パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

草花火

2015年06月24日 | 日記
頂いた花がやっと咲きました。多肉植物なのに水をやり過ぎて失敗してました。
午後から咲き始め、暗くなると萎む命の短い花です。(3時草みたいに…)
花びらの色は鮮やかな5弁で、雌蕊が白く小さな蝶のようです。
咲き始めの頃は、2〜3輪しか咲きませんでしたが、
今では毎日8〜10輪咲いてくれてます。
種で増やせるようなので、挑戦してみます。
 



学名: Talinum calycinum

タリナム ‘草花火’のデータ
科名・分類 スベリヒユ科  夏緑多年草  中央アメリカ原産
大きさ 背丈10~25cm  横幅15~30cm
主な見所 花(6~8月)
タリナム ‘草花火’の特徴
タリナム属にはいくつかの種類がありますが、庭で一般的に使われるものは
‘草花火’(T.calycinum)で、赤紫の花を初夏~秋まで咲かせます
葉の印象はマツバボタンやマツバギクに似ていますが、花はまるっきり違い花茎を高く立ち上げ、小さなかわいらしい花をちらほら咲かせます
乾燥に強く、丈夫な花です
他のタリナム属は多肉植物として鉢植えで栽培される事が多いです

難易度 :丈夫です
日照 :日向を好みます
水 ~:湿った環境は苦手です
耐寒性 :0℃程度まで耐えます

タリナム ‘草花火’の育て方と管理
日当たりと水はけがよければ楽に育ちます
多肉質の葉を見ればわかるように、ジメジメした場所には向きません
冬は地上部が枯れますが、塊茎で冬を越します。霜よけはしたほうがいいです
管理 花茎を切り取る程度です
肥料は控えめに春と秋に与えます
病害虫 ほとんど発生しません






黒白幕…

2015年06月23日 | 日記
住吉大社の御田植神事に行った際、諸神事が説明されている中に、張り巡らされている「白黒幕」がありました。特に気にしていなかったのですが、確かに「葬祭用」のイメージがあります…。

住吉大社で張られていた黒白幕(「鯨幕」)

平安時代から、幕は遮蔽(しゃへい)用に使用されていたようで、かつては縦縫のものを「幔」(まん)、横縫のものを「幕」と称して区別していました。しかし、実際には幕と幔とは混同されていたようです。 現在でも、野外における行事や式典の際には、その場に幕が張られているのを見かけます。この幕の色については、黒白の幕(鯨幕)(くじらまく)は、近年凶事にも使用されるので、凶事用と思われがちですが、礼服の色からも理解出来るように、黒は高位の色であり尊重され、神事では古くから白黒の鯨幕が張られ,皇室はじめ、出雲大社、上下賀茂神社、伏見稲荷などでも使用されているそうです。
過去の祭礼の写真を探してみましたが、黒白幕は写っていませんでしたが、色の異なった幕が張られていました。

上賀茂神社の青白幕([浅黄幕])


上賀茂神社…?幕


園遊会(転載写真)の青白幕([浅黄幕])


八坂神社の青白幕([浅黄幕])



若宮おん祭御旅所の青白幕([浅黄幕])
 

松尾大社御旅所の青白幕([浅黄幕])


 
伏見稲荷神幸祭(トラックの胴巻翠系の幕)正式には紺白の幔幕だそうです


大安寺の五色幕・青白幕([浅黄幕])


おさらい
○鯨  幕
鯨幕(くじらまく:「蘇幕」とも書く)は、白黒の2色の縦縞で構成される幕である。
通夜や葬式など一般的には弔事で使用されるが、これは葬儀業者が発案したとされ、一般的になったのは意外と歴史は浅く昭和初期以降とされる。
名前は、鯨の体が黒と白の2色であること、あるいは黒い皮を剥いだ際の身が白いことに由来する。
白装束にもあるように、日本では古来より弔事には白を用いたが本来は弔事・慶事に関係なく使用され、旧暦で行事が行われる地域や格式高い神社での行事、また皇室では慶事にも使用する。
○浅 黄 幕
浅黄幕は、浅黄(浅葱色:あさぎ。水色よりも濃い、青色。)と白の2色の縦縞で構成される幕。
地鎮祭・上棟式などの神事に使われる。
皇室の新年祝賀の儀、園遊会でも使用される。 
浅黄幕は、神聖な場所を示すので、勝手に立ち入ったりできないことのしるし、神様が来る場所とも言われている。祭壇のまわりを覆うように使われるのもこのためです。
葬儀などにも使われ、紅白幕や白黒二色の鯨幕より古い歴史を持つ可能性も指摘されている。青白幕とも呼ぶ。
歌舞伎で、舞台効果のため使用する浅黄色一色の幕も、浅黄幕と呼ばれる。
○五 色 幕
仏教行事などで用いられる5色の縦縞で構成される幕。寺院の壁などに掛けられる五色幔幕。白・青・黄・赤・黒などで配色には差異がある。但し、青と黒は、伝統的表現の緑(翠)と青(群青)で表される。
真言宗などでは、五智如来の色とも言われ、五つの知恵を表す色として知られる。

智積院・青葉まつり・法話

2015年06月20日 | 日記
大師堂と蜜厳堂で法話を拝聴しました。

大師堂への上り階段・参道

大師堂

大師堂での法話
 およそ600年前、能を大成した世阿弥(ぜあみ)は、能楽に関するさまざまな文書を執筆していたことでも知られ、50歳半ばに書いた『花鏡(かきょう)』という伝書には「初心忘るべからず」という言葉を書き残している。おそらく誰もが知っている言葉だが、これが世阿弥の言葉だということを知らない人も多いのではないだろうか。
一般的に「はじめの志を忘れてはならない」という意味で使われるが、世阿弥が言った「初心忘るべからず」は、もう少し複雑で繊細な意味を持っている。

世阿弥が言う「初心」は「最初の志」に限られてはいません。世阿弥は人生の中にいくつもの初心があると言っています。①若い時の初心、②人生の時々の初心、そして③老後の初心それらを忘れてはならないというのです。若い時の初心とは、具体的には24〜5歳のころを言っています。能役者の場合、まずは稚児(ちご)姿がかわいらしい子供時代があり、声変わりなどをして苦労する青年時代がある。そして24〜5歳になると、いわば成人して声も落ち着き、舞も舞えるようになる。すると周りが、「ああ、名人が登場した」「天才が現れた」などと褒めそやしたりします。それで思わず、「自分は本当に天才なのかもしれない」と思ったりするわけですが、実はそれが壁なのだと世阿弥は言うのです。それは、その時々の一時的な花に過ぎない、そんなところでのぼせ上がるのはとんでもない。そこにまさに初心が来るのです。
この頃の花こそ初心と申す頃なるを、極めたるやうに主の思ひて、はや申楽(さるがく)にそばみたる輪説(りんぜつ)をし、至りたる風体をする事、あさましき事なり。たとひ、人も褒め、名人などに勝つとも、これは一旦めづらしき花なりと思ひ悟りて、いよいよ物まねをも直にし定め、名を得たらん人に事を細かに問ひて、稽古をいや増しにすべし。(『風姿花伝』第一 年来稽古条々)
まことにこの時が「初心」である。それを、あたかも道を極めたかのように思って、人々に話をし、さもそのように舞台で舞ったりするのは、なんとあさましく、嘆かわしいことであろう。
むしろこの時期こそ、改めて自分の未熟さに気づき、周りの先輩や師匠に質問したりして自分を磨き上げていかなければ、「まことの花」にはならない。そこで満足して何もしなければ、芸もそこで止まってしまうからです。若いころの名人気取りを「あさましき事」と世阿弥は言うのです。確かに、こうした「あさましき事」は、今でもあるかもしれません。人気をいいことに、まだ若いのに名人気取りになっている俳優や音楽家はいるかもしれません。
人間誰しも、すごい新人が現れたと言ってみんなが褒めてくれる時期が一回は来るでしょう。しかし、次の年になれば、またあらたな新人がやってくるのです。だからこそ、新しいものへの関心からみんなが褒めたたえてくれている時、その中に安住してはいけないと世阿弥は言っているのです。そこでいろいろと勉強しなおして初めて、その上のステップに行けるというのです。
■『NHK100分de名著』2014年1月号より編集転載


蜜厳堂(興教堂)
 
蜜厳堂からの下り階段・参道

蜜厳堂での法話
『雑宝蔵経』に説かれている、「無財の七施(むざいのしちせ)」という教えです。
 これは、金も物も名誉も地位もない人でも、布施しようという心さえあれば、七つの施しができるということです。

 ①眼施、②和顔悦色施、③言辞施、④身施、⑤心施、⑥床座施、⑦房舎施の七つが説かれています。

 第一の「眼施(げんせ)」といいますのは、慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接するように努めることです。
 「目は、口ほどに物を言う」とか、「目は、心の鏡」ともいわれますように、人間の目ぐらい、複雑な色合いを映し出すものはありません。
 その目に湛えられた和やかな光は、どんなに、人々を慰め励ますことでしょう。 特に、過失を犯して悲嘆にくれている時などは、更生への愛撫となりましょう。

 第二の、「和顔悦色施(わげんえっしょくせ)」といいますのは、やさしいほほえみを湛えた笑顔で、人に接することをいいます。心からの美しい笑顔こそ、まさに人生の花であり ましょう。
 純粋無垢な笑顔に接する時、人は一瞬、人生の苦労を忘れ生き甲斐さえ感じます。笑顔は周囲全体を和ませ、トゲトゲしい対人関係をスムーズにします。

 第三の「言辞施(ごんじせ)」は、やさしい言葉をかけるように努めることです。思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。
  心からの優しい言葉は、どんなに相手を喜ばせるか計り知れないものがあります。

 第四の「身施(しんせ)」は、自分の肉体を使って、他人のため社会のために奉仕することです。いわゆる無報酬の労働です。
人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。

 第五の「心施(しんせ)」といいますのは、心から、感謝の言葉を述べるようにすることです。
「ありがとう」「すみません」のたった5文字の音声ですが、世の中を、どんなにか住みよく明るくするか知れません。

 第六の「床座施(しょうざせ)」は、場所や席をゆずり合う心遣いをいいます。
 乗り物の座席の取り合いから、権力の座の争奪にいたるまで、いつの世相を見ましても、いかに、床座施が必要かが知らされます。
 少しでも床座施の心があれば、この世は気持ちよく住みやすく変わるでしょう。

 第七の「房舎施(ぼうじゃせ)」は、訪ねて来る人、求めて来る人があれば、一宿一飯の施しをして、その苦労をねぎらうことをいいます。
雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動 をすることである。

 このように、布施しようとする精神さえ私たちにあれば、何も持たないどんな人でも、いつでもどこでもできる善行が、布施であることがお分かりになるでしょう。

世の中には、「布施」と云うことは、持てる者が、持たざる者に対して「めぐむ」ことであると考えている人が非常に多い。
布施をめぐむと考えることから、他のために一生懸命につくしても「してやったんだ」という気持ちが、心のすみのどこかにつくってしまうのでしょう。
これでせっかくの布施の行も、施(ほどこ)しとはならなくなってしまうのです。
他のものの為につくしても、役立つことが出来たとすらも考えようとしないのが、本当の意味で布施ということになるのです。
布施という難しい仏教語を使うからややこしくなるのかもしれません。「よろこんでもらうこと」と言い換えたら分かりやすいのだとも思います。  
よろこんでもらう方法は、なにも「無財の七施」に限ったことではありません。

(記載は法話の趣旨であり、法話のメモではありません。)

大師堂と蜜厳堂では弘法大師、興教大師の誕生を祝い「灌仏」が設けられており、法話の後、お釈迦様の誕生仏に因んで甘茶を掛け合掌。

お堂巡り御朱印(クリック拡大)


住吉大社・御田植神事

2015年06月15日 | 日記
御田植神事




都会の真ん中で繰り広げられる田植えのお祭り

稲作の始まりとともに、田んぼの神さまを祭る田植え行事で、当時と同じ格式を守り、華やかで盛大に行っており、重要無形民俗文化財に指定されています。

住吉大神が草を敷かずに苗代をつくる方法を教えたという伝説により、古くから「農耕の神」として篤い崇敬を受けてきました。
古い時代の農耕は当時の産業を代表するものでしたから、住吉大神は「産業の神」と申し上げてもよろしいわけで、現在は農業関係者のみならず、商業・工業関係者からも深く信仰されております。
境内には約二反の御田があり、毎年6月14日には「御田植神事」が盛大に行われておりますが、第四本宮ご祭神、神功皇后が長門国(現在の山口県)から植女 (うえめ) を呼び、御田を作り五穀豊穣を祈られたことが始まりといわれています。
母なる大地に植付される苗には、強力な穀霊が宿るものとして考えられていました。田植えに際して音楽を奏で、歌をうたい踊りや舞を演じるのは、田や植付する苗に宿る穀物の力を増やすためです。穀物が豊かに育ち、稲穂が十分に実る秋を迎えるための儀式として、今でもおご

植女や稚児など、行事に関わる人は、お祓いを受け、まず第一本宮で神事の奉告祭を行います。そして行列を整えて御田へ向かいます。その後、御神水を御田の四方に注ぎ清め、早苗の授受が行なわれます。中央舞台や周囲では、次々と舞や踊りが繰り広げられ、見ている人を楽しませてくれます。
なかでも住吉踊は有名です。心の字をかたどって踊る姿は、とてもかわいらしく和みます。




植女



八乙女の田舞




早苗の授与



代掻き



踊りと舞

本殿祭の後、神職はじめ奉仕者は行列を成し、御田へ移動します。

御田式は、次のような順番で踊りや舞が行なわれます。

1. 神楽女8名による八乙女の田舞 (たまい)
2. 御稔女(みとしめ)による神田代舞(みとしろまい)
3. 鎧兜をまとった武者による風流武者行事
4. 男児による源平合戦
5. 女児による田植踊
6. 約150名の女児による住吉踊

神田代舞 

住吉踊り


時の記念日

2015年06月12日 | 日記
漏刻祭に行ってきました。  
 近江神宮のご祭神・天智天皇は、時を認識することが社会文化の発展に不可欠のものとお考えになり、ご治世の10年、その都・近江大津宮に漏刻(水時計)を創設して時報を開始されました。
『日本書紀』に「鐘・鼓をもちて時を知らす」とあり、この日を記念して、太陽暦に換算した6月10日が『時の記念日』と定められています。
 この日、わが国時報の創始を仰ぎ、時の祖神・天智天皇に感謝の祈りを捧げるとともに、社会と文化の発展・産業繁栄・家内安全を祈願する祭典として、近江神宮ご創建以来『漏刻祭』が斎行されました。
当日は王朝装束をまとった時計業界の皆様(27年は京都府時計宝飾眼鏡商業協同組合役員の皆様)漏刻博士とびわ湖大津観光大使らの皆様が、各メーカーの時計新製品を御神前にお供えして(献納)、陰陽頭により時計の歴史の進展を奉告し(神賀詞奏上)、陰陽介により讃え歌の奏唱など、感謝の誠を捧げられました。
祭典の中で奉納行事として女人舞楽・原笙会による舞楽、本年度は4人舞「柳花苑」が舞われました。この日の恒例により、滋賀県華道協会の流派持ち回りにより内拝殿前に献花が活け込まれました。
また、当日は時計館宝物館が無料公開され,珍しい時計を見ることもできました。

楼門

 
     水時計                日時計


古代火時計
1979年ロレックス社からの寄贈
約4000年前、中国で夜間の時刻を計るものとして使用された火時計
龍の背中に等間隔で14個の銅球が吊り下げられており
糸の下を燃え進み、線香が糸を焼き切り球が落下して
下に置いてある銅鑼が鳴って時を告げる。1間隔が約2時間を示す。


修祓

メーカーの時計新製品献納 漏刻博士・采女(びわ湖大津観光大使)


宮司の参拝等

女人舞楽・原笙会による舞楽奉納・4人舞「柳花苑」


回廊に右から陰陽頭、陰陽介、漏刻博士、采女(びわ湖大津観光大使)

 
  内拝殿と奉納舞楽舞台         舞台撤収作業は時計専門学校の生徒さん?


外拝殿より楼門を眺める

 
御朱印          神社案内


(クリック拡大)

すずらんの里・都祁散策(続編)

2015年06月03日 | 日記
「名残りのすずらん」を後にして、山を下って行くと次は「左巻き榧」。
県指定の天然記念物、種子が普通の榧より大きく、種子の表面にある螺旋状の溝が左に巻いている珍種。
時期的に花、種子が見られませんでしたが、落下した種子があったので拾ってみました。(写真参照)
ヒダリマキガヤ(左巻榧)は、カヤが突然変異で生じた変種で、普通のカヤの場合、種子の外殻と内殻には通常直線状に筋(すじ)が入っていますが、ヒダリマキガヤは左巻き(又は右巻き)に筋が入っています。非常に珍しいので多くは天然記念物に指定されています。天然記念物に指定されているヒダリマキガヤは他にもまだあるかも知れませんが、近畿に多く見られるようです。
吐山の左巻カヤ    (県指定:奈良県奈良市 
■ヒダリマキガヤ群落  (県指定:奈良県曽爾村)
■熊野のヒダリマキガヤ (国指定:滋賀県日野町)
■建屋のヒダリマキガヤ (国指定:兵庫県養父市)
■長瀬のヒダリマキガヤ (県指定:三重県名張市)
■ヒダリマキガヤ    (町指定:兵庫県猪名川町内3箇所)
■浄徳寺のヒダリマキガヤ(町指定:兵庫県神河町)
■宗源寺のヒダリマキガヤ(県指定:山梨県笛吹市)
■野積の左巻かや    (県指定:富山県富山市)
■小原のヒダリマキガヤ (国指定:宮城県白石市)(他のブログより編集転載)
兵庫県養父市の「建屋のヒダリマキガヤ」は、全国一の巨木。
奈良市の「吐山のヒダリマキガヤ」は幹囲3.22m、種子が大型で、長さが4㎝にもなるものもある。
曽爾村には12本の群生をなしている。
「左巻き榧」を見て、公民館近くの「下部(おりべ)神社」へ。


下部神社の正面鳥居


                鳥居の横の祓戸社


拝殿と左右の狛犬


下部神社は、春日神社境内に遷され合祀・扁額が2つ架かっています


境内の燈籠は、奉納された時代によって、形が異なっている

  拝殿・渡殿・本殿         本殿(略記には春日造りと記されていましたが流造り…)


吐山城跡のある城山・標高573m比高140m(ここに登ります)

城山登山?は昼食後でもあり、結構厳しかった…。
木立の中を、落葉、枯れ枝に足を取られながら、黙々と山頂を目指した。

木立、草に覆われ殆ど確認できなかった


山頂からの遠望


山頂の雨乞い?の竜王社  山頂の役行者像(泉州和泉砂岩石像)


山頂に三角点(四等三角点)

三角測量によって求められた測地の基準となる点。また,基準点には花崗(かこう)岩製の標識埋設されている。一等(置間隔は約40km。全国に約1,000点)、二等(置間隔は約8km。全国に約5,000点)、三等(置間隔は約4km。全国に約32,000点)、四等(置間隔は約2km。全国に約6万9000点。)あり,各等級の 点を結びつけてつくられた三角網はそれぞれ上級の三角網のすきまを埋めて全国をおおう三角網となる。
柱石の一辺は12cm、十文字は方角、破壊や破損に備えて、柱石の直下には盤石も埋設されている。
最近では、GPSも併用されているそうです。地籍調査又はこれに相当する調査の測量の基準点として、国土交通省土地・水資源局国土調査課の委任を受け、国土地理院が設置している。

下山は一見楽そうでしたが…枯葉に何度も滑り、冷や冷やしながら無事街道に辿りつきました。国道369号線は笠置街道と言われており、御醍醐天皇が笠置から「香酔峠」を経て吉野に向かわれた…。歴史を感じながら農産物直売所「座はやま」で休憩。「吐山米」は美味しいそうで、「大阪府民が選ぶいっちゃんうまい米コンテスト」で、2012、2013年連続優良賞受賞と掲示されてました。山間の清水で育てられたお米は美味しいでしょうね。
お米は食べてませんが、頂いた冷えたお茶、水の美味しかったこと。いよいよ、ゴールの吐山公民館。

解散後、下部神社同一敷地内に境内恵比寿神社、十二社神社、その境内末社として広田神社、稲荷神社、春日神社があるので参拝しました。


恵比寿神社拝殿 十二社神社と合祀・扁額が2つ


本殿と左右の狛犬


本殿の左右の壁に描かれた龍と虎(下部神社本殿の左右にも描かれていたようです)


本殿より拝殿を振り返る

 
      恵比寿神社境内より城山を望む  余り見かけない明治神宮遥拝処の石碑が…

秋にも都祁散策の企画がされるようですが、下部神社の銀杏の黄葉の時期に再訪して観てみたいものです。

観てみたい銀杏の絨緞(他のブログより転載)

<参考> 下部神社略記・抜粋 (クリックで拡大)