堂について
 元慶年間(877~855)三井寺の祖、智証大師円珍によって開基されたお堂で、
 正式には「山上浪切不動尊」といい、智証大師が中国より無事に帰国されたことに感謝をこめて、
 その本尊はお堂の奥にひっそりと佇む磨崖仏(不動明王の御姿を刻まれた)である。
 磨崖仏には仁治3(1243)年という銘が刻まれている極めて古い石仏である。
 天台宗では延暦寺(山門派)と三井寺(寺門派)の法脈の違いによる抗争があり多くの戸が消失した。
 その供養に、大岩に磨崖仏を刻み仁治3年8月に開眼供養されたといわれる。
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「ハツミヨサクラ(初御代桜)」

2021年03月16日 | 日記
初めて聞く名前の桜の記事を見て観桜に。
大津市皇子が丘公園に「ハツミヨサクラ」が満開とのことで行って着ました。
今年は、桜の開花宣言は、例年より少し早いようですが、
ここ皇子山の「ハツミヨサクラ」まさに満開終盤?かと感じる花盛り。

「ハツミヨサクラ」って?
「寒緋桜と啓翁桜(ケイオウザクラ)による交配種」だそうです。
ちなみに啓翁桜も支那実桜を台木として彼岸桜を接木したら
枝変わりができたものといわれています。

入口近くに「ハツミヨサクラ」の標準木がありました。









日本各地では、桜の代名詞として「ソメイヨシノ」が圧倒的に多く、花見の名所が多くあります。
桜の早咲きといえば伊豆の「河津桜」が有名ですが、奈良から大津に向かう途中、京都市内南部、
新堀川通り(油小路?)の街路樹として植栽されている「陽光桜(ヨウコウサクラ)」も
開花がはじまっていました。(車窓からで写真が撮れなくて残念‼)

ちなみに「陽光桜(ヨウコウサクラ)」は、「里桜・天城吉野(アマギヨシノ)と寒緋桜(カンピサクラ)」の
交配による栽培品種(1981年登録)です。鮮やかな紅紫色で一重咲き。大輪の花が下向きに咲きます。
満開時の新堀川十条近辺の街路は見事です❣

(写真はほかの方のブログからの転写)



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