パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

宇佐神輿フェスタ

2017年11月29日 | 日記
10月25日、東大寺縁の宇佐八幡宮による「宇佐神輿フェスタ」が、東大寺で開催されました。
2002年大仏建立1250年に際しても、宇佐八幡から神輿が来寧しており、15年振りの「神仏混淆」の祭礼です。
今回は、神輿とともに担ぎ手、囃子、神楽などに総勢300名余の市民の方が帯同されたそうです。

 


毎年10月5日には東大寺転害門において転害会(てがいえ)の法要が営まれています。
転害会は大仏造立の助援のために八幡神が九州・宇佐から影向(ようごう)した神迎えの様子を再現した行事といわれ、
かっては、東大寺(鎮守)八幡宮・手向山八幡の祭礼として、転害門を御旅所に神輿の渡御(とぎょ)行列や、舞楽の奉納など、
行事がおこなわれていました。

今回もまさにその再現、転害門中央に遠来の宇佐八幡神輿を鎮座し祭礼が行われました。

 

 

 

  


傍には、大分ナンバーのトラックが…「フェリーですか?」と聞くと「陸路です。」と。
「神輿中央の鳳凰も付けたまま運んだので、振動で飛び出さないかと気を使いました…。」と。

 

 
転害門から、お練りのスタート場所「南大門」へもトラックで移動


本日は、現在収蔵庫に保管している「手向山八幡宮御鳳輦(ごほうれん)」(国重要文化財)を元に制作した、
新たな神輿(みこし)のお披露目の日、大仏殿中門から手向山八幡宮までお渡りもありました。

中門から手向山八幡宮へ

鳥居を潜り参道を進む新調の神輿
 
  

 

 
拝殿に奉安された神輿
神輿は高さ約2・4メートル、
幅約1・2メートルの大きさ。
天皇が乗る形式の紫の錦と御聖体の鏡が特徴

 

来年の手向山八幡宮による「転害会」では、新調の神輿が転害門に祀られるそうです。


手向山八幡によるの祭礼が終わると、メインの南大門から大仏殿に向けての「神輿のお練り」です。
(不覚、デジカメの電池切れ…以後の写真はガラケイのカメラ)

 
始まる前のセレモニー 宇佐市長、奈良市長などの挨拶

 
  
様々な法被

  
 子供達が進路を浄め乍ら進みます

 
奉納される麻生子供神楽舞人、糸口学園太鼓奏者

 
子供神輿が続きます


神輿を先導する「大神杜女」

*「大神杜女(おおがのもりめ)」 八幡大神の禰宜尼(女禰宜)・大神朝臣杜女
勧請の際、八幡神に付き添って来寧、東大寺参拝の際、
天皇の乗物と同じである紫色の輿で参拝したとの故事の再現。
大神杜女が大仏を拝するため、紫の輿(こし)に乗って転害門(てがいもん)をくぐりました。
これが「神輿(みこし)」の始まりとされ
宇佐は「神輿発祥の地」と言われています。

 
 
神輿が大仏殿参道を中門に向かいます

*神輿には白布の胴巻きが…
 由来は分らないそうですが、古来より巻かれているそうです。子供神輿も同様です。
 白い布を巻くのは、邪気等の良くないものから神様を守る、御霊が入った神輿を保護する、
 勝手に扉が開かないように押さえている…いろいろな意味が考えられそうですが…。

 
中門前では東大寺僧侶による「迎講(むかえこう)」 「バラバラ心経」が唱えられます
般若心経…と思いきや、聞きなれない読経が耳に入ってきました。

「バラバラ心経」
鎌倉時代に東大寺の僧が大仏様やお堂を復興するために勧進を行っていたころ、
偽坊主が勧進と偽り横行するようになったことから、般若心経をバラバラに組み合わせて
僧侶に暗号のような経を読ませ、東大寺の僧かを証明するためにつくられたお経なのだとか。
「口伝」で東大寺の僧侶のみが唱えることができるそうです。
10月5日東大寺の八幡殿での「僧形八幡神像」前での法要で唱えられているそうです。
今回も八幡神に因み唱えられたそうです。


 

  
大仏殿正面に子供神輿二基とともに奉安。  修祓

 
祝詞奏上         東大寺別当挨拶

 
麻生子供神楽奉納        糸口学園太鼓奉納


ここでも東大寺僧侶による
「バラバラ心経」読経と焼香


宇佐神宮宮司、東大寺別当など神官、僧侶が一堂に
神仏習合の風景です

 
大仏殿中門を潜り退堂

 
中門で最後の差し上げ      南大門に向かう


神輿のお見送り

 
フィナーレは狭川東大寺別当が輿に乗り南大門に向かわれた。

おまけ
 
子供の使う浄めの水の入った桶

 
待機中の輿と子供神輿      待機中の宇佐八幡神輿の鳳凰

 
子供神輿は「橋津神社」の祭礼のもの


東大寺の紅葉

 
大佛池(正倉院大池)付近

 
手向山八幡手水屋    ねこ段(猫坂)上からの大仏殿



東大寺鏡池に映る中門・大仏殿(金堂)


鹿も参道で新しい神輿をお出迎え



【大分合同新聞の記事転載】
宇佐神宮のみこしが東大寺参拝

 「国民文化祭なら2017」が開かれている奈良市の東大寺で25日、宇佐神輿(みこし)フェスタがあり、
子供みこしを含む宇佐神宮の3基が登場した。東大寺大仏の開眼供養があった8世紀半ばのみこし参拝を古都で再現し、
多くの歴史ファンが見守った。来秋は大分県が開催地となる国民文化祭のアピールを兼ね、担ぎ手たちが荘厳に練り歩いた。
 宇佐市から若宮みこし1基、子どもみこし2基、大神杜女(おおがのもりめ)役の佐矢彩華さん(24)をはじめとする
総勢300人が南大門から大仏殿前広場までパレード。
にぎやかな道行きばやしにのせて、担ぎ手が威勢よく「わっしょい、わっしょい」と掛け声を響かせた。
好天の週末とあって参道を埋めた観光客が歴史絵巻を写真やビデオに収めていた。
 大仏殿前広場では東大寺僧侶の迎講(むかえこう)や宇佐神宮の神職による祝詞、
糸口学園の太鼓、麻生子供神楽を奉納し、全員で大仏殿を参拝した。
 東大寺の狭川普文(さがわふもん)・第222世別当(住職)が「来年は大分県で国民文化祭があり、ご縁が巡ってきた。
大仏さまともども1300年近い深いつながりをかみしめることができた」とあいさつ。
みこしフェスタ実行委員会の里見和俊会長(63)は「多くの子どもたちが貴重な体験をしたと思う。
神仏習合やみこし発祥という歴史を知ってもらえた」と満足そうだった。
 宇佐神宮からは2002年にも東大寺でみこしと市民が参列。両市は友好都市協定を結び、交流を深めている。

<メモ>
 「続日本紀」などによると、大仏鋳造の成就のため、聖武天皇の使者が宇佐の八幡神に祈願。
八幡神は神託「われ天神地祇(てんしんちぎ)を率(ひき)い、必ず成し奉(たてまつ)る。
銅の湯を水となし、わが身を草木に交(まじ)えて障(さわ)ることなくなさん」という託宣がを出して協力を誓い、
大仏が完成する前の749年、八幡神や禰宜尼(ねぎに)大神杜女らをのせたみこしで大仏を拝したという。
宇佐八幡宮は全国4万社に及ぶ総本宮ですが、「東大寺の鎮守八幡宮(現・手向山八幡宮)」が勧請最初と言われています。





















広沢ノ池畔・平安郷

2017年11月25日 | 日記
春の桜、秋の紅葉の季節に一般公開される世界救世教の聖地「平安郷」で紅葉狩りを楽しみました。

 
一般公開のパンフレット

 

 






野点 後方は上の茶屋


お茶を一服 お菓子は「さつまいものきんとん」


庭園内の「石割の松」



   
鏡池越しの紅葉



『嵐山』は「嵐山(360m)」を主峰に、「カラスヶ岳(400m)」、「岩田山(381m)」を支峰とする三山の総称。
20分程かけて、海抜120mの東山展望台に登ると、嵐山一帯が眺望できました。
初めてしりましたが、嵐山は一山としては、標高は一番低いことになります…。

 
 
広沢ノ池畔に中の茶屋紅葉の通り抜け



 
広沢ノ池から愛宕山を遠望

広沢ノ池周辺は、佐野造園の枝垂れ桜をはじめ「桜」の名所と思っていましたが「紅葉」も素晴らしかった。
平安郷の観桜、紅葉狩り、平日に行くと、名所の喧騒から遁れてゆったり風流を満喫できます。

*広沢池(広沢ノ池)
大覚寺・大沢池の東にある。東西・南北各300メートル,周囲1.3kmの灌漑用の溜池。
989年(永祚1)寛朝僧正が朝原山に寺を建立した時に開削した池で、別名遍照寺池とも。
しかし秦氏が造成の説も。平安期は観月の名所として貴族が訪れ多くの歌を詠んだ。


「嵯峨富士」とも称される端麗な「遍照寺山」が…。

桜井・等彌(とみ)神社

2017年11月23日 | 日記
新聞に奈良の紅葉の記事で「等彌神社」が紹介されていたので行ってきました。
今年は、何処とも紅葉が早かったように「ここも見ごろ…と言うよりは過ぎ気味…」
神社の方の話では、本殿の横が辛うじて綺麗に残ってくれています…」と。
ライトアップもあるようですので、これは見栄えするかも…。

神武天皇・金鵄…と記されると「神武東遷伝」から「長髄彦」を思い出します。
そして、その記紀で長髄彦(ナガスネヒコ)の根拠地とされる鳥見(登美)とは、当地を含む富雄川の流域。
神武天皇の東遷において最大・最強の障害となった軍及び一族の長であったとのこと。
別名「登美能那賀須泥毘古」とも言われ、近くの地名から「富雄」、「登美ヶ丘」、「鳥見町」…
音では「トミ」。
奈良北西部の地名は、「長髄彦」に因んで、付けられたものかもしれません。

ここ桜井は、「鳥見山」、「等彌神社」…行ってきました。

 
第一鳥居
H27.5.4「伊勢神宮第60回式年遷宮 旧内宮鳥居 中重鳥居」譲与
*中重鳥居(なかのえのとりい) 
外玉垣南御門(とのたまがきみなみごもん)と,
内(うち)玉垣南御門の中間にある鳥居




   

由緒(パンフレットより)
鳥見山の西麓に鎮座する当社の歴史は古く、10世紀前半に制定せられた『延喜式』の神名帳にすでに記載があります。
千数百年の悠久の歴史と伝統を有するとともに、昭和15年の紀元二2600年当時には、旧村社から県社に列せられ、
爾来、地元桜井は元より、全国的な崇敬に預かる県下有数の古社にして名社です。

境内には、160余基の石燈籠が並立し、参道を進むと上社①「上津尾社」に至り、
裏参道を下ると下社②「下津尾社」に至ります。御祭神は、天照皇大神、下社には八幡大神・春日大神をお祀りするとともに、
その他八社(③弓張・④恵比須・⑤金毘羅・⑥黒龍・⑦稲荷・⑧猿田彦・⑨愛宕・⑩桃神)の境内社及び桜井市護国神社が
鎮座されています。


第二鳥居への参道


石段下の狛犬

 
第二鳥居             扁額

 
第二鳥居から振り返ると…


鳥居を潜って参道へ     「式内等彌神社」

下津屋社
  
拝殿

 
拝殿(左右二殿)守護の狛犬

 
左殿、春日社 
御祭神 高皇産霊神・天児屋根命


右殿、八幡社 
御祭神 磐余明神(いわれみょうじん・神武天皇)・品陀和気命

上津屋社
 
上津屋社参道      拝殿


拝殿

  
拝殿守護の左右の狛犬

御祭神 大日霊貴尊(おおひるめのむちみこと・天照皇大神)。
本殿は、元鳥見山中にあり、天永3年(1112)現在地に遷されました。
拝殿は、大正13年に新設されました。

 
 
本殿を守護する左右の狛犬

 
拝殿への渡り廊下       神饌所


渡り廊下越しに

 
裏参道からの鳥居

 
裏参道鳥居の左右の狛犬


 
境内には160以上の様々な形の燈籠が奉納されています。


「献燈」(燈;登の下に火)

 
桃神社の池に映る紅葉は「さかさ紅葉」と呼ばれています。
特に、ライトアップされると幻想的に映るそうです。


土偶の写真ですが等彌神社のイメージキャラクター
「ヤタガラスのご神像」です。
社務所の窓口にレプリカが並べられていました。
元文元年(1736)下津尾社の敷地内にある磐余の
松の枯れ株の下から掘り出されたそうです。

 
「神武天皇聖蹟鳥見山中霊畤顕彰碑」


三上山(近江富士)&御上神社

2017年11月17日 | 日記
名神高速道路や国道を走ると、必ず目にする美しい「近江富士」。


近江富士といえば「三上山」が正称。
高さ432m、なだらかな稜線を描くその美しい姿から、近江富士と呼ばれています。
また、この山を七巻半した「大ムカデ」を武将「俵藤太」が弓矢で退治したという伝説が残っており、「ムカデ山」の別名もあるそうですが美しい姿にはちょっと…。
国道8号線を走ると「御上神社」の石標が建っており、以前から気になっていました。
三上山を神体山としながら「三上神社」ではありません…が、三上山大明神とも称される。


神社の駐車場から見る三上山は…
左の男山、右の女山の二山から成り立っていたのです。
(「孤峯に見える三上山も近くでは男山・女山の二峯からなり…」)

野洲市歴史民俗博物館で御上神社の宝物展が開かれているのを機に行ってきました。




京都国立博物館に寄託され里帰り中の狛犬(パンフレットより)
但し、展示は野洲市歴史民俗博物館



鳥居
 

扁額


御神神社の由緒
御祭神 天之御影神(天照大御神の御孫)




社紋 釘抜紋
(違い釘抜紋)




  
楼門

 
楼門左右の狛犬

  
楼門左右の随神

 
拝殿

  
本殿


 
 摂社 三宮神社

 
摂社 若宮神社

 
境内


 
末社 御鍵取神社 愛宕神社 


神木のスダ椎

おまけ
  
本殿・楼門の注連縄のサイズ











石清水八幡宮・「おがたまの木」

2017年11月03日 | 日記
秋期京都非公開文化財特別公開で、八幡市の「石清水八幡宮」を拝観してきました。
祭礼や行事の無いときは、本殿参道の傍まで車で男山を登ることができます。
以前は、ケーブルカーで登り、歩いて下山したことがありました。
車で登るのは初めてで、細い住宅街を通り抜ければ、あとは駐車場は広くて安心。
住宅街での離合には要注意。
天気も良く、朱色の社殿は壮観でした。
社寺の赤色は、本来は魔よけや神性を表していると言われていますが、
朱や丹という顔料は水銀、鉛など金属を原料としているので、
虫害・腐食から建物自身を守る役割もあるともいわれています。
石清水八幡宮の朱色は、本殿には漆も塗られ少し黒みがかっており、
回廊、楼門などは鮮やかな朱色の使い分けがされていました。


唐門


楼門正面と左右の回廊


楼門正面

特別公開の受付は、東楼門の前にあります。
直ぐ横に「おがたまの木」があり、実が沢山落ちていました。
説明にあるように、「招霊の木」と呼びその実が鈴なりにつき
「神楽鈴」のモデルだそうです。
また1円硬貨の表面はおだまきが図案化されたもの。
なお、大将軍八神社では「招霊の木」を「神代榊」とも表示されていました。
榊の自生しない地域を中心に神前に供える玉串として古くから代用されたり、
神木とされて榊、梛木などとともに神社の神域などに植栽されています。

「おがたま」の掛けられた説明板
(参拝者が気付くようにとのこと)


先日の風で落ちた「おがたまの実」


どうぞお持ち帰り下さいとのことで頂いて帰りました。


後日、実が割れるとピンク色の種?が顔を出しました。

*おがたまの木のおさらい
オガタマノキ(黄心樹・招霊木・小賀玉木 学名:Michelia compressa)
モクレン科オガタマノキ属の常緑高木。
日本に自生するモクレン科では唯一の常緑樹である。
別名オガタマ、トキワコブシ。
和名は神道思想の「招霊」(おぎたま)から転化したもの。
和歌、俳句の季語「晩春」にも用いられる。
日本神話においては天照大神の天岩戸隠れにおいて
天岩戸の前で舞った天鈿女命が手にしていたとする説も。