パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

薬師寺東塔修理現場見学

2019年04月28日 | 日記
薬師寺で唯一創建当時、1300年前より現存している建物で、平成21年より解体修理が行なわれています。
あと1年程で修理が完了し、令和2年4月22日、落慶法要が行われるとのことです。
生涯でもう二度と見ることはないので、修理現場を登り屋根の傍から見てきました。
また、最上階から西塔、境内伽藍、春日山の眺望も大満足の一時でした。
解体基壇発掘、水煙降臨、新旧水煙と何度も東塔に足を運び工事の完成が楽しみです。
来年、金堂の東西の塔が揃った光景が目に浮かびます。

  
案内パンフレット           工事用覆いの掛かった東塔

 
 スロープを昇ります


見学出来るのはは6Fと三重屋根の層7F

 

 

 

  

 

 

  
最上階の屋根

 
水平に見る西塔

 
金堂

 
大講堂                     東僧坊
 

春日山遠望
(風景は工事用ネット越しで不鮮明ですが目には焼き付きました。)

H31.3.9 見学時の新旧水煙の写真

回廊の外より西塔と修理中の東塔

    
手前が復元新水煙

     
手前が旧水煙                 東塔と西塔の比較
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志明院(金光峯寺)

2019年04月22日 | 日記
「岩屋の不動さん」で親しまれている、京都の雲ケ畑に行ってきました。
①賀茂川の源流の一つ
②歌舞伎「鳴神」の縁の地
③「もののけ姫」のイメージの場所
交通の便が良くない…しかし「パワースポット」
道路事情の不安を胸にマイカーで挑戦してきました。
昨年秋の台風の凄さを倒木の数が教えてくれ、
土砂崩れの工事区間も数か所、不安が増幅。
道中、車の離合もハンドルに力が入りました。



「志明院」について
志明院(金光峯寺) 【駒札より】
『岩屋山と号し、真言宗単立寺院である。
一般に岩屋不動と呼ばれている。
寺伝によれば、白雉元年(650)に役行者が開山し、
のち、天長六年(829)弘法大師が淳和天皇の命により創建した。
以来皇室の勅願所として崇敬が深く、天下の平和の祈願のため
諸堂開扉の詔があり、この時「志明院」の勅額を天皇から賜わり、
これお寺号にしたという。
度々兵火や火災に遭い現在の主要建物は明治以降の再建である。
本堂には空海開眼と伝える不動明王を安置し、奥院である根本中院には
菅原道真の手彫と伝える眼力不動明王を安置している。
また、境内には歌舞伎「鳴神」で有名な鳴神上人が龍神を閉じ込めた所と
伝承される護摩洞窟など修験道にちなむ伝承地が多い。
また、付近一帯には京都市の天然記念物である石楠花が多く、
四月下旬に開花して美しい。            京都市』

こちらのお山では、山門より奥の写真撮影は禁止されています。
カメラや山を登るので荷物は受付に預けて入山します。
私の携帯は、「電波の届かない場所!」表示。
写真はここまで…

 

 



蛙さんのお出迎え(置物ではありません)

  
石楠花は京都市指定天然記念物

参拝案内図


山門を潜ってすぐ右手に鐘楼(藤原国久作)が…台風で倒壊し無残な姿。
正面に本堂。本堂には弘法大師の開眼の御本尊「不動明王」が祀られ、
内陣右に大日如来、両脇に毘沙門天、歓喜天が立っているそうですが、
一般参拝者には非公開のようで、本堂の前立として不動明王がありました.
 
滝の左手後方の岩屋には、手前に薬師如来(脳薬師如来)が祀られ、その奥に、鳴神岩屋。
切り立った岩肌の下に立つと、俗によく言われるパワースポットの様な場所。 
歌舞伎十八番中の傑作といわれる歌舞伎脚本「鳴滝」(「雷神(なるかみ)不動北山桜」)の
舞台として知られています。
市川宗家七代目團十郎の制定した歌舞伎組狂言十八番、
三段目「毛抜」、四段目「鳴神」、五段目「不動」は
この「雷神不動北山桜(五段組み)」から独立分離したものだそうです。

鳴神岩屋とは?
鳴神上人が世継ぎのない朝廷に命じられて岩屋山へ籠った祈願により、
見事、皇子を誕生させたのですが、朝廷が寺院建立の約束を反故にした為に怒り狂い、
呪詛で雨を呼ぶ竜神が滝壺に封じられたため、都は旱魃となった。
これを止めさせるために、美姫・雲の絶間姫(くものたえまひめ)が遣わされ、
色香、酒でついに上人を破戒させ、注連縄(結界)を断ち、竜神を解き放って雨を降らせたという話。
この姫は帝の命令で上人を落としに来たのだと、全てを知った上人は、
怒り狂って雷神になって荒れ狂います(六方を踏みながら花道を入って行きます)。

参道に戻って急な階段が続く、結界があります…階段の突き当たりに岩屋清水の舞台、奥の院。
仏様の祀られた窟屋に、いわゆる賀茂川の源流となる水、岩から浸み出た水が水滴となって滴り、
何とも言えない音が響いてきます。
水琴窟は人工的に作られた装置から高音で響きますが、ここの自然の響きは最高。
弘法大師空海が創建の地としただけに、深山幽谷のまさにパワースポット!

司馬遼太郎が好んだ山寺としても有名で、宮崎駿監督もこの地を訪れ
アニメ「もののけ姫」の構想は、この森から生まれたと云われています。


集まった水は岩屋川に
 

 
駐車場の川の渕に紫陽花のような花の木
オオカメノキ?

岩屋山役行者の開山で神仏混淆、修験道の地です
空海が再興した真言密教の地でもあります。
今は、石楠花と新緑ですが、紅葉の時にもう一度訪れたい。


御朱印

毎年4月29日には志明院大祭(柴灯大護摩供)が開催されているそうですが…
今年は台風災害復旧工事と重なり、開催を中止せざるを得なくなったとのこと。
         (京都市観光案内、歌舞伎などの諸ブログを参考にしました)
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夕霧太夫行列

2019年04月14日 | 日記
かって、遊郭の
・江戸吉原・高尾太夫(江戸の吉原遊郭では最高位の遊女のことを花魁といった・大名跡)
・京都島原・吉野太夫
・大阪新町・夕霧太夫
を名妓三大太夫(寛永三名妓)と言ったそうです。
太夫の名前は、歌舞伎や浄瑠璃等で聞いたことがあります。
京都鷹峯の常照寺には島原の吉野太夫の墓が在り、
4月第二日曜日に「花供養」の行列あるそうですが、
大阪新町の夕霧大夫の墓は下寺の浄国寺にあり、
4月7日同寺で法要と太夫行列があるとのことで行ってきました。

大阪でお寺の多くある下寺地区の活性化プロジェクトが企画し、
今年で3回目の開催とのことでした。
舞台やテレビでしか見たことがない太夫行列を一目見ようと
アマ・カメラマンや多くの人が訪れていました。

 

 
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貨幣セット狂騒と花筏の造幣局通り抜け

2019年04月10日 | 日記
4月9日から恒例の大阪造幣局桜の通り抜けが始まり観桜に行ってきました。
「H31年貨幣セット」の人気が高いとは聞いていたので、10時開門より少し早めに…。
9時30分頃天満橋を渡り南門に進むと???長い行列が…開門待ち?
いえいえ硬貨セット購入者の長い長い行列でした。7時前から列が出来ていたとか…。
開門の「ファンファーレ」が聞こえてきましたが2時間近く進みません。
南門まで辿り着いたのが12時。門を入ったものの、九十九折れの列1時間余り。
「花より団子」ではなく「花より硬貨」?で疲れ果て…



 
南門で入場者数カウント…(硬貨購入者入場数はカウントできていない?)

 
    構内の九十九折れの列        外のビルを取り巻く列(帰る頃でも列が…)

H31年貨幣セット(2019 桜の通り抜け貨幣セット)

ケースの表裏            貨幣の裏表

桜の通り抜け2019プルーフ貨幣セット

ケース表裏

貨幣セット裏表

説明書表裏

雑学?
貨幣の裏表ですが、金額が刻印された方が「裏」と聞いたことがありますが法的根拠はないとのこと。
明治初期には、「龍紋」が天皇の肖像に代わるものとされ「表」、以後「龍紋」が「菊紋」に、しかし
戦後GHQにより「菊紋」の使用が禁止されたため判別根拠は無くなった。
そこで、造幣局では作業の必要性から、毎年金型の変る「年号のある側を裏」としているそうです。
「年号と大きく金額」が入っているのが「裏」と思いきや「5円硬貨」だけ「裏は年号のみ」でした。


今年の花🌸
 
小手毬と同様であるが、花が赤い手毬の状態となるところからこの名が付けられた

  
東京荒川堤にあった品種で、花に香りがあり、花弁崇は10〜15枚である

八重桜、枝垂れ桜、大島桜が未だ蕾の木、花が終わった木…「桜の植物園」は、インバウンドで国際色も豊か。
観桜に何度も訪れていますが、今年も貨幣購入の疲れも忘れ「桜で目が満腹?」になりましたが…痛々し光景も。       昨年9月の台風21号の強風により桜53本で枝が折れるなどし、うち18本は根元から倒れ、新たに7本を植栽。
今年は係りの方達のお世話で花を咲かせてくれた木も有るそうですが、来年も頑張って咲いてほしいものです。

 

花筏(はないかだ)
花筏とは、散った桜の花びらが水面に浮き、それらが連なって流れていく様子のことです。
その花びらの動く様子を筏(いかだ)に見立てた言葉といわれ、「季語」にもなっています。
前日は風が強かったので大川端でソメイヨシノの「花筏」が見られるのでは…と期待。
 

 
極めて美しい情景描写です

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京田辺市大御堂観音寺&桜・菜の花

2019年04月06日 | 日記
京田辺市普賢寺という地名にある「大御堂観音寺」に行ってきました。
京田辺市のスタンプラリーイベント会場、「普賢寺 ふれあいの駅」に隣接しています。

  
普賢寺ふれあいの駅 京田辺市の観光大使「キララ」ちゃん
*キララちゃん;平成21年3月28日に誕生した、キララ商店街のマスコットキャラクター。(永遠の4歳)



京奈和道の高架下、普賢寺谷付近のふれあいの駅


大御堂観音寺参道と常夜燈


鐘楼と本堂への参道



天武天皇の勅願により義淵僧正が創建した。
その後,聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築し、
息長山普賢教法寺と号し、十一面観音立像を安置したといわれている。
法相・三論・華厳の三宗を兼ね、七堂伽藍は壮麗を極めて「筒城の大寺」と呼ばれた大寺院であったと伝えられている。
幾度となく火災に見舞われ、永享9(1437)年の火事では、諸堂13、僧坊20余りを数えた建物のほとんどが失われ、
大御堂だけが再建され現在に至っている。
現在は、本堂と庭園が周囲の里山に調和し、美しい姿を見せており、春には参道の桜並木や一面に広がる菜の花が、
秋には紅葉がひときわ目を引く。
十一面観音立像 天平仏(奈良時代中期)を代表する仏像で、昭和28年国宝指定。
天平16(744)年良弁僧正(ろうべんしょうじょう)開基時の仏像。
一木式木心乾漆造(いちぼくしきもくしんかんしつづくり)、
漆箔(しっぱく)(下地の上に漆を塗り金箔で表面を加工)仕上げ。
立像は度重なる修理によって形を変えていた部分もあったが、昭和期の高度な補修技術により現状の姿に整えられた。
本体では、頭上面中の七面、右耳朶(じだ)、両手の指(右第五指を除く)、本体以外では天衣や持物などが後補されたもの。当初の蓮肉と敷茄子をそのまま使用し、そこに蓮弁と反花(かえりばな)、八稜形の框(かまち)を付け足した六重の蓮華座に、静かに安置されている。
像高:172.7センチメートル 重量:66.0キログラム。度重なる火災により、現存しているのは本堂、庫裡、
鎮守(ちんじゅ)の地祇(ちぎ)神社だけである。
本堂は昭和28(1953)年3月に再建された。単層で入母屋造、本瓦葺で南に面している。
境内の西方、丘陵上には塔ノ跡と称されるところがあり、奈良時代末期から平安初期頃の作となる布目瓦(ぬのめがわら)が散在している。
またその中央には大きな石が置かれているが、おそらく付近一帯に建てられていた堂塔の礎石の一部だと思われる。
本堂の前には松香石(しょうこうせき)製の層塔残闕(ざんけつ)があり、様式からすると平安後期の作であるという。
(京田辺市観光協会)



本尊 国宝 十一面観音像(ガイドブックより転載)


本堂横に地祇神社の鳥居と説明書

地祇神社

大国主命、大山祇命、活気長足長比売命をまつる式内社である。
明治初めのころは、地主神社と呼ばれていた。
正徳元年(1711)の『山州名跡志』には、大御堂(現在の観音寺)の鎮守として
権現大明神と地主権現の二社がみえる。
現在の本殿は三間社の流造で覆い屋のなかにある。
この覆い屋の石壇に「天文十辛丑年(1541)卯月吉日大西備前守」と刻まれたものがある。
当時、このあたり普賢寺谷の地侍たちは惣氏神の朱智神社や惣氏寺の普賢寺を中心に結束し、
大西氏は指導的立場のひとりであった。
元亀四年(1573)将軍足利義昭が槙島城で織田信長に対し挙兵するが敗れ、
義昭は普賢寺谷を経て河内若江城に出奔する。
地元の所伝では、大西備前守敏元が足利側でこれに参戦し将軍に従い若江城で討死したとされる。

               例祭 十月十八日

          京田辺市 教 育 委 員 会
           京田辺市文化財保護委員会


鳥居を潜り階段を登ると右手に二棟の祠


大国主命、大山祇命、活気長足長比売命?
近隣の天王に祀られていた「牛王天王」をお寺の鎮守に勧請されたとか?






御祭神を守護する狛犬も金網に守られています 

お寺の参道の両側は、菜の花畑に桜
    

なの花を 敷き詰め迎え かんのんじ

参道に 黄色き散華 おおみどう







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